大宮線

大宮線(おおみやせん)とは、関鉄上野駅と大宮駅を結ぶ関東鉄道の鉄道路線である。ラインカラーは紺色、路線記号はKM

路線名 大宮線
所在地 東京都、千葉県、埼玉県
起点 関鉄上野駅
終点 大宮駅
駅数 39駅
路線記号 KM
開業 1916年5月2日
最終延伸 1935年12月15日
所有者 関東鉄道
運営者 関東鉄道
車両基地 七光台車両管区
路線距離 66.4km
軌間 1,067mm
線路数 複々線 八潮 - 南流山間、
複線 関鉄上野 - 八潮間、南流山 - 七光台間、
南桜井 - 大宮間
単線 七光台 - 南桜井間
電化方式 直流1,500V 架空電車線方式
保安装置 D-ATS-P
最高速度 100km/h

概要

関鉄上野を起点に下町低地を貫通し南流山を経て柏の葉から環状に大きく大回りをして大宮へ至る路線。

越名線系統と比較すると、連続立体交差化があまり進められておらず、現在も沿線には踏切が多く残り、場所によっては開かずの踏切も多い。また、駅の改良や車両の更新もやや遅れがちな傾向にある。
野田市までは通勤幹線としての性格が強い一方で、柏の葉 - 大宮間は東京都心からおおよそ30km圏内を周回するため郊外路線の色彩が強いが、全線が東京都市圏の圏内に位置し、沿線の宅地化に伴って全線にわたり通勤路線としての性格がメインとなっている。
また、路線のルート上全線を通して利用する利用客は少なく、流山、柏の葉、野田市、春日部などの主要駅を境に入れ替わりも激しい。

路線のターミナル駅は関鉄上野駅であるが、JRや地下鉄の上野駅からはやや離れた位置に存在し乗り換えに難があるため、隣の日暮里駅が事実上のターミナル駅と化している。

歴史

野田では1899年に後の越名線となる路線を総野鉄道が既に開業させていたが、野州鉄道との接続により同社の貨物量が増大した一方、全国的に醤油輸送量が増大し総野鉄道のみでは輸送力不足に陥りつつあったため、野田に本拠を構える野田醤油(キッコーマン)の茂木一族を中心に我孫子 - 野田間で計画された野田興業鉄道に起源を持つ。当初は我孫子駅を起点として計画されていたが、大堀川への架橋費用を抑える目的から後に起点は柏駅に変更され、1915年の設立を経て1916年に柏 - 野田町間が開業。当初は柏線とは一体の路線であった。野田興業鉄道はのちに京成電気軌道専務取締役本多貞次郎を中心に計画され現在の船橋線船橋 - 柏間の建設を行った北総鉄道と1922年に合弁し、北総鉄道の野田線となった。

当初対野田輸送においては、総野鉄道は東京方面への醤油輸送と旅客輸送、北総鉄道は常磐線に接続して全国への醤油輸送を中心とした貨物輸送と東北方面への長距離客の輸送といった棲み分けがなされていたが、1924年に前年総野鉄道と野州鉄道の合併により発足した関東鉄道の電化区間が下総境まで延長され、野田から東京へ直結する電車による運転を開始すると郊外部を周回するのみで非電化の蒸気機関車による運転であった北総鉄道の劣勢は次第に明らかなものとなっていった。そこで、1926年(大正15年)に北総鉄道社内で野田町駅から東武鉄道粕壁駅を経て省線大宮駅までの路線と省線上野駅から豊四季駅までの路線構想が持ち上がり、前者の免許は同年5月31日に得たが、後者は常磐線と並行することを理由に却下され、本命でもあった都心直通線を得ることは叶わなかった。ひとまず延伸免許を得た北総鉄道は同年7月にも本社を千葉県東葛飾郡柏町(現・柏市)豊四季に移転した。1928年(昭和3年)9月に資本金を450万円に増資して工事に着手した。最初から将来の北総鉄道の電化を睨み、全線を電気運転をするという認可を受けた。同年10月に茂木七郎右衛門に取締役社長が交代し、延伸工事の便を図るべくさらに本社を野田町に移転した。
北総鉄道は、1929年(昭和4年)9月1日野田町 - 清水公園間を開通させたのを手始めに大宮への延伸線を着々と開業し、同年11月17日には大宮仮停車場 - 東武鉄道粕壁駅間を開業させた。この際、粕壁駅構内に変電施設を設置し、北総鉄道線で初の電車運転を開始した。その後大宮駅構内の工事が進み、同年12月9日に省線大宮駅まで乗り入れた。大宮駅 - 粕壁駅間が開通し、路線が下総北部にとどまらず、総・武両地方にわたるようになったことから、1929年(昭和4年)11月22日に北総鉄道から総武鉄道(総武本線を開業させた1889年設立の総武鉄道とは無関係)に社名変更した。

大宮駅 - 粕壁駅間、野田町駅 - 清水公園駅間の新線敷設工事と併せて既設線の電化工事も進められ、1929年(昭和4年)12月に野田変電所が竣工、同年12月30日から清水公園駅 - 柏駅間の電気運転を開始した。電気運転開始に当たって電気機関車3両、電車10両、そして未電化区間にはガソリンカーを1929年に3両、1930年に2両購入し、旅客営業や貨物営業に就かせた。

大宮への延長線と電化の完成が現実のものとなってきたところで、北総鉄道改め総武鉄道は、関東鉄道へ対抗すべく改めて東京直結へ向け動き出すこととなった。そこで、総武鉄道が目をつけたのが上野 - 守谷及び梅島 - 松戸間の免許を取得していた相馬電気鉄道であった。この相馬電気鉄道は、東京近郊にありながら鉄道の恩恵を与れずにいた埼玉県西葛飾郡八幡村や千葉県東葛飾郡田中村の有力者らの手により計画され、1928年(昭和3年)3月日暮里 - 守谷間の敷設免許を取得したことに始まるものであった。当初東京と筑波山を結ぶことを企図したものだったが、折しも関東鉄道が大正末期に筑波山方面への免許を得て現に建設が進んでいたことから常総鉄道の守谷駅までの計画に短縮されていたのだという。同年9月には松戸延伸線、船橋延伸線の免許を10月には上野延伸線の免許を追って申請し、翌年に総武鉄道と競合する船橋延伸線を除いたこれらの免許も取得していた。しかし、相馬電気鉄道に自社で路線を建設するだけの資金的余裕はなく、免許がありながら建設は凍結状態であった。東京へ直結する路線を渇望していた総武鉄道は相馬電気鉄道と東武鉄道の合併話が破談となった隙を突いて相馬電鉄へ買収を提案し、1930年(昭和5年)1月に相馬電気鉄道を買収。同年10月1日には粕壁 - 清水公園間が開通し、晴れて大宮 - 柏間で電車の直通運転を開始大宮への延長線は全通した。
そして1933年(昭和8年)12月16日、総武鉄道が長年待望した東京直結線として現在の大宮線柏の葉以南に当たる相馬線の日暮里 - 東初石(現 柏の葉)間が開通し、日暮里 - 東初石 - 大宮間の電車直通運転を開始。当時東京近郊の私鉄幹線の中では最後発での出発となったが、開通当初より全線複線電化で日暮里駅で省電山手線と直接連絡する相馬線の開通は関東鉄道へ反転攻勢を仕掛けるのに充分だった。1935年(昭和10年)12月15日に上野公園駅まで延長し、現在の大宮線に当たる路線が完成した。また、これに先立つ7月1日、埼玉県南埼玉郡岩槻町(現・さいたま市)の岩槻自動車株式会社(乗合自動車事業)を買収、また乗合自動車9両と貸切自動車1両を購入して野田町 - 越谷・草加駅間で乗合自動車事業へ進出。翌年4月2日には北足立郡大宮町、上尾町・原市町近郊(現・さいたま市、上尾市)で乗合自動車事業を展開する大宮自動車商会を買収するなど、総武鉄道沿線の中小乗合自動車事業者の買収を積極的に進め、鉄道のみならず自動車事業でも関東鉄道との競争を繰り広げた。

戦前期、関東鉄道と熾烈な競争を繰り広げた総武鉄道であったが、戦時中陸上交通事業調整法に基づく合併策により、総武鉄道は関東鉄道へ統合されることとなり、1945年(昭和20年)3月1日関東鉄道により総武鉄道は買収され、同社の路線は関東鉄道の上野線、大宮線、船橋線となった。
戦後、関東鉄道は不十分だった都心アクセスの改善のため、一部列車で自社線となった上野線への直通運転を開始することを目論んだ。戦前には関東鉄道のライバル企業であった総武鉄道にとって越名線との交差点に駅を設ける気は毛頭なく素通りするものであった。1953年(昭和28年)に流山駅近傍に連絡線が設けられると関東鉄道は越名・那須・筑波各線からの列車の一部の関鉄上野駅直通が開始された。これと同時に関東鉄道は大宮線系統の線路名称を大宮線、柏線、船橋線と改めた。
なお、大宮線系統は、清水公園までは戦前の時点で複線化されていたが、それ以外の区間は基本的に単線であった。戦後輸送量が増加するにつれて1959年(昭和54年)末端の大宮公園 - 大宮間が複線化されたのを契機に残る区間も輸送量が多くダイヤが錯綜する区間から複線化が進められていった。
1980年代には八潮駅から関鉄の本線格である越名線よりも先に帝都高速度交通営団(営団地下鉄)の千代田線と相互直通運転を開始し、これに合わせて八潮 - 南流山間の複々線化も行われたが、関東鉄道は千代田線へ直通する複々線区間に「千代田線」の系統名をそのまま付与した上で南流山以北では越名線や筑波線へ乗り入れる運用がなされ、直通運転を行っていながら大宮線には事実上直通しない変則的な運用がなされるなど、戦後の大宮線は関鉄の本線格である越名線の補助路線のような使われ方をされるに至っている。
その後、1953年以降続いていた越名線・那須線・筑波線系統の各方向から南流山以南で関鉄上野・錦糸町の双方へ乗り入れる複雑な運転系統は半蔵門線の延伸に伴う2003年のダイヤ改正に合わせて大幅に整理されることとなった。特急列車は従来通り錦糸町・関鉄上野の双方から各線への相互発着を継続するが、普通列車は常磐線への対抗の都合上、大宮線・柏線に加えて筑波線・水戸線系統が関鉄上野発着で固定された。一方、千代田線直通は千代田線が常磐緩行線へ直通することに鑑み棲み分けを図って流山以北は引き続き越名線へ直通するダイヤが組まれることとなり、筑波線へは半蔵門線直通にその地位を譲ることとなった。
近年は、上野東京ラインが開通し常磐線の品川までの直通が開始された2015年(平成27年)のダイヤ改正に当たり関鉄上野 - 柏間で柏線直通の座席指定ライナー列車かしわライナーが設定されたのを契機に2018年(平成30年)からは全線を走行するアーバンライナーが設定されるなど近年は座席指定列車の充実が図られたり、大宮線柏の葉以北と柏線の通し運転本数を増便するなど、沿線の需要を考慮してさらなる利便性向上策が進められている。

運行形態

関鉄の東京近郊では越名線と並ぶ都心から郊外を結ぶ幹線だが、沿線は住宅街が中心であるため、全体として千葉県から東京への通勤・通学路線として機能している面が多い。
特急列車は流山までは多く運転されているが、流山以北では原則越名線を走り各線へ分散する形態が取られている。

現在以下の種別が運転されている。(千代田線直通は除く)

種別一覧

  • 普通
  • 準急
  • 通勤急行
  • 急行
  • 通勤快速(筑波線直通のみ)
  • 快速(筑波線直通のみ)

駅一覧

駅番号 駅名 駅間距離 距離程 普通 準急 通勤
急行
急行 通勤
快速
快速 快速
急行
KM-01 関鉄上野駅 0.0 0.0
KM-02 日暮里駅 2.1 2.1
KM-03 新三河島駅 1.3 3.4
KM-04 町屋駅 0.9 4.3
KM-05 千住大橋駅 1.6 5.9
KM-06 北千住駅 1.3 7.2
KM-07 西綾瀬駅 2.2 9.4
KM-08 青井駅 0.8 10.2
KM-09 六町駅 1.4 11.6
KM-10 花畑駅 1.1 12.7
KM-11 八潮駅 1.1 13.8
KM-12 八潮市駅 1.5 15.3
KM-13 彦江駅 2.1 17.4
KM-14 さつき平駅 1.8 19.2
KM-15 三郷市駅 1.9 21.1
KM-16 流山駅 2.0 23.1
KM-17 総合運動公園駅 1.5 24.6
KM-18 市野谷駅 1.5 26.1
KM-19 柏の葉駅 2.3 28.4
KM-20 こうの台駅 2.4 30.8
KM-21 運河駅 1.3 32.1
KM-22 大利根園駅 1.9 34.0
KM-23 東梅郷駅 1.6 35.6
KM-24 野田市駅 2.1 37.7
KM-25 清水公園駅 2.1 39.8
KM-26 七光台駅 1.4 41.2
KM-27 川間駅 2.2 43.5
KM-28 南桜井駅 2.3 45.8
KM-29 藤の牛島駅 2.8 48.6
KM-30 春日部駅 2.6 51.2
KM-31 八木崎駅 1.2 52.4
KM-32 豊春駅 1.8 54.2
KM-33 東岩槻駅 1.4 55.6
KM-34 岩槻駅 2.3 57.9
KM-35 七里駅 2.8 60.7
KM-36 大和田駅 1.7 62.4
KM-37 大宮公園駅 1.7 64.1
KM-38 北大宮駅 1.1 65.2
KM-39 大宮駅 1.2 66.4

使用車両

棚倉線系統では既に引退した車両も多く走っており、お下がりも少なくない。
現在もターミナルである池袋駅に鋼製車であるN9000系が乗り入れる状態が続いているが、関鉄は自社のテリトリーである本線系に多く投資していることや、同編成は足回りのVVVF化や内装全面取り換えなど新車さながらの大規模更新工事が施されているため、これら鋼製車の廃車の見込みは当面ないと思われる。

一覧

  • 8000系 4両固定編成。現在は手賀線・木下 - 江戸崎間ローカルの運用が主。
  • N9000系 - 交流電装を解除し、直流化された9000系。直流化にあたって大規模改修が施されたため、新車のような内装である。
  • 37000系 - 白河線・郡山線系統と共通設計の標準型車両。数編成のみ在籍する。
  • 50000系

キロポストについて

建設経緯により、キロポストは以下のように分かれている。
  • 関鉄上野 - 柏の葉間
日暮里 - 東初石(現 柏の葉)間が総武鉄道の上野線として開業し、その後関鉄上野へ延伸したという経緯から、日暮里駅に0キロポストが存在し、キロ程は柏の葉方面に向かって増えている。日暮里駅 - 関鉄上野駅はマイナス表記である。
  • 柏の葉 - 大宮間
大宮駅を起点に柏の葉方面にキロ程が増えている。柏の葉より先は柏線の支線を経て柏線の柏駅まで連続する
最終更新:2024年11月07日 01:57