Just_Married ~私たち結婚しました
「ただいまー! あー疲れたぁ」
「やっと帰ってきたー。まあお疲れさんだったな、美琴」
学園都市第7学区にある家族向けマンションに、上条当麻とその妻、美琴(旧姓・御坂)が、半月間に渡る世界一周の新婚旅行から帰ってきた。
大きなスーツケースが2つに、小さなバッグをいくつか抱えて、空港からタクシーでここ、2人の「愛の巣」まで帰って来たのだ。
挙式後、式場から直接新婚旅行に出発したため、2人には、半月ぶりに主たちを迎えた部屋が不思議と新鮮に感じられた。
式を挙げるまでずっと暮らしていたにもかかわらず、結婚式とそれに続く新婚旅行から戻ってきただけで、なぜか「夫婦の新居」という感じがしてしまうのだ。
これが結婚という儀式の効果なのかと実感しながら彼らはリビングへ続く廊下を行こうとしたその時。
「あ、その前に当麻。わ・す・れ・も・の!」
美琴がそう言うと、恥ずかしそうに上条の前に立ちゆっくり目を閉じた。
そんな彼女の様子に、彼は優しげな笑みを浮かべながら美琴の身体を抱き寄せると、そっと唇を重ねる。
「――ん……」
「――ただいまのキス、だよな」
「よく出来ました。あなた♪」
「あなた、かあ。そんな風に言われると、なんだか背中がむずがゆいぞ。美琴」
そう言いながら上条も、僅かに頬を赤く染め、恥ずかしげに美琴の顔を見た。
当の美琴も自分で言っておきながら、やっぱり恥ずかしそうにもじもじとしている。
「なんだか名前を呼ぶより恥ずかしいかも……」
「だな。慣れるまでは今まで通りでもいいか」
そうして2人は幸せそうな笑顔を交わす。
「ではあらためて、不束者ですが、これからも末永くよろしくお願いしますよ。奥様?」
「こちらこそ、よろしくね。旦那様?」
夫婦漫才のようにも見えるような掛け合いをしながら、2人は帰宅後最初の共同作業を始めることにした。
それは挙式前から準備をし、新婚旅行から戻ったら最初にすると決めていた簡単な儀式のようなもの。
2人はテーブルの上に出しておいた、1枚のプラスチック製プレートを取り出すと、玄関へ向かう。
玄関扉の横にかけられた表札には、「上条当麻・御坂美琴」と書かれていたが、彼らが持ってきたものには、「上条当麻・美琴」とだけ記されている。
「なにかちょっとドキドキしない?」
「だよな。表札を取り替えるだけだって言うのにな」
上条が古い表札を外すと、美琴が新しい表札を取り付ける。2人の部屋はこれまでずっと一緒に暮らしてきたマンションの一室なのに、表札を取り替えただけで、あっという間に新婚家庭の出来上がり、というわけだ。
その前で撮る記念写真は、初めて携帯のペア契約をしたときのように、互いに抱き合っての1枚。
ただあの頃と違うのは、今は夫婦として共に愛し合い寄り添い支えあう仲になっているところ。
真っ直ぐにカメラを見つめる2人からは、深い愛情で結ばれた絆が垣間見えるような笑顔が写る。
この1枚の写真が、これからずっと続いていく上条当麻・美琴夫妻の幸せ物語の始まりなのだ。
それから半月ちょっとたった休日の午後のこと。
頼んでおいた「結婚しました」という案内ハガキが出来たという連絡をもらい、受け取りに行った上条が帰ってきた。
ソファーに腰掛けながら、そのハガキを眺める上条が、家事を終えて近づいて来た美琴に声を掛ける。
「美琴、案内のハガキ、いい感じに出来てきたぞ」
「ほんと? どれどれちょっと見せて?」
それは2人の写真に、「結婚しました。二人で力を合わせ、温かい家庭を築いていきたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いします。上条 当麻・美琴(旧姓 御坂)」という文面の入ったデザイン。
ハガキに印刷された写真には、祭壇前で手を取り合ってキスをする寸前の、幸せそうな2人の姿が美しく光り輝いていた。
まるで式場のイメージ写真かと思えるような素晴らしい出来に、美琴は一瞬息を呑んだ。
「――すごい。きれいに撮れてるんだ」
「ああ、そうだな。こうして写真に写ってる美琴、本当に……きれいだと思う」
感心したような上条の言葉に、美琴が顔を赤くする。
「もう、照れるじゃないのよ」
「そうでせうか?」
そんな上条がいつものように、幸せそうな優しい表情で美琴を見つめて話しをする。
「上条さんは誰かれ構わず配りまくりたいくらいですよ?」
「――ばか……」
クスリと笑みを漏らす美琴の胸に、温かな想いがゆっくりと広がっていく。
こうして彼と結ばれてみれば、鈍感だと言われる割には、彼なりに細かな心配りや気遣いをしていることがよくわかるのだ。
ずっと不幸に慣れすぎて、上条自身にも幸せがやって来ることなど、これまで考えもしなかったのだろう。
だからこそ、ほんの小さなことにでも幸せを感じ、周りの人間に、少しでも分け与えたいと思う彼の気持ちが、美琴の心を温かくしてくれることで、自分はいつも幸せな気持ちでいられる。
そんなことを思っていた彼女に、
「次は子供が生まれましたってハガキを作りたいですねえ……」
「へ!?」
突然の上条の言葉が、美琴の顔を朱に染めさせた。
それは照れというよりは、隠していた秘密をズバリ言い当てられた恥ずかしさのようなもの。
「――なーんて贅沢言ったらばちが当たりますねえ。上条さん今でも幸せすぎて、信じられないくらいですから」
彼からそんな言葉が出るのは、やはり今でも幸せを求めきれない悲しい性格なのだろうか。
自分に幸せなど続くはずも無いと「思い込んできた」彼の悲しい幻想を壊すのなら今しかないのだと、美琴の想いが動き出す。
(――もう少し後で言おうかなと思ったけど、やっぱり今言うのが一番かもね……)
目一杯の愛情で、自分を包んでくれる上条に、もっと沢山の幸せを感じさせてあげたい。彼が自分に与えてくれる愛情を、自分だってもっと彼に与えてあげたい。
――そう願いながら、美琴は上条の隣にそっと寄り添うように腰をかけた。
「当麻、大事な話があるの……」
「……」
美琴が真剣な面持ちで、上条の顔を見つめている。いきなり変化した彼女の雰囲気に戸惑いながら、上条も真面目な表情に変わっていた。
「あのね、昨日、お医者さんに行ってきたんだけど……」
「――美琴。どこか……悪いのか?」
医者と聞いて、ちょっと心配そうな顔をする上条をよそに、美琴は恥ずかしそうに俯いて、自分のお腹を守るかのようにそっと手を当てる。
「ううん。行ってきたのは産婦人科、よ」
「えっ? それって、もしかして……?」
「今ね、妊娠6週目。正真正銘のハネムーンベビーよ。もうすぐ7週に入るのかな?」
「えーーっ!? ほ、本当でせうか!?」
彼女からの突然の大発表に、まだ信じられないと言いたげな上条のちょっと間抜けた表情を見て、美琴は楽しそうに話を続けようとしたその時。
「――だからそろそろ悪阻が始まる…… う、うぷっ!?」
突然こみ上げるような吐き気に襲われて、美琴は口元を押さえて洗面所へと駆け出した。
慌てて洗面所へ駆けていく彼女の後姿に、上条はただおろおろとするばかり。
それでもやっと気がついたように彼女の後を追って洗面所まで来ると、おう吐を続ける美琴の背中を優しくさすっていた。
「み、美琴っ! 大丈夫かっ!?」
「だ、大丈夫だからっ。げほっ……当麻っ! あっちで待っててっ!」
ごほごほと吐きながらも、心配するなと言うかのごとく、美琴は上条を叩きだすようにリビングへと追い返した。
彼は心配しながらも、結局言われるままにリビングのソファーに腰掛けると、そこからじっと彼女の様子を窺っている。
やがて洗面所から戻ってきた美琴は、まだ少し苦しそうではあったものの、これまで上条が目にしたことの無い、清らかな笑顔をしていたのだった。
それは、お腹に子供を持つ女性が見せる、幸福と自信の証し。母となることの喜びと嬉しさがにじみ出た聖なる微笑。
「悪阻は病気じゃないから大丈夫よ。それよりこれから、いろいろと当麻に不便な思いをさせてしまうかもしれないけど……」
そう言いかける美琴を遮るように、上条が優しく美琴の身体を引き寄せた。
「不便な思いだなんて言うんじゃねえよ。お腹の子は俺と美琴の大切な宝物なんだからな。俺の……子供を産んでくれる……なんて幸せを……ううう……」
「ちょっ! とと、当麻? 泣いてるの!?」
自分を抱きしめている上条が、ぽろぽろといきなり涙を流しだしたことに美琴は驚いていた。
妊婦が妊娠初期に、精神的に不安定になるというのは良くあることだし、夫にも悪阻がある場合だって聞いてはいたが。
「こんなに早く子供まで授かるなんて思ってもみなかったから。この上条さんに幸せが続くのが嬉しすぎて……」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながらも、上条は目尻の涙を手の甲で拭いている。
そんな彼を愛おしく感じた美琴は、これまで隠していた秘密も白状してしまおうと思って、彼の目をじっと見た。
「――実はね、私、神様にちょっとしたお願いをしてたの」
「お願い? 神様に?」
神様などというオカルトチックな言葉を、美琴から聞くとは思ってもみなかったが、インデックスをはじめ、魔術師との交流がある彼女ならではだと、上条は思う。
「うん。もし当麻の不幸をね、私との結婚で打ち消すことができるのなら、ハネムーンで赤ちゃんを授かりますようにってね」
『幻想殺し』の力が、幸運や神様のご加護をも打ち消すと言われたことを知っている彼女なりの気遣いなのだろう。
いつもこうして自分のことを思ってくれる美琴の愛情を、上条は本当に愛おしく感じられた。
「それであんなに毎晩求めてきたんですねえ」
「もうっ! 恥ずかしいからそれはあんまり言わないで……」
新婚旅行中、毎晩積極的に求めてくる美琴に、上条は特に気にすることも無く、むしろいつも以上に応じていた。
それは彼女が新婚旅行中の妊娠を望み、またその頃に排卵日を合わせるようにしたこともあって、自身の欲望も高まっていたのもあったからなのだが。
「当麻は……子供はもう少し後のが良かった? もう少し2人だけの新婚生活を続けたかった?」
ちょっと心配そうな顔で、美琴が上条の顔を覗き込んでいる。
そんな彼女の不安を払拭するかのように、上条は右手で彼女の髪を優しく撫でていた。
「いや、俺は前から言ってた通り、早く子供が欲しかったから、美琴さえよければ何も言うことはないですよ? それに……」
「それに?」
「――新婚生活ったって、今までずっと一緒に暮らしてたんだからな? 結婚してなくても新婚生活みたいなものだったし」
美琴が高校へ入学したときから、この日を迎えるまでの数年間、ずっと一緒に暮らしてきた2人には、そもそも新婚生活なんて長い春の延長みたいなものなのだ。
なにより上条自身は以前から、早く子供が欲しいと明言していたこともあり、美琴が妊娠を受け入れてくれるのであれば、避妊をやめて自然の摂理にゆだねようと思っていたのだから。
「そうよね。でもよかったあ。当麻に喜んでもらえて」
「――あたりまえじゃないか。家族が増えるのは大賛成だし、わざわざそんなお願いごとをしなくたって、美琴と生まれてくる子供がいれば俺は十分に幸せなんだからさ」
「でもやっぱり私だって、大切なあなたにもっと幸せになって欲しいわよ。当麻はね、傍にいてくれるだけでちゃんと私とこの子を幸せにしてくれるから」
笑顔になった美琴を、上条は慈しむように傍へ抱き寄せる。
そっと彼女の頬に手を添えると、彼は互いの息遣いが感じられるほどの距離で愛の言葉を交わしていく。
「――ああ、これからもずっと一緒だぞ。美琴……」
「――ええ、これからもずっと一緒よね。当麻……」
美琴の鳶色の瞳が、じっと上条の顔を見つめている。
上条の漆黒の瞳も、美琴を柔らかく見つめていた。
やがて2人は優しく優しく唇を重ねていた。
――ずっとこの幸せが続きますように、との願いを込めながら。
その後、美琴懐妊の連絡を受けた上条詩菜と御坂美鈴が、気の早い赤ちゃん用品を山のように抱えて彼らのマンションへ押しかけてこようとは、このとき2人は夢にも思っていなかったのでした。
~~ THE END ~~