186
ノスタルジア ◆7d8WMfyWTA sage New! 2010/03/21(日) 17:46:37 ID:sEz94s11
風呂からあがった文雄は無言だった。
統治郎や叶絵への罪悪感が、自己嫌悪の感情が、そして千鶴子への恐怖と全てを任せてしまった安堵の思いが、次々と湧き出て胸の内をかき乱した。
憔悴しきった兄に、千鶴子もそれ以上は語ることなく、居間のソファに座らせて茶を一杯勧めた。
千鶴子の淹れた茶を飲んだ文雄は、頭をかすかに揺らしたかと思うと、そのまま眠りに落ちてしまった。
「あなたにこういったものを飲ますのは本意ではないのだけれどね……」
千鶴子の手には、睡眠薬の小瓶が握られていた。
「文雄さん、今回だけは許して。あなたの身を案じてのことだから」
精神が不安定に揺れている今、文雄には自傷や、あるいは自殺の可能性すらあると千鶴子は考えていた。
千鶴子にとって、それは何としても防がねばならないことだった。
脱力した文雄の体をどうにか寝室まで支えて歩き、ベッドに寝かせる。
静かに寝息を立てる文雄の顔をしばらく見つめると、千鶴子はその唇に軽くキスをした。
「約束をしたからには、頑張らないといけないわね」
千鶴子は携帯電話を取り出すと、美山叶絵にメールを出した。
187 ノスタルジア ◆7d8WMfyWTA sage New! 2010/03/21(日) 17:48:32 ID:sEz94s11
夜の十時、美山叶絵は自宅近くの公園にいた。
遊具も何も無い、ただ広い地面の一角を、外灯がぼんやりと照らしている。
叶絵はその明かりの下で、小さな体をさらに縮みこませるようにして、一筋の影を地面に落としていた。
「一人で来たようね」
不意に響く声に、叶絵は体を震わせた。
暗闇から浮き出るように、長髪の少女が姿を現した。
「澄川さん……」
同じ学校の同じ学年の生徒だから、名前を聞いたことはあったし、顔も何度か見たことがあった。
が、昼に廊下ですれ違う時に見る姿と、今目の前に居る少女とでは印象がまるでちがっていた。
外灯に照らされた前髪の影から覗く目の光が、叶絵の体の奥から本能的な恐怖を呼び起こした。
「用件はわかっているわね」
「お、お兄さんのことですね」
千鶴子からの静かな問いに、叶絵は思わず声が上擦る。
叶絵も覚悟はしてきたつもりだった。
数時間前に、自分と養父が蹂躙した青年。
その妹からの呼び出しのメール。
内容は簡潔で、文雄に不利となる画像や映像を所持しているなら、千鶴子の保管している叶絵のそれと交換して欲しいということ。
そして、一人で来なかった時は必ず今の叶絵の生活を破綻させるという、明確な脅しの文面があった。
友好的な話し合いになるわけはないと思っていたが、目の前に居る同い年の少女から発せられる威圧感は異様なものであった。
「こちらはこの通り、あなたと美山作蔵の情交の映像のオリジナルを用意したわ」
「私も、あなたのお兄さん……澄川文雄さんの写真の入ったカメラを持ってきました」
「あなたとの交わりの最中で撮られたものね」
「……はい」
叶絵が答えたその一瞬、千鶴子の表情が悲しげに曇った。
二人はそのまま、すんなりと、互いの持ち物を交換した。
「……文雄さんとの交わりは、良かった?」
千鶴子は受け取ったインスタントカメラを仕舞いながら、叶絵に問いかけた。
「え……」
「気持ち良かった?」
春の夜風になびくスカートの裾を抑えながら、静かに聞いてくる。
叶絵は千鶴子の意図が読めぬまま、思った通り答えた。
「私は……好きでああいったことをしているわけではないですから。……辛かったです」
「そう」
千鶴子は頷く。
「好きでないのに、やらなくてはいけなかった。そういうことを言うから、文雄さんも夏江さんも、あなたのことを誤解して、助けようとしてしまうのよね」
「……?」
「好きでもないのに、あの男とああいった行為をするのは、脅されているからだ。いや、体の悪い養父を見捨てられないからだ。優しい娘だ、可哀想だ、とね」
「私は本当に、好んで義父のもとにいるわけでは……」
「わかっているわよ。あの男の遺産が目当てなんでしょう? 『美山』叶絵でいる利点と言ったらそこだもの」
千鶴子の言葉に、叶絵は体を強張らせた。
「あれで資産家ではあるものね。養子で居れば、余計なことを遺言状に書かれない限り、全て自分のものになる」
「何を……」
「責めているわけではないのよ。告発するつもりもない。ただ、あなたはやり方がよろしくないと言っているの。
あなたが更に大きな目的のために今の状況を受け入れているということに思い至らなかった文雄さんも、それを伝えなかった私も悪いけれど、中途半端に情けを誘ってしまうあなたの態度が今回の事態を招いてしまった一因でもあるのよ」
188 ノスタルジア ◆7d8WMfyWTA sage New! 2010/03/21(日) 17:49:33 ID:sEz94s11
無感情な声色で、淡々と紡がれる千鶴子の話に、叶絵は口調を尖らせた。
「何を言っているのか、意味がわからない」
「そう。なら私の妄想ということにしましょう。あなたは夏江さんに、あなたなりの思惑があってあの家に居ることを伝えておくべきだった。いっそはっきり遺産目当てだと言ってしまってよかった」
「そんな……そんなことを言ったら……」
「軽蔑される? でもそれを一番最初に伝えておけば、あなたと美山作蔵が肉体関係を持っていることを、夏江さんに知られることは無かったのよ。恐らく夏江さんは、これまでと同じようにはあなたを見ることはできないわ」
「……」
「まあ、所詮は私の妄想なのだけれど。あなたにとって、夏江さんは特別なのでしょう? ああいった姿を晒したくはなかったのではないかしら」
夜の風が二人の間を抜けた。
遠くから、電車の走る音が小さく聞こえてきた。
「……したいの」
「?」
「何がしたいのよ。それを言って、答えを聞いて、どうしたいのよ。そうよ。私はお金目当てであの最低な人間に体を売っている女よ。本当、最低より最悪な女よ」
叶絵の両の目から、涙が溢れ出る。
嗚咽とともに、怨嗟の言葉が搾り出された。
「最悪……せめて、統にいと同じ立場になって……それで、また昔みたいに……過ごしたいって……なのに……あんたたちが……」
叶絵は千鶴子を睨み付けた。
「どうしてそっとしておいてくれなかったのよ! あんたと、あんたの兄さんが余計なことをするから……!」
「確かに、夏江さんはあなたのことを諦めかけていた。文雄さんのお節介もまた、今回の大きな一因ではあるわね」
「そうよ! 勝手に近づいてきて、セックスまでさせられて! あんたみたいな変な妹に責められて! 本当いい迷惑よ! 何なのよ……どうして私が……」
激昂する叶絵にまるで臆することなく、千鶴子は近づく。
その白い手がすらと伸び、叶絵の右腕を掴んだ。
そして、どこまでも静かな、澄んだ声で言った。
「文雄さんのことを悪くは言わないでね。結果は散々だったけれど、戦おうとした文雄さんが、何もせずただ幸せを待っているだけのあなたに非難されるのは不快だわ」
それにね、と千鶴子は続けた。
「あなたが今生きていられるのは、文雄さんがあなたを救うことを望んでいたからなのよ」
「な、にを……」
「私が、あなたに今夜こうして会ったのは、文雄さんが一番望む形で全てを終わらせるため。そうでなければ、文雄さんを傷つけ、穢したあなたを許すはずがないでしょう」
「え……?」
「人間に関わる悩みを消す一番単純な方法は、その人間を消してしまうことだもの。あなたと美山作蔵を殺せば、文雄さんはしばらく悲しんでも悩まなくはなるわ。私にはその選択肢もあったのよ」
冗談で言っているのだろうか。
そう思わせるほどに、千鶴子の口調は単調だった。
ごく自然に、叶絵と作蔵を殺すと言ってのけた。
189 ノスタルジア ◆7d8WMfyWTA sage New! 2010/03/21(日) 17:52:01 ID:sEz94s11
「そ、そんな簡単に、人を殺せるわけないじゃない」
「簡単よ。方法さえ知っていれば、幼子だって人を殺すことはできる。難しいのは、その後の処罰を逃れることのほう」
「それは……言うだけなら誰だってできるけど……」
ふ、と小さく千鶴子が笑った。
叶絵は逃げ出したい衝動に駆られたが、それを許さないとばかりに、右腕を掴む千鶴子の手に力がこもった。
「文雄さんがあなたを救おうとしたからには、私はあなたを救わなければならない。文雄さんが目覚めたとき、笑顔で居られるように。文雄さんが望んだから、あなたは生きていられるのよ。それを忘れないことね」
「何を……勝手な……」
叶絵の抗議の意志はしかし、次の千鶴子の言葉で掻き消えた。
「でも、美山作蔵は別よ。あなたが最良の状況に至るためには、あの男を殺す必要があるわ」
「え……?」
「間抜けな声をあげないで。わかりきったことでしょう。あの男が死ねば、遺産は現時点で養子のあなたのもの。遺産が手に入れば、夏江さんと無理に距離を置く必要も無くなる。
夏江さんの家でお世話になってもいいし、これまで通り別に住んでも、普通の付き合いができるでしょう。夏江さんがあなたを今までのように心配することも無くなるから、文雄さんにあなたのことで相談が行くことも無くなる。
文雄さんの心の傷は残るけど……作蔵が死んで、陵辱した張本人であるあなたが全てを忘れると言えば、これ以上傷が深まることもない。現状から見て、最善の解決でしょう」
「それは……そうだけど……」
「あなたも、あの男が心臓の病で死ぬことを待っていたのでしょう?」
「そう……だけど」
「なら協力しましょう。あの男が自然死するのを待つのは、あなたの最終的な目的にも悪影響を及ぼしうるわ」
「え……?」
「知っているとは思うけど、相続の第一順位は配偶者にある。あんな男でも、何かの拍子に新しい女と再婚しないとは限らない。そうなると、あなたのこれまでの忍耐は完全に意味を失うのよ」
「……」
叶絵は押し黙ってしまう。
千鶴子が口にすることは全て正しかった。
叶絵の真の目的も。
作蔵さえ死ねば全てが解決してしまうのだということも。
そして、作蔵の死を待つことで付きまとう、新たな相続人の発生の可能性も。
常に叶絵の脳裏を捉えて離さない、心配事の一つだった。
「あなたにとっての幸せが別にあるというなら、言ってちょうだい。そうでないなら、私はあの男を殺すわ。今夜中に」
叶絵は涙で汚れた顔のまま、千鶴子を見た。
にわかには信じ難かった。
自分と同い年の少女が、自分を虐げ続けたあの男を殺すと言っている。
まるで近所に買い物にでも行くかのような気軽さで。
「どうやって、殺すの? 相手は、大人の男の人なんだよ?」
「心臓に病気を抱えているのでしょう? なら、心臓発作で殺すのが一番でしょうね。警察も医者も不審に思わないわ」
「だからそれをどうやって……!」
叶絵の問いを受けて千鶴子は、夜風の吹く中、息を深く吸い込んだ。
「いい香りよね」
「え……?」
「鈴蘭よ。ちょうど今の時期に花を咲かせるの」
それがどうしたというのか。
疑問符を浮かべる叶絵の表情を見て、千鶴子はまた小さく笑った。
「叶絵さん、あなたは仮にも一家の食事を任されているんでしょう?」
「え、ええ。まあ……」
「食卓に飾ってはいけない花、というものを厳しく教えられるものだと思うのだけど。最近の人は違うのかしらね」
千鶴子は公園の隅を見やる。
暗闇の中、鈴蘭の白い花が風に揺れるのが見えた。
「鈴蘭の
花言葉は『きっと幸せに』。……大丈夫、上手くいくわ」
叶絵の手を引いて、千鶴子は歩き出した。
190 ノスタルジア ◆7d8WMfyWTA sage New! 2010/03/21(日) 17:53:53 ID:sEz94s11
叶絵とともに美山家に向かう道すがら、千鶴子は叶絵にいかにして美山作蔵を殺すか、その方法を教えた。
ごく簡単なもので、先ほどの公園から拝借した鈴蘭の根茎をおろし金でおろし、その汁を味に濃さのある茶や酒に混ぜる、というものだった。
「実際にやるのは、あなたよ」
「私が……?」
「ええ。あなた自身の幸せだもの。自分で掴みとってみなさい」
実際のところ、作蔵を殺害する実行犯を叶絵に任せる理由はいくつか別にあった。
一つは、叶絵を完全な共犯にしておかないと、千鶴子の身の安全が確保されないという理由。
また一つは、作蔵を殺すために千鶴子が美山家に侵入すると、万が一作蔵と叶絵が謀っていた時に危機的な状況に陥ってしまうという理由だった。
「鈴蘭の根茎のエキスを入れるところを見られなければ、まず失敗はしないから、大丈夫よ」
「うん……」
「あの男は、寝る前に晩酌をするのでしょう?」
「うん。テレビを見ながら、ずっと」
「なら、いつも通りに準備なさい。私は居間を覗けるところで見ているわ」
しばらく歩くと、二人は美山家の前に着いた。
門をくぐる叶絵を、千鶴子は無言で見送る。
不安げな表情で振り返る叶絵に、千鶴子は小さく語りかけた。
「もし失敗してもまだ別の手はあるから、堅くならずにね。殺そうなんて思わないでいい。健康の秘薬のおろし汁を飲ませる、くらいの心持ちでいなさい」
先刻までは恐怖の対象だった千鶴子の落ち着いた声色が、今は頼もしく感じられた。
叶絵が家にあがると、古い木の廊下がきしりとなった。
家の奥からは、作蔵が風呂に入っている音が聞こえてくる。
用意をするなら今しかないと、叶絵は台所に向かった。
公園から持ってきた鈴蘭の根茎は四つ。
もし一杯で倒れなかった時のために、多めにとったのだと、千鶴子は言っていた。
(本当に、こんなことで……?)
酒のつまみを用意するついでの手間で、叶絵は鈴蘭のエキスを絞り上げる。
家事を任されているだけあって手際はよく、数分もかからなかった。
やがて、作蔵が風呂からあがる音がした。
「おい! あがったぞ! 酒持ってこい!」
「……はい」
こんな人でも、自分を拾ってくれた恩人であることは確かだ。
酷い目に遭わされ続けてきたのは確かだが、本当に良いのか。
叶絵の心が迷いに揺れた。
用意した焼酎は匂いも強い。
根茎のエキスが入っているとは気付かぬまま、作蔵は簡単に飲み干してしまうだろう。
千鶴子の言が正しければ、それで作蔵は死ぬ。
自分がこの男を殺す権利など、あるのだろうか――
「おい! 早くしろ!」
「は、はい……!」
「相変わらずのろいな、お前はよ」
結局、美山作蔵の命運を決したのは、彼自身の横暴さだった。
迷う叶絵の心の内など知らず、作蔵は立ち尽くす叶絵の持ったグラスを奪い取ると、作蔵はそれを一気に飲んでしまった。
「ああ、うめえ。おい、すぐにもう一杯用意しろ」
「あ……」
「なんだ? とろとろしてると、今夜は尻の穴をほじくっちまうぞ?」
下卑た笑いを浮かべながら今の畳に腰を下ろす作蔵。
叶絵の用意した二杯目の酒を飲み出してしばらくして、変化は表れた。
「ん……おあ……?」
胸を押さえて、作蔵は息を荒くする。
額にじわりと汗を浮かべて、叶絵を見た。
「……と、いけねえ。発作かな。おい、叶絵、薬だ。早く……用意しろ……早くしろ!」
怒鳴りつけられ、叶絵は反射的に走り出す。
隣室の薬棚から、医者から処方されていた薬を持ってきた。
191 ノスタルジア ◆7d8WMfyWTA sage New! 2010/03/21(日) 17:54:31 ID:sEz94s11
「よ、よし。早く用意しろ。早く……な……」
「は、はい。待ってください、お義父さん」
慌てて薬の入った袋を開く叶絵の肩に、静かに手が置かれた。
様子を見て家に上がってきた千鶴子だった。
「自分の持病の発作と勘違いしているようね。ちょうどいいわ」
「え……?」
「その薬は、こう手に持ってね」
千鶴子は叶絵の手に、白い粉末の入った小瓶を握らせる。
「見せびらかすだけにしておきなさい。ほら、お義父さん、見えますか、てね」
千鶴子に促されるままに、叶絵は薬を手に持ち、作蔵に見せるように掲げた。
「薬、を……」
胸を襲う激痛に顔を歪めながらうめく作蔵と、叶絵の視線がぶつかる。
叶絵はそこから一歩も動かず――
「お、お前……俺を……」
「お義父さん……」
「くそったれが……」
作蔵の顔が絶望に沈んだ。
虚空にある何かを掴もうとするかのように、作蔵の腕が弧を描き、次の瞬間、作蔵は床に倒れ臥した。
体を痙攣させながら、小さくうめき声をあげ続ける。
数分もしないうちに、美山作蔵は苦悶の表情のままで絶命した。
二人はその様子をただ見ていた。
「最後の表情、凄く悔しそう……いえ、悲しそうだったわね。この男なりに、あなたのことを信じていたんじゃないかしら」
「……」
「信じていた娘に裏切られる。相当な絶望感だったでしょう。最後に、良い復讐になったわね」
さて、と後片付けをするべく台所に向かう千鶴子。
「鈴蘭は生ごみと一緒に捨てておくわよ。万が一持病以外であると指摘されたら、卓上のコップに鈴蘭を活けていたことにして、その水を誤飲したという方向にもって行きなさい。あとは……」
千鶴子が次々と指示を出すも、叶絵は立ち尽くしたままで動けずにいた。
「こんな……簡単に……」
呟くと同時に、大粒の涙が一粒零れ落ちる。
その涙が何なのか、叶絵自身にもわからなかった。
192 ノスタルジア ◆7d8WMfyWTA sage New! 2010/03/21(日) 17:54:53 ID:sEz94s11
「おはよう、文雄さん」
翌朝、目覚めた文雄を迎えたのは、千鶴子の穏やかな笑顔だった。
「お、おはよう」
この妹もこんな表情を見せることがあるのかと驚いたのも束の間、文雄の脳裏に昨日の記憶が鮮明に蘇った。
(そうだ、俺は……)
美山家での失敗、叶絵との交わり。
そして、浴室での千鶴子との約束。
瞬間的に陰鬱な気持ちに落とし込まれた文雄の背中を、千鶴子が優しくさすった。
「どうしたの? 顔色が優れないわよ」
「当たり前だろ……」
「なあに? まさか、お父さんとお母さんがいないから寂しい、なんて子供みたいなこと言わないでしょうね。今日の朝食は私が腕によりをかけて文雄さんの好きなものを作ったから、元気を出して」
「……そういう問題じゃなくてさ」
「じゃあ、なにかしら?」
文雄は思わず千鶴子の顔を見た。
わかっていないはずがない。
昨日のあの出来事を、浴室でのやりとりを、千鶴子が覚えていないはずがない。
なのに――
千鶴子は小首を傾げて、相変わらずの微笑を文雄に向けていた。
「……文雄さん、よほど夢見が悪かったのかしら」
「え……?」
「少しうなされていたものね。でも大丈夫。どんなに悪くても、夢は夢だもの。今日これからのあなたを苦しめるものは、何もないわ」
「千鶴子、お前……」
「さ、朝食にしましょう。着替えたら降りてきてね」
「……」
「なあに? 着替えられないなら、私が脱がせてあげてもいいけど?」
「いや、大丈夫。すぐに行くよ」
「ん……」
千鶴子は文雄の頬に軽くキスをして、部屋を出て行った。
ごく自然に、兄の頬にキスをしていった妹。
『私と取引してくれるなら、あなたに降りかかる災難は全て排除してみせる。今回のことも、明日の朝には一夜の夢だったとなるように消し去ってあげる』
昨日の千鶴子の言葉が、思い起こされた。
「やっぱり、俺は……」
文雄は両の手で顔を覆い、肩を震わせた。
千鶴子が昨夜のうちに何をしたのか、あるいは何もしなかったのか、文雄は聞くことができなかった。
尋ねることで昨日の自分の失態を詳細に思い出すのが怖くて、できるだけその話題には触れないようにした。
千鶴子も昨日あったことを話すことは一切無く、不思議な雰囲気のまま朝の時間は過ぎていった。
ただ、千鶴子が自分を気遣ってくれていることは自然伝わってきて、それについては文雄は純粋に感謝するところだった。
二人とも何事も無い、いつも通りの朝を演じ、そのまま学校に向かった。
193 ノスタルジア ◆7d8WMfyWTA sage New! 2010/03/21(日) 17:55:17 ID:sEz94s11
教室に入った文雄は、先に来ていた統治郎を見て気まずい思いに襲われた。
昨日何があったのか聞かれたら、どう答えよう――
叶絵とのことを話すわけにはいかない。
自分にうまく言い訳ができるだろうか。
一瞬で様々な考えをめぐらせた。
が、そんな文雄の心中はお構い無しに、統治郎は大きな体を揺らして近づくと、がしりと両手を握った。
「やった。やったよ。どうにかなった」
「ええと、何がだ?」
満面の笑みを浮かべ、握った手を激しく上下に振りながら、統治郎は答えた。
「叶絵のことだ。うまい具合にいきそうだよ」
「何か動きがあったのか?」
「ああ。今朝叶絵から連絡があってな。昨日の夜、あの美山作蔵が亡くなったんだ」
「……!」
統治郎の言葉に文雄は衝撃を受ける。
思い浮かんだのは、妹の顔だった。
「……亡くなったのは、どうしてなんだ?」
「前に叶絵も言っていた、心臓の持病だそうだ。心臓発作で逝ってしまったらしい。人の死を喜ぶなんて不謹慎なのだろうが、今度ばかりは喜ばずにはいられんな」
統治郎は苦笑いしながら、叶絵が葬儀のことなどで手伝って欲しいと伝えてきたこと、遺産相続についての相談や後見を頼んできたことを話した。
「しばらく忙しくなりそうでな。今日も一時間目を終えたら早退だ」
「なんだ、それなら今日は来なくても良かったんじゃないのか?」
「いや、文雄には世話になったからな。何としても今日、お前に直接礼が言いたかったんだ」
統治郎は大きな体をぴたりと伸ばし、深々と礼をした。
「ありがとうな、文雄よ。俺はこの感謝の気持ち、生涯忘れんぞ」
「やめてくれ。俺が何かしたわけじゃない」
「いや、俺が叶絵と関わり続ける勇気を持たせてくれたのは、お前なんだ。心を保たせてくれたのはお前なんだよ」
「統治郎……」
親友の言葉は文雄にとって大変嬉しいものであると同時に、強い罪悪感の源となった。
あの家で叶絵と関係を持たされたことは、墓まで持って行く秘密となるだろう。
(そう……俺は結局迷惑をかけただけで、何もしていない。やったのは……あいつだ)
千鶴子の言う通り、一夜の夢となってしまった。
美山作蔵が死ぬことで。
194 ノスタルジア ◆7d8WMfyWTA sage New! 2010/03/21(日) 17:56:26 ID:sEz94s11
昼休み、文雄はすぐに第二図書室に向かった。
厚い扉を開けると、ひんやりとした空気が流れ出る。
窓から入る陽光に照らされる読書席には、いつも通り誰もおらず、ただ一人、千鶴子が貸し出し席に座って本を読んでいた。
「あら、文雄さん、随分と早いのね。ちゃんと昼食は食べたのかしら?」
「さすがに、のんびりと昼食を食べている場合じゃないだろ。千鶴子、お前……」
ごくりと、文雄は唾を飲み込んだ。
「殺したのか、美山作蔵を」
「また突然ね。どうして?」
「今朝、統治郎から話があった。美山作蔵は亡くなったそうだ。……お前の言っていたとおり、俺が寝ている間に全て解決したよ」
「そう。それは運が良かったわね。不摂生な生活をしていたようだし、普通の人よりは亡くなる可能性は高かったんじゃないかしら」
「千鶴子……!」
声を荒げる文雄を、千鶴子はひたと見据える。
やがて小さくため息をつき、口を開いた。
「そうね。文雄さんに隠し事をしても良いことはないって、この間で懲りたしね……」
立ち上がり、扉の前まで歩き、鍵を閉める。
そして、くるりと振り向いた。
「殺す手伝いをしたわ。あくまで、手を下したのは、叶絵さん自身よ」
「……!」
心の準備はしていた。
が、実際妹の口からその言葉を聞いた文雄は、ぐらりと地面が揺れたかのように感じた。
「千鶴子……お前……なんてことを……!」
「私としては、一番良い結果になったと思うのだけれど、問題があったかしら」
問題あるに決まっているだろう。
数日前の文雄なら、そう叫んでいたかもしれない。
だが、千鶴子の言うとおり、美山作蔵が昨晩死んだことが、関わった全員に良い結果をもたらしたことは明らかだった。
その恩恵を、文雄本人も強く受けていることを、何よりも自覚していた。
「結果は……そうかも知れないが……」
「文雄さんがこういったやり方を嫌うのはわかっているわ。だから、全て夢だったと思っていて欲しかった」
「夢だなんて、思えるわけないだろう」
自分は千鶴子ほどには強くない。
それはわかっている。
しかし、全てに背を向けるほど弱くあるつもりはなかった。
「千鶴子、お前は、何とも思っていないのか? 人を一人、殺してしまったんだぞ? 犯罪なんだぞ?」
「犯罪であることが明るみに出ると困るけど、それに対する対策は充分にしたつもりだから」
「そういうことを言ってるんじゃない! お前には、罪の意識とか、そういうものは無いのか……?」
「今回に限って言えば、無いわね。法律の中では犯罪に分類されるけれど、悪いことをしたとは思っていないもの」
「……!」
「だってそうでしょう? あの男が死んで、不利益を被る人がいたかしら? 叶絵さんも、夏江さんも、そして文雄さんも、皆が利益を得ているじゃない」
「……美山作蔵本人は、不利益を被っているだろう」
「そう……それはそうね。文雄さんが、あの男の幸せまでを望んでいたと言うのなら、それは私の力不足だったと謝るしかないわ。ただ、文雄さんと夏江さんと叶絵さんの全員が幸せになるには、あの男を犠牲にするしかなかった。ねえ、文雄さん――」
千鶴子は一歩、二歩と文雄に近づき、その手を握ると、自分の胸に押し当てた。
195 ノスタルジア ◆7d8WMfyWTA sage New! 2010/03/21(日) 17:58:51 ID:sEz94s11
「他に方法があったと思う? 本当に、あの男の幸せまで望んでいたの?」
「あの男の幸せまで望んでいたなんて言うと、それは嘘になる。けど、皆に利益があるからと言って、簡単に人の命を奪っていいわけないだろう? そんなのは、皆が楽しいからという理由でされるいじめと変わらない。
何もできなかった俺が言えたことじゃないが、許されることじゃないんだよ。殺すまでしなくても、叶絵ちゃんをあの男から引き離せば済んだ話じゃないか」
「叶絵さんは、美山家の養子でいることで、美山作蔵亡き後の美山家の財産を手に入れることを狙っていたわ。そのために、たとえ毎日犯されてもあの男の傍にいることを選んだ。
あの子の最大の目的がそこにある以上、叶絵さんを美山作蔵から引き離すことは解決方法にはなり得ないのよ」
千鶴子の言葉に、文雄ははっと表情を変えた。
以前聞いた統治郎と叶絵のやり取りを思い出す。
「そうか……美山叶絵でいるというのは、そういう意味でのことだったのか。それがわかっていたからお前は、俺と統治郎に叶絵ちゃんと関わるのをやめろと言ったんだな」
「ええ。彼女にしてみれば、今更引き離されたところで、今まで耐えてきた苦労が水の泡になる。それこそ、不幸になるだけだわ」
「なるほどな。やっぱりお前はすごいよ」
いつも物事の奥の奥まで見通してしまう洞察力。
自分とは違った力を持つ妹に、文雄は素直に驚嘆の念を抱いたが、それでも納得はできなかった。
「でも俺は……お前のやり方が正しいとは思えない」
「そう」
「叶絵ちゃんの目的がそうであったとしても、遺産を諦めるよう説得して、美山作蔵から解放すべきだったんだ。殺人という十字架を背負わせるくらいなら、そうすべきだった。お前になら、それができたんじゃないのか?」
「どうかしらね……。まあ、これが一番叶絵さんの協力を得やすいだろうと思っていたことは否定できないわ。それに、私なりの目的もあったから」
「目的?」
「文雄さんは、口封じに叶絵さんと関係を持たされたのでしょう? それはつまり、今後の人生において、文雄さんが美山作蔵と、可能性は低いけれど叶絵さんにも脅される要素を残したことになる。
その要素を完全に消し去るために、あの男を消したかった。もう一人の当事者である叶絵さんに手を下させることで、こちらも叶絵さんに対する脅しの要素を手に入れることができるから、一石二鳥だったのよ」
「……!」
「確かに、夏江さんと叶絵さんのことだけを考えるなら、叶絵さんをどうにかして説得する方法もあったのかもしれない。でも、私なりに文雄さんのこれからのことを考えて、最善の策はこれだと結論付けたのよ」
「お前は……お前って奴は、本当に……!」
文雄は千鶴子の胸に当てられていた手を振り払った。
怒りの表情を浮かべて、千鶴子の肩を掴むと、力任せに本棚に押し付けた。
「俺がそんなことをいつ望んだ!? 俺はそこまでして自分を守りたいなんて……」
言いかけて、文雄は口をつぐんだ。
そして、弱々しく首を振った。
「いや、俺が悪かったんだな。自分では何もできなかった。お前に助けを求めたのは、俺なんだ。今更お前のやり方をどうこう言う権利なんて無いんだよな……」
「いいえ。言いたいように言ってくれていいのよ。対等の取引相手として、文雄さんは私に意見する権利があるわ」
「取引、か」
昨晩の、浴室での千鶴子とのキスを思い出す。
文雄の首の付け根の噛み傷が痛んだ。
「そもそも俺があんな約束をしたから、お前は犯罪者に……」
「どうかしらね。あの約束があったから、ここまでで済んだとも言えるわ」
「……?」
「忘れてしまったかしら。言ったでしょう。あなたの倫理観の拒むところのただ一つを受け入れるだけで、他の全てを守ることができると」
倫理観の拒むところ。
その言葉の意味をわかったうえで、文雄はあの時千鶴子との取引に乗った。
忘れるわけは無かった。
「私の感情に任せれば、叶絵さんも美山作蔵と一緒に殺してしまっても構わなかった。そうしなかったのは、文雄さん、あなたとの約束があったからよ。
あの約束があったから、私はできる限りあなたの望むまま終わらせようとした。けど、美山作蔵を殺してしまったのがどうしても許せないというなら、私は約束を守りきったとは言えないわね」
「俺との約束がなかったら、叶絵ちゃんも殺していたというのか?」
「まあ、そうなるわね」
196 ノスタルジア ◆7d8WMfyWTA sage New! 2010/03/21(日) 18:00:00 ID:sEz94s11
「何でお前は……そんなことを普通に考えられるんだよ」
「まったくリスクが伴わないなら、何か他人の関わる困難が起きた時にその対象を殺すことを考える人は、意外と多いんじゃないかしら。
それに、私もむやみに人を殺したいわけじゃないのよ。今回は全ての目的を同時に果たせる、費用対効果に優れた方法だったから、そうしただけのこと」
「お前は、俺や父さんや母さんや、統治郎や叶絵ちゃんを殺すことで目的が果たせると思ったら、そうするのか?」
「文雄さんを殺すなんてないわ。私の人生の楽しみが無くなってしまうもの」
「じゃあ、他の人たちは殺すのか?」
二人の視線が合わさった。
暫しの沈黙の後――
「さあ。どうかしら」
千鶴子は言葉を濁した。
だが、それだけで文雄には充分だった。
はっきりとした否定の言葉を口にしないということが、この妹の明確な意思表示であるということを、理解していた。
苦々しい表情を見せる文雄に対し、千鶴子は静かな瞳で問いかけた。
「私を警察に連れて行くの?」
「……」
「それとも、私がこれ以上人を殺す前に、私を殺す?」
「そんなこと、できるわけないだろう……」
「じゃあ、どうするの?」
「どうすれば……その考え方を改めてくれるんだ?」
文雄の問いに、千鶴子は目を伏せる。
肩から長い黒髪がさらりと流れ落ちた。
「私は文雄さんのように、皆の幸せを考えることはできない。自分のことをどうにかするだけで精一杯なの。どうしようもない、自分勝手な女なのよ」
でも、と千鶴子は続けた。
「欲しいものを手に入れるためなら、そんな自分勝手さを押し殺すことができるわ。さっきも言ったけれど、昨日の約束……」
あなたの倫理観の拒むところのただ一つを受け入れるだけで、他の全てを守ることができる――
「私は今回守りきることができなかったから、文雄さんはあの約束を無かったことにできるわ。でも、あえて約束を継続することもできる。
そうすることで、私にこれからも文雄さんの望む全てを守らせることができる。……約束を反故にするしないは、文雄さん、あなた次第よ」
「脅すのか、俺を」
「……」
「他の全てを守る……まさか千鶴子、お前から守るの意味だったなんてな」
はは、と文雄は力なく笑った。
それきり何も言わなかった。
千鶴子は肩を抑えていた手をはずし、そっと兄の体を抱きしめた。
「納得していただけたなら、今日の私の好奇心、満たしてもらえるかしらね」
「……」
「拒まないということは、好きにしていいのよね」
千鶴子は顔を上げ、文雄の唇にキスをした。
197 ノスタルジア ◆7d8WMfyWTA sage New! 2010/03/21(日) 18:00:42 ID:sEz94s11
そのまま文雄の足に自らの足をかけ、冷たい木の床に押し倒す。
千鶴子が覆いかぶさる形で、二人はごく近い距離で見詰め合った。
「……どうして、俺なんだ?」
「私にとって文雄さんは特別興味を引く存在なのだと、何度言えばわかってもらえるのかしら」
「だから、どうして俺なんかに興味を持つんだよ?」
「だって、文雄さんは私と全然違うんだもの。人間、自分と異なるものに興味を持つのは当然でしょう」
「異なるものに嫌悪を感じる人間がいるということを考えたことは無いのか?」
「……ふふ。嫌われたものね」
文雄の言葉に、千鶴子は小さく笑った。
「いいじゃない、嫌いでも、体を合わせるくらい。セックスって気持ちいいらしいわよ」
「俺とお前は、兄妹だろう……?」
「兄妹での結婚は法律で禁じられているけど、セックスまでは禁じられていないわよ」
「それでも、駄目なものは駄目なんだよ」
「普段生意気な、何かと嫌がらせをしてくる妹を徹底的に懲らしめるいい機会だと思うけど」
「……」
無言で目を逸らす文雄に、千鶴子はため息をついた。
「どうあっても、文雄さんから抱く気にはなってくれないのね」
「約束は守る。それでいいだろう」
「そうね。そういう……関係だものね」
再び千鶴子は文雄にキスをした。
ちゅ、ちゅ、と口腔を吸い上げる音が、昼の図書室に響く。
無反応の文雄に関係無しに、千鶴子は文雄の唇を貪り、次第に呼吸を荒くしていった。
やがて唇は離れ、混ざり合った唾液が細く糸を引いた。
「あくまで文雄さんから動く気は無いのね。……まあ、いいわ」
言って千鶴子は立ち上がり、数歩下がって床にとんとお尻をついた。
一体どうしたのかと文雄が身を起こすと、そこには脚をわずかに開き、スカートを捲くって下着を露にする千鶴子が居た。
純白の下着には、可愛らしい刺繍が一つ。
千鶴子はいつも通りの無表情で文雄をしっかりと見つめながらも、その頬には微かに朱がさしていた。
「お、お前、何を……」
「以前、文雄さんのを舐めてあげたわよね」
千鶴子は、見せ付けるように腰を前に突き出し、長いスカートを脚の付け根まで捲り上げた。
「私のも舐めなさい」
「……!」
「今日はこれで満足してあげる」
千鶴子の瞳が潤みを増す。
白い肌が、雪原に血が滲むように、赤く染まっていった。
その様子が、平然とした様子の千鶴子の心の高まりを表しているようで、気付けば文雄も鼓動が早まるのを感じていた。
千鶴子の両膝に手を置き、脚をさらに開かせる。
誰にも見せたことのない千鶴子の局部が、目の前にあった。
198 ノスタルジア ◆7d8WMfyWTA sage New! 2010/03/21(日) 18:02:15 ID:sEz94s11
「千鶴子……」
吸い寄せられるように顔を近づけ、文雄は千鶴子の下着越しに舌を這わせた。
舌の先に感じる、女性器の凹凸。
今、確かに、実妹の性器を愛撫している。
文雄はちらりと千鶴子の顔を見た。
千鶴子はぎゅっと目を閉じ、スカートをしっかりと握って、小さく身を震わせていた。
美人で優秀だと評判の妹。
生意気で、人を人とも思わない妹。
その妹が今、自分の舌で性感を得ている。
文雄の心の中にあった自己嫌悪の感情が、散々悩まされてきた妹への征服欲の高まりに打ち消された。
文雄は夢中になって千鶴子の性器を舐めていた。
「は、あ……文雄さん……あぁ……」
小さな喘ぎとともに、すぐに千鶴子の下着にじわりと愛液が染み出る。
ねっとりとした汁が下着に浮き出る性器の型をますますはっきりとさせ、文雄はその稜線に沿ってほじくるように舌を動かした。
テクニックも何も無い、ただ獣のように貪るだけの愛撫だが、それで千鶴子には充分だった。
「ふぅう……ああ! も、もっと! 直接……直接舐めて……」
眉根を寄せ、消え入るような声で懇願する千鶴子。
スカートを捲り上げたまま、右手で下着を横にずらした。
薄い陰毛の生えた性器が文雄の目の前に現れる。
ぴたりと閉じた千鶴子の性器は、べっとりと愛液に濡れ、時折陰唇がひくひくと動いていた。
「ああ……」
吐息とともに、千鶴子は顔を逸らす。
が、すぐにその顔を跳ね上げた。
文雄が、千鶴子の肉芽に吸い付いたのだ。
そこが女の敏感な部位であることは、文雄も知識として得ていた。
ちゅちゅちゅ、と回りに粘つく愛液とともに、クリトリスを吸い上げる。
「あ! 文雄さん……! ああ……! く……んう……!」
千鶴子は性器を文雄の顔に押し付けるように腰を跳ね上げ――
「く……! ぅうん……!」
背筋をぴんと伸ばし、開いた脚をがくがくと震わせた。
そのまま、千鶴子は崩れるように床に倒れこんでしまった。
兄と妹、二人の荒い呼吸が、薄暗い図書室に響く。
文雄の目の前には、まるで強姦されたかのような乱れた服装で、美しい髪を床に散らす千鶴子の姿があった。
時折体を震わせる千鶴子を見て、文雄は不思議な充実感を感じていた。
自分には手におえない、強烈な知恵と精神の持ち主である千鶴子も、一人の女だった。
そして、自分の手で、いとも簡単に屈服させることができてしまう。
それを知ってしまった充実感。
しかし、そのような精神の高揚も長くは続かなかった。
何と無しに自分の頬を拭った際、手の甲についた透明の愛液を見て、文雄は一気に現実に引き戻された。
「あ……」
小さくうめき声をあげ、艶かしい妹の肢体を呆然と見る。
その場を動くこともできず――
ただ静寂が、空間を支配した。
199 ノスタルジア ◆7d8WMfyWTA sage New! 2010/03/21(日) 18:03:41 ID:sEz94s11
「……文雄さん?」
どれくらい経っただろうか。
千鶴子が静かに呼びかけた。
「……後悔しているの?」
「何をだ……?」
「今、私とこんなことになってしまったこと。あの夜、私と取引をしてしまったこと。そもそも、夏江さんと叶絵さんの問題に関わってしまったこと。後悔している?」
「……」
雲に隠れていた日が射したのか、これまでで一番強い日差しが、窓から入り込んできた。
きらきらと空気中に舞う塵を輝かせながら、光は二人を照らした。
「文雄さんは自分を責めるのでしょう。情けないと言うのでしょう。でも、私は文雄さんに後悔して欲しくないわ」
「お前が言うことか」
「確かに、張本人の私が言えたことではないけれど……あなたの心が夏江さんと叶絵さんを救ったのは紛れも無い事実だから、胸を張って欲しいのよ」
「心が、か。結局力が足りなかったんだよな、俺には」
「そうね」
自嘲に満ちた文雄の呟きを、千鶴子は否定しなかった。
しかし、その口調はごく柔らかなものだった。
「でも、いいじゃない。足りないなら、これからは私を使えば」
「千鶴子を……?」
「文雄さんはこの先も誰かに頼られ、傷つくことがあると思う。だから、もし誰かを助けたいと思ったら、遠慮なく私を使ってちょうだい。
文雄さんの意志を実現するための道具の一つと割り切ってくれていいわ。文雄さんがこうやって一日一回私を満たしてくれるなら、私は文雄さんの意に沿うよう動くから」
「それは……」
「脅し、脅される関係より、お互い利用しあう関係の方が良いと思うけれど」
言い終えたところで、昼休みの終わりを告げる鐘の音が、遠くから聞こえた。
「……昼休みが終わってしまったわね」
千鶴子は乱れた服装を整えながら、ゆっくりと身を起こした。
「文雄さん、少し授業は置いておいて、一緒にお弁当を食べましょうか。……いえ、一緒に食べませんか?」
いつも通りの無表情に、いつも通りの落ち着いた声で。
赤くなったままの頬を見せないように、千鶴子は文雄に頭を下げた。
最終更新:2011年10月28日 00:32