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『転生恋生』第十一幕(1/5) ◆.mKflUwGZk sage 2009/07/21(火) 01:46:31 ID:oP+oUmqP
雉野先輩から衝撃的な話を聴いてから1週間ほどは、また平穏な日常が続いた。
相変わらず猿島は挨拶以外では会話に応じてくれず、司は昼休みの度に俺を捕まえて昼食の相伴を強要し、姉貴は毎日俺にセクハラをしかけてくる。
雉野先輩だけは接点が薄かったが、先輩から聴かされた姉貴との過去の因縁話は俺の中で暗い靄のように漂って、どうにもすっきりしない気分にさせられた。
そんな俺にまた面倒ごとが降りかかってきたのは、ゴールデンウィークに入った直後の登校日のことだった。今年は曜日の並びが悪いせいで連休が分断されているから、ゴールデンウィークの間に平日が固まっている。
「桃川、ちょっと来てくれ」
帰りのホームルームが終わると同時に、俺は茂部先生から呼ばれた。こんなことは初めてだった。
一体何だろうと思いつつ、俺は鞄を残したまま先生についていった。猿島がちらりと俺に視線をくれたような気がしたが、我ながら意識しすぎかもしれない。
先生が向かった先は生徒指導室だった。無論、これまでに俺が足を入れたことはない場所だったから、正直動揺した。
特に校則に違反するようなことはした覚えがないが、こんな部屋に呼ばれるというだけで不安になる。
「入れ」
そうはいっても、先生に促された以上は仕方がない。何かの間違いであることを祈りつつ、俺は縮こまりながら部屋に入った。
部屋の中には足の低いテーブルが1台と、向かい合うように2脚のソファがあり、既に先客がいた。見たことのない男性教師だった。
「座れ」
茂部先生は普段から口数が少ない方だが、今日はいつにもましてぶっきらぼうだった。表情の変化に乏しい人だとはいえ、あまり機嫌はよろしくないらしい。
言われるままに俺が空いている方のソファに座ると、茂部先生は先に来ていた先生の隣に座った。俺は2人の教師と向き合う形になったわけで、精神衛生上あまり芳しくない配置だ。
「こちらは3年S組担任の脇野先生だ」
茂部先生が紹介すると、脇野先生は軽く頭を下げた。
「彼が桃川太郎です」
俺も黙って一礼する。どうやら、この脇野先生が俺に用事があるらしい。
……そういえば、3年S組って、聞き覚えのあるクラス名だよな。
「わざわざ時間を取らせてすまない。早速だが、本題に入りたい」
脇野先生はやや前のめりになって話し始めた。
「君のお姉さんのことで、直接ご家族の方に話を聴いてみる必要があってね。手始めに弟さんである君に来てもらった」
そうだよ、S組っていったら、姉貴のクラスじゃないか。姉貴が何か問題を起こしたのか? あれでも優等生のはずなんだが。風紀委員やってるくらいだから校則違反なんかしないし。
俺が短い時間に考えをめぐらす間に、脇野先生は説明に入っていた。
「3年生では先週進路希望調査を一斉にやったんだが、君のお姉さんの回答が目を疑うようなものでね」
進路希望調査というと、まずは進学か就職かを選択した上で、進学希望なら大学名を、就職希望なら職種を3つずつくらい書くというやつだろう。
うちの高校は進学校だから、まあ100%の生徒が進学希望のはずだ。
「本来なら秘密にしなければならないが、弟さんだからいいだろう。見てくれ」
そう言って脇野先生が俺に示したのは1枚の紙だった。進路希望調査というタイトルの調査用紙で、俺が予想したとおりの書式だった。
署名のところに「桃川仁恵」とあるから、間違いなく姉貴が書いたと思われるその調査用紙には、「結婚」とだけ書かれていた。
571 『転生恋生』第十一幕(2/5) ◆.mKflUwGZk sage 2009/07/21(火) 01:47:24 ID:oP+oUmqP
「まあ法律上は問題ないし、真剣に結婚を考えて交際している相手がいるというなら、学校側が止めることではないかもしれない。
だがお姉さんの将来のことを考えると、長い人生なんだし急いで結婚することもないと思う。
とはいえ、頭ごなしに大学進学を勧めるのも本人の心情を傷つけるかもしれない。そう考えて、ワンクッション置くことにしたんだ。
弟さんである君の目から見て、お姉さんは高校を卒業したらすぐに結婚する予定なのかな? 率直に話してほしい」
……やってくれたよ、あの
キモ姉貴は。
姉貴が結婚相手として念頭においているのは、まあ普段の言動から察するに俺だろう。だけど、そんなこと言えるわけがない。
てゆーか、学校の進路希望調査でこんなこと書くか、普通? 嘘でもいいから、適当に大学名を書いておけよ!
とりあえず、この場をどうやって切り抜けよう?
「えーっと、弟とはいっても姉の恋愛関係を全て把握しているわけではないんで、はっきりとは答えられないんですが……」
「つまり、ご家族の方に紹介済みの相手がいるわけではないんだね?」
紹介済みも何も、「ご家族」そのものだし。
毎日既成事実を作るための努力(=弟に対するレイプ未遂)にいそしんでいますなんて、言えるわけがないよなぁ。
「俺……じゃなくて僕が名前を言える相手はいません」
いや待て。雉野先輩が話していた男が今も存命だったら、姉貴は本気で高卒結婚する気だったのかもしれないな。
でも今現在姉貴は独り身だ。それは間違いない。姉貴の生活サイクルを見るに、俺以外に性的関係を結ぼうとしている男の存在は考えられない。
「そういうことなら、なおさら進路を考え直してもらいたい。本人の長い人生を考えても、大学で勉強することは大きなプラスになると思う。
お姉さんの成績なら、相当いい大学が目指せるはずだ。ここで学業を終わらせるのはもったいないことだよ」
ここに来て、ようやく俺は学校側が何を問題にしているかに気づいた。生徒の進学先は学校にとっての実績を意味するわけだ。営業成績と言い換えてもいい。
成績優秀な生徒にはできるだけハイレベルな大学に入ってもらいたいわけで、就職ならまだしも結婚して主婦になるなんてのは、戦力の無駄使いに他ならない。
少子化が原因の生徒数減少で高校も生存競争が厳しいから、公立とはいえ学校が経営上の理由から姉貴に進学を促すのは自然なことだ。詰ろうとは思わない。
だけど、家族からすると、本人の幸せが最優先だ。惚れた相手がいて、一日でも早く家庭を持ちたいというなら、相手が真っ当な人物である限り応援したい。
むしろ姉貴が心の傷(?)から実の弟相手に猥褻行為を働いているというのが、家族にとっては大問題なわけだが。
さて、どうしたもんだろうな。姉貴が今現在考えている「弟との結婚」を断念させるということについては、俺と学校の利害は一致するが、そんな事情は開けっぴろげにできない。
「どうかな? もし経済的理由で進学を断念するというのであれば、奨学金制度について保護者の方に説明したいが……」
「あ、そういう心配はないです」
うちは裕福じゃないが、公立に進学する分には大学まで行かせてやると両親から言われている。あくまでも問題は姉貴自身にある。
「まあ、いずれにしても近いうちに家庭訪問をして、保護者の方を交えて話し合いたいんだが」
こいつは厄介な話になってきた。担任の先生相手に「前世からの絆がある弟と結婚」云々の話をされたら、俺は二度と学校へ行けなくなる。
何か、うまい言葉が思い浮かばないか……
572 『転生恋生』第十一幕(3/5) ◆.mKflUwGZk sage 2009/07/21(火) 01:48:22 ID:oP+oUmqP
助け舟を出してくれたのは、それまで黙っていた茂部先生だった。
「いくら優等生といっても、多感な時期ですから、進路についてあれこれ思い悩むことはあるでしょう。進路希望調査に『結婚』と書く生徒は前にもいましたが、結局無事に進学していますよ。
ひとつ家族の間で話し合ってもらうことにして、学校としてはもう少し様子を見ることにしてはどうですか?」
ナイス。まさに俺の求めていた答えだ。
「しかし、進学を目指すなら受験勉強に取り組まないと……」
「焦ってもいいことはないですよ。仮に1年浪人することになったとしても、それこそ長い人生の間では大した遅れではありません。回り道もまた経験ですよ」
察するに、茂部先生は早く話を切り上げたいらしい。不機嫌そうに見えたのは、放課後に余計な時間を取られる苛立ちからだったのかもしれない。
だとしても、この場の俺にとってありがたい手助けをしてくれたことに変わりはない。
結局、脇野先生もこの場は引き下がってくれたが、俺は帰宅後に家族で姉貴の進路について話し合うという宿題を課されることになった。
「たろーちゃん、一緒に帰ろう」
校門のところで姉貴が待っていた。お互いに用事がないときは、大抵姉貴が俺に一緒の下校を強要することになる。
でも、今日は都合がよかった。姉貴と面倒な話をしなければならないからな。
しかし話の切り出し方は考える必要がある。「姉貴、進路はどうするんだ?」→「たろーちゃんのお嫁さんだよ!」なんてやりとりを往来でするわけにはいかない。
姉貴だったら、思いっきり大きな声で公言しかねないからな。
ひとまず、人通りが少ない自宅近辺にたどりつくまでは、当り障りのない話でお茶を濁そう。
そんな考えをめぐらしつつ、俺は姉貴に腕を組まされながら、学校→最寄駅→電車の道中を進んだ。
姉貴は俺に胸を押し付けながら、他愛のない馬鹿話に興じていた。傍から見たらカップル以外の何者でもない。
自宅が近づいてきた頃、周囲に人がいないことを確かめてから、ようやく俺は本題に入った。
「姉貴さぁ、どこの大学に行くんだ?」
あくまでも大学進学前提で話を切り出すことにする。俺としても、成績優秀な姉貴が大学へ進学しないのはもったいないと思う。
だが弟の心姉知らず。姉貴は物の見事にベタな声を返してきた。
「進学は考えてないよ。だってたろーちゃんのお嫁さんになるから!」
……学校を出てすぐに話を切り出さなくてよかった。俺よりずっと勉強ができるくせして、ここまでアホだとは思わなかった。
「俺は来年まだ高校3年生なんだけど」
「1年間は花嫁修業期間だね!」
「……俺は大学へ行きたいんだが」
「学生結婚すればいいよ」
「生活費はどうするのさ」
「自宅で暮らすんだから、問題ないじゃない」
「親が認めるわけないだろ!」
573 『転生恋生』第十一幕(4/5) ◆.mKflUwGZk sage 2009/07/21(火) 01:49:10 ID:oP+oUmqP
さすがに声を荒げてしまった。親に養ってもらうのが前提で結婚するということ自体がどうかと思うが、どこの世界に一つ屋根の下で姉弟が夫婦生活を送ることを認める親がいるんだ?
けれども姉貴は平然としている。
「大丈夫だよ。きっとわかってくれるよ。子供の幸せを願わない親はいないんだから、私たちの結婚を応援してくれるって」
馬の耳に念仏というが、「キモ姉の耳に良識」という新しい諺を思いついた。それでも俺は絶望的な説得を続けなければならない。
「結婚っていうけどさぁ、役所が婚姻届を受理するはずがないって」
「手続きなんかどうでもいいわよ。結婚生活の内実があればいいの」
「結婚生活の内実?」
姉貴は夢見るようなうっとりとした顔で解説した。
「私とたろーちゃんが一つ屋根の下で一緒に暮らして、子供を授かって幸せに暮らすの」
悪夢としか言いようがない。
「俺にはその気がないんだが」
「素直になれないんだね。難しい年頃なんだから」
「あのなぁ、何度も言うけど、姉貴はどこまでいっても姉貴なんだよ。結婚相手にはならないの! 俺は姉貴と子供を作る気はないからな!」
思わず声を荒げてしまったが、幸い自宅の玄関前までたどりついていた。
「姉である前にひとりの女性として扱うべきだよ、たろーちゃん。そんなこと言っちゃダメ」
ドアを開けながら姉貴が諭すように言う。天動説を唱える頑迷なカトリック信者に対して地動説を教える科学者のような、静かな自信に満ちた態度だ。
……イラつくなぁ、本当に。
「お母さん、ただいまー!」
姉貴が声をかけると、エプロン姿のお袋が出てきた。既に夕食の支度にかかっているらしい。
「お帰り。風呂沸いているから、入っちゃって」
「お母さん、聞いてよ。たろーちゃんが私を女じゃないって言うのよ。ひどいでしょ?」
おい、事実を歪曲するな。俺は姉貴が姉貴以外の何者でもないと言ったんだ。姉という字には女偏がついているだろうが。女扱いはしているぞ。
けれども、お袋は姉貴の極端に簡略化した訴えを真に受けてしまった。
「あら、それはさすがにひどいわね。家族だからって、傷つけるようなことを言ったらいけないよ」
お袋よ、18年もこのキモ姉の親をやっているんだから、どちらに問題があるのか気づけよ。
574 『転生恋生』第十一幕(5/5) ◆.mKflUwGZk sage 2009/07/21(火) 01:50:23 ID:oP+oUmqP
「いや、それは……」
それなのに、俺の弁明を聞かずにお袋は台所へ戻ってしまった。
「それじゃあ、たろーちゃん。お風呂に入ろうか」
お袋の言いつけに乗っかって、姉貴が俺を追い込もうとする。このギラついた目を見ればお袋も姉貴の方を叱ると思うんだが。
「俺はお袋に話があるんだ。姉貴一人で入ってくれ」
「じゃあ、終わるまで待ってる」
どうせお袋との話なんてとっさの言い逃れに過ぎないと決めつけているんだろう。だが、あいにく俺は真剣に姉貴のことをお袋に相談するつもりだ。
それとも、いっそのこと姉貴も同席させて
三者面談にしようか。俺の目の前でお袋からこっぴどく姉貴を叱りつけてもらうのがいいかもしれない。
「それなら、姉貴も一緒に来てくれ」
「いいよ、たろーちゃんと一緒ならラブホでも無人島でもどこにでも行くよ。てゆーか、むしろ行こうよ」
もはやいちいち突っ込む気にもなれない。
「お袋! 大事な話があるんだ。ちょっと聴いてくれ」
姉貴を連れて台所に入った俺が見たものは、下腹部を押さえて苦しそうにうずくまっているお袋の姿だった。
お袋は年に1回くらいしか風で寝込まない頑健な人だ。こんな光景見たことない。
何かの冗談か? いや、でも本気で苦しんでいるような顔だ。よく見ると額から汗をだらだら流している。
「お母さん!」
姉貴がお袋に駆け寄って抱き起こそうとする。その叫び声でようやく俺も我に返った。
「お袋……!」
動転して足が動かない。何をしていいかわからない。
「お母さん、どこが痛いの?」
お袋は俺が聴き取れないような小声で姉貴に答えた。すぐに姉貴は俺に指示を下す。
「たろーちゃん、救急車を呼んで! 右の下腹が物凄く痛むって、説明して!」
「あ、ああ……」
俺は下手な操り人形のようにぎこちない足取りで電話をかけに台所を出た。
自分がこれほどまでに突発的事態に弱いとは思わなかった。我ながら情けない限りだ。
翻って、姉貴の頼もしさにすがりつきそうになった。
救急車で病院に運ばれたお袋は、運良く速やかに診断を受けることができた。結果は虫垂炎で入院5日間だった。
つまり俺はキモ姉貴と5日間もふたりきりで生活しなければならない羽目に陥ったことになる。
最終更新:2009年07月21日 18:58