復讐者《アヴェンジャー》。
 それは『夜明けの晩』と仮の同盟を組み、勢力を伸ばしつつある新興のスキルアウトだ。
 しかしその詳細は一切不明。どのような経緯で成り立ち、誰によって興され、何を目的として行動しているか、同盟を組んでいるはずの夜明けの晩すら知らされていないことのだった。
 ただ『夜明けの晩』の者達は守ってくれるという保証のために盲目的に服従し、アヴェンジャーの正体を追求しようとしない。もしかしたら、恐れて出来ないだけなのかもしれないが。

 そして、前回俺が侵入した際にアヴェンジャーから『夜明けの晩』へ、次の行動を促す旨の書かれた文章を発見した。
 内容は以下のようだ。


 親愛なる我が同志、『夜明けの晩』へ。
 諸君らの活躍により、また一つ我らの復讐を遂げることが出来た。これは誠に喜ばしいことだ。

 だが、これだけでは足りないのは諸君らもわかっていることだろう? 
 我らを見下し、こけ落とす下賎な生き物。能力者、、、つまり高慢な生き物は全て我らの復讐対象にある。この世界から一刻も早く、人間の皮をかぶった能力者《バケモノ》を根絶やしにするのだ。

 そのために戦力の確保は重要となる。
 よってあるスキルアウトとの同盟を円滑に進めるため諸君らにはある重要人物の確保を依頼したい。その人物とは……



 能力者を抑えこむ機器一つを手に入れたくらいでこの学園都市に住む能力者を根絶やしときたのだから、これはもはや傑作としか言えない。
 無能力者を圧倒する超能力を得た能力者と、能力者を圧倒する機器を得た無能力者。それは力のベクトルが違うだけで、根本的には何一つ変わっていないのだ。

 そして文章の後半の部分。
 今現在の奴らの戦力は未知数であるが、更に自分たちの配下へと加えるべく新たなスキルアウトとの同盟を考えているようだ。
 なぜ重要人物の確保が同盟を円滑に進める要因となり得るのか、それはこの文面からは読み取れない。
 しかしその重要人物が同盟先のスキルアウトとの何らかの関係があれば、それはすなわち“人質”として成立するのではないか。
 例えばの話、その重要人物が同盟先のスキルアウトの元リーダーだったりしたら、それは絶好の取引材料となるというわけだ。
 そしてその重要人物としてあげられてる名は、頬好理乃《ほおずきりの》。
 もちろん俺はこの人物がどういう者かは知らない。――けれど、この者の姓にだけは見覚えがあった。

「おはよう黒丹羽君! 早速なんだけど今日も特撮部手伝ってくれない?」

 そう、同じクラスの頬好駆奈。その者と同じ姓なのだ。


  ◇ ◇ ◇


 放課後、学校からバスで三〇分行ったところにある、映画を製作するための最小限のセットが揃ったスタジオに俺と風輪学園特撮部の面々は集合していた。俺に関しては無理矢理つれてこられたようなものだが、今はそんな細かいことはどうでもいい。

「じゃあみんな。今日は部長の私のコネで、風輪学園の六位にきて貰いました!」

 おおー、というとってつけたかのようなざわめき。
 そう、もうそんなことはどうでもいい。

「なんなんですか……これは」

 全身をすっぽりと覆い隠す着ぐるみ。こちらからは窺えないがその外観は氷を模したオブジェクトで構成された角と尾、全身には霜柱のような細かい白い鱗がぴっしりと敷き詰められている。――……こんな異様な格好の方が今はつっこみどころなのだから。

「はうぅ~! 似合う似合う! 絶対零度を司る氷の怪獣、ヘル・ブリザード! 彼にとっては煮えたぎるマグマだろうが何だろうが一瞬にして凍り付かせることができるのだ! うんすごいかっこいい!!」

 いつものテンションの四割増しで説明する頬好。いや、聞いているのは設定ではなく、なぜ俺まで一員として活動させているのかということだ。いつもなら舞台裏のセットの運搬の手伝いや能力による特集効果ぐらいで舞台に立つことなんてなかった。いや、したくもないし。

「いや~もともとこの部、人が少ないからさー。どうせ手伝ってくれるならこっちの方がありがたいんだよね」
「だったらお得意のCG技術とかでとかで怪獣は再現したらいいんじゃないですか」
「にゅふふ。わかってないな~黒丹羽君は。生の人間が表現する怪獣の迫力がどのようなものか。それは学園都市の技術とはいえど、一歩たりないんだよ。それに黒丹羽君は運動能力高そうだから殺陣にも期待できるしね」
「……はぁ」

 もうこうなってしまえば後の祭りだろう。最初からここに協力なんてしなければよかったが、クラスメイトとしての馴染みもあるし、今のところの優等生というイメージを崩すわけにもいかなかったので仕方がない。

  ◇ ◇ ◇

「ふははははーー。絶対零度を司る氷の支配者ヘル・ブリザードだー。貴様等は一瞬にして我が氷のオブジェクトに変えてやる」

 台本の言葉をただただ棒読みして。演技を進めていく。あっち側からは「くっ……強い!」だの「やったか?」だのいう熱演が返ってきて、こちらの演技の稚拙さが浮き彫りにされるのがなんともいえない辱めだ。

「カットカットカット!」

 メガホンからひときわ大きな声を張り上げて頬好は演技を一時中断させる。そしてむっとした表情をこちらに向けると、

「みんなは休憩。黒丹羽君は話があるから表に」

 そう促し、一人先に外へと出ていってしまう。この格好で外に出ろと言うのはあんまりではなかろうか、そう考えていると、「早く!」との催促。俺はなかばやけくそ気味で外へと出ていった。


「それで話とは?」

 専用スタジオの外に設置されてる小さなベンチで怪物と少女が隣あって座っている。怪物は俺の方なのだが、端から見ればなかなかにシュールな組み合わせだろう。

「んむぅ~! この作品はある小学校の生徒達にお披露目するものなんだから、もっとしっかりやってよね。もっともっと、ヘルブリザードに感情移入して。台詞一言一言に魂を込めて」
「んな無茶な」

 本当にこの女は無茶苦茶だ。今日初めて演技をするど素人に演技の質を求めるなど高望みすぎる。

「無茶じゃない。役と役者、その二つが同調《シンクロ》するとき演技という枠を越えた真に迫るなにかがあるよ!」
「はは……」

 目を輝かし、拳を握りしめて熱弁する頬好だが、さすがにその熱さにはついていけない。そんな俺の心境すら察することなく、だからね、と頬好は言葉を続けて。

「とりあえず、ここで少し練習してみようか。」
「は?」

 目つきが変わり『演技モード』に入った頬好はこちらを睨みつけて。

「くっ……お前は何者だ!?」
 ……。
「くっ……お前は何者だ!?」
 ……。

 早くしろという無言の重圧がこの空間に蔓延る。
 まさかここでも恥ずかしい演技をさせようとするとは、恐るべし風輪学園特殊撮影技術部長。よく他の部員もついていけたものだ。

 それからは「お前は何者だ」と「絶対零度を司る氷の支配者、ヘル・ブリザードだ!」の掛け合いを何度も繰り返させられた。それはもう名を尋ねられたら思わずヘル・ブリザードと答えてしまいそうになるぐらいに。

「んふぅ~。よし、じゃ次は黒丹羽君みたいにすごい人にはヘルブリザードの苦しみがわからないだろうから、ヘルブリザードの設定がどんなかを教えてあげる」

 疲れを知らないのか、頬好は更にキラキラとした瞳で鞄の中を漁り出す。そして今回の特撮に登場する人物の設定資料がぎっしりと詰め込まれてあるカバンの中から、ヘルブリザードについて書かれた一冊を取り出してきた。
 開くと、そこにはびっしりと細かい字で埋め尽くされ、イラストまでも丁寧に描かれている。これ全て頬好がやっているというのだから驚きだ。

「ヘルブリザードはね、かつて仲間に裏切られ、それから二度と誰も信じないよう自分の心までを凍てつかせるの。そして時が経つにつれ、裏切り者ばかりの世界をひどく嫌悪し世界を破壊しようとするの」

 へえ、と適当に相づちをうって話を聞く。

「そこに現れたのが太陽の戦士サンバーニング。彼との戦いを通してヘルブリザードの凍り付いた心はいつの間にか溶け、また世界を信じてみようと言う気になるの。そして二人は仲間になり、世界の恒久平和を目指し立ち上がるというわけ。どう? 感情移入できそう?」

 全然。
 というかそんな茶番が通用するのは小学生までだ。中学生ですら感動しない。

「いい話だなー。すごく共感できました。はい」
「んぬ~。なにそのあからさまな棒読みはーッ!! 感動したでしょ? だったらもっと熱くなれよぉぉぉぉ!」

 変な方向にヒートアップして説得してくる頬好を落ち着かせるべく――かつ、アヴェンジャーが重要人物として狙っている頬好理乃との関係を探るべく――俺は別の話題を切り出す。

「そういえば、頬好さんには妹か姉がいるんですか?」
「なによ藪から棒に。まあ……お姉ちゃんならいるよ」
「そのお姉さんって、“理乃”って名前だったり?」
「そうだけど……なんで黒丹羽君がそんなこと知ってるの?」

 これで頬好駆n奈好理乃の関係性は明らかになった。あとはその姉がスキルアウトと何らかの関わりを持っているかを聞ければいい。

「まあそこは置いておくとして、お姉さんは昔もしくは今もスキルアウトに身を置いてたりするんですかね?」
「え……」

 頬好はそこで言葉を詰まらせる。もし姉がなにもスキルアウトに関係してないのなら、そんな質問はすぐにノーと答えられるであろう。それができずに言葉を濁すということは、俺の仮定はドンピシャだったということだ。

「ごめん。それは答えられない……」
「いいですよ。こちらこそ変なことを聞いてすいません」

 そんな時、俺の携帯が鳴る。
 ディスプレイに映しだされたのはあの子供の名だ。ネットを使って頬好理乃の情報を探せと命じていたが、なにかそれらしい情報は手には入ったのだろうか。
 とりあえず頬好から離れて、怪獣スーツの上を脱ぐ。そしてやっとのことで電話にでると。

『もしもし? お兄ちゃん!?』

 通話相手のことを全く気遣わない開口一番の大声が耳を貫いた。キーンという耳鳴りはしばらく続き、鼓膜が痛む。……だが、それについての文句は後回しにするとしよう。

「その様子だと、なんかあったらしいな」

 声から察するにどうも穏やかではなく、まずはそちらの話を聞くのを優先した方が良いと考えたからだ。

『頬好理乃さんのブログから、彼女がどこの大学に通っているかわかったんだ。で、今その大学に来てるんだけど……どうも様子がおかしいんだよ』
「どうおかしいんだ?」
『大学の周辺でうろうろしてる見慣れない男がいるんだ。まるで僕と同じで理乃さんが下校するのを待ってるかのように』
「……そうか」

 もし子供の言うとおり、その男たちも頬好理乃との接触を図っているとすれば、それはおそらく『夜明けの晩』だろう。
 いつ行動を起こせという具体的な指示は出ていなかったが、こうも早急に動き始めるとはあっちもそれなりに必死と言うことか。

『あっ。理乃さんがでてきた!』
「その男はどうだ?」
『やっぱり理乃さんのあとをつけてる』
「人数は?」
『一人……いや、理乃さんを追う男からさらに数十メートル後方にオールバックの男もいる』
「二人か……やけに少ないな」
 そう、少ない。
 もし奴らが誘拐をもくろんでいるのだとしたら、その手順を潤滑に進めるため後5人はほしいところだ。それともあの子供の目には入ってないだけでどこか違う場所からつけているのだろうか。
『あ!!』
「どうした? つーか少しボリュームダウンしろ、あっちに気づかれるぞ」
『そんなことより、大変だよ。さっきのオールバックの男奴らの仲間じゃない!』
「仲間じゃない……? 何でそんなことがわかる?」
『だってあの男の袖に風紀委員の腕章が……!』
「なんだと?」 

 つまりこの件には『夜明けの晩』だけではなく風紀委員も関わっている。おそらくは頬好理乃がなんらかの形で自分が狙われてることを悟り、風紀委員に助けを依頼した、といったところか。

「わかった。じゃあお前も頬好の後を追え。位置は逐次こっちの携帯に」

 簡潔にまとめ、俺は携帯を切る。

「……やっかいなことになったもんだよ。まったく」

 溜息とともにそんな言葉が出たのは、荷物をまとめ劇場から飛び出している頃だった。

   ◇ ◇ ◇

 路地裏と言えば不良達――ここ、学園都市で言えばスキルアウトの巣窟だ。あるところではレベルが上がるだの噂されてる怪しい薬の取引、またあるところでは能力者への報復の現場。ただのコンクリの建物が作り出す僅かな空間でもここでは闇、苦、血、マイナスをイメージさせるもののよりどころとなる。

「くそ!! こんなところにまで!?」

 だが、普通の人間からは避けられるそんな場所にも自ら歩み寄る者はいる。
 ある者はそれを『正義のヒーロー』と呼ぶ。ある者はそれを『偽善者』と呼ぶ。
 ――そして、彼らは自分達のことをこう呼ぶ。

「風紀委員《ジャッジメント》、あなた達のような非エリートな人間にはこの一言で十分でしょう」

 ギュン!
 自称風紀委員の男から三つの塊が飛来する。それは風を纏い、風を斬り、突き進む石ころ。その尾部からはロケットのように空気が噴射され、通常では有り得ない速度での運動を可能にしていた。

「でっ! 足が――!?」

 その石は風紀委員から逃げる不良の足に直撃し、見事に転倒させた。

「エリートの私から逃げられるとでも?」

 圧倒的威圧感を放ちながら不良に歩み寄る風紀委員の少年、斑狐月は乱暴に不良の胸倉を掴んで自分の方へと引き寄せる。

「知っていることを全て話してもらおうか? エリートであるこの私に」

 彼がこの不良を追う理由、それは先日一七六支部に相談しにきた女大生が発端だった。
『誰かに見られてる?』
『はい。気のせいかもしれないんですけど~……静かなときには足音も聞こえてきて……』

 その女性から聞いたところ、ここ最近常に誰かの視線を感じるらしい。要するにストーカーされているかもしれないということだ。
 そんな理由でで今日下校途中の少女を観察し、怪しい者がつけていないかどうかの確認をリーダーである加賀美が孤月に命じたのである。

「くそ! わかったよ……言えばいいんだろ言えば!」
「レベル0にしてはいい判断だ」

 そして案の定、その女性を着けている者がいた。だからこうして取り押さえたというわけである。
 孤月は本音を言えばこんな仕事は他の者に任せ、もっと大きな事件を任されたかった。エリートにはエリートの仕事を、凡人には凡人の仕事を。それが世の常識――と、いうよりかは彼にとっての常識なのだ。
 まったく、適材適所という言葉を知らないのか、あのリーダーは。そう心の中で愚痴った所で孤月はただでさえ細い瞳を更に細め目の前の男を睨みつける。

「それで貴様らは何が目的であの女を着けていた?」
「はっ……そりゃあ」

 孤月の問いに不気味なまでにあっさりと不良は口を開いた。その口はどこか怪しげで、にやつきを隠せないようにも窺える。
 しかし孤月は黙ってそれを聞いた。このような人間が考えていることなどエリートの自分にはどうでもよい。たとえそこになにかしらの策があろうとそれに掛かるほどまぬけではないと自負しているからだ。

「あるスキルアウトからあの女を捕まえてきて欲しいって依頼されたんだよ。だから無理矢理にでも捕まえるため、機会を窺っていたという訳よ!」
「だが、エリートたる私の介入によりそれも阻止されたという訳か」
「いやぁ……それはどうかな?」

 ニヤリと不良が笑う。

「もちろんあの女が風紀委員にチクるのは想定の内。だからその対策として俺が選ばれた」
「貴様が?」
「要するに俺はてめえらを出し抜くための時間稼ぎにしか過ぎねえんだよ! ……ほうら、お前が俺に構っている間にもうあの女は他の仲間に捕らえられているかもしんねえぞ!?」
「!!」

 孤月はその言葉にぎょっとしたようで細い瞳が僅かに見開かれた。

「はは! 何だその鳩が豆鉄砲喰らったような面! 驚いて声も出ないか!」
「ああ――……確かに驚いてるよ」

 孤月も口の端を少し釣り上げて笑う。まるで目下の者の浅知恵を嘲笑するかの如く辛辣な表情で。

「私が、単独で行動してると思い込んでいる愚かで惨めな貴様らにな」

――――――

 同時刻、川原にもう一人の風紀委員一七六支部の少年、神谷稜が立っていた。手には細くも長い針が握られており、そこからは青白い光が包み込むように放出されている。
 シンプルに表現すればそれは明るい光を放つ剣。そしてそれこそが神谷の能力、閃光真剣(ライトブレード)だ。
「なぁ……風紀委員の兄ちゃん……その女こっちに渡してくんないかなぁ? こっちも折角の依頼をフイにはできねぇんだよ」
 その剣を向ける先、そこには数人の柄の悪い人間が立っている。そいつらが神谷の後ろにいる女性を追い掛けていた者達。要するに神谷にとっての敵だ。

「……断る」

 神谷は自分の後ろの女性を庇いながら続けて。

「一人の女子を大勢で……てめぇら全員、務所にぶちこんでやる!!」

 眼光は鋭く、口元は怒りに歪む。多勢に無勢であろうと風紀委員としてこの女性を守り通すという意志は変わらなかった。

「チッ! 殺れッ!!」

 ふつふつと沸き上がる怒りに身を奮い立たたせ、スキルアウト達は女性に迫って来る。彼らの目的は飽くまで女の捕獲。風紀委員とことを起こすのは極力避けたいのか、神谷よりも女の方を優先させた。

「離れないでくださいよ……」
「はーい。お願いしますよ、風紀委員さん」

 ならばこの女性を自分から離れさせるのは危険。完璧に守るには自らが盾となり近づいてくる男を蹴散らしたほうが安全だ。

「――はぁっ!」

 稜は剣先を伸ばし、鞭のように振るった。革製のゴムと何ら変わりなくしなるプラズマは正確に男を捉え、戦闘不能に持ち込む。

「ぐあぁ!!」

 たった一撃でバタバタと倒れる男達。致命傷とまではいかないが、それなりに本気で急所を狙った。なのでこの結果は当然ともいえる。
 一人だけ残ったリーダー格の男に神谷は吐き捨てるように言い放った。

「どうした。これで終わりか」
「は、まさかっ!」

 言うか早いか男が手にしたのは黒光りする拳銃。その銃口はまさに神谷に向けられ、いつでも鋼鉄の弾丸を放てるようになっていた。
 分厚い指の皮をトリガーに食い込ませて男は脅しをかける。

「動くんじゃねえぞ……」
「断る」
「なら……――死ねよッ!」

 ドン! と、曇った空に銃声が響き渡る。
 男と神谷の距離は十メートルにも満たなかったので外すことはない。男は勝利を確信したように笑いこげる。

「は、ははは……これで邪魔者は死んだ。さあ早く女を取り押さえろ!」
「断る」
「!?」

 その声は部下のものではない。

「寝てろッ!」

 一瞬。男の視界は革製のローファーに覆われた。そして気がついた時には顔面に激痛が走り、そのまま地面に叩きつけられる。
 霞む視界に映り込んだのは銃口と男の視線の向きから予測弾道を導き出し、そこを避けて一気に肉薄してきた神谷だった。

「遠距離から攻撃すんならしっかり当てろよ……」
 閃光真剣を一振りして、胸ポケットに針をしまう。神谷は女性の方を振り返ると――
「馬鹿が! お前がこの女を離れた隙ッ! これが狙いだったのさ!」

 そこには気絶させたはずの男たち。しかもその男たちに囚われた女性の姿が。

「形勢逆転ってとこだな……さあこの女の命が惜しきゃあ動くなよ。追いかけんなよ」

 神谷に蹴られた顔を抑えながらリーダ格の男もゆっくりと立ち上がる。そして頬好が人質だと言わんばかりに拳銃を突きつけた。

「くっ……この野郎」

 神谷は動けない。閃光真剣を発動する際の基点となるとなる針を胸のポケットにしまってしまったため、気づかれないよう能力を発動し不意打ちすることができなくなってしまったのだ。多少の無茶をすれば基点なしでもどうにかなるかもしれないがその『どうにかなるかもしれない』という不確定事項の為に頬好の命をかけることは出来ない。

「おっと、お迎えが来たようだ。じゃあなクソ野郎」

 男たちの背にある川に現れたのはどこからか盗んできたかもわからないボート。男たちはそれに素早く乗り込むとエンジンを再び起動した。
 エンジンがけたたましい音を放つ中、それでも神谷は動けないままでいた。彼女のこめかみに当てられた拳銃が微動だにしないからだ。一瞬でも離れればその隙に閃光真剣を発動し、エンジンもろとも男の拳銃を破壊できるというのに、それすらも出来ないのは風紀委員として苦痛でしかない。

「ま、目撃情報は少ない方がいいし、テメエの剣はここまでは届かないだろうし、ここいらで死んでもらうぜ!」

 岸から少し離れた所で男は拳銃を頬好から神谷に向け直す。
 神谷の閃光真剣のリーチ内には動力部も拳銃も入ってる。神谷はその銃弾が放たれる前に針を胸ポケットから引き抜き、どちらも破壊しなくてはならない。
 複雑なプロセスを踏んで、しかもピンポイントに標的を狙わなければならないのだ。それは銃弾が放たれるまでの僅かな時間で人間がなせることではなかった。
 拳銃の引き金に再び男の指がかけられる。その時はまだ神谷は胸ポケットにてを当てているところだった――


 バシュウウン!!
 銃弾が放たれる音の代わりに聞こえてきたのは形容しがたい音。それもまた銃声だというのならそれはエネルギーの塊で作られた弾丸の、空を裂く音だった。
 反射的に閉ざした瞳を開いてみると、男の持つ銃口の前を青白い閃光が通り過ぎていた。鮮やかな、それでいて荒々しい光の軌跡。それが完璧に消滅した時には銃口は熱でドロドロに溶け、もはや凶器としてはなんの役にもたたないガラクタと化していた。
「な? どこからッ……クソ、スピードを上げろ!」
 リーダー格の男は困惑とともに、一瞬にして『逃げ』の方に思考を転換する。 さすがはスキルアウトのリーダーなだけあってここのところの判断は素早い。もしその判断が一秒でも遅れていたら、ギリギリのリーチで神谷の閃光真剣の餌食となっていたのだから。

「クソ……届かねえ」

 神谷は歯噛みした瞬間、川に異変が生じる。
 それは岸の方から男たちのボートを追うようにして氷が張っていくのだ。急速なスピードで、何らかの意思を持ったかのように。

「は? な、なんじゃこりゃあああ!!?」

 遂にボートのスピードを上回り、氷はボートを固定するように辺りを包み込んだ。エンジンの空回りする音だけが虚しく響き渡る。

「さ、今ですよ。この氷を渡り、あいつらを捕えるチャンスです」

 神谷の隣で声がした。
 見れば、同い年くらいの少年が川の湯加減を確かめるように人差し指で触れている。――氷が発生している地点に。

「わかった。だが氷だと滑る可能性が……」
「人間が氷の上で滑るというのは、氷を踏んだ瞬間にその圧力によって表面上が少し溶け、摩擦が小さくなってしまうせいです。この氷は僕の能力で当分は液体に戻らないから大丈夫ですよ」

 簡潔に説明し、少年はにこりと笑う。夕日に照らされ、金髪混じりの黒髪が少しだけ輝いていた。
 それならば、と神谷は氷の上に立つ。少年の言った通り、全く滑るような感触はない。まるで木の板に乗っているかのようだ。

「さて、テメエら全員……今度こそ務所にぶち込んでやるぜ」

 神谷は氷の上を駆け出した。男たちは何も出来ないまま、ただただ今の状況に困惑している。
 まさか風紀委員に仲間が駆けつけてくるとは、あえて人気のないこの場所を選んで奇襲をかけたというのに、まるであの仲間は付けてたように正確にここに来た。
 そんな『夜明けの晩』の者の内、一人の男はその協力者に目をやった。自分たちの計画を無残にもぶち壊した憎むべき存在に。

「――あっ!!」

 その協力者には見覚えがあった。あの日、あの時、こっそりと自分たちの住処に侵入してきたあの少年だ。彼は風紀委員側のスパイでこの事を告げ口していたというのか。
 しかしその少年の名前を叫ぼうとした時には神谷の一撃によって男の意識は飛んでいた。

    ◇ ◇ ◇

「さっきは助かった。けど風紀委員でもない奴が無理に事件には関わろうとするな」

 感謝のつもりなのか忠告なのか、風紀委員の男は気絶したまま警備員に運ばれるスキルアウトを見送りながらをぶっきらぼうに言い放ってきた。正直感謝を求めていたわけでもないがその言い方だとこれからの人生で誤解を生みそうでこの男の行く末が危ぶまれる。

「そうですね。反省してます」

 適当に返して周囲を窺うと、もう一人の風紀委員もやってきた。オールバックの男、これがあの子供が言っていた風紀委員ということか。

「それで神谷、これからどうする?」
「どうするって……何がだよ?」
「はぁ……貴様は本当に鈍感だな。このあと私たちは警備員に色々と話をしなくてはならないが、そうしたらこの女性を一人にしてしまう。さすがにこんなことがあった後に一人で帰れというのは酷な話だろう」

 ヒソヒソと話しているがこちらにもかろうじて聞こえてくる。
 要するにはどちらがあの女を寮まで送っていくかということだが、これはもしかしたら接触する絶好のチャンスではないだろうか。

「あの、でしたら僕が送っていきますよ。お二人は風紀委員の仕事がまた忙しいようですし」

 俺の提案に二人の風紀委員は静まり返り、こいつは何を言ってるんだと言わんばかりの表情でこっちを見てきた。そして神谷と呼ばれる男が「あのなぁ……」と不満たっぷりに口を開いた時。

「じゃあ、頼もうかしら。彼も私を救ってくれた子だしね。信頼出来るわ」

 意外にも頬好本人が承諾してくれた。
 本人がそう言うのならば、と引き下がる風紀委員。彼らも疑っているわけではないので、そのことに関してはそこまで追求して来ないようだ。



「そういうことなら頼むぞ。えーと……」

 神谷が最後まで言い終わる前に俺は頬好の手を引いてその場を去る。恐らくそのあとに続くのは、名を尋ねてくる言葉。
 風紀委員の結びつきは馬鹿にはできない。これからの事を考えると、どんな小さな手がかりも残さない為に名を知られたくなかったのだ。

「名乗るほどの者でもないですよ。では、またいつか会いましょう」

 遂に頬好本人と二人で話せる機会を得ることが出来た。
 彼女が『アヴェンジャー』に狙われる“真の理由”、彼女と同盟先のスキルアウトとの関係性、それを聞き、少ない手がかりを補わなければならない。
 これは半分の賭けだ。彼女が有益な情報を持っているかどうか。もしそれが無ければまた振り出しに戻ってしまう。




【おまけ】

「そういうことなら頼むぞ。えーと……」


『――お前は何者だ』


 神谷の発言から、頬好妹に散々問われた言葉が連想され、それに対し俺は反射的にこう答えてしまった。

「絶対零度を司る氷の支配者――――……ヘル・ブリザードだ!」

 ……。
 …………。
 ………………。
 本当に凍てついたかのように俺も含めた周囲の者は硬直する。
 そのあと風紀委員は「お、おう……」と歯切れの悪い返事を残して、俺と頬好を見送ってくれた。彼らに自分の名を知られずに済んだのはこれから事を起こすのには都合が良かった――が、内なる羞恥心を抑え殺すのに苦心したのは言うまでもない。
 二度とあの女の指導は受けないようにしよう。絶対に。

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最終更新:2013年03月26日 13:43