親と子と

ミィ、ミィ
早朝の静かなリビングに、幼いタブンネの声が聞こえる。
夜が明けて目を覚まし、自分が空腹であることに気付いた子タブンネがそのことをアピールしているのだ。
その小さな鳴き声を目覚ましにして、俺はベッド代わりにしているソファーから体を起こす。
子タブンネの声が聞こえたのだろう。
俺の相棒であるラッキーがリビングに姿を見せている。
子タブンネをあやすようにラッキーにお願いしてから、ミルクをとるためにリビングを出た。

ラッキーに抱っこされた子タブンネがミルクを飲んでいる。
哺乳瓶をしっかりと両手でつかみ「んくっんくっ」とおいしそうにのどを鳴らしている。
子タブンネの飲みっぷりを見ていると、こっちとしても飲んでみたくなる。一口ぐらいくれないだろうか?
そんな俺の考えが子タブンネにはわかったのか、哺乳瓶を持つ両手にぎゅっと力が入る。
盗らないから安心して飲みなさい。

『他人のポケモンの育成』
それが俺の仕事だ。
レベル上げはもちろんのこと、反抗的なポケモンを躾けたり、人間社会で働くための技術をポケモンに教えたりしている。
幅広く仕事を請け負っているためか、ローンを組んだとはいえ、この年齢で家を持てるぐらいには稼いでいる。

ちなみに、子タブンネはわが家のポケモンではない。
「大会まで時間が足りないのでポケモンのレベルを上げてほしい」
その依頼を受けて、定番のタブンネ狩りを行っていた時のことだ。
1匹のタブンネを倒すと、近くで「チィチィ」というタブンネの鳴き声が聞こえた。
声の主はまだ目も空いていない小さなタブンネで、俺が倒したタブンネの子どもだった。
幼いタブンネから母親を奪ってしまったことに罪悪感を感じ、自立できるようになるまでは世話をすることにしたわけだ。

しかし、これが予想外に大変だったわけで。
目が開いた子タブンネは好奇心旺盛で、ラッキーだけで世話をするのはラッキーへの負担が大きすぎる。
そのうえ、子タブンネに飲ませるミルクを用意できるのは俺しかいない。
おかげさまで、子タブンネが育つまで仕事はお休みだ。

ラッキーと子タブンネがリビングで遊んでいるのを確認し、俺はリビングを出て地下室に向かう。
わが家の地下室は訓練やトレーニングに使用する場所だ。そのためとても広く、防音加工も施されている。
そんな広くて静かな地下室の真ん中。1匹のタブンネが横たわっている。
子タブンネの母親であるタブンネだ。
倒されたときのダメージが大きかったためか、自力で動き回ることはできず、すべての行動を俺が手伝っている。

タブンネの目の前には1台のノートパソコンが置いてある。
「フィィィ……フィウゥゥ……」
その映像を見ているタブンネが、ほとんど動かない口から鳴き声を絞り出す。
タブンネの見ている映像はわが家のリビングの様子だ。
リビングに設置してあるカメラにつながれた映像。
そこにはラッキーと子タブンネが仲良く遊ぶ様子が映っている。
元気に育っているわが子。その横にいるのは自分以外のポケモン。
母親であるタブンネとしては複雑な気持ちだろう。

しかしまあ、ろくに身動きのとれないこいつじゃ子タブンネの世話はできない。
俺だって善意でタブンネの生活介助をしているわけではない。
「タブンネ、しぼるぞ」
母タブンネの体を横向きにし、ミルクをしぼって哺乳瓶に入れていく。
母タブンネは嫌そうな顔をしているが、文句を言うこともなくミルクをしぼられている。
今の自分にできることは、子どもにミルクを与えるくらいしかできないと理解はしているのだろう。
どんなに不自由な生活でも子どもに自分の愛情が届くならそれでいい、と割り切っているのだ。

リビングに戻るとラッキーと子タブンネが仲良く眠っていた。
2匹でよりそって眠る姿はまるで本当の親子のようだ。
その幸せそうな姿を見ていると、こっちまで幸せな気持ちになれる。
「さあ起きて。お昼ご飯の時間だよ」
俺の声に目を覚ました2匹は大喜びで俺のもとにやって来る。
ラッキーにはポケモンフーズ。子タブンネにはミルク。
おいしそうにご飯を食べる2匹を見ながら、俺は自分自身の昼食を作り始める。



――それから1ヵ月後。

小さかった子タブンネはすっかり大きくなった。
大人のタブンネと比べるとふた回りほど小さいものの、その姿は立派なタブンネだ。
今ではミルクを卒業し、ラッキーと同じポケモンフーズを食べるほどになった。
もう自分の力で生きていくことは可能だろう。
「あいつはもう立派なタブンネになったよ。ラッキー、覚悟はしておいて」
別れの時はすぐそこまで迫っている。

ラッキーと子タブンネといっしょにヤグルマの森に出かける。
子タブンネはお出かけが楽しいようで、短い足で器用にスキップをしている。
ヤグルマの森に到着すると、俺はモンスターボールを取り出し、その中に入っているポケモンを外に出す。
出てきたのは母タブンネだ。
あいかわらず自由に動けない体で地面に横たわっているが、自分の子どもと再会できて嬉しいのか
「フィッ、フィフィ」と明るい声で鳴いている。

ボロボロのタブンネが目の前に現れたことで子タブンネは驚いていたようだが、やがてハッとした。
まだ目は見えていなかった幼いころ、母親の姿はわからない。
しかし、タブンネの優れた聴覚が幼いころに聞いた本当の母親の声を思い出す。
呆然とした様子で固まる子タブンネに声をかける。
「お前が選びたい方を選べ」

+ 分岐Aへ
<分岐A>
俺、ラッキー、母タブンネ。
三者からの視線をうける子タブンネ。
迷っていたようだが、自分の中で答えが出てようで「ミィ」と決意したように鳴く。
子タブンネは俺とラッキーの方に頭を下げ……

母タブンネのもとに駆け寄っていった。
涙を流しながら母タブンネに抱きつく。実の母親に会えたのだ。当然だろう。
子どもが自分のもとに戻ってきた母タブンネも、再会できたことに涙が止まらないようだ。
「……帰ろうかラッキー」
俺がそう言うと、ラッキーは少しさびしそうな表情でうなずいた。
覚悟していたとはいえ、親子のように過ごしてきた子タブンネと離れることはつらいのだろう。

子タブンネは必死に『いやしのはどう』を母タブンネにむかって放っている。
俺が子タブンネに覚えさせた、たった1つの技だ。
そう、たった1つの。

タブンネ親子のまわりに『あまいミツ』をまいておく。
ここはヤグルマの森。
ペンドラー、ケッキング、メガヤンマ、ダゲキ、ナゲキ……
あまい香りにさそわれてどのポケモンがやってくるのか。
『いやしのはどう』だけでどこまで抵抗できるかな?

思わずにやけてしまう口を手で隠し、優しい顔を作ってラッキーに話しかける。
「明日から仕事再開だ。がんばろうな、ラッキー」
俺の言葉に笑顔で応えるラッキーの頭をなでる。
とても優しくて他人思いな相棒の前だけでは、俺も優しい人間でいよう。
そう決意して、俺はヤグルマの森を後にした。

(おわり)

+ 分岐Bへ
<分岐B>
俺、ラッキー、母タブンネ。
三者からの視線をうける子タブンネ。
迷っていたようだが、自分の中で答えが出てようで「ミィ」と決意したように鳴く。
子タブンネは俺とラッキーの方に頭を下げ……

ラッキーに駆け寄って、その大きなお腹に抱きついた。
自分を産んだだけの母タブンネよりも、自分を育ててくれたラッキーの方を選んだのだ。
ラッキーのお腹に顔をうずめ、ポロポロと涙をこぼしている。
抱きつかれているラッキーの瞳もうるんでいるように見える。
信じられないという顔をしている母タブンネに近づき言葉をかけてやる。
「お前の子どもはお前のことを選ばなかったよ」
そして、悔しそうに下を向くタブンネに真実を教えてやる。

「お前の子どもはミルタンクからしぼった高級ミルクで育てたよ。
 お前の出したミルクは全部、俺が飲んでやったよ。まずかった。
 残念だったな。お前の愛情は子どもには何ひとつとして届いてないぞ」

母タブンネの表情がいろいろな感情へ次々と変わっていく。
驚愕、怒り、悲しみ、悔しさ、そして絶望。
自分の口元がにやけていくのを止められない。
その顔が見たかった。
善意なんかでお前を生かしていたわけじゃない。
その顔を見るためだけに、今日までわざわざ生かしておいたんだ。

自分が異常だということの自覚はある。
俺はタブンネの苦しみや絶望を見ることで異常に興奮してしまう人間だ。
『他人のポケモンの育成』の仕事を始めたのも、その過程でタブンネ狩りを合法的に行うことができるからだ。
今まで何十匹、何百匹ものタブンネの最期を見てきた。
どのタブンネも最後は苦悶の表情で死んでいった。
思い出すだけで笑いがこみあげてくる。

歪んだ表情のまま母タブンネに背を向け、ラッキーと子タブンネの方を見る。
ラッキーが子タブンネを優しく抱きしめ、子タブンネもラッキーにしっかりと抱きついている。
それを見ていると、自分の中の何かが洗い流されていく気がした。
いつの間にか、自分が優しい気持ちになっているのに気付いた。
お互いを思いやる2匹の姿が俺の心に触れたのだろう。

俺はラッキーと子タブンネのもとに行く。
「さあ、家に帰ろう」
確かに、俺は異常な人間だ。
それでもこの2匹がいれば、俺も普通の人間になれるのかもしれない。
いや、ならなくてはいけないのだ。2匹が誇れる立派な人間に。
そして俺たちはヤグルマの森を後にした。

1匹増えた、新しい家族とともに。

(おわり)
最終更新:2014年12月30日 17:51