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『きっと、壊れてる』第10話(1/8) sage 2010/11/01(月) 23:02:21 ID:l/rCM2FK
もう何度目だ。
昔の夢。
俺や茜、楓がまだ仲の良い普通の兄妹だった頃の夢。
啓示などとは思いたくもない。
今の状況になった理由を、俺の精神が昔に求めているのか。
楓はいつからだ。
いつから術策を弄していた。
いつから俺の事を男として見ていた。
わからない。
茜はどうだ。
わからない。
俺は何も知らなかった。
ただ一丁前に兄貴面をしていただけで、
彼女達の奥底に眠る、葛藤や欲望など知ろうともしなかった。
いや、それが正常だ。
まさか実の妹が自分に異性を感じているなどとは夢にも思わないのが普通だ。
ここは実世界に見えて、実は隔離された違う世界なのか。
血の繋がった人間同士、ごく当たり前に求愛する世の中なのか。
もしそうならば、どちらでも良い。
壊れてくれないか。
もう俺は疲れてきた。
「あ~、暑いな~」
時刻は昼頃か、高校も夏休みに入り部活の練習も休みだった土曜日。
浩介はリブングのソファで、扇風機に当たりながら、だらけていた。
クーラーが夏場だというのに故障してしまい、昨夜は茜以外の家族全員、
全力疾走した後のように疲労した表情を浮かべていた。
家には浩介と茜の二人。
茜はキッチンで料理本を見ながら、お菓子か何かを作っている。
料理については単純に趣味だったのか、いずれ浩介との二人だけの生活が訪れる、と確信した上での予行練習だったのかはわからない。
「もう、兄さんだらしがないよ。夏休みの宿題は終わったの?」
キッチンのカウンターから、呆れた顔で注意してきた茜は黒髪を後ろに一つで束ねていた。
高校1年生とは思えぬ、凛として大人びた美貌。
『大和撫子』という言葉がピッタリのその容姿は、一学年上の浩介のクラスでも話題に上がっていた。
しかし、浩介は茜の浮いた話などは聞いた事がなかった。
おそらく、あの一見冷たそうな無表情と、流行り物等には興味がなく、
友達とは学校内でしか関わらないという一匹狼な性格が災いしているのだろう、と浩介は考えていた。
「まだ8月中旬だから大丈夫だよ。後、『宿題』って言うと小学生みたいだな」
「『もう』8月中旬です。兄さんは来年受験でしょ? そろそろ、そっちの勉強もした方が良いよ」
母親のような小言を洩らした茜は、冷蔵庫を開け何かを詰めている。
おそらくクッキーだろう。
昨夜、作るような事を言っていた事を浩介は思い出した。
「腹が減っててやる気が出ないなぁ」
浩介は甘えるような声を出した。
この頃、既に茜は夕飯の支度を母親と分業するほど、料理の腕を上げていた。
休日など、朝食から夕食まですべて茜が作る事も珍しい事ではなかった。
茜の作る料理の方が、細やかな味付けがされているのが特徴だった。
「じゃあお腹が一杯になれば、宿題するのね?」
「うん」
「フフッ、本当かしら。冷やし中華で良い?」
仕方がない子、とでも言いたげなその微笑みに、浩介は頷きで返事をして再びソファーに寝転がった。
549 『きっと、壊れてる』第10話(2/8) sage 2010/11/01(月) 23:02:49 ID:l/rCM2FK
茜が作った冷やし中華を食べ、お茶を飲みながら他愛もない話をしていた。
点けたままのテレビは、芸能人のどうでもいい恋愛話を熱心に解説している。
「そういえば、楓は? 父さん母さんも見てないなぁ。あれ? 今日って日曜だよな?」
長い休みで怠惰な生活をしていた浩介は、曜日の感覚がずれているのではないかと不安になった。
そして、2週間後にはまた朝早く起き学校に行く事を思うと少しだけ憂鬱になった。
「3人でデパートだって。日本橋だから、そう遅くはならないと思うけど」
黒猫の絵が描いてあるマグカップでお茶を啜ると、茜は浩介と目を合わせて返事をした。
「この暑い中、元気だなぁ。茜は付いて行かなかったのか? うまい物食わせてもらえたかもよ?」
「……私も暑いの苦手だから。それに、どこかの寝ぼすけさんが起きた時、食べる物がないと困るでしょう?」
どうやら茜は浩介の朝食を作る為に残ったようだ。
「別に適当に食うからいいのに」と言おうとした浩介だったが、
その言葉は茜の好意を踏みにじる事に気付き、思い止まった。
「悪いな。……じゃあさ! 俺らもどこか行かないか? 茜、最近外に出てないだろう?」
「どうしたの? 急に。宿題は?」
瞳が少しだけ揺れているのを浩介は確認した。
表情は変わらなかったが、茜は驚いているようだ。
「課題は帰ったらやるからさ。久しぶりに家族と出掛けたくなったんだ。どこか行きたい所ないのか? 」
前回茜と出掛けたのは、いつだったか。
思い出せないと言う事は、それほど間が空いているのだろうと浩介は思った。
村上家に『妹と定期的に出掛けなければならない』という、約束や決まりなど当然ない。
ただ、浩介はインドア派の茜に外の世界も存分に楽しんでほしいと思っていた。
それだけだった。
「……うん、本をね、買いたいの。裁縫の本。神保町まで行けば大きな本屋があるから。そこまで付き合ってくれる?」
「裁縫? 所帯染みてるなぁ」
「あら? 何時、どういう生活環境になるかはわからないのだから、学んでおいて損はないでしょう?」
「まぁな、じゃあ支度してくる」
「うん」
普通高校1年にもなればファッション誌等に興味を持ちそうなものだが、と浩介は思ったが、
茜が変わっているのは今に始まった事ではないので、それ以上追及する事はなかった。
部屋に戻り、着て行く服を選んでいると、浩介はある事に気付いた。
妹と、茜と出掛けるという事だけで、こんなにも心が躍るのはなぜか。
興奮する様なテーマパークに行くわけでもない。
何か、報酬があるわけでもない。
むしろ世間では、この年で兄妹と出掛ける事は、恥ずかしい事に分類されるらしい。
熟考しても答えは出なかった。
選んだ服が、浩介が持っている服の中で、一番高価でお気に入りの物だった事が唯一の真実だった。
15分後、二人は家を出て、照りつける太陽などお構いなしに、明るい道を歩いた。
道中、人混みではぐれてしまいそうだから、と茜は恥ずかしがる素振りも見せず、浩介の腕を取った。
その手は人混みを抜けてもしばらく離される事はなく、二人が兄妹だという事を見抜けた人間もおそらくいない。
浩介と茜が腕を組んで歩いたのは、この日が初めてだった。
550 『きっと、壊れてる』第10話(3/8) sage 2010/11/01(月) 23:03:14 ID:l/rCM2FK
「お兄ちゃん達、どこかに出掛けたの?」
夕食時、楓が発した言葉だ。
なぜ気付いたのか。
両親と楓が両手一杯の荷物を抱え、玄関のドアを開けるまでに、浩介達は帰宅していた。
靴も出掛ける前と同じように揃え、出掛ける際に着た服も洗濯カゴには出していない。
茜は家に居る時でも余所行きのような格好をしているので、着替える必要性はなかった。
楓は不服そうな顔をしていた。
好物であるはずのエビフライをかじり、ご飯を口に入れる。
その一連の動作にも不機嫌さが滲み出ていた。
「あ……あぁ、参考書を買おうと思ったんだけど、俺には全部一緒に見えちゃってな。
茜に見立ててもらう為に一緒に本屋に行ったんだよ。楓とも一緒に出掛けたかったんだけど、居なかったから……」
以前、自分と茜が二人で将棋を指していた時の事を思い出した浩介は、楓を刺激しないように慎重に回答した。
少しだけ嘘を混ぜて。
茜を連れていったのは仕方なかった、楓が在宅していれば当然連れて行ったという意味合いを乗せる為だった。
「ふーん……楓がついて行っても、お兄ちゃんの勉強の事なんてわからないよ」
楓はそう言って興味が薄れたようにそっぽを向くと、再びテレビの方を向いた。
少し言い訳が苦しかったか。
浩介は自分の言い訳の採点を求めるように、向かいの左方を見る。
茜は我関せずと言った表情で食事を続けていた。
あの将棋の事件以来、浩介なりに気を配り、楓が癇癪を起さないように努めてきたつもりだった。
茜だけ居れば済む用事も、楓の前で茜に話しかけ、楓にも意見を求めるかのように振舞ってきた。
今回は自分のご飯の支度の為に、出掛けず居残ってくれた茜へのお礼。
客観的に見ても浩介に非はなかったが、楓の機嫌を損ね、場の雰囲気を崩す事は避けたかった。
Tシャツの背中に滲む汗が心地悪いが、ひとまず難を逃れた事に浩介は安堵した。
「浩介も来年受験だな。もう進路は決めているのか?」
ビールを飲み、少し顔に赤みが差している父親が口を開いた。
めずらしく家族と夕食を取れてたためか、機嫌が良さそうだ。
「うん、大体は。学費も安いし、文系の学部に行こうと思う」
「文系? 就職は大丈夫か?」
「多分……としか言い様がないけど」
理系だと年間の授業料は100万をゆうに超える。
3人兄妹全員を大学まで通わせる事を想定すると、浩介は理系学部を受験する事にどうしても気が引けてしまっていた。
「まぁ私達は元気に巣立って行ってくれれば文句ないわよ。ねぇ? お父さん」
まだ自分は食事中であるにも関わらず、茶飲みに急須でお茶を入れ、
旦那に差し出した母親は、慈愛が溢れんばかりの笑顔を見せた。
「大学4年になったら公務員試験も試しに受けてみたらどうだ? 安定しているし、
ボーナスと退職金はすごいぞ。警察や消防は親としては複雑だがな」
「あぁ、考えておく」
まだ先の話を、楽しそうに話す父親を見た浩介は、息子として愛されている事を実感した。
特別お金を持っているわけでもない。
特別優秀な人間がいるわけでもない。
家庭の為に必死で働く父。
家族を一番に考え、家事を仕切る母。
おとなし過ぎるのが欠点だが、頭も良く、母の手伝いどころか家事の一端を担っている茜。
わがままだが、その太陽のような笑顔で家族全員を幸せな気分にしてくれる楓。
浩介はこの家族が好きだった。世界中で自分が一番幸せだと信じて疑わなかった。
551 『きっと、壊れてる』第10話(4/8) sage 2010/11/01(月) 23:03:52 ID:l/rCM2FK
時計の針を見ると、22時を指していた。
机で夏休みの課題をこなしていた浩介は、自分の隣の部屋、茜と桜の部屋から聞こえる微かな声に気付いた。
「楓、それは駄目よ」
「いーじゃん! これがいい!!」
何か揉めているようなその声は、一旦気にしてしまうと耳から離れる事はなく、浩介の耳はその音を嗅ぎ続けた。
「他にも一杯あるじゃない。それは駄目」
「なんで? 楓はこれがいいのに!」
楓はともかく、茜がこちらまで聞こえる声を出すのは珍しい。
普段、姉妹喧嘩などまったくしない二人がなぜ揉めているのか気になった浩介は、
机のスタンドライトの灯りを消し、部屋を出た。
「どうしたんだ?」
ノックをしてから姉妹部屋のドアを開けると、何かを両手でしっかりと抱きしめるパジャマ姿の楓と、
両手を膝の上に置き、椅子に座った茜が向かい合っていた。
「兄さん」
「ケンカか? 珍しいな。茜はともかく、楓の声は響くから少しボリューム抑えろよ。後、窓も閉めろ」
浩介は、カーテンすら開いたままの窓に視線をやった。
「えぇ……でも困っちゃって……」
「だって、これがいーんだもん!!」
楓の抱きかかえている物をよく見ると、ぬいぐるみだった。
締まりのない顔をした犬のぬいぐるみが、力強く抱きしめる楓の腕の中で少しだけ変形していた。
「ぬいぐるみの取り合いか?」
「取り合い……なのかな。貸してほしいと言うから、仕舞っていたのを出したのだけど」
そう言った茜の横には、大きい透明のカラーボックスが置いてあり、
その中には所狭しと動物のぬいぐるみ達が詰め込まれていた。
「その中から選んだぬいぐるみじゃないのか?」
「えぇ、一番大事だから机の上に飾ってあった子なの」
そういえば茜の机の上には、今楓が抱きしめているぬいぐるみが飾ってあった気がする。
要するにまた楓のワガママか、と浩介は小さく溜息をついた。
「楓、茜がそれは嫌だって言ってるんだから返してあげろよ」
「やだやだ!」
首を振って、自分の気持ちを表現する楓はいつも以上に頑固そうだった。
もう10歳になるというのに、楓は同年代に比べて精神的に幼い気がする。
ただ、一番歳が近い茜でも6歳の違い。
我が家の家族構成では、末っ子の楓を甘やかしてしまうのは、
ある程度仕方ないのかもしれない、と浩介は2度目の溜息をついた。
「楓、それ以外ならどれでもいいから。気にいったのがあったら、あげるし」
「これがいーの!」
「楓はもう10歳のお
姉さんだろ? あんまりワガママ言わないでくれよ」
浩介は完全に茜の味方だった。
普段自己主張というものをしない茜がここまで拒否するという事は、余程大事な物なのだろう。
その対象がたとえ玩具だとしても、茜の価値観を否定する事はしたくなかった。
「お願い楓、それは大事な物なの。今度お揃いのやつ買ってきてあげるから」
「やだー!」
「楓! いい加減にしろよ!」
──楓の体が硬直した。
浩介は自分でも驚くほどの大声で、怒鳴ってしまった。
それは、普段楓の面倒をよく見ている茜がこれだけ懇願しているにも拘わらず、
我儘を言い続ける楓の我儘が、悪念に感じたからだった。
それにこのような傍若無人な気質では、この先周りが成長するにつれて、
楓だけ浮いてしまうのではないか、という兄としての心配も込められていた。
552 『きっと、壊れてる』第10話(5/8) sage 2010/11/01(月) 23:04:21 ID:l/rCM2FK
目を真っ赤にした楓が、浩介を睨んだ。
その表情は小学生とは思えない、一人の女の嫉妬心が溢れているように映った。
「……ヒック……ヒック……お兄ちゃんは……」
しゃっくりを挟んで、ゆっくりと確実に言葉を紡ぐ。
「いつも……ヒック……おねーちゃんの……ヒック……味方なんだ……」
「泣いても駄目なものは駄目だ楓。それを茜に返して、もう遅いからさっさと寝ろ」
「いつも楓だけ仲間外れにするし! もういいよ!」
楓は抱いていたぬいぐるみを茜の方へと投げた。
そして──この時は運が悪かったとしか言いようがない。
窓が開いていた。
比較的、大きい窓が。
茜の後方へと放物線を描いたぬいぐるみは、開けっ放しにしていた窓をすり抜け、闇の中へ消えた。
「なっ……」
慌てて窓から顔を出し、落ちた場所を確かめる。
道路の中心に投げ出されたように転がる犬のぬいぐるみは、捨てられたとでも思ったのか、虚ろな目をしている気がした。
浩介は、呆然とする茜と楓には目もくれず、すぐさま家を飛び出し、廊下を駆けてエレベーターのボタンを押した。
村上家はマンションの6階にあり、おそらく階段を使うよりもエレベーターを待った方が早いはずだ。
無傷でいてくれ。
浩介は、名も知れぬぬいぐるみのために祈った。
このマンションは車の通りが激しい大通りに面している。
茜達の部屋の窓は、その大通りに繋がる細道に面していた。
細道といえど、近道をしようとするトラックやタクシーがひっきりなしに通る道路のため、
急がなければ轢かれてしまうのが目に見えていた。
乗り込んだエレベーターの降下する速度が、いつもより遅い気がする。
メーカーの名前を睨み、行き場のない苛立ちをぶつけた。
『1』という階ランプが点灯し、扉が開いた。
サンダルをペタペタと鳴らして速やかにぬいぐるみが落ちた細道に出ると、
さっきまで中央に転がっていたはずのぬいぐるみが、向かって右側のガードレールの下でうずくまっているのが見えた。
駆け寄って拾い上げる。
トラックにでも轢かれたのか、首が取れかけていて中から白い綿が少し飛び出していた。
タイヤに押し潰されたのだろう、鼻も少し変形している。
その変わり果てた姿は、ぬいぐるみといえど目を背けたくなるものだった。
「兄さん」
背中の方から聞こえるその声は、雑踏の中で消え入る様な声。
浩介の後を追って来たのか、背後に茜が立っていた。
振り向きたくない。
まだ俺の体が壁になり、このボロボロのぬいぐるみは茜には見えていない。
なんとかならないか。
頭をどれだけ回転させても、状況を打破できる策などなかった。
「こっちを向いて」
横から覗きこめば、すぐにぬいぐるみを視界に捉える事ができる距離だった。
おそらく、茜はぬいぐるみが無事ではない事に気付いていた。
浩介はゆっくりと振り向き、手の中のぬいぐるみを茜の胸の前へと差し出した。
受け取ったぬいぐるみを両手で抱え、顔の高さまで持ち上げた茜は、無表情のままだ。
胸を締め付けられるような気分になった浩介は、茜から視線を逸らした。
「壊さないで」
茜は無表情のまま、一言そう発した。
それが、誰に言った言葉なのか、浩介にはわからない。
ボロボロになったぬいぐるみに視線を戻すと、浩介はそれが昔遊園地で自分が買ってあげた物だと今更気付いた──。
553 『きっと、壊れてる』第10話(6/8) sage 2010/11/01(月) 23:04:44 ID:l/rCM2FK
「兄さん、そろそろ起きないと。チェックアウトの時間を過ぎてしまうわ」
体を揺すられ、頭が徐々に覚醒していく。
目を開けると、夢の中とさほど変わりない茜の顔が間近にあった。
「ん……」
「ほら起きて? もう、旅行に来ても変わらないんだから」
「起きるよ。ちょっと準備してただけだ」
上半身を一気に持ち上げ、目を凝らす。
部屋の中は何の変哲もないホテルの一室だ。
茜や楓のベッドの上には、綺麗に畳まれた浴衣が中央に置いてある。
「何の準備かしら? とりあえず、おはよう」
茜の黒い瞳がカーテンの隙間から差す光に反射して、キラキラと輝いているように浩介には映った。
「おはよう……楓は?」
「先に朝ご飯食べてお土産屋で買い物してるって。私達は寄ってるヒマないけど……」
「あぁそれは構わないよ。……何か楓に変わったところあったか?」
昨夜の事を思い出した浩介は、聞かずにはいられなかった。
なぜ、楓はあんな変貌を遂げたのか。自分の中の天真爛漫な楓は偽りの姿なのか。
考えれば考えるほど、浩介の脳裏には気が重くなる事柄だけが積もった。
「変わったところ? 別にないわ。お肉ばっか食べてやるって張り切ってたぐらい」
楓はあくまで、茜の前では純真無垢な妹を演じるつもりなのだろうか。
逆に、昨夜自分に見せた姿が虚偽の姿なのか。
浩介には判断がつかなかった。
「そっか、じゃあいいんだ。……なぁ、茜」
「何?」
「昔の夢を見ていたんだ。ほら……ぬいぐるみが窓から落ちたやつ」
「ぬいぐるみ……あぁ、あれね」
茜は一瞬で思い出したようだ。それほど印象深い出来事だったのだろう。
「あれって、どうなったんだっけ?」
「どうもこうも……楓が父さん母さんにみっちりお説教受けて終わりよ?」
「ぬいぐるみは?」
「自分で直した。丁度あの日の昼間、裁縫の本を買っていたじゃない」
「そういえばそうだったな。楓とはあの後しばらく冷戦だったのか?」
「ううん、次の日だったかな。泣いて謝って来たわよ? あの子に悪気がなかったのは
わかってたし、冷戦なんてするはずないわ。……というか兄さんも次の日の夕飯、一緒に食べていたじゃない」
「言われてみれば、そうかも」
茜に言われ、次の日の夕飯時に茜と楓が何事もなかったかのように会話していた事を浩介は思い出した。
「でも……優しいお姉ちゃんだな、茜は」
普通、自分の大事にしていた物を壊されたら、相手が謝って来たとしても中々許せるものではない。
おそらく自分が茜の立場だったら、1週間は口を利かないだろう。
茜の慈愛に浩介は感心した。
「……そうでもないけどね。さぁ、私達も朝ご飯に行きましょう。バイキング式らしいから」
ふとした違和感。
話を打ち切った茜は気のせいだろうか、どこか悲しげな顔をしていた。
554 『きっと、壊れてる』第10話(7/8) sage 2010/11/01(月) 23:05:08 ID:l/rCM2FK
夜の空は、誰もここには存在しないように静まりかえっていた。
まだ22時なのに子供はおろか、大人まで座席で寝息を立てている。
前方のCAは、まるで幼稚園の教諭のように優しい笑みで乗客たちを見渡していた。
先程、雲の中を通った時は墜落するのではないかというほど、機体が揺れた。
落ちても構わない。
浩介は心からそう思った。
往路と同じく、浩介が窓側、楓がその隣、茜が通路側に座っていた。
最初は文庫を読んでいたがさすがに疲れていたのか、茜は他の乗客と同じように眠っている。
浩介は誰にも気付かれていない事を確認すると、自分の股間を弄っている手を掴んだ。
「いい加減にしろよ」
「あら、手じゃ満足できない? 流石に口でするのは……ここでは恥ずかしいわ」
悪びれる事もなく、楓は爬虫類のように感情のない瞳で浩介を見上げた。
茜が寝息を立てた後の事だった。
CAに毛布を借りると、楓はそれを広げ、浩介と自分の下半身にかけた。
肌触りの良い毛布が温かい。
楓は単純に眠気が襲ってきただけ、クッション代わりに浩介の肩を借りるつもりだけだと、思っていた。
公共の場所で昨夜のような行動など起こすはずがない、という固定観念が浩介を油断させた。
楓は妖しい笑みを浮かべ、浩介のズボンのファスナーを開けた。
10分程の間。楓は浩介を玩具にしていた。
「だからっ……やめろ! 茜が起きたらどうするんだ」
注意しても手の動きを止めない楓に、浩介は自分が出来る一番鋭い目で楓を睨みつけた。
大声を出せば、周りが気付く。
おそらく楓はその事も計算していた。
「フフッ、可愛い。姉さんが起きてなかったら続けてていいって事?」
「違う。いいからその手を離せ。俺が大人しく注意している間にやめるんだ」
「別にいいのよ? 大声で叱っても。私は兄さんとそういう関係なんだ、ってアピールできるもの。隣で寝ている人にもね」
楓は浩介の耳元でそう囁くと、チラリと隣で寝息を立てている茜を一瞥した。
「……楓、どうしてだ? 何がお前を変えた?」
「変えた? それは違うわ兄さん。私は何も変わっていない。昔からね」
男性器を掴む力が僅かに強まる。
先走った透明な液体が、男性器の先端から僅かに出ている気がした。
「でも、兄さんに私を叱る権利なんてないわよね? 自分だって姉さんと散々イイ事したんでしょ?
私が寂しく実家に取り残されて、父さんと母さんの前で『明るくて素直な楓』を演じている時も」
「やめてくれ……頼む」
「それは、今の行動の事を指しているの? それとも過去をほじくりかえす事?」
「両方だ」
目を瞑って、楓の手を覆う様に自分の手を被せる。
これ以上動かさないように。
そうすると、楓は指先だけで、亀頭の周りをペットボトルの蓋を開けるかのように弄り始めた。
「観念した方がいいわ、兄さん。私も興奮してきてしまったもの。
あっでもね、私はまだ処女よ? 嬉しいでしょ? ねぇ、姉さんのを奪った時ってどんな気分だったの?」
吐息が浩介の耳をくすぐる。
浩介は何も答えず、ジッと耐えた。
力任せに楓を抑えつける事は可能だが、拒絶すると楓は何をするかわからない雰囲気を醸し出しているからだった。
「やだぁ、ビクビクしてきた。気持ち良いの? イく時はイくって大きな声で言ってね?」
「ふ……ざけるな」
「そういえば、私の体も触っていいのよ? 胸は姉さんよりも2カップ上だから、揉み応えがあると思うわ」
「だからっ! ふ……ざける……なよ」
姿勢を正し、自分の体を浩介の方へ寄せた楓は不敵に微笑む。
その姿は、浩介の中の楓の面影など微塵も感じさせなかった。
555 『きっと、壊れてる』第10話(8/8) sage 2010/11/01(月) 23:05:32 ID:l/rCM2FK
「……触らないの? そうね、胸を触っていたら、さすがに他の人にバレてしまうものね」
「何か……俺に恨みでもあるのか?」
「心外ね。私は兄さんが喜ぶと思ってしてあげてるのに。じゃあ足はどう?
ほら、動物園でなんだかんだ文句言ってたけど、兄さんも生足好きでしょ? 触っていいんだよ?」
毛布を少しだけ捲り、楓の細く白い生足が浩介の視界に飛び込んできた。
肌色の足に、粉雪を振りかけたようなその白く輝く足は、薄暗い機内にいる事でより一層の色香を出していた。
浩介は、楓が初日と同じホットパンツを今日も穿いていた理由を、今理解した。
「頼む。やめてくれ。もう十分だろ? ……本当に……やめてくれ……」
破裂しそうな浩介の男性器は、もう限界が近かった。
「イくの? 兄さん? 私の手に出したい? いいよ。出して」
耳に息を吹きかけられ、限界まで粘った浩介がついに果ててしまうと思ったその時。
楓の手の動きが止まった。
「……楓?」
横を見ると、浩介の肩にもたれかかり目を瞑っている。
何かと思い顔を上げ、通路側に目をやると、CAが不思議そうな顔をして立っていた。
「お客様、もしよろしければもう1枚毛布をご用意しましょうか?」
浩介と楓が二人で1枚の毛布を使っている事に気がついたらしい。
楓は狸寝入りを決め込んでいた。
「いえ、もう時間もそんなにないし、大丈夫です」
お手本のようなお辞儀をすると、CAは疑う様子もなく前方へと消えて行った。
「フフッ。ドキドキしちゃった。ごめんね? 寸止めして」
すぐに目を開けた楓が胸を浩介の腕に押し付けた。
手は股間を掴んだままだ。
「もういいから。離してくれ。じきに羽田に着く」
腕時計を見ると、22時20分。
到着予定が22時30分のため、そろそろ乗客も起きだし、降りる支度を始める頃だ。
さすがに楓ももう満足しただろう、そう思っていた。
「駄目よ、出しなさい。出したら兄さんの精液、トイレで舐めてきてあげるね」
浩介は、言葉にならなかった。
自分の中の楓が偽りだった事。
あの絵に描いたような家族団欒、3人兄妹の仲すら壊れていた事。
茜だけではなく、楓すら自分が汚してしまった事。
美佐を裏切ってしまった事。
そして……茜を裏切ってしまった事。
目からは涙が溢れそうだった。
横目で茜を見る。
昨夜と同じように、茜は眠っている。
その横顔は女神が舞い降りたかのように、美しい造形だった。
もう自分の周りの人間は、すべて壊れてしまっていた事に絶望する。
どうすれば、普通の幸せを手に入れ、穏やかに暮らす事が出来たのか。
この状況を茜が知ったなら、どんな言葉で自分を導いてくれるのか。
考えても、行動しても、空回りばかりだった。
女神を汚してしまう事に耐えきれず、浩介は視線を逸らす。
そして、楓の手の中に白く濁った自身を受け止めさせた。
第11話に続く
最終更新:2010年11月07日 18:23