通じない言葉

<プロローグ>へ
<通じない言葉>

何もない平原をタブンネは歩く。
すっかり荒れ果ててしまった平原をタブンネは歩く。
何かをするでもなく、何か目的があるわけでもなく、ぼんやりとタブンネは歩く。

タブンネの頭の中では、仲間のタブンネの最期の声が何度も繰り返されている。
助けて。まだ死にたくない。
仲間の言葉は呪いのように、タブンネの頭の中で何度も繰り返されていく。

だからタブンネは気付けなかった。

遠くから聞こえていたはずの、人間の話し声に。
声の主が自分のすぐそばまでやって来ていることに。

『おい。お前はなんだ? そこで何をしている?』

声をかけられ、タブンネはビクリと身をすくませる。
突然声をかけられたことにも驚いたし、いつのまにか人間に接近されていたことにも驚いた。

タブンネは声をかけてきた人間をまじまじと見る。
見慣れない姿。イッシュの人間とはどこか異なる雰囲気の男。何を言っているのか理解できない言葉。
状況がまったくわからず、タブンネは困惑した様子で立ちつくす。

『おい? このへんでイッシュのやつらを見なかったか? 何か知らないか?』

何のリアクションも起こさないタブンネに対して、その男は再び言葉をかける。
しかし、タブンネには男が何を言っているか理解できない。
イッシュに生きるタブンネには、イッシュの言葉しか理解できない。
タブンネはどうしていいかわからずに、ただ「ミィ……」と小さく鳴くことしかできなかった。

『me……? お前、自分がそうだって言ってるのか? つまり、そういうことか?』

男の言葉はタブンネにはわからない。それでもタブンネは笑顔を浮かべる。
タブンネというポケモンに特有の、親愛を表現するやわらかい笑顔。
あなたのことはわからない。だけど、せっかく出会ったのだから仲良くしましょう、と。

男は何かを納得したようにうなずく。
タブンネの笑顔を、質問に対する肯定と受け取ったようだ。

次の瞬間、軍靴の硬い靴先が、無防備に立つタブンネの腹にめり込んだ。

「ミ……!? ガハッ……!? ミィィッ……!?」

親愛の情を向けた相手から振るわれた暴力。
突然の衝撃は体の奥深くまで広がっていき、タブンネの内臓が収縮する。

「ア゛!? エ゛エッ!? エッ! エエッ!」

内臓全体が裏返るような感覚。
タブンネの胃が痙攣し、中身をすべて外に送り出そうとする。
しかし、数日間、何も食べていない胃はからっぽで、タブンネは空えずきを繰り返すだけだ。

地面を這って逃げようとするタブンネに、男はさらに暴力をふるう。
タブンネにはわからない言葉でタブンネを罵りながら、何度も蹴り上げ、何度も踏みつける。
容赦なく襲い掛かる暴力の嵐を、タブンネは体を丸めて必死に耐える。
そして、それは始まったときと同じように、唐突に終わりを迎えた。

『何を騒いでるんだ? イッシュのやつらに見つかっちまうぞ』

タブンネに暴行を加える男と異なる、別の男の声。
やはり、その言葉の意味はわからない。だが、タブンネにとっては苦痛から解放してくれる救いの声。

『いや、こいつにイッシュ軍を知ってるかって聞いたら「me」って答えたもんだからよ……』
『……は?』

2人のやり取りをタブンネはうつろな顔で眺める。
やがて、あとから来た男がタブンネのところに来ると、タブンネのことをまじまじと見つめてくる。
これで解放される。そう思ったタブンネは笑顔を浮かべ、弱々しく「ミィ」と鳴く。
それを見て、あとから来た男は『ククク』と笑い始めた。

『あれだろ。こいつ、鳴き声が「ミィ」なんじゃないか?』
『え?』

『『…………』』
『『…………ハッハッハ』』
『『アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!』』

顔を見合わせたかと思うと、突然笑い出す男たち。
わけがわからないながらも、楽しそうな様子にタブンネの気持ちも少しばかり晴れやかなものになる。

『この糞野郎が。無駄な時間使わせやがって』

笑顔から表情を一変させた男が、倒れているタブンネの触覚を乱暴につかむ。
敏感な触覚をつかまれたタブンネの顔が苦痛にゆがみ、触覚を通して男たちの感情が流れ込む。

憤怒。敵意。興味。嘲弄。悪意。

それらの感情をタブンネはよく知っている。
まだ戦争が始まる前、森で暮らしていた時に幾度となく向けられた感情。

「ミィィィィィィ――――ッ!!」

獲物として狩られ続けた苦痛と恐怖の日々がよみがえり、タブンネの口から悲鳴が上がる。

『うるせーんだよ、カス!』

タブンネの悲鳴を遮るように、男たちがタブンネの顔を踏みつける。
顔面を地面に押し付けられ、タブンネの口が渇いた土を噛む。

『なあ、これどうする?』
『あん? そうだなぁ……』

必死にもがき、タブンネは何とかしてこの場から逃げようと試みる。
しかし、男たちはタブンネを踏む足にさらに体重をかけていき、タブンネが逃げることを許さない。
徐々に増えていく圧力に、タブンネの頭蓋がミシミシと軋みをあげる。

早く逃げないと。早く逃げないと。
どんどん強くなっていく痛みを無視し、タブンネは必死に地面を掻く。
だって早く逃げないと――

『とりあえずぶっ壊れるまで遊んでやろうか』
『いいなそれ』

狩られ続けたあの日々が優しく思えるほどの地獄がこの先に待っているのだから。


「ミィ……?」

最初、タブンネは自分がどこにいるのかわからなかった。
固い地面の上でうつぶせの状態で踏まれていたはずだが、今の自分は何かやわらかいものの上で仰向けになっている。
夢でも見ていたのかと思ったが、全身に走るひどい痛みがそうでないことを教えてくる。
音から周りの状況を判断しようと、目を閉じて、耳に全神経を集中させる。

「しかし、面倒なことになったなぁ」

人の話し声。しかも、それはタブンネにわかるイッシュの言葉。
どうやら、自分はイッシュの人に助けてもらったらしい。

地獄から解放された事実に、タブンネは安堵の息を吐いて笑顔を浮かべる。
しかし、次の瞬間、タブンネの笑顔は一瞬で凍りつくことになる。

「あのタブンネが敵に情報を流してたらしいな」
「ああ。それでこのあと尋問だってさ。軍の伝統にのっとった、とびっきりヤバいやつ」

タブンネの体が震えだす。
自分はこれから、敵に情報を流したスパイとして尋問されるのだ。

逃げようと体を起こそうとしたタブンネだが、激しい痛みのせいで思うように体をうごかせない。いや、ちがう。
タブンネは気付いた。自分の体が革のベルトで台にしっかりと縛り付けられていることに。

「ミッ、ミィィ……!?」

自分を逃がす気などないことに気付いたタブンネの口から悲鳴のような鳴き声がもれる。
その鳴き声で、タブンネが目を覚ましたことに気付いた人間たちの会話が止まる。

「あ、起きたみたいだな。上官のところに連れて行かないと」
「そうだな。……そんな顔すんなよ。ちゃんと本当のことを話せば大丈夫だって。」

無事に済むとは思えないけど。
ニヤニヤと笑いながらそうつぶやくと、2人は台を押して、タブンネをどこかへと運んで行く。

言葉が通じるということは決してよいことばかりとは限らない。
言葉が通じるからこそ、伝わってしまう悪意というものは確実に存在する。

タブンネの瞳からは次々と涙があふれだす。
これから先、自分の身に待ち受けている未来と、そこから予測できる恐怖に体を震わせながら。


最終更新:2014年06月19日 23:09