「……中村主水殿か」
柳生宗矩が唐突に発した言葉で、宗矩の死角から忍び寄りまさに仕掛けようとしていた中村主水は動きを止める。
「よく気付いたな」
不敵に笑ってみせる主水だが、内心では焦りを感じていた。
探索の末に己の正体を知るらしい宗矩を見付け出した主水は、細心の注意を払い、気配と姿を完全に消して接近した筈。
それすら見破るほどの鋭敏さが宗矩にあるのなら、主水の暗殺剣は殆ど通用しないという事と同義。
かと言って正面から戦えば、名高い江戸柳生の宗家たる宗矩相手に主水が勝ちを得られる可能性は高くないだろう。
既に背後を取っている点では主水が有利だが、それも宗矩が知っていて敢えて取らせたとすれば……
「気付きはせぬ」
だが、宗矩は主水の危惧を一言で否定。
「儂はただ己の死の予感を感じたのみ。だが、予感はあれど儂には何者の気配も感じられなかった。
残った剣客の中で、儂に悟られず近付く技を持ち、身を隠したまま儂に仕掛けて来るであろう者は貴殿のみ」
己に主水の隠密を見破る感覚がない事を白状する宗矩だが、それでも主水の危惧が晴れはしない。
死の予感を感じたと言いながら、声にも立ち姿にも動揺は微塵も感じられなかった。
それだけの覚悟が出来ていたからこそ、死の手が迫っている事を事前に悟る事が出来たのであろう。
つまり、相手の意表を突く事で恐怖と動揺を誘って剣を乱すという暗殺剣の根幹が宗矩には全く通用しないという事だ。
無論、背後を取っている事による優位はあるが、背後からでは主水にも宗矩の動きがはっきりとは掴めない。
主水が仕掛ける瞬間に合わせて、後の先で反撃を繰り出されれば、主水に生き残る術はないだろう。
通常なら背後に居る刺客の攻撃の瞬間を見切るのは至難だが、今の宗矩は覚悟を定めた事で勘が異常に冴えているのだ。
宗矩の気迫に圧されて動揺しかけている主水では、殺気を隠しきれずに機を読まれる可能性が高い。
位置を僅かにずらして斜め後ろに回れば宗矩の動きを監視しつつ裏を掻けるが、それでは自ら絶好の位置を手放す事になる。
ただでさえ気迫で劣勢の状況にあるのに、そんな弱気な手に出れば精神的に圧倒され宗矩に闘いの主導権を握られるのは必定。
「ふう……」
主水は目を閉じて瞑想する。
敵を目前にして気を抜いて、その隙に宗矩が仕掛けて来れば主水の勝機はあるまい。
だが、主水は危険を承知の上で敢えて宗矩の事を忘れ、精神を集中させた。
心を向けるのは、少年の惨殺から始まる昨夜から島で見て来た種々の悲惨な出来事。
宗矩をはじめとする者達の企みにより、幾人もの好漢が闘いに巻き込まれ、命を落としのだ。
此処に来るまでに、主水は既に一時は行動を共にした
明楽伊織や
倉間鉄山の亡骸も確認していた。
そこから続く血痕を辿り血の臭いを追って宗矩に辿り着いたのだから、下手人は宗矩と見て間違いなかろう。
宗矩にも剣客としての想いがあるのだとしても、その為に人の命を、正義を守ろうとする者の心を踏み躙る事が許されるのか。
この戦いは単に自身の正体を知る二人の柳生の中の一人を消して保身を図る、というだけの戦いではない。
目の前にいるのは、必ず討ち果たさねばならない、主水の標的。
だとすれば、敵が強く己が危ういというだけで怯む理由は何一つないのだ。
主水は目を開けると、邪念を捨てて渾身の一撃を繰り出した。
「親父殿!」
叫んだのは宗矩の息子、
柳生十兵衛。
闘いで高まった父の剣気を感知し、敢えて仲間と別れてこの場にやって来たのだ。
十兵衛が戦場に辿り着いて初めに見たのは、宗矩と、その傍に斃れた中村主水の骸。
「十兵衛か……」
また一人、父の手によって犠牲者が出たのを目の当たりにして歯噛みする十兵衛に冷静に語りかける宗矩。
「親父殿、何故こんな……、いや、最早こうなれば剣で語るのみ」
一人の剣士として尊敬する父親を討つ覚悟をあらためて定める十兵衛に対し、宗矩は当然とばかりに剣を構えて迎え撃つ。
親子であり師弟でもある宗矩と十兵衛。
普通なら互いの手の内を知り尽くした者同士の闘いになる所だが、この二人の場合、話は別。
十兵衛が物心ついた頃には既に宗矩は剣客としてより政治家として柳生家を興隆させる事に専心するようになっていた。
弟子に軽く稽古を付けたり型を上覧に供する事はあれど、剣客としての真価を見せる事は、嫡男の十兵衛に対してさえしていない。
対する十兵衛も、父を祖父や剣聖伊勢守をも上回る大剣客と尊崇しながら、或いはそれ故にこそ、より古い術の探求に力を注いだ。
石舟斎や伊勢守の新陰流、更に古い陰流の技、加えて伊勢守に出会う以前の柳生家家伝の各種の武術に到るまで。
柳生の里に籠って修行と研究に明け暮れていた十兵衛の腕がどれ程になっているか、宗矩にとっても未知。
互いの剣をよくは知らず、しかし相手への興味は充分な二人の対決は、互いの技を探り合う緩やかな展開から始まった。
(これは……一足一見!?)
闘いの中、宗矩が繰り出した技を見て十兵衛は訝しむ。
一足一見……それは元々猿楽金春流の奥義であった術を、柳生石舟斎が剣術の秘技として取り入れたものである。
宗矩は長らく剣士ではなく幕臣として生き、本格的な闘いや修行からは離れていた。
一方で猿楽に関しては周囲が辟易する程に打ち込んでおり、その意味では猿楽由来の技を選択したのは妥当と言えるかもしれない。
しかし、相手が同じ柳生の剣士、しかも十兵衛となればこの選択はどうだろうか。
一足一見とは、互いに致命の一撃を与えられる間合いから微かにずれた位置を保ち続け、相手を観察する技。
敵が無理に踏み込んで来ても舞うような動きに眩惑されて的確な攻撃が出来ず、返り討ちとなる。
かと言って放置すれば、一方的に動きを観察され、弱点を見抜かれて破れる事になるのだ。
舞いにより己の動きを見切らせない足捌きと、舞いながら相手の対応を観察し本質を見抜く眼力こそが、一足一見の要諦。
だが、見切らせない力と見切る力の組み合わせである故に、一足一見には一足一見で対抗する事が可能。
猿楽に熱中していたのは十兵衛も同様、と言うより柳生の剣士にとって猿楽の稽古も剣術の修行の内。
加えて柳生の里で古記録や古老にあたって石舟斎の頃の新陰流を研究していた十兵衛の方が、一足一見の熟練度では上かもしれない。
それに、一足一見で互いの動きを読み合う展開になれば、普通に考えれば若く体力や集中力に勝る十兵衛の方が有利の筈。
宗矩は不利を承知でそれでも十兵衛の技を見極める事を欲したのか、或いは……
一足一見は猿楽の術が基となっているだけに、それを使う二人の動きも猿楽に似た雰囲気を帯びて来る。
猿楽に於いては演者が役柄上は敵同士であっても、互いの心と動きを一つにする事で舞台が世界として成立するもの。
宗矩と十兵衛も、激しく戦いながらもその剣と心は同調し、いつしか忘我の世界で二人の精神は溶け合って行く。
最早、己が十兵衛であったか宗矩であったかすらも忘れ、ただ剣理に随って舞い続ける二人。
彼我の区別をなくした共に超一流の、しかも同流派の剣客同士が戦い続ければ、その帰結は当然、相討ち。
この必然の結果を、剣理から外れる事なく如何に変更させるかが、一足一見を使う柳生の剣士の工夫という事になる。
闘う最中、少しずつ十兵衛の、そして宗矩の右側面が対手に曝される局面が増えて行く。
精密に計算され尽くした鍛錬により、十兵衛の身体は、無我の境地で戦い続ければ喪った右目にまず隙が生まれるよう調整済み。
敵と精神が一体化していれば相手の動きも十兵衛に引きずられ、結果として互いの右目を攻撃し合う事となるのだ。
当然、右目が既に損なわれた十兵衛と普通の人間では右目を傷付けられた時の痛手の度合いが全く違う。
これにより十兵衛の方が傷が浅い状態で同調を解き、相手を倒すのが十兵衛の目論見。
その目論見の通りに決闘は展開して行き、ついに、二人は互いの右目を目掛けて必殺の突きを放つ。
刃が右目に届けば痛みの差で二人の同調は解け、元々隻眼の十兵衛の方が有利。
そうでなくとも、長く精神を極限まで緊張させて舞い続けた事による消耗は年嵩の宗矩の方が酷い筈だし。
無論、十兵衛とて無傷では済むまいが、仮に命と引き換えになったとしても必ず父を討つ、という覚悟はとうに固めてある。
しかし、二人が突きを繰り出した瞬間、宗矩が……宗矩だけが、いきなり突きの軌道を変化させた。
宗矩が突きを変化させ、彼我の動きに決定的な差異が生じた事で、二人の精神の同調は途切れる。
それでも、さすがに十兵衛は宗矩の策を瞬時に見抜き、己の敗北を予見し覚悟した。
剣理を完全になぞる動きから宗矩が変化した事で、宗矩の突きは遅れ、十兵衛の突きが先に届く。
だが、ここで隻眼と両眼の違いが今度は宗矩の側に有利に働くのだ。
先着した十兵衛の刀が宗矩の右眼を潰し頭蓋を削るが、脳の主要な部分を貫き致命傷を与えるには至らない。
宗矩は右目を見開いて己に迫る刃をじっくり観察し、剣が届いてからは己を傷付ける切っ先の感触を頼りに十兵衛の突きを回避。
痛みも恐怖も完全に克服した完璧な動きで、本来ならば必殺の突きを凌ぎ切って見せる。
続く宗矩の突きは、直前の急な変化により不完全となってはいるが、隻眼の十兵衛にとっては死角からの攻撃。
精神の一体化が途切れた直後である為に気配を読む力も存分には働かず、宗矩の突きがいつどの角度から来るかすら読み切れない。
更に渾身の突きを繰り出し躱された直後という事もあり、十兵衛に防ぐ術はなかった。
だが、十兵衛を貫く筈の突きは、どうした事か寸前で停止。
十兵衛が咄嗟に何らかの防ぎ技を繰り出して宗矩の突きを防いだ、という訳ではない。
「覚えておくが良い」
いきなり動きを止めた宗矩は、それだけを告げると、斃れる。
十兵衛は事切れた宗矩の遺体を検め、漸く真相に辿り着く。
先程、宗矩の傍らに斃れた死体を見て、宗矩と戦い倒された剣客だと十兵衛は解釈したが、実はそれは正確ではなかった。
宗矩と剣客……中村主水の闘いの結末は相討ち。
主水は己も討たれながらも、宗矩にも致命傷を与えていたのだ。
宗矩のみしばし生き延びたのは、主水が宗矩を討つという目的を果たしたのに対し、宗矩にはまだ為すべき事があったというだけの差。
いわば、十兵衛は既に死亡した宗矩の亡霊と立ち合い、死人から最後の稽古を付けられていたのだ。
精神が完全に同調していたにもかかわらず、十兵衛は宗矩の真意も致命傷を受けている事にすら気付けなかった。
剣客としての志を秘め隠しながら幕臣として生き続けた事で身に付けた、己が心を分け、敵にも自分自身にすら気付かせぬ術。
宗矩は剣客を捨てて生きながらも、その生き方自体を剣客としての己の糧としていた、経歴とは裏腹に天性の剣客だったと言えよう。
そして、定まった死を精神の力でしばらく伸ばす程の宗矩の心残りとは、言うまでもなく十兵衛。
己の考案した技の数々、普段は武器としている十兵衛が弱みとなる展開、そして己の心を二つに分け相手を騙す技。
それ等を伝える為だけに、宗矩は世の理に逆らってまで生を伸ばしたのだ。
「親父殿……」
呟く十兵衛だが、もう宗矩が息子の言葉に応える事はない。
かくして、柳生十兵衛は遂に父宗矩から勝を得る事は出来なかったのである。
【中村主水@必殺シリーズ 死亡】
【柳生宗矩@史実? 死亡】
【残り二十二名】
【へノ弐/城下町/一日目/夕方】
【柳生十兵衛@史実】
【状態】健康
【装備】太刀銘則重@史実
【所持品】支給品一式
【思考】一:心を落ち着け仲間と合流する
【備考】※
オボロを天竺人だと思っています。
※五百子、毛野が危険人物との情報を入手しましたが、少し疑問に思っています。
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最終更新:2015年12月29日 13:48