「もう1度だけ言おう。我々は君のポケモンとしての権利を尊重するつもりでいる」
椅子に座っている男が声を発する。
とても暗い部屋だ。小窓の1つもく、天井に吊るされた電球が照らすだけの暗い部屋。
電球に照らされた男の顔がやわらかい微笑みのかたちをつくる。
「さあ、なんの情報を流したのか正直に言うんだ。そうすれば、すぐにでも君を野生に返してあげよう」
軽く握り合わせた両手をテーブルの上に置き、テーブルの反対側にいる相手に優しく語りかける。
テーブルの反対側。そこにいるのは椅子に座っている――いや、座らされているタブンネだ。
手は後ろに回した状態で固定され、体を動かせないように、椅子の背もたれにロープで縛りつけられている。
最初はしびれていた足も、長時間の拘束によりすっかり感覚がなくなっている。
「ミッ……ミィィ……」
かろうじて動かせる顔を対面の男に向けて、必死に訴える。
自分は何もしていない。あそこにいたのは偶然で、敵の兵たちには暴行を受けていただけなのだと。
それは些かの誇張もない正当な主張。しかし――
バァン!
男が机をたたく。部屋全体が震えるかと思わせるほどの大きな音。
耳のいいタブンネにとって、その音はただ殴られるよりもつらいもの。目を閉じ、歯を食いしばる。
「さっきから言ってるだろう! 「ミィ」じゃわからん! 我々にもわかるように話せ!」
さきほどから何度も繰り返されるやり取り。
男は言っているのだ。鳴き声ではなく、人間の言葉を使って話せ、と。
もちろん、ただのポケモンであるタブンネにそんなことができるはずもない。
タブンネは涙を流しながら首を横に振る。
「ほう。首を横に振ったということは、教えるつもりはないってことか。なんとも見事な口の堅さだ。
スパイじゃなければ、看護兵として正規に使ってやってもいいぐらいだ」
タブンネはうつむく。
どうやったところで自分は解放されない。こうやって縛り付けられたまま生きていくしかないのだ。
タブンネは顔を上げると、部屋の中を見回して助けを求める。
部屋の中にいるのは男とタブンネだけではない。部屋の中には、男以外に数人の兵士がいる。
彼らは何かをするわけでもなく、ただじっと立ったまま、男とタブンネのやり取りを見つめている。
そして、その中の1人が前に出て発言する。
「あの……タブンネに尋問するということが無理な話なのではないでしょうか」
男はタブンネから、発言をした兵士のほうに目を向ける。
部屋の中が数瞬だけ沈黙し、男が口を開く。
「報告書は見たか? 戦場だというのに、このタブンネと敵の兵士が楽しそうに笑っていたらしいぞ。
タブンネが何か情報を流していたとしか考えられない。そうだろう?」
ちがう。
笑っていたのはあの男たちだけで、タブンネはひたすら叫び続けていただけだ。
まったく楽しくなんてなかったし、情報を流したりもしていない。
真実が正しく伝わっていないことにタブンネは悔し涙を流す。
そんなタブンネを無視して男は立ち上がると、前に出た兵士の肩にポンと手を置いて命令する。
「そうだな。どうも俺はタブンネの尋問には向かんようだ。お前が代わりに尋問しろ。
どんな方法を使ってもかまわん。1人でやってもダメなら、この部屋全員でやってもいいぞ。」
怪訝な顔をする兵士であったが、男の意図を察するとニタリと笑みを浮かべてうなずく。
兵士が部屋の中全体に呼びかけると、部屋にいた全員が集まりタブンネを囲む。
不穏な空気を感じたタブンネの表情が曇るのを確認すると、男は「殺さない程度にな」と言って部屋を出る。
男が扉を閉じる瞬間、兵士たちの怒鳴り声と、タブンネの「ギャァァァァァッ!」という叫びがかすかにもれたが、
完全に閉じた瞬間、不思議なことにその音はまったく聞こえなくなる。
「こんなことでもなきゃ、戦争なんぞやってられんよ」
男は晴れやかな顔で廊下を進む。
端から尋問する気などなかった。男がやったのはただのストレス解消だ。
戦争というものは想像以上にストレスがたまる。
だからこそ、何でもいいのでストレスを発散する方法を見つけなくてはならない。
今回、タブンネが何もしていないことなど理解している。
たまたま「タブンネと敵兵がいっしょにいて」「そこから笑い声が聞こえていた」という材料があったからこそ、
尋問する理由とするために事実を捻じ曲げて報告した。ただそれだけのことだ。
タブンネ狩りが当たり前に行われるイッシュにおいて、タブンネに暴力をふるうことに抵抗を持つ人は少ない。
あの防音性の高い部屋で行われている拷問、いや、尋問は相当に苛烈なものになっているだろう。
そんなことを考えながら男は廊下を進む。
尋問はまだ続いている。だから、部屋が使えないということを報告するために。
兵士たちのストレス解消を誰にも邪魔させないようにするために。
「ヒュー……ヒュー……」
人とポケモン。どちらが強いかと言われれば、誰もがポケモンだと答えるだろう。
ポケモンの力に人は及ばない。ポケモン相手に自分で直接戦わず、自分の持っているポケモンを戦わせる。
「ヒュー……ヒュー……」
だからこそ、人が直接ポケモンに攻撃を加えるとき、それは容赦のないものになることが多い。
そして、それは攻撃性が高いとは言えないタブンネ相手であっても例外ではない。
だがそれでも、この部屋でタブンネに対して行われた行為は、明らかに常軌を逸していた。
「ヒュー……ゴホッ、ゴホッ……ヒュー……ヒュー……」
木製のテーブルの上でうつぶせにされ、限界まで引っ張られた四肢を錆びた鉄釘が貫いている。
尻尾は引きちぎられ、背中には裂傷やみみず腫れが数えきれないほど大量に走る。
殴られ続けた顔面は目を開けられないほど腫れ上がり、舌にはいくつもの水ぶくれができている。
尋問という建前など完全に無視され、ただ一方的に暴力を振るわれたタブンネの姿。
男の言っていた「ポケモンとしての権利の尊重」など、そこにはひとかけらも存在していない。
「これ、そろそろ持ってっちゃっていいかな?」
白衣を着た老人が、部屋の中にいる兵士たちに尋ねる。
問いかけに対し、晴れ晴れとした笑顔を浮かべた兵士たちは「いいぜ」と言ってコクリとうなずく。
「じゃあ悪いけど、この台車に乗っけてもらえない? それ、けっこう重いからさ。
この歳になると、持ち上げるだけでもきついんだよ」
テーブルに固定されているタブンネの体を、兵士たちが力任せにテーブルから引きはがす。
鉄釘に貫かれていた四肢の一部が裂けていき、その激痛にタブンネが悲鳴を上げようとする。
しかし、その口からはかすれた叫び声が出るだけ。のどをつぶされて叫ぶことすらできないのだ。
「うるさいなぁ。……尻尾ってまだある?」
兵士の1人が部屋の隅に落ちていた尻尾を拾い、白衣の老人の方に持っていく。
老人は尻尾を受け取ると、必死に叫ぼうとしているタブンネの口の中にそれを突っ込む。
タブンネが静かになったことに満足そうにうなずくと、老人はタブンネを乗せた台車を押していく。
「さて、これの特性が『いやしのこころ』じゃないことを祈るばかりだ。
貴重な実験動物なんだから、簡単に死んでもらっちゃ困る。『さいせいりょく』だといいなぁ」
声を出すことすら封じられ、タブンネは台車の上で静かに涙を流す。
粗雑な扱いに加え、「これ」「それ」という言葉からはタブンネのことを物扱いしていることがわかる。
もはやポケモンとして扱ってもらうことすらできない。
そして「実験動物」という言葉。
これから何をされるかはわからない。
ただ――
自分が仲間たちとの平穏な暮らしを送ることなど二度とできない。
それだけは、はっきりとわかった。
最終更新:2014年06月19日 23:09