第000話 オープニング ◆SzP3LHozsw
ワックスのかけられた床、高い天井、バスケットボードのシルエット、染み付いた汗の匂い――。
たった今深い眠りから目覚めたばかりの
三井寿は、ぼんやりとした暗がりの中とはいえ、さすがにここが体育館なのだということにすぐ気付いていた。
何故こんな真っ暗な体育館にいるのかわからず、練習後に疲れて寝入ってしまったのかという疑問も生まれたが、どうもはっきりしたことは覚えていなかった。
「なんだよ、誰か起こしてくれたってよさそうなもんだが……」
ぼやきながら、三井はゆっくりと身を起こす。
硬い床で寝ていた所為か、身体の節々が軽く軋み、あまり気持ちの良い目覚めとは言えなかった。
三井は欠伸をしながら何気なく周囲を見回す。そこで三井は信じられないものを目撃する。
薄闇の中で三井が目にしたものは、この体育館の中で眠る人間だった。それも一人や二人ではなく、何十人という人達――。
男女を問わず、とにかく何十人という人間がこのさして広くもない体育館を埋めていた。
「なんだよ……こりゃ……?」
それは三井がからかわれているのではないかと疑ってしまうほど、奇妙で不気味な光景だった。
三井は座り込んだまま、しばらく自分の置かれている状況が理解できずに考え込んでしまう。暗さで判然としないまでも、周りで眠る人間に三井は覚えが無かった。
よくよく見回してみれば、ここは三井の通う神奈川県立湘北高校の体育館ではない。それが益々三井を混乱させた。
「あの……もしかして、三井さん……?」
自分を呼ぶか細い声に、三井は驚いて後ろを振り向く。
「晴子ちゃん……か?」
「はい、そうです」
ちょうど肩くらいに髪を切り揃えた少女が、静かに頷くのが見えた。
頷いた少女――
赤木晴子は、兄に似ず整った美しい顔立ちをしており、それは薄闇の中でも十分に知ることが出来た。
「なぁ晴子ちゃん、これ、どういうことだかわかる?」
「……わかりりません。私もさっき目が覚めて……そしたらここに……」
三井の問いに、晴子は申し訳なさそうに小さく首を振った。
「俺と一緒ってわけか……。……じゃあ赤木や他の奴らは?」
赤木や他の奴らとは、三井と同じバスケ部の連中を指してる。自分と晴子がいるのなら、他の連中がいてもおかしくないと思ったのだ。
「ゴメンなさい、それもちょっと……」
「そうか……。――それにしても一体何なんだろうな、これは…」
もう一度、三井は辺りを見回した。晴子もそれに倣う。
いつの間にか二人の他にも起き出した人がいるようで、囁き合う声や人が動く気配がしていた。
様子から察するに、どうやら他の誰もこの状況を理解してはいないらしい。
それを敏感に感じ取ったからか、二人の胸中になんとなく予感めいた不安が浮かび、次第にそれが二人を包み込んでいった。
「……出よう。なんだかここにいちゃいけない気がする」
「……そうですね。私も…なんか嫌な感じがします…」
二人の意見が一致し、三井が晴子の腕を取って立ち上がろうとしたその時、まるで計ったように頭上のライトが点き、眩しいばかりの白い光が幾筋も降り注いだ。
と同時に、幾つかある出入り口が一斉に開き、そこから武装した兵士らしき格好をした屈強そうな男達がぞろぞろと入って来た。
唖然とする三井らを余所に、兵士達はまだ眠っている者を見つけると、まるで道端の小石でも蹴るように無造作に蹴りを入れて起こしていく。
それほど強烈な蹴りではなさそうなものの、蹴られた者は衝撃に驚いたり、痛みに跳ね起きたりして一人残らず目を覚ました。
無論、兵士達の漂わす異様な雰囲気に気圧され、抵抗する者などはほとんどいなかった。
全員が目を覚ましたことを確認すると、兵士達は『参加者』達を取り囲むように、それぞれ壁際へと散っていき、それから微動だにすることなく沈黙を守った。
「おいおい、何の冗談だよこれは……」
三井はその兵士達の機械のように整然とした動きを見つめ、ひどく薄気味悪さを感じていた。
「三井さん、あれ…」
晴子は震える指先で前方の入り口を差した。
「ほっほっ。やあ」
肥満し過ぎた丸みをおびた巨体を揺らし、入り口から現れたのはカーネル・サンダースに似た好々爺だった。
三井はおろか晴子にとって、その人の登場はまさに青天の霹靂と言えた。
「安西先生!」
それは湘北高校バスケ部の監督を務める安西光義だった。
安西は、見る者に好感を抱かせる緩やかな足取りでのそのそと歩いて来る。
そのすぐ後ろから、これまた巨体の持ち主の髭面をした中年と、まだ若そうな男が続いて入ってきた。
「あぁ!マサさんぢゃねーか!!」
「川藤!?」
今度は別のところからいくつかの驚きの声が上がる。その中から、リーゼントをした少年が立ち上がった。
「おいマサさん、一体何の騒ぎだよこりゃ?」
その場にいた誰もが思い、誰もが感じていた疑問を、リーゼントの少年は臆することなく訊いた。
「前田、大人しく座ってろ。そのことについてはこれから説明がある」
マサさんと呼ばれた中年は、その少年に向かって手をかざし、座るように促した。
リーゼントの少年――
前田太尊は、納得いっていない表情を作りながらも、言われたとおり渋々といった感じで腰を沈めた。
「コホン。近藤君、よろしいですか?」
「あ、申し訳ありません安西先生。さあ、どうぞ」
そう言って、近藤は安西に発言の場を譲る。
安西は呆然とする『参加者』達の顔を一人一人見回してから、静かに口を開いた。
「えー、君達には殺し合いをしてもらいます」
『参加者』達の中で、誰一人として安西の言葉を理解出来た者はいなかった筈である。
みな冗談でも言われたくらいに思ったらしく、キョトンとした顔をして、安西を珍しいものでも見るような目つきで眺めていた。
「ぶわっはっは!殺し合いだと?オヤジ、まさかボケたのではあるまいな?」
突然、赤いボウズ頭の背の高い少年が進み出て、安西の前に立った。
と思うや否や、安西の頬を引っ張ったり、顎をタプタプしたりと、赤ボウズはやりたい放題始めてしまう。
「やっぱり桜木もいたのか……」
その赤いボウズ頭を、三井はよく知っていた。三井の後輩であり、湘北バスケ部一の問題児・
桜木花道である。
普段なら、恩師である安西に対しての桜木の振る舞いを注意しているところだが、状況が状況だ。
三井はいつでも飛び出せるように間を測りながらも、ここは静かに桜木と安西の動向を見守ることにした。
「桜木君、座りなさい」
弄りまわされているにも拘らず、安西は怒らず顔色も変えずに淡々と言い放つ。
「ぬ、オヤジのくせに偉そうなことを!」
桜木は目を吊り上げて怒って見せる。安西はそれにも怯むようなことはなく、一切表情を崩さない。
「桜木君、いいからそこに座りなさい」
「だからオヤジのくせ――――」
「……聞こえんのか?あ?」
桜木が言い終わらぬうちに、安西が言葉を被せた。
それまで仏のように柔和だった安西の顔が、一瞬、鬼のように変化したのを、端から見ていた三井は見逃さなかった。
「……白髪鬼(ホワイトヘアーデビル)だ…」
三井は嘗て白髪鬼と恐れられた時分の安西の恐ろしさを、少しだけ垣間見た気がした。そう、少しだけ……。
桜木もその安西のほんの一瞬の変貌に驚き、それ以上の横暴を重ねようとはせず、すごすごと元に位置に戻っていった。
「ほっほっ。どうやら君達はまだよくわかっていないようですね。――川藤君、あれを」
既に元の柔和な仏の顔に戻った安西が、近藤と並んで後ろに控えていた若い男に向かって言った。
「はい」
川藤が兵士達に目配せをする。川藤の合図に、兵士達が何かを運んで来た。
キュラキュラとキャスターを鳴らさせて運ばれて来たものは腰ほどの高さがあり、ひどく重そうで、全体が黒い布に覆われていた。
川藤はそれが運ばれて来ると、何の躊躇いも無しに覆われた布を取り払う。
噎せ返るほどの生臭い匂いと共に現れたのは、バスケットボールを入れておく籠だった。
普段ならボールで一杯になるはずのその籠が、今は別の『モノ』で一杯になっている。籠に詰まっているのは、バラバラに解体された人間の身体――。
ほとんどただの肉隗と化している為、どれが何処のパーツかは測り難く、剥き出しの筋組織から滴り落ちた血が見る間に籠の下に赤い水溜りを作っていった。
体育館の空気が冷たく凍りつくのを、三井は肌で感じていた。暗い静寂が体育館を支配していく。
誰も声を発そうとはしなかった。誰もが目の前の事実がとても現実とは思えず、目を皿のようにして籠に釘付けとなってしまっていた。
「……嘘……でしょ……?…おにい……ちゃん……?……いやあああぁぁぁぁ!!!」
張り詰めた静寂を切り裂くように、晴子が叫んでいた。
肉隗は晴子の兄、赤木剛憲その人だった。
晴子の悲鳴をきっかけに、そこかしこで同じような悲鳴や、安西達を非難する怒号が上がり始める。
近藤はそれを予期していたように、サッと腕を挙げて兵士達に合図を送った。発砲命令である。
合図を受け取った兵士が、装備していた銃を頭上に向けて乱射した。物凄い轟音が鳴り、銃弾が高い天井を突き破り、電灯を割った。
硝煙の臭いと轟音が体育館中をこだました。割れた電灯の破片や砕かれた天井の欠片が、三井達の上に降ってくる。
暫くして銃声が止んだ。
また静寂が体育館を包む。
「安西先生がお話し中だ。みんな静かに聞くように」
息をひそめる『参加者』を見渡し、近藤が厳しい口調で言った。
「すいません安西先生。どうぞ続けてください」
近藤が安西に話の先を促す。
「……赤木君は今回のことに反対してね。仕方ないので殺してしまいました」
籠に無造作に押し込められた嘗ての神奈川No.1センターに、安西は何の感情も抱いてはいないようだった。
その証拠に、安西は一番上に乗っていた赤木の頭部を掴み上げると、ボードに向かってシュートポーズに入る。柔らかく、無駄のない綺麗なフォームだった。
「私も本当は殺したくはなかったんですがね。あんまり五月蝿く反対するものだから……つい……ほっ」
ボールに見立てた赤木の頭部が、安西の手から放たれた。
薄く開かれた赤木の瞼から恨めしそうな眼が覗いているようで、それはとても正視に耐えられる光景ではなかった。
頭部は高く綺麗な弧を描き、まっすぐゴールに吸い込まれていく。バサッと乾いた音がして、安西は見事3Pを決めた。
顔の大きさが災いしてか、赤木の頭部はネットに引っ掛かって落ちて来ることはなかった。
「……正気かよ……安西先生は……」
安西の一連の動作を見た三井が、小さく漏らした。晴子はとっくに視線を逸らし、耳を塞いで目を硬く閉じていた。
ガタガタと震える晴子の肩を、三井はそっと抱き寄せた。
「大丈夫……大丈夫だ晴子ちゃん。きっと大丈夫だから……」
晴子の耳元で囁く三井にも、一体何が大丈夫なのかはわかっていなかった。
ただそうやって言い聞かせていないといても立ってもいられないだけで、三井自身、大丈夫だなどと楽観視は全く出来なかった。
「――と、まぁこういうことだ。こうなりたくなかったら、しっかりと言うことを聞くように。いいな。
ではこれからゲームの説明に入る。よく聞いておかないと、あとで取り返しのつかないことになりかねんぞ。特に前田、しっかり聞くんだぞ」
近藤は一度、太尊を注意してから先を続けた。
「お前達はこれからこの島で殺し合いをする。殴り殺す、刺し殺す、撃ち殺す、絞め殺す、騙して殺す、なんだっていい。とにかく殺せ。
殺して殺して殺し尽くして、最後に生き残っている者を決める。たったこれだけのことだ。簡単だろ?」
誰も口を挟まなかった。
誰の頭にも赤木の変わり果てた姿と、安西の狂気に満ちた行動が焼きつき、次は自分がああなるのではないかという不安に慄いていた。
「
ルールは簡単だ。これからデイパックを配る。そのデイパックを手に、お前達はこの島の各所に振り分けられる。
そこからは自由に行動し、ただひたすら殺戮を繰り返すだけ。
デイパックの中には数食分の食料・水、それに参加者の名簿・筆記用具・地図・コンパスが入っており、他にランダムで得物となるものも入っている。
得物はそれぞれ違い、当たりもあればハズレもあるだろう。よく使い道を考えて好きに使うといい。
それから6時間ごとに1回、こちらから放送を入れる。その際、6時間以内に死んだ人間と、禁止エリアを読み上げる。
禁止エリアは重要なことだから絶対に聞き逃すんじゃないぞ。
…おっと、大事なことを忘れていた。それからお前達の首には『首輪』を嵌めさせてもらている。気付いていたか?」
近藤の言葉に、全員が自分の首に触れた。
三井も同様に触り、自分の首に巻かれた首輪の冷たい金属的な感触を確かめる。
「気をつけろよ、下手なことをすると爆発するぞ。なにせ爆弾入りだからな、その首輪」
ほぼ同時に、全員が首輪を触っていた手を放した。
「もうやだ……帰りたい……」
何処かで誰かのすすり泣く声が上がっていた。
「ははは、心配するな、何も今すぐ爆発しやしない。それじゃ意味が無いからな。…この首輪が爆発する場合は四つ。
一つは『無理に外そうとしたり、強い衝撃を与えた場合』。
二つ目は『24時間以内に誰も死ななかった場合』。
三つ目は『禁止エリアに留まった場合』。
四つ目は『定められた範囲から出た場合』だ。
この四つを破ると、即爆発する仕掛けになっている。もちろん爆発はそれ相応の威力で、爆発すれば首輪の持ち主は必ず死ぬことになる。
いいか、肝心なのは二つ目、24時間以内に誰も死ななかった場合だ。
これは例え全員生きていても、24時間ゲームに動きの無いときは容赦なく爆発する、という意味だ。最後の二人に絞られていたとしてもそれは同様だ。
だから最低でも24時間以内に1回は誰かが死んでくれないと、お前達は生き残ることは出来ない。
せいぜいそんなマヌケな死に方をしないように、一所懸命殺していくんだぞ」
近藤は一度全員を見回し、何かここまでで質問のある者は手を挙げろと訊いた。無論、手など挙げる者はいない。
「……よし、何も無いようだな。――では川藤君、君から何かあるか?」
そう言うと、近藤は川藤を顧みた。
近藤に話題を振られた川藤は、少し照れくさそうにしながら一歩前に出た。
「人間として最も大切なこと……夢を持ち、夢をつらぬくことの大切さを忘れない。そうあるべきだと思っています。
人間として最も大切なこと……夢を持ち、夢をつらぬくことの大切さを忘れない。そうあるべきだと思っています」
二度同じ言葉を繰り返す川藤は、何故か自信ありげだった。
「……で、では安西先生、先生から最後に何か一言お願いします」
特に川藤には突っ込まず、近藤は締めに入った。
「ふむ……」
近藤から締めの言葉を託された安西は、暫く考え込んでから口を開いた。
「優勝を成し遂げたいのなら、もはや何が起きても揺らぐことのない断固たる決意が必要だ。最後まで……希望を捨てちゃいかん。諦めたらそこで試合終了だよ」
「――以上で宜しいですね?」
近藤がそう尋ねると、安西はうんと頷く。
するとそれを待ったいた兵士が、用意してあったお面のようなものを安西と近藤と川藤に手渡した。三人はそれを装着する。
三井は嫌な予感がした。
「あれは……ガスマスク……?」
そう呟いた途端、プシューっとガスが洩れるような音がして、体育館を煙が包んでいった。
この煙を吸っちゃいけない!三井は口と鼻を手で覆ったが、もう遅かった。
「では、これより試合開始とする。健闘を祈るぞ」
近藤のその言葉を最後に耳にしながら、三井の意識は急速に遠のいていった――――。
【ゲームスタート】
最終更新:2008年02月11日 20:37