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裏切られた人の話 2 sage 2010/07/02(金) 01:20:15 ID:a9KwVtwK
壁一面には賞状やら勲章やら写真が並んでいる。
英語や露語、その他良く分からない様々な言語が並んでいる。
けれど、これらは全て一点で共通している、どれもその持主の才覚を称えているということだ。
「自動刺身タンポポ載せ機、全自動卵割り機、ドーナツの穴を埋める基礎的な技術……etc。」
金策を始めてから1週間後、俺は以前所属していた研究室に来ていた。
「アポも無し来たと思えばこんな珍品のカタログを見せに来たのかね?」
「いや、それを売るために来たんだけど。」
「売る? あのね、ここはサイバネティックの研究をしてるんだよ。
どこの世界に義手で刺身にたんぽぽを載せたいと思う馬鹿がいるんだね?
馬鹿か? ニート生活が過ぎて馬鹿になったのか、君は?」
目の前の女、エリスは呆れ顔で権利書を見ている。
糸川 エリス、20歳前半という若さで米国で博士号を取得、その後はこの業界?のトップランナーの一人という完璧な頭脳を持つ天才だ。
そして、なんと外見も完璧なのだから素晴らしい。
米国人の母親譲りの青い目に金髪、父親から受け継いだ日本的な奥ゆかしさを持つナイスバディ。
・・・・・・まあ、その、つまり、要は、完璧にロリだ。
うん、そう、素晴らしいくらいに金髪ロリ。
しかも、オプションで丸めがねがついてるんだ、なんだかすまない。
どれくらいかというと、何も知らない親切な新入生に隣の小学校に連れてかれるのが春の風物詩な位に。
まあ、当然のお約束としてその学生は授業初日に留年が決定するわけだが。
そんな歩くロリコンほいほいに俺は必死に泣きついている。
傍から見ると小学生に付きまとう怪しいオジ・・・、いや、お兄さんにしか見えなくて情けない。
234 裏切られた人の話 2 sage 2010/07/02(金) 01:22:21 ID:a9KwVtwK
「別に使わなくてもいい。ただ、それの特許料をひっくるめれば実は年に400万ぐらいの収入にはなる。それを担保に6000万貸してくれ。」
「そう思うなら、銀行でも企業にでも売ればいいじゃないか、要は売れないから僕のところに来たんだろう?」
エリスはため息をつく。
「逃げたと思えば、いきなり戻ってきて金をよこせか。馬鹿にされたものだな僕も。」
「それにはついては自分でも後ろめたく思うよ。」
「どうだかね。大体、僕はこんな胡散臭いものに投資しなきゃいけない程金に困ってなどいない。」
一つ言い忘れたが、こいつは相当な金持ちだ。
こいつ自身も講演、特許、企業の顧問とかなり荒稼ぎしているが、それ以上に実家が金を持っている。
その上、何でもどこかの企業のご令嬢だそうだ。
そんなわけでこいつならば、ぱっと、とは行かずとも6000万ぐらいはすぐ用意できるだろう、と思う。
「頼む。今月中に金を工面しないと妹が、夜澄が死ぬんだ。」
エリスがちらりと書類から目を離して不機嫌そうにこちらを見る。
「それはさっき聞いたじゃないか。妹さんの為、以前逃げたときもそう言っていたな?」
「悪いとは思っている。でもな、・・・・・・たった一人の家族なんだ、分かってくれ。」
「何度も言わないでも理解してるよ。だが、それで何でも無理を押し切れると思うかね?」
ああ、その通りだ。そんな無理で道理が通るわけはない。
「確かに君の言う事情は考慮に値する。けれど、それだけで僕が裏切られた時の失望や、
君を失った事での研究の損失を埋め合わせられるか、というとそうは行かないな。」
「これは買ってくれないという事だな?」
「物自体が魅力的ならば話は別だが・・・・・・、さすがにこんながらくた、にはね。」
まあがんばれ、とエリスは俺に書類を手渡す。
万に一つ、可能性が有るすればこいつだったが、無理・・・・・・という事か。
エリスはえらく頑固だ。
そういうところもガキっぽい一因だと常々俺は思っているんだが。
ここに来て、その癖が出やがった。
何年も一緒だったが、一度こうなると判断を撤回するのは見た事が無い。
悔しいが、これで全部の可能性は潰えた訳か。
235 裏切られた人の話 2 sage 2010/07/02(金) 01:23:36 ID:a9KwVtwK
いや、まだだ、まだいける。
こいつが出してくれないなら親に出させればいいだけだ。
この間合いなら腹に蹴りを入れて、この"偶然"用意していた粘着テープで口と手を塞いで……、
ここまでの動作に約40秒程度必要だな。
……それから受け取りは、うん、ここはバイク便でいくか。
脳内では、着々とエリスのご両親からお小遣いを頂く為の計画がシミュレートされ、それぞれの要素が連鎖し構築されていく。
「……おい、言っておくがこのボタンを押せば、10秒で警備員が飛んでくるからな。」
その時俺は最後の山場、予想外の抵抗につい×××してしまったエリスを埋める山に悩んでいた。
罪を犯す時に最後の枷となるのは常に良心である、自分もこれからはこの孤独な戦いに強く打ち勝たねばならない。
なのに、ふと気づけば瞳からは良き友、良き師への惜別の暖かい思いが頬へ一筋伝っている。
ああそうか、これが涙なんだね。
そんな穢れを知らない心優しき青年に、残酷なエリスの視線が突き刺さる。
なるほど視線が痛いっていうのはこういうことか。
「やっぱり、馬鹿になりすぎたんじゃないのか、君?」
警戒5分、哀れみ9割5分というところ。
ええ、バカに関しては返す返す否定の言葉も出ませんとも、ええ。
もっとも、今欲しいのはそんなありがたいお言葉じゃなくて金なんですよ、金。
そういう人の心の機微が分からないからいつまでもお子ちゃまなんだよ。
ハッ○ーセットのおもちゃでも貰って喜んでろ、ちくしょう。
なんせよだ、もうここに居てもしょうがないか。
「忙しいところすいませんでした、糸川教授。失礼します。」
ケチ、くそ、時間返せ、つるぺた幼女、バーカ、バーカ、・・・等等。
その他怖くて口には出せない悪口を一通り心に並べ終え、さて部屋を出ようとした時、
グイと腕を引っ張られた。
236 裏切られた人の話 2 sage 2010/07/02(金) 01:26:49 ID:a9KwVtwK
「話は最後まで聞け馬鹿者。君は常日頃から粗忽だが、今日はやる事なす事全部が度を過ぎているぞ。
変なものを売りつけようとはするは、挙句には誘拐だのと。
・・・ふん、その顔は大方、僕の事を美幼女だ、美ロリだと腹の内で馬鹿にしていたな?」
いや、"美"は余分だとお兄さん思うぞ、"美"は。ただの幼女だろお前。
そんな俺の表情を読み取ったエリスがより不機嫌そうに口を開く。
「ああ、ああ、まあいい。僕と君の仲だ、思うまでは許してやろう。
だがいいかね、今思ったことを一度でも口に出してみろ、関節単位でバラすからな。」
「肝に銘じておくよ。お前なら本当にやり兼ねないからな。」
さっきからの頭の悪いやり取りが応えたのだろうか、エリスはいかにも疲れましたというようにため息を吐く。
「はぁ、ったく君は・・・、全然変わらないな。
大体だな、誰も貸さないとは言っていないだろう?」
「本当か、エリス!!」
「教授と言ったり、エリスと言ったり忙しいやつだな。うん、まあいい。
たんぽぽ置き機なんぞどうにもならんが、君の能力は高く買ってるんだよ、僕は。」
「戻って来いということか?」
ニヤリといやらしく笑う。
懐かしい表情だ、昔はこういう顔で業者さんが泣くまで実験器具値切ったよな、二人で。
「まあ、それに近い。買うということだよ、雇ってまた逃げられたのでは叶わんからね。」
そう言って、エリスは用紙を差し出した。自己の権利の売買に係る申請書、通称は奴隷契約書。
その名の通り自分の持つ人権を売るための申請書だ。
この国独特の制度で、よく国連から槍玉に挙げられている。
確か日本初の女性首相の時に出来たんだっけ。
「何よりも、金が必要なんだろう。ならばその程度の覚悟は見せてくれるね?」
まさかこんな所でお目に掛かるとはさすがに驚かされるが、むしろ僥倖と言える。
この国においてこれを出すという事は、確実に大金を出すという意味なのだから。
「……ああ、全く妥当な取引だ。ただここの労働権にチェックを入れれば良いだけなんだからな。」
エリスの目が細まる、ここに来てから3回目の馬鹿を見る視線だ。あれ、4回目だっけ?
「労働権? 僕は覚悟を見せろと言っているんだ。全部に決まっているだろう。」
「全部? 居住権に移動権、それからここの性交渉権やら、結婚権もか?」
「全部だと言ってるだろう。同じ事を何回言わせる気だ?」
「しかし、行使したいかそんな権利? 俺と一発やりたいか?」
エリスはまた、ため息をつく。疲れているのだろうか。
「君は馬鹿かと思うよ、心底っ、本っ当に。」
はいっ、本日5回目の馬鹿いただきました。あざーす。
金のメロンパン入れと交換できないのが実に残念だ。
「誰が使うものか。いいかね、君と性交するぐらいなら僕は股にフランクフルトでも突っ込むよ。」
お前にそんなモン入るものか、等という考えは今度こそ顔に出さず神妙な表情で続きを聞く。
「君には前科があるんだ、権利を全部買い上げておかないと今度は結婚でもして嫁がどうしたとか、
また妹がどうしたと逃げられるのが目に見えるよ。
住む場所についてもそういうことだ、取り敢えずは僕のマンション近くにでも住んでもらう。」
全く信頼無いんだな俺、まあ仕方ないか。
237 裏切られた人の話 2 sage 2010/07/02(金) 01:27:41 ID:a9KwVtwK
だが、契約前に一つ大切な事がある。
「夜澄に会うのは可能か?」
「そうだな、君のがんばり次第だね。実際君はそれで逃げたんだ、はっきりと言えば当分会わす気はない。
会わせても良い、そう思えるだけの信頼を早く取り戻せるように頑張って欲しい。
とはいえ僕も鬼では無いんだ、電話を掛ける程度の事は許可してやろう。」
「そうか・・・・・・。」
確かに過去の事を思えばこの条件も妥当なところだろう。
いや、むしろ寛大なのかもしれない。
「何か反論は? あれば幾らでも聞いてやるぞ、そんな時間があればな。」
「いえ、全くございません、ご主人様!!!」
エリスの気が変わるのを恐れて、俺は碌に項目も読まずに必死で全てにチェックを入れた。
「うん、実によろしい、では明日9:00に●●地裁に来たまえ。」
「明日に? ずいぶん早いな。」
「早く金が欲しいんじゃないのかね、何、手続きは今夜中に僕がしておこう。君は妹さんに挨拶でもしておけばいい。」
「そうさせてもらうよ、それから、ありがとうな。」
「何を言うか、私はただ君を奴隷にしただけだよ。それでありがとうとは呆れるほど馬鹿だな、君は。」
そう言って微笑むエリスはとても可愛らしかっただろう。
そんな如何にも何か裏にありますよ、って笑顔でさえなければ。
こいつ、しっかり元をとる気だな。・・・・・・どれぐらい働かされるんだろう。
生きて無事夜澄に会える日が来るといいが。
明日からの生活に思いを馳せる、きっとこの性悪幼女と徹夜の日々がまた始まるのだろう。
だが、それも悪くないかなと思ってしまう俺はやっぱり相当の馬鹿なのかもしれない。
238 裏切られた人の話 2 sage 2010/07/02(金) 01:28:59 ID:a9KwVtwK
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「ご主人様か、うん、実に良い。」
エリスは宗一が帰った後の教授室で焼酎を開けていた。
いつも机に隠してる芋焼酎『第六天魔王』、お気に入りである。
「いや、今まであの忌々しい人形女の周辺を探っていた甲斐があったよ。
話を聞いたときはどうやって近づこうかと考えたが、向こうから来てくれるとはな。
それに話もトントン拍子と来たものだ。うまく行き過ぎて怖いぐらいだよ。」
机にある写真に目を落とす。
エリスと宗一が二人で肩を組み表彰状を持って笑っている、二人が出会ってから初めての受賞だった。
「あいつさえ居なければ、今頃はね・・・・・・。」
あの頃は良かったと思う。
互いに笑って、言い争って、部屋にコタツと猫を持ち込んで機器が全滅したり、その修理に力尽きて二人で床で寝たり。
自分が普通の学生だったらとずっと憧れていたことが宗一となら出来た。
エリスにとっては、地位、才能、嫉妬、(あとは外見も少々)、そんな物を気にせず話せる唯一の相手だった。
自分にとって一番大事な人だった、そして、宗一にとっても自分が一番なんだと信じて疑わなかった。
だが、宗一にはもっと大事な妹がいた。
どんなに誘っても、宗一は夕食を共にしてくれなかった、妹と食べる為に。
どんなに誘っても、宗一は休日を共にしてくれなかった、妹と過ごす為に。
どんなに忙しくても、宗一は家に帰るために必死だった、妹の顔を見る為だけに。
どんなに引き止めても、自分の元を去ってしまった、ただ妹と一緒にいる為に。
宗一自身はいつも駄目な兄様だと自嘲していたが、
しかし、何かある度に宗一にとっての一番があの妹だというのを嫌という程思い知らされた。
239 裏切られた人の話 2 sage 2010/07/02(金) 01:29:42 ID:a9KwVtwK
一度だけ、エリスはその妹にあった事がある。
熱を出した宗一の見舞いに家を訪ねた時だ。
一目で、大っ嫌いになった。
長い黒髪に澄んだ黒い瞳、白いきめ細かな肌、豊満ではないが均整の取れた人形のような体。
そして、自分と一緒の時には見せたことの無い優しい宗一の眼差し。
あいつは自分が欲しかった物をみんな持っていた。
エリスはきっと、あの時に初めて他人を妬んだ。
なのに、あいつはエリスを見ても何も感じていなかった。
宗一にとっての1番は自分だという事を知っていた。
彼女などはその遥か下のどうでもいい2番目以下の何か程度にしか思っていなかったのだろう。
「くそ、忌々しい。」
あたりめを噛みながらグラスに焼酎を注ぎ、グッと一息に飲み干す、叩きつけるようにグラスを置く。
その動作一つ一つが実におやじ臭い。
「あいつに会ってからは無理矢理研究を増やして、寝る時間も無い様にしたっていうのに、
・・・くっくっくっ、まあ、それも今日までさ。」
明日の事を思うとどす黒い笑いを堪えられなかった。
その場で電話を掛けてやろう、お前の大好きな宗一お兄様は糸川エリスの奴隷になったと。
今日までの1番が、明日には赤の他人になってしまうのだ。(奴隷の持っていた家族関係は、解放奴隷になるまでは無効となる。)
もちろん、妹に二度とあわせてやる気など無い。
一回契約してしまえばどうにでもなるそれが奴隷だ。
一体、あの忌々しい人形女はどんな表情を見せてくれるのだろうか?
いっそ件の心臓が止まってしまえば最高だ。
そうしたらバラして本当の人形にしてやれるんだからな、主従、いや末は夫婦か、初めての共同作業というやつだ。
ああ、夜明けが待ち遠しくて仕方ない。
エリスは残りわずかの瓶を逆さまにして覗き込む。
最後の一滴まで飲むつもりだ、ご令嬢の癖になんともケチ臭い。
「ひっく、これであいつとはずうっと一緒だ。なんせ僕はご主人様なんだから。
その、例えば、ご主人様だから首輪で繋いだり、肉奴隷にしたり、・・・あと、足を舐めさたりしても構わないよね・・・、ご主人様だから。
ご主人様、んっふっふっふ、いいなぁご主人様・・・・・、ふふふふ、ひゃーはっはっはっは・・・・・・。」
それにしてもこの金髪ロリ、ノリノリである。
240 裏切られた人の話 2 sage 2010/07/02(金) 01:30:55 ID:a9KwVtwK
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エリスの研究室を出た後、俺はまっすぐに夜澄のいる病院へ向かった。
医師に金の工面ができたこと、奴隷契約を結んだことを告げた。
そして、夜澄に会いたい旨を話すと時間外ではあったが、
医師は、ほっとした顔つきで時間外だが面会を許可してくれた。
どうやら存外に俺たち兄妹を気に掛けてくれていたようだ。
病室に入ると夜澄が驚いた顔でこちらを見た。
「こんな時間にいらっしゃるなんて初めてですね。」
そして、体をベッドから持ち上げる。
「あ、そのままでいいよ。ごめんな、休んでるところに押しかけて。」
「そんな事を言わないでください。私は兄様に会えるのでしたら真夜中でだって嬉しいですよ。
あら、良いですね、それ、なんだかサンタクロースみたいです。」
そういって夜澄はくすくすと笑っている。
我が妹ながら本当にかわいらしいと思う。
サンタクロース、今の状況を表すには正しいのかもしれない。
朝起きれば本人が居なくてただ
プレゼントだけが残っている。
プレゼントと白ひげのおじいさん、どちらを楽しみに子供はクリスマスの夜を待っているのだろうか。
「ところで、こんな時間にいらっしゃるということは、何かあまり良くない知らせですか。」
「いや、悪い知らせではないよ、決して。」
悪くない、悪い知らせでは無いんだがどう言えばいいものか。
まさかの可愛い妹の心臓のために、お兄様が体全部売っちゃいましたとは言えないし。
言ったならば夜澄の事だ、兄様と一緒に居られないなら意味がないと拒否するのは間違いない。
うーん、うーんとまとまらない頭をひねっていると夜澄に先を促された。
「なら、良い話でしょう? それならもっと嬉しそうに話してください。
そんな難しい顔をしてらしては幸せも半減ですよ?」
俺は覚悟を決めて夜澄に近づき、視線を同じ高さに合わせた。
「実はな、お前の病気は移植をすれば完治できるんだ。そして、その準備も整った。
整ったんだけど・・・・・・。」
せめて何と言えばいいか考えてから来るべきだった。だが、そうするには気がはやりすぎてしまっていた。
次に会えるのがいつになるか分からない、そんな状態だから一秒でも長く夜澄と居たかった。
「成功するかどうかわからないという事ですね?」
「あ、ああ・・・・・・、そうなんだよ。難しい手術なんだ。」
いかん、つい話を合わせてしまった。
どうする、どうやって話を戻す!?
慌てて打開策を見つけようとしても頭の中はただ空転するばかりだった。
「兄様。」
凛とした声に思考が引き戻される。
241 裏切られた人の話 2 sage 2010/07/02(金) 01:33:12 ID:a9KwVtwK
兄様、聞いてください。夜澄は手術を受けます。」
夜澄がまっすぐに俺の目を見つめている、澄み切った目で。
その姿には少しの迷いも不安も感じさせない。
「兄様、夜澄は兄様の事を信じています。
兄様のする事は皆夜澄のためにしてくださっていると夜澄は知っています。
兄様の言う事でしたら、たとえどんな内容でも無条件で夜澄は従います。
だから、兄様が言いたくないことは言わなくいいのですよ。」
違う、問題を勘違いしている、なのにそれを指摘しようとしても喉が動いてくれない。
結局、口からは言おうとする事とは全く別の言葉が出てしまった。
「本当に聞かなくていいのか?」
良い訳がないだろう。
「ええ、夜澄は手術を受けます。それは兄様が決めた事ですから。」
夜澄は俺の額に手を当てた、暖かいな、日向のように暖かいよ。
こうしていると、もう数年の命だというのが信じられなくなる。
いや、もうそんな心配はしなくて大丈夫なんだよな・・・。
「夜澄は手術を受ける、手術は成功する、成功して夜澄は完治する、兄様は夜澄とずうっと一緒に暮らしてくれる、
みんな上手くいって最後はハッピーエンド、その過程なんて誰も知らない、それでいいじゃないですか。
手品だって種を知らないから楽しめるじゃないですか?」
そういって夜澄はにっこりと笑ってくれた。
最後がハッピーエンド、それが大事なんだな。
少し寂しくなるけど信じてくれるんだよな。
「そうだな、最後がハッピーエンドならそれでいいよな。・・・・・・なあ夜澄。」
「はい?」
「いつか、俺にずっと裏切られ続けたんじゃないかって思うときが来るかもしれない。
それでも、お前の兄様はずっと夜澄の為に生きてきたんだ。
理解してくれとは言わないけど、そうなんだ。信じてくれるかな?」
「もちろん夜澄は信じますよ、兄様」
ありがとう、それからごめんな。
「それじゃあ、また来るからな。」
いつか分からないけど。
「兄様、元気になったらまた一緒に、ずうーっと一緒に、二人で暮らしましょう。」
「ああ、一緒に。ついでに猫付きでな。」
夜澄がくすりと笑う。
「ほっかほかのを、ですね?」
そうして俺は病室を出た。
結局、さよならを言う事ができなかった。
また夜澄の信頼を裏切った。きっと、また夜澄は傷つく。
何回目だろう、もう数える気もしないが。
最終更新:2010年07月12日 20:25