のち晴れ 1 前編
バシャッ、バシャッ、ぬかるんだ滑りやすい道を
水溜りを蹴散らしながら進む。
――――――しちまった?
何度も何度も転びそうになりながら
後ろを振り返ることなく、走る。
――――――しちまった!しちまった!
顔はきっと真っ赤になっていることだろう。
けれど、そんな事は気にしない、気にしている暇は無い。
――――――なんであんなこと!
あんなときに、と叱咤する。
――――――好きな女の子にキスをした。
告白もしていない身で、いきなり、不意打ちで
何の許しも無く、身勝手に唇を奪った。
――――――俺は……最低だ!
ほんの数分前のことが回想され始めた。
「……切るわよ?」
俺の隣で女の子が携帯電話を耳にあて、通話している。
その横顔をチラリと盗み見ると、ちょっと不機嫌そうに口を尖らせていた。
俺といる時に出す表情に似ていて少しだけ、たじろぐ。
いつものように危ない目に合わせられそうな気配でもしたのだろうか
不機嫌にさせているのは俺自身では無いのに。
『お待ちに……まし……わた……事
……終りま……ので、迎えに……ますの!』
通話の相手はよほど大きな声を出しているらしく
俺の耳にも断片的に聞こえてきた。
迎え、と言う単語を聞いて、落胆が表情にでそうなった。
溜息まで出そうになったのを必死に抑える。
今は不幸なんかじゃないからだ。
「……じゃぁ、お願い。場所は……」
お願いするのかよ、前言撤回、不幸だ。
やっぱり嫌なのか、と眉をひそませる。
だが仕方ないとも思う、嫌っている男と相合傘なんて、自分がもし女の子でも嫌だ。
キョロキョロと視線を泳がせる相合傘の相手の視線の視線を追うと
目に入ったのは大手のファーストフード店だった。
あそこの前で待つのなら、いっそ店に入ってしまおうかと考えたが
先ほど喫茶店で、デザートを食べたばかりだった事を思い出し
口実に一緒にいる時間を増やそうとするのは無理だと判断した。
「……あのさ」
彼女は言いにくそうに指をもじもじと絡ませ立ち止まる。
俺も合わせて歩くのを止める。
聞きたくないが、聞かなければならない、もっと一緒にいたいが
多分きっと無理だろう、自分からは言い出せない。
「黒子が来るみたいだから、ここまででいいわ」
やっぱり、そうか。
「良かったな、もう濡れなくてすむ」
俺は無視せずに返事をした。
濡れている右肩を気にしながら、もっと大きな傘を持ってこればよかったと後悔した。
多少、傘が大きくてもやはり二人は許容範囲外らしい。
俺の左肩も濡れている、だけどそんなのはいい。
自分が風邪をひくのはどうだっていい、傘をばれないように右肩の方にずらした。
「……えっと」
「どうした?」
ぼそぼそと何か呟くが聞こえないので顔を近づける。
近づけすぎて、俺のほうがドキリとしてしまったが表情には何とか出さない。
耳が捉えたのはすぅっという呼吸音だった。
そして、近づけた耳に言葉が届く。
「こ、ここまで送ってくれて、あり、ありがと!」
彼女なりに必死だったに違いない。
顔は俯いたままだし、指をずっと絡ませている。
ただ、
「御坂……」
俺の中がドン、と衝撃が与えられたみたいに揺れた。
思わず言葉が漏れた、感謝されていた事がとても嬉しかった。
「美……琴……」
御坂美琴、今肩を並べて歩いている少女。
俺の、好きな女の子。
……後ろでバシャッ、バシャッと軽快に水溜りを踏んでいく音が聞こえる。
多分、じゃなくても白井だ、「おっねえさまーん」と御坂を見つけたらしく
甘えた声を出しているから一発で分かった。
予想よりもずっと速い、電話の時点で近くまで来ていたに違いない。
白井のいつもの行動から御坂を驚かせるためとか、もしくは御坂に奇襲をかけようとしようとしているのだろう。
自分の気持ちを包み隠さず行動できるのがとても羨ましく思えた。
「黒子、来たみたいだから、行くわね」
嫌だ。
「……あぁ」
まだ、一緒にいたい。
離れたく、ない。
「それじゃ、私――――」
自分の気持ちに正直なりたい。
そう思ったら、体が自然と動き、御坂の肩に手を置いて、引き寄せ、
「「――――――――――――――」」
雨の音が聞こえなくなった。
一瞬の空白の後、自分が何をしたか気付いて
御坂に傘を押し付け全速力で駆け出した。
「……ぁ」
思考が追いついていかない。
柔らかな暖かい感触のせいだ。
「……っ!」
雨が止んだ曇り空を見上げ、速度を緩めることなく走る。
体は嘘みたいに重かった。
「はぁ!はぁ……!はぁ……くそ……!」
玄関のドアを乱暴に閉め、そのまま頭を抱えてうずくまる。
唇にはまだ感触が残っている、暖かい、柔らかな、女の子の――――
「……あ、あんなの、違う……あれは……違う……」
自身のしたことを必死に否定する。
無駄な事は分かっている、もう起きてしまった事実で現実だ。
不意だろうが、なんだろうが、女の子にキスをした事は変えられない。
あろうことか、御坂美琴に、好きになった女の子に。
「……み、こと」
呟く。
そこで、はっとする。
「な……なに……名前とか呼んじまってんだよ
反省もしてねーのかよ、俺は、俺は……」
反省よりも、謝る事よりも、妙な達成感が自分を支配している事に俺は気付く。
キスのあの瞬間、確かに自分が、御坂美琴という女の子を『ひとりじめ』していた。
彼女の事をどれだけ好きな人間がいても、あの時だけは御坂が俺だけのものになった。
俺だけがあの感触を感じる事ができた。
「~~~~~~~~!!」
馬鹿で、最低だ。
どうやら俺は相当、独占欲が強いらしい。
白井が御坂を迎えに来たときに抱いたのは嫉妬心だったのだ。
女の子に嫉妬して、御坂が離れてしまうのを拒絶した。
だから、一瞬でも俺だけのものにしたかった。
「はは……なんだそれ……」
空しく俺は自分を自嘲する。
自分勝手すぎるではないか。
「……会わせる顔、ねぇんじゃねーか?」
きっと御坂も怒っているに違いない。
次あったときは声がかけられることも無く、雷でも落とされるんだろう。
自分は焼死体が感電死かしているか、それとも影も形も残らないか。
いずれにしても嫌われた事は間違いない。
キスではなく告白をしていればよかった。
そうしていれば、少なくとも逃げ出したとしても、怒りは抑えられたはずだ。
殺されるような事にはならない、好意を伝えただけで、実際何もしないからだ。
「……………寝よう」
のろのろとベッドに近寄っていく。
以前はインデックスという真っ白なシスターが使っていたベッドは
すでに俺の根城に戻っていて、構うことなく寝る事ができる。
「………」
ふと、キスのときの御坂の表情を思い出した。
何をされたのか理解できていない、ぼうっとした表情だった。
あの後どうしただろうか、彼女の霞払いの白井は怒り狂ったのか
それとも、傘で一応顔は隠れていたので、ぼうっとした御坂を見て
何事かと問い詰めたのか。
どちらにしても御坂が怒っているのは間違いないので、はぁ、と溜息をつく。
「なーんで、アイツは気付かないのかねぇ」
よくスルーするなと言われるが、あれは照れ隠しだ。
好きだと気付く前は本当にスルーしていたみたいだったが
好きと気付いた途端、御坂の声は耳に届くどころか響くようになった。
今はもう単純に恥ずかしい、声をかけられて緊張している自分を見られたくないので
無視するフリをし始めた。
「……寝るか」
気付かない理由を考えても仕方ないので今度こそ寝ようと決める
まだ四時ぐらいだったが、今日はもう疲れきっていた。
俺は三分もしないうちに深い眠りに落ちていった。
あれから一週間経った。
相変わらずあの時の事は忘れる事などできていない。
……そんな簡単に忘れられる事じゃない。
はぁ、と溜息をつき、窓の外に目をやると、嘘みたいな快晴だった。
雲ひとつ無い夏の始まりだ、と告げるような青空。
それに比べると今の俺の心境は雨でなくとも今にも降り出しそうなどんより曇り空だ。
「……はぁ」
もう何度となくついた溜息。
一週間、御坂とは顔を合わせていなかった、避けてきたからだ。
いつもと違う通学路を通り、いつもと違う時間に家に着き、いつもと違って一人で帰った。
物足りない、と考えてしまう。
今までは会いたくなくても向こうがいきなりどこからともなく現れてきたのに
ちょっと違った帰り方をしてみれば、全く会わなくなった。
「……会わなきゃ、な」
会いたい、その気持ちは勿論ある。
だが、俺は一つ決めた。
次に会うのは気持ちを伝える時、と自身に誓った。
それまでは見かけても話しかけない。
自分の思いを整理するために、伝えるにはどうすればいいのか考えるためだ。
その結果がどうであろうと受け止める。
引き際も、もしも俺の気持ちが伝わってもいいように。
「……はぁ――――――っ!?」
もう一度、溜息をつこうとした瞬間、頭上に痛みを感じた。
誰かが俺の頭を叩いたらしい。
俺はそれに抗議しよう振り返った。
「ったく!誰だよ……って、土御門か……」
友人(いや奴の場合は悪友、だろうか)である土御門が
ホウキとちりとりを持って俺を見下ろしていた。
はっきり言って全く似合わない組み合わせである。
「にゃー、ひどいぜいカミやん」
ブンブンとホウキを振り回し、明らかに俺にぶつけようとしてくる。
俺はその行動に軽く恐怖を垣間見て、ガタ、と椅子から立ち上がった。
「な、なんなんだよ、どうしたんだ?」
「それはこっちの―――」
「セリフね上条」
土御門の言葉が途中で遮られ、横槍を入れたのは
俺の苦手なクラスメイト、吹寄だ、
「もう放課後の上、私は掃除当番よ、邪魔」
吹寄は雑巾のかわりにモップとバケツをもって不機嫌そうに立っている。
土御門と違ってその姿が似合っているのは気のせいだろうか。
「そうやでぇ、カミや~ん」
そんな掃除道具が似合う女、吹寄の隣には世界三大テノールもびっくりの野太い声を持つ
土御門と並ぶくらいに俺と悪友の青髪ピアスだ。
こちらの大男は掃除道具を何も持っていなかった。サボっているのかもしれない。
「今日は。上条君。非番だったはず。」
そして突然吹寄の声が変わったと思ったら、吹寄の背後から
姫神がひょこっと顔を覗かしていた。
全く気付かなかった、姫神は気配を消す能力でも備えてるのか、と本気で思ってしまう。
「ど、どうしたんだよ?俺がなんかしたのか?」
俺は教室にいる。
そう、いるだけだ、何も彼らの邪魔などしているはずは、
「現在進行形で、貴様は私たちの掃除の邪魔をしているわ」
あったようだ。
「カミやんが席でぼーっとしているせいで教室が全部終らないんだぜい」
俺一人の部分だけやらなくても掃除は完了するし
担任の小萌先生はそんな事では一切怒らないだろう。
だが、掃除当番が悪かったようだ。
今週の掃除当番長、つまり吹寄は完璧で済ませないと納得しない。
俺が掃除当番の時も当番長を買って出て、教室の隅々まで掃除をさせられた。
「どきなさい、上条。何を悩んでいるか知らないけど
私たちには掃除と言う大切な仕事があるの、さっさと帰る!」
モップを俺のほうに向けてさっさと帰れと口でも行動でも示す。
それに土御門と青髪も加わって俺に向かって指を差しからかい、度が過ぎて
吹寄から二人は頭突きをくらった。
姫神はそれを見ながら最寄の机の上を雑巾で拭いていた。
全員が相変わらずの態度で、相変わらずのメンバーの、相変わらずのやり取りがその後も続く。
高校二年生になっても、変わらない……これからもそれは続いていくのだろうか。
俺と御坂の関係が変わらないのと同じように。
「……上条君。最近。元気ないけど。鬱か何か?」
唯一、掃除をしていた姫神が心配そうに聞いてくる。
「ひ、姫神?別に鬱とかじゃないぞ?というか何故その結論が始めにくんの?」
姫神の恐ろしくぶっ飛んだ質問に慌ててしまう。
だけど、鬱にはなるかもしれない、このまま悩んだままであれば、だが。
「……カミやんの悩みなんて、明日の食事はどうしよう、とか
今からタイムセールは間に合うかなー、程度だぜい」
食事は真っ白シスターが帰国した事で多少解決している。
悩み事なんて土御門に言ったところで解決しない、ましてや恋の悩みだ。
言えば、腹を抱えて笑われるか、からかわれるか、呆れられるか。
どれにせよ、ろくな結果にならないだろう。
「うるせぇよ、んな事で悩んでるんじゃねぇ」
「くじでほとんど毎週掃除当番に任命されるからやないの?」
青髪ピアスよ、確かに俺はくじで毎週毎週掃除当番になり
さすがに哀れになった俺のためにやった次の週は掃除は休み制度が設けられたので
それは解決されたからいいのだよ。
……土御門と青髪ピアスと話していると鬱が近づきそうなので、二人は無視する事に決めた。
「……俺、帰るわ、邪魔だろうし」
薄っぺらい学生鞄を担ぎ、教室を出ようとする。
今日も御坂とは会えなさそうだ、どの道を通っていこうかと考えながら出入り口に近づこうとする。
だが、俺の体は前に進まない、むしろ後ろに引き寄せられた。
「お、おい!何だよ!離せよ!」
後ろを振り返れば吹寄が俺の肩を掴んでいた。
「気が変ったわ」
「…………はい?」
話が掴めない、一体どうしたと言うのだ。
吹寄はふん、と鼻息を鳴らすと言葉を繋げた。
「貴様の悩み、話してみなさい」
「……は?」
俺の中で確かに時間が停止した。
あの吹寄が、明らかに俺のことを嫌っている吹寄が俺の悩みを聞く?
可笑しい、笑ってしまうくらいに、一体どうしたのか。
黙ったままの俺に機嫌を悪くした吹寄が目じりをあげ、睨む。
「さぁ、言いなさい、本気で悩んでいるようだし、聞くだけなら、安いわよ」
俺の顔はそんなに酷く悩んでいるらしい。
その表情が吹寄の世話焼きスキル、委員長体質の糸に触れたようだ。
はっきり言えばあまり、言いたくは無い。
俺の悩みなんて、吹寄には些末過ぎて見下されるか
いや、多分また訳の分からない言いがかりで頭突きをくらう気がする。
だが、一人で悩んでいても仕方ないかもしれない、そんな気持ちもある。
そういえば、インデックスに一人で悩み事を抱えるなと言われた事を思い出す。
同時に、御坂が事あるごとに私を頼りなさい、他人に頼れ、と言っていた事も。
俺は、一人でどうにも出来ない壁というものでも無理やりに解決してきた
その結果が良かったかどうかなんて分からないし、誰かに悩みを共有してもらう事なんて
殆どと言っていいほどない。
いい、機会かもしれない。
しかも、相談するのは女の子、御坂が何を考えているのか知る事ができる、かも。
そして、俺自身がどうすればいいのかも。
「……笑わないでくれるか?」
一応、念を押す。
吹寄はおろか、他の三人も俺の表情に真剣さを読み取ったのか、頷く
俺を含めた五人しかいない教室の中で静粛が漂う。
言うのはとても恥ずかしい、でも言ってしまえば何かが変る気がした。
俺は息を吸う、すぅっと喉から音が漏れる、俺にお礼を言った時の御坂の気持ちが少しだけ分かった気がした。
「……俺、好きな女の子がいるんだ」
その後、吹寄に相談しろと言われたくらいに周りの空気が凍ったのは言うまでもない。
「……ホントについてくるのかよ」
第七学区、『いつもの』通学路を通っている。
実に一週間ぶりの通学路は全く変化は無い、あるとすれば
俺が一人で下校をしていない、そんなところだろう。
「当たり前ぜよ、『あの』カミやんが、にゃー」
「そうやで、カミやん、あのフラグマスター上条当麻に好きな女の子なやんて
これを逃す手は無いに決まっとるわ~」
相談をしてみれば、これだ。
結局俺は教室で言った後、恥ずかしさで死にそうになったが響いたのはあまりにも長い沈黙。
新春一発芸ですべったとしても続かないような夏にもかかわらず冷たい風が吹きすさび
起こったのは男二人の絶叫にも近い笑い声。
俺は二人が笑っていても何も言い返すことが出来ず、熱でも出たみたいに熱くなった顔を俯かせたが
瞬間、吹寄から頭突きをくらい、姫神に心配された。
あまりの痛みに身悶えていると、吹寄が俺を見下ろし、詳しく話してみなさい、と問われた。
気迫に負け、内容を恐る恐る話すと、その悩み、解決してくれるわ、と啖呵を切られた
何故頭突きをくらったかは分からない。
「いつまで笑っているの馬鹿二人、黙りなさい」
俺が教室での事を思い返していると、土御門と青髪ピアスが吹寄に睨まれた。
まさに蛇に睨まれたカエル、二人はすぐに大人しくなる。
いつも睨まれる側の俺としては複雑な気持ちだが、いい気味だと思う。
「ところで上条」
油断している場合ではなかった。
ギロッと今度は俺が睨まれる。
「な、なんだよ」
「目的地にはいつ着くのかしら」
そんなことか、とホッとする。
気を張っていないといつ頭突きが飛んでくるか分からないので
今話しかけられたのももしやと思い、身構えてしまった。
「あー……それはだな、そろそろ……」
俺は辺りを見回し、目的の場所を探す。
久しぶりでも覚えている、確か、後、数歩歩けば、
「あった」
御坂がよく使う喫茶店が見えた。
レイアウトだとかそんなものは俺にはさっぱりだが
多分、おしゃれで女の子好みの喫茶店だと俺は判断している。
店内、というよりも室内がなくいわゆるオープンカフェというやつで
風通りもよく、日差しも強くは無い、暑い日でも気軽に立ち寄れる場所だ。
ただ、俺は入った事などない、よく下校中に御坂が友達とお茶しているところを見かけるだけで
その友達が羨ましいなんて思ったことはない、断じて……ない。
「なかなか。おしゃれ」
姫神が少し目を輝かせてポツリと呟く。
表情の変化は小さなもの、けれど以前までの姫神に比べればとても豊かになったと思う。
それはともかく、俺の判断は正しかったらしい。
「だろ?俺は入った事もないけどな」
「ここに。上条君の好きな女の子は。よく来るの?」
もちろん、確証は無い。
「う、来ると言えば、来るかもしれないし……いつもって訳じゃないから」
週に二度見かける程度の事だ。
もしかするともっと来ているかもしれないが、気付かれるのが嫌で遠目から見ているし
目が合うと追いかけられそうで、確認もせず顔を伏せ走り抜けるので
いつ来ているか、と言うのはおぼろげながらしか分からない。
「……でも、今日は週末だしな、来るはずだと思うんだが」
なんだか自信がなくなってきた。
本当に来るのだろうか、いっそ来ない方がいいがとも思う
ばれたらどうしよう、雷神のごとき怒りの電撃をくらわされるかもしれないのだ。
多少恐怖におののいても仕方がない。
どうしよう、と悩んでいるところで、
「お、あれじゃないかにゃー」
土御門が大変な事に気づいた。
「は!!?や、やべぇ!逃げないと!」
あたふたとして店から離れようとするところを、ぐいっと引っ張られる。
「上条(カミやーん)、逃げるな(ちゃあかんで)、いくわよ(でー)」
吹寄と青髪ピアスに腕をとられ、店内に連行される。
「や、やめろー!うわ、馬鹿、ホントに入る気かよ!ま、待て!お、俺は―――」
もっと違う形で入りたかった。
勘違いしないで欲しいが、御坂と二人っきりでとかじゃないぞ。
軽く泣きそうな胸中、見慣れた制服を見つける。
土御門の言った事は冗談じゃないようだ。
常盤台中学の制服に身を包んだ御坂美琴が友人を引き連れて入店した。
「あの四人のどれかね」
吹寄が食い入るように入店してきた女子中学生四人を見つめる。
そういえば、容姿とかはいっていなかった。
多分俺がチラチラとその四人組の客を見ているので、分かったのだろう。
「カミやん、あの中の二人、常盤台の娘やん!」
青髪ピアスが小声で細い目を目一杯見開いて詰め寄ってくる。
くそぅ、耳元で叫ぶんじゃない。
「どれが、カミやんの意中の女の子かにゃー?」
わりと殺意に満ちた目で土御門が淡々と言ってくる。
この後殴り合いにでもなったら不味い、なるべく穏便に済ませたい。
「……」
俺は目線をゆっくりと動かす。
目に入ったのは、友達と楽しげに話す御坂の姿。
俺と二人で話すときには決して見せてくれない柔らかな表情だ。
今まで遠めだったせいで気付かなかった御坂の女の子らしい表情に頬が熱を持つ。
(か、可愛いな……)
意識しないと呟いてしまいそうで、慌てる。
いつもとのギャップがすさまじく、可愛すぎた。
これがギャップ萌えというやつか、恐ろしい。
「……あの茶髪の娘?」
目線でバレた。
バレたのは、御坂が注文をしにいったときに俺が目線で追ってしまったからに違いない。
「あの女の子。猫のノミを駆除してくれた?」
姫神が言っているのは御坂妹の事のようだ。
見間違えても仕方ない、瓜二つだから。
「いや、あの時のはアイツの妹だ」
あながち間違えでもないし、これから先、姫神が御坂妹と会う機会はそれほどないだろう。
だからあまり誤魔化さず伝える。
姫神はなるほどと納得して頷き、御坂の動きをじっと見つめる。
「カミやん、あの茶髪の娘のどこが好きなん?
僕も可愛いとは思うけど、カミやん、寮のお姉さんがタイプやなかったか?」
タイプは適当言っていただけだ。
だが、
「……どこが好き?」
分からなかった。
俺は一体、御坂のどこに惚れたのか。
(記憶上で)初対面でいきなり電撃を飛ばしてきたし
今では大分減ったがそれは続いている。
アイツがお嬢様だからだろうか……いやそれも違う。
確かにお嬢様というところは憧れの部分ではある、しかし御坂にはお嬢様気質が極端に少ない。
時折垣間見る事はできるが、俺はお嬢様、そんな視点で彼女を見たことはあまりない。
俺にとって御坂は普通に女の子、そこに階級だとか優劣は無い。
「……わかんねぇ」
「「「「へー」」」」
四人が四様にジト目で俺を見下すように見てくる。
「な、なんだよ!本当にわかんねぇんだって!」
必死になって考えても答えが出ないのだから仕方ない。
土御門はハッと俺を見下すように、冷ややかな目を俺に向ける。
「カミやん、あの娘の事、全部好きなんだにゃー」
「ぜん……ぶ……?」
口がパクパクと開き、言葉が続かない。
御坂のことが全部好き、そんなことがあるか。
会えばいきなり電撃を放ってくるし、追い掛け回される。
だが、それも嫌いというよりは苦手な所だった。
しかしそうなると、御坂の嫌いな部分がない、と言っていいものか悩んでしまう。
「ぅ……ぅぅ……」
世界が回り始める。
火照っていた頬がどんどん熱を増していく。
チラッと視界の端に御坂が映る、相変わらず笑顔で白井を含めた友人たちと
楽しそうに話をしている。
そのまま、御坂のことを見つめたまま静止する。
(どうして、俺には……)
あの笑顔を向けてくれないのか。
間近であの笑顔を見たい、俺だけにその笑顔を見せて欲しい。
あの雨の日のときのように、御坂を、独り占めにしたい。
「あ、こっち見たぜい」
「っ!うわ……!わ……!」
はっとする。
そこには確かに、俺の座っている席を覗き込むように
笑顔が消えた、訝しげな表情の御坂が立っていた。
もしかして、ここにいるのがばれたのか。
急いでテーブルの下に隠れ、息を殺す。
「カ、カミやん?どうしたん?」
テーブルの下に隠れた俺を青髪ピアスが不安げに見下ろす。
「し、静かにしろ!気付かれる!」
「え……?あー……」
「……………………………………」
暫くじっとする。
俺の上、つまりテーブルからだが、くっくっくと隠す気のない含み笑いが聞こえる。
土御門だ。
「カミやーん、あの娘、気付いたかもにゃー」
「……!!」
少しだけ顔をテーブル下から覗かせ、様子を伺う。
御坂は、元の自分の場所に戻り、談笑の続きを始めていた。
ただ、気付いたかどうかは分からない。
見間違いと判断してくれたのか、それとも俺が出てくるのを持っているのか。
俺はのそのそと御坂の視線を警戒しながらテーブル下から這い出ると
そのまま席につくこともなく、御坂が気付かないように駆け出した。
「あ!待ちなさい!上条!」
吹寄が似合わない慌てた声を出して、俺を呼び止めるが
今の俺はそれでは止まらない、むしろ今の吹寄の声で見つかったか、と不安になる。
盗み見るように僅かに視線を御坂のいる方に向けると、
(……見られた!!)
御坂の驚いた表情が視界に入っていた。
今、俺は非常に後悔している。
天気は曇り、今にも雨が降り出しそうだが、嫌な予感はない。
だから布団が干しっぱなし、洗濯物も外にかけてある日に、外に出かけたことに
後悔をしているわけじゃない。
後ろを振り返る。
ガラスのショーウィンドウに分け隔てられた店がある。
その店の壁に背中を預け屈みこみながら、店内を注意深く観察する。
(何買ってんだ?)
店内には、装飾品とにらめっこする御坂の姿があった。
何種類かの装飾品を着けたり外したりしているようだった。
見かけたのは下校時、追いかけた時にストーカーじゃないかと思ったが、気にしなかった。
吹寄達との一件があってから、通学路を元に戻していた。
無論、いつも通り一人でというわけにはいかなかったわけだが、
「上条、どきなさい、よく見えないわ」
ぐいっと押され左隣を見ると、吹寄が俺を押しのけ、店内を見た。
「上条君。下がって」
左寄りになったところを今度は姫神に後ろに押しのけられた。
俺は背にしていた壁がなくなり、隠れる場所がなくなってしまう。
このままでは見つかってしまうのだが、あの二人からもとのポジションを奪い返すのは不可能だ。
だが、御坂のほうは買い物に夢中で店から出る気配は無い。
店の看板を見てみる。
どこかで聞いた事のある、一度は見た事はある有名ブランドの装飾品店の名前をその看板は掲げていた。
そのブランド店は庶民では手がない物からお金持ちでなくとも買える
幅の利きを売りにしているブランドだ。
買おうと思えば、俺の仕送りでも買うことが出来るくらいにお手ごろな物も売っている。
とは言ったものの、こんな機械でもなければ近づく事もなかっただろう。
看板から目を離し、店内にもう一度目を向ける。
御坂はまだ買うものを悩んでいるようだ。
先ほどとの違いといえば買う物がある程度決まったのか腕組みをして
同じ商品を何度も何度も見直している仕草が見れたところだろうか。
(誰に、買うつもりなんだ?)
それを考えると一瞬、最悪の事態が目に浮かんだ。
誰かにプレゼントするため買っている、可能性だ。
自分のために買う可能性だってあるが
御坂が装飾品関連で何か気にしている姿はあまり見たことがない。
だからこそ、御坂が想い入れのある誰かに贈るために買っている可能性は十分に考えられた。
それが、あのカフェにいたような友達の女の子たちならいい。
だが、もし、御坂に好きな男がいて、その人間に贈るなら。
俺は、『あの日』に本当にとんでもない事をしでかした事になる。
(だ、だだ、大丈夫だよな、み、御坂に限って、好きな男なんているはずが)
ない、と言い聞かせてみるも、それでは俺自身も対象外という事だ。
溜息を一度つき、御坂の様子を見る。
(お?買うのか?)
悩んだ末、どんなものかは分からないが買うものは決まったらしい。
レジに近づき、会計を済ませるところだった。
(やべ、隠れねえと)
このままでは鉢合わせになってしまうため、身を隠す場所を探す。
吹寄や姫神がいるところだと店から出た御坂とこんにちわする位置なので却下し
店に路地裏に続く道があったのでそこに身を隠し、御坂の様子を伺う。
ちょうど、御坂が店から出たところだった、危ない危ない。
そっと、路地裏から顔を出すと
御坂はあたりを見回し、もじもじと微かに動いていて忙しそうにしていた。
表情を見てみると、顔は真っ赤になっていたが何かが入った箱を抱えて嬉しそうに笑っている。
(…………)
複雑な気持ちになる。
御坂が笑っていてくれるのは、嬉しい。
記憶喪失の後に初めて会った時に見たあの時の絶望した顔は見たくないからだ。
でも、アイツが俺以外の誰かに笑っていて、俺から離れてしまう
そう考えると心臓が締め付けられたみたいに、痛い。
俺に見せてくれない笑顔を俺の知らない人間に見せている姿を想像する。
(嫌だ……)
本当に、単純に、そう思う。
御坂が他の男といるところなんて見たくもない。
(そんなの、認めたくない)
壁にもたれかかる。
もう一度、路地裏から顔を出すと、吹寄が俺を見下ろし、姫神が俺を気遣うように
視線を合わせて、ぼんやりとしている俺を見つめていた。