切れた糸を繋いで 2 後編
上条当麻の看病をした翌日、常盤台中学の女子寮の中で、御坂美琴は電話に出ない相手に対していらだっていた。
「あーもう! まだ寝てるのかアイツは!」
美琴は今日も看病に行くつもりだった。しかし、上条と連絡が取れない。
まだ寝ているのかと思い、時間をずらして電話をかけ直すことを繰り返していた。
ただ、この間隔を短くしすぎると、着信履歴が一人の名前で埋め尽くされて酷いことになるということを、
同居人の白井黒子のおかげでよく理解していたので、美琴は30分の間隔をとるようにしていた。
しかし、午前8時に電話をかけ初めて、現在は10時。5度目の挑戦も失敗に終わった。
(はあ、次は何で暇を潰そうかな……)
そう言って、机の上の雑誌に目をやる。美琴が普段では読まない類の占い雑誌がそこにはあった。
『特集! 気になるあの人との運命の赤い糸占い!』
時間潰しに立ち読みでもしようと思い、コンビニに立ち寄ったところ発見したものである。
名字と名前の画数を用いて占うタイプのものだったが、試しにとある人物と占ってみたら、最高の結果が出ていた。
曰く
・赤い糸度100%! 最高の相性です!
・あなたが何もしなくても、相手のほうから言い寄ってくるかも……
この内容をみた瞬間、我を忘れてしまい、気がついたら雑誌を購入してコンビニから出ているところだった。
(冷静になって考えてみれば、%表示って意味不明よね……)
そう思いつつも、雑誌の占いから目が離せない。
(つーか、全然当たってないじゃない! アイツから言い寄ってきたことなんて無いわよ!
……でも、最高の相性かあ。ただの占いとはいえ、嬉しいな……)
一人で百面相を続けている美琴だったが、ふとあることに思いついた。
(アイツのことだから、赤い糸があったとしても打ち消しちゃってたりして……)
なんとも馬鹿らしい考えだとは思いつつも、美琴はその可能性について妄想を展開していく。
(打ち消されちゃってたら、相性100%でも効果がないのかなあ……
はあ……あの右手は本当に厄介ね……。まあ……あの右手には助けられてるし、文句は言えないんだけど……)
そこまで考えたところで、美琴は違和感を覚えた。
(あれ、なんか引っかかるわね。何か重要なことを見落としているような……)
そして、昨日の出来事を思い出した。
「あー! そういえばアイツ、今……」
昨日、上条の右手は美琴の電撃を打ち消せなくなっていた。
右手が力を失っている今ならば、赤い糸が効果を発揮するかもしれない。
もしそうであるのならば、今がチャンスなのではないか。
今ならば、彼に想いを伝えることができるかもしれない。
そこまで考えたとき、美琴はいてもたってもいられなくなっていた。
「電話が繋がるのなんか待ってらんないわ。寝てても叩き起こす!」
そう言い放ち、美琴は寮から飛び出した。
上条当麻はベッドの上で突っ伏していた。昨日の体調不良は治ってはいたが、別件で気力の方に問題が生じていた。
「不幸だ……」
目が覚めた時のことを思い出して、いつもの口癖がこぼれた。
朝、上条が目を覚ますと、インデックスと小萌先生の声が聞こえてきた。
心配なので様子を見に来たとのことだった。
しかし、インデックスはなにやら食事中のようだった。
先生が朝ご飯を作ってくれたか、でもなんでわざわざこっちで……
そう思った上条が小萌に尋ねると、インデックスが食べているのは作り置きしてあった料理らしい。
昨日美琴が作ってくれた料理だ。
不安になって残りがあるか聞いてみると、小萌は申し訳なさそうな表情をした。
もはや料理は残っていないと理解したとき、上条は急な脱力感に襲われ、気がつけばベッドで横になっていた。
その後、インデックスは看病をすると言い張っていたが、上条の身を案じた小萌により連れられていった。
(ほんの少しでいいから残しておいて欲しかった……)
おかげで、上条の朝食は食パン1枚になってしまった。
今日の小萌先生は少し冷たい気がすると思う上条だったが、
その原因が、上条が作ったとは思えない料理の存在であることに気付くことはできなかった。
不貞寝を続けていた上条であったが、いい加減それにも飽きてきた。
(かといって、特に用事があるわけでもないし、特売も今日は無いんだよなあ……)
「不幸だ……」
先ほどと同じようにつぶやいた後、散歩でもするか、と思い上条は外に出た。
特に目的もなくブラブラしている上条だったが、
気がつけば、とある少女とよく会う公園に通りがかっていた。
(御坂には世話になっちまったなあ)
自販機買ったジュースを飲みながら、昨日のことを思い出す。
普段とは違う、彼女の意外な一面を知ることができた。
(にしても、あれは反則だろ……)
上条が普段目にする美琴の表情は、怒っているか呆れているかが多い。
まれに泣き顔も見たりしたが、普通に笑っているところはあまり見た記憶が無い。
そこにきて、昨日の満面の笑みである。普段とのギャップもあり、その表情は上条の心に強く焼きついていた。
このままここで待っていたら、彼女とバッタリ遭遇したりするのではないか、などと上条が考えていると
「あーーーーーーーー! こんなところにいやがったわねアンタ!!」
急に大声が響いた。上条が声のする方を向くと、そこには御坂美琴がいた。
最初は考えていたことがそのまま起こってラッキーかと思ったのだが、すぐに訂正する。
表情から察するに、どうやら彼女は相当怒っているらしい。
「不幸だ……」
今日はいつにも増して気が滅入る出来事が多い気がする。
ふと、上条は昨日はこの言葉を使った記憶が無いことに気付く。
右手の力が無くなっていたから、神様のご加護でも受けられたのだろうか。
一方、美琴は上条の言葉に反応してさらに機嫌を悪くしていた。
「何が不幸よ! それは私が言いたいわよ!
アンタねえ、携帯くらいちゃんと持ってなさいよ!」
「携帯?」
そう言われて、上条はズボンのポケットを探すが、携帯電話は無かった。
「あれ、忘れてきちまったか」
「全く、人がどれだけ……まあいいわ。はい、持ってきてあげたわよ」
美琴はそう言うと、上条に携帯電話を差し出す。
「何でお前が持ってんの?」
「そ、それは……あ、アンタが昨日あんなんだったから……その、気になって電話したんだけど……
でも、電話にでないから、気になってアンタの家に……」
「あれ、鍵かかってなかったのか……いや、確かに鍵をかけたはずなんだけど」
「鉄製の鍵なんか私には通用しないわよ。電子ロックだろうが同じことだけどね」
「おま、誇らしげに言うことじゃねえだろ!」
「な、何よ! 元はと言えば、アンタが携帯忘れるのが悪いんじゃない!
ほら、いいからとっとと受け取りなさいよ」
上条は美琴から携帯電話を受け取る。
「なあ、悪いことは言わないから、勝手に鍵を開けて人の家に入るのはやめとけよ」
「わ、わかってるわよ、そんなことくらい……今日は特別だったの!
アンタ、昨日は電話してる途中に倒れちゃったし……」
「あー、そっか……心配してくれたんだな。そりゃ悪かった」
「わ、わかればいいのよ。それでアンタはこんなところで何してんの? 体調は治ったの?」
「んー、なんていうかな……おかげさまで完全回復ですよ。ま、不幸の方も絶好調みたいだけどな……」
後半の方は、小声になっていたために美琴には聞き取れなかった。
「そ、そう。それはよかったわね。それなら私としても看病した甲斐があったわ」
昨日の出来事を思い出すと同時に、今日の目的、つまりこれからやろうとしていることを考え、少しだけ美琴の頬が赤く染まる。
流れは悪くない。チャンスがあるとすれば、それはきっと今だ。
「ねえ、アンタに聞いてほしいことがあるんだけど……」
「お、おお」
上条は、普段とは違う美琴の様子に少しだけ気圧されてしまい、気の抜けた返事をしてしまう。
そして、続きを待っていたが、美琴は黙ったままだった。
(うう、恥ずかしすぎて言葉が出てこない……)
適当なことを言ってお茶を濁してしまおうか、という誘惑が美琴を襲っていた。
しかし、それでは結局、いつもの関係でしかいられない。
(やっぱり、この関係のままじゃイヤ……)
ようやく覚悟が決まった。一度深呼吸をして、上条の方をキッと見据える。
色々なフレーズを考えていたはずだった。しかしいざという時になり、考えていた言葉が思い出せない。
美琴は半ばヤケクソになって、とっさに思いついた言葉を吐き出そうとした。
極めてシンプルに、自分の気持ちを伝えようとする言葉を。
「私は……私、アンタの事が、―――――――――――――――」
そのとき突然強風が吹き荒れ、美琴の言葉が上条に届くことはなかった。
「わりい。風が凄くて聞き取れなかった」
美琴は軽いパニック状態に陥っていた。
(もう1回言わなきゃいけないの!? む、無理よそんなの!恥ずかしくて死にそう……)
美琴は俯いたまま、完全に黙り込んでしまう。
上条はどうしていいのかわからず、同じく沈黙してしまう。
その時、また強い風が吹いた。そして風で飛ばされたのか、人の腕くらいある大きな木の枝が飛んできた。
その進行方向には美琴がいる。
「危ねえ!」
そう言って上条は美琴を庇おうとするが、その前に木の枝が美琴の電撃に弾かれて軌道を変えた。
「このくらいなら何とでもなるわよ。
……はぁ、さっきから邪魔ばっかり。何なのよ一体」
美琴はそう呟いたところで、上条の反応が無いことに気付いた。
「どうかしたの?」
「え……? あ、いや、すまん。なんでもないんだ」
上条の心の中には、なんとも言えない嫌な予感のようなものが渦巻いていた。
(なんだ、俺は何をビビってるんだ? 今、俺じゃなかったことがそんなにおかしいのか?)
上条には、本来なら危険な目に会うのは自分だったはずという直感があった。
嬉しくは無いが、この手の不幸は常に自分に向いていたからだ。
しかし、今回はそうならなかった。
上条に何か、言い表すことのできないような不安と恐怖が押し寄せる。
どうしてこんなに怖いのだろうか。そう思いながら上条は再度、美琴の方に視線を向けた。
「い、一応助けてくれようとしてたわけだし、お礼はいっておくわね。あ、ありがと……」
「お、おう……」
美琴の言葉を聞いた瞬間、上条の気分は一変する。
何か、胸の中で熱いものが湧き上がってくるような感じがあった。
それは、非常に暖かく、心が落ち着くものだった。
(さっきからなんかおかしいぞ、なんで御坂の反応一つでこんなに気分がコロコロ変わるんだ?
これじゃあ、まるで……)
これではまるで、好きな女の子の反応に過剰反応してしまう、恋する少年みたいではないか。上条は一瞬だけそう思った。
(いやいや、まさかそんなことは……まさかな……)
急に浮かんだ考えを打ち消そうとする上条だったが、それを否定しきることはできなかった。
ふと美琴の方に目を向けると、うつむいて何か考え事をしているようだった。
そのままボーっと美琴を眺めていたが、彼女が顔を上げてこちらのほうを向いたとき、思いっきり目が合ってしまった。
無意識のうちに体が反応して、顔をそらしてしまう。変に思われたのではないかと心配する上条だったが、
美琴も全く同じ反応をしていたため、お互いに相手の様子に気付くことはなかった。
(ああ、そうか)
一度意識をしてしまうと、もう止められなかった。上条の頭の中が美琴のこと一色に染まっていく。
思い浮かぶのは昨日の光景。まぶたに焼き付けた彼女の笑顔。
だんだんと鼓動が早くなり、胸が圧迫されているように感じたが、不快ではなかった。
ここまでくればもう否定はできない。
(俺、御坂に惚れちまったんだな……)
上条があれこれと悩んでいる間、美琴もまた悩んでいた。
先ほどは勢い余って突っ走ってしまったが、告白するのであればもっと言葉を選ぶべきではないだろうか。
そう思いなおし、言葉を練ろうとするのだが……
(ああああ! 目の前でそんなこと考えられるかああああ!)
混乱した頭では、考えが進まない。
ふと上条のことが気になり、うつむいていた状態から美琴は顔を上げる。
その瞬間、上条と目が会ってしまい、高速で顔を背ける。
(やばっ、いくらなんでも今の反応はわざとらしすぎるかも……
いや、こいつのことだからきっと気付いてないはず。
……でも、もし気付かれてたら……ううう、どうしよう……)
恥ずかしさのあまりに、美琴の顔が赤く染まっていく。
今度は目が合ったりしないように、チラチラと上条の様子を伺う。
上条は何も言わず、ただ美琴を見つめていた。
上条の視線は、見た目は普段とほとんど変わらなかった。
ただ、美琴には何かいつもとは違うような、どこか優しげなもの帯びているように感じられた。
(な、なんで黙ってるのよ……そんな目で見られたら……)
美琴は胸に込みあがってくる何かを必死で抑える。
しかしその反動なのか、能力が暴発をし始め、美琴の周囲に電撃の火花を飛ばし始めた。
「お、おい御坂っ。なにやってんだ、危ねえぞ!」
そう言って、上条は美琴の肩を右手でつかんだ。
その瞬間、美琴から漏れていた電気は消え去った。
「あ……ごめん……」
「急にどうしたんだよ?」
再び上条を見ると、美琴を見る目が普段のものに戻っているような気がした。
いつものやり取りを行うことによって、先ほどの雰囲気がリセットされてしまったのだろうか。
美琴はホッとしたような、ただどこかで残念なような気分だった。
「そ、それは、アンタが……あれ?」
美琴はあることに気付く。たしかコイツの右手の力は、昨日から無くなっていたのではなかったか。
「アンタ、右手治ったの?」
「あー、そういえば……とっさに手を出しちまったけど、右手が使えなかったのは忘れてた……
まあでも、今日の朝からの事を考えると、復活しててもおかしくねーなとは思ってたよ」
そういって上条はため息をつく。
「それ、どういう意味よ」
「あー……たぶん説明しても納得してもらえないとは思うんだけどさ……」
上条はそこでいったん言葉を止めるが、美琴は黙って先を促す。
「俺の右手はさ、神様のご加護とかも打ち消してしまってるかもしれないんだとさ。
昨日は右手の力がなくなってたからか、特に不幸なことが起こらなかったんだ。
でも今日は朝から不幸が絶好調だったから、右手も治ってる気がしたんだよ」
その言葉を聞き、美琴はため息をついた。
(右手、治っちゃったんだ……)
そして、上条は聞き捨てならないことを言っていた。右手が神様のご加護を打ち消しているから不幸になっている?
それほどまでのものであれば、赤い糸も一緒に打ち消していてもおかしくないのではないか。
(間に合わなかったってことなのかしら……)
美琴の気分は落ち込んでいく。
もはや告白しても成功する可能性があるとは思えなかった。
「御坂?」
「ふぇ?」
「どうかしたのか? なんか考え事してたみたいだったけど」
「え? ご、ごめん、なんでもないの」
さっきから失態を重ねてばかりだ、と美琴はため息をつく。
「なんか今日はため息多くないか?」
「……そうかもね。今日はちょっと、朝から何をやってもうまくいかなくてさ……
あはは、風邪の変わりに、アンタの不幸が移っちゃってたりしてね」
美琴としては、大した意味を込めていたわけではなかった。
それに多少の不幸があったとはいえ、上条と同じ境遇にいると考えると少し嬉しくもあった。
しかし、美琴の言葉を聴いた瞬間、上条は完全に固まってしまっていた。
(俺の不幸が……うつった?)
上条の胸の中にあった不安が、だんだんと大きなものになっていく。
予想外の反応を示す上条を見て、慌てる美琴。
「ちょ、ちょっと、本気にしないでよ。冗談だからね。冗談!」
しかし、その言葉は上条に届いていなかった。思考がどんどん悪い方向へ向かっていく。
(あのとき、木が俺じゃなくて御坂に方へ飛んでいったのは、偶然じゃないのか?)
あり得る話だと思ってしまった。
自分が彼女のことを気にしだしたのは、おそらく昨日からだろう。
その時から、降りかかる不幸が少し形を変えてしまったのかもしれない。
自分により大きな苦痛を与えるようにと。
最悪の事態が頭をよぎる。
もし、自分の不幸に巻き込まれたせいで、美琴が死んでしまうようなことがあれば……。
そのことを考えた瞬間に、上条は恐怖で動けなくなってしまった。
(それだけは、それだけは嫌だ……)
それを回避する方法が、一つだけある。
(今なら、きっと我慢できる)
美琴への恋心を自覚したのは今さっきのことだ。まだ深入りはしていないはずだ。
辛いだろうけど、必死になれば想いを捨てることもできるだろう。
それで彼女を傷つくのがさけられるのならば、むしろ喜ぶべきだ。
「御坂」
「な、何よ?」
「その不幸が移ったっていう話、たぶん当たってると思う」
「な……そんなこと、普通に考えてあるわけ無いでしょ!」
「なんとなく、わかっちまったんだ」
「馬鹿なこと言うのもいい加減に……」
「このままじゃお前に迷惑かけちまう、悪いけど今日はここまでにしようぜ
いや、しばらく会わないほうがいいかもな……」
そう言った上条の表情は、何かに耐えているかのようだった。
しかし、美琴は上条の最後の一言で完全に凍りついており、その表情を認識することはできなかった。
美琴の頭の中で上条の言葉が繰り返される。
しばらく会わないほうがいい? どうしてそんな酷いことをいうのだろか。
自分の日常からコイツがいなくなる。そんなことは考えるだけで恐ろしかった。
「じゃあ俺、もう行くよ。……ごめんな」
美琴が我に返った時には、上条は背を向けて歩き出していた。
「ま、待ちなさい! まだ話は終わってない!」
美琴が呼びかけても、上条が立ち止まることはなかった。
電撃を浴びせかければ上条を止められるかもしれないと思ったが、
打ち出したところで、上条は振り返ることもなく消し去ってしまうだろう。そんな直感があった。
「お願いだから……待ってよ……」
少しずつ遠くなっていく上条の背中が、美琴の胸を締め付けていく。
そして、頭には嫌なイメージばかりが浮かんでゆく。
ここで上条を止めることができなかったら、もう二度と会えないのではないか。そんな予感さえした。
しかし上条を止める手段が思いつかない。電撃はおそらく通じないだろう。
走って追いかけるにしても、本気で逃げられたら追いつくことは不可能だろう。
何か、他の方法を考えなければならない。
美琴は混乱している頭を必死で回転させる。
ふと、まだ試してない方法があることに気付く。
それはおそらく、上条の知り合いなら何気なく行っているであろう、彼を呼び止めるための手段。
そして、美琴にとっては、恥ずかしくて今まで一度もできなかった手段。
ただ、今なら、なりふりかまわずにいられなくなった今なら、できるような気がした。
美琴は大きく息を吸い込み、そして全身全霊を込めて叫んだ。
「当麻!」
美琴の声が響きわたる。
ただ、彼の名前を呼ぶだけ。
それだけの行為で、美琴の鼓動は加速してゆく。
(お願い、行かないで……)
上条の方を見てみると、少し驚いているようだった。
そして、歩みは止まっていた。
(止められた……!)
これが最後のチャンスかもしれない。そう思って、美琴は上条に向かって駆け出す。
上条は振り返った姿勢のまま動かなかった。
「待てって……言ってんでしょうがあああああ!」
美琴はダッシュしたまま勢いを殺さず、全力で上条に体当たりをする。
不意打ちではなかったため、上条は美琴を受け止めたままその場に踏みとどまった。
「いってぇ。御坂、いきなり何すんだよ! いやそんなことより、さっき名前……」
「わ、私の話はまだ終わってないの! ちゃんと最後まで聞いて!」
密着した状態から少しだけ距離を空け、再び向かい合う。
「さっきも言ったけど、このままじゃ御坂に迷惑が」
上条がそこまで言ったところで、美琴の全身から青白い火花が飛び散る。
条件反射的に、上条は右手を構える。次の瞬間、美琴は両手で上条の右手を掴んでいた。
「捕まえた……」
「み、御坂?」
「アンタ、右手が不幸を呼んでるって言ってたわよね」
「あ、ああ……」
「私は、アンタの不幸になんか負けないわよ……」
「え?」
美琴の言葉の意味が、上条には理解できなかった。
しかし、彼女の目には強い意志が宿っており、目をそらすことはできなかった。
(さっきは、風に邪魔された。でも、この距離なら……)
想いを伝えようとすると邪魔が入った。ならば邪魔できないようにすればいい。
たとえ赤い糸が繋がっていなくても、こっちから無理やりにでも繋げてしまえばいい。
(何度妨害が入ろうが、コイツが逃げ出そうが、諦めてたまるか!)
美琴は俯いていた状態から顔を上げ、上条の右手をしっかりと握りながら話し始めた。
「私は……私はね、アンタのことがす、好きなの!
もうどうしようもないくらい、好きで好きで仕方がないの!」
確実に気持ちが伝わるように、全身全霊を込めて叫ぶ。
「だから……お願いだから、会わないなんて言わないで!
そんなの、好きな人に会えないなんで、辛すぎるわよ……」
最後のほうは涙声になっていた。
今度は風は起こらなかった。上条にも内容はしっかりと伝わっていた。
「そ、それで……もしよかったらだけど……わ、私と…………付き合ってください!」
目をつぶり、最後まで言い切り、美琴はそのまま上条の答えを待った。
(御坂が俺のことを好き? じゃあ、両想いだってことなのか?)
思ってもいなかった展開に、上条の決意が揺らぐ。
一瞬OKの返事をしようかと思った。しかしできなかった。
自分と付き合ったら、きっと彼女は不幸になる。
「御坂……俺なんかといたって、きっと不幸になるだけだ。お前のためには――」
「そんなんじゃ納得できない!」
美琴が上条の言葉をさえぎる。
「アンタが私のことなんとも思ってないんだったら、付き合うのが嫌だっていうなら、まだ納得できる。
でもね、不幸がどうとか、私のためだとか、そんなこと言われても諦められないわよ!」
美琴の叫びが、繋いだ右手から伝わる想いが、上条の胸に突き刺さる。
付き合うのが嫌? そんなわけはない、むしろ俺だって付き合いたい。そう叫びたかった。
頭に浮かぶのは、いつかの鉄橋の上でたたずむ美琴の姿、そして絶望に満ちた表情。
あんな顔を再び彼女にさせるわけにはいかない。そのためなら、自分の想いは封印しなければならない。
「俺は、お前が傷つくのが嫌なんだよ! お前にだけは、笑っていて欲しいんだよ!」
それは、確かに偽りのない上条の本心だった。
ただし、その言葉に納得するものはその場にはいなかった。
「何言ってんのよ…」
声を震わせながら美琴が答える。
「笑えるわけ……ないでしょ……アンタのこと考えるだけで、胸が苦しくなって、耐えられなくて……
こんなに好きなのに……アンタがいなくちゃ、私は笑えないわよ……」
美琴の目から涙がこぼれる。それを見て上条の胸の痛みはさらに大きくなる。
彼女にこんな顔をさせないために、離れようとしたのに。
彼女に笑っていて欲しかったから、巻き込まないようにしたのに。
結局、彼女にまたこんな表情をさせてしまっている。
(俺は……俺はどうすりゃいいんだよ……)
頭がうまく回らない。
「ねえ」
美琴はすがりつくように、言葉を続ける。
「私、努力するから……アンタが心配しなくてもいいように。
アンタが巻き込んだとか思わないでいいように、自分の身は自分で守るから。
だから、お願い……もし私が傷つくのが嫌だって言ってくれるなら……
私を一人にしないでよ……私は、アンタと一緒にいれないことが一番辛いの……」
美琴の言葉一つ一つが、上条の心に染み込んでいく。
(そんなに、俺のこと……)
突然、上条は頭の中でコトリ、と何かが倒れたような音が聞こえた。
同時に、ずっと続いていた、胸を締め付けるような激しい痛みが消えた。
その変わりに、頭にジーンとした痛みのようなものが広がっていった。
それはまるで、脳の構造が変化していくような感覚だった。
痛みは一瞬で治まった。そして、その後では今まで悩んでいたことが馬鹿みたいに思えた。
(簡単なことじゃねえか、何で今まで気付かなかったんだ。
御坂は俺と一緒にいたいと言ってる。俺だってもちろんそうだ。
なのに、こいつを守れなかったときのことばっかり考えて、
……結局は、俺は逃げてただけじゃねえか!)
気がつけば、空いている左手で美琴を抱き寄せていた。
「御坂……」
美琴は上条に体を預けたまま、返事をしない。ただ、言葉は届いているだろう。根拠はないが確信はあった。
「さっきの言葉、取り消してもいいか?」
今度は反応があった。
「それって……」
「お前から離れるって言ってたけど、あれはナシだ。てか、俺には無理みたいだ……
えーと、つまり、なんといいますか」
緊張のあまり、全身をガチガチに固めながらも、上条は伝えるべき言葉を紡ぐ。
「俺も……お前のことが、す……好き、みたいだ」
上条の告白を聞いた後、美琴はしばらく固まっていたが、やがて口を開いた。
「ほ、本当に?」
「あ、ああ」
「じゃあさっき、何で……」
「あのときは、御坂を俺の不幸に巻き込むのが怖かったんだ」
「だから、私は」
「ああ、俺が間違ってた。お前の気持ちを全く考えてなかった。ごめんな、御坂……」
「うっ、グスッ。馬鹿ぁ……気付くのが遅いわよ……」
「さっきは逃げちまって悪かった。今考えるとどうかしてたよ……
御坂、俺のせいで不幸がお前を襲っちまうかもしれない。
でも、どんな不幸が襲っても必ずお前を守ってみせる。
誓うよ、お前は俺が絶対に幸せにする。だから……俺と付き合ってくれ」
「うん……うん!」
美琴は涙を流しながら、上条に抱きついた。上条も両手を使い、美琴を強く抱きしめた。
2人はしばらくその体勢のまま、お互いの温もりを感じあっていた。