ノスタルジア 第5話 > 2

34 ノスタルジア 第5話 ◆7d8WMfyWTA sage 2010/05/06(木) 00:48:07 ID:uS/qJs7j
翌日土曜日、文雄と千鶴子は三条家を訪問した。
美山家とはまた別の地区の、山際にある広い屋敷が、三条優の住む家だった。
「最近どうもお金持ちと縁があるわね」
そんなことを言いながら、門脇に付けられた呼び鈴を押す。
応じたのは優で、すぐに邸内に案内された。
三条家は昔ながらの和風の家と、増改築による洋風建築の部分とから成っており、優の部屋は洋風建築の方にあった。
「大きなお屋敷ね」
「ええ。私はよくわからないけれど、父のお仕事は上手くいっているみたいです」
「これだけ広い家なら、家族がたくさん居ても特に問題はなさそうね」
「ええ。それに今は、下の妹二人は学校の関係で隣街の親戚の家に居るので、この家に普段居るのは父と私、母、末の妹……それと叔父の、五人だけなんですよ」
「そう」
「妹たちはなかなか帰って来なくて……寂しいものです」
廊下を歩きながらの会話に文雄は、どちらが上級生かわからんなと内心苦笑した。
「こちらが私の部屋です。散らかっておりますが……」
そう言って二人の通された部屋は、充分に整頓の行き届いた部屋だった。
部屋の中央に置かれた座卓には、すでにお菓子と飲み物が用意されていた。
「準備万端ね」
「お口に合うかはわかりませんが」
少し不安げな笑みを浮かべつつ、優は席を勧める。
三人はそれぞれ座卓の周囲に座った。
「さて、昨日聞けなかったことをいくつかお聞きしたいのだけど、いいかしら?」
「はい」
「まず、四人姉妹全員が養子だとあなたは言っていたけれど、お父様に実子はいないのね?」
「はい。居ないはずです。私たちが引き取られる以前は実の娘が居たようなのですが……事故で亡くなったそうです」
「そう、事故で」
「はい。小学校にあがる直前だったと思います」
千鶴子はなるほど、と頷いた。
「では、それから今まで、お母様に子供ができたことは無いのね」
「はい」
「一度はできているのに、できていない。何故かしら。一度目の出産の時何か問題があったとか、あるいは夫婦生活がどうなっているかとか、わかるかしら」
「そこまでは……私には残念ながら。あの、でも……」
「なに? 少しでも思い当たることがあるなら、言ってもらえると助かるわね」
「はい。あの、その亡くなった子供の母親もやはり事故で亡くなっていまして……今の母、三条望は後妻なんです」
「それは娘と同じ事故なのかしら」
「そう聞いています」
「……いずれにせよ、今のお母様は子供を産んだことが無い。ということは、体質的な問題の可能性も大いにあるというわけね」
千鶴子は考え込み、部屋に沈黙が訪れる。
事前に何も知らされていなかったので、文雄は千鶴子がどのような論理で質問を重ねているのかわからなかった。
ただ、千鶴子の考えがまとまるまでの中継ぎにと、文雄は口を開いた。
「あれかな、ご家族の写真とかあるかな。いや、もし良かったら見せてもらいたいなあと」
「はい。アルバムならこちらに」
優は背後の本棚からアルバムを取り出した。
それを見た千鶴子は、
「さすがは文雄さん。良い調べ方ね」
と文雄の膝を叩いた。
「え?」
「確かに、写真を見ればすぐにわかるわね」
「すまん。お前たちが話している間時間を潰せればと思って出してもらったんだ。特にそれ以上の理由があるわけでは……」
「あら、そう。でも助かったわ」


35 ノスタルジア 第5話 ◆7d8WMfyWTA sage 2010/05/06(木) 00:49:01 ID:uS/qJs7j
千鶴子はアルバムを手元に引き寄せ、ぱらぱらとめくった。
やはり文雄には、千鶴子の考えはわからなかった。
ただ、邪魔をせずにおこうと思った。
「こちら、妹さんたちね?」
「あ、はい。下の二人の妹です」
「似てるわけではないのね」
「そうですね。何しろ養子ですから」
ふむ、と千鶴子は小さく応じた。
「あなたを含め、姉妹がお父様から性的ないたずらをされたということは?」
「ありません」
「お風呂などは一緒ではなかった?」
「お風呂は確かに、妹が来るまで一緒でしたけれど……特に何かされるということはありませんでした」
「そう」
千鶴子は用意されていた茶を口にした。
「今のところ、お父様は一定の年齢以下の子供に価値を見出している、と考えざるを得ないわね」
「そ、そうなんですか?」
「普通に考えれば、いわゆるロリコンの線が強いのでしょうね。あからさまな性行為はしなくても、見るだけ、触るだけで満足する方もいるでしょうし」
千鶴子の言葉に優はあからさまな落ち込みを見せたが、千鶴子は構わず続けた。
「養子を取るのは、単純に子供が欲しいからと考えれば納得いくわ。どうやらお母様との間に子供はできていないようだし。お父様の件で問題なのは、養子を取ることそのものではない。
新たに養子を取った後、それまで可愛がっていた子供に無関心となることよ。話を聞いて、亡き娘の面影を追っているのかとも思ったけれど……」
「亡き娘の?」
今度は文雄が聞き返した。
「ええ。娘の代わりになりそうな子を養子に引き取り、ある程度育てたところでやはり娘に似ていないと思い、次の娘に鞍替えする……という理屈なら、ありえなくもないと思ったのよ」
「確かに、それなら納得いくな」
「でも、先ほどアルバムで見た三条さんの姉妹は、皆似ていないのよね。実の娘の面影を追っているのなら、容姿に何か共通項があっても良いと思うのよ」
「お父上なりの共通項はあるけれど、俺たちにはわからないというだけなんじゃないのか?」
「それはその通り。大いに可能性はあるわ。でも……」
「まだ何かあるのか?」
「……これ以上は何とも。三条さん、お父様の様子を見せてもらいたいのだけど、かまわないかしら?」
尋ねながら千鶴子は立ち上がり、既に階下に降りていく気を見せている。
それに対して優は渋い顔をした。
「それが……母が……父の部屋の方にはお友達を近づけないようにと……」
「あら、そうなの」
「すみません。母は、駄目な人なんです。あの人は、父を恥ずかしく思っているんです」
「どうかしらね。お父様のことを考えての言葉なのかもしれないわよ。本人が気にしていなくとも、悪評はいつどんな形で実害になるかわからないものだし」
千鶴子の言葉に、優は俯いて答えなかった。
千鶴子はため息をつき、部屋を出て行く。
「おい、千鶴子、どこに……」
「お父様の様子を見てくるわ。古い方の家の、奥の部屋でいいのよね」
「お前な、今の三条さんの話を聞いてなかったのか?」
「聞いていたわよ。だから、こっそり見に行くのよ」
「……そういう奴だよな、お前は」
文雄は立ち上がった。
「俺も行くよ。何か無茶されたらたまらんからな」
あら、と千鶴子は微笑んだ。
「見つかったら、お手洗いを探していて迷ってしまったと言い訳しようと思っていたのだけれど。そうね、兄妹で連れ立ってお手洗いを探していたというのも、いいかもしれないわね」


36 ノスタルジア 第5話 ◆7d8WMfyWTA sage 2010/05/06(木) 00:50:10 ID:uS/qJs7j
結局優からの助言で、千鶴子と文雄は一旦外に出て、屋敷の裏から回って三条英一の様子を見ることとなった。
簡単な見取り図を書いてもらっていたおかげで、英一の部屋はすぐにわかり、文雄と千鶴子は身をかがめてガラス戸越しに部屋の中を覗きこんだ。
広い畳の部屋の中には、児童向けの絵本やおもちゃが散乱している。
その中に中年の男が一人、胡坐をかいた脚の間に少女を抱え、座っていた。
「あれが……」
「ええ。優さんのお父様ね」
そして、抱えている娘が、優の末の妹。
あの話の通りなら、現在小学二年生というところか。
文雄と千鶴子が息を潜めて見守る中、父娘は仲睦まじく会話し、遊んでいた。
時折英一は娘の頭を撫でたり、体に触れたりするが、特に性的な部分に触れているわけではないと見て取れた。
「溺愛といえば溺愛なのだろうけど……」
仲の良い親子なら自然なコミュニケーションであろうとも思えた。
しばらくすると、部屋に入ってくる者があった。
「あなた、お昼ご飯はどうしますか?」
小豆色の着物を普段着として纏ったその女性が、襖を開けて静々と室内に歩み入る。
英一に対する呼び方から、英一の妻であり、優の養母である、三条望その人だとわかった。
「うん、何でもいいぞ。手のかからないもので」
「あら、普段お昼は外食ばかりなんですから、休日くらいは好きなものを言っていただいてかまいませんのに」
「ううむ、そう言われてもな。……咲は何が食べたい?」
英一は笑顔で、抱きかかえた娘に問いかける。
「あたし……? あたし、チョコレート食べたいよ」
「まあ、咲ちゃん。チョコレートはご飯にはなりませんよ」
言って、望はくすりと笑った。
英一も釣られるように笑った。
優から聞いていた話が無ければ、ごく暖かな家庭の風景のように、それは思えた。


37 ノスタルジア 第5話 ◆7d8WMfyWTA sage 2010/05/06(木) 00:54:04 ID:uS/qJs7j
二人は昼を少し過ぎた頃には三条家を出た。
優は笑顔で見送っていたが、その笑顔はやはり不安な気持ちを含んだものだった。
昨日皆でジュースを飲みながら優の話を聞いた海浜公園を、文雄と千鶴子は二人きりで歩いた。
「誰も居ないな」
「まあ、公園とは名ばかりだものね」
千鶴子は防波堤の上を歩きながら、水平線の向こうを眺めている。
時折強く吹き付ける海風が、長いスカートをはためかせていた。
「千鶴子、危ないぞ」
「大丈夫よ。この幅なら、目をつぶって歩いても落ちることはないわ」
「目をつぶって歩いたら、さすがに落ちるだろう。……いや、そうじゃなくて、そんなところを歩いてたら、スカートがめくれた時に、その……見えちゃうだろう」
「あら、気にしてくれるなんて、嬉しいわね。でも大丈夫よ。誰も居ないのだし」
「いや、俺が居るだろ」
「ふふ……そんなことを気にする間柄じゃないでしょう」
スカートを摘みあげ、千鶴子は下着を露にする。
周囲を見回しながら慌てて制する文雄を、くすくすと笑って見ていた。
「ごめんなさい。少し調子に乗ってしまったわね」
「お前は本当に……何を考えているかわからんな」
「休日にこうして二人で歩くなんて、何だかデートみたいだったから」
「それは下着を見せていい理由になるのか……?」
「ならないわね」
また千鶴子は小さく笑った。
その笑顔のまま、呟いた。
「三条優さん、か……」
「解決できそうか?」
「まだ絞りきれていないけれど、解答の候補は揃ったと思うわよ」
「相変わらず大した奴だな、お前は」
「けど、もう少し調べなければいけないことがあるのよね」
千鶴子は声色を沈ませる。
「ちょうどそのあたりだったわね」
と、昨日優が座っていたベンチを見下ろした。
「ん? 昨日みんなで話を聞いたところだな」
「ええ、角間切子さんの奢りでね」
千鶴子は堤防の上で三角座りになり、うなだれた。
「……その調べなければいけないことというのが、どうもあの人の協力無しには調べられなさそうなのよね」
「角間さんの?」
「ええ。だからもう、解決できなくてもいいような気もしているのよね」
「何故そうなる」
「私、あの人苦手なんだもの」
ああ、と文雄は苦笑いした。
「わかるよ。何だかこう……エネルギーに溢れすぎた人だったよな」
「ええ。あの人とまた接するくらいなら、もういいかなって……」
「まあまて。そんなに負担なら、俺から連絡してやるから。何を聞きたいんだ?」
言って、文雄は携帯電話を取り出す。
堤防の上から千鶴子がその頭を叩いた。
「痛いな、こら」
「ちょっと、なぜあなたが角間さんのメールアドレスを知っているのよ」
「え? 昨晩直接メールが送られてきたんだよ。統治郎から聞いたんだって」
「私には送られてきていないわ」
千鶴子はひらりと堤防から降りて、文雄の携帯電話を奪った。
「まあ、文雄さんは随分とあの人に気に入られていたみたいだものね」
「どうなんだろうな。色々言ってはいたけれど」
「優さんといい、角間さんといい、文雄さんは最近素敵な女性と知り合いになる機会が多いわね。ひょっとしたらそのために色々と首を突っ込んでいるのかと、疑ってしまうわ」
やれやれと千鶴子は首を振り、俯いた。
軽口のようだったが、何故か文雄には、その時の千鶴子がいつになく落ち込んでいるように見えた。
「……あのな、千鶴子。もしも本当に嫌だったら、今回のことは、これまででお前がわかったことを三条さんに伝えて終わりにしていいぞ」
「文雄さんは、あの人の問題を解決してあげたいんでしょう?」
「できたら、な」
「……私は文雄さんの願いを叶えるって言ったでしょう?」
そうじゃないと、私の意味が無いもの。
微かな呟きは波の音に紛れて、消えてしまう。


38 ノスタルジア 第5話 ◆7d8WMfyWTA sage 2010/05/06(木) 00:55:04 ID:uS/qJs7j
千鶴子は顔を上げると、文雄の携帯電話から角間切子へメールを出した。
「何を聞いたんだ?」
「優さんが言っていた、元の奥様と実の娘さんが亡くなった事故についてよ」
「それを聞くことで、三条英一氏の奇行について、何かわかるのか?」
千鶴子は首を傾げた。
「わかるというか、毒物が関わる事故でなければいいなと思って」
「……? 何でまた」
「小さい子供の使い道というものを考えるとね」
使い道とは嫌な表現だと文雄は思った。
しかし千鶴子は気にする様子も無い。
「文雄さん、子供と聞いて思いつく言葉を三つ挙げてみて」
「またいきなりだな。ええと、小さい、手がかかる、可愛い」
「最後のは不正解ね。うるさい、よ」
「そういう問題だったのか、今の……?」
冗談は置いておいて、と千鶴子は物をどかす仕草をした。
「小さい、と言ったわね」
「ああ」
「そう、子供は小さいわ。そこに愛情を感じる人もいれば、性欲を感じる人もいる。他に『小さい人間』が……『小さい人間』しか果たせない役割は何かと考えると、体積の制限か体重の制限が関わってくると思うのよ」
文雄は黙って聞いていた。
千鶴子の凛とした、知性の煌きを感じさせる表情で、宙の一点を見つめていた。
「日常の生活の中で、体積や体重の制限を考える時って、どんな時かしら?」
「それで毒物、なのか……」
「ええ。体重と致死量は比例するからね。自分と同じ日常生活を子供に送らせることで、毒見役にできるんじゃないか、なんて考えたんだけど……」
深刻な表情を見せる文雄に、千鶴子は微笑みかけた。
「心配しないで。英一氏がロリコンである可能性も同等にあるし、他の可能性もある。あくまで私の考えの一つに過ぎないんだから」
「もしお前の想像通りだったら、どうなるんだろうな」
「解決はかなり難しくなるでしょうね。だから、ただの交通事故とか、そういうものを期待しているわ」
千鶴子は携帯電話を返しながら、文雄の手を両の手で包み込んだ。
「ねえ、文雄さん。この件が解決して、中間テストが終わったら、二人でデートに行きましょう」
「え……?」
「色々思うところはあるけれど、私なりに頑張るので、ご褒美に遊びに連れて行って欲しい……んだけど、駄目かしら?」
「それはかまわないけど」
「……良かった」
文雄の手を包む千鶴子の両手には、しっとりと汗が滲んでいた。


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最終更新:2011年10月28日 00:37
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