虎よ、虎よ! ◆F0cKheEiqE



『覚えず、自分は声を追うて走り出した。
無我夢中で駈けて行く中に、何時しか途は山林に入り、
しかも、知らぬ間に自分は左右の手で地を攫んで走っていた。
何か身体中に力が充ち満ちたような感じで、軽々と岩石を跳び越えて行った。
気が付くと、手先や肱のあたりに毛を生じているらしい。
少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映して見ると、
既に虎となっていた・・・・・』

中島敦『山月記』


へノ肆

月下の城下町を一匹の野獣が練り歩いていた。
それは虎であった。
老いてはいるが、なおその体は鬼気と精気に充ち溢れている。

虎は唯の虎では無かった。
恐ろしく長い牙を持っている。
それは、あたかも古代に絶滅した剣歯虎を思わせた。

牙の長さは、恐ろしく長い。
三尺はあるのではないか?
恐ろしく長く、太く頑丈な牙であった。

いや、これは虎にあらず。
人だ。
人であった。
男であった。

その身に纏う、余りにも人間離れしたおぞましい獣気が、
男を虎と見せていたのだ。

年のころは五十以上の老人。
肩まで伸びた白い総髪の、
身なりの良い老武士であった。

容貌魁偉で、
正しく虎を思わせる野生染みた異相である。

右肩には一振りの抜き身の太刀を背負っていた。
三尺一寸二分と、妙に長い太刀である。
佐々木小次郎巌流が愛刀、備前長船「物干竿」であった。
そして、その長刀を掴む右手は、常よりも一指多い。

「あの折 儂が指を伏せたるは 宗矩が指図・・・・」

不意に老人の形相が憤怒の物に変じた。
余りに強く噛み締められた口元からは血が滴っている。

「はかった喃」
「はかったくれた喃!」
虎は無念の涙を流していた。

虎の名は、岩本虎眼と言う。


無双虎眼流流祖、岩本虎眼は激怒していた。
その原因は、あの白州で、柳生宗矩の顔を見たからに他ならない。

お白州に呼ばされた時点では、
虎眼は例の「曖昧」の状態にあったが、
宗矩が現れるや否や、
一瞬にして虎眼は覚醒していた。

覚醒直後でなかったら、
また周りの武芸者達が、
油断ならない使い手でなかったなら、
虎眼はその場で宗矩に襲いかかっていただろう。

人気の無い、月下の城下を歩く虎眼の脳内に、
再びあの忌まわしい記憶が明瞭に再現されていた。


文禄六年、江戸。
この年武者修行中の岩本虎眼は、
まだ若き日の柳生宗矩と道三河岸の柳生屋敷で
立ち合っている。

それは達人同士の恐るべき死闘であった。
多くの立ち合い人の内でこの神速の攻防を目視できたのは、
柳生新陰流高弟、村田与三、木村助九郎の二名のみである。

(異な掴み・・・)
宗矩は、虎眼の六本指の右手を見る。
猫科動物が爪を立てるが如き異様な掴みであった。

(速きうえに伸び来たる・・・あの間合いに踏み入るは危うい)
(狙うべきは拳、我を打たんと伸び来たるその拳を断つ)

宗矩は、虎眼の「流れ」の動きをみて構えた。
柳生新陰流「十文字」の構え。

「左様か」
短くそう言うと、右手の刀身を、
眼前で水平に構え、木刀の切っ先を左手の二指で掴んだのである。
他の剣術には見られない、奇怪な構えである。

「虎眼流、星流れ」

この手を見て宗矩に死相が浮かんだ。
名門柳生の極意を身につけた大剣士の全細胞が、
戦闘を拒否していた。

「参っ・・・!」
「引き分けにござる」
宗矩は驚愕して虎の顔を見た。
虎は笑っていた。

虎眼が宗矩の面目を保ったのは、
魂胆あってのことである。

両名はその夜、茶室にて密会した。

「徳川家に推挙いたそう。それだけの腕はあるとお見受けした」
「本望にござる」

当時、徳川家康は領国二百五十万石。
諸大名の上に抜きん出る超大名であり、
秀吉の死後 天下人となることは確実であった。

「ただし」
宗矩はこの時、虎眼にある助言を与えた。
それが虎の運命を狂わせる。

同年、江戸城下 拝領屋敷。
栄達を夢見る武芸者にとって、
徳川家の剣術指南役となることは、
これ以上望むべくもない終着駅といえよう。

「仕官が望みか」

虎眼の面接をしたのは家康の側近、
本多正信の息子正純。
年は若くとも浪人者との身分の開きは天と地ほどに及ぶ。

「なにゆえ指を伏せる?」
「お見苦しきゆえ」
虎眼は、右手に指の一本を、
両側の二本の下に伏せ、隠していた。
宗矩の助言に依る行動である。
しかし・・・・

「無礼者。太閤殿下の御指もその方と同じ数であるぞ。
 汝はそれを見苦しいと申すか」

太閤様ハ右之手 親指一ツ多ク
六御座候
信長公 太閤様ヲ異名ニ 六ツメ哉ト

前田利家 「国祖遺言」

虎眼の夢は断たれた。
一方柳生宗矩は慶長六年、
将軍家剣術指南役となっている。


「あの折、儂が指を伏せたるは宗矩が指図・・・」
「はかった喃・・・」
「はかってくれた喃!」
そう言いきるや否や、右肩に担がれた刀身が閃き、
一瞬消失したかと思えば、
瞬く間に右肩に戻っていた。

虎の眼前にぼとりと黒い物が落ちた。
不幸にも虎の間合いに侵入し、両断されたコウモリであった。

「宗矩ぃ・・・・宗矩ぃぃっ!!」
「はかった喃・・・」
「はかってくれた喃!」
虎はコウモリの死体を踏みつぶした。
何度も、何度も。

宗矩との予期せぬ再会が呼び起した、
忌まわしき記憶は鮮明であったが、
眼の前の哀れなコウモリがその一件とは、
無関係であることは明確だろうか?

否。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
人の喉から出たとは思えぬ、
獣の様な絶叫が夜の闇に伸びた。

今宵、一匹の人喰い虎が・・・・

【へノ肆 城下 往来/一日目/深夜】

【岩本虎眼@シグルイ】
【状態】健康、魔神モード
【装備】備前長船「物干竿」@史実
【所持品】支給品一式
【思考】:宗矩を斬る
一:宗矩を斬る
【備考】
※人別帖を見ていません。
※目に映る人間、動物全てが宗矩に見えています。
見れば無差別に襲いかかります。

時系列順で読む

投下順で読む


試合開始 岩本虎眼 天狗ト猛虎、月夜ノ辻二相食ム事

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2009年03月12日 21:45