372 :
幸せな2人の話 18:2010/12/25(土) 00:39:37 ID:E5zor9RC
黒い駒を摘んで、白い駒にぶつける、ころんと駒が倒れる。
今日も雪風はチェスを弄っていた。
別に独りで模擬戦をしている訳でもない、ただぼんやりと駒をぶつけ合っているだけだ。
そういえば、雪風はもう最近は絵を描いて居ないんじゃないかな。
前はあんなに楽しそうだったのに、どうしたのだろうか?
「兄さん、最近シルフちゃんの様子が変だけど、何かあったの?」
描かないのかと聞こうとしたが、先に言葉を発したのは雪風だった。
「雪風も気付いていたんだな」
「もう、兄さんみたいに鈍い人が気付けるのに、
雪風お姉ちゃんが気付いてないって思ったの?」
呆れたように雪風はため息を吐いた。
「何だかまるで昔私たちが初めて会った時みたいに、
不安そうにしている時があるのが気になってて……」
「そうだよな、俺が気付いてて雪風が気付かない事はないか。
その、この前、なんて言うか、シルフがとても辛そうだったんだ。
ただ、どんなに聞いても何が辛いのか教えてくれなくて。
俺も考えたんだが原因も分からなくってな、もし雪風に思い当たる事があればって思うんだが?」
一応、これでもシルフの恋人の積りなんだが、本当に情けないよなぁ。
「そうだったんだ。
そうなんだよね~、私にもどうして、ていう話はしてくれないの」
雪風は困り顔で笑った後で真顔に戻り、今度は俺の顔をじぃっと眺める。
「う~ん、こういう言い方って悪いのかもしれないけど、
ひょっとしたら兄さんが気付かないうちにシルフちゃんを傷つけたんじゃないかな?」
「……雪風の言う通りかもしれないな」
「いい、あの子の事はちゃんと大切にしてあげないと駄目だよ。
前も言ったけどシルフちゃんはちょっとだけ不安定っていうか、
上手に感情を処理できない所があるから。
それを助けてあげられるのは兄さん一人だけなんだからね?」
そう言って、念を押すように俺の目を見つめる。
なんだか、俺の方が弟で雪風が姉みたいだな。
雪風お姉ちゃん、ああ、それも良いのかも知れないな。
373 :幸せな2人の話 18:2010/12/25(土) 00:40:28 ID:E5zor9RC
「くす」
「む、兄さん、何がおかしいの?」
「いやいや、こっちの話さ。
ところで、お前はシルフの事をどう思っているんだ?」
「えっと、良く分からないわ。
それはどういう意味なのかな?」
「そのままの意味だよ。
シルフを一人の人として、家族としてどう思っているのか知りたいんだ」
「難しいよね、何ていうのかな、私はシルフちゃんの事が大好きだよ。
それに、私はあの子の本当のお姉ちゃんだって思ってる。
けれど、全部が好きって言うわけじゃないの。
ただ一つだけ言えるのはあの子は私にとってとても大切な存在、それだけは確かかな?」
「それは、お前にとっての俺みたいに、か?」
雪風は曖昧に笑うだけで答えてくれなかった。
その曖昧な笑みのまま話す。
「シルフちゃんは変わったよ。
昔のシルフちゃんはただ兄さんの側に居ればそれで良いっていう消極的な子だった。
今は違うの、ただ側に居るだけでは嫌で、
もっとその中に入って行きたいって思っている、兄さんの中だけに。
あの子が自分から何かを求めようってするのは大きな変化だと思わない?」
「そうだな」
「そう、でもそれはとても内側に向いているわ。
シルフちゃんはただ兄さんのより深い所に居たい、
それ以外のことなんて何も考えていない。
そういう意味では、より悪化してしまったと言えるかも知れないね。
兄さんはどう思う?
シルフちゃんは結局狭い殻に閉じこもったままだよ。
もっと広い世界への扉を開いてあげるべきじゃないかしら?」
雪風が何処と無く皮肉めいた口調で言った。
俺は少し目を瞑り、頭の中で考えを纏める。
374 :幸せな2人の話 18:2010/12/25(土) 00:40:56 ID:E5zor9RC
「俺はそう思わない。
シルフはシルフのままで良い、と俺は思うよ。
確かに多くの人と触れ合って色々な事を経験する。
それは人として正しい事だ。
けど、シルフがそれをしようとしたらきっとあいつは磨耗する。
あいつは弱いんだからな。
周りと歩調を合わせようとして、無理をして、
それでも周りから見放されて寂しい思いをして……」
頭の中に初めて出会った時のシルフが浮かぶ。
あの時の思いをもう一度シルフが味わう必要なんて、絶対に無い。
「それは一般的には正しい選択だが、そんなシルフは幸せじゃない。
誰もが正しい解答なんて選ぶ必要は無いんだ。
キザったらしく言うなら、鳥籠の鳥は森には住めないって訳さ。
俺はそんなことで苦しむシルフなんて絶対に見たく無い。
だから、シルフは俺と雪風しか居ない狭い世界を求めても良いんだ。
それはきっと色々と間違っていると言われるだろうが、
俺はそれで良いし、シルフにとってもそれが幸せだ」
俺の答えは雪風にとっては全くの予想外だったようだ。
雪風は驚いたように目を見開いて、
何かを調べるようにまじまじと俺の顔を覗き込む。
「ああ、その、まあ、正直可愛いシルフちゃんを独り占めしたいな~、
っていう個人的な事情もあるがな、ははは」
「……兄さんもこの3ヶ月で変わったね、
今までみたいに模範的な解答を言わなくなったわ」
「そうだな、色々と真剣に考える事が多くなってな」
「そうだね」
「それに変わったのはお前もだと思うぞ。
何ていうか、ちょっと2人で居ると雰囲気が変わるって言うか。
そうだな、いつものアホっぽいオーラの濃度が減るって言うか……」
「あらあら、うふふふ、兄さん、ちょっと雪風と本音でお話しよっか~」
雪風がひまわりの様に明るい笑顔と声で応える。
ただし、沙紀を髣髴させるようなどす黒い殺気を纏ってらっしゃるが。
「いえ、お兄様としては、その、けなしてる訳ではなくてだな」
「ふふ、冗談よ、ただの冗談。
確かに兄さんから見れば私は変わったかもね。
でも、私から見れば私は何も変わっていないわ。
変わったのは兄さんの見方なんじゃないかな?」
「そうなのかもな」
そう、結果として俺が本当の雪風からずっと目を逸らしていたのだから。
375 :幸せな2人の話 18:2010/12/25(土) 00:41:54 ID:E5zor9RC
「そうだ、いつかの質問をもう一度させて、
私も今の兄さんならなんて答えるか知りたくなったんだ。
ねぇ、私は今すぐにでも兄さんをその椅子に縛り付けて、
そのまま犯したくて、嬲りたくて堪らないの。
それでも、私を兄さんの側に置いてくれるの?」
あれ、前より酷くなってないか?
違う違う、俺が言わないといけないのはそんな事じゃないよな。
「ああ、分かったよ、答えさせてくれ」
「うん、お願い」
雪風は何かの期待に満ちた目で俺を見つめる。
こっそりと息を飲んでいるのも分かる。
「そうだな、あの時みたいに居てくれて構わないなんて曖昧な言葉じゃない。
俺は雪風に側に居て欲しい。
雪風は俺にとってとても大切な存在なんだ」
「う~ん、居てほしい、か。
惜しいかなぁ、もう一歩だよね~」
雪風は嬉しいそうな気配を残しながらも、残念そうに笑った。
俺の自分勝手な言葉で雪風の望むものとは勿論違う。
兄である俺を自分だけの物にして縛り付けたい。
それは紛れも無い雪風の本音なのだろう。
俺はそれを否定しない。
だが、それには応えられない。
俺は雪風の願いだけを叶える訳にはいかない。
それでも、俺は、俺の答えを雪風に示したい。
その答えは……、
376 :幸せな2人の話 18:2010/12/25(土) 00:42:37 ID:E5zor9RC
「雪風、ちょっとこれを見て欲しいんだが、良いか?」
俺は今描き上げたばかりの絵を指差す。
「えっと、どういう事かな?」
必要なものは全て完成しており、
あとは絵の具さえ乾いてくれれば完成だ。
「絵、だよね?
うん、綺麗な絵だと思うよ。
この前賞を貰った時よりもずっと上手になっているね」
どうやらそれが予想外の事だったようで雪風はきょとん、としている。
「綺麗な、か……」
こういうところは雪風とシルフは血が繋がって無くても姉妹なんだなと思う。
それが何となく嬉しく思う。
ただ、一つ悲しい事もある。
この絵では所詮、雪風には届いてくれないのだろうか?
「ところで、兄さんがシルフちゃんに見せたいって言ってたのはこの絵の事なの?」
「ああ、なんだか最近はシルフが怯えているように見えてな。
何に怯えているのかぼんやりとは分かるんだ。
でもそれをシルフを安心させてやれるような言葉にできない。
何ていうんだか、たくさん言いたい事が有るのにどうしても上手く言えなくてな。
それでな、じゃあ絵に描いてみれば伝わるんじゃないかって思ったんだ」
「あら、実利一辺倒の兄さんにしてはロマンチックな話ね、くすくす。
こんなに素敵な絵を描いてもらったらシルフちゃんは喜ぶよ?」
「違うんだ、これはシルフの為だけじゃない、雪風にも見て欲しいんだ。
これが、俺の2人への答えなんだ」
雪風の眉が小さく動く。
ちらりと絵をもう一度見た後に雪風はくすり、と笑った。
「ふうん、そうだね。
本当に、色も、構図も、主題も、全部がとっても綺麗な絵だね。
くすくす、もしも私が綺麗な物語の登場人物だったら、
兄さんの答えは100点満点だよ。
でもね、私は兄さんの妹の雪風なの。
そして私が欲しいのは私にとっての最高の結末」
「雪風?」
雪風が下を向いて悔しそうに俯く。
「兄さんがこれを描いてる時に、まさかって思ったんだ……。
……まさか、ずっと期待させておいて、
こんなものを最後に私に押し付ける気だったの?
私がこんな答えで喜ぶって本気で思っていたの?」
「雪風は、認めてくれないのか?」
「認めろって、ふざけないでよ!?
私の望む答えは誰が見てもハッピーエンドなこんな綺麗な物じゃない!!
非道いじゃない、やっぱり兄さんは私の事を全然分かってくれないの!?
何なの、こんな誤魔化しで私が満足できるって本気で思っているの!?」
雪風が怒りと悲しみの混じった声で叫ぶ。
涙の籠った赤い目で俺を睨んだ。
その目は強く、ユルセナイ、と俺を責めている。
377 :幸せな2人の話 18:2010/12/25(土) 00:43:08 ID:E5zor9RC
「違う、俺は!!」
扉がガタリと開いた。
先生、それに沙紀と圭が入ってくる。
「……邪魔しちまったかな、一応2時にここでって話だったけど?」
圭が気まずそうに言う。
「いや、俺が呼んだんだからな、ありがとう。
……雪風、俺とシルフの3人で今夜、大事な話をしないか?」
「大事な?
くすくす、いいよ、兄さん。
いくらでも話し合いましょう。
兄さんが望むのなら、私は何でもしてあげられるわ」
そう言って笑う。
雪風はもう俺の絵を一瞥すらしなかった。
「先約があるところ悪いんだけど。
陽くんと、それから雪風くんはちょっと私の居室に来てくれるかな?
大事な話があるんだ」
先生が俺たちの話に割り込んだ。
378 :幸せな2人の話 18:2010/12/25(土) 00:43:30 ID:E5zor9RC
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玄関の扉に手を掛ける。
ドアノブを回そうとする手が無意識に鈍るのが分かる。
姉さんに悲しい事を言われてからも、私の毎日は何も変わっていない。
姉さんはいつもの様に私に接してくれる。
少なくとも、お兄ちゃんの前では……。
それ以外の時は、私は姉さんと会うのをできるだけ避けるようになった。
姉さんから私に何かを言おうとする事も無い。
だから、姉さんが本当は何を思っているのかは分からない。
多分姉さんは私の事を……。
でも、大丈夫、私にはお兄ちゃんが居るから。
お兄ちゃんは絶対に私の側から居なくならないし、
嫌いになったりなんてならない。
今日だってお兄ちゃんは私を抱き締めてくれる。
明日だって、明後日だって、いつまでお兄ちゃんは私と居てくれる。
お兄ちゃんはそう約束してくれた。
だから大丈夫、お兄ちゃんが居れば姉さんなんて、必要ない。
私はお兄ちゃん以外に、何もいらない。
お兄ちゃんさえ私の側に居てくれれば、幸せなのだから。
379 :幸せな2人の話 18:2010/12/25(土) 00:45:27 ID:E5zor9RC
ばたり、と玄関を開ける。
今はもう、ただいま、と言わなくなった。
今日もお兄ちゃんはまだ帰っていないのかな?
ご飯の準備をしようと台所に入ると姉さんが鼻歌を歌いながら夕飯を作っていた。
「……? 今日は私の順番だよ?」
それに、いつもの夕飯にしては豪華すぎるんじゃないかと思うくらい、
姉さんは力を入れて料理をしている。
私に気付いた姉さんが、私の方を振り向く。
そして、興奮した様子でこう言った。
シルフちゃん、凄いのよ!!
兄さんがフランスに留学するの!!
プロの画家になれるんだよ!!
そう、言った。
最終更新:2011年01月05日 20:02