ロシアの星空
今日、インデックスを救うため打倒フィアンマを胸にした上条が、見渡す限り雪で埋め尽くされついた平原を車で移動していると、突然彼の前にビリビリ中学生こと御坂美琴が現れた。
始めは、上条は彼女がこんな戦場の真っ只中に来たことに対して怒った。
こんな危険に溢れているようなところに、わざわざ彼女から一人で来るのは余りに異常で危ないのは目に見えていたからだ。
彼女が学園都市の超能力者の第三位だからって、そんなものは何も関係ない。
どれだけ周りが彼女をチヤホヤして、最強の電撃使いだの、敵なんていないなどとまくし立てても、まだ14歳のか弱い女の子でしかない。
そう考えるのは上条くらいのものなのだが、とにかく路地裏の不良との戦いのようなものが可愛くすら思えるこの場所は、余りに危険すぎる。
だから上条は美琴を怒ったのだが、彼女は此処に来た理由を淡々と話していき、それはしっかりと上条の心に届いた。
来たことには未だに怒ってはいるものの、来てしまったのだから仕方ない。
一旦同行することは許可した。
このまま彼女一人で帰らせるのは、恐らく上条とともに行動するよりも危険。
何度でも言うが、ここは危険に満ち溢れている戦場。
彼女が帰るまでの道中何があるかわかったものではない。
そういう経緯もあって、今は上条はレッサーと美琴という女の子を二人侍らせて移動中。
美琴は何故レッサーのような女の子を連れているのかと、彼を小一時間問い詰めようとしたが、先を急いでいる状況が状況なだけに、そこは空気を読んで敢えてのスルー。
彼女はレッサーと少し話すことでそれをそれとなく探ろうとしたが、見かけによらず簡単には漏らしてくれない。
何かにつけて『彼女さんでもないのになんでそんなうるさいのですか?』とか『私は彼の側にいたいからいるのですけど、何が悪いのですか?…彼女でもないのに』など、美琴の痛いとこをついてのらりくらりと質問をかわしている。
そんな会話があったからか、あまり美琴はレッサーに対して良い印象は持てなかった。
恐らくちゃんと話せば普通に良い子なのだろうということも美琴は思っていたが、如何せん初対面時の会話が悪すぎた。
移動中、二人の間に流れたちょっとした険悪な雰囲気に気を悪くした上条が仲裁に入ろうとするも、あっさりと撃沈。
乙女同士の喧嘩は怖いものなのだと痛感した出来事だった。
とにかく今はその二人の間に良い空気は流れていない。
そんなこんなで夜になり、移動中の車は一日中運転をしていた運転手を一時休ませるために最寄りの安心できる街に停泊中。
今の時間は普通なら誰もが寝静まるくらいの時間。
時期的には11月くらいだが、外は日本の真冬を思わせるほどの寒さ。
そんな中、上条は皆が泊まっている宿の外に出て、近くにある座れる場所に腰を下ろしていた。
(ここの空、今までゆっくり見てなかったけどかなり澄んでるんだな…)
彼が今はすっかり暗くなった空を見上げると、そこには満天の星空が広がっていた。
ここはロシアの中でも辺境と言える土地。
高層ビルなどが立ち並び、人工の光で満ちた学園都市とは違い、夜には街全体を闇が覆い尽くしている。
さらにこの辺りは寒冷地特有の針葉樹があちらこちらで見られ、工場などのようなものはあまり見当たらない。
だから学園都市から見える星空よりもはるかに鮮明に星を見ることができる。
(俺は、フィアンマを倒して、アイツを、インデックスを助けることができるのだろうか…)
上条は今日目の前に現れた男、フィアンマのことを思い出していた。
あの男は自分に圧倒的とも言える力を見せつけて、ミーシャを連れ去った。
学園都市では目に見えて不調だったにもかかわらず、大苦戦を強いられたヴェントすらあっさり退けるほどの力を見せつけて。
一方通行との戦いによって、自分がどうするべきかを再認識し、必ずフィアンマを倒して、インデックスを救い出し、彼女に謝ろうと思っていた。
だが冷静に、冷静に考えて今の自分が、果たしてフィアンマ打倒を果たすことができるのか?
今日全く以て歯が立たなかったアイツを…
時間が経って、冷静に分析すればするほど勝機は見えてこない。
あの一方通行が手を貸してくれれば、などと思ったがそれは明らかに無理なこと。
彼にだって打ち止めを守るという重大な使命がある。
久しぶりに彼に会って、正直彼の言っていることにはとても驚いたが、それに対して別に何ら違和感は覚えなかった。
誰にだって、誰にも譲れない、護りたいものは存在する。
あの悪魔のような実験を経て、何らかの出来事が起き、彼にそれができたのだろう。
でなきゃ妹達の一人である打ち止めを護りたいなんて言うはずがない。
とにかくそんな無理難題を考えてしまうほど、上条は不安を覚え、切羽詰まっていた。
「何をそんな辛気くさい顔してんのよ。アンタらしくない」
不意にぼーっと空を眺めていた上条に声がかかる。
彼が振り向いた先には今日目の前に現れた少女、御坂美琴がとても大きな毛布を持って立っていた。
彼女は上条に近寄ってきたかと思うと、彼の右隣にどかっと座り、その手に持った毛布で二人を包んだ。
「こんな寒いのに外でてたら風邪ひくわよ?」
「そう言いながらお前は長居する気満々じゃねえか。こんな毛布まで持ってきて…」
「だってこっちに来てからアンタと話す機会がないんだもん。だから話でもしようかと思ってね」
にしても寒いわねと付け加え、毛布に引き寄せた。
二人の間は零距離というわけではなく、こふし三つほどの微妙な間がある。
これでも彼を意識し始めて間もない彼女にとっては頑張った方。
「寒いなら俺毛布いらねえよ。俺はそんな寒くないし」
「やだ」
「お前な、寒いんだろ?まだこっちに慣れてないんだから無理するな」
「やだって言ったらやだなの」
「はぁ……じゃもっとくっつけよ、変に間空いてたら逆に寒いだろ」
「わ、わわっ!!」
上条は微妙な間を空けていた美琴を自分の方へ寄せ、互いの体温を感じ取れるほどまでに密着する。
これなら俺もお前も寒くないだろ、と彼は少しだけ満足げ。
対する美琴は、急にわざと空けていた間を詰められ、今や好きな人とはっきり認識するまでに至った彼と密着することで困惑していた。
もちろん顔は当然のように赤くなっている。
「わ、私は別に…これは仕方なくであって…だから、その…他意はなくて…」
「くっつくのが嫌なら一人で毛布使うか、部屋に戻るなりしろよ」
「べ、別に嫌とは言ってないでしょ!だだ、その…急だったから…」
「あーはいはいそうですか」
「何よその反応は!」
素っ気なく対応する上条に、美琴は怒鳴って応じる。
彼は時には本当にどぎまぎするような優しさを見せるが、冷たく素っ気なく扱ってくる時がある。
恐らくは今彼は気が立っているのかもしれない。
美琴が声をかける前に見た彼の顔はどこか悲しそうな、それでいて辛そうな表情だったから。
彼女はそれを考えると、次に言おうとしていた言葉を口に出すのを躊躇った。
二人の間に少しの間だけ沈黙の時間が流れる。
「………なんで、来たんだよ。こんなところに」
少し黙っていた彼が再び口を開いた。
その口調は真剣そのもの。
「……会った時に言ったじゃない。私はアンタに―――」
「会った時にも言ったが、ここは今世界で起きている戦争の戦場だぞ?危険なんだぞ?死ぬかもしれないんだぞ?それなのに、なんで、なんで来たんだよ…!」
彼の言葉は心から美琴の身のことを考えてのものだろう。
その言葉には混ざりっ気なぞ少しもない、だだ真っ直ぐに彼女を心配していることを明示していた。
だが心配しているということに関しては、美琴だって負けてない。
「私だって、アンタのことがすごく心配だったからここに来た。こんな危険なところにアンタがいて、アンタが……殺されちゃうかもしれない計画を知ったら、じっとなんかしてられないわよ。……それに、私は超能力者よ?私だって力になれるし、なりたいのよ」
「これは遊びじゃないんだぞ?……お前の強さは誰よりも知っているつもりだ。それでも、ここでは人が簡単に死んでゆく、相手も死ぬ気で襲いかかってくる。学園都市とは環境がまるで違いすぎるんだ。お前の強さが、時に悪い方にでることだってあるんだ」
「それはアンタにも言えることじゃない」
「けど!」
互いが等しく強く互いを心配して、それはどちらも譲れない。
この先どんなことが起こるかわからないところへ、美琴を連れて行くのは正直嫌な上条。
はたまた彼が殺されるかもしれないということで、彼を絶対守ると心に誓う美琴。
それは今の二人の行動の根底を成すところ。
そしてその思いの強さはどちらとして譲っていない。
「はぁ、こんな話をするために来たんじゃないんだけどな……」
「……じゃあ、どんな話しに来たんだよ。こんなクソ寒い時に…」
上条は美琴の座る方とは違う方へと視線を移し、ため息混じりに呟いた。
ここしばらく一人になる機会があまりなかった彼としては、こういう一人でぼーっとする時間は最近ない。
今夜彼が起きて宿を抜け出してきたのも、この休息が運転手を休めるのも、自分の体を休めるのにも大切だとわかっていながら、立ち止まってる場合じゃないという焦りがあり、眠れず起きてきただけ。
それが結果的に久しぶりの一人だけの時間となり、これからのことをまとめていた。
だがそれもまだ途中。
途中のところを彼女が訪れてきたので、早く行ってほしいという気持ちが彼の中に少なからずあった。
それ故に、上条はいつもより彼女に対して冷たくあたってしまう。
まとめていた考えが悪い方向に向かっていたことも、相乗効果として表れていた。
「アンタの顔を見るまでは、正直な話なかったわ。なんとなく話がしたいなぁって思ってただけだった。……だだ、アンタの顔を見たら気が変わったわ」
「何だよそれ…」
「私は、どういう理由でアンタがここにいるのかは知らない。聞ければ聞きたいけど、どうせアンタは言わないんでしょうね。大方、誰かを救うため、とかなんだろうけど。……そんな私が言うのもなんだけど、うじうじ迷ってるのはアンタらしくないんじゃないの?」
「!!」
「私がさっきアンタの顔を見た時、アンタは不安そうな顔をしてた。それだけ悩むんだからきっと相当のことなんだと思う。けどね、私が知ってる……私が、す、好きな、上条、当麻は、そんなことでは立ち止まらず、誰かのためには真っ直ぐ人。だからそんなの、らしくないわよ…」
「……ぇ?」
上条からみれば、美琴の発言は先ほどまでしていた考えことの核心をついていた。
上条はインデックスを救えるか不安だった。
上条は無事にフィアンマ打倒を果たせるか不安だった。
彼のその最終目的こそ美琴は知らず、その難易度も彼女は知らない。
それでも迷っていたのは確か。
彼はそれを顔に出していたつもりは皆無なのだが、彼女によってそれはあっさりと見破られている。
いつもの上条当麻らしくないという指摘も加えて。
それは彼自身、感じていたこと。
いつもの自分ならここまで悩んだりしないだろうにと。
そして彼女がそんな上条の心情を的確に把握し、さらには今後のことについて指摘してきたことにはもちろん驚きなのだが、それ以上に、彼女はさり気なくとんでもないことを口走った。
(こいつが、俺を…?)
聞き間違いの可能性は完全に否定出来ないが、上条の耳には確かに"好き"と聞こえた。
それはこの空気での発言にしてはとてもとんでいる言葉。
もしかしたらその"好き"とは恋愛的な意味ではなく、友達としてのものかもしれない。
むしろ、今までの二人の行動を考えてみればそう考えるのが妥当。
しかし、言葉を言い終えた美琴は月明かりでも十分赤くして俯いている。
もし友達としてならこれはどう説明するべきだろうか。
その答えは、見つからない。
もし恋愛的な意味としても、間違いだったらどうする。
どれもこれもが不確か故に、恋愛事の経験の浅さ故に、彼はとるべき行動が絞られてこない。
上条が考えている間にも、時は流れる。
不意に空を見上げれば、さっかまで眺めていた星も、いつの間にか少しだけ移動していた。
その変化は微小だけれど、彼には大きくみられた。
それだけ時が流れたということだから。
「星、きれいよね……学園都市とは大違い」
俯いていたはずの美琴が、いつの間にか上条につられてか夜空を見上げていた。
彼女から発せられた声は、少しだけ、悲しそうだった。
「……そう、だな……こんな時じゃなくて、ちゃんとした時に見たかったよな」
「そうね…」
上条は相変わらずまとまらない頭を振り絞って、言葉をひねり出した。
そして美琴の声も気になってはいたが、もし恋愛的な意味だったとしても、今彼女の気持ちに答えられそうにない。
今は目の前のことで本当に精一杯だからだ。
彼女を傷つけることにはなってしまうが、上条はここは敢えて黙っておくことで、保留ということにしておく。
振られた、と思われてしまうかもしれないが、強い彼女ならきっと大丈夫。
それにあれが違う意味という可能性だってあるのに、下手に動けば逆に恥をかくかもしれない。
別に私はアンタのことなんてなんとも思ってない、さっきのは友達としてであって、何を勘違いしてるの?、と。
(それに御坂には、俺なんかよりもずっと、相応しい男がいるだろうしな)
上条がそんなことを考えていると不意に右肩に重みがかかった。
美琴が彼の肩に頭を乗せてきたのだ。
夜だからか、髪から女の子らしいトリートメントの良い香りが漂ってきて、上条の鼻孔をくすぐる。
それは普段の彼女の活発な印象とは真逆の、女の子らしい一面。
「御坂…?」
「今だけ、ちょっとだけ、このままでいさせて…」
さっきの彼女の声はもの悲しそうだったが、今の彼女の声はどこか弱々しい。
上条が戸惑っている間に、美琴にとっては一世一代の、人生初となる告白が不発に終わったと彼女が勘違いしたことが原因の一つにある。
返事を何ももらっていないので完全には希望は捨てていないが、それでも今は不発。
だからと言ってはなんだが、少し彼に甘えてみたかったから。
もしかしたらこれが、最後のチャンスかもしれないから。
「ああ、わかったよ…」
それを感じ取ったのか、上条は美琴のお願いを快く引き受け、空いていた彼の右腕を彼女の肩にまわす。
これが、今彼に出来うる限りの彼女への返事。
誠心誠意をこめて、優しく彼女を抱き寄せる。
抱き寄せたことで美琴は肩をピクッと軽く揺らすが、後は何事もなかったかのように彼を受け入れた。
そして抱き寄せた彼女の肩は上条が思っていたよりも華奢で、ここでも彼女の女の子らしさが感じられた。
(なんだかんだでこいつは女の子で、14歳なんだもんな……やっぱり…)
いや、それはもう考えまいと上条は首を小さく横に振る。
美琴は少し迷っていた彼の背中を押してくれた。
彼女は上条の目的のためなら力になりたいと言った。
ならその気持ちを、決意を大事にしようじゃないか。
上条が今の目的を必ず果たしたいと思うように、彼女だって目的を果たそうとしている。
それを強引に止めて強制帰還されるのは無粋と言うもの。
腕に巻かれている、一見か弱く思える存在には一本の芯を取り戻させてもらった。
上条はもう迷わない。
負けられない理由がまた一つできてしまった。
彼女が自分を守ると言うのなら、自分も彼女を必ず護る。
それはある男の約束でもあるが、もう一つ個人的な約束を今つくった。
澄みきった夜空を流れゆく、一つの帚星に誓って、上条はそう決意した。