他社私鉄製キハ20系気動車の編入について

ここでは、[[常磐高速度交通網]]以外の私鉄向けに製造され車体の購入もしくは路線の移管によって常磐に編入された国鉄キハ20系気動車の準同形車について解説する。

キハ52形への編入車

定山渓鉄道からの購入

1969年、同鉄道線の国鉄乗り入れ廃止から、キハ22形・キハ21形の準同型であるキハ7000形とキハ7500形を購入した。このうちキハ7500形は、購入直後にパワートレーン追加を行い、キハ52形301に編入された。同時に、湘南形前頭の両運転台構造だったものを、上野方の運転台をキハ20系標準の貫通型に改造した。当初は同じく定山渓鉄道クハ600形電車を改造したキクハ600形附随制御車と背中合わせに連結され運用された。現在も健在で、その後の処遇は、他のキハ52形と同様。

茨城交通茨城線移管に伴う編入

1966年、茨城交通茨城線(→常磐高速度交通網阿波山線→現・SL茨城線)の移管に伴い、同線に所属していた車両の引継ぎは行われなかったが、キハ20スタイルのケハ401形のみ、キハ1401形として編入された。3扉であることから重用され、1984年には、総括制御化した。この際同時に、湘南形前頭の両運転台構造だったものを、仙台・日光方の運転台をキハ20系タイプの貫通型に改造した。1986年にはパワートレーンを追加してキハ52形302に改造された。現在も健在で、その後の処遇は、他のキハ52形と同様。

関東鉄道鉾田線・筑波線移管に伴う編入

1979年、関東鉄道の鉾田線筑波線移管に伴い、キハ755形(元南海キハ5505)をキハ52形751に編入した。しかし、片運転台であること、独特の扉配置など、運用に難があり、状態改善工事は行われず1988年度(1989年3月)に用途廃止となり廃車解体された。

キハ52形以外へのキハ20系編入車

定山渓鉄道からの購入

上記の通り購入された4両の同社の気動車のうち、キハ7000形3両については、キハ7001の上野方、キハ7002の仙台・日光方をキハ20系標準の貫通型運転台に改造してキハ20形601・602に、キハ7003は運転台を撤去して中間車化し、キハ26形601に、それぞれ編入した。実質この3両か間に他のキハ20系1両を挿入した4両編成で運用についていた。しかし、3両とも1986年度に用途廃止となり、1987年に全車廃車解体された。

変則的な編入例

茨城交通から購入

1984年、茨城交通からキハ21形準同形車のキハ1000形2両、キハ1100形1両を購入(何れも元留萌鉄道)。うちキハ1001が上野方、キハ1002形が仙台・日光方の運転台を撤去してキハ25形601・602に編入した。キハ1103は番号はそのままでキハ1000系に編入された。この際、北海道仕様として装備されていた腰部中央の大型前照灯(通称デベソライト)をキハ25形編入組から撤去している。しかし1986年度に用途廃止となり、除籍はされなかったが保留車扱いになった。ところが2009年末になってキハ25 601が、2012年に602がパワートレーン追加と両運転台化を含めた状態改善工事(エンジン換装、台車のDT31系化、冷房装置の搭載、電熱暖房化、車内扉間転換クロスシート化)を実施し、キハ52形303・304に改造された。なお、この両運転台化改造は切妻形とした運転台撤去後の妻面をそのまま流用しており、国鉄キハ30系に似た意匠になった。

夕張鉄道キハ250形気動車の全車集合

関東鉄道鉾田線・筑波線移管に伴う編入(251、254)

1979年、関東鉄道の鉾田線・筑波線移管に伴い、キハ250形251・254キハ20形611・612に編入した。この際、611は上野方、612は仙台・日光方の運転台を、キハ20系標準の貫通型運転台に改造している。

岡山県美作市から購入(252、253)

1985年2月、岡山臨港鉄道キハ7001キハ7002で、同線の廃止によって廃車になり、市内で静態保存に移されていた2両を、購入、動態復活上の編入した。両者はもともと夕張鉄道キハ250形252・253で、先に251・254が編入(上記)されていたことと、常磐が先の両者に施した片側貫通運転台化が実施されていた(ただしキハ20 611・612とは異なり、切妻の妻面をそのまま運転台改造した形状)ため、一度は静態化されていたにもかかわらず、調達の対象になった(ただしこの背景にはちょっとした経緯がある)。なお、貫通側運転台は運転台のみに前面窓があったが、編入時に助手席窓と運用灯の設置が行われた。

キハ52形への改造

キハ20形610番台となった元夕張鉄道キハ250形の4両は、北海道における鉄道産業遺産の保持を目的として、保有を継続することとした。しかし常磐のキハ20系はキハ52形をのぞき全て淘汰する方針も同時に立てられていた。SL茨城線の大学通学輸送用も想定されたが、20m大型車で同線用には適さなかった。
この為、1987年、全4両がパワートレーンを追加し、同時に状態改善工事(エンジン換装、台車のDT31系化、冷房装置の搭載、電熱暖房化)が実施され、キハ52形600番台へ改造された。その後の処遇は、他のキハ52形と同じである。





最終更新:2013年03月31日 09:12