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ホームセンターの自動ドアが静かに開き、数時間ぶりの来客を迎え入れた。
「おぉーい! 誰かいませんかーっ!?」
右手にラケットを、左手には大輪の刀を引っさげた白髪に赤い皮膚の男。
それが自動ドアの前で誰かいないかと叫ぶ様子は、まるでホラー映画の怪物そのものだった。
そんな恐ろしい姿で呼びかけられては、たとえ友好的な人物がいたって姿を現す気にはなれないだろう。
しかし当の本人、切原赤也は、そんな己の姿を客観視する眼をもたない。
彼はただ、ついさっき取り逃がしたダッフルコートの少年が逃げ込んでいないか、探しに来ただけ。
その鬱憤も、最初に悪魔化を果たしてからずいぶんと時間がたったこともあって、ある程度は解消されつつあった。
確かに赤也は根に持つ性格の持ち主だったが、しかし過去にもテニスの1セットマッチという短いスパンでしか『悪魔化』を経験したことはない。
何時間も怒り続けていれば、ある程度は沈静化しようというものだ。
もちろんダッフルコートの少年が見つかればぶちのめすし、気に食わないヤツがいれば攻撃する。
しかし、殺し合いに乗っていない友好的な相手にまで危害を加えるつもりはない。
だからこそ呑気に「誰かいませんか」と声を張り上げた。
しかし当然のことながら、返事は帰ってこない。
「ありゃ………誰もいないのか。棚もガラガラだし、もしかして、閉店しちゃってる?」
がっかりした声を出しながらも、好奇心が高じてドアをくぐる。
どうしてだか、床の一面が水びたしだった。
品物がすべて空っぽになって棚を売っているかのようなホームセンターを、水で滑らないよう気をつけて歩く。
殺し合いに乗った人間が隠れて不意打ちしてくる危険をあまり考えないあたり、この時点での赤也は、警戒心が欠けていたと言っていい。
御手洗清志との戦闘ではそれなりに危険な目にあったものの、怒りで我を忘れたまま攻撃していたこともあり、『殺し合い』を深く考えてはいなかった。
ダッフルコートの少年に対しても、一方的に攻撃する側だったことから、危機感を抱くまでには至らなかった。
だから、『異臭』を嗅ぎ取っても、その意味を察することができなかった。
「ん……? 何か、匂うな……」
雑貨コーナーの方に近づいた時、嗅覚が『くさい』と知らせてきた。
腐った生ごみにガソリンでもぶっかけたような、そんな嫌な匂いだった。
不快さに顔をしかめながらも、何があるんだろうと鼻をひくつかせる。
床を見れば、棚の端から靴をはいた足がはみ出していた。
なんでこんなところで寝てるんだ、と首をかしげて、角を曲がる。
「なぁ、あんた――」
首から上が真っ黒になった人間が、そこに倒れていた。
顔から上だけが、こんがりと炭になっていた。
そして『真っ黒』と表現したのは、正確ではなかった。どろどろに溶解した皮膚の間から、白い骨がまばらに見えていた。
眼球は溶けてくずれ、ぼっかりと空洞になって天井を見上げていた。
断末魔を叫ぼうと口を開いた、その口内までぶすぶすと焼けていた。
唇が焼け崩れたことで、ずらりと生え揃った歯がむき出しになっていた。
耳の穴から漏れて凝固した白いかたまりが、
溶けた脳みそなのだと理解できた時、
赤也の口から絶叫がほとばしった。
「う゛わ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああああああぁぁぁっ……!!」
腰を抜かした。
尻もちをついた。
その格好のまま這いずって、壁まで後退した。
背中が、どんと壁にぶつかった。
「あ……あ……」
顔から血の気が引く。
赤也にとっては文字通りの意味で、沸騰したように赤く染まっていた肌の血の気が、一瞬にして引いて元に戻った。
悪魔と化していた時の面影はなく、もはやただの怯える中学生だった。
「何が……なんで……なんでだよ……」
切原赤也にも、残虐な気質はあった。
時にはラフプレー自体を楽しむこともあったし、人を傷つける重みなど理解せずに重傷を負わせることもあった。
しかし、それにしたって『敵を潰せればいいや』という、単純な嗜好性の暴力だ。
人間の顔を、それも『生きている人間の顔をそのまま焼く』なんて、そんな虐殺など絶対に思いつきはしない。
「う…………うぇ……ぇ……」
堪えきれない嘔吐感に胃の内容物を吐こうとするが、しばらく何も口にしていない体からは胃液しか出てこなかった。
酸味の強い胃液と腐臭に目まいを感じる。
せめて視線だけは死体からそらし、横を向く。
今ひとたび目を合わせてしまえば、焼死体が起き上がって襲ってきそうな恐怖があった。
憎い。恨めしい。こんな風になりたくなかった。どうして殺した。どうして焼いた。
物言わぬ死体は、雄弁にそう主張していた。
あるいはそれは、『どうしてこんなことが起こった』という己の疑問が言葉になった幻聴かもしれない。
荒い呼吸をつき、壁に視線をそわせてじっと座る。
ホームセンターから逃げ出さなかったのは、立つことも忘れていたからだろうか。
どのぐらい、そうしていたのか。
見るともなしに壁を見ていた視線は、壁の一面、従業員用の通路へと開かれた扉をとらえた。
ぼんやりと扉を眺めていた視線に、ゆっくりと思考の回転が追いつく。
まだ赤也は、ホームセンターの全てを探していなかった。
もしかしたら、この虐殺死体を作った殺人者が、まだここにいるかもしれない。
ふらふらと立ち上がり、従業員用の通路に向かって歩きだした。
確かめずには、いられなかった。
先ほどまでダッフルコートの少年を潰すと息まいていたように、殺人者をどうにかしてやろうという具体的な考えはなかった。
それは例えるならば、探検気分で心霊スポットの廃屋に忍び込んだ若者が、入口でいきなり『何か』を見るなどの恐怖体験に遭遇してしまった時、
帰ればいいのに、実は帰りたいのに、怯えながらもその『先』を知りたくて、屋敷の奥へと進みたがるような行動に似ていた。
それに、先に進めば、この惨劇を生みだした原因となる『手がかり』が、見つかる気がしたのだ。
◆
そして赤也は、見た。
◆
ドアが開け放しになっていたから、防犯設備のある事務所はすぐに目にとまった。
テレビがつけっぱなしになっていたから、その『映像』もまた、すぐに目にはいった。
しかも、テレビの前には椅子が一脚、鑑賞目的らしく置かれていた。
赤也はいったんディパックを椅子の脚元に置き、座ってテレビを見てみようとした。
映像の中で行われている光景に、釘付けになったのもすぐのことだった。
目をかっと見開いて、瞬きすらできず、切原赤也は『黒の章』のビデオ再生に見入っていた。
そこで行われているのは、さっきの焼死体など、全くもって『甘っちょろい』と断言できるような、極悪非道の所業だった。
悲鳴、絶叫、恨み、つらみ。
その集合体。それを笑いながら実行する『人間』たち。
どんな『人間』だって、こんなことができる本性を持っているんだぞと言わんばかりに豹変を遂げる、どこにでもいそうな『人間』たち。
赤也は、その映像を、穴のあくほど見つめていた。
何も言葉を発せず、先刻のような悲鳴を上げることさえできなかった。
なんだこれはとか、こいつらはなにをしてるんだとか、そんな当然の疑問を発することさえできなかった。
子ども向け教育番組から知識を吸収する子どものように、ただひたすらにテレビを凝視して。
ただ、見ていた。
見て――
――時刻が、ちょうど6時を回った。
ぶるぶるぶるとディパックのポケットが震え、携帯電話の着信音が唐突に鳴りだす。
「おわっ…………」
目を逸らせなかった赤也に、その着信音は不意打ちだった。
とっさのことに頭が真っ白になり、足元のディパックに手をのばそうとして椅子を大きく揺らす。
背もたれがかしぎ、バランスを崩す。ディパックをつかんだまま真後ろに転倒した。
ゴチンと頭を床にぶつけた。ジッパーの開いたディパックから携帯電話がとび出す。
何となく手をのばし、携帯電話をつかむ。その拍子に、二つ折りの画面が開いた。
ボタンを操作するまでもなく、通話口からは声が勝手に流れ始めた。
『――これより、第一回目の放送を始める』
床に背を預けたまま、虚ろな目をした赤也は、放送を聞いた。
◆
「手塚さんが……?」
ビデオ映像の光景からいったん引き離され、ぼうぜんとしたまま放送を聞いた赤也を、
まず驚かせたのは、知っている名前が呼ばれたことだった。
手塚国光。
誰だっけ。
そうだ、青学の部長だ。
真田副部長たちが意識している強い選手で、赤也自身もけっこう前から一目おいていて、
その手塚さんが、死んだ。
死んだ?
死んだ――ということは――さっきの――焼死体みたいに――なったって、ことで
――この、ビデオみたいに――酷いことをする『人間』と――会ったってことで――
――あんな 酷いことができるのは 『人間』の はずなんだから だから
『人間』は
ごちゃごちゃと、見たばかりの惨たらしい光景でごちゃごちゃとしていた頭が、整理されていく。
『衝撃』で埋め尽くされていた頭が、ひとつの閃きで、カチリと組み上がる。
そうだ、ここには、酷いことをする人間が、いっぱいいるんだ。
思い返してみれば、最初からそうだった。
前原圭一とセーターの少年は、助けてやったのに怯えて逃げた。
水使いの少年とダッフルコートの少年は、殺し合いに乗っていた。
水使いの男にいたっては、笑いながら赤也を殺そうとしてきた。
元から、『そういう本性』を隠していたんだと考えれば、すっきる繋がる。
それに、あの死体だ。
あんな死体が、簡単に転がっている場所なんだ。
きっと、この場所には、『こんな人間』しか――
――いや、俺の知ってる奴らは違う。こんな人間じゃない。
脳裏に真田や手塚ら、知っているテニスプレイヤーたちの顔が次々と浮かび、その疑いを打ち消した。
『人間』は悪いのかもしれないが、それでも知っている仲間たちは違う。
深い付き合いがあるのは同じ学校の真田だけだけれど、大会や合宿で何度も試合をしたり、試合を見たりした。
実際に試合を交えたり試合を見ることで、感覚的に伝わってくることはある。
あの人たちは、信頼できる奴らだ。
あの水使いやあの死体を焼いたヤツみたいな、『人殺し』はしない。
でも、手塚さんは殺された。
さっきのビデオにいたみたいな、あの死体を焼いたみたいな、残酷なことをする連中がいたんだ。
そいつらに、殺されたんだ。
なら、殺さないといけない。
ただサーブをしてボールをぶつけまくるような、そんな暴力じゃ甘いんだ。
しっかり、とどめをささないと。
あんな酷いやつらが好き勝手するのを、潰さなきゃいけない。
あんなことをする奴らが、赤也や仲間を殺していくのは、許せない。
殺して、とめる。
血まみれにして、赤く染めて、殺す。
――知り合い以外の『人間』は、殺す。
◆
この点、切原赤也と比較して、初春飾利が友人を信用していなかったわけでは断じてない。
ただ、切原赤也は初春飾利と比較して、それほど正義感が強くなかった。
自省的な性格をしていなかった。
悪行を働いたのが自分や身内でも咎めるという、公平さが薄かった。
何より、彼は映像を見る直前まで『悪魔化』による暴走状態にあった。
過去に切原赤也が『悪魔化』した時の症例を持ち出せば、その特徴は明らかだ。
切原赤也は『悪魔化』によって人を傷つけた後で、その傷害行為を後悔したり、申し訳なく思うそぶりを見せたケースが一度もない。
ダブルスを組んだ白石をラケットで殴った時に謝ったことはあったが、対戦相手を傷つけたことを謝罪したことはなかった。
立海大テニス部の中で、『悪魔化』があまり咎められず、暗黙に認可されてきたことにも一因はあっただろう。
この点で、切原赤也は己の振るう暴力の残酷さに無自覚であり、自分や身内に対して甘かった。
もちろん、対戦相手を棄権負けに追いこむのと人を殺すのとでは、罪の大きさが違う。
しかし、ここに至るまでに、御手洗清志から殺されかけた体験や、ホームセンターで焼死体を見つけてしまったこと、とどめとして放送で手塚国光の死亡が宣告されたことがあった。
それらは、『自分たちを殺そうとする敵がいて、自分や仲間はあくまで被害者の側なのだ』という意識を植え付けるのに充分であった。
悪魔には、『私も人間なんです。ごめんなさい』と、己を客観視する目がなかった。
それが彼にとって幸福なことか不幸なことかは分からない。
初春のような思考に至らなかったのも、性格の善良さではなく、性格の歪みと、暴走による冷静さの欠如に過ぎない。
しかし、それでも『仲間が人を殺したりするはずない』という信頼は本物だった。
ただの暴力的な男ではなく、仲間思いで先輩思いの一面を持った男であり。
『王者立海大』の誇りを持った、一人のテニスプレイヤーであった。
ただし、それが赤也の狂う歯止めとなったかというと、決して否。
むしろ、その逆だった。
初春飾利の場合。
ロベルト・ハイドンと出会った時点で初春が迷いを見せていたのは、殺害すべき『人間』の中に、友人が含まれていたからだ。
友人を本当に殺せるのかという躊躇を押し殺し、
友人は本当に殺すべき人間なのかという無意識の疑問を封殺していたからこそ、
微妙な精神バランスの上に立っていた。
(この点、御手洗清志には元から信頼できる友人がいなかったので迷う必要がなかった。)
切原赤也は、その点で全く迷っていなかった。初めから友人を、殺害対象とは除外しているのだから。
知っているテニスプレイヤー以外の人間は、悪だ。
でなければ、九人もの人間が放送で呼ばれるはずがない。
赤也の仲間は、人を殺すような連中じゃないのだから。
切原赤也は、『ワカメ』呼ばわりされた時にも怒るが、
仲間を侮辱された時、仲間を傷つけられた時、胸糞の悪いものを見た時にも怒る。
割と自らのことを棚上げにして、激しく怒る。
信用できるのは、元からの仲間だけだ。
だからそれ以外の人間は殺す。
そう、即決してしまった。
◆
入った時とはうってかわって、しっかりとした足取りで、赤也は店内に立ち戻った。
その右手には、ラケット。左手には、燐火円礫刀。
鼻につく焼死体の異臭が、変わらずに赤也を出迎えた。
『人間』の残酷な所業の痕跡が、変わらずにそこにあった。
鳥肌の立つような惨たらしい死体から、再び目をそらしかけ、
しかし赤也は、その『目をそらしかけた』という己の行為に、怒りを覚えた。
――死んだ『人間』にビビるようなヤツが、生きている『人間』を殺せるか。
その一念が、悪魔の怒りと憎悪を呼び起こす。
憎かった。
自らに嫌悪を覚えさせる、『人間』の全てが憎かった。
なるほど可哀想な光景だけれど、殺されているこいつだって『人間』の一人だ。
ならば、『人間』に同情をしているようで、この先の『人間』を殺し続けられるか。
殺せるわけがない。ならば、この同情は邪魔なものだ。
『人間』は、潰し殺す。
しっかりと死体を見据え、その傍まで歩み寄った。
気持ち悪さ、生理的嫌悪感、可哀想だという感情。
それらの全てを、赤黒い憎悪を呼び起こして塗り替える。
燐火円礫刀を両手で持ち、高々と振り上げた。
振り下ろす。
ザクリ、と。
巨岩をも両断する切れ味を誇る名剣ならば、死体を斬るぐらいは容易いこと。
包丁でキャベツを両断するように、楽に刃が通った。
鼻のあたりから切れ目がはいり、こんがり焼けた頭部が二つに割れる。
もっとだ。
何も感じなくなるぐらい、潰さなければ。
ふたたび、みたびと、刃を振りあげ、振り下ろす。
自らの恐怖を否定し、克服しようとするかのように。
ザク、ザク、ザク……
ひとたび斬りつけるごとに、だんだんと眼の色が変わっていく。
比喩ではない。
両の瞳が、炎のように赤く。
肌も赤く、鬼のような色を纏う。
髪が白く、夜叉のように色を失う。
悪魔はふたたび、その姿を現した。
ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク……
角切り、千切り、みじん切り。
斬って、砕いて、粉にして。
形を失っていく人間の頭部を見る目が、
おぞましさを堪える人間らしい顔から、ニヤついた悪魔の笑みへと変わる。
ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク……
簡単に死体が壊れていくにつれて、
自分がやっていることは死体損壊行為ではなく、
変わった形のオブジェを壊しているだけなんじゃないか、といった感覚に染まっていく。
簡単だった。
思っていたより、ずっと簡単なことだった。
砂山みたいになるまで頭を壊しつづけて、ようやく悪魔の儀式は終わった。
「ハハ、ハハハ……ヒャハハ」と、笑みがこぼれ出す。
簡単に、潰せた。
『人間』は、殺せるものなのだ。
乾いた笑みをしばらくこぼし続け、その死体を見下ろして、興奮の絶頂を迎えた悪魔は叫ぶ。
「『人間』はみんな……どろっどろに赤く染めてやるよぉ!!」
子どもじみた暴力から卒業し、本当の醜い所業を知った、
本物の悪魔が、その産声をあげた。
【E-6/ホームセンター前/一日目 朝】
【切原赤也@テニスの王子様】
[状態]:デビル化 、『黒の章』を見たため精神的に不安定、ただし殺人に対する躊躇はなし
[装備]:越前リョーマのラケット@テニスの王子様、燐火円礫刀@幽☆遊☆白書
[道具]:基本支給品一式、バールのようなもの、弓矢@バトル・ロワイアル、矢×数本
基本行動方針:知り合い以外の人間を殺す
1:知り合い以外はもう信用しない。殺す。
2:ダッフルコートの奴は見つけしだい潰す。
最終更新:2021年09月09日 19:26