『きっと、壊れてる』第17話

184 名前:『きっと、壊れてる』第17話(1/8)[sage] 投稿日:2011/04/19(火) 01:10:57.06 ID:fjQ06z1P
何かに躓いたと思い自分の足元を見降ろすと、サンダルの紐が無残にも千切れていた。
壊れてしまった。
無理もない、ここ1週間宛てもなく朝から晩にかけて1日中歩き回っているのだ。
兄さんに拒絶をされた私はそれでも諦めきれず、こうして玉置美佐を擂り潰す事だけが頭の中を渦巻いている。
彼女と結婚し、姉さんと共に捨てられるという現実を直視できなかった私は、間近に迫った受験の事など考える余裕はなかった。
自分の弱さを嘲笑し、今一度心の根底にある最も強い感情を言葉にする。

優柔不断な兄さんに、こちらが躊躇するほどの誠実な言葉を吐かせた玉置美佐。
憎くて仕方ない。
兄さんは姉さんの呪縛から逃れたいだけで相手は誰でも良いのだ、と歪曲しても、
私の内には一度飲み込まれたら這い上がる事は不可能であろう憎悪という感情が、とぐろを巻いていた。

足元にあった石を拾い、右前方にあるコンクリートの壁へと力任せに投げ付けた。
甲高い破裂音のような音が辺りに響き渡り、数秒後静寂が戻る。
静かに悦び、顔の前に掲げた掌を広げると、砂や細かい石が指紋に吸いつく様にこびり付いている。
数秒間掌の上の、普段は気にも留めないような小石を眺めた私は、携帯電話を取り出し設定画面から発信電話番号を非通知にした。
そしてここ最近で一番連絡を取っているであろう、名前も知らない男の番号をリダイヤルした。

敵対関係にある人物と実際に対峙した人間から何の情報も得られないというのは、こうも不安を駆り立てるものなのか。
それとも誰でも良い、私の味方が欲しかっただけなのか。

「はい、もしもし」
「私。悪いけど、やはり例の報告を聞きたいの。いつもの場所に来て」
「電話じゃ駄目なのか?」
「できれば直接の方が良いわね」
「……わかった。じゃあ17時ぐらいでいいか?」
「えぇ、それでいいわ」

ブツッと電話回線が切れる音がすると、腰が抜けそうになるくらいの脱力感に襲われた。
自分から言った「全てが終わるまで接触はしない」という条件を覆す事になったが、それはまだ良い。
私が他人を頼っている。
一人ではもうどうしようもない現状に気付き、今まで侮蔑していた男に「助けてくれ」と頼っているのだ。
悔しさで瞳がぼやけ、私は声にならない悲鳴を上げた。

まだ待ち合わせには時間があるので、家に一旦帰る事にした。
平日なのでこの時間なら二人ともおそらく仕事だろう。
持たされている合鍵で玄関に入り、案の定家の中に誰もいない事を確認した私は、
数年振りに復活している姉さんと私の二人部屋へ戻り、布団の中に閉じこもった。
心が負の感情に蝕まれた時、私は必ず自慰行為をする。
もちろん、心地良い気分の時も行うが、不思議と病んだ心の時の方が快楽というものは深く身体に浸透する。
心細く、人肌が恋しくなった私の心と体は兄さんにしか癒せない。

「楓のここ、すごい濡れてる。いつから?」
「やだっ! そんな事聞かないでよぉ」
兄さんは意地悪な笑みを浮かべながらも、私の頭を撫でてくれた。
薄暗い部屋のベッドという何の面白みのないシチュエーションが、
兄さんが添い寝していると妄想するだけで、花が咲き乱れる庭園に変わる。

私は勇気を出して、真っ白なシーツに隠れている兄さんの股間に手を伸ばした。
先日の飛行機の中や兄さんの部屋では興奮が止まず、痴女紛いの事をしてしまったが、
本当は男性器という物が未知の生物の様で怖い。
それに、もし再び兄さんに拒否されたらと思うと私は自我を保つ自信がない。


185 名前:『きっと、壊れてる』第17話(2/8)[sage] 投稿日:2011/04/19(火) 01:12:04.55 ID:fjQ06z1P
現実の記憶と妄想を混ぜ合わせ、私に都合の良い世界をこの8畳そこらの部屋に創り上げる。
既に釘でも打てそうな程硬く尖っていた兄さんの男性器は、私の掌で包むとぴくぴくと反応を見せた。
「楓の手は世界一気持ちが良いな。お前と一生このまま過ごしたいよ」
「世界中で浮気でもしているの? 許さないから、そんなの」
「ははっ、物の例えだよ」
そう言って笑いながら兄さんは私の左右の太股を裂き、頭から股間に潜る。
生温かい吐息を一番敏感な部分に感じ、思わず身悶えた。



「やぁぁぁぁ! 汚いよそんな所!」
嫌よ嫌よも好きの内とはよく言ったものだ。
私は一刻も早く兄さんの湿った舌を秘部へ押し付けて欲しくて、兄さんが舐めやすいように腰を浮かした。

「すごい匂い。神秘的で、とても下品な黒真珠みたいだ」
私が妄想する兄さんは少しズレた気障なセリフが好きなようだ。
そして現実の私は、言葉攻めに弱い。
体中の水分を一点に集めたように、とめどなく溢れる愛液で私はその場所を洪水にしていた。
「あんっ! あんっ! もっと唾を出してっ!」
兄さんは私の指示通り、口に潜む水分を絞り出し、私の秘部へと丁寧に塗る。
舌のざらざらとした感触、私の愛液と兄さんの唾液が混ざったヌルヌルの秘液がクリトリスを刺激する。
舌先を尖らせて一点のみを集中して攻撃する兄さんは、ねっとりとした絡みが好みなのだ。

「胸も触ってぇ! 少し強くがいいの!」
私が言うと同時に、兄さんの血管が浮き出た男らしい手が胸を覆った。
私は乳首を弄られるよりも、全体を鷲掴みにされる方が好きだ。
その事を理解しているのか、兄さんは痛みに変わる寸前の強さで私の乳房を揉んだ。
気持ちが良い。
まだ現実の兄さんには触れてもらえない乳房。
本音を言えば今のところ姉さんに私が勝っているのは、この部分ぐらいなのではないか。
しかし、そんなコンプレックスがどうでも良いと思えるほど、兄さんの愛撫はその字の通り愛に溢れ、私を満たす。
掛け布団の中の私だけの理想郷。ここには快楽しかない。

「イクぅぅ! やだっ! 恥ずかしいよぉ!」
「駄目だ。まだ俺は全然楽しんでいないだろう」
口では文句を言っているが、兄さんの表情を柔らかだった。
そうだ、兄さんはいつだって私の味方。
楓がお願いし続ければ、何でも叶えてくれるんだ。

「あんっ……あんっ……兄さん! 楓と結婚するって言って!?」
「楓と結婚する。一生愛すよ、楓」
「ふぃあぁぁぁぁぁぁ!」
私の身体は激しく痙攣し、布団をびしょびしょに濡らす。
鼓動が治まらず、枕を両手で抱き締めた。

数時間後、いつの間にか眠りに落ちていた私が目を覚ますと、いやらしく生臭い匂いが仄かに香っていた。
時計を見ると、謀った様に丁度良い時間。
そろそろ支度をしなければ、とショーツがずり下がったままの私は立ち上がる。
部屋を出る際、なぜだかこの部屋にはもう二度と戻って来ないような気がして、私は布団を綺麗に折り畳んだ。


186 名前:『きっと、壊れてる』第17話(3/8)[sage] 投稿日:2011/04/19(火) 01:15:08.51 ID:fjQ06z1P
平日の街は思ったよりも人で溢れていた。
コンビニへと向かうOLや、取引先へと向かうのであろうスーツ姿の会社員でごった返している。
学生だろうか、私服の人間も多く、公園のベンチに座り文庫を読む私服の浩介も、特に違和感なく風景に溶け込んでいた。
「お待たせ」
背後から待ち合わせをした人物の声が聞こえると、浩介は振り向いた。
相変わらずの装飾がほとんどない黒くシンプルなワンピースを着こなし、
右手首には去年の誕生日に浩介が贈った腕時計が巻き付けられている。
「久しぶりね……一緒に出掛けるの」
真正面に立ち、浩介の顔を上から見下ろす茜は、目尻を緩めると腕時計の針に視線を移した。

「早く来たつもりだったの。けど兄さんの方が早かったわね」
「あぁ、美容院が予想以上に空いていたからな」
「そう、行きましょうか」
浩介は有給休暇を取得していた。
今夏に起こった様々な出来事に疲れ、体と心に休息が欲しかった。
上司に許可を取る際、嫌味の一つも覚悟していたが、
余程生気のない疲労感漂う顔をしていたのか、ただ一言「ゆっくり休め」と言われた事が浩介には意外だった。

「でも良かったの? せっかくのお休みなのに」
浩介の半歩右斜め後方を歩く茜は、長い黒髪を風に靡かせながら独り言のように呟く。
茜も今日は仕事が入っていない事を知った浩介が、少しでもお互い気が紛れればと誘ったのだった。
「うん、茜の予定は大丈夫だったのか? 」
「えぇ、最近あまり休んでいなかったから。ただ夕方ぐらいに本屋さんに予約した本を受け取りに行くの。帰りに付き合ってね」
「わかった」
少し前までは、毎週のように自分が読破した小説の感想を自分に話していた茜だったが、ここ最近は聞かない事に浩介は気付いた。
しかし、読書は欠かさず続けているようだ。
二人は遠過ぎず近過ぎない距離を保ったまま、雨が上がったばかりの湿った地面の上を歩き出した。

江ノ島電鉄の江ノ島駅で降りると、以前美佐と行った鎌倉の時よりも強い潮の香りが辺りを包んでいた。
数人の男女のグループが楽しそうに浩介と茜を通り過ぎる。
傍に茜がいなければ自分との心情格差を目の当たりにして、醜い感情に心が蝕まれていたかもしれない。
なんて小さい人間なのだ、と自身を貶した浩介は茜の横顔を覗いた。
「綺麗ね」
茜は、すぐそこに見える水平線に眼を向けていた。
思わず「茜もな」と言ってしまいそうになるのを浩介は堪える。
罪悪感を感じた浩介は、「あっちへ行ってみよう」と茜を促し、振り向かずに歩き始めた。

人の多い海水浴場を避け、適当に二人無言のまま歩くと、いつの間にか「恋人の丘」と呼ばれる海が見渡せる高台に辿りついていた。
カップルが当然のように多いのを見た浩介は、苦笑いをしながら目立たない端っこの方へと移動した。
十分に絶景が一望でき、人も疎らな崖側へと陣取る。
砂利が混じった少し薄黒い橙色の砂浜と、白い髭の付いた波を打ち出し母性さえ感じさせる昼間の海を眺めた。
風で飛ばされぬよう帽子を手で押さえた茜は、そこはかとなく憂いの表情をしているように浩介には映った。
「良い天気だな」
「そうね」
近所の顔見知り程度の会話をすると、茜はそのまま浩介に語りかけた。
「ここは恋人の丘と呼ばれているのね」
「……そうだな。すまない、適当に歩いてただけだったから」
そうでなければ、流石の自分もこんな所へ連れては来ないと、浩介は謝罪した。


187 名前:『きっと、壊れてる』第17話(4/8)[sage] 投稿日:2011/04/19(火) 01:16:19.80 ID:fjQ06z1P
「南京錠で二人の愛を結びつけるのね」
茜の目線を追うと、絵馬を飾る板版のような柵に数えきれないほどの南京錠が、結ばれている。
まじないの一種なのだろう。
売店で南京錠がいくつも売られている。
「私達もやる?」
「……やらないよ」
「冗談よ。どうせすぐに撤去されるでしょうし」
言葉通り興味がなさそうな顔をした茜は、数歩崖の方に近付く。
浩介が茜の真横に移動すると、意外にも青空によく似合う茜の黒髪が風に煽られ鼻先を掠った。
「……もしかして兄さんは、私が結婚に反対してるって思ってる?」
茜は着いたばかりの時と同じように水平線の向こう側を見渡していた。
少し躊躇したが、浩介は本音で答える。
「正直、複雑な感情だろうとは思う。けど俺は謝らない。謝ったら余計茜を辱める気がするから」
自己陶酔気味な発言だったが、今の自分にはこれが精一杯の誠意なのだ、と浩介は崖と高台を隔てる柵の上面を強く握った。
「美佐さんの事は好き?」
「好きに決まってるよ。そうでなければ、意味がない」
浩介は、いつもより少し低い声で答えた。
「そうね、そうでなくては困るわ。兄さんの美佐さんへの愛が深いほど、私が浮かばれるもの」
意味はあまりわからなかったが、浩介は「そうか」と一言呟くと、
座れそうなベンチを数十メートル先に見つけ「座ろう」と茜を誘った。
「その前に、一つだけ」
茜は足を動かさず、浩介の真正面へと向かい立った。
黒いワンピースが潮風に揺られ、茜はどこか儚い雰囲気を纏う。
手を伸ばせば触れる事の出来る距離だったが、浩介には茜がなぜか遠くにいるような感覚を持った。

「私が以前出したクイズ、解けた?」
「クイズ? ……あぁ」
普通の兄妹に戻らないか、と茜に告げた初夏の日の事を思い出した。
クイズとは言っても、茜にしては珍しく整然とは言えない言葉の羅列だったのを、断片的に憶えている。
もう数年前の事のように感じるが、実際はまだ同じ夏に自分は居るのだ、と思うと浩介は自分の不思議な時間感覚が可笑しくなった。

「ごめん、まだ解けてない」
浩介がそう言うと、茜は小さく声を出して笑う。
「でしょうね、兄さんは昔からそういうの苦手だから。始めから期待してなかったわ」
そう言って、茜は一歩近付くとからかう様に浩介の髪を撫でる。
そしてそのまま一人先に砂浜へと歩き出し、数歩進んだ所で振り返った。

「そのかわり、美佐さんと一生添い遂げなければ私は兄さんを許さない。約束できる?」
「あぁ、約束するよ」
浩介にとっては本物の約束だった。もはや自分に迷う事など許されない。
数年前、口先だけで誓った茜との契りとは違い、未来永劫美佐を守ると浩介は茜に約束した。

「今度はもう迷わない。他でもない茜に誓う」
浩介はそう言うと少し大げさに頷き、茜に駆け寄った。
茜は「そう」と嬉しそうに目を細めると、「今日で最後だから許してね」と近付いた浩介の腕を取った。
その後の数時間、晩夏の潮風が鼻を擽る中、二人は最後のデートを楽しんでいた。


188 名前:『きっと、壊れてる』第17話(5/8)[sage] 投稿日:2011/04/19(火) 01:17:41.66 ID:fjQ06z1P
「早いな、いつも時間ぴったしなのに」
約束の時間3分前に待ち合わせ場所に着いた巧は、既に黒髪の美女がベンチに腰掛けている事に驚いた。
「別に。今日は暇だったのよ」
不貞腐れたような態度が、ここ最近の印象で逆に可愛らしく見えてくる。
人間の第一印象など当てにならないなと巧はクスリと小さく笑った。

「あなたって、アルバイトとかしてないの?」
「いや、してるよ。カラオケ屋で夜間」
自分のプライベート等まったく興味がなさそうな黒髪の美女の質問に、巧は驚きながらも答えた。
「やはり大変なんでしょう? 私はまだ働いた事がないからわからないけど」
「そりゃあ、嫌な事ぐらいあるよ。でもバイト辞めたら遊ぶ金すら無くなっちゃうからな」
「例えば?」
働く事を考えているのか、黒髪の美女はやけに巧のアルバイト話に食いついてきた。

「えっと……そうだな、なぜかは知らないけど、やけに態度がでかいお客さんとか」
「多分、自分が優位と明確な場所でないと自尊心が発揮できないのでしょうね。他には?」
「謎のマイルールを押し通そうとするお客さんかな。さっき採点で100点出たから安くしてくれ、とか」
「多分、自分の意見を言う場所が他にないのでしょうね。会社だか家だかに居場所がない人間と私は予想するわ」
なぜ逐一解説のようなものが入るのか巧には理解できなかったが、
黒髪の美女が生きる難易度が難しい方の人間、である事だけは予想できた。
「……無駄話をしてしまったわね。じゃあ先日の報告を聞こうかしら」
視線を巧の顔から目の前を流れる隅田川に移すと黒髪の美女は、いつもの険のある表情に戻る。
「うん、渡す物は渡したよ」
結局あの封筒の中身は巧にはわからなかった。
けれど、自分が見た限り玉置美佐は動揺などしなかった、という事だけは事実として巧の記憶に残っていた。

「効果は? あの女、怖がっていたでしょう?」
黒髪の美女は期待に満ちた瞳を再び巧の方へ戻す。
開いていた掌が急かすように握り拳へと変わっていく過程を巧は目の当たりにした。

「……そうだな。効果、あると思うよ」
嘘をついた。
玉置美佐は動揺などしていない。
もはや黒髪の美女と自分の力だけでは、大勢は崩れない事を巧は確信していた。
しかし、期待に満ちた瞳で自分の肯定を待つ黒髪の美女を目の前にすると、事実を告げる事などできなかった。

数分間、大して中身のない形だけの報告を終えた時だった。
「こんにちは、お二人さん」
ここに居るはずのない人間の声がした。
巧と向かい合っていた楓は反射的に振り返り、影を追う。
そこには笑みを浮かべているようにも、怒りで表情の制御ができなくなっているようにも見える、
一人の女の姿があった。

獲物との距離を少しずつ詰めるように、テラスの階段を1段ずつ下ると、
美佐は「土日含めて5連休とか、解放感まじパねぇ」と独り言を漏らした。

「あなた、裏切ったのね」
首を捻り、楓は巧に批判的な目線と言葉を浴びせた。
この馬鹿でお人好しな男だけは自分の思うがままに動くと信じていた楓にとって、
ここに自分と巧以外の人間がいる事は、美佐に今すべてを暴かれようとしている事以上の屈辱だった。


189 名前:『きっと、壊れてる』第17話(6/8)[sage] 投稿日:2011/04/19(火) 01:18:28.30 ID:fjQ06z1P
「違うよ! 俺じゃない!」
巧は困惑した表情を見せ、幼子のように首を振った。

「どうりで待ち合わせの時間が遅いと思った。この人を呼んでいたんでしょう?」
「違う! 俺は裏切ってない!」
顔を赤らめ、興奮気味に無実を主張する巧を尻目に、楓は美佐に向き直り胸部の下に腕を組んだ。
「まぁこの際どうでもいいわ。遅かれ早かれ、あなたとはこうして直接話そうと思っていたの」
「それは光栄だね。でも、楓ちゃんお勉強しなくて良いの? 予備校ってけっこう高いんだよ?」
「あんたには関係ないだろ!」
3人の傍を通り過ぎた老人が驚いた顔で振り返る。
腕を組んだのは、こうでもしなければ殴り掛かってしまいそうな自分を抑える為。
楓の感情は、もはや美麗な容姿からは想像出来ない程、醜く昂ぶっていた。

「ムカつく……何で楓があんたに説教されなきゃいけないの! ……楓の邪魔を」
語彙が一時的に困窮し、自身でも何を言っているかわからないのか、
楓は途中咽る様に言葉を止め、美佐を睨み付けた。

「まぁまぁ落ち着いて。楓ちゃんの顔、般若みたいになってるよ? ハハハッ」
楓の表情を、般若面に例え揶揄した美佐は、笑いながら巧が先程まで座っていたベンチに腰を掛けた。
巧はどうすれば良いのかわからず、美佐と楓の顔を交互に見る。
まだ美佐の方が話が通じる確率が高いと判断し、喉を振り絞り震える声を出した。

「あっあの! 玉置さん! もっもうあんな事は俺がさせないから! 許してあげてください!」
そう懇願した巧は、茶色に染まった頭を、美佐へと精一杯の角度で下げた。
状況からは恣意的な謝罪に思えたが、黙って事の顛末を見届ける程、巧は大人ではなく冷静な人間でもなかった。

「こらこら、ポチ君。謝るのはまだ早いでしょう? まず、なぜ君達が私にちょっかいを出していたのかを説明してもらわないと」
話にならないと言った表情で手を左右に振った美佐は、そのまま言葉を続けた。

「とりあえず、この子に色々指示してたのは楓ちゃんで間違いないよね?」
「……そうよ、あなたに色々嫌がらせを行っていたのはこの私」
悪びれる事もなく、楓は答えた。
「4年前、私の家のポストに入っていた怪文書も?」
「えぇ、そうよ」
「理由は?」
「わかっているでしょ? あなたが邪魔だから。兄さんは渡さない」
半分嘘だった。
浩介が欲しいのは事実だが、楓はなにより玉置美佐という女が気に食わなくて仕方なかった。
「なるほど」
「そもそも貴女、前に一度兄さんと別れたじゃない。どの面下げてまたちょっかい出してるわけ?」

どちらから切り出したかは知らないが十中八九美佐の方からだろう、と楓は予想していた。
相槌だけ打ち、反論してこない美佐に違和感を覚えながらも、楓は思いのたけをすべて吐き出した。

「なんで血が繋がっていないってだけで、貴女が選ばれるの! 楓は相手にすらしてもらえないのに!」
「それは辛いね」
「あの人はまだいいじゃない! 楓が生まれる前から兄さんと一緒にいて! 数年間一緒に住んで!」
「そうだね、先に生まれたってだけなのに、ずるいよね」
「私は普通の妹の権利すら途中で剥奪されたのに!」
そこまで言うと楓の目からは涙が溢れ出し、そのまま呻くようにしゃっくりを繰り返した。

「うんうん、忌憚ないご意見、ありがとう」
楓の剣幕をどこ吹く風、と受け流した美佐は、バッグからミネラルウォーターは入ったペットボトルを取り出し、
一口、水を口に含んだ。


190 名前:『きっと、壊れてる』第17話(7/8)[sage] 投稿日:2011/04/19(火) 01:20:38.60 ID:fjQ06z1P
「でもね、こういうやり方はお姉さんあまり感心しないなぁ。寂寥感も凄そう」
子供をあやす様に泣き崩れた楓の頭を軽く撫でる振りをすると、美佐は少しだけ口元を緩めた。
巧にはそれが悪意のある笑みにしか見えず、半歩後ずさる。
しかし、先程の応酬の中に違和感を覚えていた巧は、思わず楓に声を掛けた。
「……兄さん……? 村上浩介って人と君は兄妹なのか?」
「あなた……まだいたの? もう用済みだからどこかへ消えて」
楓は巧の方を見向きもせず、鼻声でそう言い放った。
もはや誰も信じる事はできないと言った風に、顔を背ける楓はどこか寂しそうだった。

「質問に答えろよ」
「裏切り者に話す義理はないわ」
「なんだと!」
「まぁまぁ。二人とも落ち着いて? ポチ君は状況を把握できていないようだから、私から説明する。
いいよね? 楓ちゃん。ここまで巻き込んだんだし」
二人の間に割って入った美佐はそれぞれに目配せをすると、巧の腕を引っ張りベンチに座らせた。

「まぁ説明するほど複雑ではないけど、一応ね。まずこの子の名前は村上楓。村上浩介の実の妹。ピチピチの女子高生」
「……極度のブラコンって事ですか?」
「少し違うね。この子はね、実の兄である村上浩介を愛しているの、男性として」
巧は絶句した。
これまでの人生で、実の兄に情意を抱いている人間など見た事も聞いた事もない。
自分の好いた女性が、ある意味自分とは別世界にいたという現実に直面した巧は、
怒りとも嘆きとも取れるこの感情をどうしてよいのかと困惑し、手で顔を覆った。

「で、4年前も今現在も恋人である私が邪魔だったってわけ。健気よねぇ、大好きなお兄ちゃんを盗られたくなくて、
一歩間違えれば犯罪になりそうな事までして……あれ? 犯罪……かな? まぁいいや」
ショックを受けた巧を気にもせず、美佐は続けた。
あくまで冷静に、口元からは笑みを絶やさずに淡々と経緯を語る。

「じゃあ……村上浩介さんが楓さんのお姉さんの元恋人、という話はやっぱり嘘だったんですかね?」
自分の想いは兄に伝えられない。
しかし、みすみす他の女に盗られるのも癪だった、という事だろうか。
それならば、大方の辻褄は合う。

「楓ちゃん、そこまで話してたの?」
「そこまで?」
笑い転げ、「そんな話嘘だよ」と美佐が言うのを信じていた巧は、頭が真っ白になった。
「恋人って言うカテゴリに入るのかは知らないけど、男女の仲だったのは本当だよ。
私はてっきりそっちが犯人だと思ってたもの」

巧の耳には予想しない言葉が次々と襲い掛かってきた。
単語は全て知っている。
だが美佐が紡ぐ文章は、人生で一度も聞いた事がないものばかりだった。

「こんなところかな。意外にシンプルでしょ? 君はどう思う? 私と浩介が一緒になるのが一番合理的で良い選択肢だと思わない?」
「論点が違うわ。私は元より感情論であなたを気に食わないと言っているの」
しばらく黙っていた楓が立ち上がり、美佐を睨み付けた。
目は赤く充血しており、いかにもさっきまで泣いていた顔だ。
「と、言われてもねぇ……浩介は私を選んだんだからそれで終わりでしょ? 正直、休みの日にも君達の相手するのカッタルイんだけどなぁ」
「それは私達が兄妹だから、兄さんは良くない事だと思い込んでいるだけ。あなたを選んだわけじゃない」
落ち着きを取り戻したのか、楓はバッグからリップクリームを取り出すと、唇にそれを塗った。


191 名前:『きっと、壊れてる』第17話(8/8)[sage] 投稿日:2011/04/19(火) 01:21:52.54 ID:fjQ06z1P
「そうかなぁ? 少なくとも楓ちゃんは選ばれないと思うけど?」
口端を上げ、楓を小馬鹿にしたような笑みを美佐は浮かべた。
「それでも貴女だけは絶対に嫌! 私は認めない!」
「子供だねぇ……イヤイヤ首振ってても、どうにもならない事ってあるよ?」

いつの間にか無数の浅黒い雲が空に姿を現している。
美佐の口調は変わらない。
宥めるわけでもなく、説得するわけでもない。
美佐は明らかに楓を只のワガママな子供と認識していた。
冷静に考えれば、兄に異常な執着を見せる面倒な女が自分の男の妹だった場合、
少なからず億劫になるものだろう。

しかし、楓は美佐に普通ならざるものを感じていた。
だからこそここまで抵抗した。

「……るよ」
その時、しゃがみ込み何かを考えていた巧は立ち上がった。
顔は青ざめており、唇は震えていた。
「何? 言いたい事があるならハッキリ喋ってよ」
「狂ってるよ! あんたら全員! 実の兄を好きになる奴も! 実の妹を受け入れる奴も! それをからかう様に解説する奴も!」

巧は心の内をすべて吐き出すように精一杯の大きい声を出した。
自分の頭に血が昇り、顔が赤らいでいくのがわかる。
それでも、叫ばずにはいられなかった。
「おかしいだろうが! そうだろう? あんたら一度客観的な考え方をした方が良い」
まだ納得がいっていない表情を見せる巧は息を切らし、美佐と楓を睨みつけた。
なぜ自分が腹を立てているのかはわからなかったが、諭さずにはいられなかった。

数秒の沈黙の後、楓は巧に近付くと、髪を掴み強引に手元へと引いた。
「痛てえよ」
「……だから何?」
巧は抵抗を止めた。
楓の声は再び、鼻声になり今にも泣き喚きそうな弱々しさが感じ取れたからだった。
「自分が世間と比較して異端な事ぐらいあなたに言われる前からわかっている。楓もおねーちゃんも、そしておにーちゃんも」
「だったら……」
「だからといって、なぜ咎められなければいけないの?
自分から近付いてきたあなたは別として、楓は誰にも迷惑なんてかけてない」
マネキンのように没個性で生きれば皆満足し、誰もが幸せという道に辿りつけるのかといつも自問自答していた楓は、
攻撃的な体とは対称に、心の奥底に仕舞っていた本音で巧に語り掛けた。
「私には思いっきり掛けてるじゃん」
呆れた顔をして言い放つ美佐のボヤキも聞こえていない巧は、楓の瞳を見つめる。
まともに顔を見ながら喋るのは初めてだ、と巧は心の中で苦笑いした。

「そんな事を言ってんじゃねぇんだよ俺は」
「じゃあ何?」
「どうすんだよ、あんた。この先、一生兄さんを想って独身でも貫くつもりかよ? それが兄さんの為になるとでも思っているのかよ?」
自分の言葉で心変わりする等とは思っていない、それでも巧は楓を放っておく事ができなかった。
兄に恋い焦がれ、一生その想いを貫く事もある種の幸せなのかもしれない。
しかしその辛すぎる想いを、すべての言い訳にはしてほしくなかった。
「くだらねぇ人生だな」
パンッと乾いた音が夕暮れに染まった空に響く。
あまり痛みがなかったためか、巧は今自分が頬を殴られたのだと気付くまで数秒を要した。

「くだらないって何よ! 」
「視野がせめーんだよ! お前、自分の判断がすべて正しい、自分が一番賢いと思っているタイプだろう?」
自分にも向けた言葉だった。
大学に馴染めず、落ちぶれていると自覚したくなかった巧は全てを世の中にせいにしてきた。
黒髪の美女に出会い強く惹かれたのは、おそらく自分と同じ匂いを感じたからなのだろうと巧は今初めて気が付いた。


192 名前:『きっと、壊れてる』第17話(9)[sage] 投稿日:2011/04/19(火) 01:22:42.65 ID:fjQ06z1P
「……今更だけど、あなたには悪いと思ってる、こんな事に巻き込んで。
でも自分だけの価値観で私達の存在を否定しないで」
いつの間にか、巧の髪を離していた楓は力なく言葉を残すと、俯き鼻を啜った。

「私の存在も否定しちゃいや~ん」
横から割り込むように美佐が楓の前に立った。
タイミングから見て、自分と巧の価値観の話等どうでも良いのだろう、と察した楓は身構える。

「……本当にふざけた女。兄さんにはあの事を打ち明けたの?」

「あの事?」
惚ける美佐に楓は嫌悪感を覚え、一歩後ずさる。
そして本日帰宅した際に、浩介へ打ち明けようと思っていた件を頭の中で整理し、言葉で美佐へと問いかけた。
「文書でも通告したはずだけど、あなたの事は興信所を使って調べさせてもらったわ。
あなたは18歳の時、おそらくあなた自身一生忘れる事のできない事件を起こしている」

「……大した事じゃないよ。そんなハードル上げないで欲しいな。読者の皆も期待しちゃうじゃん」

「笑わせるわ。貴女の過去を兄さんに告げれば、兄さんは絶対にあなたを捨てる。断言しても良い」
「青いねぇ。世の中100%はないよ」
余裕の表情を崩さない美佐に焦れる楓は、姉ならどうやってこの女を崩すのだろうと考えた。

「万が一兄さんが許したとしても、私はあなたを許さない……いえ、許す事ができない。わかるでしょう?」
「だろうね。心中お察しするよ。でも私達ゴールイン目前だよ? どうする気?」
「……兄さんに直談判するわ……というか、もうしているんだけどね」

楓の視線が自分の背後へと釘付けになっている事に気付いた美佐は、事態を把握する。

「いつから?」
美佐は後ろを振り返らずに声を掛けた。
「『私の存在も否定しちゃいや~ん』ぐらいからかな」
浩介の背丈の割によく通る高い声が耳に届くと、やっと美佐は振り向き、口端を少し上げ微笑んだ。
「そんな大した事じゃないんだよ? 昔の話だし」
「あぁ、でも聞きたいな」
浩介の視線は美佐を見降ろし、どこか悲しそうな息をしていた。
きっと、大丈夫。何があっても自分の味方だと約束してくれた。
自分のすべてを受け入れてくれると信じ、浩介の瞳を美佐は見つめる。

「私、弟をレイプしたの」

美佐の表情に陰りはなく、むしろその堂々と言い放つ仕草に清々しささえ感じた。
東京湾から通り抜ける生温かい風だけが、その場にいた全員の心を見透かしていた。

第18話へ続く


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最終更新:2011年05月14日 23:28
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