手ぬぐいを鉄に変える程度の能力/雷のように動く程度の能力 ◆j1I31zelYA


山中をジグザグに逃げて、人里が見えた頃には、普段の冷静さも戻りつつあった。

(……さて、ここまで距離を離したら、もう充分やろ)

山小屋での拡声器を発端とした乱戦からいち早く逃走した男、佐野清一郎。
獣道を駈け下り、着流しに木の葉をいくつもくっつけて、山の麓のひらけた土地へとたどり着いた。
申し訳程度にぽつぽつと点在する住宅は農家なのだろう、暗闇ではよく分からないが、何かの野菜が育てられている畑が、民家を埋めるように広がっている。
その中から手ごろな一件に侵入し、一時の休憩。
二階へと上がり、窓を開けて室内に夜風を入れる。
ベランダ近くの畳にあぐらをかいて座ると、監視の意味も込めて柵の向こうの田舎道を見下ろす。

(ほな、『反省会』でも始めるとするか)

何せ、先刻の戦闘では予想外のことが起こり過ぎた。

能力を持たない一般人であるはずの桐山和雄に圧倒されたかと思えば、
乱入してきた2人組の内の一人は、佐野にたいして仲間であるかのような口をきいてきた。

――オレらで……絶対にコバセンか犬丸を神様にするって約束しただろ!?

あの時は、戦闘現場からの進退を決めかねていたこともあって聞き流していたが、
思い返せば妙に具体的なことを言われていた気がする。

(……まっ、この件については手がかりが少なすぎるし、今考えてもしゃーないやろ。
それより厄介なんは、アイツがオレの能力と限定条件を知ってたことや)

佐野清一郎は優れた戦術家だったが、同時に大ざっぱな性格でもあった。
よく言えば、柔軟。悪く言えば、出たとこ勝負。
今回の場合は、それが『あまり深く考えない』という方向に作用してしまった。

何より、殺し合いには乗っていないらしいサル顔の男が、弱点である『限定条件』を知っていたことの方が、佐野にとっては重大事だった。
どうやってそれを知ったのかは分からない。
だが、あの男がどうやら殺し合い反対派らしい以上は、他の参加者にその『能力』の情報をベラベラと喋る危険がでてくる。

(そうなると、この先、ちと厳しいかもしれんな……)

佐野清一郎の目的は、単なる殺戮ではない。
最後の一人になるまで、生き残ることだ。
それも、最強の能力者と謳われる、ロベルト・ハイドンを押しのけての生還である。
ロベルト・ハイドンは、一応は佐野の所属するロベルト十団のボスであり、親友犬丸の命を握っている能力者であり、佐野にとっても逆らい難い相手である。
しかし、佐野が身を挺してロベルトを生還させたところで、彼が犬丸の命を助けてくれるかは怪しい。
やはり、親友を確実に救い出す為には『神の力』が必要であり、佐野本人が最後の一人になるしかないのだ。
そんな強敵をも打ち倒し、その上で佐野自身は生き残らなければならない。
その為に必要なのは、何よりも情報だ。
十団を率いているロベルトにしても、その詳しい能力を佐野は知らない。
『最強の能力者』という肩書だけが、一人歩きしている現状なのだ。

(何より、桐山みたいに得体のしれん強い奴がごろごろおるとしたら……ますます、『情報』が必要になってくるな)

この殺し合いの場では、佐野の知る常識は通用しない。
そのことを、桐山和雄との戦いは実感させてくれた。
未来日記という反則的なアイテムが、然り。
また、一般人であるにも関わらず、佐野に恐怖を与えた桐山という男そのものも、また然り。

参加者やアイテムの情報はできるだけ多く欲しいし、逆に自分の情報を極力晒してはならない。
『能力』自体の強さより、能力を生かす『戦術』を重要視する佐野にとって、情報のアドバンテージは軽視できる問題ではなかった。

(そうなると、あのサル顔の一味はなるべく早い内に口封じせなあかんな……。
他の連中は、赤座あかりの時みたいに、味方面して近づいて、情報を引き出せるだけ引き出してから殺すやり方が得策か。
それから、弱い奴や1人でいる奴を手堅く殺して、支給品を充実させるんも有効な戦略やろな。
……畜生。我ながら、反吐が出そうになる戦い方や)

佐野清一郎は、戦術戦略を駆使した戦いが好きだ。
しかし、それは戦いを創意工夫して楽しむ為のもの。
卑怯なやり方や弱者を優先して倒す戦い方など、本来は最も毛嫌いする男だった。

だからこそ、彼は感情を殺す。

(何にせよ……早く他の参加者と接触する必要はあるな。
そうなると、“アレ”を出しといた方がいいやろな)

こうして、反省会終了。

灯りもつけない闇の中で、佐野はディパックの中を手さぐりした。
取り出したのは、佐野に支給された最後の道具。
少々不格好な形をした、双眼鏡だった。
双眼鏡の名を、赤外線暗視スコープという。

(陽が昇るまでは、頼りになりそうやな……)

使い方に慣れておきたいこともあり、レンズ越しにベランダの外の景色を覗きこむ。
緑色がかった視界が、佐野の前に開ける。

『殺人日記』には、標的と出会う居場所を予知する機能こそあるものの、索敵に特化しているというわけではない。
赤座あかりの一件では『山小屋』という居場所がはっきりしていた為に出番がなかったが、暗闇の中、近づいて来る相手を察知する上では役に立ちそうだ。

(……って、考えたそばから、道を歩いて来る奴がおるやんけ)

西の方角から佐野のいる民家に向かって、道の真ん中を堂々と歩いて来る人影があった。
帽子をかぶっている為に顔は見えないが、背の高い男だ。
右手に木刀を握りしめている他は、武器らしい武器も持っているようには見えない。

携帯の灯りが外から見つからないよう気を付けて、殺人日記の画面を開いた。
黒帽子の男を発見したことで、殺人日記に予知が現れる。

[02:24]
民家を出て、黒い帽子の男を待ちかまえる。
民家に入ろうとやって来た黒帽子に、殺し合いに乗っていない振りをして穏便に接触する。

[02:43]
黒帽子の男と共に、道路沿いに南方へ移動中。
引き出せるだけの情報を引き出し終える。
背中を見せたところを、鉄棒で後頭部を殴りつける。
男の足を踏んで逃走を防ぎつつ、左胸を鉄槍で刺して殺害。

どうやら、赤座あかりの時とほぼ同じやり口で殺害できるようだ。
また、ごく普通のやり口で殺害できることから、植木耕助のように異様なタフさを持っているわけでもないらしい。
しかも、予知の内容から察するに、油断させることも容易そうだ。
ここは、確実に1人削っておきたいところ。

日記の通りに殺人計画を実行すべく、佐野は部屋を出ようとした。
しかし、気づく。

(いや、待てよ……この家に来るんなら、玄関口やのうて、家の中で待ちかまえた方が確実やな……)

桐山との交戦で、佐野は殺人日記の弱点にも気が付いていた。
日記が予知するのは、標的を殺す『方法』だけ。
つまり、攻撃力にのみ特化していて、所有者の身を守る為の防御手段は皆無。
それすなわち、不測の事態や予期せぬ第三者からの攻撃に弱い。
桐山和雄との戦いで、サル顔の少年たちの乱入を許してしまった反省もある。
ここは、人目にとまりにくい室内での殺害へと、計画を変更すべきだろう。

佐野は、畳に座して『標的』を待つ。
小さな声で、「殺さなあかん、殺さなあかん」と、暗示をかけるように呟きながら。


 ◆◇◆◇◆


みしり、みしりと、床が踏まれてきしむ音が、玄関口から居間へと消えて行った。

聴覚を研ぎ澄ませてその音を聞き取り、佐野もまた階段を降りる。
予知によれば、相手を騙すのは簡単そうだが、しかし声をかけるタイミングは重要だ。
なるべくこちらが会話のペースを握り、上手く情報を引き出さなくては。

足音を忍ばせて階段を降りた時、みしみしというフローリングの軋みは、居間から台所へと移動しつつあった。
足音は不規則に、立ち止まっては回りを探りつつ、また移動しているかのようにゆっくりと動く。
先客がいないか警戒している、というわけではないらしい。
あたかも、『何か』をする為に適当な場所が欲しいけれど、その場所が見つからなくて困っている、という風だ。
男の意図を計りかねながらも、佐野は静かに後を追って居間に入る。
嗅覚を、生臭いものが刺激した。

(なんや……やけに獣臭いな……犬でもおるんか?)

野犬か何かの獣と、長時間触れていたような、そんな生々しい残り香があった。

居間から半ば身を隠しつつ食卓を覗くと、男の影はさらにその奥、台所の方で動いていた。
男の持つ携帯電話が、流し台の付近をぼんやりと照らしている。
男が立ち止まったのは、台所から続く裏口の前、生ゴミを置くらしいわずかなスペースだった。
男はいつの間にか、木刀を持つ方と逆の手に、『何か』を持っていた。
生ゴミで膨らんだビニール袋の上に、ぼとりとそれを放り捨てる。
無造作に、乱暴に。
続いて背負っていたディパックを降ろした。
ジッパーを空けて、何やら大きいものをカバンから取り出している。
それも、捨てるつもりで侵入したのだろうか。

ともかく男に声をかける為、佐野は携帯電話を開いて灯りをつけた。

「おい、そこのあん――」

声をかけながら男の方を灯りで照らし、
そして佐野は絶句した。
携帯電話のライトが、男が今まさに捨てようとしていたものを照らし出す。


『噛み殺された死体』だった。


「な……!?」

まず、先に捨てられていたのは人間の腕。
そして、ディパックから出て来たの大きいものは、獣の残り香を強烈に漂わせた、人肉の塊。
おそらく、生きていた時は佐野と同年代の少女。
茶色い髪に、色黒の肌。半ばむき出しになった、ふくよかな胸部。
胴が、足が、来ていた服が、赤黒い歯型で汚され、食いちぎられたとしか思えない切断面を晒している。

「まさか、先客がいるとはな……」

帽子の男が、驚きと警戒の入り混じった声を出す。

佐野には、返す言葉が浮かばない。
命がけの戦いをした経験はあっても、『死体』そのものを見たことはなかった。
ましてや、こんな正気を疑うような方法で殺された惨殺死体を、標的の男が持ち運んでいたなど、完全に予想外のことだった。
ましてや、その死体を『ゴミとして捨てる』ような神経の持ち主だったとは、想像だにしていなかった。

その凄惨さと臭気に当てられ、無意識のうちに居間の壁際まで後退する。
臭気から離れたところで、男に対して抱く感情は嫌悪と義憤。
男が何のつもりで、死体を隠匿しようとしていたのかは分からない。
単に『死体を運んでいた』だけならば、仲間を殺されて埋葬する場所を探していたとか、他の理由づけをすることもできた。

しかし、よりにもよって『生ゴミを置く場所』に遺体を捨てる人間が、真っ当な目的を持っているはずがない。

「いや、お前の思っていることはおそらく誤解だぞ。この死体は――」

黒帽子が焦ったように弁論を試みるが、それを聞くつもりなど佐野にはなかった。
この時、佐野の大ざっぱな性格は、『早合点』という形で、男を『殺人者』と決めつけた。

なるほど、確かに男の行為は、人道を外れた下劣なものだ。
しかし、そういう奴だった方がありがたい。
佐野にとっては、ありがたい。
何故なら、佐野もまた、その男を殺そうとしていたのだから。

「おっと、弁解する必要はないで。オレもあんたと同じやからな」

わざと冷酷に言い捨てると、懐手で二枚の手ぬぐいを確認する。
佐野の言葉を聞き、男が不信そうに柳眉を上げる。
抜き身の刃のような、鋭い視線が佐野を捕らえた。

(神候補に選ばれた能力者とは違うよな、どう見ても中学生やないし。
いや待てよ……中学生には見えん容姿と見せかけて、実は中学生やっちゅうことも)

ロベルト十団には、中学生らしかぬ外見をした中学生も多数いた。(料理を馬鹿にされると切れる料理長とか、ロケットパンチを使う筋肉自慢とか)
だから、眼の前の男もそうではないとは断言できない。

「同じ、とはどういうことだ」

見た目に違わず低く渋い声で、男は静かに問う。

「オレもあんたと同じ、『神の力』に目がくらんで殺し合いに乗った外道っちゅうことや」
「お前は、殺し合いに乗っているのか?」
「ああ、そう言うとるやろ」
「そうか……それを明かしたということは、俺を殺す為に近づいたということか?」
「『その通りや』……って言うたらどうする?」
「お前はひとつ勘違いをしているようだが、それはこの際どちらでも構わない。
俺とてやすやすと殺されるつもりはないし、挑まれた勝負は真っ向から受けて立つ主義でもある」

男の眼付きが、射殺そうとするように鋭くなった。
ディパックの横に置いていた木刀を拾い上げ、悠然と対峙する。
殺害宣言を受けたというのに、恐ろしいほどに落ちつきはらっていた。

佐野は、口の端を釣りあげて笑った。
いっそ清々しい気持ちになっている己に驚いた。
おそらく、男の所業を見たが故のことだ。

予想外に残酷なものを見せられた動転を通り過ぎれば、佐野に訪れたのは安堵だった。
自分以外の参加者を殺す。それはどんな弁解も許されない、悪人のすることだ。
しかし、何の罪もない人間と、人を惨殺して死体まで汚すような外道。
どちらが禍根なく殺せるかと言えば、後者に決まっている。

だからこそ、惨殺死体を見て、それを文字通りゴミのように捨てた男を見て、安堵してしまう。
そんな浅ましさに自嘲しながらも、佐野は携帯を操作して日記を写した。
殺し合いに乗っていると自ら明かしたことで、予知にも大幅な変更が起こっているはずだ。
明かしてしまったのは、死体の隠匿現場を見てしまった以上、男の警戒を解くことが不可能になったから。
ただ、『善人の皮を被る必要がなくなった』ことに、ほっとしてしまう己もまた存在した。

(さて、この状況からこいつを殺す方法は、と……)

携帯を持つ手と逆の手を懐手に入れ、手ぬぐいをいつでも取り出せるように準備する。
しかし、



――ザザッ……………ザザッ…………ザザッ…………ザザッ



『殺人日記』には、砂嵐が写るばかりだった。

「どうした? 仕掛けてこないのか?」

いっこうに、新たな予知が現れなかった。

(おい、なんでや……さっきまではちゃんと予知が来たのに!)

焦りながらも、携帯を懐にしまいなおす。
予知が使えない以上、弱点である携帯を晒し続けるのは危険すぎた。
あまりに唐突な故障。
佐野本人に、思い当る原因は一切ない。
原因があるとすれば、この場合――

「お前、もしかして今、何かの能力を使ってるんか? 俺の『切り札』が封じられとるんやけど……」

迂闊に手の内は明かせないので、『予知が使えなくなった』とは言えないが。

「ほう、初見にも関わらず『この状態』を見抜いたのか。どうやらお前も、それなりに鍛錬を積んでいるらしいな」

そう言う男の様子には、これといった外見的変化は見られなかった。
ただ、強いて言えば、獲物を狩るような眼をしたその男が、なにやら黒い『陰(かげ)』のようなものを背負っているように見えた。
それが暗い室内にいた為の錯覚であるのかは、佐野には判別できない。

何拍かの間をおいて、男は重々しく口を開いた。





「知りがたきこと、陰の如し」





「は?」

「『切り札』を封じられたという言葉から察するに、お前も『才気煥発の極み』のような『絶対予告』を持っていたのだろう。
しかし、俺の『陰』の前では全くの無意味だ」



わけが分からなかった。



(未来予知を無効化する能力? んなアホな……)

神候補の能力者が持つ『何かを何かに変える能力』でもなければ、
未来日記のように、主催者と契約して手に入れる能力でもないらしい。
原理も由来も、解説の内容までもまったく不可解。
にも関わらず、男はその能力(?)に、絶対の自信を持っているらしかった。

(いや。落ちつけ、オレ)

謎の能力者(?)は、剣道の居合抜きのような構えで佐野を待ちかまえている。
そうだ、今は焦っていい時ではない。
自分はこれまでも、二十人近くの能力者を相手取り、連戦連勝を重ねて来たではないか。
相手の能力が分からずに対峙したことも、一度や二度ではなかった。
今さら『未来予知無効化能力』を眼にしたからといって、うろたえる必要などない。

(それに、オレの能力を知らんのは相手も同じや)

男は、一部の隙もない居合の構えを取ったまま、動かない。
木刀であるにも関わらず、迂闊に踏み込めば切られる、という気迫が放出されていた。
剣道に関しては素人である佐野の眼にも、相当の実力者なのだと見えた。
どうやってあの『歯型』を造ったのかは分からないが、この剣術以外にもに攻撃手段はあると考えた方がいい。
しかし、今のところは佐野が攻勢に出るのを見届けてから、反撃に転じる構えらしい。

(けど、この場でそれは失策やな…)

佐野は元より、速効で勝負を決めるつもりだった。
『殺し』という行為をさっさと終わらせてしまいたかったこともあるし、
何より、佐野の『手ぬぐいを鉄に変える』という能力は、不意打ちや引っかけに優れていたからだ。

まず、鉄に変えたブーメラン状の手ぬぐいを緩く投擲する。
ブーメランは広いリビングルームを湾曲しながら飛び、男の元へと向かっていく。
剣術の心得があるらしい奴のことだ。おそらく、太刀筋にブーメランを飛ばされれば、そのまま刀身で撃ち落とそうとするだろう。
しかし、それこそが狙い。
木刀とブーメランが触れた瞬間、『能力』を解除。
それで、ブーメランは手ぬぐいに戻る。手ぬぐいは木刀の刀身に巻きつく。
そこで、再び『鉄に変える能力』を発動。
鋼鉄でコーティングされた木刀は、倍以上の重力を敵の腕に伝える。
戸惑わない初見の人間はいない。
どうしたって、少しの間、動きは止まってしまう。
そこを、もう一枚の手ぬぐい――鉄の槍に変化させて――を抜き放ち、すかさず刺し殺す。

それで、勝負は決まる。決めてみせる。
能力者を何人も沈めてきた、王道の戦法だ。
男が己の力量に自信を持つように、佐野もまた、己の戦術を信頼していた。

「ほな、いくで!!」

手ぬぐいを鉄に変えるのは懐の中。
『布に変わる』と予測できないようにする為。
ブーメランに意識を向けさせるよう、わざと大声を張り上げる。
取り出し、投げるまでのタイムラグはゼロコンマ1秒。
ギュン、と唸りを上げて、鋼鉄のブーメランが刀身に迫る。
布に戻すタイミングは、経験がしっかりと覚えている。
敵は構えを解かず、動かない。

(今や! 手ぬぐいに――)


――そこに敵は、いなかった。


「な!? どこに――」

佐野の眼に、その動きは止まらなかった。
何の予備動作も、音もなく。
さながら、光の疾さ。



「動くこと、雷霆の如し――」



なまじ、『居合の構え』をしていた為に、『動かないだろう』という先入観を打ち破り、
あたかも、別の場所に、『どこにでも』現れることができるかのように、


「微温(ぬる)い!!」


落雷のような叱責が、後頭部に落ちて来た。


――ドゴ!!


決着は、あまりにもあっけなく。
振り下ろされた木刀の一閃が、佐野の意識を刈り取った。


 ◆◇◆◇◆


「ふん、真正面から挑んで来るからには、よほど骨のある奴かと思ったが……他愛ない」

いとも容易く撃退された男の襟首をつかんで、真田は民家の外へと引きずって行った。

立海大付属中学校、テニス部副部長、真田弦一郎。
全国でも指折りの中学生テニスプレイヤーだが、何もテニスのみを特技としているわけではない。
剣道の師範をしている祖父の影響で幼い頃から修練を積んでいるし、そこで身に付けた居合の動きを、自らのテニスに取り入れたりもしている。
試合を前日に控えた夜などは、真剣を手にして巻き藁切りに励んでいることもある。
よって、真田にとって支給武器のひとつが木刀だったのは、僥倖と言えた。

だがしかし、別の支給品は困りものだった。
それは、本物の死体と見まがうほど精巧につくられた、バラバラ死体の人形だったのだ。
しかも、ところどころに付いた歯型は犬のそれであるらしく、獣の生臭い臭いが染み付いている。
こんなものを持ち歩いていても――それがディパックに入ること自体が驚きだったが――どんな誤解の種になるか、知れたものではない。

人目につかない場所に捨ててしまおうと、手ごろな民家に侵入した。
生ゴミを置くスペースがあったので、そこに放置しようとした。
まさに死体を放り出したところを、同年代の――見た目はともかく真田にとっては同年代の――男に見とがめられた。
案の定誤解をされたようだったが、男は殺し合いに乗ってると申告した。

真田はもうとう、殺し合いに乗るつもりなど無かった。
ましてや『神の力』とやら欲しさに、人を殺そうとする輩など、とうてい容認できなかった。
しかし、不意打ちをかけずにわざわざ『殺し合いに乗っている』と申告してきた男の心意気には、見上げたものがあると感じた。
『真っ向勝負』が真田の信条である。
殺し合いなど御免だが、挑まれた勝負は買わねばなるまい。

相手は、懐に手を入れ、切り札となる武器を隠し持っている様子だった。
その武器の種類が分からない以上、焦って踏み込まず、慎重に出方を伺わねばならなかった。
よって真田は、初手から奥義である『風林火陰山雷』の内の『陰』を発動させた。
相手の手の内が見えない以上、こちらも手の内を隠そうという考えだった。
そこは、仮にも『試合』ではなく『殺し合い』。
生きて脱出する為にも、動きは慎重に、命は極力惜しまねばならない。

どうやら相手も、何らかの『絶対予告』に類する技能を持っていたらしいが、『陰』の能力によりそれは不発となった。


この点、真田自身も意図していなかったことだが、『陰』の奥義は『無数の行動パターンを並行して頭の中に用意しておくことで、先読み能力を妨害する』という技でもあった。
よって、所有者や予知対象の『主観』が大きく左右する未来日記の『殺人計画』が狂った――という結果オーライが生まれていたのである。


その後に相手が仕掛けて来たブーメランも、『雷』を発動させることにより、容易く見切ることができた。
『どこにでも現れることができる』という雷の特性上、室内でも相手の背後を取ることは難しいことではなく――今に至る。

べつだん、襲って来た相手をどうしてやろうというつもりはなかった。
しかし、放置して、他の参加者を襲われるというのも寝ざめが悪い。

かといって、真田自身も『仲間と合流する』という急務を抱えている為、殺し合いに乗った人間を背負って移動するという火種は、抱え込みたくなかった。
真田の後輩である切原赤也は、好戦的で危なっかしい性質を持っている。
もちろん、こんなふざけた催しに乗っかるほど腐った人間ではないが、こと挑発を受けることや、好戦的な態度を取られることには弱い。
そんな切原赤也を、自分から『殺し合いに乗っている』と宣言するような男と対面させればどうなるか――あまり良い方向には運びそうにない。

よって、放置するのも却下ならば、連れて行くのも却下。

悩んだところで、そう言えば庭先を通りがかった時に物置が見えたなと思い至った。
引きずってきた男を、その物置に放り込む。適当なつっかい棒を探して来て、閉じ込めた。
念の為に、『殺し合いに乗った男がいるので開けるべからず』という張り紙も張っておいた。

男が背負っていたディパックの中身は、既に検めている。
用途不明の『とにかく大きいもの』は、扱いかねるのでそのまま放置。
どこかで見たような暗視スコープは、一応貰い受けておいた。
携帯電話は取り上げるべきか迷ったが、そのままにしておく。
携帯電話がなければ、この男は放送を聞くこともできない。それはさすがに酷だろう。

なすべきことを手際よく終えると、真田は少しの疲労感と共に、その屋敷を立ち去った。

あのように好戦的な人物が一定以上いるならば、後輩もどこかで暴走していないだろうかと、気にかかりつつ。


  ◆◇◆◇◆


真田が犯した小さなミスは、ふたつ。
ひとつは、『殺人日記』の効力に気づかなかったこと。
とはいえ、これは無理からぬことである。
殺人日記は、あくまで殺人計画のみを予知する日記であり、佐野が殺人に失敗した現在、日記から予知の文面は消えてしまっていたからだ。

いまひとつは、佐野清一郎から、懐の手ぬぐいを取り上げなかったこと。
これも、その眼で手ぬぐいが鉄に変わるところを見ていなかったのだから、仕方ない。

「ふぃー……やっと出られたわ。しかし、何でオレは殺されんかったんやろな……」

しかしそれが為に、目覚めた佐野清一郎が、簡単に物置の扉を打ち破ってしまった。

しかし、運よく脱出を果たしたばかりにしては、その表情は暗い。
『殺し合いに乗った男から、見逃してもらう』という失態を演じたばかりだったのだから。

(オレを生かして、他の参加者を潰させた方が効率がええって判断やろか?
それなら、オレを閉じ込めたんはおかしいよな……)

頭を悩ませながらも、庭先の窓を開けて、落ちていたもう一枚の手ぬぐいを回収する。
女の子の死体は、可哀想だが埋葬している暇はない。

(いや……それより問題なんは、オレがアイツに手も足も出んかったっちゅうことや)

しかし、それらの疑問も、『完敗した』というより深刻な問題には及ばない。

便利な道具だと思っていた『殺人日記』の予知を、いとも簡単に覆された。
ほとんど知覚する間もなく、背後を取られて気絶させられていた。
眼にもとまらぬ速さで動かれたというだけではない。
木刀の一撃も、人間の腕力が生みだしたとは思えないほど強力なものだった。
生半可な攻撃では気絶しないよう、打たれ強くなっている佐野が沈まされたのだから、間違いない。
あの時、帽子の男が何かの気まぐれで見逃してくれなければ、佐野は死んでいた。


親友の為に最後の一人になると誓ったそばから、このザマか。


ギリギリと、歯ぐきが壊れそうなほど歯を食いしばる。

確かに、取り返しの効くミスも幾つかあった。
当初の『殺人計画』を無視して、標的を民家に入れてしまったことはミスだったし、
死体を前にして早々に『殺し合いに乗っていない振りをして近づく計画』を撤回したことも軽微なミスだ。

しかし、そういう小さなミスでも、ここでは命取りになってしまう。
策略をめぐらせたところで、相手がそれを上回る『予想外の要素』を持ち出して来たら、意味がない。
それが何よりも、佐野のプライドを打ち砕き、焦燥を生んでいた。

(オレは知恵と工夫さえあればどんな強い能力を持った敵でも倒せると思ってた。
……けど、こっから先も、それでやっていけるんか?)

勝つために必要なのは、能力の強さではなく面白い戦術だというのが、佐野の持論だった。

しかし、『未来日記』という未知のアイテムに触れて、
桐山和雄という、一般人にも関わらず脅威と成りえる人材に出会って、
黒帽子の男には、『未来予知破り』という未知の能力を使われて、
そのような『イレギュラー』がこの殺し合いにはいくらでも転がっているかもしれなくて、

佐野清一郎の価値観は、揺れていた。


 ◆◇◆◇◆


ところで、佐野自身も知らない、ひとつの事実がある。

それは、神候補から与えられた能力が、条件次第で『成長』するということ。
佐野清一郎の能力にも、『レベル2』という成長の余地があること。


その条件は二つ。

ひとつは、神候補から与えられた能力を、十二分に使いこなせるようになること。
しかし、佐野は既にこの条件を満たしていた。
“戦い方”の天才である彼は、己の能力を熟達させることに、何よりも長けていたのだった。

佐野清一郎が『レベル2』に至るまでに、必要な条件。
それは、たったひとつだけ。

彼自身が知らないだけで、そのたったひとつは、過酷なバトルロワイアルの中で芽生えつつあった。


(強くなりたい……訳の分からん強さを持った奴らをみんな蹴散らして、皆殺しをさっさと済ませられるだけの力が、ワイにもあったら……)


【C-5/農家周辺/一日目・黎明】

【真田弦一郎@テニスの王子様】
[状態]:健康
[装備]:木刀@GTO
[道具]:基本支給品一式、不明支給品0~1、赤外線暗視スコープ@テニスの王子様
基本行動方針:殺し合いには乗らない。ただし向かって来る相手は真っ向から叩きのめす。
1: さて、どこに向かうか。
2:知り合いと合流する。特に赤也に関しては不安。

[備考]
『陰』の能力が、他の未来日記も打ち破れるかどうかは不明です。
(殺人日記の場合は、『殺人計画』が真田本人の行動パターンによって変化し得るものだった為に、簡単に打ち破ることができたようです)

【佐野清一郎@うえきの法則】
[状態]:胸部に打撲、後頭部にこぶ
[装備]:殺人日記@未来日記、手ぬぐい×2@うえきの法則
[道具]:基本支給品一式、ロンギヌスの槍(仮)@ヱヴァンゲリヲン新劇場版
基本行動方針:神にも等しい力を手に入れ犬丸を救う
1: 優勝を目指す
2:1を達成する為に、強くなりたい
3:弱者や1人で行動している相手を狙い、支給品を充実させる
4:情報を引き出せる相手からは、情報を引き出す

[備考]
殺人日記の日記所有者となったため、佐野の携帯電話が殺人日記になりました。
殺人日記を破壊されると死亡します。
『強くなりたい』という願望が芽生えつつあります。
日野日向の偽造死体@未来日記が、C-5のある民家の裏口に投棄されています。
佐野は偽造死体を本物の死体(殺したのは真田)だと思っています。


【木刀@GTO】
真田弦一郎に支給。
鬼塚英吉が、神崎麗美を課外授業に連れだす際に持ち出していた木刀。

【日野日向の偽造死体@未来日記】
真田弦一郎に支給。
日野日向が秋瀬或の未来日記を手に入れようと動いていた時に、己の死を偽造する為に用意した死体。
一般中学生であるはずの日向が用意したとは思えないほど精巧な造りをしており、
薄暗い場所で見ればほとんど人間の死体と区別がつかない。

【赤外線暗視スコープ@テニスの王子様】
佐野清一郎に支給。
出典元がおかしい気がするのは気のせいである。
越前リョーマらが、三船コーチの『特別任務』の為に、夜間の合宿所に潜入した時に携行していた暗視スコープ。
赤外線レーザーを感知する機能付き。



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最終更新:2021年09月09日 18:58