「ミッミッ!ミィッ!」「ミィ……」
機嫌を損ねた子タブンネが何やら叫んでおり、困り顔のママンネが宥める。
「またか」と周囲のポケモン達は呆れ顔だが、手を休めることなく仕事を続けている。
ママンネは仲間達に「ごめんなさい」と頭を下げながら、子タブンネを説得するも、
癇癪を起こした子供は簡単に落ち着きそうにない。
ここは俺が経営する木の実農園。
たくさんのポケモンが、力を合わせていろいろな農作物を作っている。
大人のポケモンはもちろん、子供でもある程度大きくなったら、
きちんと仕事を教えて一人前として扱い、成長させるのが俺の義務だと思っている。
だが、この子タブンネはどうもそれを理解してくれないらしい。
ママンネは気立ても良い働き者なのだが、優しすぎるせいか子供を甘やかしてしまったようだ。
子タブンネには労働のごく初歩である種蒔きや草むしりから始めさせているのに、
たちまち飽きただの疲れただの言ってはママンネを困らせる。
これでは他のポケモンに示しがつかない。何とか指導しなくては……
「なあママンネ、君はそのまま仕事を続けてくれ。俺が言い聞かせるよ。
子タブンネちゃん、ちょっとこっちに来てくれないか」
ママンネは済まなそうな表情で、「ミィ…」と子タブンネを促す。
まだ膨れっ面の子タブンネは渋々俺の後を着いて来た。
畑から離れ、俺は家の裏手まで来たところで振り返り、子タブンネを諭し始めた。
「子タブンネちゃん、ここではみんな働いて自分のご飯を得ているんだよ。
遊びたい気持ちはわかる、でもそれがルールなんだ。
君には決して難しいことをやらせているつもりはない、そろそろわかってくれないか」
優しく訴えてみたが、まだ子タブンネはご機嫌斜めで聞いているのかいないのかわからない。
俺は作業着のポケットからオレンの実を取り出し、子タブンネに手渡した。
「ほら、このいつも何気なく食べてるオレンの実だって、みんなが苦労して作った結晶なんだ。
汗水流して作ってみればわかる、きっと格別美味しいはずだよ」
子タブンネは無言でオレンの実を見つめていたが、それを地面に叩き付けた。
「ミッ!!」
そして事もあろうに、足で踏みつけたのだ。
それを見た時、俺の怒りは瞬間的に沸点に達した。いくら子供だろうとやっていい事と悪い事がある。
俺は食べ物を粗末にする奴は大嫌いだ。ましてや足蹴にするなど……!
祖父、そして親父から受け継いだこの農園の努力の結晶を侮辱する者は、決して許すわけにはいかない。
「そうか、よくわかった……そこまでして働きたくないんだな? だったらどこへでも行っちまえ!!」
家の裏手は切り立った崖になっており、原生林が広がっている。
俺は子タブンネを引っ掴むと、そこを目掛けて思い切り放り投げた。
「ミィ――ッ!!………」
悲鳴を一声残し、子タブンネは宙を飛んで原生林の中に姿を消した。
「はっ…!?」
俺はふと我に返った。いくら頭に血が上ったからといって、さすがにこれはやり過ぎだろう。
この斜面を子タブンネが登ってこれるわけがないし、あの甘ったれが原生林で自力で生き抜けるとも思えない。
かと言って俺が捜索しようにも、怪我をするか二次遭難になるのがオチだ。
どう考えてもあいつは野垂れ死にするしかないのだ。
「くそっ、お前が悪いんだぞ。
自業自得だ」
俺は呟きながら、踵を返して作業場に戻った。どう言い訳したらよいものか……
俺の姿を見て、ママンネが近付いてきた。
「ミィ…?」
心配そうな顔つきで聞いてくる。心苦しいが、さすがに崖から投げ殺したとは言えない。
「すまない、説得できなかった。それどころか『もう働きたくない、ここを出てゆく』とさ」
「ミィッ!?」
ママンネは驚いて、走り出そうとする。追いかけて引き止めるつもりなのだろう。
「追うんじゃない!俺も経営者として、これ以上わがままを許すわけにはいかないんだ。
それに子供の事さ、腹が減ったら戻ってくるだろう」
「ミ、ミィィ……」
がっくりと肩を落とし、ママンネは悄然としながら作業に戻ってゆく。
(悪かったな、嘘をついて。だが遅かれ早かれ、本当に家出してたかもしれないしな…)
心の中で、ママンネへの謝罪とも自分自身への弁解ともつかぬ言い訳を呟きながら、俺も作業に戻った。
夜になって農作業を終えたポケモン達は、共同生活をしている俺の家の食堂で、
わいわいにぎやかに夕食を楽しんでいる。
そんな中、ママンネは食事にも手を着けず、涙を流しながら窓際にたたずんで外を眺めていた。
もしかして子タブンネが戻ってくるのではないかと、一縷の希望に縋っているのだろう。
だが外は雨が降り出していた。森に放り出され、晩秋の冷たい雨に打たれた子タブンネはもう生きてはいまい。
俺はママンネの肩をぽんと叩いた。
「悪い事は言わない、あの子の事は諦めろ。もう戻って来ないよ」
そんな一言では割り切れないのだろう、ママンネはまだ涙ながらに外を見つめ続ける。
俺も後ろめたさでやりきれなくなってきた。早いところ、新しいオスのタブンネを見つけて番いにさせよう。
新たな卵が生まれれば、きっとあいつがいなくなったショックからも立ち直れるだろう……
夜が明けた。昨夜の雨も降り止み、今朝はとてもいい天気だ。
俺はいつもポケモン達より早く起きている。朝食の準備や、今日の作業の段取りなどがあるからだ。
家の中のカーテンを開けて回っていると、ママンネがふらふらと俺に近付いてきた。
「ミィィ…」
一睡もしていないらしく、青い瞳を泣き腫らしている。俺の心は痛んだ。
「寝てないのか。気持ちはわかるが……。今日は仕事を休んだ方がいいな」
言いながらベランダのカーテンを開けた俺はぎょっとした。
外のガラスの下のほうに、何やらピンク色の物体が貼り付いていたのだ。
「ミィィィィ!?」
ママンネの絶叫を聞くまでもなくわかる、子タブンネが戻ってきたのだ。
しかし外に出た俺とママンネは、残酷な現実を直視せざるを得なかった。
子タブンネはベランダのガラスに両手を突いて、ぺたりと貼りついたまま、眠るように死んでいた。
体は氷のように冷たい。昨夜の雨にさらされて凍死したのだろう。
「ミッヒィィィエエエエエエエン!!」
物言わぬ我が子を抱き締めて号泣するママンネを見ながら、俺の脳裏には二つの思いが去来していた。
一つは驚愕。まさかこいつがあの原生林の崖をよじ登って帰還するとは、想像すらしなかった。
こんな根性があるのなら、なぜそれをもっと早く発揮してくれなかったんだ。
もう一つは後悔。あの時、俺がカッとなってこいつを放り投げなければ……
あいつが俺の話に耳を傾けていてくれれば……ママンネがもっと厳しく育ててくれていれば……
だがもう遅かった。
俺とママンネは子
タブンネの墓を作った。その上にオレンの種を蒔く。
きっとたくさんのオレンの実が生るだろう。
(天国でそれを味わったら、今度はもっと素直な子に生まれてきてくれよ。
今度は俺ももっと辛抱強く教えてあげるからな)
心の中で子タブンネに呼びかけつつ、秋風の中、俺はママンネと一緒に手を合わせた。
(終わり)
最終更新:2014年12月31日 20:06