河田式ラノベ理論(河ラノ論)とは
河田友二郎が提唱するライトノベルの定義。
解説
ここに
河田友二郎本人が批評欄などで主張した事を挙げておく。
- ライトノベルはキャラクター小説だ
- 達者な文章(心理描写)なんていらない
- キャラだけでも書けていれば面白くなる
- 極論すれば、ケータイ小説の文章でいい
- 拙くてもいいから、簡潔で的確で平明な文章を
以上のことから、非常に偏狭な視野でライトノベルの一側面しか見ていない、ということがわかる。
なぜなら、ライトノベル読者の中には、携帯形式の小説や拙い文章に対し、あからさまな拒否反応を起こす者がおり、ラ研内にも
携帯小説撲滅委員会が発足しているほどであるからだ。
そもそも、キャラクターを魅力的に描くには、その行動や心理に踏み込むことが必要不可欠である。にもかかわらず「達者な文章(心理描写)なんていらない」という矛盾を抱えている時点で、論理が破綻していることは明らか。
よってこの主張は、単なる主観に基づいたものであり、思いこみといえる。
応用
この理論を応用して「涼宮ハルヒの憂鬱」のプロローグ部分を
リライトしてみる。
達者な文章や心理描写を排除し、ケータイ小説のような、拙いながらも簡潔で的確で平明な文章で。
プロローグ
俺はサンタクロースなど最初から信じてなどいなかった。
だが、宇宙人や未来人や幽霊や超能力や悪の組織やそれらと戦うヒーロー。
それらがこの世に存在しないのだということに気付いたのは相当後になってからだ。
いや、本当は気付いていた。気づいていないふりをしていただけだ。
俺はそいつらが出てきてくれることを望んでいた。
アニメ、特撮、マンガ的な物語世界、なんと魅力的なことだろう。
俺もそんな世界に生まれたかった。
だが俺に特殊能力はない。だから考えた。
ある日突然謎の転校生が俺のクラスにやって来て、俺はフォロー役になる。
あるいは俺は不思議な能力に突然目覚める。それで悪い超能力者と戦う。
それなら問題はない。
しかし現実は厳しい。そんなことは起きない。
中学狡を卒業する頃には、そんな空想からも卒業した。
そして俺は高校生になり、涼宮ハルヒと出会った。
結論
ここまで読んでいただければ、おわかりかと思うが、この理論に素直に従うと「個性も面白みも何もない文章」となってしまう。
いうまでもなく、本人以外この理論を使用するは止めた方が賢明。
最終更新:2009年10月27日 11:45