「かばね」と読むらしい。
歴史創作・政治家創作と、政治家にセクハラすることを嗜む絵師。
歴史創作・政治家創作と、政治家にセクハラすることを嗜む絵師。
かばねってどんな人?
自民党史が好きなカス絵師。
歴史創作や政治家創作、とりわけ政治家女体化創作をよくする。最近は擬人化創作もしてるらしい。政治家にセクハラすることにお熱。
昔から絵を描くのが好きな腐女子。炎上に日和って鍵垢にしている。
歴史創作や政治家創作、とりわけ政治家女体化創作をよくする。最近は擬人化創作もしてるらしい。政治家にセクハラすることにお熱。
昔から絵を描くのが好きな腐女子。炎上に日和って鍵垢にしている。
名前の由来は周恩来の字「翔宇」。周恩来はかばねの性癖を捻じ曲げた犯人の1人である。
推してる政治家(だいぶ厳選しました)
- 佐藤栄作
- 池田勇人
- 林芳正
- 小林鷹之 etc
かばねの変態遍歴
0歳〜小学生低学年くらい
東北の某県に生まれた。物心ついたときから、絵を描くことが好きだった。
幼少期より、
「ス◯トロ趣味的な妄想をする(※現在その趣味はないし、当時は下ネタとして楽しんでいた)」
「先生の全裸姿を自由帳に描き、あろうことか本人に鑑賞させる」
「罰ゲームで全身タイツの芸能人がローションまみれになる姿を見て、奇妙な感覚を覚える」
「先生の全裸姿を自由帳に描き、あろうことか本人に鑑賞させる」
「罰ゲームで全身タイツの芸能人がローションまみれになる姿を見て、奇妙な感覚を覚える」
……といった、後に変態として覚醒するような予兆は見せていた。しかし、この頃はまだ純粋な幼子である。はず。
小学生低学年時、母親に歴史の学習漫画をプレゼントされ、歴史が好きになるが、まだこの頃はオタクとしては目覚めていなかった。
小学生高学年〜中学1年生くらい
ここからかばねの澄み切った(?)心が崩れていく。
小学4、5年生くらいの時、弟の影響で、全ての元凶・アニメ「ゲ◯ゲの鬼◯郎」に出会ってしまう。それは、丁度スマホを買い与えられた時期と重なる。
「なんだこの面白いアニメは!!」
衝撃を受けたかばねは、トチ狂ったようにケ゛鬼の情報を検索し漁った。それが運の尽きだった。
かばねは数日でオタクに染まり切った。そして、「仮◯ライタ゛ー」「プ◯キ◯ア」などの作品に次々とハマり、エロ画像を血眼になって探す餓鬼へと豹変。
かばねは数日でオタクに染まり切った。そして、「仮◯ライタ゛ー」「プ◯キ◯ア」などの作品に次々とハマり、エロ画像を血眼になって探す餓鬼へと豹変。
それだけならまだよかった。あろうことか、BLとかいう代物の虜になってしまったのだ。
「なんだこのエロいコンテンツは!!」
こうなったら、もうかばねの欲求を止められる人間は誰1人としていない。
かばねは、腐りきった餓鬼へと進化(退化?)した。
かばねは、腐りきった餓鬼へと進化(退化?)した。
中学1年生後期〜中学2年生
さて、貪欲なエロガキの欲求はそう簡単には収まらない。
次の餌食として格好の的となったのが……そう、“歴史”だった。
次の餌食として格好の的となったのが……そう、“歴史”だった。
母親に誘われ、某三国志映画を見に行ったかばね。
鑑賞後は、言うまでもない。
鑑賞後は、言うまでもない。
こうして、かばねは歴史オタクとして開花したのだった。
中学3年生
リアルのかばね
かばねにとって、この時期はある意味“転換期”であろう。
中学3年生に進級し、高校受験生となったかばねは、三国志→盛唐漢詩人→中国共産党、と様々な時代を渡り歩き、“自民党史”という新天地に到着していた。
※中国から急に日本?と疑問に思う読者も多いだろう。これは、「中国共産党のイラストをピク◯ブで漁っていた際に、たまたま中共の他にも戦後日本史のイラストも描いている絵師を探り当てたこと」がキッカケである。
※中国から急に日本?と疑問に思う読者も多いだろう。これは、「中国共産党のイラストをピク◯ブで漁っていた際に、たまたま中共の他にも戦後日本史のイラストも描いている絵師を探り当てたこと」がキッカケである。
また、ピク◯ブ中高生界隈でイキリ散らかしていた当時のかばねは、Twitter進出を企むようになった。
「ネッ友みんなTwitter垢開設してるなぁ……。せや!ワイも開設したろ笑」
そして、足を踏み入れてしまったのが……魔境・ツイッターランド。当時はまだ“Twitter”だったな。懐かしいな。などと、懐古厨している場合ではない。
Twitter進出。それこそがまさに、中学3年生がかばねにとって転換期であると言われる所以なのである。
ツイッタランドのかばね
「内花/うちはな @uchi_hana_」
裏垢と称して開設した当時のアカウント名である。(※削除済み)同じ歴史が好きな士と交流することを目的として開設したため、実態は裏垢というより歴史垢である。
まだTwitterを使いこなせていなかったかばねは、同好の士を探そうと必死だった。
そして、見つけた言葉が「世界史界隈」。
無知なるかばねは、それがどんな界隈かも知らずに、取り敢えず有名そうな界隈民をフォローした。
そして、見つけた言葉が「世界史界隈」。
無知なるかばねは、それがどんな界隈かも知らずに、取り敢えず有名そうな界隈民をフォローした。
まだ狂気の鱗片を見せない界隈民たちは、かばねに優しかった。そして、彼らとの交流で「架空国家」なるシロモノがあると知る。
「なんこれ、グループチャットかいな」
新しい住処Twitterに夢中のかばねは、架空国家とやらに強く興味を惹かれ、当然のことだが「そこに入りたい」と思うようになる。
しかし、Twitter初心者かばねが見つけられた架空国家は、どこもかしこもベテラン(?)ばかりで気が引ける。
自分でも馴染めそうな架空国家を見つけられずにいたかばねに、ついに運命のツイートが巡ってくる。
しかし、Twitter初心者かばねが見つけられた架空国家は、どこもかしこもベテラン(?)ばかりで気が引ける。
自分でも馴染めそうな架空国家を見つけられずにいたかばねに、ついに運命のツイートが巡ってくる。
「ロリア連邦入国希望者募集!」
「内輪ネタが少なく、初心者向け!」
「内輪ネタが少なく、初心者向け!」
そう、後にかばねの心の故郷となる「ロリア連邦」である。
ロリア連邦のかばね
ロリア連邦、通称「ロ連」。某ロリコンを総統とし、今や下ネタ9割雑談1割で成り立っているこの架空国家は、かばねが加入当初はまだ“下ネタ大国”としての雰囲気はなかった。
「もしかしたら低浮上かもしれませんが、入ってもいいですか……?」
まだ謙虚だったかばねは、勧誘ツイートに恐る恐るリプを送った。
当時は我武者羅だったし、Twitterの礼儀を知らなかったのでしょうがないのだが、全く絡みのない人間によくリプ送れたな、と今になって思う。
当時は我武者羅だったし、Twitterの礼儀を知らなかったのでしょうがないのだが、全く絡みのない人間によくリプ送れたな、と今になって思う。
話が少し逸れたので、本題に戻ろう。
「全然オッケー!」と二つ返事で承諾されたかばねは、ついにロリア人民デビュー……かと思いきや、その時のロ連では荒らしが暴れ回っていたらしく、かばねが正式にロリア人民となるのは数日後のことである。
「全然オッケー!」と二つ返事で承諾されたかばねは、ついにロリア人民デビュー……かと思いきや、その時のロ連では荒らしが暴れ回っていたらしく、かばねが正式にロリア人民となるのは数日後のことである。
ここはあくまでもKGAPのwikiであるから、ロ連の話をしすぎるのは慎むが、かばねはここで以後2年以上、様々なことを経験することとなる。
新人だった頃の敬語口調は、“絵師”を武器にグル内での地位を確立していくうちに、次第に今のような粗雑な口調へと変貌した。
宣伝絵を任せてもらうようになり、猥談専用グルにも入り、いつしか「宣伝大臣」「変態四天王の1人」という肩書きもできた。
宣伝絵を任せてもらうようになり、猥談専用グルにも入り、いつしか「宣伝大臣」「変態四天王の1人」という肩書きもできた。
かばねは、ロ連で過ごす中で、ツイッタラーとしての常識も身につけていった。
※余談だが、ロ連加入当初は「内花」と言う名前だったため、現在でもロ連古参民はかばねのことを「内花」と呼ぶことが多い。
高校生になって(現在)
しれっと高校進学をキめ、しれっとアカウントを2回変えたかばね。
「内花」のアカウントが親にバレ、「カスみてぇなツイートしやがって、早く垢削除しろオラァ」と脅迫された内花ことかばねは、削除した……と見せかけ、垢復活を企てる。
その時、親フラ対策として変えた名前が
その時、親フラ対策として変えた名前が
「三青(みあお) @Miao_blue3」
である(※IDはうろ覚え)。ま、結局またバレてアカウント作り直す羽目になるんですけどね。それが今のアカウント「翔羽(かばね)」ってワケ。
ちなみに、三青時代は短かったが、わりかし黄金期でもある。
河野太郎のファンアートを描いて本人巡回もらったし、玉木雄一郎ファンアートを描いて本人にフォローしてもらったこともあったし、色んな政治家(さすがに地方レベル)にフォローしてもらったし。
河野太郎のファンアートを描いて本人巡回もらったし、玉木雄一郎ファンアートを描いて本人にフォローしてもらったこともあったし、色んな政治家(さすがに地方レベル)にフォローしてもらったし。
昔はイキって政治的ツイートをすることも多かったが、さすがに現在はほとぼりが冷めて、ただのカスの変態かばねさんになっている。
三青時代頃から、所謂「政局界隈」と呼ばれる界隈の方々ともよく交流ささてもらっており、今でもそれは続いている。
三青時代頃から、所謂「政局界隈」と呼ばれる界隈の方々ともよく交流ささてもらっており、今でもそれは続いている。
こうして、今のかばねが出来上がったのだった。