砂上の楼閣

水棲ポケモン飼育用の小型水槽を買ってきて、庭に据え付けた。
幼生を飼うための小型サイズとはいえ、高さ1メートル×幅2メートル×奥行き1メートルもある。
ガラスの厚みも1センチ以上あり、なかなか頑丈だ。
そこに、業務用の10kg袋の砂糖を5袋ほど投入した。でも菓子を作るのではない。
水槽の中に入った俺は、砂遊びする子供のように砂糖を盛り上げて、山を作ってゆく。
高さ50センチほどの砂糖の山ができあがる。パンパンと叩いて、ある程度固めて完成だ。

家の中では、1週間ほど前に拾ってきたタブンネの母子が昼寝していた。
腹を減らしていたので家に連れてきて餌をたっぷりあげたら、今ではすっかり俺に懐いている。
そっとベビンネだけを抱き上げて連れ出し、水槽の中に寝かせた。
水槽の外から手を伸ばして、チィチィと寝息を立ててまだ熟睡しているベビンネを揺り起こす。

「起きなよ、ベビちゃん。いいものがあるよ」「チィ…チニャ、ア~…チィィ…?」
目をこすりながら目覚めたベビンネは「まだねむいのに」と言いたげな顔で俺を見上げた。
そして、四方を取り囲むガラスの壁と、そびえ立つ砂糖の山をキョロキョロ見回す。

「その山に行ってごらん」
俺は砂糖の山を指差す。ベビンネも興味が湧いたのか、山の方によちよち歩き始めた。
土や砂とは違うサラサラした感触が気になるようで、ベビンネは足元の砂糖を指につけて舐めてみた。
「チィ!?チチーィ♪」
オボンの実よりもはるかに甘い味に、ベビンネは大喜びだ。手に取ってペロペロ舐めている。
そこでようやく気づいた。目の前のこれは、とても甘くて美味しい食べ物の山なのだと。
「チィチィチーィ♪」
満面の笑顔で、ベビンネは山の頂上めがけてトコトコ登り始める。

ベビンネの脚力でも登れるように、裾野からの斜面はなだらかに作っておいた。
時たま足を滑らせてこてんと転ぶが、口の中に入ってくるのが砂糖なので、全然苦にならないようだ。
「ミッミッ、ミッミッ、ミッミッ♪」
息を切らせつつベビンネは、頂上にたどりついた。そこもかしこも砂糖だらけだ。
「ミッミー♪」
笑顔でバンザイするベビンネ。『おかしのいえ』を見つけたヘンゼルとグレーテルのような心境だろう。

そこでベビンネは「チィッ!」とジャンプして飛び降りた。
コロコロと砂糖まみれになって転がり落ちるが、「チィチィ♪キャッキャッ♪」と大はしゃぎだ。
ふもとまで落ちてくると、また飽きずに登り始める。
その実に可愛らしく微笑ましい光景を俺はしばし堪能する。

そうしている間に準備ができた。さあ、本番に移るとしようか。


「ケホッ、ミポッ」
ちょうど俺の狙い通りにベビンネが咳き込み始めた。
思い切り遊んだ上に、砂糖を舐めてばかりいたので喉が渇いたのだろう。
俺のほうを見上げ「チィチィ」と訴えている。「お水ちょうだい」と言っているに違いない。
俺はお望み通り、小皿にほんの少しだけ水を注ぎ、水槽の中に置いた。
「ミィ♪」と喜んで水を舐めるベビンネだったが、水はすぐ無くなってしまった。
「足りないよ、もっとちょうだい」とばかりにベビンネは俺のほうをまた見上げて、「チィチィ」と手を振った。

「ああ、すまないな。じゃあ今度はもっとたくさんあげようね」
と俺は笑顔で言うと、電動ポンプのホースを水槽の中に入れた。
ベビンネはそこから水が出てくると思ったのか、いそいそとホースの側に顔を近づける。
次の瞬間、ベビンネの顔面には煮えたぎった熱湯が浴びせられた。

「チビャァアァアァアァアァ!!」
絶叫を上げ、顔を押さえて転げ回るベビンネ。
砂糖の山に夢中になっていたベビンネは全く気づかなかっただろうが、
俺は水槽のすぐ横で、ドラム缶一杯のお湯を沸かしていたのだ。
そしてお湯が沸騰したのを見計らって、ベビンネに浴びせたというわけである。

熱湯がどんどん流れ込んでくる。ベビンネは「チチィ!ヒィィ!」と怯えた声を上げて、よちよちと逃げ出した。
しかし狭い水槽の中、逃げ場など限られている。ベビンネは必死で砂糖の山を再びよじ登り始めた。
その間にも熱湯は既に水槽全体に広がり、徐々に水位も上がりつつある。

何とか山の頂上までたどりついたベビンネだったが、それ以上逃げられないことに気づいたようだ。
山の高さは50センチ、ベビンネの身長ではジャンプしても水槽の縁まで手が届かない。
何度かぴょんぴょんと飛び跳ねて脱出不能と悟ったベビンネは、「チーィ!チーィ!」と俺に助けを求める。
だが俺は、もうもうと水槽内に立ち込める湯気越しに、ニヤニヤしながらその必死の有様を見守るだけだ。
助ける気などさらさらない。

ベビンネは涙を流しつつ、しばし愕然としていたが、今度は別の方向に向けて「チィーーッ!チィィーッ!」と叫び始めた。
わかっている。「おかあさん、どこにいるの?たすけて」だろう?
残念ながら、母タブンネは当分目を覚ますまい。昼飯に睡眠薬を入れておいたのだから。

熱湯は既に水槽内の水位30センチくらいまで達し、砂糖の山の半分以上が水没している。
頂上のベビンネのいるあたりも、もはや耐え難い熱気に包まれており、
ベビンネは「チホッ!ミフゥ!」と苦しそうに咳き込みつつ、何とか逃れようとぴょんぴょんあがいている。
俺はそこで電動ポンプのスイッチを切り、ホースを引き揚げた。
さらに、ベビンネのところにブロックアイスを1個放り込んでやった。

「チ?チィ!チィチィチィ♪」
ベビンネはブロックアイスに抱きつく。ひんやりした氷の感触は、まさに砂漠でオアシスに出会った気分だろう。
周りはまだ熱気が渦巻いているが、ベビンネは生きた心地を取り戻したようだ。

それでいい。一時的に救いの光があってこそ、この後来る絶望はより大きなものになるのだから。

破局はすぐに訪れた。
ベビンネの足元がずずっと揺らぎ、傾いた。ベビンネの表情が再びひきつる。
砂糖の山が少しずつ崩れ、熱湯の中に溶けつつあるのだ。
俺はこの山を作る際、土台の部分はしっかり固めておいたが、大量の熱湯が浸透してくれば、
長時間保つわけがなく、溶けて瓦解するのは自明の理である。

徐々に、徐々に、足場が崩れ、山の頂上は低くなってゆく。
さらに熱湯が浸透してきたために、足元もだんだん高熱を帯びてきた。
ベビンネはブロックアイスを抱き締めたまま右往左往するが、もはや無駄なあがきだった。
足元にひびが入ったかと思うと、そこからじわりと熱湯が沁みだして来た。
「チヂャァァ!!」片足を火傷したベビンネは飛び跳ねるが、そのはずみにブロックアイスを落としてしまう。
既に大半が溶けたわずかな氷塊は、あっという間に熱湯と熱気で溶けて消失してしまった。

「ピヒャァァ!チヒィィーッ!」
命の綱とも言える氷が溶けてしまい、ベビンネは半狂乱でその溶け跡のわずかに冷たい水をかき集めようとする。
その滑稽な姿を眺めながら、俺はブロックアイスをもう1個放ってやった。
ただし、残った砂糖の山の端っこ、崖っぷちのあたりにだ。それに気づき、必死になって拾いに行くベビンネ。
だが、とてとて走ったわずかな動きすら、もはや砂糖の山は支えきれなかった。

崖の一角がぼろりと崩れ、ベビンネはその一角もろとも熱湯と溶けた砂糖の海に転落してしまう。
「チビィィィギャァァァァァ!!」
さっきまでの楽しい『おかしのいえ』は、今やベビンネを飲み込まんとする高熱地獄の底なし沼に姿を変えていた。

「チビィーッ!!ピャァァーー!!ピィーーーーー!!!」
絶叫するベビンネは砂糖の海の中で手足をバタつかせ、もがきにもがいた。
しかしただでさえ高温の熱湯に、ドロドロに溶けた砂糖が手足に絡みつき、ベビンネの体力は急速に失われてゆく。
火傷で真っ赤になった顔で、まだ青さを保っている瞳に涙を溢れさせ、「チヒィィィィ!!」と泣き叫ぶが、
次第にもがく動きが弱くなってきた。体力の限界が近付いているのだろう。

そこで最後の希望を与えてやることにする。俺は1本のプラスチックの棒をベビンネに向けて差し出した。
「チビィ…フィィ…」か細い声で鳴きながら、ベビンネは力を振り絞ってその棒にプルプル震える手を伸ばす。
やっと棒に手が届いた。消耗しきったベビンネの顔に、わずかな希望の光が浮かぶ。

しかし次の瞬間、その棒からは再び沸騰した熱湯が注がれ、ベビンネの顔面を直撃した。
「チギャアーーーアアアア!!」
まだそんな声が出せたかと思うほどのボリュームで、甲高い悲鳴を上げるベビンネ。
さっきの電動ポンプのホースをもう一度差し出しただけなのだが、意識朦朧のベビンネはそうと気づかなかったのである。

そして浴びせられた熱湯で、周囲の砂糖がさらにやわらかくドロドロになったため、
ベビンネの体は砂糖の中にズブズブと沈み始めた。抗う術などもはやない。
「チ……チチ……ィ…」
さっきまで青かった瞳が、熱湯の直撃を受けたせいか真っ赤になっている。そしてぶわっと血の涙が零れ落ちた。
「…チ…………ァ…………フィィ…………」
絶望で固まった顔に血の涙を流しながら、ベビンネは少しずつ沈んでいき、ほどなく砂糖の海の中に姿を消した。


俺はベビンネの最期を見守りつつ、感慨に耽っていた。
腹ぺこだった野生の生活から掬い上げられ、幸せな一週間を送り、『おかしのいえ』と出会った幸福の絶頂から、
あっという間に地獄へ叩き落され、ポケ生を閉じた心境はいかがなものだったろうか。
ポケリンガルを購入しておくべきだったか……まあ、よしとしよう。
飴と鞭、希望と絶望に翻弄されるベビンネの表情だけでも十分楽しめたのだから。

ちなみに母タブンネは騒がれると面倒なので、目を覚ます前にまだ熱湯の煮えたぎるドラム缶に頭から叩き込んで始末した。


そして、冷めた砂糖の中から引きずり出したベビンネを齧ってみると、驚くほど甘くて美味しかったので、
それをベースに「ベビンネの地獄砂糖漬け」を開発した俺は財を成すことになるのだが、それはまた別のお話。

(終わり)

最終更新:2015年02月18日 19:50