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愚者の話をしよう - (2007/03/19 (月) 23:25:19) の1つ前との変更点

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 ――昔出会ったバイオリニストの話だ。  彼はいつも路上である曲を演奏している。  タイトルも、作曲者も分からぬその曲は、道行く人々の足を止め、路地の一角に黒山の人集りが出来るほどのものだった。  やがて人々の口を通じてその曲とバイオリニストは一躍有名人となる。  ……だが、彼は決して他の曲を演奏しない。  奏でるのは常にその曲のみ。  だから人気が落ちるのも早かった。飽きた人々は彼から遠ざかってゆき、いつしか路地には演奏する彼の姿一人しか残った。  それでも彼はやめない。住民から疎まれようとも、その曲を演奏し続けた……命を落す、その瞬間まで。  ……そんな彼を、周りは愚者と呼んだ。彼がその曲を演奏する理由も知らずに。 「ここで一つ質問だ。何故彼は、その曲を弾き続けたのか」  横で耳を傾けていた彼女に尋ねる。  私がまさかこんなところで昔話をするとは、思ってもいなかったが……まあいい。  しかし、私の質問に彼女は頭を悩ませているようだ。首をかしげて困った顔を浮かべている。 「その人は、その曲がとても大事だったから……ですか?」 「半分正解。その曲は彼の恩師が、最期に作った曲だった」  それを聞き、彼女の顔色が曇る。 「そんな顔をしてしまう気持ちも分かる。だが世間とはそういうもの。理由が分からなければ、同じ事をやるのは愚かでしかない」 「でも……」  彼女がそういう感情を抱くのは、無理もない。  優しいから、な……。 「……もう一つ、彼が演奏し続けた理由がある」  彼の物語の続き。  彼にとって、これが最も大切な事だ。 「彼は、その曲と共に死ぬ事を選んだ。そして自分が人である事を恐れ、忘れぬように演奏を続けていたんだ」 「忘れないように……?」 「人は忘れる生き物だ。そして、曲の死は私達と同じ、忘れられたときに訪れる。 逆に、人の記憶にその曲が残っているとき。それは曲の命が最も輝く……彼は曲の命を輝かせたかったんだ」  愚者と呼ばれた事で、彼は自分に課した使命を負えた。  曲と共に、その生涯を終えた。 「じゃあ、もうその曲を知る人はいないんですね」  その質問に、私は口を閉じる。 「でも幸せだと思います。その人も、曲も。わずかの間だけでも輝く事が出来たのですから」 「……そうだな。きっと、そうだ」  彼女が、私の腕にしがみついてくる。  顔には笑顔……この笑顔が何を意味しているのかは、あえて理解しない事にする。  口に出さずとも、分かる事なのだから。 「ただ一つ、残念なのは……」  私の顔を見つめて、一言。 「その曲を、聴く事が出来ない事ですね」           ◆ 「あっ、またバイオリンー?」  神出鬼没の月長石が、私の隣に立つ。 「ホント、相変わらず飽きないよねー。昔から一人の時はいつもいつも……」 「音楽は聴くだけのものではないということさ」 「ふーん。あたしは聴くだけでいいやー。という訳で、聴かせてっ」 「いつも聴いていて居眠りするのに」 「うっさいっ。とにかくなんか弾いてよぉ、聴いた事無い奴で」  まったく、我が儘な妹だ……。  しかし弾くためにこれを構えているのも事実。月長石の要求とは関係無しに、普段は弾かない曲を選びたい気分でもある。  さて、何を……。 「アメジストー、手が止まってるよー?」 「考え事だ」  そういえば、結局一度もあの曲を、彼女に聴かせる事はなかった。 「アーメージースートぉー」 「……しがみつくな」  いや、あの曲は彼と共に眠らせるのがよいのだろう。  だが彼女をまた輝かせる事が出来たとき。  その時は、彼女が望んだあの曲を……。 「もー、ぼんやりしないでよぉーっ」 「はいはい……」 ----
  ――昔出会ったバイオリニストの話だ。   彼はいつも路上である曲を演奏している。   タイトルも、作曲者も分からぬその曲は、道行く人々の足を止め、路地の一角に黒山の人だかりができるほどのものだった。   やがて人々の口を通じて、その曲とバイオリニストは一躍有名人となる。   ……だが、彼は決して他の曲を演奏しない。   奏でるのは常にその曲のみ。   だから人気が落ちるのも早かった。飽きた人々は彼から遠ざかってゆき、いつしか路地には演奏する彼の姿だけが残った。   それでも彼はやめない。住民から疎まれようとも、その曲を演奏し続けた……命を落とす、その瞬間まで。   ……そんな彼を、周りは愚者と呼んだ。彼がその曲を演奏する理由も知らずに。 「ここで一つ質問だ。なぜ彼は、その曲を弾き続けたのか」   横で耳を傾けていた彼女に尋ねる。   まさかこんなところで昔話をすることになるとは、思ってもいなかったが……まあいい。   しかし、私の質問に彼女は頭を悩ませているようだ。首をかしげて困った顔を浮かべている。 「その人は、その曲がとても大事だったから……ですか?」 「半分正解。その曲は彼の恩師が、最期に作った曲だった」   それを聞き、彼女の顔色が曇る。 「そんな顔をしてしまう気持ちも分かる。だが世間とはそういうもの。理由が分からなければ、同じことをやるのは愚かでしかない」 「でも……」   彼女がそういう感情を抱くのは、無理もない。   優しいから、な……。 「……もう一つ、彼が演奏し続けた理由がある」   彼の物語の続き。   彼にとって、これが最も大切なことだ。 「彼は、その曲と共に死ぬことを選んだ。そして自分が人であることを恐れ、忘れぬように演奏を続けていたんだ」 「忘れないように……?」 「人は忘れる生き物だ。そして、曲の死は私たちと同じ、忘れられたときに訪れる。逆に、人の記憶にその曲が残っているとき。それは曲の命が最も輝く……彼は曲の命を輝かせたかったんだ」   愚者と呼ばれたことで、彼は自分に課した使命を負えた。   曲と共に、その生涯を終えた。 「じゃあ、もうその曲を知る人はいないんですね」   その質問に、私は口を閉じる。 「でも幸せだと思います。その人も、曲も。わずかの間だけでも輝くことができたのですから」 「……そうだな。きっと、そうだ」   彼女が、私の腕にしがみついてくる。   顔には笑顔……この笑顔が何を意味しているのかは、あえて分からないふりをする。   口に出さずとも、分かることなのだから。 「ただ一つ、残念なのは……」   私の顔を見つめて、一言。 「その曲を、聴く事ができないことですね」     ◇    ◇    ◇    ◇ 「あっ、またバイオリンー?」   神出鬼没の月長石が、私の隣に立つ。 「ホント、相変わらず飽きないよねー。昔から一人のときはいつもいつも……」 「音楽は聴くだけのものではないということさ」 「ふーん。あたしは聴くだけでいいやー。というわけで、聴かせてっ」 「いつも聴いていて居眠りするのに」 「うっさいっ。とにかくなんか弾いてよぉ、聴いたことないやつを」   まったく、我が儘な妹だ……。   しかし弾くためにこれをかまえているのも事実。月長石の要求とは関係なしに、普段は弾かない曲を選びたい気分でもある。   さて、何を……。 「アメジストー、手が止まってるよー?」 「考えごとだ」   そういえば、結局一度もあの曲を、彼女に聴かせることはなかった。 「アーメージースートぉー」 「……しがみつくな」   いや、あの曲は彼と共に眠らせるのがよいのだろう。   だが彼女をまた輝かせることができたとき。   そのときは、彼女が望んだあの曲を……。 「もー、ぼんやりしないでよぉーっ」 「はいはい……」 ----

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