天狗ト猛虎、月夜ノ辻二相食ム事 ◆L0v/w0wWP.



夜の城下町、天道流創始、斎藤伝鬼坊勝秀は太刀を探していた。
数打ちでも鈍らでも構わない。ともかく、彼はこの峰と刃とが
あべこべになった奇剣、とにかくこの刀と自分との相性は最悪だ。
一刻も早く、これとおさらばしたいという衝動に駆られていたのだ。

「畜生!錆刀の一本も置いてねぇとはどういう事だ!あの親父、出鱈目ぬかしやがったんじゃあるまいなぁ!」

城下の町屋を手当たり次第探しているが、これでもう、六軒目何の成果も上がらない。
今の彼は、どう見ても空き巣にしか見えないが、それを咎める者はいない。
奇しくも、彼が連れて来られる翌年までは、士分でなくても、刀は普通に手に入るものであったから、
人家を探せば、すぐに刀も見つかる者だと思っていたのだが…もちろん、なかなか刀が見つからないのは
宗矩らの思惑であって、こういった社会情勢や法令の変化とは関係が無いのだが。

「ちぃっ、仕方がねえ…次だ、次!」

乱暴に扉を蹴破りたい衝動に駆られるが、周囲を警戒しそれはしない。
そっと引き戸を開け、さらに隣の人家に入り込もうとするが、伝鬼坊の動きはそこで止まる。

(………っ!)

開き戸から半身を乗り出し、左右を見渡した伝鬼坊は息を呑んだ。
夜の影よりさらに黒い影がこちらに近づいてくるのが目に入ったからだ。
幽鬼のように足音もなくこちらへ向かってくるそれは、伝鬼坊にも劣らぬ怪異な容貌をした、身形のよい
老人であった。だが、その手元には、剥き出しの白刃が月明かりを浴びてギラギラと
光を放っているのが、見て取れた。それだけでも尋常の者ではないとわかるが
殺気ではない。なにか、なにか口で形容出来ない恐ろしいものを伝鬼坊は
老人から感じ取っていた。魔に行き逢うとは、このような事を言うのであろうか。
おそらく、並みの男であれば肝を潰していただろう。

(不覚だったぜ…。逃げるか…。いや、逃げ切れるかどうか。)

肩口と腹部の裂傷は、掠り傷であったので、もう血は止まっていたが、得物は鈍ら刀。
出来れば、斬り合いは避けたい。だが、もう目と鼻の先まで迫っている上に
相手は既に白刃を抜いており、やる気は満々のようである。さらに、
月明かりの下、それよりもギラギラと輝く老人の目は丸で獲物を狙う
虎のような目をしている。いまからここを飛び出して逃げたとしても
追い付かれる可能性は低くないだろう。

(ならば、あの爺を打ち殺して、得物をものにしてやるしかねぇな…。)

下手に逃げ出すよりは、目の前の相手を打ち倒す。
伝鬼坊の剣客としての矜持が、眼前の老人との対峙を選んだ。
行李を土間に下ろすと同時に、眼前の引き戸を蹴破り、往来に飛び出す。
今、猛虎の眼前に剣鬼という名の、天狗が立ちはだかった。


眼前に飛び出した伝鬼坊に、虎眼の歩みが止まり、
その、猛獣のような眼差しで伝鬼坊を睨んだ。

「野太刀か…不用意に間合いには入れねぇな…。」

すり足で、老人との間に間合いを取る伝鬼坊、と
眼前の老人が取り出した異様な構えに伝鬼坊が目を見張る。
野太刀を右手でまるで肩に担ぐかのような構え…さらにもう一つ。
老人の太刀を握る右手に違和感を感じる。指が一本多い。

(へっ…このジジイ本物の化け物か…。おもしれぇ、だったらこの斎藤判官様が退治てやるぜ!)

時たま、こういう者が生まれると言う事を伝鬼坊とて、知らなかったわけではないが、
この老人の発する凄みと相俟って、相手をより人外に近いものと、伝鬼坊に認識させる。
これに相対する伝鬼坊の感情は萎縮するどころか、益々昂ぶっていた。

老人の構えに対し、逆刃刀を抜き放った伝鬼、老人との間合いを保ちながらジリジリと後退。
そして徐々に、右足を引き、左半身を前に、さらに太刀を虎眼から隠すように後ろに向けて地擦りに構える。
お互い奇妙な構えのまま、間合いを詰める虎眼、話そうとする伝鬼の睨みあいがそのまま、続く。

四十万の闇と、月光のみが、互いの立合いを見守る静寂。
と、伝鬼坊がゆっくりと左腕を突き出し、大きく虎眼の間合いに踏み込む。

瞬間――虎眼が繰り出した『流れ』が、伝鬼坊を禽らえた。
――――― 一閃。


両者の太刀は、しかとお互い噛み合ったまま、カタカタと鳴いている。
虎眼が『流れ』を繰り出した瞬間、伝鬼坊は後ろに引きざま、
太刀を斬り上げ、しっかとその神速の剣を受け止めた。
天道流、切り返しの技『笹隠れ』の構えである。
伝鬼坊の卓越した剣技、そして頑強な逆刃刀が、
獲物を刈り取る老虎の獰猛な爪を、見事防いだのである。
ただ一つ、誤算といえば、虎眼の間合いが太刀が繰り出された瞬間、その間合いが伸びた事。
虎眼の手を打ち据えるべく放たれた刃は空を切り、
逆に猛虎の爪は、伝鬼坊の左頬から口にかけてを切り裂き、歯を数本、もぎとっていた。

だが、それは致命の傷には程遠い。
互いに並外れた膂力の持ち主ながら、若い伝鬼坊に分があった。
刀の柄を握る手にすぐさま、左の腕をくわえた伝鬼坊は
しかと、刀身と鍔で『物干竿』と称される長船の太刀の刃を渡し、
ジリジリと間合いを詰めていく。対する虎眼も歯を噛み締めながらも、
一言も発せず、眼光に臆する様子は見られない。
老虎と天狗の睨みあいは続く。

―――――そして。

伝鬼坊が刃と刃の噛み合わせを解いた刹那。
再び、横なぎに伝鬼坊の上顎から先を削ぎ飛ばすべく、
放たれた刃を、逆刃刀の一撃が大地へと叩き落とした。


(勝った!)
伝鬼坊は己が勝利を確信し、ほくそ笑む。
切り裂かれた左の頬が、さらに少し裂けた。
虎眼は恐らく、すぐに、太刀を拾って、自分の技を受けようとするだろうが、
そうはさせない。
一歩、後ろに飛びのきざま、跳躍。
必殺の『天狗落し』をその脳天に叩き込むべく、天狗が夜の空に舞い上がった。

たとえ、致命傷を与えられなくても、鋼の太刀で、
したたか頭部を打ち据えられれば昏倒する事は必定。
その後、この野太刀で首を切り落とし、この駄刀ともおさらばである。
まあ、眼前の老人の神速の一撃を受け止めた事を賞して、
叩き折る事だけは勘弁してやるとするか。

だが、勝ちを誇る天狗の目は、大きく見開かれる事になる。
その跳躍が頂点に達し、下降を始めるその一瞬。
眼下の虎眼が、再び異様な構えを取っているのである。
落とした太刀には目もくれず、大きく上体を逸らし、
右の拳を左の拳に収め、弓を引き絞るかのような構えを。

(―――ええい!構うものか!)

伝鬼坊が、その脳天に逆刃刀を振り下ろしたその瞬間―

――彼の体は、横殴りの衝撃に襲われ、後ろへと吹き飛んだ。


一瞬暗転した、伝鬼坊の眼前に広がっていたのは、
紺碧の夜空と、輝く満月である。同時に、腹部を焼け付くような痛みが襲う。

(一体何が…とにかく置きあがらねえと……!)

僅かに起した伝鬼坊の目線が捕らえたもの―――。
自らの太刀を持ち直した虎眼がこちらにジリジリと近づいてくる様であった。

(っ!!!くそ、このままでは…!)

必死で体を起そうとするが、四肢に力が入らない。
その間にも相手はこちらに迫ってくる。

(……ふざけるな!俺が、この斎藤伝鬼が、こんなくだらねえ野試合で死ぬだと!?)

これから、自分には霞流との果し合いが待っているのである。
かつて、下賎の家から出た、自分は、常に兄弟弟子の嘲笑と侮蔑の的であった。
恥辱を浴びせられた事も一度や二度ではない。
それを見返したいがために、剣一筋に打ち込み、天覧の栄誉を受け、官位を授かるまでになったのだ。
だが、それでも彼らの自分を見る目は変わらず、さらに、その眼差しには嫉妬と憎悪が加わった。
今、自分がこのような所で斃れては、連中は鬼の首でも取ったかのように、死後も自分を嘲弄するであろう。
それに、今の自分には多くの弟子がいるのだ、師である自分が、このような無様な最期を
遂げたとあらば、彼らの立場も無くなる。そして、かつての自分以上の――――――

「…させるかよおぉぉぉぉぉぉっ!!!」

不尭不屈の執念か。
死んだように伸びていた伝鬼坊が、突如跳ね起きたのを見て、
さしもの虎眼も目を見開いた。伝鬼坊は先程以上の
まるで猛禽の如き鋭い眼光を虎眼に向けている。
その右手には逆刃刀が握られたままである。

「まだ、勝負は終わっちゃいねぇぜ、爺さんよぉ…。」

不敵な笑みを向ける、伝鬼坊が再び太刀を構え――





























岩本虎眼は、足元の「ソレ」を横に蹴り払うと、「ソレ」は通りを挟む
人家の板壁へと叩きつけられた。派手な羽織の襟元を覆う、羽飾りは
かつての主人の首から吹き出した血潮で汚れ、べっとりと貼り付いている。

一瞥もせず、その場を後にする、虎眼は一人つぶやく。
「彼奴めは………宗矩には在らず。」


あの時、伝鬼坊が起き上がった瞬間、その心の臓に突き立てんとしていた、物干竿を
虎眼はすぐさま、構えなおした。虎眼流の奥義『流れ星』の構えである。
すでに正気を失っているものの、虎眼の剣客としての嗅覚は、眼前の男を
あの、宗矩とは違う種類のものと判別したのである。

この男は己や、かつて制裁した弟子と同じ。
底辺から這い上がらんとする、恐るべき向上心と野心の塊であると。
その恐ろしさを己自身で十分に知っている虎眼は、
確実にこの男を葬るべく、この奥義を繰り出す事としたのである。

そして、眼前の男が太刀を中断に、身構えた瞬間、その口から突如として
血糊が溢れ出で――――同時に『流れ星』の一撃が、伝鬼坊の首を跳ね飛ばした。

実は、虎眼が伝鬼坊の腹部を抉るように放った、鞭のような裏拳の一撃、
『虎拳』と名づけるそれは、彼の膵臓を破壊し、そこから漏れ出した膵液が
彼の内臓を見るも無惨に焼け爛れさせていたのである。

伝鬼坊も、これを放った虎眼も知らぬ事とは言え、
致命の一撃を受けたにも関らず、立ち上がった伝鬼坊の執念が、
いかばかりであったか―――察する事は容易であろう。
果たして、伝鬼坊の命を奪い去ったのは、『流れ星』の一撃だったのが、
はたまた、それより前に彼は死んでいたのか?
最早、誰もその答えを知ることは出来ない。


名も知らぬ、一人の剣鬼を葬った虎眼は彼に対して何の感慨も憐憫も抱いてはいない。
彼の脳裏を支配するものは、唯一つ、討つべき仇がまだこの世にいると言う事実のみである。
魔神は未だ、夜の闇を彷徨い続ける。

丑三つを告げる鐘だけが、地に墜ちた天狗を弔うかのように、遠く鳴り響いていた。

【斎藤伝鬼坊@史実 死亡】
【残り 七十八名】

【ほノ肆 城下往来/一日目/黎明】

【岩本虎眼@シグルイ】
【状態】健康、魔神モード
【装備】備前長船「物干竿」@史実
【所持品】支給品一式
【思考】:宗矩を斬る
一:宗矩を斬る
【備考】
※人別帖を見ていません。
※目に映る人間、動物全てが宗矩に見えています。
見れば無差別に襲いかかります。

※へノ肆の往来に、伝鬼坊の頭部と死体、抜き身の逆刃刀・真打ちが、町屋の土間に伝鬼坊の行李が放置されています。


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虎よ、虎よ! 岩本虎眼 街角の小さな出来事~通りすがりの義理と人情物語~
剣を失いし剣士達 斎藤伝鬼坊 【死亡】

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最終更新:2009年03月28日 23:44