最後の日、その後
「―――ったく、何なのよ、あいつは…」
時間も遅く、本来学生ならば、外出をしてもいい時間帯であるのに関わらず、御坂美琴は夜の学園都市を一人歩き、誰に言うでもなくぼやいた。
彼女が言うところの、あいつとは、言うまでもなく、先ほど逃げられてしまった上条当麻その人である。
見たところ、彼は何やら急いでいるというのはわかったし、彼自身、宿題やら人攫いやらファミレスがどうとかなどの、わけのわからないことのせいでとにかく急いでいると言っていた。
ならば、特にこれといった用をもたない自分が彼を引き止めておくのは、あまり好ましいことではないのだろう。
そして今から向かう用が、何の用なのかは皆目見当もつかないが、自分のせいで彼の用が良い方向に進まなかったら、それはそれで後味が悪い。
だから、彼のあの時のあの行動は仕方のないことだ。
…それで合理的に、頭の中ではこの問題については決着をつけようとはした。
しかし、頭のどこかでそれを認めようとしない自分がいる。
自分をないがしろにする彼に、苛立ちを覚えずにはいられない。
なんでかはわからない、だが、ただ単純に…
(そりゃあ、急いでたのはわかったけどさ……少し、ちょっとくらいは私を相手してくれても……ッ!!)
そこまで思考したところで、そこから先を考えるのを止める。
それは、その考えは自分の中では、とても有り得ないこと。
そして自分自身、よくわからないことでもあること。
(べ、別に、私は、あいつのことなんて、なんとも……それに、あいつにもっと振り向いて欲しいだなんて……ほんとに、これっぽっちも…)
彼はどういうわけか、能力を打ち消す術をもっている。
それで自分の能力を打ち消して、自分は彼に一回も勝てないでいるのに、彼の方は全く勝者らしい態度をとらない。
そこがなんだか気に入らなくて、度々勝負をふっかけるのを繰り返し、今では喧嘩仲間みたいなものとなっている。
先日の妹達の件では確かに、きっと返しても返しても返しきれないくらいの恩がある。
しかし、ただそれだけ。
彼に多大な恩があること以外は、喧嘩ばかりする程度の関係で、それ以上でも以下でもない。
彼のことなど、自分はなんとも思っていない……はず。
では、何故先ほど自分は、もっと彼に自分の相手をしてほしいと、例え一瞬であっても思ってしまったのだろうか。
……何故先ほど自分は、彼に詰め寄られた時、あれほどまで混乱し、彼の目を見ることができなかったのだろうか。
(………ワケ、ワカンナイ)
自分のことなのに、自分の気持ちの問題なのに、わからない。
こんなことはこれまでで初めてのことだ。
だから今自分の中を駆け回っている"何か"は、全くもって未知のもの。
同時に対処法も全くわからない。
……こんなわけのわからない、どうしようもないときに、彼は以前現れた。
『―――守ってもらえますか…?御坂さんを…』
「ッ!!」
そこで、昼間に起きたことが、フラッシュバックする。
頭の中に浮かべた彼の顔が、先ほど会った時のように、昼間の出来事を思い出させるのだ。
『―――いつでもどこでも駆けつけて、彼女を守ってくれると約束してくれますか?』
昼間、本物の海原に真実を教えられて、彼の身に危険を感じて、彼を探した。
ようやく二人を見つけたと思えば、いきなり建物の骨組みが崩れ、とりあえず能力で彼の身の安全は確保できた。
そこで顔を出そうとした時、偽海原と彼は、その話の主役たる自分の存在に気付かず会話を始め、そしてその偽海原の問いに対し、彼はニッと柔らかい表情で、
『 』
それは、彼が偽海原に交わした、ある約束。
「~~~~~ッッ!!!」
思い出しただけで顔全体が熱くなった。
顔だけじゃない、耳も尋常じゃないほどの熱をもってるし、体も火照っている。
それに応じるかのように、心臓も、いつもとは比じゃない早さで鼓動を繰り返す。
(心臓の鼓動が、うるさい……胸が、クルシイ…)
あてもなく進めていた歩みを、止めた。
歩みを止めると、代わりに横から風が吹いてきた。
歩いていた時に感じるものとはまた違う。
今日は8月31日、風は生暖かいが、火照った身体を冷ますには丁度良い。
さらにその風は、火照った体を冷ますと同時に、安心感をもたせ、苦しかった胸の痛みも取り除いてくれた気がした。
それには、何故だか彼に通ずるところがあると感じた。
(……あいつは、私の、)
一度落ち着きを取り戻した頭で、また思考を再開する。
彼が今日昼間に交わしてくれた、約束を思い出しながら。
(ただの、命の恩人で…ただの…)
そして、今まで彼が自分にしてくれたこと。
何を考えながら、自分は彼に接してきたのかを思い出しながら。
(………ただの…?)
答えは、見つからない。
今あるのは、彼が実際にある約束をしてくれたという事実。
わかるのは、また明日という時が来て、機会があればまた彼に会えるということ。
不意に、携帯が振動した。
ポケットからカエル型携帯を取り出して中を見ると、メールが一件。
差出人は同居人で、自分が最も信頼している後輩である、白井黒子。
「そろそろ帰ってこないと、寮監の巡回が始まる…か」
メールを確認すると、携帯を閉じ、再び歩みを進める。
今度は行き先はある、常盤台女子寮へと。
(……ほんと、わけわかんない。なんで私があんなやつのことをここまで考えないといけないのよ…)
考えても、その疑問の答えとなるものは導きだせない。
学園都市で第三位という頭脳を以てしても。
『―――俺は、御坂美琴と、その周りの世界を守る』
(……アンタとって、私は何なのよ?……私は、アンタの特別なの?)
歩きながら夜空を見上げ、今は同じ夜空の下にいるであろう彼にそう問いかけた。
その返答は、無論返ってこない。
ただ、返ってこないとはわかっていても、聞かずにはいられなかった。
あんなことを言って、一体どう責任をとってくれるのか。
その場しのぎになんとなく口にした、というのは勘弁願いたいところ。
(……と、とにかく!今はもう関係ない!早く帰らないと!)
そこまで考えて、これ以上深く考えるのをやめ、進むスピードを徒歩のそれから駆け足のものへと変えた。
この件については、少しの時間や一晩程度の時間をかけたところで、そんな簡単に解決するはずがない。
しかも、これ以上遅くなってしまうと同居人の後輩に迷惑をかけることになる。
それは決して、好ましいことではない。
だから一度思考を止め、夜の学園都市を、美琴は自分の寮に向かってひた駆けた。
今日、楽しかった、そして衝撃的でもあった彼との出来事を、頭の中で繰り返しながら。
美琴は、自分の中にうずまく一つの大きな感情の名を、まだ、知らない。