7つの海を渡れ
リットン助教授の事件簿 (1) page2
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kadu
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リットン助教授の事件簿
―妖精の国にようこそ―
第一章
首都ロンドンにて
「ふーん」
マホガニー製の重厚な作りのテーブルの上に長い両足を組んで投げ出している男が一声そう言った。顔は新聞で隠れて見えないが、その上から豊かな黒い巻毛が覗いている。
「エクスムア卿が忽然と姿を消した、と。死体もなし?」
彼の声がくぐもって聞こえるのは、熱いコーヒーを啜りながら喋っているせいだ。
「死体もなし」
僕は、たった今書き上げた記事を横にどけて、サンドイッチを頬張っていた。ほどよく塩味がきいたサーモンを挟んだそれを、コーヒーで流し込むというスタイルが最近の僕の定番だ。
「御者は疑われなかったのか」
「ああ。御者は主人思いとの評判だったし、戻ってきた時には少々錯乱気味、むしろ発狂寸前だったそうだ。エクスムアの領地は辺境の地。いわば教会の権威が届かない土地だから、異教の神々や姿の見えないものが主人を攫ったのだと信じ込んで、いまも屋敷から出たがらない」
「この産業革命のご時世にいまだそんな迷信を信じている奴がいようとはな」
「君はリアリストだからね。というより、ニヒリストかな。産業革命にだって、否定的なくせに」
「ふん、どうとでも言え」
彼は読んでいた新聞を放り投げて、僕が書き上げた原稿に手を伸ばした。
彼-ベネディクトは端麗という言葉がよく似合う顔立ちだ。頻繁に会って見慣れている僕でさえ、ふとした拍子に再認識する。「ああ、確かに顔がいいな」と。きっと南欧の血も混ざっているのだろう。一般的な英国人よりも目鼻立ちがはっきりしていて、鋭い金色の双眸にゆるやかなカーブを描く黒髪。そして乗馬で鍛えたすらりとした体躯。さながら教会に飾ってある絵画の中の堕天使ルシフェルのようで、そんな雰囲気にひかれる女性たちが後を絶たない。
まあ、当の本人はそんな周囲の視線などお構いなしの性格なのだが。
「『さる十二月二日。エクスムア卿が失踪した。卿は領地に戻る途中で忽然と姿を消したのだ。御者はデルイリーの宿を出た時は確かに馬車に乗っていたと証言している。警察は事件性があるものとして調査を進めている』・・・まあ、無難だな。ヘンリー、君は彼に会ったことがあるか?」
「よく知らないな。僕が行く社交場は学者肌ばっかりだからね。君は?」
「借金五千ポンドの仲だな」
「ごせん?」
「ギャンブルでの貸しだ」
「はぁ~」
つい間抜けな声が出る。
そんな額があれば、一生食うのに困らない。大学助教授という安月給の身の上では暮らしていけないから、こうやって片手間に新聞記事を書いている自分。それでも自分が望んだ仕事についている。大きな不満を持っているわけではないのだけれど、生まれによってこうも境遇が変わるのは、やっぱり不公平だなぁと思う。
「俺も同じ社交場を使っているだけでグループは違うからよく分からないが・・・、傍目から見てもあいつは派手好きでな。あちらこちらに借金をしている」
「ふーん。じゃあ、その一つが今回の失踪の原因かもしれないね」
「かもな」
ここまでが僕とベネディクトの会話。なんてことない日々の雑談だ。これを最初に書いたのは、その方が今後の話の展開として分かりやすいのではないかと思ったからだ。
僕たちは、この時までは借金絡みの事件だと思っていた。そして自分たちには関わりがないと。
マホガニー製の重厚な作りのテーブルの上に長い両足を組んで投げ出している男が一声そう言った。顔は新聞で隠れて見えないが、その上から豊かな黒い巻毛が覗いている。
「エクスムア卿が忽然と姿を消した、と。死体もなし?」
彼の声がくぐもって聞こえるのは、熱いコーヒーを啜りながら喋っているせいだ。
「死体もなし」
僕は、たった今書き上げた記事を横にどけて、サンドイッチを頬張っていた。ほどよく塩味がきいたサーモンを挟んだそれを、コーヒーで流し込むというスタイルが最近の僕の定番だ。
「御者は疑われなかったのか」
「ああ。御者は主人思いとの評判だったし、戻ってきた時には少々錯乱気味、むしろ発狂寸前だったそうだ。エクスムアの領地は辺境の地。いわば教会の権威が届かない土地だから、異教の神々や姿の見えないものが主人を攫ったのだと信じ込んで、いまも屋敷から出たがらない」
「この産業革命のご時世にいまだそんな迷信を信じている奴がいようとはな」
「君はリアリストだからね。というより、ニヒリストかな。産業革命にだって、否定的なくせに」
「ふん、どうとでも言え」
彼は読んでいた新聞を放り投げて、僕が書き上げた原稿に手を伸ばした。
彼-ベネディクトは端麗という言葉がよく似合う顔立ちだ。頻繁に会って見慣れている僕でさえ、ふとした拍子に再認識する。「ああ、確かに顔がいいな」と。きっと南欧の血も混ざっているのだろう。一般的な英国人よりも目鼻立ちがはっきりしていて、鋭い金色の双眸にゆるやかなカーブを描く黒髪。そして乗馬で鍛えたすらりとした体躯。さながら教会に飾ってある絵画の中の堕天使ルシフェルのようで、そんな雰囲気にひかれる女性たちが後を絶たない。
まあ、当の本人はそんな周囲の視線などお構いなしの性格なのだが。
「『さる十二月二日。エクスムア卿が失踪した。卿は領地に戻る途中で忽然と姿を消したのだ。御者はデルイリーの宿を出た時は確かに馬車に乗っていたと証言している。警察は事件性があるものとして調査を進めている』・・・まあ、無難だな。ヘンリー、君は彼に会ったことがあるか?」
「よく知らないな。僕が行く社交場は学者肌ばっかりだからね。君は?」
「借金五千ポンドの仲だな」
「ごせん?」
「ギャンブルでの貸しだ」
「はぁ~」
つい間抜けな声が出る。
そんな額があれば、一生食うのに困らない。大学助教授という安月給の身の上では暮らしていけないから、こうやって片手間に新聞記事を書いている自分。それでも自分が望んだ仕事についている。大きな不満を持っているわけではないのだけれど、生まれによってこうも境遇が変わるのは、やっぱり不公平だなぁと思う。
「俺も同じ社交場を使っているだけでグループは違うからよく分からないが・・・、傍目から見てもあいつは派手好きでな。あちらこちらに借金をしている」
「ふーん。じゃあ、その一つが今回の失踪の原因かもしれないね」
「かもな」
ここまでが僕とベネディクトの会話。なんてことない日々の雑談だ。これを最初に書いたのは、その方が今後の話の展開として分かりやすいのではないかと思ったからだ。
僕たちは、この時までは借金絡みの事件だと思っていた。そして自分たちには関わりがないと。
でもどちらも間違っていることに、後で気付くことになるのだけど。
「じゃあ、僕はもう行くよ。朝食ご馳走様」
「じゃあな、妖精学の助教授殿」
「民俗学だ」
コーヒーハウスの扉をくぐり抜けて、僕は学校へと向かっていった。
「じゃあな、妖精学の助教授殿」
「民俗学だ」
コーヒーハウスの扉をくぐり抜けて、僕は学校へと向かっていった。