夜の底を、男が彷徨っていた。

「海にゐるのは……あれは人魚ではないのです……」

 夜の底を、詩が流れていた。

「海にゐるのは……あれは、浪ばかり……」

 男の足取りは酷く不安定なものだった。怪我でもしているのか、呆然自失の状態なのか、あるいは両方か。
 男の双眸が光を放つ。しかしそれは意思の輝きなどでは断じてなく、水晶体が街灯の光を反射というだけの、単なる現象に過ぎなかった。

「曇つた北海の空の下……浪はところどころ歯をむいて……空を呪つてゐるのです……」

 死人のように濁った瞳は、何者をも映してはいなかった。まるで骸がそのまま、操り糸に支えられて歪に歩いているようだった。
 彼が見失ったのは、正しく己の全てか。
 色褪せない思い出の尊さを前に、彼自身の築き上げたものが圧殺されているのだろう。

「聖杯戦争、か……なんともまあ、お誂え向きなイベントじゃないか」

 静かに紡がれた呟きは、しかし血を吐くような呻きでもあった。
 並み居る他者を殺し、その果てに一つの願いを叶える聖杯戦争。我欲に溺れた愚者の祭典は、なるほど確かに、屑でしかない自分にはお似合いだ。

「つい先ほどまで僕がいた環境と何も変わらない。なんて地獄だ」

 地獄。今の彼には、そうとしか形容できない。
 それは生存をかけた無差別の殺し合いという環境そのものも同じであったが、最たるものはまた別のこと。
 つまり、緋文字礼という個人の中にある、どうしようもない悔恨の念である。

 緋文字礼は記憶喪失である。
 確たる己というものがなかった。白紙の人生には劇的と呼べるものがなくて、ただ空虚な心がうすら寒かった。
 だからこそ、そこで出会った唯一の親友を何より大事に思っていた。
 自らが巻き込んでしまったという負い目と、それでも空っぽの自分にかけがえのない友達ができたのだという救いがあった。
 最も大切な親友、秋月凌駕。彼を戦いに巻き込んだのは自分の不徳だ。
 自分が不甲斐なかったがために、自分の代わりに死んでしまった彼。その死を認められず、刻鋼人機に生まれ変わらせたのは自分だ。
 そう思っていた。だからこそ、共に戦うことを消えぬ烙印として生涯背負っていくのだという覚悟もしていた。

 だが、違ったのだ。
 戦いの果てに取り戻した真実は、決して黄金の過去ではなかった。

 修復された記憶にあったのは、ひたすらに傲慢な自分の姿。
 己が生きている意義がないから、俺に最高の絶望をくれ―――そう願って自ら記憶を差し出し、幾度も白痴の記憶喪失者として戦ってきたという過去。
 反抗勢力たるロビンフッドに組したのも、秋月凌駕という犠牲者を出したのも、元を辿れば自分のエゴが引き起こしたという事実。
 「偶然戦いに巻き込んでしまった」などという過失ではない。全ては緋文字礼の身勝手な意志によって、秋月凌駕は無限の地獄に引きずり込まれたのだということ。
 鋼の預言者により真実を伝えられた瞬間、自分の中にあった密かな心の支えと希望は、ふざけた現実によって木っ端微塵に砕かれた。

 絆があった。仲間があった。それは紛れもなく、命に代えても守りたいと思える新たな誇りであったのに。
 そう思える資格など、最初から自分にはなかったのだ。

「だが、それでも」

 それでも、と。緋文字礼は面を上げる。
 そこにあったのは、どうしようもない殺意の嵐だった。
 自らの肌に爪を突き立て、肉を裂き臓腑を引きずり出したいのだという、狂おしいばかりの憎悪を―――しかし今は糧として足に込める。
 それは、聖杯戦争へと向かう戦意として顕現した。

「あの状況から僕だけがここに呼び出されたということは、つまり"そういうこと"なんだろう?」

 嘲るように、泣き出すように、振り絞る声は無様なほどに震えていた。
 刻鋼人機同士の潰し合い―――時計の主が宣言した"真理に至るための戦い"を前に、しかし当事者である自分が同じような戦場に駆り出されたこと。
 万能の願望器たる聖杯を求めての殺し合い、そこに込められた意思とは、すなわち。

「僕が聖杯を掴めば、少なくとも題目通り願いが叶えられる。そういうことでいいんだな!?
 手にした聖杯を以てすれば、秋月凌駕と仲間たちを戦乱の運命から解放できる……僕はそう解釈したぞ!」

 すなわち―――戦って勝ち取れ、と。あらゆる願いを踏み躙って、己がエゴを貫きとおせと、高みから睥睨して告げる声が聞こえた気がした。
 そうする以外に道がないというのなら―――いいだろう、この忌避すべき力と才覚を以て、僕は聖杯を手にしてみせる。
 それだけが彼らに報いる手段なのだから。今こそ雄々しく絶望へと立ち向かおうと。
 今こそ心に誓い意思を奮い立たせて。

「……なんて偽善だ。そんなこと、彼が望むはずもないのに」

 それでも、出てきたのは消えることのない自嘲の言葉だった。
 そうだとも、望むはずがない。どこまでも強い彼のことだ、こんな屑でしかない自分にさえ笑顔で手を差し伸べてくれる様が、甘い幻想だと分かっているのに脳内にありありと想起できてしまう。
 戦おう、そして勝とう。自壊の運命を押し付ける超越者になんて負けてやらない。だから礼さん、貴方も自分を責めないでと。
 そんな、理解できないほどに強い彼の姿が今も胸に刻まれている。

 ……どうしようもなく嗤いたい気分になってきた。
 口元が自虐の笑みに歪んでいるのが分かる。あの日の夕暮れのベンチで、彼に出会う前の自分が浮かべていた空虚な嗤い。

「だけど……彼に、仲間たちに……こうする以外、一体どうやって詫びればいいと言うんだ……
 "僕"という白痴を、"俺"という屑を、今でも信じてくれている人たちに……どうやって。
 こうまで、巻き込んでいながら……!」

 ああ、それこそが最も辛い。
 自分は苦しんで死ねばいい。地獄の責め苦を受けることで罪を償えるというのなら、喜んで五体を切り刻まれ穢れた命を捧げよう。
 大切だった、輝いていたから。それが尊くあればあるほど、渇き切った嗤い声は泣いているようにしか聞こえない。

「だからこそ、僕は聖杯を目指す……!
 迷いはしない、躊躇もしない。この道しか、僕には残されてないんだから……」

 そうして、ふらふらとした足取りで先を急ぐ男の背後に、一つの影が追随していた。
 夜の色を懲り固めたようなその影からは、万色の煙が揺蕩うように吐き出されていた。





   ▼  ▼  ▼





「哀れなもんだな。思い出してなお、そんな様ってのはよ」

 人影のない、奇妙に暗く感じる街道を往く主の後ろ姿を眺めつつ、影の男は吐き捨てた。
 男が纏う雰囲気にそぐわない穏やかな声だったが、その裏には隠し切れない嚇怒の念が込められている。
 それは別に、彼のマスターに向けられたものではない。より厳密に言うならば、それは己を含めたとある"都市"への激情。
 今まで彼を突き動かしてきた、正体不明の怒りの感情がそこにはあった。

「だが、全ては最早関係ない。これでようやく、終わる」

 男は呟く。関係ない、関係ないのだ。例えマスターが何を思い出し、何を取り戻し、何を思おうが全ては一つの終わりへと集束する。
 10年前の続きだ。結局、自分たちは間に合わなかった。
 何もかも遅すぎた。誰も、誰一人、救うことなどできなかったのだ。

「だから」

 だから、殺す。
 都市の全てを終わらせる。それだけが、この身を突き動かす最後の感情であると定義して、男は死の鎌を振り下ろし続ける。
 そしてその時にこそ、自分はようやく彼女に償うことができると信じて。

「終わりとしようや。なあ―――」

 男は呟く。それは誰に対して言った言葉なのか、本人でさえ定かではなかった。

 彼らは歩き続ける。かつて失ったものを取り戻して、かつて忘れ去った真実を胸に抱いて。
 今こそ47の鋼の運命と、41の願いが果たされるのだと口にして。

 ―――視界の端には何もいない。
 映るのは、どこまでも空虚な伽藍の空白。
 彼らが手を伸ばすことは、ない。


【クラス】
アサシン

【真名】
ケルカン@赫炎のインガノック- what a beautiful people -

【ステータス】
筋力C 耐久E 敏捷B 魔力B 幸運E 宝具A

【属性】
混沌・悪

【クラススキル】
気配遮断:C
サーヴァントとしての気配を断つ。隠密行動に適している。
完全に気配を断てば発見する事は難しい。

【保有スキル】
現象数式:A
変異した大脳に特殊な数式理論を刻む事によって御伽噺じみた異能が行使可能となる、異形の技術。
火器や爆薬を超える破壊や、欠損した肉体の修復が可能。
アサシンのそれは燃焼による攻撃に特化されている。

自己改造:B
自身の肉体に、まったく別の肉体を付属・融合させる適性。このランクが上がればあがる程、正純の英雄から遠ざかっていく。
アサシンは現象数式の習得のために変異した大脳にアステア理論を刻み込み、全身の至る箇所を数秘機関に置き換えている。

《守護》:A(A+)
《奇械》による守護。宝具が発動している状態に限定して同ランクの対魔力・透化スキルを付与し、耐久判定において大幅に有利となる。

執行官白兵術:C
かつてハイネス・エージェントとして獲得した白兵戦技術。
死の都市法に則り下層民の間引きを行う恐怖の代名詞。一流の達人にも追随する技量を持つ。

【宝具】
『安らかなる死の吐息(《奇械》クセルクセス)』
ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:1~10 最大捕捉:1
アサシンの背後に降り立つ異形の影。失血死を司る。
辛うじて人型を保った、鋼鉄に包まれた姿をしている。刃状の腕を持ち、所有する大鎌はわずかに傷つけるだけで相手を死に至らしめる。ただしサーヴァントという枠に押し込められた結果、魔力や幸運や効果軽減スキルその他諸々により対抗可能となっている。

『安らかなる死の吐息(《奇械》トート)』
ランク:A+ 種別:対軍宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:1000
クセルクセスの姿が変容したもの。クセルクセス時からステータスに上昇補正を加え、能力の内容も変化している。
その能力は「トートの言葉を受けた者は死ぬ」というもの。
周囲数百フィートに咆哮を放ち、物理的には空間ごと物質を崩壊させ、魔術的には接触対象の現在を否定し存在を抹消する。クセルクセスとは違い魔力ステータス等では一切軽減できない。
10年前の《復活》の日のように、あらゆるものが否定される。誰一人、吐息のもたらす安寧から逃れることはできない。
この宝具の発動には彼が失ってしまった真実、記憶、そして彼の抱く怒りの感情の正体を取り戻さなければならない。現状彼はそれらを取り戻すに至っているが、しかし何某かの理由により現在この宝具は一切の機能を停止している。

【weapon】
体中に埋め込まれた数秘機関。

【人物背景】
都市インガノックにおいて死こそが救いであると説きながら人を殺して回っていた巡回殺人者。世界と生の否定と死の肯定の権化。誰よりも死に親しむ奇械使い。
下層民も上層貴族も区別なく、異形化した者すら人間であると認めた上で全てを殺す。奇械や現象数式は全てそのための道具であると言い切り、故にそれらを人命の救済に使うギーを明確に敵視している。
実のところ、彼の持つ殺人衝動とギーの持つ「あらゆる人を救う」という信条は、全く同一の出来事を違う捉え方で見つめたことに起因する。
誰かを愛したがためにそれが朽ちていく様を見るのが耐えられなかった、人を愛した殺人鬼。
自分が何者であるかを取り戻し、その果てに全ての終焉を願った男。

【サーヴァントとしての願い】
かの都市に終焉を。
いいやもしくは、自分と彼のどちらが正しかったのか、ただそれだけを知りたかった。


【マスター】
緋文字礼@Zero Infinity -Devil of Maxwell-

【マスターとしての願い】
聖杯の力をもって秋月凌駕とその仲間たちを絶望の運命から救い出す。
たとえそれが現実からの逃避だとしても、今の自分にはそれしかない。

【weapon】
下記に記述。

【能力・技能】
刻鋼人機(イマジネイター)と呼ばれる存在。有体に言うと後天的に改造されたサイボーグのようなもの。
常人を遥かに超えた身体能力と知覚領域を兼ね備え、殲機と呼ばれる固有武装を展開する。動力源は精神力。
イマジネイターには位階があり、自己の希求を具現する輝装、自己の陰我を具現する影装、詳細不明の"真理"の三段階が存在する。

  • 白漠葬牙(ホワイトホロウ・レクイエム)
輝装。右手には三門の砲身を束ねた回転式連装機銃、左手には長銃身大口径拳銃とそれに付随した銃剣を具現化させる。
礼の「空っぽだが、前に進んでみたい」という意思、「親友や仲間を大切に思える」という現状、「そして、そんな今の自分が好きだ」という自己肯定から生まれた輝装。
友や仲間の信頼に応え共に障害を乗り越えたいという希望が反映されており、故にあらゆる距離に対応できる汎用性の高さを持ち、能力値においては攻守に優れた万能型となっている。
殲機の基本カラーはホワイト。これは礼が純粋で誠実な人間であるという事の証明だが、同時に記憶のない空虚な存在である事も示唆している為である。

  • ?????
影装。彼は不完全ながら影装を顕現させることができる。
しかし影装とは己の闇を受け止めてこそ発揮できる力であり、故に自身の陰我を否定している今の礼には全く使いこなせていない。
およそ実戦では役に立たないだろう。

なお、少なくとも輝装及び影装段階はあくまで既存科学で編まれているため、サーヴァントに掠り傷一つ与えることはできない。
ただし、既存の物理を超越した新たな"真理"であるならば、話は違ってくるだろう。

【人物背景】
名前以外一切の記憶を失った、時計機構からの脱走者である青年。
逃避行の途中で凌駕と出遭い、友誼を結び、そして彼を闘いの運命に巻き込んでしまう。
一見冷静沈着で温厚な常識人だが、闘いになれば誰よりも過激な閃きや奇策を見せる意外性の男。端的に言って類稀な天才であり、同時に空虚さゆえの恐いもの知らずとも言えるだろう。
凌駕に対しては、償いきれぬ負い目と表裏一対の友情を感じており、空白の記憶ゆえか誰よりも仲間の絆を重んじている。

その正体はあらゆる分野において稀代の才能を発揮し、故に世界と己に絶望して自死した男。
傲慢の極みのような人物であったが、機械化していく文明を前に「人間としての能力など所詮機械科学の劣化品」と悟り、ならば生まれながらの高い能力にしか己を見いだせていない自分とは一体何であるのかというアイデンティティの喪失に苦しんだ。
その果てに彼は自らの人生に幕を引いた。「次に生まれ変わるならば、賞賛も才能もなく、ただどん底から這い上がるような人生が欲しい。頂点を目指し努力するという希望、志半ばで挫折する絶望が欲しい」と遺書をしたためて。
その後時計機構によって刻鋼人機となった彼は、生前の望み通り全ての記憶をリセットされた後に時計機構の反抗勢力へと幾度となく投入される。彼が望んだままに、「雄々しく立ち向かえる最悪の絶望」に直面させられ続けた。
反抗勢力が壊滅する度にしかし彼だけは生き残り、その度に記憶をリセットされ次の戦場へと送られ続けた。緋文字礼とは、その何度目かの名前に過ぎない。

マレーネ√、アポルオンから真実を聞かされてから草笛切と会話する前より参戦。

【方針】
聖杯を手にする。

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最終更新:2015年12月15日 09:44