「あ゛ー……」

 市内某所。
 何ら変哲のない住宅街の、とある一軒。
 その一室で、大きく伸びをしながら一人の青年が床を転がっていた。
 家の中に彼以外の誰かがいる気配はない。
 母親はセール商品に狙いをつけて買い物へ、父親は趣味仲間と一緒に何処かへと遠出。
 五人の弟たちは……どうやら各々の一日を過ごすべく早くも出払ってしまっているようだ。

 普段は悪魔と呼び罵倒し合う仲の弟たちだが、いざ誰もいなくなるとそれはそれで退屈極まる。
 暇潰しをしようにも、道具もなければ金もない。
 外を散歩するには今時期は少しばかり寒すぎる。
 少なくとも、今日はそういう気分ではなかった。
 特に何か大仰な理由があるわけではなく、ただ単に気が乗らないだけ。
 誰にだってそんな日はある。
 もっとも、松野おそ松に限って言えば、その割合は他人と比べて些か多い。
 それもその筈。
 彼は――いや、この松野邸に巣食う六つ子の悪魔たちは一人残らず、親の脛を齧り尽くす若年無業者。

 Not in Education, Employment or Training。
 即ち、ニートである。

 働かずに家で一日中遊んでいられると言えば聞こえはいいが、家に籠もってばかりでは退屈で死んでしまう。
 メンタルが小学六年生と度々称される彼や、奇跡のバカと謳われる五男などは尚更だ。
 楽して過ごす毎日にもやはり刺激は必要なのだ。
 勿論自分から進んで辛い目に遭うような趣味は持っていないので、それが自分にとってプラスになる刺激だと一番いい。
 例えば、空から美少女が降ってきたり。
 例えば、道で助けたお嬢さんが物凄い金持ちの家の娘で、助けたことをきっかけにラブラブな毎日が訪れたり。
 そういうたぐいのことがないかなあと、日頃からずっと暇さえあれば妄想する。
 無論、そんな都合のいい話はそうそうない。
 ちょっと前のレンタル彼女の一件でも、そのことは思い知らされた。

「でも、あったんだよなー……うまい話」

 逆に。
 そうそうないということは、稀にはあるということだ。
 そしてその類稀なる『うまい話』がおそ松のもとにやって来たのは、今からざっと数週間前の出来事だった。

 聖杯戦争。

 ひとりの女の子が運んできた儀式。
 現実世界ではなく、電脳世界で行われる戦い。
 マスターとサーヴァントがペアになって、最後まで残ったペアには賞品の聖杯が与えられる。

 聖杯はどんな願いも叶えられるとあの子は言っていた。
 金も、女も、何もかも。出来ないことは何もないと言っていた。
 電脳世界がどうこうといった話は、正直なところおそ松には今一つピンと来ない。
 現実感がない、と言ってもいいかもしれない。
 家族の誰かが欠けたわけでもなければ、日常サイクルの何かが大きく変わったわけでもない。
 町並みが少し慣れない風景になった程度で、イヤミやチビ太のような知り合いもちゃんと確認できている。

 彼女の言葉によれば、この世界の彼らはあくまで聖杯が作り出した、すごくよく出来た偽物だという。
 最初は戸惑うこともあったが、しかしあまりにも寸分違わず元のままの性格をしているものだから、すぐに慣れた。
 たまに偽物だということを思い出して複雑な気持ちになるくらいで、今のところそれ以上の不便はない。

 見慣れた木目の天井を見上げて、ふと考える。
 聖杯が手に入ったら、どうしようか。
 まず金と女は確定として、それだけで終わってしまうのもなんだか味気ないように思う。
 どうせそれだけの美味しい目に遭いながら弟たちに隠し通すなんて不可能なのだから、いっそ欠片くらいは分けてあげてもいいかもしれない。
 そんな皮算用をしながら無為に時間を費やしていると、ふと脳裏に松野家の内部では聞こえるはずのない声が鳴った。


『――マスター』

 ――その声に、ばっとおそ松は飛び起きる。

 見ると部屋の入口付近に、恭しく片膝を突いている美少女の姿があった。
 彼女が現れた途端、変わり映えのしない部屋の風景がなんだか華やかになったような気がする。
 レンタル彼女騒動の時のイヤミやチビ太、彼らが霞んで見えるほどに、可愛い女の子だった。
 シミ一つない白い肌は基本として、その容姿は全身に一切の無駄な要素がなく整っている。
 陳腐な表現にはなるが、妖精か何かを思わせるものがあった。
 そんなだから、彼女と話す時にはいつも心がドキリとしてしまう。
 これもまた、無職童貞男の常だ。


シャッフリンちゃん! 部屋まで来てくれるなんて珍しいなあ、驚いちゃったよ」
「申し訳ありません。しかし、マスターに報告すべき事項がありまして」
「別に謝ることなんてないって! こんな万年華とは無縁の空間に来てくれただけでも俺は嬉しいし!」

 あからさまに高揚を見せるおそ松にも、シャッフリン――アサシンのサーヴァントは無表情を崩さない。
 もうちょっと表情豊かにすればもっと可愛いのにと思わないでもなかったが、これはこれで彼女の個性だ。
 聖杯戦争を圧倒的な手数で制圧し、自分をここまで勝ち上がらせてくれた彼女に、おそ松は感謝以外の感情がなかった。
 何から何まで彼女任せにするのはどうかと思ったものの、しかし他でもない彼女自身が、マスターは普通通りにしているべきだと進言したため、足を引っ張ってはいけないと考え、以降おそ松はこうして時々報告を受けるだけの立場だ。
 だが、これまでは何体のサーヴァントを倒したとか、そういったことを事務的に伝えられるのみだった。
 彼女が進んで、おそ松の部屋までやって来てくれたのは初めてのことだ。
 何か、余程重要な要件なのだろう。
 おそ松は気を引き締めて、彼女の言葉へと耳を傾ける。

「早朝、聖杯戦争の始まりが伝達されました」
「……ん? それって、今までやってたのは聖杯戦争じゃなかったってこと?」
「いえ、あれも間違いなく聖杯戦争の一部です。
 ただし、あくまでも予選段階の。昨日をもって予選が終了し、戦争は本戦に移行したと考えて戴ければ」
「ふーむ……なるほどね。こっからが本番ってわけか」
「そうなります」

 あまりにもとんとん拍子で進んでいるものだから上手く行きすぎだとは思っていたが、まさかそんなシステムだったとは。
 まどろっこしいことをするなあと思いつつ、ここからが本番なのか、と否応なしに気が引き締まった。

「今後もマスターは聖杯戦争へ直接は関わらず、静観を続けて下されば構いません」
「うん、分かった。ところで……どう? 勝てそう?」
「今後は今まで以上に立ち回りに気を配る必要が出てきますが、問題ないかと」
「そっか! シャッフリンちゃんは本当に頼りになるなあ……」

 おそ松は、自分のサーヴァントがどうやら少し特殊らしいということには勘付いていた。
 アサシンは、宝具で五十体以上のサーヴァントを操ることができる。
 戦力にムラこそあるものの、やはりその質量差は圧倒的だ。
 それに加え、それを指揮するアサシン――『ジョーカー』の腕があってこそ、おそ松はここまで来られた。

「討伐令の通知についてはご覧になりましたか」
「討伐令? ……ああ、そういえばなんかポストに入ってたっけな……アサシンがどうとか、NPCを殺害だとか。
 やたら物騒なことばっかり書いてあったから、ちゃんと覚えてるよ」
「現在、聖杯戦争運営から討伐令が出されているサーヴァントが存在。
 それを倒すことで令呪を一画確保できる、という仕組みのクエストが発令されています。
 相手は巷を騒がす連続殺人鬼――と言って、伝わりますでしょうか」
「……それ、マジ?」

 おそ松はニートだ。
 だが、社会で起こっていることを何も知らないほど馬鹿ではない。
 K市で起こっている連続殺人事件の話は連日テレビで騒がれており、当然おそ松の耳にもそれは入っていた。
 五十人以上を殺めた、素性不明のシリアルキラー。
 警察は何をやっているんだ、とコメンテーターが怒りを露わにしていたのが印象深い。
 まさかその下手人が――聖杯戦争の参加者であるとは、予想外だったが。

「恐らく、他のマスターも令呪を求めてクエストへ参加するでしょう。私たちは――」
「……いや、ダメだ」

 おそ松はこの時初めて、シャッフリンの行動に干渉した。

「いくらNPC……偽物だからって、手当たり次第に殺して回るような奴なんだ。
 絶対まともな奴じゃないし、関わらない方が絶対いいって。他の奴らがどうにかしてくれるのを待とう」
「相手はアサシンのクラスです。手数に任せて圧殺することも、場合によっては可能かと思われますが」
「それでも、俺は反対だよ。だってそれじゃ、他のシャッフリンちゃん達が危ないし」

 そこまで言うと、アサシンは黙った。
 機嫌を損ねたかと思ったが、どうやらそういうわけでもないらしい。
 彼女はよくも悪くも、マスターに従順なサーヴァントだ。
 それがマスターの決定ならば従うまで、そういうことなのだろう。

「では、了解しました。我々は討伐クエストには参加しません」
「ありがとう。……なんか、ごめんね。俺の勝手な考えで振り回しちゃってさ」
「いえ」

 問題ありません。 
 そう言わんばかりに彼女が首を横に振った時、玄関の戸が開く男がした。
 「ただいま!」と元気の良い声が聞こえてくる。

 十四松だ。
 まずい、とおそ松が表情を変えた。
 相手が十四松とはいえ、家に女の子を連れ込んでいることがバレた日にはえらい目に遭う。
 シャッフリンちゃん、と声をかけようとした時には、彼女の姿はもうどこにもなかった。
 代わりにおそ松の脳裏へ、再び念話が鳴る。

『また何かあれば、報告に戻ります』

 ……一瞬で、全てを察してくれたようだった。
 胸を撫で下ろしつつ、おそ松はふと、罪悪感のようなものを抱いた。
 これまで、聖杯戦争はあくまでゲーム――安全の保証されたものだとばかり思っていた。
 けれどそこに殺人鬼のような輩まで混ざっているとなると、少し話は変わってくる。
 本当に、ただ見ているだけでいいのだろうか。
 自分も彼女たちと同じ場所に立って、戦うべきなのではないか。

 聖杯戦争の本質を未だ理解せぬまま、松野おそ松は一人、同じ顔をした少女たちの戦場に幸運があることを祈った。


【A-4/松野邸/一日目・午前】

【松野おそ松@おそ松さん】
[状態] 健康、罪悪感
[令呪] 残り三画
[装備] 松パーカー(赤)
[道具] なし
[所持金] 金欠
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を手にして豪遊する
1:シャッフリンちゃん、大丈夫かな
2:『彼女たち』には、欠けてほしくない
[備考]
※聖杯戦争を正しく認識していません。

【アサシン(シャッフリン)@魔法少女育成計画JOKERS】
[状態] 健康
[装備] 『汝女王の采配を知らず』
[道具] 魔法の袋
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:マスターを勝利させる
1:討伐クエストには参加しない
2:マスターの意向を汲み、殺人鬼を積極的に狙うことはしない
3:討伐クエストの進行には注視し、クエストに乗って動く主従に狙いを定め、適宜殺す

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最終更新:2016年01月10日 16:08