第一章:霞の盗賊《フォグシーフ》
梅雨真っ只中の雨の日
六面を打ちっぱなしのコンクリートで囲まれた空間に響くのは雨が建物に当たる音と足音だけ。
静寂で、冷たくて、孤独な廃墟の中で1人の少年がボロボロのソファーに座り込んだ。
身長は170センチとそこそこ高い。ただでさえ暗い部屋なのにサングラスをかけている。黒いフードを深々と被り、黒いバンダナで顔の下半分を覆い隠している。意図的に顔を見せない格好だ。ズボンと半袖パーカーも黒やグレーで統一されており、小柄な体型なのも相まって、とにかく目立たないことに徹している格好だ。
彼はカバンからノートパソコンを取り出し、おもむろにそれを操作し始める。
パソコン画面から照らされる光で部屋が少し明るくなったような気もするが、すぐにパソコン画面からの光は弱まった。
画面には黒をベースとし、血を表す赤、ヘドロを表現した紫という陰鬱なカラーリングとデザインのサイトが映し出されていた。
“霧の盗賊”
スキルアウト討伐専門の闇サイトだ。
無能力者狩りの同志を集めたり、無能力者狩りの動画をアップしたりしている。
学園都市内の闇サイトではまだマイナーながら、数ヶ月前に出来たものだと考えれば、アクセス数は圧倒的に多い。
“本日 22:00 第7学区 廃工場エリア スキルアウト狩りをします。
ターゲットは暴走蝗(グラスホッパー) メンバーは15人 能力者ナシ 武装アリ”
物騒なレイアウトに物騒な字面で物騒な文面が画面に立ち並ぶ。
彼がそれを読んでほくそ笑んだ。
「やっぱ早いわ~。毒島ちゃ~ん」
ナチュラルな関西弁で1人の男が彼“毒島拳”に話しかけてきた。
くすんだ金髪を結わいている男で、顔は某スプラッタ―映画の鉈を持った大男が被っているアイスホッケーのマスクで隠している。ダメージジーンズに恐ろしい男の顔がプリントされたTシャツを着ている。Tシャツにプリントされた男は大虐殺をした独裁者か、はたまた殺戮狂か、とりあえず碌な人間ではない。そして、そんなTシャツを好んで着る男が碌な人間であるはずがない。
毒島といい、彼といい、両者は顔を全く明かそうという素振りが無い。そもそも互いに顔を明かさなければならない間柄ではないのかもしれない。
「家政夫か」
毒島が口を開いた。
「あれ?他の3人はまだおらへんの?」
「…まだ俺だけだ」
「そんなぁ~。遅刻は重罪やで!」
「重役出勤がデフォのお前が言うか」
陽気な関西弁で語りかける家政夫と一先ず間を置いては暗い声で語る毒島の会話は、家政夫が一方的に語りかけ、毒島が時間を置いて答えることで成立していた。
そこに3人の男たちが現れる。
「ここが“霧の盗賊”の集合場所でいいのかな?」
声をかけてきたのは、ソフトモヒカンの優男だ。
長点上機学園の制服を着こなし、学校指定の白いカッターシャツの代わりにストライプ柄のシャツを着ている。いかにも「成績優秀で教師からも好かれています」と言わんばかりの優等生だ。
長点上機学園と言えば、学園都市の五本指に入る超エリート校。能力開発では学園都市トップクラスであり、大覇星祭でも2年連続で同じ五本指の名門である常盤台を破っている。
長点上機学園の生徒というステータス、優男という容姿は一見、無能力者狩りなんて危ない行為をやっているようには見えない。しかし、彼の目は自分以外の全てを見下すように見ており、それが彼の狂気を物語っていた。
「そうやけど、ハンドルネーム“Level0=dust”さん?」
「ああ。しばらく世話になるから、本名で良いよ。榊原天明だ。こいつは俺の弟」
彼の右後ろには、彼に似ているようで似ていないようで、そんな感じのずんぐりむっくりな男がいた。髪型もソフトモヒカンであり、同じ長点上機学園の制服を着ている。しかし、彼は緩く着崩しており、ドット柄のカッターシャツを愛用している。兄の天明とは違い、爽やかなスポーツマンであることを感じさせる。
その目は遊んでいる子どものように純粋で、無能力者狩りをする人間とは思えないくらい無邪気だ。無能力者狩りをゲームか何かと思っているのだろう。
むしろ、こういう人間こそ残虐な行為に奔れる。
「弟の榊原地炭ですわ。兄貴以外とチーム組んでやるの初めてなんで、そこんとこ、よろしく頼みますわ」
「まぁ、わいのサイト自体、数ヶ月前に出来たばっかやしな。チーム討伐初心者も大歓迎やで。ほんで、もう1人も初対面やな」
家政夫はそう言って、榊原兄弟の後ろにいる男を指さした。
18歳で少々筋肉質の少年だ。褐色の髪を逆立て、派手なデザインが入った服を着ている。人相も少し悪く、スキルアウトの人間だと間違えられそうな感じだ。
「俺は藤原悠二。現在退学中だ。能力は空気縛線の強能力者」
「ご丁寧に能力まで明かしてくれて、おおきに。嫌なら能力とか名前とか明かさんでも良いんやで?現にわい等も5人中2人が顔を隠しているしな」
「なんつーか、まぁ……、仮面舞踏会みたいだな」
「そんなんでチームワークとか取れるのか?まぁ、産廃どもに僕らが負ける訳ないけどさ」
「ゲームは楽しんでナンボのもんですわな」
4人が雑談している間に毒島は何か作業を終えたようで、キーボードから手を離した。
「さっさと終わらせよう。ここはジメジメして嫌いだ」
「まぁ、そうやな。ちゃっちゃと終わらせて金儲けしようや。“時は金なり”は真理やで」
自然とチームのリーダー格は家政夫と決まった。と言うより、そもそも霧の盗賊を立ち上げ、サイトの管理をしているのは彼だ。
「それじゃあ、毒島ちゃん。詳細説明頼むわ」
「分かった」
彼はそう言って、メンバーにノートパソコンの画面を向ける。
「サイトでも告知したけど、ターゲットはスキルアウト“暴走蝗”。メンバーは15人。能力者はナシ。だが、武装が確認されている。普通、この規模を潰すなら1~2日はかかるが、今日は会合があって全員が一ヶ所に集まっている。ここを討って、一網打尽にする。プランは無い。好き勝手に暴れろ。以上」
淡々と情報を読み上げると、毒島は立ち上がり、部屋の出入り口へと向かう。
彼の身体から滲み出るどす黒いオーラに怖気づいたのか、榊原兄弟と藤原は自然と退いて彼の道を開けた。
第七学区 とある廃工場 暴走蝗 会合場所
今ではすっかり使われていない廃工場、機材は錆び付き、壁はところ狭しとスプレーで落書きされている。
会合なんて言っても何の意味も持たない烏合の衆だった。そもそもスキルアウトなんてものは明確な目的を持った組織ではない。ただその場その場で喧嘩したり、ナンパしたり、犯罪やったり、そんな行き当たりばったりな不良集団だ。
「ったく、会合なんざめんどくせぇな」
「なぁ?この娘、マジ可愛くねぇ?」
「バ~カ。右のページの娘の方が胸デケぇだろ」
「お前って、本当に巨乳好きなんだな」
「誰かさぁ。昨日の“機動掃除ロボット・ロボミ”録画してねぇ?ナンパしてて見逃したわ」
「お前…、ロボミとか見るのかよ…」
「ってか、もうばっくれようぜ。集まっても何もしねぇんだからよ」
まさに烏合の衆。会合なんて名ばかりだ。無論、周囲の警備なんて皆無だった。そんな状況から、霧の盗賊は廃工場の入り口まですんなりと行けた。入口と言っても、かなり昔、能力者同士の戦いで開いた巨大な穴を出入り口として利用しているだけだ。
霧の盗賊の面々は入り口付近に隠れ、スキルアウト達には見えない位置を取っていた。
他の正規の出入口は前の持ち主がロックしたせいで開けることが出来ない。すなわち、ここさえ封鎖しておけば、スキルアウト達を工場内に閉じ込めることができる。
「まるで烏合の衆だな。さっさと潰そう」
毒島が拳銃を取り出す。
「ちょっと待て。こういうのは効率よく行くのが良いだろ」
そう言うと天明はスキルアウト達に向けて掌を向けた。そして、そこから一切動かない。幸いなことにスキルアウト達もこっちに気づいていないようだ。
能力を使う演算をしているのか、真剣な眼差しになっている。そんな彼を霧の盗賊たちは彼を見つめ、どんな能力を使うか期待していた。
―――――が、何も起こらなかった。もしくは、何かが起きたのだが、見ることが出来なかった。
「廃工場の中に武器は10丁ある。ピストルが7丁。ショットガンが3丁」
「それがお前の能力か?」
疑問を抱く藤原に地炭が懇切丁寧に説明する。
「兄さんの能力は不可視の膜を張ることで、膜の内部にある物体の情報を得る能力なんですわ」
“過剰探査”
これが
榊原天明の能力だ。念動力系の能力で不可視の膜を展開し、その膜の範囲内にある物体を構成する物質を確認することができる。ただし物体の種類は分かるが、それ特有の情報を知ることはできない。例えば、人間という種類は分かるが、そいつが誰かはわからないというものだ。
「地炭。勝手にベラベラ喋るなよ。僕はただでさえ、ゴミどもの住処にいて不機嫌なんだから」
「お前(地炭)も同系統の能力なのか?」
毒島が地炭に話しかける。毒島が地炭に話しかけるのはこれが初めてだ。単なる興味本位の質問であったが、これは同時に裏切り対策の質問とも言える。
「まぁ、そうだけど、見てみる?」
自慢げに語る地炭の言葉に毒島は首を縦に振った。それに応じて、地炭は天明と同じようにスキルアウト達に掌を向ける。
天明と同系統の能力の為、何かしらの膜を張っているらしいが、不可視の膜のため何も見えない。
「ここまでが限界かな。」
彼はそう呟くと、開いていた掌を一気に握った。
「ぐあぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
突如、数名のスキルアウトが悲鳴を上げ、その場に倒れた。寸分違わぬタイミングで数名が倒れる異常な光景に他のメンバーたちがパニックになる。
「テメェ等!うろたえるな!能力者の襲撃だ!得物持って来い!」
腐ってもリーダーということなのか、こんなパニックの中で暴走蝗のリーダーはメンバー達に的確な指示を出す。
しかし、メンバー達が突然の出来事によるパニックとリーダーの指示が混雑し、廃工場内は騒然と化す。
その隙に霧の盗賊たちが一気に突入してきた。
「!?…てめぇら!何モンだぁ!?」
入り口付近にいたスキルアウトが毒島たちに気づき、ナイフを取り出した。
「遅ぇよ!!」
藤原が腕を振るうと、廃工場の中に放置されていた機械が高く舞い上がった。
何百キロもあるだろう作業機械が自分に向かって宙を舞う光景など、スキルアウトたちにとっては悪夢そのものだろう。
「うわあああああああああ!!!!!」
ドッシャアアアアアアアアン!!!
スキルアウトの一人は呆気無く、機械に潰された。
藤原悠二の能力“空気縛線”は自分の手から圧力の掛かった空気を放出し、ワイヤーのように固定する能力だ。念動力で圧縮された空気のワイヤーは自由自在に動き、またその気になれば線で繋がった物を振り回したり頭上に落下させたりすることができる。
潰された作業機械を飛び越え、家政夫が一気に走り抜けて先陣を切る。
「構わねぇ!撃て!撃て!」
リーダーの声と共にスキルアウト達が一斉に家政夫を銃撃する。肉を突き破る音と共に家政夫の肉体に穴が開き、赤い血が流れていく。ハチの巣になることなど気にも留めず、銃弾が家政夫を止めることはなかった。
これが家政夫の能力“瞬間再生”だ。
よほど大きな傷でなければ、瞬時に肉体は再生し、元に戻る能力だ。その再生速度は他の肉体再生系の能力の比ではなく、「痛い」と感じた0.7秒後には傷跡も残さず再生する。
「畜生!!何で生きてるんだよ!!」
「不死身の能力とかアリかよ!?」
スキルアウトたちは迫り来る家政夫に戦慄する。
家政夫は銃弾をもろともせずに彼らに接近すると、バールのようなもので次々とスキルアウト達を捻じ伏せていく。
「これでも喰らいやがれ!!」
スキルアウトの1人がショットガンの二挺拳銃で銃口を家政夫に向ける。
銃身を切り詰め、威力を犠牲にして取り回しを優先した室内用のショットガンだが、腐っても学園都市製の銃器だ。その威力を侮ることはできない。
(さすがにあれを受けたらキツイいんとちゃうか?)
スキルアウトの一人が両手のショットガンの引き金に指をかけた。
しかし、引き金が引かれることは無かった。男は突然口から大量の血を吹き出しながらその場に倒れこんだ。
「いやぁ~。間に合って良かったですわ。ここで肉塊にでもなられたら僕の精神衛生上悪いですわ」
「おおきに。これがお前さんの能力かいな?」
「“過剰反応”って言うんですわ。自分の周りに不可視の膜を展開して、その膜の範囲内にある生体反応を示した物体に衝撃を与える…まぁ、兄さんの能力の攻撃版みたいなもんですわ。あ、ちなみに僕も大能力者ですわ」
「どうりで仕事が楽なわけや。レベル4が3人もおるんやったらなぁ!」
戦いの緊張など忘れて、家政夫と地炭は笑い合うが、そんなものは10秒も保たなかった。
工場内に轟音が鳴り響き、機材が宙を舞い、「おらおらおらおら!」と藤原の怒鳴りが聞こえる。
(あちらさんは派手にやっとるなぁ)
家政夫も思っていた通り、少し離れた位置で藤原は大暴れしていた。空気縛線で放置されていた機械を掴み、カウボーイのロープのように振り回してスキルアウト達を蹴散らしていた。
「クソッ!こいつらバケモンだ!!勝てるわけが無ぇ!」
まだ生き残っている数人のスキルアウト達が藤原の猛攻から逃れ、裏口のドアノブに手をかけ、思い切りドアを開いた。
「おい!鍵がかかってんじゃなかったのかよ!逃げられるぞ!」
藤原が慌てながら逃げた数人を追う。
プチン
ワイヤーの切れる音、目の前に転がる安全ピンが抜かれた手榴弾。教科書通りの典型的なワイヤートラップ。
パニックになっているスキルアウト達にそんなものが聞こえるわけが、見えるわけが、そしてトラップに気づくわけがなかった。
手榴弾が爆発し、ドアごとスキルアウト達は吹き飛ばされる。血肉が焼け、その一部が匂いと共に周囲に飛び散る。
火の粉が近くにいた藤原に降りかかった。
「うぉっ!熱ぃ!誰だよ!あんなところに爆弾しかけた奴!危ねぇだろうが!」
空気縛線を使って降りかかる火の粉を掃う藤原、それを傍観する天明。2人のもとに家政夫と地炭が姿を現した。
彼らの手にはスキルアウト達の財布が握られている。
「お疲れちゃ~ん。頑張ってくれとったから仕事が楽やったで~」
「『仕事が楽やったで~』じゃねえよ!もう少しで俺も爆発に巻き込まれるところだったぞ!ってか、誰だよ!爆弾仕掛けた奴!」
「あ~。あれは毒島ちゃんや。能力が戦闘向きやないから、ああいうトラップとか使うんやで」
「そう言えば、その毒島くんが見当たりませんな」
地炭が周囲を見渡す。「そういえば・・・」と藤原と天明も彼がいないことに気づく。突入した時は確かにいたのだが、戦闘中に彼の姿を見かけることはなかった。
「確かに毒島ちゃんがおらへんな。逃げ出したりする子やないんやけど…」
――――
雨の中、路地裏を暴走蝗のリーダーが逃げ惑っていた。何度も転びながらもすぐに立ち上がって逃げ続ける。無様に水たまりに中に突っ込んで、哀れな濡れ鼠になってもそれを気にする暇もない。背後から迫る存在からとにかく逃げていた。
リーダーの顔は焦りと恐怖に包まれていた。
「はぁ…はぁ…。ここまで逃げれば、もう大丈――――」
一安心した瞬間、彼は何者かに取り押さえられ、壁に叩きつけられる。
「ガハッ!!」
彼を追っていた者の手がリーダーの首を掴んだ。ギリギリと首を強く締める。
「ひぃ…ひぃ…。もう降参だ。勘弁してくれ」
そこにスキルアウトのリーダーとしての威厳は無い。たった5人の能力者にチームを潰され、部下を見捨てて逃げた卑怯者の姿だった。
彼の眼には深々とフードを被り、バンダナで顔を隠した
毒島拳の姿が映った。
「お前、この女に見覚えは無いか?」
毒島はそう言って、パーカーのポケットから一枚の写真を取り出し、リーダーにまざまざと見せつけた。
「知らない!そんな女知らない!」
怯えて、全身が震えるリーダーに毒島は更に怒鳴りをかける。
「去年の10月!第五学区でスキルアウトにリンチされて重傷を負った女だ!」
「本当だ!本当に俺は知らないんだ!勘弁してくれ!」
「じゃあ!誰がやったんだ!?答えろ!!」
「知らない!本当に俺は何も知らないんだ!!」
必死に「知らない」と叫び、命乞いをするリーダー。
「ほぅ・・・」と毒島は彼を見つめると、左手をリーダーの顔に向けた。
そこから何かしらの能力が発せられる。そう思ったリーダーは一層のこと怯えて震える。
「あくまでシラを切るつもりなんだな」
「本当だ…。本当に何も知らないんだ…。だから…なぁ?俺を殺ったところで意味はないんだぞ…?」
刻々と毒島の左腕がリーダーに額へと近付いて行く。
あと、5センチ、4センチ、3センチ、2センチ、―――――――――
「軍隊蟻だ!」
リーダーの叫びに、毒島の左手が直前で止まる。
「軍隊蟻?そいつらがやったのか?」
「あ、ああ。風の噂だが、そう聞いたことがある…」
「風の噂?そんなもので俺が振り回されると思っているのか?」
「あ、あいつらは俺らみたいな不良の集まりとは違う!長点上機の天才が組織を纏めているれっきとした“武装集団”なんだよ!それなりに権力だってある!警備員に圧力かけて捜査を止めさせることだって出来るはずだ!」
「そんな曖昧な情報で逃れられると思うのか?」
「し、仕方ないだろ。本当に何も知らないんだ。なぁ、もう済んだんだから見逃し―――」
その言葉を聞いた途端、ドスッと鈍い音が鳴った。
毒島がリーダーの腹部に蹴りを入れ、気絶させたのだ。
「情報提供、ありがとう。礼として小銭は残しておいてやるよ」
毒島はうつ伏せに倒れるリーダーを一瞥し、念のために身体を蹴り飛ばして意識が無くなったのを確認する。
完全に沈黙したことを確認してその場を立ち去った。
それから数分後、うつ伏せに倒れていたリーダーがわずかに首を動かして周囲を見渡す。毒島がいないことを確認するとリーダーは少し咳払いしながら立ち上がった。自身に付いた泥を手で拭う。
「おい…。約束通り、軍隊蟻に誘導したぞ」
物陰に向けてリーダーは語りかける。
「しっかり、確認させて、もらったわよ」
なぜか途切れ途切れの大人の女性の声が聞こえ、足音が近づく。
リーダーの前に一人の女性が現れる。
白い肌に亜麻色の髪の女性。年齢は10代後半から20歳といったところか。たれ目で人を癒す印象を受け、白のワンピースと白の傘で彼女の線の細さが際立つ。
「それにしても、名演技だったわね。俳優にでもなったら、どうかしら?」
「冗談はいらねえよ。さっさと約束の金を寄越しやがれ。何だったらアンタの身体でも良いぜ」
暴走蝗のリーダーは下衆な笑みを浮かべる。自分のチームが潰されたことなど忘れ、目の前の欲望に意識を向ける。
「ええ。そうね。そういう、約束だったわ」
「――――――――――さようなら」
女性が手を突っ込んだ胸元からデリンジャーが姿を現した。
そして、銃口がリーダーに向けられる。
「てめぇ…最初っからそういう魂胆だったかよ!」
リーダーは拳を握り、女性に殴りかかる。しかし、彼の拳が届くことはなかった。
雨音にかき消されそうな小さな銃声が響く。
リーダーは呆気なく、膝から崩れ、その場で倒れた。
女はリーダーが完全に絶命したことを確認すると、示し合わせたかのように女の頭に念話の回線が繋がる。
『御伽裏さ~ん。“あたし”で~す。始末は終わった~?』
「貴波ね?ええ。終わったわ」
『あれ?何か元気がないね~。どうしたの?弟のことでも思い出した?』
「いえ、何でもないわ。ちょっと蒸し暑くて汗が気持ち悪いだけ。ところで、これ。私たちのメインの仕事と、関係があるのかしら?」
『上からの指示だし、“ある”ってことで良いんじゃないかな?詳しいことは、帝鋼くんからの説明待ちだね』
リーダーから離れ、毒島はアジトへの帰路に立つ。廃工場に戻るつもりはない。もう後の祭りだろう。
毒島はポケットから携帯電話を取り出し、家政夫に電話をかける。
「家政夫か?悪ぃ。逃げたリーダー追っかけていたら、時間かかった」
『何や?逃げ出したんかと思ったわ』
「オレは、お前ほど薄情な人間じゃない。早速、次のターゲットなんだけどさ…」
『毒島ちゃん。妙に張り切っとるなぁ。ほんで?次のターゲットが?』
「第五学区の軍隊蟻にしようかと思うんだが、どうだ?」
毒島が軍隊蟻の名を出した途端、家政夫は黙り込む。相手が大きすぎたのか、彼が絶句しているのが容易に窺える。家政夫がどう出るのか、毒島にとっては緊張の数秒間だ。
「プフッ…アハハハハハハハハハハ!!!!」
帰ってきたのは彼の鬱陶しい大爆笑だった。
同じ霧の盗賊の立ち上げ人である毒島もここまで笑う彼の声を聞いたのは初めてだ。
「軍隊蟻か…。あそこは、人数は今日の暴走蝗より比べ物にならんほど多いで。スキルアウトなんて名ばかりで能力者もぎょうさんおるし、武装も他のチームとは比べ物にならへん。最近は“非正規”の治安維持部隊みたいなのを名乗って、傭兵稼業までやっとる連中や。潰すなんて無理無理。こっちが30人の能力者を揃えても返り討ちくらうだけや」
家政夫の口調は陽気で明るいものだった。情報通の彼は軍隊蟻がどれほど大きく危険な組織か知っている。挑むつもりが無いから、こういう態度を取っているのかもしれない。
「そうか…」
やっと喉から手が出るほど欲していた手がかりを手に入れた。凄曖昧なものだが、それでも気持ちが逸る。故に家政夫の対応は腹立たしくて堪らなかった。
「まぁ、あのチームは古き良き不良気質というか、リーダーが義理とか人情とかを重んじる馬鹿やから、リーダーに合わせてくれって言うたら、案外、簡単に会えるかもしれへんよ?」
毒島の堪忍袋の緒が切れた。緒が切れた音を表現するかのように、彼は家政夫に聞こえるように大きな舌打ちをする。
「ふざけんな!こっちは真剣なんだ!!」
毒島は怒りに任せ、電話を切った。
苛立って仕方ないが、呼吸を整えて心を落ち着かせる。
家政夫に聞いて分かったことは、2つ。
武力では彼らから何も得られないこと、リーダーが義理人情を重んじる馬鹿だということ。
(だとしたら…俺に残された手段は一つ…。姉さん…。もうすぐだ。もうすぐ、仇を討てる)
毒島はフードを被り、梅雨が降り注ぐ路地裏の闇の中へと消えていった。
最終更新:2014年02月10日 02:10