「おっと、そこの兄さん。ちっとばかし止まってもらおうか」

 物好きな若者でもない限りは、地元住民でも滅多に立ち入る者のいないゴーストタウンがあった。
 更なる都会への移住が進む中で発展と開発から取り残され、以降かつてのままの姿を晒し続けている廃墟街。
 建物は皆薄汚れて、電柱には何年前かのチラシが貼り付けられたままで、路傍には小動物の死骸が白骨化している。
 まだ昼間だというのに仄暗い不気味な空気を漂わせる廃区画は、さながらホラー映画のロケーションのようだった。
 そんな、およそ神聖さ、清潔さとは縁のないこの地へと踏み入ろうとする長身の影が一つ。
 そしてそれを止める者が一人。
 誰も見る者のいない朝の静けさの中で、邂逅が起こる。

「おや、これはこれは。朝早くからご苦労様です」

 柔和に微笑んで労いの言葉をかける男は、神父の姿をしていた。
 糸のように細い目と精微な顔面が作り出す微笑みは優しく穏やかで、否応なく見る者の毒気を抜く。
 子ども達に囲まれて笑っている姿が優に想像できる、牧歌的な日常の似合う男だった。
 だからこそ、だろう。
 彼の姿は、長槍を携えて民家の屋根上から見下ろしている現実離れした男よりも遥かに周囲の風景から浮いていた。
 一面が自然に囲まれた風景に高層ビルが一軒だけ建っているような、そういうアンバランスさがある。

「『ご苦労様』ね。こんな物騒なモン持ってる野郎見て第一声がそれたぁ、肝の据わった神父様が居たもんだ」
「生憎、物騒な友人には事欠かない人生を送ってきたものでして。これしきでは驚きませんよ、ははは」
「へえ、んじゃオジサンとあんたはお互い様ってことになるみたいだわ。
 嫌だよなあ、物騒な連中ってさ。疾風怒濤の戦車野郎とか、馬鹿の振りした天才船長とか、オジサンにも覚えがあるぜ」

 軽薄な会話を交わし合う二人の姿は一見すると友好的だが、しかし槍の男が警戒を緩める気配は全くない。
 それどころか、よりいっそう警戒の度合いを引き上げているようですらある。
 一方の神父は、真実無防備そのものだ。
 武器を持っている様子はなく、魔術的な備えを有している風でもない。
 その気になれば刃物を適当に持たせただけの民間人でも刺し貫けてしまうのではないかと思わせるほど、隙だらけだ。

「で? 結局何しに来たのさ、おたく」
「近頃は何かと物騒ですからね……私も何かお役に立てることがあればと思い、こうして巡回に訪れた次第で」
「悪いこと言わねえからやめときな。あんたが出しゃばったところでどうにもなりゃしねえよ。
 それにここら辺は見ての通り、人なんざ住んじゃいないんだ。
 分かったら鬼が出てくる前に帰った方がいいと思うんだけどねえ、オジサンは」
「ふむ……鬼、ですか」

 瞬間、神父の糸を思わせる細目の内側から、蒼い光を湛える瞳がのぞいた。
 ひどく怜悧で、冷たい眼だ。
 これまであんなにも人畜無害な雰囲気を醸していた人物が持つとは思えないほどに、それは底冷えした眼光だった。


「私も長きを生きてきましたが、鬼と語らったのは初めてです」

 それは自分から、相手へ正体を知らしめる発言。
 言い終わるや否や、神父の目線の先に確かにあった筈の面影が消え失せる。
 その行く末を神父が追うまでもなく、ゴーストタウンに住まう鬼は彼の直前へと姿を現していた。
 これまでただやる気なさげに持っているだけだった槍は今真っ直ぐに構えられ、神父の胸を向いている。
 神父がそれに反応を示そうとするが、それよりも鬼の槍が放たれる方が疾い。

「あばよ」

 鬼を名乗った英雄はにっと笑って、殺意など微塵ほども匂わせることなく刺突を放った。


 切っ先は過つことなく、狙い通りに神父の胸の中央を穿つ。
 電光石火と、そう呼ぶに相応しい見事な一撃で、英雄ヘクトールは必殺にかかった。
 良く言えば先手必勝、悪く言えば不意討ちにも似た行動。
 それは英雄の行いからは、確かに逸脱したものかもしれない。
 しかしたとえ面と向かってそう指摘されたとしても、彼は恥じることもなくへらへら笑ってみせるだろう。
 神話の時代、トロイア戦争。
 神の推測すら裏切る謀略を弄してのけた将軍にして、トロイア軍に並ぶもののなき戦士。
 武と智の両立を地で行く男――それがヘクトールという英雄、ここではランサーのサーヴァントたる男である。
 その彼が、手段など選ぶはずがない。
 まして相手が、まるで得体の知れない手合いならば尚のことだ。


「――おいおい」

 しかし、ランサーが浮かべた表情は会心のものとは異なった。
 表情のみならず、得物越しに伝わってくる手応えもだ。
 肉を貫き霊核を砕く感覚はなく、代わりに伝わるのは鋼を石の杖で突いたような、決して肉体相手に感じるものではないだろう『弾かれる』感覚。たんと地面を蹴って後退しつつ神父を睥睨すれば、やはりその体からは血の一滴も流れていない。

「やれやれ、野蛮ですね。私は別に、事を構えるつもりで来たわけではないのですが……」
「こりゃ面倒なのが来たもんだなぁ……何者だ、あんた? サーヴァントなのは間違いねえんだろうけどさ」

 ぽりぽりと頭を掻きながら口にした面倒という言葉は、この場に限っては偽らざる本心だった。
 能ある鷹は爪を隠す。
 それと同じで、このランサーも常に気怠げな様子を見せつつも、常に本気である質の英霊だ。
 だが、この時ばかりは心底面倒な相手がいたものだと嘆かずにはいられなかった。
 先の一瞬だけで判断材料としては十分だ。
 眼前の神父は、恐らく自分の槍では貫けないだろうという事実への判断材料としては。

「ええ、こんな成りをしてはいますが、その認識で合っていますよ。
 クラスは――それを明かすと少々不都合がありますので……ここは一つ、『聖餐杯』とでもお呼びください」
「胡散臭え。聖人サマの盃を名乗るにしちゃ、あんたちょっときな臭すぎるぜ」

 真名解放まで使えばどうなるかは定かではないが、出来ればそれは避けたいとランサーは思った。

 自分の宝具は、白昼堂々使うには少々目立つ。
 それに、ワイルドカードを切っておいて傷一つ付けられませんでした、では笑い話にもなりはすまい。
 幸いなのは、あちらに交戦意思がない――だけでなく、見たところ交戦能力もないことだろうか。

「今日この地を訪れたのは私の独断です。町外れ、人の寄り付かない営みの残骸。
 聖杯戦争のマスターが拠点を築くにはうってつけでしょうから、一つ顔を出してみようと思った次第ですよ。
 ……ただ、まさか門前払いを食らうことになるとは思いませんでしたがね」

「こっちとしても予想外さ。まさか、うちの大将が目ぇ付けた場所におたくみたいなのがやって来るとはねぇ」

「そうでしたか。ところで、これも何かの縁です。一つご提案があるのですが」

 聖餐杯を名乗るサーヴァントから、既に剣呑な雰囲気は失せていた。
 最初とまったく同じ穏やかな顔をしながら、しかし話題は確実に聖杯戦争の方へと移り変わっている。

「見ての通り、私には他のサーヴァントと張り合えるだけの力がない。
 いえ、無論のこと宝具はありますよ。しかしそれも、そうおいそれと放てるものではないのです」
「ははぁ。それで、あれかい。オジサンのとこと同盟組もうって話?」

 刹那――ランサーが動いた。

 聖餐杯は微笑んだまま、走る刺突を止めようとし、空を切る。
 耐久力の差は雲泥だが、こと戦闘のセンスにおいてはその天秤は逆転する。
 トロイア軍を単身で支えた戦士の槍技を、無敵の鎧を纏って嗤うばかりの彼に見切れる道理はない。
 そのまま切っ先は彼の眼球へと突き進み、その水晶体と激突したところで停止した。
 チッとランサーが舌を打つ。聖餐杯は眼球で槍の穂先を受け止めながら、ただ微笑んでいる。

「鍛えようのない、剥き出しの部位を攻撃すれば有効打になる……その発想は素晴らしいですが、生憎と私のこれは研鑽によるものではないのです。この総体の何処を狙おうと――貴方の槍では、聖餐杯を壊せない」
「どうやらそうみたいだねえ、こりゃ。……けどよ、そりゃそっちにも言えることだぜ、神父様」

 槍を引き、ランサーは意趣返しのように言う。

「あんたのご大層な宝具を使われちゃ確かにオジサンもやべえさ。
 けども、あんたはこんな序盤も序盤の真っ昼間からそいつを使うほど阿呆じゃねえだろ?」
「……ふむ。それは確かにそうですが」
「なら、あんたもオジサンには勝てねえってわけよ。所謂千日手、どっちも得しねえ勝負ってわけだ」

 だから、とっとと帰りな。
 気怠げに言うランサーは、同盟を受ける気は皆無と言わんばかりに、その話題へ触れようとはしなかった。
 英雄ヘクトールは将軍だ。
 時には最前線で戦う戦士として、時には権謀術数に優れた政治家として活躍した逸話を持つ。

 その彼だから、分かったのだ。
 聖餐杯――このサーヴァントは敵とするにも厄介だが、それ以上に味方につける方が何倍も恐ろしい手合いだと。
 自身のマスターのことを思えば尚更、同盟の申し出を受けるわけにはいかないと思えた。

「残念ながら、これ以上は暖簾に腕押しのようですね。仕方がありません。また日を改めて出直すとしましょう」
「おう、じゃあな神父様。二度と来るんじゃねえぞ」


 わざとらしく残念そうな表情を貼り付け、神父は踵を返す。
 その姿が見えなくなるまで目を逸らさずに見送ってから、ランサーはやれやれと嘆息した。
 時間にして数分程度の邂逅だったが、あれは相当な際物だ。
 政に携わる中で交渉術についても当然修めた自らをも、隙あれば陥れようとしてくる蛇のような悪意。
 あれは絶対に、うちのマスターと会わせちゃいけねえタイプだ――そう確信するまで時間はかからなかった。
 出来ることならこの場で倒しておきたかったが、彼の鎧のような体を貫く手段がない以上は無謀な勝負だ。
 先程はああ言ったが、下手に長引かせて宝具を使われれば最悪一撃でお陀仏の可能性さえあったかもしれない。

「嫌だねえ、全く。オジサンもう年なんだから、少しはお手柔らかにしてほしいもんだぜ」

 肩を竦めて呟くのを最後に、ランサーは霊体化し、その姿を消した。


【A-8/ゴーストタウン/一日目・午前】

【ランサー(ヘクトール)@Fate/Grand Order】
[状態] 健康
[装備] 『不毀の極槍(ドゥリンダナ)』
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:とりあえず、程々に頑張るとするかねえ
1:マスター(ルアハ)の下まで他人を進ませない
2:『聖餐杯』に強い警戒



  ◆    ◆


「そう首尾よくは進まないものですね、残念ながら」

 愚痴るようでありながら、口元は弧を描いている。
 『聖餐杯』を名乗る神父服のアーチャー、ヴァレリア・トリファは帰途へと着いていた。
 日頃はマスターの登下校にひっそりと同行し、万一のことがないのを確認してから一日の行動へと移るのが日課であったが、聖杯戦争が始まったともなれば事情は変わってくる。
 同盟相手の確保、並びに討伐令の対象である殺人鬼とそのサーヴァント・アサシンの捜索。
 馬鹿正直に令呪目当てにクエストへ乗るかどうかはさておいて、一度お目にかかってみたいと思っているのは確かだ。

「あの廃墟街にならば、もしかしたらとは思ったのですが――」

 しかし、その道はランサーのサーヴァントを前に阻まれた。
 サーヴァントであることを明かさずにいれば、自身のスキルの効力も相俟ってもう少しは話が通じたのではと思わないでもなかったが、あの英霊はその程度の小細工で籠絡されてくれるほど容易い相手ではないだろう。
 厄介と呼ぶまでには至らないが、覚えておくに越したことはない。
 恐らく、ゴーストタウンの内部に彼のマスターが居るだろうことはほぼ確実。
 アサシンをサーヴァントに持つ主従とコンタクトが取れたなら、その時は向かわせてみるのも手かもしれない。
 そんなことを考えながら、神父は朝の路傍をひとり、霊体化もせずに堂々と闊歩していた。
 その姿は、少し目立つ外見をした聖職者としか映らない。
 彼は、紛れもなく聖職者だ。
 だがその信仰は、輝けるものでは決してない。

 邪なる聖人(クリストフ)――と。人は彼を、そう呼ぶ。


【B-8/一日目・午前】

【アーチャー(ヴァレリア・トリファ)@Dies irae】
[状態]健康
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を手にする
1:一度教会へ戻る
2:同盟相手の模索
3:廃墟街のランサー(ヘクトール)には注意する
4:討伐令の対象となっている主従に会ってみたい。どうするかはそれから決める
[備考]
※A-8・ゴーストタウンにランサー(ヘクトール)のマスターが居るだろうことを確信しました

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最終更新:2016年01月03日 18:34