74
三つの鎖 10 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2009/12/22(火) 21:37:39 ID:JHfL/wMO
三つの鎖 10
人でごった返す廊下を私は小走りに進む。
目指すはお兄さんの教室。
さっき梓と一緒に帰ろうとすると蹴飛ばされた。
「私に変な遠慮しないで。兄さんに今日は私が晩御飯作るって伝えて」
そっぽを向く梓が可愛すぎた。
梓。ありがとう。
私はお兄さんの教室をのぞいた。いた。お兄さんは友達としゃべっている。確か耕平さんだっけ。
深呼吸をして教室に入ろうとしたそのとき。
「夏美ちゃん」
絶妙のタイミングで背後から声をかけられ、私は文字通り飛び跳ねた。
「ハハハハハハハル先輩!?」
「こーいちくーん!彼女が来てるよー!」
えええ。
「なんやて!」
驚愕する耕平さん。クラス中の視線がお兄さんに突き刺さる。
お兄さんは苦笑した。
耕平さんは我に帰るとお兄さんの肩をポンとたたいた。
「OKや。幸一。女を待たしたらアカン」
「耕平。すまない」
「落ち着いた時にでも紹介して。明日は遅刻したアカンで」
お兄さんは耕平さんに手を振って私に近づいた。
まずい。恥ずかしすぎてお兄さんを見れない。
「春子」
「あれれ?耕平君にまで隠してたんですか?」
ハル先輩がにやにやする。
「行こう夏美ちゃん」
お兄さんは私の手をつかんで歩きだした。
私の手をつかむお兄さんの手が熱い。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「夏美ちゃん。ごめんね」
帰り道。お兄さんが申し訳なさそうに言う。
私はいまだにうつむいてお兄さんの顔を見れない。
「いえ、恥ずかしいですけど大丈夫です」
いまだに私の手はお兄さんに握られたまま。恥ずかしいけど嬉しい。
お兄さんが手を離そうとするたびに、私は手をつかんでしまう。お兄さんは離さずにいてくれた。
「夏美ちゃん?」
私は顔をあげてお兄さんを見た。お兄さんの顔は無表情だけど微かに赤い。お兄さんも恥ずかしいんだ。
ちょっと悪いことしたかな。
「お兄さん。ちょっと待っててください」
私はお兄さんの手を放しソフトクリーム屋に走った。
「ソフトクリーム二つください!」
私は受け取ったソフトクリームを持ってお兄さんに駆け寄った。
「手をつないでくれたお礼です。どうぞ」
「ありがとう」
二人でベンチに並んで座ってソフトクリームを舐める。
気恥しい沈黙。
「お兄さん。怪我は大丈夫なんですか?」
昨日入院したばかりなのに。
「心配掛けてごめんね。もう大丈夫だよ」
「お兄さんって頑丈ですね」
やっぱり鍛えているからかな。
「梓も手加減してくれていたから」
お兄さんはぽつりと言った。私には分からない。でもお兄さんが言うならそうなんだろう。それに梓はお兄さんの事を嫌っていない。
「あのですね」
お兄さんを横目に見る。
「梓に叱られちゃいました。お弁当にカレーはありえないって」
75 三つの鎖 10 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2009/12/22(火) 21:40:54 ID:JHfL/wMO
お兄さんはわずかに微笑んだ気がした。
「お兄さんにカレー弁当を食べさせたら承知しないって」
これは梓なりの応援なんだろう。お兄さんにお弁当を持っていってもいいと。
「夏美ちゃん。ありがとう」
お兄さんは私の方を向いた。
「夏美ちゃんのおかげで梓と仲直りできた」
「そんな事ないです」
これは私の本心だ。
「もともと嫌っていなかったんですから」
私はコーンをかじった。お兄さんもコーンをかじった。かりかりという音。
なんだか少し面白かった。
お兄さんは立ち上がり私に手を差し伸べた。
私はびっくりしてしまった。お兄さんは顔を少し赤くしてそのままの姿勢。
すごく嬉しい。
私はお兄さんの手をつかんで立ち上がった。
お兄さんの手は温かかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夜、僕は春子の家のチャイムを押した。
「はーい」
聞き覚えのある声がして扉が開く。
「あら幸一君」
村田のおばさんが出てきた。春子のお母さん。
「夜分遅くに失礼します」
「春子から聞いているわ。遠慮しないで上がって」
にこにこしながら手招きする。僕は目礼してお邪魔した。
「はるこー。幸一君が来たわよ」
とたとたという階段を下りる音と共に春子が階段を降りてきた。
「幸一君いらっしゃい」
春子は笑った。いつもより嬉しそうな笑顔。
「幸一君が来るのも久しぶりだね」
そうかもしれない。最後に来たのはいつだろうか。
「お母さんもお父さんも寂しがっているから、たまには来てね」
僕は村田の家には昔からお世話になっている。特におばさんには本当にお世話になった。
「はいはい。春子。あんまり幸一君を困らせちゃだめよ」
おばさんがお盆を片手に声をかける。お茶とせんべい。僕の好きな茶菓子。
「ありがとうございます」
僕はおばさんからお盆を受け取った。
「ゆっくりしていってね」
おばさんは笑った。少し歳ととったけど、明るい笑顔は変わらない。春子によく似た笑顔。
僕と春子は二階の春子の部屋に入った。
「適当に座って」
部屋は少し散らかっている。相変わらず変なものが多い。一番目につくのはでっかいコンピューターの乗った机だろう。横長のディスプレイが三枚もある。
昔から春子は変なものを通販で購入するのが好きだった。手首に鈍い痛みが走る。もう傷は完治して跡もない。あの時の手錠も戯れに購入したのだろうか。
春子のお父さんはソフトウェアの会社を経営している。おじさんも現役のSE兼プログラマーで、経営は他の人にまかして今でもソフトウェア作成にかかわっている。春子もその影響を受け、コンピューターには詳しい。
「すごいでしょ?」
僕の視線の先に気がついたか、春子は誇らしげに言う。
「けっこう最新のパーツで組んでいるよ」
僕はお盆をちゃぶ台に置いた。
「それで」
僕はそっけなく言った。夜もけっこう遅い。思い出したくもないが、聞かないわけにはいかない。
あの夜、何で僕を襲ったのか。
「私は幸一君が好き」
春子の言葉。
「何度も聞いた」
昔から耳にたこができるほど言われた言葉。
「私ね、梓ちゃんが羨ましかったんだ」
僕は耳を疑った。
「梓ちゃんが幸一君を手に入れたのが羨ましかった」
76 三つの鎖 10 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2009/12/22(火) 21:43:34 ID:JHfL/wMO
春子は。
「私も幸一君が好きなのに」
何を言っている。
「だからね、私も梓ちゃんと同じことをしようと思ったんだ」
春子は笑う。嬉しそうに。
「春子。僕が好きというのはどういう意味だ」
弟としてなのか。男としてなのか。
春子は首をかしげた。
「それね、お姉ちゃんにもよく分からないんだ」
そう言って春子は立ち上がった。
「男として好きなのか、ずっと面倒を見てきた弟として好きなのか。お姉ちゃんにもよく分からないよ」
目を閉じて胸に手を当てる春子。
「ただね、一緒にいたい。どんな形でもいい」
そう言って笑う。いつもの笑顔。
「本当はね、恋人同士が一番いいと思うよ。何の問題もなく一緒にいられるもん」
「だったら何で」
僕にのしかかる裸の春子が脳裏によみがえる。何であんな事を。
「だって幸一君は私の事を女として見てないもん。ずっと一緒にいたから分かるよ」
春子は僕を見て悲しそうに笑った。
「私ね、梓ちゃんの気持ちがよく分かるんだ」
梓。僕の大切な哀れな妹。
「梓ちゃんと私も同じだよ。どれだけ好きでも、その気持ちは絶対に報われない。だって」
春子は寂しそうに笑った。
「梓ちゃんは妹で、
私はお姉ちゃん。幸一君はずっとそう思っているもん」
「それでも」
僕は口をはさんだ。
「それでもあんな事をする必要は無い。好きなら、振り向いて欲しいなら、他の方法があるはずだ」
夏美ちゃんが脳裏に浮かぶ。等身大の姿で僕に接してくれた大切な人。
「そんなの無理だよ」
春子は悲しげに首を横に振る。
「だって今の私が何をしても幸一君にとってはいつもの事でしょ。どうしたらいいかなんて分からないよ。幸一君もひどいよ。ずっと私にそっけなくて。梓ちゃんにべったりで」
胸が痛む。僕のせいなのか。
「ずるいよね。私も幸一君と一緒にいたいのに。梓ちゃんは妹なのに。いつも一緒なのに。それなのに幸一君を従わせて」
「春子」
「分かってるよ。ううん。むしろ感謝している。梓ちゃんのおかげで幸一君は立派になったもん」
春子は寂しそうに僕を見た。
「幸一君。好き」
突然の告白。
「恋人でなくてもいい。愛人でもいい。幸一君の都合のいい女でいい。だから私をそばにいさせて」
僕は姿勢を正して春子の顔を見た。
「僕を好きと言ってくれるのは嬉しい。でも、春子の気持ちにはこたえられない。僕には好きな人がいるから」
夏美ちゃんの笑顔が脳裏によぎる。春子は寂しそうに笑った。
「あの夜の事は、僕は忘れる」
「幸一君。一つだけ教えて」
春子が僕を見つめる。悲しさと寂しさがごちゃ混ぜになった表情。
胸が痛い。
「もしだよ、幸一君が夏美ちゃんと付き合っていなくて、あの夜の事が無かったら、お姉ちゃんの告白を受け入れてくれた?」
僕は即答できなかった。
「もしもの話には答えられない」
分かっていた。きっと僕は断っただろう。春子とはずっと一緒にいた。今さら恋人という関係は想像つかない。
今なら春子が僕を振ったのもわかる。結局、僕たちは血がつながっていなくても
姉と弟。男と女の関係にはなれない。
「そうだよね」
春子は寂しそうに笑った。
僕は立ち上がった。もう用事はない。寂しかった。春子とはもう今まで通りの関係ではいられない。
昔から僕と梓の世話を焼いてくれた女の子。一番身近にいた幼馴染。何度も助けてくれた大切な人。
血はつながっていなくても、春子は僕にとって姉だった。その関係がこんな風に終わるなんて思わなかった。
「待って」
春子が僕を呼びとめた。
「幸一君の言葉で決意できたよ。私が幸一君を手に入れるにはやっぱりこの方法しかないって」
春子はパソコンに向かった。キーボードを押すとディスプレイがつく。
77 三つの鎖 10 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2009/12/22(火) 21:48:52 ID:JHfL/wMO
「お姉ちゃんね、梓ちゃんと同じことをするって言ったでしょ?」
キーボードを操作する春子。メディアプレイヤーを起動する。
「これを見て」
ディスプレイに目を移す。
僕は戦慄した。
全身の血液が沸騰した。
ベッドの上で絡み合う男女。
『ひうっ、ひゃあっ、あんっ、あうっ、んあっ、おにいさっ、ひうっ』
スピーカーから喘ぎ声が漏れる。
映像は鮮明だった。誰が何をしているか、はっきり分かるほどに。
「ふふふっ、幸一君もすごいよね。夏美ちゃんも初めてだったのにあんなに気持ちよさそうにしてるよ」
春子の声が近いのに遠い。
「でも夏美ちゃんを気持ちよくできたのはお姉ちゃんで練習できたからかな」
信じられない。何が何だか分からない。
「ふふふ。すごく大変だったよ。普通のビデオカメラだと画像が粗いからね。覚えてる?昔高性能なカメラを購入したのを。試合とかいっぱい撮影したよね。いちばん大変だったのは設置かな。でも良く撮れているでしょ?」
春子の言うとおり映像は鮮明だった。誰なのかはっきり分かる。僕と夏美ちゃんが一糸まとわぬ姿でベッドで抱き合っている姿。
「春子」
僕は春子を見た。嬉しそうな顔。とっておきの悪戯を仕掛けたような笑顔。
「なんで?なんでこんなことを?」
春子は立ち上がった。
「ふふふ。茫然としている顔も可愛いよ」
春子の白い手が僕に伸びるのを僕は無意識に後ずさり避けた。
「言ったでしょ?お姉ちゃんね、梓ちゃんが羨ましかったんだ。だって梓ちゃんは幸一君を従えてそばに縛り付けたから」
春子は俯いた。唇をかみしめている。
「あれからお姉ちゃんね、すごく寂しかったよ。幸一君はずっと梓ちゃんにつきっきりで、梓ちゃんしか見てなかったから。お姉ちゃんを見てくれなくなったから」
自分を抱きしめ震える春子。切なげなため息。
「どうしたら昔みたいに戻れるかお姉ちゃんね、いっぱい考えたよ。幸一君に女の子を紹介したら幸一君も梓ちゃんから離れるかと思ったけど、幸一君にそんな意志はなかった」
自分んの体を抱きしめ震えながら春子は憑かれたように喋り続けた。
「ただね、幸一君が女の子と話しているのを見た梓ちゃんがすごく苛々しているのは分かったから、もしかしたら何か変化するかもしれないって思っていた。夏美ちゃんを手伝ったのも何か変化を期待してだよ」
夏美ちゃんの太陽のような明るい笑顔が脳裏に浮かぶ。
「夏美ちゃんは梓ちゃんと一番仲がいいお友達だし、梓ちゃんも動揺するかと思っていたよ」
春子は自分を抱きしめて震えた。
「でもね、まさか幸一君が夏美ちゃんと付き合うなんて夢にも思わなかったよ。お姉ちゃん本当にびっくりしたし、すごく焦ったよ」
大きなため息をつく春子。
「でね、お姉ちゃん考えたよ。リビングで幸一君が夏美ちゃんの髪をといている間一生懸命考えた。そして思いついたんだ。幸一君の弱みを握れるって」
春子は嬉しそうにディスプレイを撫でた。
「幸一君は優しくて賢いから。こうすれば幸一君はお姉ちゃんに逆らえないでしょ?」
僕は歯を食いしばった。荒れ狂う感情を抑え春子を睨みつける。
「もし、もし逆らえばどうするつもりだ?」
「分かっているでしょ?これを学校に送れば夏美ちゃんと幸一君は退学だよ。ネットにばらまいてもいいかな。哀れな世界中の童貞君が二人の情事を見て自分を慰めるようになるよ」
想像するだけでおぞましい。僕は体の震えを必死に抑えた。
「ふふっ、ふふふっ。幸一君のその表情可愛いよ。お姉ちゃんぞくぞくするよ」
春子はうっとりと僕を見た。その視線に背筋が寒くなる。
「僕と梓の和解を手伝ってくれたのはこれが目的なのか?」
「もちろんそれもあるよ。でもね、お姉ちゃんは梓ちゃんも好きなんだよ。可愛い妹だもん。だから幸一君と仲良くしてほしかったのも本当だよ」
春子はにっこりと笑った。いつもの明るい笑顔。僕と梓を見守ってくれた笑顔。
知りたくないことを知るなかで、一つ疑問が残った。
「あの日、なんで僕を犯した」
春子の言うことがすべて正しいなら、あの日無理に僕に迫る必要はない。僕を犯す必要も。脅迫の材料を手に入れてからで全てがすむ。
なのに春子は何で。
「分からないの?」
春子は僕を見て恥ずかしそうに微笑んだ。
「幸一君の初めての相手が他の女の子なんて我慢できないよ」
手を伸ばす春子の白い腕を僕は払った。春子は悲しそうに笑った。
「それにね、もしかしたらお姉ちゃんの魅力に幸一君が我慢できなくなるかなって思っていたんだよ」
寂しそうに春子は笑った。
78 三つの鎖 10 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2009/12/22(火) 21:51:59 ID:JHfL/wMO
「駄目だったけどね」
春子はそう言って椅子に座った。
「明日この時間に来て。明日はお父さんもお母さんも家にいないから」
僕は何も言わずに春子の部屋を出た。これ以上何も言いたくなかった。口を開けば叫んでしまいそうだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
下でおばさんに会った。
「夜遅くまですいません」
「いいのよ。遠慮しないでね」
おばさんは明るく笑った。
「幸一君。彼女ができたって本当なの?」
「はい」
春子から聞いたのだろう。
「春子が寂しがっていたわ。彼女が嫉妬しない程度にはかまってあげてね。春子は一人っ子だから梓ちゃんと幸一君が可愛くて仕方ないのよ」
面白そうにおばさんは笑った。
「はい」
僕はそう返事するだけで精いっぱいだった。
言えない。僕と春子に何があったのか。春子が何をしたのか。何をしようとしているのか。絶対に言えない。
僕の様子に何か感じたのか、おばさんは心配そうに僕を見た。
「春子と何かあったの?」
「いえ、何も」
「そう。何か困ったことがあったらいつでも相談してね」
できない。絶対に。
「梓ちゃんとご両親によろしくね」
僕は礼を言って家を出た。
村田のおばさん。僕の事を昔から大切にしてくれた。僕にとっては京子さんと同じもう一人の母。春子の事を知るとどれだけ悲しむだろうか。
絶対に気がつかれてはならない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
あ…ありのままに今起こった事を話すで!
梓ちゃんは兄を毛嫌いしているかと思っていたらいつの間にかブラコンになっていた。
何を言っとるのか分からへんかもしれへん。俺も分からんわ。
自己紹介がまだやったな。
俺は田中耕平。加原幸一のクラスメイトや。親友と言っても過言でない関係やと俺は思っとる。影が薄いのは仕方がないわ。勘弁してな。
話の始まりは今日の朝や。そっから順に説明するわ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
朝、幸一はなんか元気が無さそうにみえた。
見た目はいつもどおりや。せやけど俺みたいに付き合いが長い人間は何となくわかる。
せやけど幸一が何も言わへん以上、こっちからは何も尋ねへん。俺と幸一はそういう関係や。
こいつは昨日珍しく遅刻して昼前から登校した。それも関係あるかもしれへん。
そんな事を思いながらもお昼休み。
俺はいろんな奴と飯を食う。学食んときもあるし、コンビニのパンの事もある。
幸一はいっつも妹さんにお弁当を届けに行く。どう考えてもシスコンの行動やけど、幸一は梓ちゃんが朝早く弁当を受け取らずに出て行くからと言っとる。中学の時、幸一が柔道部辞めてからもそうやった。
これは俺が昔から疑問に思ってた事や。梓ちゃんはどう考えても兄貴である幸一をきらっとる。せやのに弁当を届けさせるのは納得いかん。まあそれは置いとこ。
今日の幸一は座ったままやった。
「今日はどないしたん」
俺は幸一に声をかけた。いつも妹さんの教室に届けに行くやろ。
「梓がお弁当を届けてくれるから待っている」
正直言うで。俺は耳を疑ったわ。
別に変ちゃうやろ?って思った奴は幸一の妹がどんな奴か知らへんからや。
こいつの妹の梓ちゃんは見た目は細くて長い髪をポニーテールにした美人や。すごく大人しそうで抱きしめたら折れそうな感じ。胸はぺっちゃんこやけど。
せやけど幸一にはめっちゃきつい。口を開けば変態シスコンと罵声が飛ぶ。一時期、俺は幸一が妹に罵倒されて喜ぶ変態かと真剣に考えとった。まあ詳しくは知らへんけど、何か事情があるんやと思っとるわ。
そんな梓ちゃんが兄貴に弁当を持ってくる。わっつ?
「今日はお前が弁当作ったんやないんか」
「今日は梓が作ってくれた」
いっつもお前が梓ちゃんの分も作ってるやろ。
79 三つの鎖 10 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2009/12/22(火) 21:55:00 ID:JHfL/wMO
幸一が元気ないように見えるんも、この異変が関係しとるのか。
俺はついとるで。今日はコンビニのパンや。親友として梓ちゃんのお弁当を見るチャンスや。
待つこと数分。パタパタと廊下を走る足音。
「兄さん!」
梓ちゃんが教室に飛び込んできた。
何て言うか、初めて見る梓ちゃんや。いっつもはめっちゃ不機嫌そうやけど、今は輝くような笑顔や。なんて言うか恋する乙女って感じやで。
幸一は立ち上がって梓ちゃんに近づいた。
梓ちゃんは二つの弁当を机に置いて幸一に抱きついた。
そう、梓ちゃんは幸一に抱きついた。ハグ。
俺は目を閉じて天を仰いだ。疲れとるんかな。幻覚が見えるで。
目を開けてクラスを見まわした。クラスメイトは驚愕しとる。幻覚やないみたい。
他の奴らも梓の事は知っとる。一度教室で幸一の事をめっちゃ罵倒したからや。怖かったで。梓ちゃんに声をかけた時は恐怖にちびりそうやったわ。あの日以来、俺のあだ名は勇者や。
その梓ちゃんは嬉しそうに幸一に頬ずりしてる。幸一は固まっていた。驚愕の表情。いつも冷静な幸一にしては珍しいわ。
「にーさん。うきゅー」
梓ちゃんは幸一に頬ずりしながら甘えた声を出す。めっちゃ幸せそう。
「梓。離れて」
我に帰った幸一が声を出した。
「あ。ごめんね兄さん」
梓ちゃん素直に従った。弁当を幸一に渡す。
「はい兄さん。味わって食べてね」
恥ずかしそうにはにかみながら弁当を渡す梓ちゃん。あかん。めっちゃ可愛い。
「ありがとう」
幸一は素直に礼を言って受け取った。
「兄さん!嬉しい!」
梓ちゃんは幸一に抱きついた。固まる幸一。
あかん。ちょっと眼科に行ってくる。
再びパタパタと廊下を走る音が。
「おにーさん!一緒にお昼御飯食べましょう!」
女の子が入ってきた。そして絶句する。
確か夏美ちゃんやな。梓ちゃんと同じクラスの。何度か見たことあるわ。この子はまあ元気系な女の子や。結構可愛い。胸は普通。
昨日、村田が幸一の彼女とか言ってたわ。詳しくは聞いてへんけど。
いや待て。これってまずい状況ちゃう?
「こらー!お兄さんに何してるの!」
顔を真っ赤にして叫ぶ夏美ちゃん。
梓ちゃんは無視して幸一に頬ずりを続ける。
「兄さんあったかい」
訂正。聞いてないみたいや。てかその行動が村田にそっくりやで。
「あーずーさー!」
顔を真っ赤にしてぷりぷり怒る夏美ちゃん。お、可愛いかも。
「梓。お願いだから離れて」
困り果てたように言う幸一。
「あ。ごめんね兄さん」
梓ちゃんは素直に離れた。
「もう梓ったら」
「あ。夏美。ごめんね」
夏美ちゃんに気がついた梓ちゃんが素直に謝る。
「梓ちゃん。人前でべたべたしちゃだめだよ。幸一君も困ってるよ」
村田が梓に注意した。
こいつは村田春子っていうて、幸一の幼馴染やわ。なんでも一日だけ早く生まれたらしく、いっつもお姉さんぶって幸一に接する。
まあ今回の村田の言う事は最もやけど、お前が言える言葉かいな。最近は無いが、村田も幸一にべったりやった。
「ささ。お昼御飯にしよ」
村田が促す。
男一人に女三人。せやけど俺は羨ましくないわ。いや、これはマジで。
俺はクラスを後にしようと思った。事情は気になるけど、あの場はヤバイ。
「耕平。一緒にご飯を食べようよ」
せやのにうちの親友は余計な事をしよる。
断ろうと幸一の方を見ると、アイコンタクト。幸一の眼が切実に訴える。タスケテ。
しゃーない。
「じゃあハーレムにお邪魔するで」
どっちか言うたら牢獄っぽいけど。
80 三つの鎖 10 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2009/12/22(火) 21:59:12 ID:JHfL/wMO
机を囲んで五人で座る。
「おにーさん。あの、お弁当作ったんです」
恥ずかしそうにもじもじする夏美ちゃん。初々しい感じがめっちゃ可愛い。
「よかったらどうぞ」
夏美ちゃんはそう言って弁当を幸一に差し出す。
おっと。幸一どないするんや。もう梓ちゃんの弁当あるやろ。
「ありがとう」
受け取るんかい。そういやこいつデカイしな。身長は190近くある。それぐらい食えるか。せやけど気のせいか、幸一が切実そうだ。やっぱ弁当二つはきついんか?
幸一はまず梓ちゃんの弁当を広げた。梓ちゃんの弁当はスタンダートな和風弁当。魚の塩焼きなどのおかずが入っている。普通にうまそうや。
俺は寂しくパンの袋を開けた。
「いただきます」
すごい勢いで食べる幸一。二つあるしな。
「幸一君。のどを詰まらせないでね」
村田が注意するほど。
女子三人も弁当を開いた。
いい匂いが。弁当を開いた時に決してしてはいけないおいしそうな匂い。
クラス中の視線が突き刺さる。
夏美ちゃんの弁当からその匂いは漂う。
「いただきまーす」
夏美ちゃんはスプーンをつかんだ。スプーン?
突っ込みたいがスルーした。この場を乗り切るにはスルーしかない。
無言でお昼が進む。誰一人突っ込まない。あかん。めっちゃ突っ込みたい。
「梓。ごちそうさま」
梓ちゃんの弁当をたいらげた幸一が梓ちゃんに弁当の箱を渡した。
「おいしかったよ」
嬉しそうに梓ちゃんは微笑んだ。すごく素敵な笑顔や。梓ちゃんは綺麗やけど険のある美人やった。今は本当に可愛い輝くような笑顔や。
続いて幸一は夏美ちゃんの弁当を開く。再びいい匂い。
「いただきます」
スプーンをつかみ食べ始める。
「お兄さん。味はどうですか?」
夏美ちゃんは恐る恐る尋ねた。
「おいしいよ夏美ちゃん」
微笑む幸一。いつも通りの笑顔やけど、付き合いの長い俺には心の中で幸一がひきつっているのがはっきり分かる。
「お兄さんお魚が好物って聞いてシーフードカレーにしました」
嬉しそうに夏美ちゃんは言った。
そう。夏美ちゃんの弁当はカレーやねん。弁当にカレーはないやろ。
「夏美。カレー弁当を兄さんに作ったら怒るって言ったでしょ」
「だからお兄さんの好きな魚を入れたシーフードカレーだよ」
思った以上に変な子かもしれへん。幸一も大変やろな。
勇者のあだ名は譲ったるわ。勇者の名は幸一にこそふさわしい。いや、まじで。
昼食が終わってとりとめのない事を話す。
「なあ幸一。夏美ちゃんと付き合ってるんか?」
夏美ちゃんは顔を真っ赤にした。分かりやす過ぎるでこの子。
「うん。耕平には伝えてなかった。僕の恋人だ」
男らしくはっきり言う幸一。
俺は正直驚いた。こいつは昔からそこそこもてたし、村田が何度か紹介してたのも知ってる(村田に女が頼んだらしい)。せやけど男女の関係に発展したことはない。
「そっか。夏美ちゃん」
「はひっ」
どんな返事やねん。
「こいつの事よろしく頼むで。こいつはええ奴やけど、アホな奴やからしっかり見張ってな」
「はい」
澄んだ声。意志の強さを感じさせる。最初は不安定そうに見えたけど、幸一の恋人だけあって芯は強いみたいや。
「幸一。お前には勿体ない子やな」
「耕平の言うとおり」
幸一は苦笑した。
「夏美ちゃん。こいつに関して心配事があったらいつでも言ってな。相談に乗るで」
頷く夏美ちゃん。俺は妙に饒舌やった。幸一に彼女ができたのが素直に嬉しかった。
「梓ちゃんもあんまし幸一に迷惑掛けたらあかんで」
「わかってます」
少し不服そうに答える梓ちゃん。
81 三つの鎖 10 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2009/12/22(火) 22:02:36 ID:JHfL/wMO
村田には何も言わなかった。以前みたいに幸一にべたべたするなら問題やけど、今はそんな事もないし注意するこた無いと思ったんや。
ずっと後になって思えば、それは勘違いやった。ホンマに後悔してる。
でもそん時の俺は何も知らなかった。お昼時間は和気あいあいと楽しく終わった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「まったく。梓にはびっくりです」
放課後、私はお兄さんと二人で帰っていた。私の言葉にお兄さんは苦笑した。
「僕も驚いたよ」
確かに今日のお兄さんは梓に抱きつかれ珍しく固まっていた。なんかちょっと腹が立つ。
「でも、小さい時の梓はあんな感じだったから」
うーん。梓は昔からブラコンだったのか。
「でも梓の気持ちもちょっと分かります。お兄さんみたいな素敵な人が小さい時からそばにいたら、私でもブラコンになります」
私の言葉にお兄さんは苦笑した。
「ほめてくれるのは嬉しいけど、昔の僕は最低な男だったよ」
「私は昔のお兄さんを知りませんけど、今のお兄さんは知っています」
私はお兄さんを見た。きれいな瞳。
「今のお兄さんは誠実で、素敵な人です」
お兄さんは苦笑した。あれ?何でだろう。一瞬だけど違和感を感じた。
「ありがとう夏美ちゃん」
私の頭を兄さんの手が優しくなでる。温かくて大きな手。
「むー。高校生の女の子の頭をなでるってなんか子供扱いされているみたいです」
「え。ごめん」
慌ててお兄さんが手を離そうとするのを私は押さえた。
「でもお兄さんなら許しちゃいます」
だって気持ちいいんだもん。
私を見つめるお兄さん。ちょっと恥ずかしい。
やっぱりだ。気のせいかと思ったけど、お兄さん何か悩んでいるのかな。見た目は全然いつも通りだけど、
なんとなくそんな気がする。
うーむ。どうしよう。私の勘違いかもしれないし、お兄さんが私に何も言わない以上、私も何も言わない方がいいのかな。
「お兄さん」
でもこれだけは伝えたい。
「私はお兄さんをいつでも信じています」
私の気持ち。
「お兄さんも自分を信じてください」
お兄さんは微笑んだ。
「夏美ちゃん。ありがとう」
私にはその笑顔の裏で何を考えているのか分からなかった。お兄さんを少し遠く感じる。
でもいいや。私たちはまだ付き合い始めて数日だもん。お兄さんとの距離は少しずつ縮めていけばいい。
わたしたち二人の時間はこれからなのだから。
最終更新:2010年01月07日 20:24