シンプルでありながらどこか高級感を漂わせる高級レストラン。白をベースとした壁と床、それと対照的な黒く光沢のある家具。ちょっとお洒落な実験室みたいだ。白と黒とクリスタルで構成されたこの空間が醸し出す無駄に洗練された清潔感が逆に食欲を削ぐ。もしこれが近未来SF映画だったら、食事と称して出て来るのはゼリーだったりレーションだったりするのだろう。
中央の黒いソファーに持蒲が腰をかけ、黒いテーブルを挟んで対面に樫閑、茜、毒島が腰をかける。他に客はいない。シェフも持蒲たちがいる部屋とは完全に隔離された厨房で調理をしている。徹底的なまでに客のプライバシーを守る仕様だ。

「ここは俺のお気に入りのレストランでね。内装のセンスは飲食店としてはイマイチだが、料理の味はピカイチだ」

そう自慢げに語る持蒲。しかし3人の耳には届いていなかった。

(どうしてこうなった!)

3人はソファーに腰掛けた途端、現状に至るまでの過程を思い返す。それで頭がいっぱいだったのだ。別に記憶が飛んでいるわけでもない。過程も全て覚えている。しかし、“覚えているだけ”であり、“理解”できていなかった。
樫閑たちと対面した持蒲は最初にこう言った。

『その食事、俺も同席させてもらおうかな』

突然、姿を現した彼に対して、毒島はその名を口に出した。毒島と茜は帆露の一件で持蒲と対面したことがあり、樫閑もその名前は聞いている。帆露に投与されていた能力阻害薬品キャパジエリンの存在を伝えた経緯から3人とも彼を邪険にすることは出来なかった。しかし、帆露を助けた理由が「遊ぶ女欲しさ(毒島拳曰く)」といういい加減なものであり、理由そのものが嘘である可能性も高い。研究者であること以外の素性が知れていないこともあって信用できないのだ。
警戒した、言葉の裏を探った、表では帆露の一件で感謝している面を見せながらも疑った。それなのに樫閑たちは彼の話術に乗せられ、彼のスポーツカーに乗り、彼の行きつけのレストランで食事を摂ることになってしまった。場のセッティングを彼に委ねてしまった。完全に主導権を握られたのだ。
樫閑は思い返せば返すほど持蒲の巧みな話術に驚愕し、あまりのレベルの違いに挫折した。もはや交渉ではない。一方的な言葉による洗脳に近かった。音韻を踏むだけではなく、ツールの変換による文字でしか言っていることを理解できない茜までも“その気”にさせるのだ。論理の展開だけでなく、相手の耳触り、茜のツールの読解までも考慮に入れてあそこまでやってのけるのだ。あまりの次元の違いに樫閑は自分がまだ子どもであることを再認識させられた。

(わざわざこの場所で食事を摂るということは、これからする話は他の人間に聞かれたくない話だということ。そこに弱みがあれば…)
「『これからする話は他人に聞かれたくない話だろうから、そこの弱みに付け込む』って考えているね」
「!?」
「分かり易い反応だ。まぁ、この状況からの逆転劇を子どもに望むこと自体が酷な話か」
(くっ…とりあえず、彼の目的から探らないと…)

樫閑がうろたえる。それは毒島、茜にも分かっていた。

「ところで、俺たちに何の用だ?」

樫閑の思惑が筒抜けになっていることから切り離すために毒島は無理矢理に話を切り出す。

「君…というよりはそこの女王蟻への用事がメインかな。君たちはその人質だ」
「おい。訳の分からないことを言ってんじゃ―――」

毒島がいきり立って立ち上がろうとした途端、何者かがドアをノックした。

持蒲鋭盛様。お料理をお持ちしました』
「どうぞ」

ドアを開けて、仮面をかけた2人のシェフがそれぞれのプレートに2つの料理を乗せて入ってきた。体格からして若い男性だが、それ以外の素性は一切分からない。内装と相まって不気味な光景だ。
それぞれの前に置かれる料理はどれも美味しそうで、見た目と香りが食欲を促す。

「では、ごゆっくり」

そう言って、2人の仮面のシェフは部屋から出て行った。

「とりあえず食事にしよう。話はそれからでも遅くはないだろう?」

持蒲はナイフとフォークを出して目の前のステーキを一口サイズに切り分ける。しかし、3人は未だに料理に手を付けなかった。

「どうした?内装のせいで食欲が削がれたかい?」
「私は職業病みたいなものです。他人が出した料理には薬か毒が入っていないか、まず考えるのはそれですから」
「成程、軍隊蟻ほどの大きなスキルアウトのリーダーとあれば、そういう暗殺もあるわけか。心配するな…というのは無責任だな。俺のメニューと交換しようか?」
「いえ。大丈夫です」

そう言って、樫閑はスプーンを手に持ち、目の前のグラタンから一口分さらう。

「茜ちゃん。もしこれを食べた後の私に異変を感じたら、即座にこの男を殺しなさい」
『了解』

茜はハンバーグ用のナイフを持つとそれを能力で超高周波で振動させた。分子振動によって接触面の分子を結合崩壊させる万能切断武器となる。いわゆる振動剣、高周波ナイフ、ソニックブレードとも呼ばれるものだ。
樫閑が料理を口に運び、持蒲はその光景をじっと眺めた。茜の高周波ナイフの矛先が持蒲に向けられるが、彼はそんなことを歯牙にもかけなかった。この料理に毒は盛られていないという絶対の自信があるからだ。故に洗脳紛いの話術で茜の高周波ナイフを降ろさせることもしなかった。

「どうかな?グラタンのお味は?」
「ええ。とても美味です。私の心配は杞憂だったようですね」
「俺はこのレストランに絶対の信用を置いている。だから気楽に食事が出来るし、君たちに食事を振る舞える。さぁ、君たちも食べたらどうだい?折角の料理が冷めてしまう」

持蒲に促され、毒島と茜も食事を摂り始めた。安全が確認されたとはいえ、やはりまだ疑っているところがあり、黙々としたぎこちない食事だった。
食事が終わるのに20分はかかった。それほど多くない量だが、食が進まなかった。内装のせいか、それとも場の空気のせいか、その両方かもしれない。緊張のあまり、味はあまり覚えていない。

「さて…全員食事を終えたようだし、本題に入ろうか」

仮面のシェフが食器と皿を片づけ、無言のまま扉を閉めて出ていく。それと同時に本題に入ろうとする部屋の空気はこれでもかと言うほどに張り詰めていた。
樫閑の眼は“軍神”に代わり、毒島と茜もこの街の“裏”を渡り歩いた人間らしい眼差しになる。

「本題は、俺から軍隊蟻への依頼だ」
「依頼?」
「そう。もの凄く厄介で多くの人員とかなりの武装が必要な案件だ。勿論、それなりの報酬も用意してある。軍隊蟻のメンバーと武装を総動員して欲しい」
「ちょっと待って下さい」

樫閑が話を止める。

「それは…軍隊蟻の総メンバー数と全ての武装の数を把握した上での発言として受け取って良いのでしょうか?」
「ああ。勿論。君たちのメンバー数と全ての武装を“把握”した上での発言だ」

それから持蒲は淡々と軍隊蟻の現在のステータスを言い上げる。

「軍隊蟻。現在の総メンバー数は72名。その内、武装が認められているのは41名。これはほとんど寅栄時代のメンバーかな。武装は500機以上の無人兵器、大型の有人兵器が8機。ライフル、ミサイルランチャー、爆弾etc…の携行兵装も充実。LMTテクノロジーズ、五峰重工、ジェネオン・ダイナミクスをはじめとした軍需企業からの充実したバックアップ。これほどまでに武装が充実したゲリラコマンドが学園都市内に存在しているのがにわかに信じがたいけどね」

持蒲と樫閑の交渉によって蚊帳の外に追い出された毒島は自分が思ったことを茜のタブレットに打ち込む。大能力者の彼女ならその頭脳で何か補足説明をしてくれると思ったからだ。

『姉さんの事件の時も武装がヤバかったが、あの時よりパワーアップしてねぇか?』
『おそらく彼女がリーダーとなり組織の全権を握ったことでより軍事色の濃い組織に再編されたと思われます。あの事件以降、軍隊蟻は活動拠点を拡大し、肥大化するスキルアウトや無能力者狩り集団を圧倒的な武力で駆逐していきました』
『お前、その情報をどこで仕入れたんだ?』
『宇宙頭脳の生き残りのコミュニティです。様々な研究施設で保護されているため、研究関連の情報はどの報道機関よりも正確で早いです。軍事技術に関わる研究所にも同志がいます』
『なるほどな…』

毒島が樫閑と持蒲の表情を見比べる。軍隊蟻の全てを丸裸にされて焦りを見せる樫閑、そして相手の手の内を丸裸にして余裕の笑みを見せる持蒲。この交渉、どちらが勝者でどちらが敗者なのかは分かり切っていた。いや、むしろ交渉という同じステージに立つことすら出来ていないのかもしれない。

「…ぐうの音も出ないわね。まさかここまで全部知られているなんて…貴方、本当に研究者なの?」

冷や汗が滴り、狼狽する樫閑を見て持蒲は優しそうに鼻で笑う。それに対して樫閑はしかめっ面になる。

「精神科学療法センター所属の科学者、警備員対テロ部隊ATT室長、サテライトミュージック所属プロデューサー、赤次エンジニア営業部長…肩書きなんてものはいくらでもある。名乗りたい時に名乗り、捨てたい時に捨てる。毒島くんに名乗ったのも使い捨ての肩書きの一つでしかない」
「じゃあ…貴方は一体…」

樫閑、毒島、茜の3人が固唾を飲んで持蒲の回答を待つ。
持蒲は不敵な笑みを浮かべ、サングラスを外した。

「暗部組織テキスト。俺はそこのリーダーをやっている」

学園都市の闇そのものともいえる存在が目の前にいることに3人は納得した。
3人とも暗部組織と会うのはこれが初めてではない。帆露の一件で軍隊蟻は一時的ながら、サークルと呼ばれる暗部組織と手を組んだことがある。

「まぁ…驚かないだろうな。君たちはこれが初めてじゃないみたいだし…おっと、話がズレてしまったな。そろそろ本題に入ろうか」

樫閑はどんな無理難題を押し付けられるか不安になる。この交渉は完全に持蒲が掌握している。それに軍隊蟻を丸裸にする情報網とテキストが持つ未知数の戦力、向こうは切るカードがいくらでもある。樫閑にもあるが、カードを全て見透かされている様な状態だ。勝ち目なんて無い。

(それに彼は私に“依頼”と言っていた。これは私と彼が対等の立場であるということ。そして、警備員や企業の私設部隊じゃなくて“軍隊蟻”を選んだ理由…死人が出ても気にせずに済む手駒か、それとも公には出来ない作戦行動か。出来れば後者であって欲しいわね)

樫閑が出来ることといえば、その命令を実行する過程で軍隊蟻に対する利益と尊厳を傷つけないようにするだけだ。

「現在、我々テキストはある組織と交戦している。学園都市以外で能力開発を行っている組織、それに属する能力者集団だ。彼らの目的は不明だが、おそらく学園都市の陥落だろう。それに『敵対勢力が学園都市に入り込み、その中で大暴れした』という噂が広まり、『学園都市は第三次世界大戦で疲弊した』という世論が形成される。学園都市上層部はそれを快く思っていない。実際に疲弊していなくても雑魚の相手をするだけで手間も金もかかる」
「成程、だから警備員じゃなくて私たちに白羽の矢が立ったわけですね。『極秘に潰せ』と」
「そう。君たちは非公式の武装部隊だ。スキルアウトという立場上、この街の他の武装組織とは違って隠密行動に長けている。組織性や規模、戦法から考えても相手から気取られずに打撃を与えるゲリラに近い。君たちにとっては適任だろう?」
「まぁ…そうですね。仰る通りです。しかし、その組織と交戦したところで我々にメリットはありません。負傷者を出せば治療費がかかるし、弾薬だってタダじゃない。それに学園都市が疲弊したという噂が流れたところで、私たちには何らデメリットは生じない。私たちを動かしたいのなら、私たちを戦わせる“理由”と対価に似合う“報酬”を用意してください」

樫閑の言葉を聞き終えた途端、持蒲は笑った。馬鹿みたいに腹を抱えてゲラゲラと大笑いする。今までのクールなイメージが一気に払拭される。

「君、実は交渉とか苦手でしょ?考えていることが分かり易過ぎるし、敵意が丸出しだ」
「話を逸らさないで下さい」
「こっちには君にNoとは言わせない外交カードなんていくつでもある。例えば、寅栄瀧麻仰羽啓靖…とかね」

「!?」

「あの2人、まだ留置所なんだろう?本当は9月頃に釈放されるはずだったのにね」
「…何が言いたいわけ?」

樫閑の目はもう軍神ではなかった。交渉で持蒲に圧倒されている時点で既に“軍神”ではなかったが、それでも保とうと努力はしていた。今は違う。その努力を放棄し、“怒れる女王蟻”となっていた。敬語も完全に崩れている。
毒島と茜の身にもひしひしと感じ取っていた。特に毒島は2人が逮捕される切っ掛けとなった案件を軍隊蟻に持ち込んだ張本人だ。罪悪感が重くのしかかり、樫閑の視界に写らないよう身を屈めていた。

「本来ならば既に釈放されている筈のメンバー達がどうして未だ拘留されているのか。君でも十分に理解しているだろう?」

これは人質だ。

言われなくても樫閑は十分に理解していた。自分だって同じような手段をとったことがあるし、暗部が学園都市に認められた組織であるならば、留置所にいる人間を人質にするなど容易いことだ。確証は無かったが、持蒲の持つ雰囲気、振る舞い、語り方があたかも強大な権力を持つ人間の様に演出する。

「今回の一件で俺は学園都市上層部からいくつかの権限が与えられている。活動範囲も他の暗部組織とは桁違いだ」
「それが報酬なら論外よ。確かに拘留されているメンバーが釈放されるのは嬉しいわ。だけど拘留されたメンバー8名のために軍隊蟻の戦闘班41名の命を危険に晒すのは割に合わない。それに権限だって本当のことか分からないし、第一、貴方のことは信用できない」
「そうか…。じゃあ、もう一つ報酬、いや、脅迫を追加しよう。どうして軍隊蟻がここまで大きくなったか、ここまで大きくなって学園都市に潰されないか、どうしてブラックウィザードの時のように自分達は駆逐されないのか。君はその辺りに疑問を抱いたことは無いかい?」
「無い…と言えば嘘になるわ」

今でも疑問に思っている。6月の一件以降、武器や資金の調達、警備員や企業との癒着、傭兵としての活動、その全てが不自然なほどスムーズに進んだ。欲しい武器はだいたい手に入ったし、大型武器とその格納庫を提供するという破格の待遇で迎えた企業もある。まるで中学二年生が書いた小説のように都合が良かった。寅栄瀧麻と軍隊蟻が築き上げた人望の賜物、樫閑の天才的な頭脳と交渉術、企業側のメリット、ありとあらゆる可能性を考えたが、納得のいくものはなかった。

「なるほど…どうりで都合が良いと思ったら、そういうことだったのね。これで疑問が一つ解消されたわ。そして、私たちが学園都市で“生かされている”理由もね」
「頭の回転の早さはさすがと言ったところか。君たちには利用価値がある。だから学園都市は軍隊蟻を生かした。都市内に非公式武装組織を置くリスクよりも君たちを利用するメリットが上回った。それだけのことだ」
「その上から目線の物言いがムカつくわね」
「仕方ないだろ?実際に立場は我々の方が上なんだ。で?君はどうするかな?引き受けて自分らの利用価値を上に示すのか、それとも反故にして自ら命綱を絶つか」

Yes or Die

理不尽の象徴であり、樫閑の口癖だ。そして、持蒲が提示した選択を表現するには丁度いい言葉だった。

Yes(利用価値のある駒として戦うか) or Die(利用価値なしとして駆逐されるか)

(無様ね…自分に首輪が付いていたことに今更になって気付くなんて…)

樫閑は深くため息を吐いた。

「ここまで追い詰められたのなら、Yesとしか答えようが無いわ」
「そう。それは良かった。これはお互いにとってメリットになることを願うよ」

そう言うと持蒲はソファーから立ちあがり、伝票を持って出て行った。

「…………………………はぁ~!」

樫閑は声を出し、大きく溜息を吐いてソファーにもたれかかる。体中の力が完全に抜けるほど脱力しきっており、とてつもなくだらしない格好だった。

「なんか…凄い緊張だったな」
『お疲れ様です』
「もう疲れたわ。他人と会話しててあんなに緊張したのは初めてよ」

樫閑は視線を真っ白な天井に向けていたが、茜のタブレットに表示された文字を見るために首を傾けた。その時だが、視界の中に入った毒島の表情が気になっていた。
罪悪感に押しつぶされた顔、姉の事件で軍隊蟻のところに来たばかりのあの顔に似ている。

「何か…悪いな」
(そう言うと思った)
「何勝手に罪悪感に押しつぶされてるのよ。確かに貴方には恨み言の一つや二つ吐きかけたいところだけど、今回は私たちが調子に乗って武装化し過ぎた点がメインよ」
「いや、でも…」
「ああー!もう!うじうじして!」

樫閑が自分の頭を掻いて髪型をクシャクシャにする。突然の叫びに2人はビクッとした。冷静なイメージの強い彼女がここまで感情を露にするのは滅多に見られない。

「無能力者狩りの不良のくせにどうでも良いところで義理堅いんだから!だいたい貴方達だって無関係じゃいられないのよ!」
「どういうことだ?」
「あの男は暗部組織の存在を明言して自分の所属を明かした。今までの会話を全て貴方達に聞かせたのは、貴方達を関係者として引き込む為なのよ。あの男は貴方達を最初から巻き込む気満々だったってこと。狙いは分からないけど、大方、事の解決に茜ちゃんの力を利用したいんでしょうね」
『“知ってしまったのなら、逃がしません”ということですね』
「そう。だから貴方達は自分の心配をしなさい。あの男が貴方達を人質って言ったのは―――」

樫閑の制服のポケットが小刻みに振動する。中に入っていたスマホがバイブレーションでメールの着信を知らせていた。

「こんな時に誰よ」

樫閑がスマホの画面でメールを確認する。

To:女王蟻
From:持蒲鋭盛
レストランから出ろ。報酬の前払いが待っている。

女王蟻(樫閑)に送られてきた持蒲からのメール。彼にアドレスを教えたつもりは無いし、毒島も彼に樫閑のアドレスを教えた覚えは無い。だが、そんな疑問も「暗部組織だから」の一言で片付いてしまう。軍隊蟻の武装を丸裸にする情報網なら樫閑のアドレスを探し出すことなど造作も無いことだろう。

「報酬の前払いって…」

とりあえず、樫閑たちはレストランから出る。お洒落だけど食欲が湧き辛い白黒クリスタルの内装のレストランの扉を開けた。目に入ったのは、いつもの青い空とコンクリートのビル。ガラスに映った空と街、そして目の前に居た久しい顔の6人の男たちの姿だった。

「よぅ。お嬢。元気にしてたか?」

男たちの中の一人が気軽に樫閑のことを“お嬢”と呼ぶ。彼女のことをそう呼ぶのは軍隊蟻のメンバーだけだ。彼らの姿を見て、樫閑は目を丸くする。本来ならば、この場所にはいないはずの人間達だからだ。

「貴方達…留置所じゃなかったの?」

彼らは6月の事件で警備員のMARに拘束されたメンバー達である。
樫閑の疑問にはいかにもチャラそうな別のメンバーが彼女の疑問に答える。

「何か金髪ホストがやって来て『釈放だ』とか言って、俺らをここまで連れだしたんスよ。しかもそいつ無駄にイケメンでマジムカつくんスよね」
(なるほど…報酬の前払いか)

毒島は樫閑と同じくらい驚いて、同時に自分が糾弾されるのではないかと少し恐れていた。捕まった原因生みだした男が捕まった本人達と対面したのだ。平気ではいられない。

しかし――――

「お!毒島くんじゃん!何?軍隊蟻に入ったの?」
「あ…いや、違うけど…」
「ってか、隣の誰?お前の彼女?」
「違ぇよ」
『違います』

茜の回答はタブレットに表示された文字だから分かり辛いが、言葉に出すならば「ち、違います!」と動揺しまくり赤面しまくりの回答だ。

(なるほど…これで権限がハッタリじゃないことを示したのね…)

樫閑が周囲を見渡すが、そこに元リーダーの寅栄と仰羽の姿は無い。

「お嬢。すみません。寅栄の兄貴と仰羽さんはまだ…」
「ええ。そうみたいね。でも貴方達だけでも出てきてくれたのは嬉しいわ。留置所に居た分はじゃんじゃん働いてもらうわ。覚悟してね」
「ありがとうございます」

数ヶ月振りの外の空気と再会を喜ぶメンバー達。しかし、これで喜んではいられない。軍隊蟻の命運を賭けた大仕事がすぐ目の前に迫っているのだ。
レストランから少し離れた駐車場。周囲をビルで囲まれたコインパーキングという不釣り合いな場所に持蒲の赤いスポーツカーが停まっていた。持蒲は自分のスポーツカーに向かって歩いていた。しかし、突然ピタッと歩みを止める。
「隠れてないで出てきたらどうだ?」
ハッタリではない。持蒲の長い暗部生活で培った勘が待ち伏せを察知していた。しかし、すぐに助けを呼ぼうとはしない。待ち伏せは1名だけ。非武装。そして自分の知り合いで自分を傷つける理由が無い者だと分かっていたからだ。

「んっふっふ~。久しぶりやなぁ~。持蒲くん」

流暢な関西弁を喋るホッケーマスクを被った大男だ。痛んだ長い金髪を後ろで結わいている。その姿はスプラッターホラー映画を彷彿させるが、今は昼時なのでそれほど怖くない。

「家政夫か。暗部逃れが何の用だ?」
「いやぁ~懐かしい顔を見かけたから、ちょっと声をかけようと思っただけやで?最近景気はどうや?儲かってまっか?」
「働き過ぎで今にも過労死しそうな勢いだ。気が付いたら預金の桁の数が2つ増えていた」
「HAHAHA!予想以上に儲かってまんがな。でも過労死したら預金全部無駄になるで」
「ああ。この仕事が終わったらバカンスでも行くさ」
「あかんて…。それ死亡フラグや」

しばしの間、2人の間に沈黙が走る。

「いやぁ~でもそっちの方が儲かるんやったら、もう一度暗部に戻ろうかいな」
「ふん…。『上の奴らに給料ピンはねされるから暗部組織は儲からへん!』って言ってメンバー皆殺しにして逃げたくせに今度は暗部に逆戻りか」
「金儲けのためならなんだってやるで。…っと、与太話はこの辺りにして…随分とおもろい話を軍隊蟻のお嬢ちゃんにしたやないか。表の人間を“こっち側”に引きずり込むのを極力嫌っていたあんたのやり方とは思えんわ」
「やっぱり、あの盗聴器はお前のだったのか」

まさか盗聴器が気付かれているとは知らず、家政夫は面食らった。ズレたホッケーマスクをもう一度かけ直す。

「……なんで毒島ちゃんの服に盗聴器付けてるのバレたん?―――って、あのレストランに敷かれたセキリュティやったら造作も無いことやな。あそこは暗部御用達やし…」
「ついでに俺のお気に入りでもある」
「そんなことはどうでもええねん。そんで、盗聴器に気付いていながら何で見逃したん?女王蟻との交渉が最初から最後まで全部聞こえやで」
「わざと“聞かせた”んだ。お前にも色々と動いて貰いたいからな」
「ほほぅ…わいを顎で使うっちゅうことかい?」
「動いた方がお前の利益を守ることになるぞ」

持蒲の意味深な言葉に家政夫は首をかしげる。

「は?」
「6月の事件で寅栄瀧麻と仰羽啓靖が逮捕されたことに毒島拳は責任を感じている。今回の依頼はその清算としての意味も持っている。彼も償いのために軍隊蟻の活動に参加するだろう」
「まぁ…そこは分かるが、何でそれがわいの利益の損害に繋がるんや?」
「彼は自分一人じゃ無力であることを自覚している。今回の一件で軍隊蟻に加担するために霞の盗賊を利用する可能性もあるってことだ。例えば、架空のスキルアウトを作り上げ、それの討伐と称して霞の盗賊を動かす…とかね。私用でチームを動かされるのは堪ったもんじゃないだろう?」
「まぁ、いくら毒島ちゃんでもそれは許せんわ」
「だから、彼のことはしっかりと足止めおいてくれよ。霞の盗賊じゃなくて、毒島拳個人として対処するのならその逆だけどね」

そう言って、持蒲は家政夫から背を向けて自分のスポーツカーの方に歩きだした。“もう話すことは無い”というサインでもあった。家政夫も色々と聞き出したいことはあったが、これ以上は呼び止めても無駄であることを理解していた。
持蒲はスポーツカーに乗り込み、そそくさと駐車場から出て行った。

テキストのリーダーである彼のスケジュールは多忙だ。樫閑との交渉も予定より3分長く、更に家政夫とのやり取りで時間をロスした。法定速度ギリギリの状態で街中を走らせる。

表の人間を“こっち側”に引きずり込むのを極力嫌っていたあんたのやり方とは思えんわ

家政夫の言葉が持蒲の頭に引っかかる。

(そんなものはとっくに理解しているし、その信念を曲げたつもりもない)

運転席にあるオーディオプレーヤーに樫閑、毒島、茜の3人の写真が張られている。

樫閑恋嬢、毒島拳、四方神茜…この3人はもう片足っこの街の闇に突っ込んだようなものだ。彼ら自身が闇に落ちなくてもその生涯は常に闇が付き纏い、それにおびえ続けることになるだろう。
まったく…可哀想な奴らだよ。自らの選択でも間違いでもなく、この街を流れる大きな権力(ちから)と大人の欲望によって闇に引きずり込まれたんだからな。
あの3人がこれから暗部に堕ちても堕ちなくても生涯ずっと闇と付き合っていかなきゃならない。闇はどこまでも付き纏うし、少しでも振り向けば瞬く間に自分と周囲の全てを地獄に引きずり込む。

だから、今の内に教えておきたいのさ。

正しい暗闇との付き合い方《イリーガルガイドブック》をな…)

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2013年03月30日 18:43