「…ええ」
知っている所の話ではない。
魔術を悪用し、適当な田舎町から子供を誘拐して売り飛ばす魔術師だ。
必要悪の教会のターゲットになっており、「誘拐者」を滅ぼさんと教会所属の魔術師から追われている
だが、有力な魔術結社の数々から支援を受けているせいもあって、今もタッチの差で逃走されているのが現状だ。
「あの外道ですね…」
「まあ、当然知ってますよねぇ…ヒヒ、誘拐って聞くと幼馴染を思い出しますか…キレる寸前って所ですよ?」
「っ!!?」
…この男は殴られたいのか。
粘着質な声を更にベトベトに歪ませるミックは、どう見ても聞いても人を怒らせに来たとしか思えない。
反射的に振り上げかけた拳を下ろしつつ、衝動を堪える。
「今はロシア辺境で仕事をしている、と聞いていますが」
「それがですねぇ、何と彼がイギリス、それもロンドンに現れたとの情報を掴んだんですよ」
「…本当ですかそれ?ガセじゃないですよね?」
イギリス、ロンドン、それは必要悪の教会の庭だ。
確かに、数多の魔術結社は「誘拐者」を支援している。だが、間違っても、その魔術結社の群れは本気で必要悪の教会と戦う気は無い。
誘拐に優れているとは言っても、誘拐専門の魔術師が、世界で「誘拐者」ただ一人と言うわけでは無いからだ。
今は贔屓にされているが、必要悪の教会に本腰を入れられれば、「誘拐者」を切り捨てにかかるのは必然。
自身が切り捨てられ、他の誘拐専門の魔術師に乗り換えられる危険を考えれば、ここで誘拐を行うのは自殺行為すぎる。
捜査を撹乱させる囮情報だと思うのも当然だろう。
「ヒヒ…それが本当なんですって…
尼乃昂焚と言う魔術師を知ってますかね?彼がつい先日直々に…」
「気持ち悪い喋り方で、もったいぶらないで早く言ってください。「誘拐者」は何を狙っているんですか」
血圧が上がるミックの喋り方に、我慢が出来なくなり始めたヤールが先を急かす。
それにはさすがに傷付いたのか、口をへの字に曲げて、頬に手を当てて自分傷付いてますアピールをするミック。
だが、気持ち悪いだけだった。男がやる事ではない。
「あんたの彼女ですよ」
「は?」
「だから…
ヴァージニア=リチャードソンが「誘拐者」に狙われてるんですって」
「…ジニーが?何故!?」
「ヒヒヒ…彼女の体質は知ってますよね?」
「ええ…」
彼女の家に初めて寄った時に、部屋にあるオカルトグッズの山に驚いたのを思い出す。
その時に初めて、ジニーの正体――必要悪の教会で潜在的な危険人物と注意付けられたヴァージニア=リチャードソンだと気付いたのだった。
「死を招く椅子や泣く少年の絵、他にも「持ち主に災いを招く霊装」を大量に所持しながら、平気な顔をする彼女には驚きましたよ」
「ヒヒ…彼女の体質には我々も興味が幾らかありますが。他の魔術結社の連中は、我々以上に興味津々な所でしょうか?…ヒヒヒ」
「…あの体質のせいで狙われているとでも?」
「早合点は危険ですよ…そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれませんよ…ヒヒ、「誘拐者」の誘拐対象は分かっていますが、何故どうして彼女を誘拐するのか目的は不明瞭ですからねぇ…案外、身代金目的だなんて、つまらない可能性もありますし…」
「ですが!ジニーを誘拐したら必要悪の教会が黙っていません!」
「ヒヒヒ、そうですかねぇ?どうだとしても…彼女が集めている霊装のせいで、我々の探査が無効化されるのは困りものでしてねぇ…」
「……」
苦笑いをするミックの顔から目を背けて、ヴァージニアが集めている有象無象のオカルトグッズの山を一つ一つ思い浮かべる。
見ただけでも肝を冷やすような世界有数の霊装がゴロゴロと転がっており、物置にしている部屋などは、局所的に空間が歪んでさえ見える程だ。
ヴァージニアが住んでいる家は。ローマ正教本拠地、バチカンによく似たような結界が出来上がっているのではないかとの報告もある。
「ヒヒ…結界が出来るのなら出来るで、ランベスの宮のような巨大防衛網を整えていてくれたなら嬉しかったのですが…」
「ジニーは一般人です、そのような知識を持っているはずがありません」
「危険な霊装を集める一般人ねえ…まあ、そこは置いといて、彼女の家を「外」から見張るのは不可能とは言わずとも、甚だ困難なんですよ。……「外」から見張る分にはねぇ」
「それは……つまり、僕に「中」から見張れと?……そんな無茶な!?」
理由は言えないが、貴方が心配なので家に泊まらせてくれませんか?それも長期間。…何だこの頼みごと、無茶苦茶だ。
常識的に考えれば、何言ってんだこの馬鹿と冷ややかな顔をされるだろう。
知り合いになったヴァージニアの両親の顔(口は笑っているが、目が笑っていなかった)を思い出す。
「…僕がジニーの家に泊まる以外に、彼女を捕捉する方法ないんですか?」
「ヒヒ……、一緒にデートする仲なんでしょう?無茶とは…うん?」
と、そこで何か汚い物を見付けたのか顔をしかめるミック。
その視線に釣られてヤールが顔を向けると。
そこには。
縄で括った干し首をネックレスにした傷だらけの男――
冠華霧壱が居た。
こちらに侮蔑と殺意が混じった目を向ける(何時もの事なので、もう気にもしないが)冠華から外しつつ、
足早に立ち去ろうとするミックの肩を掴まえる。
「これはどういう事ですか?何であいつがここに?」
返答によっては、今ここで殴ろうかなぁ。と思いつつ、ミックの引き攣った横顔を見る。
「いやぁ、それが…俺にもどうしてか分かりませんね…ヒ…ヒヒ」
「とりあえず何発殴られたいですか?」
どう見ても何かを隠しているミックから、真実を肉体言語で聞き出そうと拳で殴りかかる準備をするヤール。
その暴力の匂いに、驚くほどあっさりと折れたミックが口早に答える。
「ヒヒヒ…全く持ってすみません、いやぁ俺の持ってたヴァージニア=リチャードソンに関する書類を見たら、どうしてかいきなり……ヒッヒヒ、何ででしょうね?」
「どうして見せたんですか貴方は!」
「だって、怖いからしょうがないですよお…ヒヒヒ、俺達は「誘拐者」の情報を洗い出すのに忙しいんで!あいつの世話は任せましたよ!」
「あっ、ちょっと!」
手を振り解き、脱兎のごとく逃げ出したミック、そのまま建物の隙間に飛び込む。
それと同時にゴミバケツを蹴飛ばす音と、猫の叫ぶ声と男の悲鳴が聞こえた。
そのまま猫に引っ掻き殺される事を期待しつつ、覚悟を決めて冠華に向き直る。
それに反応して、冠華はポケットに手を突っ込んだまま、嘲笑うような調子で喋る。
「お前等、諜報部って逃げ足を鍛える訓練でもしてるのか?速ぇもんだな」
さっそく罵倒が出たが、これも何時もの事なのでもう何も言わない。
…確か刺突杭剣を追いかける任務で、運び屋と目される魔術師と交戦した時に死にかける重傷を負ったはずだが…、
数ヶ月は病院で寝たきりになる大怪我をしたと聞くのに、何故こいつはどうして元気に動いているのだろうか、まさか親のどちらかがゴキブリなのではあるまいか。
そう半分現実逃避しつつも問いかける。
「ええと、冠華。どうして貴方がここに?」
「はあ?何でお前に話さなきゃいけねえんだよ」
これには、必要悪の教会所属の魔術師達からも心が広いと称されるヤールでさえも、会話を続ける気力が無くなってくる。
(…モリスは、こんなのと良く一緒に仕事が出来ますね………やはり、類は友を呼ぶと言う事なのでしょうか)
穏やかな顔の裏に殺人欲求を隠した魔術師を思い浮かべるヤール。
普通ならこのまま、はいそうですか。と引き下がる所だが。
今の彼はそうもいかない、ヴァージニアに万が一があってはならないからだ。
何としても理由を聞き出さなければならない。
「ミックの書類を見たと言いましたね。そこに理由があるんですか?」
「ああん?しつこいなお前も………あの気持ち悪く歩いてたミックの野郎の書類を見たらな。寿司屋でこいつ等を売ってくれって頼み込んだ失礼なガキの写真が貼りついてたんだよ」
「…は?それが一体全体どう繋がるんですか?」
「あのガキに用があるからに決まってんだろうが、住んでる家も分かった。だから今から行くわけだ」
ヴァージニア個人を対象とした個人的な用件。
目の前の男が首から提げている干し首の群れが、吸い込まれるように目に入ってくる。
(…神よ)
最悪の想像が脳裏に浮かぶ。
怯えるヴァージニアの首を切り取り、狂笑する冠華の姿が鮮明な映像となって動いた。
「………彼女に会って何をするつもりなんですか?」
「そこまでお前に話す義理は無えよ。知りたければ、お得意の覗き見でもしてみりゃ良いだろうが」
今目の前に居る傷だらけの男は、「誘拐者」よりも危険なのではあるまいか、今ここで刺し違えてでも倒しかないかと身構えたが。
決意を固める彼の姿に冠華は、つまらなそうに鼻を鳴らすと背を向けて何処かに――ヴァージニアの家に歩き出した。
その後姿を睨みつつ、ヤールはポケットから霊装の一つを取り出した。
見掛けは、血が染み込んで硬く折っただけの紙片。
だが、ヤールはこれだけで人を操る。
――自身の血を染み込ませた紙片を用いる、二重の感染。
自身と紙片を血によって結び、紙片と対象を接触させて結びつける事で、対象と己との間に繋がりを作る術式。
それがヤールの使う魔術である。
感染を通して、相手の居場所や動向、会話を把握でき。繋がりを深くすれば、対象の行動を支配してしまう事も可能となる、
…のだが。
「何トチ狂ってやがる…まさか、俺と殺りあう気なのかお前?」
音も無く紙片を投擲しようとした所で、冠華が弾かれたように向き直った。
心臓や脳に刺さる、殺気を滲ませた視線を向けられヤールは額に一筋の汗を浮かべる。
…彼は基本的に、現場で働く魔術師を支える裏方である。
戦闘は全くの不得手と言うわけではないが、だからと言って戦闘要員の魔術師に匹敵する程の能力を持っているとは言えない。
(勝てますかね…いや、断じて、絶対に、彼女の家に行かせるわけにはいかない!)
だが、それがどうしたと。紙片を握る手に一層の力を込めて叫び自身を鼓舞する。
「彼女の…ジニーの家に行かせるわけにはいきません!」
その言葉を聞いた瞬間、途端に冠華が戦闘態勢を解いた。
「…お前、あのガキと知り合いだったのか?…ったく、先にそれを言っとけよ!」
ぶつくさ言いながらも、ポケットから取り出した何かをヤールに向けてぶん投げる。
何らかの魔術攻撃では無いと判断、キャッチして検めると。
「「無病息災」のお守り…ジニーの物ですか」
「あのガキが寿司屋で落としたお守りだ。お前が届けとけ」
まさか、これを届けるだけの為にヴァージニアの家に行こうとしていたのか。
「…冠華。貴方はこれをジニーに渡す為に?」
「当たり前だろが。それ以外の何の用で、俺があのガキと会わなきゃならねえんだよ」
心底から馬鹿にしたように告げられた。
誤解から、とんでもない事をやらかしかけたヤールは顔を赤くして言葉を並べ立て誤魔化そうとした所で。
「そ、そうですか「えー?冠華おじさんの方が悪いと思うんだけどなぁ」」
どこからか少女の声がした。
視線を向けると、そこには何時から居たのか金髪碧眼の少女――
マティルダ=エアルドレッドの姿が見えた。
「何言ってやがるマチ、俺のどこが悪いってんだ!?つーか、俺はまだ20代だ、おじさんって言うんじゃねえ!」
その声に、冠華が怒声をあげるが、当のマティルダはどこ吹く風と言ったようで、
デニムのホットパンツから見える健康的な生足を翻しつつ、子猫のように反論する。
「だって、冠華おじさんは近寄る人間皆殺しオーラ出してるからしょうがないじゃない、そりゃ誤解もされちゃうよ」
「てめぇ…」
「まあまあ。ええと、それで、何しに来たんですかマチ?…偶然にも通りかかった、って訳じゃないですよね?」
視線を険しくする冠華を片手で抑えてヤールが尋ねる。
「うん。その通りだよヤールお兄ちゃん。えーと最大主教様が、あたし達の力で「誘拐者」を討伐してこいってさ」
「私達…?」
「うん、冠華おじさんと、ヤールお兄ちゃんと、あたしの三人で」
…何時もの事だが、最大主教の考えが読めない。
いや、マティルダと組むだけなら理解ができる、だが何でそこに冠華が加わるのか。
それは彼が協調性0人間である事も理由の一つだが…そもそもマティルダと冠華は相性が良くない。
それは使う魔術の問題では無く、戦いに関する心がけの問題だ。
自身が強くなる為に敵を殺す冠華霧壱。死闘に歓びを見出し敵を殺さないマティルダ=エアルドレッド。水と油と言っても問題無いかもしれない。
(倒して殺す冠華と、殺さず倒すマチじゃ……)
そんな二人を視線をちらりと向けると、やる気0のまま欠伸をしている姿が目に入る。
「何で俺がそんな面倒臭い事をやらなきゃならねえんだよ。「誘拐者」ってのは特大の下種だと聞いてるぞ…ふざけんな冗談じゃねぇ、そんな奴の首を取りたくねえよ」
正に取り付く島も無い拒絶。
だが、それに怯む事も無く、わざとらしく何かを思い出すようにマティルダが喋る。
「えーでも「誘拐者」は超凄く強い魔術師を雇ったって。最大主教様から聞いてるんだけどなぁ」
瞬間、その言葉に敏感に反応して、みるみるやる気を引き出す冠華。
(やはり、どう贔屓目に見ても血に餓えている首狩族にしか見えませんね…)
「…マジか?」
「うん本当だよ、「その魔術師を殺さば、冠華の霊格は急上昇であらけるの事よ」って言ってた」
「なら、やるしかねえな」
「うんうん、おじさんがやる気になってくれて、あたしも嬉しいな!」
明らかに、最大主教が口からでまかせで出したとしか思えず、
と言うかその最大主教が喋った部分はマティルダの作り話じゃないのか、と疑念を抱くような台詞に釣られている。
そうして血に餓えたような笑みを浮かべて、干し首を撫でる冠華を横目に、声を低くしてマティルダに問いただす。
「冠華の事を知ってるはずですよね?…貴方とは相容れないはずなのですが?」
それにマティルダは邪気の無い笑顔を向けて。
「大丈夫だよ。もしそうなったとしたら、あたしが後ろから吹っ飛ばしちゃうから…そしたら冠華おじさんとも戦えるかな?」
…最大主教は人選を間違えているとしか思えない。
(ジニー…)
頼れる仲間が居ない状況に苦しみながら、
ふと、夜空を見上げたヤールは、そこに大切な少女の顔が浮かんだ気がした。
最終更新:2012年03月15日 23:07