ショーケースの裏側で6

二日目は初日にも増して客足が多く、開始20分前には会場前に長蛇の列が出来る程だ
社員たちの苦労もそれに伴って増える… かと思いきやそうでもない
他の部門から助っ人が手助けに入ってくれてよりむしろ昨日より余裕がある感じだ

「かーわいいー!」「餌だよ~」「こっちおいで~」
「ミィミィ!」「ミーッミ!」「ミィミ、ミィミ!」

場内の子タブンネ達も跳んだり跳ねたり、鳴いたり擦りついたりと餌をくれアピールに励み
大喜びで貰った餌を頬張る姿は客たちを大いに喜ばせた
人懐っこい子タブンネは客に抱っこされながら餌を食べたりもしていた
一緒に遊んだ子タブンネとの別れを惜しみ、連れて帰るとダダをこねる子供
可愛らしい小さな家族を迎え入れ、微笑みを隠せない老夫婦
カップルが子タブンネを可愛がる姿は、まるで本当の家族のようだ
滑稽な腰ふりダンスを披露し、餌のおひねりを大量に貰い大喜びの子タブンネ姉妹
新しいお母さんを見つけた甘えん坊の子タブンネ
せっかく貰った餌を横取りされて客の女の子に慰められる気の弱い子タブンネ
餌が欲しいのに怖くて自分から人間に近づけず、片隅でミィミィと泣き続ける小さな子タブンネの兄弟
会場のがやがやとした雑音の中には悲喜こもごもの人とタブンネの声が混ざり合っていた

「チィチィ… チィチィ…」

さて、会場に移された小ベビンネはどうしてるかというと、自分が置かれている状況に怯え戸惑っていた
チビママンネの暖かい腕の中で眠っていたハズなのに、目を覚ましたら昨日と同じような人ごみの中…
母親と再開し、一緒に過ごしていた時間が夢だったかのように思えるほどの急激な環境の変化だ


「ミィーミ!」「ミーミ!」「ミッミッ!」
「チィィ…」

しかし、その状況は昨日よりか幾分かはマシである
ケージは買い物籠から展示用の水槽に変わり、注意書きのポップは取れないよう結束バンドで頑強に固定された
これで昨日のようにゴミ箱と間違えられることも無いだろう
それに加え、勇者ンネが仲間に声をかけて護衛隊のような物を作り、ケージの周りを守っている
メスの子タブンネは周りを警戒しながらも時折ガラス越しに小ベビンネを慰め、
オスの子タブンネは人間が近寄ると気を引いて水槽に近づけないようにしていた
人出が増えて余裕ができた女子社員もマメに様子を見に来る事が出来
皆の助けによって小ベビンネはチビママンネが傍に居なくてもでもいくらか安寧を保っている
あくまでも昨日に比べたらの話で、常に泣きそうになってる状態ではあるが

『ご来店のお客様に連絡いたします
 本日、午後1時より、タブンネの赤ちゃんの授乳体験を開催いたします
 まるで天使のように愛らしい赤ちゃんタブンネたちを、この機会にぜひともご覧ください』

大したトラブルもなく社員たちが接客に追われているうちに、授乳体験ショーの開始を告げる放送が流れた
すなわち、チビママンネの手からベビンネが奪われる時がやってきたのだ

「…私が行きます」
「え?、大丈夫ざんすか」

女子社員は自らベビンネを連れてくると申し出た
気が利く社員は面倒な客の質問責めにあっていて動けない状況だったのだ
ざんす男は心配したが、女子社員は覚悟を決めていた
あのチビママンネに憎まれようが嫌われようが、
優しいお客さんの下で育ててもらう以外にベビ達が生き延びられる道は無いからである

「フーッ、フゥ…」

準備室の中のチビママンネは気が利く社員によって猿轡を噛まされ、足を手拭いで縛られていた
昨日の反省から、両手は自由にしてベビの世話ができるようにしている
あの最後に残った乳首は赤く腫れ、母乳はベビたちに吸い尽くされていた
しかし8匹のベビたちの空腹を満たす事はできていない

「フ、フゥ、フゥ!」

女子社員の顔を見たチビママンネは嬉しそうな顔をして塞がれた口でフゥフゥと鳴いた
この拘束から解放してくれると思っているからである
だが、女子社員は何も言わず目も合わせず、
部屋の片隅に置いてあるあのショッピングカートの乳母車を持ち出しベビーサークルの柵に横付けした

「フゥ…?」
チビママンネは覚えていた。怖い人間がベビを連れ去るときにあの道具を使う事を
そして困惑している。なぜ優しい人間があれを使おうとしているのかと

「ベビちゃんたち、おいで ミルクの時間だよ」
「チィ♪」「チチー♪」「チッチ!チッチ♪」
「フッ?!」

女子社員は柵の前でしゃがみながら淡々とした口調でベビを呼び寄せた
「ミルク」という単語を覚えていたのだろう、ベビ達は嬉しそうに女子社員の下に集まって行く
そして一番早く近づいてきたベビンネを抱き上げて籠に入れた

「フッ、フッ、フゥゥーー!!」

最初のベビンネが乳母車に入れられた瞬間、チビママンネはハイハイで女子社員へと向かっていった
溢れる涙を抑えることもせず、涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにして
その様は身体が大きくはあるがベビ同士の競り合いに負けて母親に甘えんとする小ベビンネそのものだ
やはり血のつながった親子である

そんな哀れなチビママンネも、抱き上げたベビンネが時折振り向いて母親を気にするのも
女子社員はなるべく見ないように、気にしないようにして心を押し殺しながら4匹のベビを載せていく

「フフィーーーーーーッ!!」

ベビーサークルの金策にしがみ付き、遠ざかる女子社員の背中に向かって叫ぶチビママンネ
それは怒りの雄叫びではなく、悲哀に満ちた懇願の叫びだった
まだ怒りをぶつけられた方が女子社員は気持ちが楽だっただろう
動揺から一度はぴたりと足を止めたものの、チビママンネを振り返ることもせず再び歩き出し
ベビが乗ったカートを押しながら部屋を出て行ってしまった

「チィチィ!」「チーチ…」

カートの上のベビたちはミルクへの期待もありながら、不安の色を見せ始めていた
もちろんみんなチビママンネが泣いてるのを気にしていたのだが
ベビのうちの一匹だけは女子社員の泣きそうになっている顔を、憐れむようにじっと見上げていた

「フーッ、フゥゥゥゥ!!フゥゥゥーッ!!! フィユゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!」

部屋に残されたチビママンネは4匹のベビたちを抱きしめながら激しく慟哭した
ベビを奪われた事だけではなく、女子社員に裏切られた事への悲しさに
信じきっていた優しい人間にベビを奪い去られるだなんて思ってもみなかった
今朝罪の意識に苦しんでいたのは何だったのか?昨日暴力から庇ってくれたのは何だったのか?
もう人間の事は何もわからず、何も信じられず、ただ嘆き苦しみ泣き叫ぶばかりであった

「ヂィィ…」「フィィ…」

選ばれなかったベビの方もチビママンネの感情が伝わってきて自分も悲しくなり、泣く寸前であった
空腹なのにミルクが貰えなかった悲しみもあったが
ちなみに最後に残ったベビの内約はチビママンネの実子が2匹、お隣さんのベビが1匹、第二飼育室の大ベビが1匹である

「あっ、チカちゃんごめん。機材の準備は終わったから早速始めてよ」
「…はい」

女子社員は胸が張り裂けそうな罪悪感を堪え、笑顔を取りつくろって司会を始める
授乳体験ショーは秘めた悲しみを知る由もなく盛り上がり、拍手と笑い声の中で順調に終わり
出演したベビたちは30分もしないうちに4匹とも売れていった
これは女子社員が慣れない営業トークで頑張ったからでもある

「フゥゥ~ン!フゥゥ~ン!!」

4匹のベビが全て売れていった後、準備室にはチビママンネの息が詰まった泣き声が響いていた
ベビーサークルの金柵を血が出る程に握りしめ、ガクガクと体を震わせている
連れ去られたベビの声が遠ざかっていくというのに、
止めることも追いすがることも、お別れの挨拶すらもできなかった
残ったベビたちは空腹でチィチィとお乳をねだり始めたが、今飲ませても一吸いで終わってしまうのは自分がよくわかっている
ベビたちに何もしてあげられない無力さに、自分もベビと同じように泣きじゃくるしかないのだ

午後二時、会場に異様な客がやってきた
フリルがついた黒紫色の長いスカートのワンピースに、それと似たような色の無造作なウェーブがかかった長い髪
常に見開いたような目をした背が高い薄気味悪い女だ
その女は子タブンネに餌をあげる事もなく、ただきょろきょろと何かを探しながら会場をうろついている
異様な様に子タブンネたちは女を避けていき、場内の社員達は何かしでかすのではないかと警戒していた
女は闇雲に会場を歩きまわった後、ある場所でぴたりと歩みを止めた
小ベビンネのケージの前だ

「ミ、ミィ」「ミ、ミィ~ン ミィ~ン…」「ミッミッ!ミッミッ!」

気を引こうとしたり威嚇したりと、子ベビンネ警備隊は怖い女を小ベビンネに近づけまいと頑張っているが
女は気にする様子もなくしゃがみこんで注意書きと小ベビンネを交互に見比べている
自分を見下ろす紫の瞳に小ベビンネは恐怖し、声も出せずにケージの隅で丸まって震えていた

「店員さん、ちょっといいかしら…」
「はい、どういたしましたか?」

怖い女は近くでさりげなく見張っていた気が利く社員に声をかけた
不意を突かれたようで少し動揺した気が利く社員だったが、何とか普通に対応できた

「このタブンネ、怖がりってかいてあるけどどのくらい怖がりなのかしら?」
「そうですね、知らない人に触られたら暴れて泣き叫ぶくらいの人見知りで怖がりですね
 正直あまりお勧めできる子ではないです」
「いーえ… ちょうどそういう子を探していたのよ…。触ってもいいかしら?」
「嫌がって騒ぐと思いますが、まあ軽く触れる程度でしたら大丈夫ですよ」

嫌がると言ったにも関わらず怖い女は嬉々として小ベビンネに手を伸ばした
その手は獲物ににじり寄るアーボのようにゆっくりとした嫌らしい動きで小ベビンネに迫る

「フィッ?!フィッ!フィィィッ!!ゥヂーーー!!!」
「ふふふ、いい哭き声だわ…」

小ベビンネは迫りくる手に恐怖して狭いケージの中を必死のハイハイで逃げまどい
追いつかれて指先で触られた瞬間悲鳴をあげた
本来はタブンネが嫌がる行為はルール違反なのだが
止める役の気が利く社員は買ってくれるかもしれないという期待から黙認していた
周りの客たちも変人と関わり合いになりたくないという心理から助けてくれる様子はない
おまけに女子社員は休憩中である。つまり小ベビンネをこの女から救って人間はいないということだ

「キヂーッ!ギヂーッ!ギヂーッ!!」


首の後ろの皮を掴まれ、持ち上げられてしまう小ベビンネ
痛みと恐怖から大声で泣きわめき、股間からはポタポタと尿の滴が落ちる
弱弱しく短い手足を振り回して抵抗らしきこともするが、何の効果も意味も無いのは明らかだ

「このタブンネ買わせていただくわ」
「ありがとうございます。これがそのタブンネの値札になりますので、こちらを場外のレジに…」

小ベビンネの苦しみとは裏腹に、気が利く社員は嬉々として小ベビンネの値段とバーコードが書かれたカードを取り出す
やっと心配事がひとつ片付いたと安堵しているのだ

「ヂィヂィーッ!ヂィヂィーッ!」

この鳴き方、ベビンネが母親に救いを求める時の泣き方である
準備室のチビママンネもこれを聞いて歯噛みして激しく苦悶してることだろう
怖い女も気が利く社員もそんな事知る由もなく、値札を受け取ろうとしたその時

「ミッミッミィーーー!!」
「な、何?」

怖い女が痛みと声に驚いて振り返ると、1匹の子タブンネがペチペチとお尻を叩いていた
勇者ンネである。小ベビンネの危機に居ても立っても居られず攻撃に転じたのだ

「ああっ、すいません。すぐにやめさせますんで」

すぐさま勇者ンネは気が利く社員に両腕を掴まれて持ち上げられたが、その攻撃の意志は折れない
怖い女をキッと睨みつけて、短い脚をバタバタと動かし眼前の敵に向かって当たらぬ蹴りを繰り出し続ける

「何?わたしと遊びたいのぉ?」
「ピィィッ!?」

怖い女は小ベビンネをケージに戻し、勇者ンネの眼前にヌッと顔を近づける。鼻と鼻がくっ付きそうな近さだ
眼前に広がる悪意に満ちた不気味な笑顔、見開いた紫の瞳、裂けたようなニヤついた大きな口
人間でも恐ろしいと思われるそれに、子タブンネである勇者ンネは耐えられなかった

「ヒッ!ヒュイッ!ピィッ!ヂュアーーーー!!!」

勇者はンネは一層激しく足をバタつかせた
だがそれは攻撃の意思などではなく、目の前の恐怖から必死に逃れようと足掻く哀れな様だ
両目をぎゅっと瞑り、悲鳴を上げながらもがく様にはもはや勇者の姿はない
その様子に怖い女は口角を上げて嬉しそうにエヘエヘと小さく不気味に笑い
攻撃に参加しようと身構えていた護衛隊の子タブンネたちは唖然として戦意を喪失していた

「やっぱりこっちの子にするわ。渡して頂戴」
「かなり荒れているようですのでお気を付けください」

怖い女は暴れる勇者ンネを蹴りが胸に当たるのも気にせず強引に抱き寄せた
気が利く社員は女の腕の中で暴れて怪我をするのではないかと心配したが
抱かれた瞬間勇者ンネはピタリと大人しくなった
もちろん安心しているのではなく、更なる恐怖で動けなくなっているのだ
その抱き方は赤ちゃんを抱っこするような優しい抱き方だったが、
腕の中の勇者ンネはガチガチと歯を鳴らしながら激しく震えている

「ではこちらの値札でお願いします」
「ありがとう、いい買い物したわ…」

怖い女は値札を受け取った後M勇者ンネを抱いたまま出入り口に向かって歩いて行く
その際、勇者ンネは震えながらも時折ミィミィと通り道のタブンネ達に何かを訴えかけていた
「さよなら、元気でね」「こいつに構わないで」「ぼくは大丈夫だよ」
鳴き声の意味は様々だが、その中に誰かに助けを求める言葉は何一つ無かった
仲間やチビママンネをこの恐怖に巻き込まないようにする勇者ンネの最後の強がり、いや勇気である
場内のタブンネ達は餌を食べることも、客に媚びる事も忘れ
これが今生の別れになるであろう勇者の姿をずっと見つめていた

「こんなに怖がって震えちゃって… 私の心が分かるのねぇ?」
「ミィィ…」

これからの勇者ンネの暮らしはそれはそれは恐ろしいものになるのだろう
だが心配はない。仲間を心配する必要も、守る為に戦う必要も、群れのリーダーの息子として振舞う必要もなく
思う存分恐怖と苦痛に泣き叫べるのだから



その後、特に面白いこともなくあっという間に午後3時、最後の授乳体験ショーの時間だ

「ムフゥゥゥ!!ムフゥゥゥ!!」

今度は気が利く社員がベビを連れていくべく準備室にいるのだが、室内は荒れていた
ベビーサークルが尽く引き倒されて無造作に転がり
敷かれていたペットシートはズタズタに裂かれてて部屋中に散乱していた
チビママンネが怒り狂って暴れたからという事は想像に難くない
たぶんさっきのアレだろうなと気が利く社員はうんざりしながらも自分で納得していた
チビママンネは怒りの表情でフーフーと荒く息を吐いて威嚇を繰り返すが、ベビの姿は見えない
姿が見えないというだけで、気が利く社員は居る所はちゃんと分かっていた
寝床の毛布が不自然に盛り上がりモゴモゴと蠢いているのだから

「それじゃあドレディア、頼むぞ」
「ピチュチュ」
「ムフーーッ!」

目の前にあのドレディアを出されてもチビママンネは怯むことは無かった
自分の後ろのベビの事を想うと、心の底から力が湧いてくる
それが全身に満ち渡り、熱い闘志が漲る。これが愛の力というものだ、
そして愛するベビを守る為、小さなタブンネは大敵に立ち向かっていく。ハイハイで
だがその切なる愛の力も、顔面への眠り粉の直撃で一瞬で闇に沈んでいった

「フィ… フゥ…」

まさか戦うことすら出来ずにベビを奪われるとは…、チビママンネの無念は計り知れない
気が利く社員は悠々と毛布を剥がし、中にいた4匹のベビを回収し
練乳で機嫌を直してからカートの乳母車に載せてドレディアと共に準備室を去っていく
遠ざかる最後のベビたちの楽しそうな声に、チビママンネの閉じた瞳から一筋の涙が流れた

「なにあれ?」「きれーい」「あっ、赤ちゃんだ」「かわいーっ」
「チィ!チィ!」「チィ~チ♪」「チッチィ~♪」

ざんす男の案で会場までドレディアに乳母車を押させた所、客の受けは上々だ
ベビンネを世話する優しい森の保母さんか、
森からベビたちを連れて遊びにきたお姫さまにも見えるシチュエーションだ
実際は実母を昏睡させて掠め取ってきた鬼畜なのだが、その可憐な見た目からは何もわかるまい
見物客のの歓声にベビ達も楽しい気持ちになり、呑気にチィチィと可愛さを振りまく
普段は無表情な気が利く社員のドレディアも心なしかうれしそうだ

「兄貴、あのドレディアかなり強そうですぜ…」
「ああ…、どう見てもバトル用のドレディアだな、それもかなり鍛えてる」

客の中にもちらほらとドレディアの強さを見抜くものがいた
このセリフの男二人もそうだ、この男たちはこのイベントで使う子タブンネたちを調達した
あのペットポケモン業者の兄貴分と弟分である
二人とも朝から社長と共にイベントの様子を見に来ていたのだ
…のだが大金が入った直後に巨大デパートに来たもんだから社長がはっちゃけてしまい、
4時間も荷物持ちさせられながら買い物に連れまわされて今に至るというわけだ
そのため二人とも憔悴しきっていてかなりテンションが低い

「ふたりとも!そんなところで見てないで中に入って近くで見ようよ~」

一方、社長は夏休み中の小学生の如く元気いっぱいである。どこからそんな体力が出てくるのかは乙女の謎だ
三人揃って入場受付を済ませて中に入ると、ざんす男が早足で駆け寄ってきた

「社長さんも社員の皆さんもようこそお越し頂いてありがとうざんすよ
 お陰様でご覧の通りの大盛況ざんす!」
「いえいえ、こちらこそ大量に購入頂いてありがとうございます
 …ところで、授乳体験の方は大丈夫でしたか? 何かトラブルとかございませんでした?」

内心、社長は授乳体験ショーが上手くいくか不安だったのだ
ベビンネも子供も不確定要素の塊、どうしても順調にいくとは思えない

「あー、初回はトラブル続きだったざんすが、2回目3回目は順調そのものだったざんす
 ベビィちゃんたちが思いのほか素直ないい子で助かったざんすよ」

どちらかというよりは素直というよりは単純か楽天的と言ったほうが正しい
感情に敏感な性質が仇となって、ベビンネは好意の感情を向けてくる者に簡単になびいてしまうのだ
もちろん個体差はあり、簡単には心を開かない小ベビンネのような子もいるが

「ミッミ!」「ミーミィ♪」「ミーミ、ミー♪」
「あら、タブンネちゃんたち…」

どんなトラブルかを詳しく聞こうとした所で、社長の周りに5匹ほどの子タブンネが集まってきた
第一飼育室で社長が管理していた子タブンネたちだ
この子タブンネたちにとって社長は地獄のような生活の中、甘いオボンと微笑みと優しい言葉をくれた唯一の人である
そのため、たくさん餌をもらえるようになった今でも顔を覚えていて、そして慕っているのだ
最も、社長はタブンネの個体ごとの顔など覚えてはいないが

「ほらほら、ごはんだよ~ あわわ、順番順番だよ」
「ミミ~♪」「ミッミ、ミッミ」「フミィ~♪」「ミリミィ?」

社長の周りの子タブンネはぞろぞろと増え、20匹近くにに囲まれてる状況となった
子タブンネたちは餌をねだったり足に擦りついて甘えたりと皆社長が大好きな様子だ
そんなタブンネ達に社長は少々窮屈そうにしながらもしゃがんで一匹ずつ手渡しで餌を与えていく

「ふへぇ~、モテモテざんすね」
「どういう理屈かはよく分からんですけど、社長は子供のタブンネに好かれるタチなんすよ」
「やっぱりちょっとタブンネに似てるからかな?」

弟分がタブンネに似てる発言をした瞬間、社長の餌をやる手がぴたりと止まった
周りの子タブンネたちは恐怖し、ゾゾゾッと一斉に後ずさりして社長から距離を取った

「リマくん、女の子にそんなこと言っちゃあダメだよ…」
「ひっ?!!すいませモガガ…」

社長はおもむろに立ち上がり、謝ろうとする弟分の口に残りの餌を全て突っ込んだ
弟分は冷や汗を流しながらモガモガと苦しんでいる
タブンネは可愛いがぽっちゃりしたイメージがあるので、
女性にタブンネみたいに可愛いなどと迂闊に言うと嫌な思いをされる事があるから注意が必要だ
社長のような最近体重が増加傾向で気にしている女性には特に

「あのバカ思いきり地雷踏み抜きやがって…」
「わ、私も言葉には気をつけるざんすよ」

社長がなんとなくタブンネに似てるという事はざんす男も兄貴分も常々思っていた事で
ざんす男は言わなくて良かったと安堵して、兄貴分は呆れるばかりであった

「ボフフェエ!!」
「フミィ~ン!」

耐えられなくなった弟分の口から餌の塊が鉄砲水のように噴き出した
その吐き出されて地に落ちたグチャグチャの餌に一匹の子タブンネが駆け寄り、四つん這いになって食べ始める
それは偶然にも、あのざんす男が会社を訪れた際に餌をあげた浅ましいタブンネだった

混沌極まる状況だが、ショーが始まると皆そっちに意識が集中し
授乳体験ショーで子供たちが喜んでいるのを見ているうちに社長の機嫌はすっかり治った、
そして終わった後の余韻も消えたときに社長はある事を思い出す
最初のショーで起きたトラブルの詳細をざんす男に聞こうとしていたのだ

「小さいベビィちゃんが触られるのを嫌がっちゃって、ショーに出た子供が泣いちゃったんざんすよ
 何とか代わりのベビィを用意して事なきを得たざんすけどね
 あとは授乳の時哺乳瓶の蓋を外して飲ませた子供がいて…」
「あらら、それは… ところで、その子供を泣かせたという赤ちゃんタブンネは何所に?」
「まだ売れ残ってる筈ざんすよ。あー、あの水槽の中で隔離して販売してるざんすよ
 触っただけで大騒ぎするざんすから正直売れる気がしないざんす」

ざんす男とともに小ベビンネの水槽へ様子を見に行く社長たち
表情や言葉には出してないが、社長は不良品を選別できずに売ってしまったことを後悔し
そして八つ当たり気味に小ベビンネに憤慨しているのだ

「うぇ~… これは売れないわけだよ~」
「こりゃ完全に怯えきっちまってますぜ」

社長一行が水槽を覗き込んだ時、小ベビンネはチィとも鳴かずにケージの隅っこで丸くなって震えていた
怖い女のショックは大きく、これでも周りの人間たちから必死に身を隠しているつもりなのだ
護衛隊は既に全滅していた。人間に積極的に構っていったのが災いし売れるのが早かったのである

「この子だったら返品して頂いても大丈夫ですよ」
「ホントざんすか! いや~良かったざんす。悪いざんすね契約書に返品不可ってあったざんすのに」
「いえいえ、悪いのは私どもの方です。ここまでペットに向かない子が混ざるのはこちらとしても想定外でした
 本来なら選別で弾くべき個体でしたのに気づかずに売ってしまって…」

社長たちが返品について色々と話し合っている所を気になって、女子社員はわりと近くからその様子を見ていた
それに気づいたのは兄貴分である

「おっ、司会をやってたお嬢さんですな、どうかしましたかい?」
「えっ… いえ、あのおちびちゃんを買ってくれるのかなと思って」
「いや、俺たちはここのタブンネたちを納入した会社でね、あのチビを返品する方向で話が進んでるんだ」
「返品!?」

驚いて叫んでしまった女子社員にざんす男と社長が振り向いた
女子社員は失礼なことをしてしまったと焦ったが、
社長がにこやかに笑って軽く挨拶をしたので安心し、思い切って気になることを聞いてみることにした
女子社員が社長に会った第一印象はとても柔和で優しそうで可愛らしく、
子タブンネたちに好かれそうなお姉ちゃんといった感じで
チビママンネの乳首をむしり取った犯人だとは想像にも至らなかった

「あの、あの、返品された後そのおちびちゃんはどうなるのでしょうか…?」
「うーん、うちの飼育室で少しずつ人に慣らしながら育てて、人に懐くようになったら出荷 …かな」

これは社長の体裁を保つ為の嘘
子供を泣かせるようなベビンネなど、くびり殺した後ドブ川にでも捨ててやるつもりでいるのだ

「じゃあ、じゃあ、この子のお母さんタブンネは…!」
「あーそうですな、元いた場所に帰しましょうか」「うん、それでいいよ」

これに答えたのは弟分、本当の事を言っている
野生に返せばまた来年にベビンネを産んでくれるという期待を込めてのことで
乳首をむしり取られてるという事を知らないからの提案であるが

「あの、あの、お母さんタブンネとおちびちゃんを一緒にはしてあげられないんですか?
 このおちびちゃんはお母さんがすごく大好きで、離れたら怖がって泣いちゃって
 粉ミルクよりもお母さんのおっぱいの方が大好きで、…とにかく一緒じゃなきゃ生きていけないんです」
「いやしかしそう言われてもこっちも商売だから、せっかくの商材をみすみす無駄にすることは出来ませんぜ
 でもまぁアンタもずい分入れ込むねぇ」
「この子はベビィちゃんたちのお世話の担当もしてたざんすから、情が移っちゃったみたいなんざんすよ。いやはや」

たとえ恨まれようとタブンネの子供たちを飼い主の下へ送ると決心していた女子社員だが
小ベビンネだけは実の母親がいないと生きていけないだろうと思い続けていた
水槽の中で怯え震える小ベビンネを見ると、その考えに疑う余地はないと確信できる
他のベビンネたちなら優しい飼い主の下で幸せに生活できるだろうが、この子だけは…

「そんな… おちびちゃん…」

女子社員は黙りこくって少し考えた後、注目する4人の前で意を決して口を開く
この状況から小ベビンネを救える方法は、もはや一つしかない

「このおちびちゃん、わたしが買います」

「ふぇっ!?チカちゃんが買うざんすか!でも大丈夫ざんすかね?このおちびちゃん飼うの難しそうざんすよ?」
「あのお母さんタブンネも一緒に買うつもりです」
「それはいかんざんすよ、あのマーマさんは借り物ざんすのに」
「あ、そういう事なら返さなくて大丈夫ですよ。オマケとしてつけてあげてください」
「なら大丈夫ざんすね、それじゃあ私もオマケして特別に仕入れ値で売ってあげるざんすよ」
「ありがとうございます!」

トントン拍子で買うことが決まり、女子社員は水槽をよいしょと持ち上げて控室に持っていこうとした
買うことが決まった以上ここに置いとけないという理由だが

「あー、買うんだったらこれに入れちまったほうがいいですぜ
 一番安いやつだけどこんなチビなら一個で大丈夫でしょう」
「あ、ありがとうございます」

そう言って弟分から手渡されたのはモンスターボール
女子社員が小ベビンネにそっと押し当ててみると、小ベビンネは光とともにボールの中に吸い込まれ、
手の中で2、3度揺れたかと思うと、しゅんとその動きを止めた

「私、ちょっと控室に行ってきます!」

お礼もそこそこに女子社員は控え室に急ぐ、早くチビママンネに会わせてあげたいという気持ちからだ
一人暮らしを始めたばかりでポケモンを2匹も飼うのには不安はあったが、今は楽しみの方が勝っている

「これからずっと一緒かぁ… ふふふ」

準備室に向かう途中で、女子社員は色々と妄想していた
フカフカの寝床を作ってあげて、でも寂しがったら皆で一緒のベッドで寝て
オボンの実とポケモン用のおやつ、どっちが好きかな?
おちびちゃんが大きくなったら、一緒に公園にでも行ってポケモンのお友達も作ってあげよう
大きくなったらきっと怖がりも直ってて…
さみしい一人暮らしで、帰りが待つポケモンが居ることはどんなに素敵な事だろう!
女子社員の中で、タブンネたちと一緒の生活への期待がどんどん膨らんでいった

「フゥゥ…フゥゥ…」

一方、控室ではチビママンネが目を覚まし、そして絶望していた

目覚めたときには居て然るべきはずのベビの姿はなく、愛しい声もすでに遠く聞こえない
ショーの後購入希望者が殺到し4匹とも一瞬で売れてしまったのだ
さらに外からの小ベビンネの声も聞こえなくなっている
ベビたちがいなくなった部屋はシンと静かだ
自分がここで大勢のベビの世話に奮闘していたことが夢だったかと思えるほどに

「フフゥ… フゥ… フフ…」

ひとしきり絶望しきった後、チビママンネはもそもそと奇妙な事を始めた
糞や尿やヨダレのシミがついたペットシートの切れ端を拾い集め、寝床の毛布の上に乗せていく
掃除をしているかと思われるかもしれないがそうではない、ベビたちの痕跡を集めているのだ
知らない人から見れば汚く臭い紙屑だが、チビママンネにとっては大切なベビがここにいたという証、
すなわち形見。ベビのうちの誰も死んではいないが
こんなことをしてもベビが帰ってくる訳ではない、何の意味もないのはチビママンネも分かっている
だがそれでもやらずにはいられない、心が壊れてしまいそうなのだ

「タブンネさん!」
「フィフィィ?」

そんな淀んだ空気の準備室に女子社員が飛び込んできた、チビママンネとは対照的にとても嬉しそうな顔だ
そして突然帰ってきた女子社員に目を丸くして驚くチビママンネ

「ダブンネさん!私と一緒に家へ帰りましょう!友だちに… いや、家族になるんですよ!」
「フゥ?フゥ?フゥゥ??」

チビママンネは女子社員が言ってることがまるで理解できなかった
そして拘束を外してあげようと迫る女子社員に怯えながら後ずさりで遠ざかる

「どうして逃げるんですか?、それを外してあげるんですよ」
「フゥッ!フゥッ!フゥッ!」

女子社員がさらに近づくとハイハイで逃げ出して
寝床の上に置かれた紙片に覆いかぶさり、そして抱きしめた
それは自分の体を盾にして子供たちを守ってるかのような姿だった

「タブンネさんどうしたんですか、なんでそれを…」
「フゥッ!フゥッ!フゥーッ!」

それでもなお猿轡を外そうと差しのべられた手を、チビママンネはペチンと叩き払った
そしてフウフウと悲壮に女子社員へ訴える、「いじめないで、これ以上私から何も奪わないで」と

「フゥーッ!フゥーッ!フゥーッ!」
「タブンネさん…」

酸欠で顔が赤くなっても、チビママンネは涙を流しながら塞がれた口から強く息を吐き続ける
威嚇してるようにも許しを乞うようにも見えるその様は、まるで天敵にでも追い詰められてるかの如くだ

「…そうですよね、私はタブンネさんの大切な赤ちゃんを取っちゃったんです
 一緒になんか、居たくないですよね・・・」

女子社員は悟った、自分は絶対に許されることはなく、チビママンネとは二度と仲良くなれない事を
小べビンネを救ったと思いこんで舞い上がって、チビママンネの気持も何も考えないで…
楽しい暮らしを呑気に妄想していた自分を殴りたくなる
今の自分がチビママンネにしてあげられる事は、ただ一つしかない

「アレを捕まえるにゃやっぱりポケモンで少々痛めつけなきゃ厳しいんじゃ」
「いや、チカちゃんの目の前でそれをやるのは可哀そうですよ
 僕のドレディアが眠り粉を覚えてるからそれで頑張りましょう」
「それならなんとかなりそうですな、そうしましょうや
 それでダメならこっそり兄貴のルカリオの真空波を…」
「この際奮発して高いボール使っちゃおうよ」

一方、準備室の扉の前では会社の会社の3人と気が利く社員が何やら話し合っていた
連れ帰るにはチビママンネも捕まえさせなきゃいけないという事に後で気づいたからだ
作戦の方針を決めた後、4人は扉を開けた

「あ、皆さん…」
「チカちゃん、それは…」

3人の目に飛び込んできたのは、嬉しそうに小ベビンネを優しく抱きしめるチビママンネと
その姿を見て涙を流しながら微笑む女子社員だった
彼女の足元には、蝶番の所を踏み折られたモンスターボールが

「あ… ごめんなさい。せっかく貰ったものなのに…」
「いや、気にしねぇでいいですぜ。いや、でもそいつらを買うのをやめちまうんで?」
「いいえ、買う事には変わりありません。でも…」

女子社員は社長の顔を見つめてこう切り出した

「あのタブンネさんの親子を、元いた場所に帰してあげてください」
「えぇ! 1万5千円も払って野生に帰しちゃうの!?」
「いいんです、それがあの子たちにとって一番幸せですから
 それで、もう捕まえずにそっとしておいて欲しいです」

女子社員の選択に皆が困惑していると、チビママンネが部屋に危険な人間が集結してる事に気づき
小ベビンネに覆いかぶさって自分の身を縦にして守ろうとした

「チィチィ♪」「フォッ?!」

母親が傍にいると小ベビンネは暢気なもので、乳首に吸いついて母乳を飲みだした
社長はそれを見て「あれ、1個ミスってたかな?」と口から零してしまったが
運よく女子社員に聞かれる事はなかった

「私、あのお母さんタブンネにすごく嫌われちゃったんです。だから、もう一緒には居られないんです
 …でも、最後にもう一回だけ」

そう言いつつも女子社員はチビママンネに歩み寄る
チビママンネ息を荒くして警戒したが
女子社員はそれも気にせず床に膝をつき、チビママンネを抱きしめた

「…ファ?」

チビママンネが感じた女子社員の心の音は温かく優しく、そして切ない
それは昨日、怖い人間から守ってくれた時に抱きしめられた時と何も変わらぬままだった
だったら、なぜあの時自分からベビたちを奪ったりしたのだろうか…?
いくら考えようが、チビママンネの頭では納得する答えは出てこない

「それじゃ、眠らせますよ」
「まったく羨ましいぜ、俺も早く眠りたいよ」

その後チビママンネは眠らせてから箱に入れて持ち出す事が決まり
ドレディアによって再び粉がかけられた
さすがに日に3回もかけられると効きが遅くなってくるようで
眠っているというよりかは微睡んでいるといった様子だ

「チィ… チィ…」

朦朧したまま箱に寝かされる際、
小ベビンネが女子社員に向かってその小さな手を伸ばしているのが見えた
それはまるで、別れを惜しんでるかのように
この人見知りな子が好きになるって事は、やっぱりあの人はいい人間なのかな…
そんな事を最後に思い浮かべ、チビママンネの意識は闇に落ちた


「・・・ミィ!?」

チビママンネが目を覚ました時、そこは車に揺られる暗い箱の中だった
またベビを奪われたのかと一瞬焦ったが、
自分の隣からは聞きなれた小さな可愛らしい寝息が聞こえてくる
ホッと一安心したが油断は出来ない、外からはあの恐ろしい男二人と社長の声も聞こえてくるのだから

「あんないい子に飼われたらあのタブンネも幸せだと思うんだがなぁ」
「そうですぜ、代わりに俺が飼われたいぐらいでさ」
「うぇー、リマくんの変態!」
「まー、一人暮らしだっつうし、それで2匹飼うのは辛ぇもんがあるなー」
「大人になると1メートル超えちまいますからね、そうなると餌もかなり食うし」

そうこうしてるうちに3時間近く経ち、チビママンネの故郷の林に辿り着いた

「それじゃタブンネちゃんたち、出てきて~」
「ンミミ…」「チィ・・・」

3人は林の近くに車を停め、そこでチビママンネ親子を解放した
2匹ともマーカーをつけておき、間違えて捕まえないように配慮も万全だ
11月の午後6時はもう夜だが、星と月が林を薄明るく照らしている
社長はビデオカメラを回していた。後で証拠として女子社員に送るつもりなのだ

「ここがタブンネちゃんたちの故郷だよ~」
「ミィ… ミィ…!」「チィ!」

チビママンネは小ベビンネを抱きながらキョロキョロと辺りを見回し、聞き耳を立てた後
トテトテと走りだして脇目も振らずに林の藪の中に入って行った
一刻も早く社長たちから逃げたかったのだ

「…行っちゃったね」
「…はい」
「…私たちも帰ろうか」

社長一行も車を出して帰っていく。3人とも往復6時間の長旅でとても疲れていたのだ

「ミィ!ミィ!ミィ!」

わが子を落とさないように気をつけながらも、林の中を全速力で走るチビママンネ
帰ってこれた事が嬉しくて気持ちは逸るばかりだ
思えば地獄のような三日間だったが、思い出すのはあの女子社員の事だ
一緒にベビの世話を頑張って、おいしい食べ物をくれて、怖い人間から守ってくれて
痛かったお乳を治してくれて、おっぱいも出るようにしてくれて…
悪い人間たちからこの子を取り返してくれたのもあの優しい人間かもしれない
ひょっとしたら、優しい人間は悪い人間にに脅されるか騙されるかして
無理やり酷い事をさせられていたのかもしれない
もしそうだとしたら、悪い人間から助け出して、ここに連れてきてあげたかったな…

「ミィ!」
「ミッミ!」

チビママンネの妄想は不意に浴びせられタブンネの声によってストップさせられた
その声の主はあのお隣さんタブンネである

「ミ、ミィィ…」

本来ならば再会を喜ぶべき場面だが、チビママンネは後ろめたさを感じていた
ベビたちを全員連れ戻してくると言って飛び出したのに、助けられたのは僅かに自分のベビ一匹
お隣さんのベビは一匹残らず人間に連れ去られてしまったのだ

「ミッミミィ! ミィ!」
「ミミィ…!」

それにも関らず、お隣ンネは再会できたことに素直な大喜びだ
お隣ンネは自分のベビの事を人間にさらわれた時点で死んだと思って諦めていた
もちろんベビたちが可愛くない訳はないし、大事じゃない訳でもない
以前に思い知った人間の強さと恐ろしさと兄貴分に蹴り飛ばされた子タブンネの看病
この二つの要因での断腸の思いでの決断である
チビママンネも2日帰って来なかった時点で死んだものと思っていたのである
しかし、この自分よりずっと若い小さなタブンネは諦めずに人間の棲家へと押し入り、
遂には一匹だけであるがわが子を取り戻してしまったではないか
その勇気と奇跡にはただただ賞賛し喜ぶばかりだ

「ミィミ!ミィ」
「ミィーミ!!」

お隣ンネの喜ぶ顔で心も軽くなったチビママンネは一緒に巣のある場所に戻った
そこにあるのは懐かしい我が家
しかも、ドリュウズに破壊された屋根が奇麗に修復されている
留守の間にお隣ンネが直してくれていたのだ

「ミィ… ミィ…」「チィ!チィ!」

巣の入り口の前、生きてここまで帰ってこれた事に、チビママンネは嬉し涙を流す
腕に抱かれた小ベビンネもぱぁっと嬉しそうな笑顔で
巣に向かって小さな両手を伸ばし「早く入ろう」とせがんだ

幸せの絶頂のような様相だが、チビママンネとお隣ンネはある事に気が付いていなかった
いや、気が付いていたけど気にしなかったというべきか
いやいや、「気にしないようにされていた」というのが一番正しい表現だろう
自分のすぐ後ろを、四足歩行のポケモンが付いてきた事に

「あのタブンネ親子、あの後どうなるのかな?」
「んー、結構大丈夫じゃないですかね。あの辺にゃでかい肉食ポケモンもいないし
 食い物だって根っこが食えそうな草やドングリもありましたし、山の芋のむかごだって見かけましたぜ
 まぁー赤ん坊が沢山いたら持たねぇでしょうが、母一匹子一匹なら何とかなるでしょう」
「へぇー、じゃあ、なにも心配いらないねー」
「タブンネの心配するなんてらしくないですなぁ」

車の中で呑気な一行だが、社長もまたある事に気がついていなかった
タブンネたちとは違って撮影に夢中で素で気が付いていなかった…
自分のカバンの中に入れていたモンスターボールがパックリと口を開けている事に

「フィッフィーー!」
「ミィ?」「チィィ?」「ミ?」

巣に入ろうとするチビママンネと小べビンネは、不意に聞こえてきた澄んだ高い声に振り返る
そこで月光に照らされて小さな親子を見つめるのは長い耳とリボンの触角を風に揺らすピンク色のポケモン
「シルフィ」と名付けられた社長のペットのニンフィアだった

最終更新:2017年08月20日 20:40