とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

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風に負けない言葉の強さ ~Mutual_Love



 光陰は百代の過客なりと古の詩人は詠ったが、普段気にも留めなかった日常が簡単にひっくり返ってしまう時が来ようとは、この時上条当麻には思いもよらなかった。
 気づかなければよかったと悔やんでみても、過ぎ去った日々は戻らない。

 一端覧祭も過ぎたある初冬の放課後。珍しく暖かい小春日和の日差しに誘われて、いつもの公園のベンチに腰を下ろしていた上条の前に現れたのは、

「おっす! 元気してた?」
「上条さん、ごきげんようですの」

 美琴と白井の二人連れだった。

「よう。二人とも今日は学校帰りか?」
「うん。これからちょっとそこまで、買い物にね」
「そうですの。今日は久しぶりのお姉さまとのデートですのよ?」

 そう言いながら、美琴の腕にスリスリと顔を寄せ付ける白井。

「くーろーこー! 離しなさいってば! アンタはいつもいつもそうなんだからっ!」

 鬱陶しそうな口ぶりながらも、後輩への笑顔を崩さない美琴。相変わらずな彼女らの遣り取りを目にした上条も、思わず笑みを零した。

「大体お姉さまがいけませんのよ。いつもいつも上条さんに構ってばかりで、この黒子を寂しがらせるんですもの」

 からかうような白井の言葉に、美琴は急にうろたえだしたかと思うと、向こうの自販機へと駆け出して行く。
 ――ジュース買ってくるから、と言った彼女の顔はなぜだか赤く染まっていた。
 そんな彼女の後姿を眺めていた上条がぽつり呟く。

「アイツも最近、かなり変わったよな……」
「どうかいたしましたの?」

 上条が何気なく漏らした言葉に、白井が聞き返す。

「なんだかさ、女の子っぽくなったっていうか、あまりツンツンしなくなったっていうか……」
「――それは当然ですの。だってお姉さまは恋をしてらっしゃいますから」
「えっ!?」

 白井が言った言葉に、なぜか上条はその身体を電撃で打ち抜かれたような衝撃を感じていた。

「恋をしたらどんな女の子だって変わりますわよ? それがどうかいたしまして?」
「――み、御坂が恋、ねえ……」
「そうですの。上条さんは相変わらずお気づきなさらぬようですけれど」

 それは白井なりの美琴への援護射撃のつもりだった。
 かといってそのまま素直に、美琴が上条に恋をしているなどと伝えるようなことはしない。彼女にだって女の意地ってものがある。
 しかしこの時のわずかな遣り取りで生まれた齟齬が原因となって、彼らを翻弄することになろうとは思ってもみなかった。

「そっか。御坂が恋を……ね」

 普通の男なら少しは気づきそうなものなのに、鈍感人間上条当麻は普通じゃない。彼には美琴の恋の相手が自分だとは思わなかった。
 美琴が恋をしているという事実にショックを受けた自分に気付いて、上条の心に暗雲が立ち込める。
 それまで気づかなかった『感情』が、自分の心に生まれつつあることに彼は苛立ちを感じているのだ。
 その『感情』の黒さの理由に思い至った瞬間に、彼は心にぽっかりと大きな穴が空いたように感じて、思わずベンチから立ち上がっていた。

「そっか……」

 上条はそう小さな呟きを漏らすと、ふいっと身を翻すように公園を後にしていた。

「か、上条さん?」

 後に残された白井が、戸惑いを隠せぬまま声を掛けるが、彼は何も言わず向こうを向いたままにその場から逃げるように立ち去っていく。
 ジュースを買って戻ってきた美琴が見たものは、誰もいないベンチと、公園の向こうを見つめたままに立ち尽くす白井の姿だけだった。

――その日から上条当麻の様子が変わった。

 何かに悩むような思いつめた顔をして、教室でも黙ったまま座っている。授業中もどことなく上の空で、時折り切なげにため息をつくだけだ。
 そんな上条の悩ましげな姿に乙女心を刺激される女子生徒も少なくはない。が、彼の周囲に漂う雰囲気が、まるで結界のように張り巡らされて誰も声を掛けられない。
 土御門や青髪ピアスらとのいつものバカ騒ぎにも参加せず、友人たちの誘いも断って、毎日学校から自分の寮へと帰るだけの生活を続けていた。
 ムードメーカーの上条が暗く沈んでいるおかげで、普段の活気ある教室の空気さえも変わってしまった。
 デルタフォースのふたりによる様々な煽りや、姫神の気遣うような言葉さえも彼の耳には届かない。苛立つ吹寄の頭突きを受けても、彼は黙ったまま辛そうに顔を背けるだけ。
 心配した担任の小萌先生が声をかけても、生返事が返ってくるだけで彼の様子にはなんの変化も見られなかった。



 そんなことが続いていたある週末の放課後のこと。
 上条はふらふらと思い詰めたような暗い表情をして、いつものように真っ直ぐ自分の寮へと帰っていた。
 その日は補習もなく、まだ日暮れにも程遠い放課後の早い時間だから、今日のタイムセールにもまだ余裕があった。
 かといっていつもの公園で暇を潰すと、かなりの高確率で彼女と出くわすことになるだろう。
 別に会いたくないと言うわけではない。むしろこちらから会いたいくらいなのに、会えば胸が苦しくなってしまうから。
 彼は迷った末に、今日も早めに家に帰ることにしたのだが、それでも早く帰ったら帰ったで、同居人からお出かけをせがまれる羽目になるのは、いつものこと。

「とうま。ちょっと買い物に連れてって欲しいんだよ」

 インデックスからのお願いに付き合うことを承知して、セールまでの時間までという約束でショッピングセンターまで出かけることにした。
 上条の前をインデックスが、とてとてと先にたって歩いていく。時々彼を待つかのように振り返ってはにこりと笑いかけ、そうしてまた前を向いていく。
 以前ならそんなインデックスの姿を見るだけで気持ちが穏やかになっていたはずなのに、この「感情」を自覚してからというもの、「そちら」の方にばかり気をとられてしまって心穏やかになんていられない。

(俺はいつから御坂にこんな感情を抱くようになったんだろうな)

 上条当麻はそう独りごちながら、放課後の繁華街をインデックスの後からふらふらと歩いていく。

(インデックスにはこんな感情、ないんだよなあ)

 上条にとって、インデックスは確かに大切な存在であり、何よりも守るべき対象だ。彼にとってインデックスは宝物のようなもの。
 ただその宝物は大切な「預かり物」だ。自分の手でどうこうすべきではないし、しようとも思わない。

(だけど御坂は違う。同じように大切にしたいって思うし守ってもやりたい。御坂美琴とその周りの世界を守るって約束、ずっと大事にしたいと思うんだよな)

 なによりと思いながら、前を行くインデックスの後姿に、いつの間にか美琴の姿を重ねていた上条。

(俺は御坂の全てを自分のものにしたい。いつも傍にいて欲しいし、御坂の心も、身体も、視線だって笑顔だって、その涙だって自分だけのものにしたい)

 恋は甘酸っぱいもの、なんて嘘っぱちだと彼は思う。
 どろどろして、ぐるぐるして、苦しくて切ない。
 これが初恋なのかどうかはわからないが、記憶にある限り初めての恋は、上条には辛いものだった。
 とにかく美琴の顔を見るのが辛い。なぜなら自分の目の前にありながら、決して自分の手には入らないもの、としか彼には思えなかったから。

(――御坂に会いたい。でも今は……会いたくないな)

 複雑な心境を胸の内で反芻していた上条だったが、そういう時に限ってなぜだかその人物を見つけてしまう。
 放課後の学生たちで混雑する大通り、反対側の歩道を同じ常盤台の制服を着たツインテールのお嬢様、白井黒子と肩を並べて歩く美琴の姿を。
 慌ててインデックスの手を引っ張ると、すぐ脇の路地へと身を隠した上条。
 いきなりのことに暴れる彼女の口を、シッと塞ぐようにして静かにさせると彼は通りの向こうの様子をそっと物陰から窺う。
 この先のショッピングセンターへ向かうのか、柔らかな笑顔で隣の白井に語りかける美琴の姿を、上条は静かに見守っていた。

「常盤台のお嬢様、か……」

 彼女らが通り過ぎるだけで、道を行く学生たちにはその制服から高位能力者にして、生粋のお嬢様だとわかってしまう。
 まして二百三十万人の頂点たる『LEVEL5(超能力者)』第三位、『超電磁砲』という通り名を持つ彼女の容姿は、すれ違う人々を振り向かせるほどのもの。
 上条はそんな美琴に恋をしたことに気づいてしまった。それはもう忘れようにも忘れられないほどの恋であることが、今の彼には最高の幸福にして最大の不幸なのだ。

(そもそも超能力者のお嬢様が、俺みたいな無能力者と恋をするなんて展開、どこの世界の小説だよ)

 そんな誰もが憧れるお姫様が、友達としてのお付合いならともかく、自分のような冴えない男と恋をするなんてことはありえない、としか上条には思えなかった。
 知り合った頃から一年ちょっとの月日が過ぎる頃には、子供っぽいと思っていた彼女もいつのまにか大人への階段を登っていた。
 その遠目に見える魅力的な姿に、上条の心が大きく揺さぶられる。


 気を許した人に向ける無邪気な笑顔。困っている人に向ける親切心溢れた優しげな笑み。
 課題を手伝ってくれた時。中学生に勉強を教えてもらう高校生なんてそうはいないだろうけど、向こうはエリートで名高い常盤台中学生だ。
 料理を振舞ってくれた時。一人暮らし歴云年の自分より料理が上手いなんて、ちょっとショックだけれど彼女の手料理はとても美味しかった。
 もちろん時にはけんかだってするし、一方的に電撃を放たれることだって最近はかなり減ったものの、それだって退屈はしない。
 何でもないようなことで機嫌を損ね、慌てて土下座したことも度々だし、急に顔を真っ赤にして漏電したり、時には気を失ったりすることだってある。
 いつも美琴に振り回される上条には、何がなんだかわからないことだらけなのだが、それでもいつのまにか一緒に過ごしたいと思うようになっていた。

(そう言えば俺って御坂のこと、ちゃんと考えたこと無かったのかもしれないな)

 何の気兼ねも要らず、別にお嬢様だからといって気取ったりもしない。
 一生懸命な努力家で、大人びた部分もあれば、結構な可愛い物好きだという子供じみた部分もある。
 情に篤くて思い遣りがあって、勝気で負けず嫌いなくせに実は泣き虫だったりとか、強さの陰にある弱さと儚ささえも知ってしまった。
 面倒見の良さや、やたら世話を焼きたがる所なぞ、どこにでもいる普通の優しく可愛い女の子と変わりない。
 いやむしろ普通の女の子だと思っていたからこそ、彼はこれまで気楽に付き合っていられたのに。
 いつも変わらずそこにあると思っていたものが、いつのまにか自分の手から、すり抜けるように零れ落ちていたことに気がつかなかった。
 それに気がついたのは、全てが終わったその後のこと。覆水盆に帰らず。こぼれたミルクを見て泣くことしか出来ない自分が、無性に腹立たしかった
 もっと早く彼女のことに気がついていたら、こんな辛い思いをせずに済んだのかも知れないと思うと、だんだんと視界が滲んでいくのがわかる。

 ロシアから戻った夜、自分の左手をつかんで、じっと見つめてきた瞳の凛々しさ。
 ベツレヘムの星の上で、必死になって自分の方へ手を伸ばしている時の思い詰めたような顔。
 第二十二学区でのあの言葉。地下街で撮ったペア契約のツーショット。大覇星祭。残骸事件。夏休みの恋人ごっこ。
 何より忘れるわけにいかないのはあの夏の出来事だ。アステカの魔術師との約束と、「妹達(シスターズ)」。
 あの時はなんのてらいもなく素直に言葉が出た。思いが出た。身体が動いていた。
 記憶破壊でも失われなかったこの気持ちだけは、ずっと心の中に残っていたのかもしれない。

(――御坂の笑顔を守りたいって思いだけは、残ってたんだ)

 柔らかな表情の美琴を思いながら、上条はどこか寂しい気持ちを抱えたまま彼女らの後姿をじっと見つめたまま立ち尽くしていた。
 最近は会うことも無くなった、と言うよりは、会うことが辛くなってからは、会わないように彼女を避けてきたから。
 会わなければ辛い思いをすることもないと思っては見たものの、それ以上に切なさや苦しさが増えた。彼女の顔を見ない日は、普段以上に暗く寂しい気持ちで胸が塞がれてしまうのだ。

(そのうちアイツの隣には、俺の知らない男が寄り添うんだろうな)

 そう考えただけで、心臓がぎゅっと何かにつかまれたように苦しくなった。身体の奥底からどす黒い感情が湧いて出て、上条の心を闇に染めていく。
 知らない男とキスをする美琴。彼女はやがてその男と結ばれて……。

(アイツが幸せなら、喜んで応援してやるのが男ってヤツなんだろうけど……)

 忘れようとも忘れられない彼女の姿を思うだけで、彼の心にはぽっかりと穴が空いたような虚しさしか残らなかった。

(俺はいったいどうすりゃ良いんだよ……)

 友達で十分だと思いこもうとしてたのに、今もその先を求めてしまう自分のことが許せなかった。
 何度も何度もあきらめようとしているのに、あきらめきれない自分の甘さが許せなかった。

「――俺にそんな幸せなんて来るわけ無いんだからさ……」

 ぼそりと呟いた言葉がブーメランのように戻ってきて、上条の心をぐさりと抉る。その痛みに顔をしかめるかのように、彼の顔が苦痛に歪む。
 はぁっと大きく息を吐き、辛そうな顔をする上条の顔を、インデックスはいつしか何も言わず、傍らでじっと見ていただけだった。


「――なんで会えないのよ……」

 その夜、御坂美琴は自室のベッドで携帯電話を握り締めながら呟いた。
 いつもの公園に行くと、毎日のように顔を会わせてたアイツが、なぜかあの時からぱったりと顔を見なくなってしまった。
 ジュースを買って戻ってみれば、アイツは姿を消して、後に残った黒子も変な顔をしてた。聞けばアイツはふらりといきなり立ち去ってしまったそうだ。
 それでこちらから遊ぼうとメールを送ってみれば、忙しいからとやんわり断られ、どこにいるの? と聞いても学校だとか、友人と遊んでるからとかではぐらかされる。
 課題は? と聞くと必要ないと素っ気なくされ、ご飯作りに行こうか? と聞けば大丈夫という返事。電話をしてもまた後でかけ直すと言われそのまま放置状態だし、電話に出ない事だって度々だ。
 完全下校時刻を過ぎても会えず、夜遅くまで寂しく公園のベンチで佇むことだってあった。
 もしかしてまた「外」にと思い、出かけて行って道から見た上条の部屋には明々と電気が点いていた。
 とはいえ中まで押しかける勇気なぞあるはずも無く、アイツが無事ならそれでいいやとばかり、会いたいと思う自分の気持ちを押し殺したままで、結局はすごすごと引き上げてきた。
 美琴は落ち込んだ気持ちのまま悶々とした日々を過ごしていたが、それももう限界が近かった。
 こんな思い詰めたような恋なんて、アイツにだって重いだろうな、と思う。もちろん彼の重荷にはなりたくない。
 それでも上条のいない世界を思っただけで、美琴の胸は張り裂けそうになる。もしかして嫌われたんじゃないかと思う不安な気持ちが止められない。
 時おり街中で見かけるふたりの姿を思い出してしまうと、美琴の気持ちは底なし沼のような闇の中へずぶずぶと沈んでいくのだ。
 いつか見たインデックスに向ける上条の優しい微笑。見守るような慈愛に満ちた視線。その瞳の先には、いつだって彼にとって特別なはずのあの子がいて。
 彼女を見つめる上条の瞳は、自分に向けられることは無いのだと思ってしまったから。自分が割り込む余地さえない絆がそこに見えたような気がしたから。
 そうしていつか、彼はインデックスと共にこの街から、自分の世界から消えてしまうような気がしてしまったから。

(初恋が甘酸っぱいものなんて言ったのは誰よ)

 最初はそうだとわからなかった。それでもいつしか彼女の心の中で、彼の存在感が大きくなっていくことに、不安と戸惑い、切なさと恥ずかしさのような感情を覚えていた。
 そうしたある日、その「莫大な感情」が自分の中にあることを自覚して以来、美琴の心は全て上条当麻一色に塗りつぶされてしまっていた。

(こんなの不安で切なくて苦しいだけじゃない)

 ただ純粋に好きな人に喜んで欲しい、助けになりたい、支えてあげたいという気持ちだけが、この少女を支える芯のようなもの。
 なのにその彼と会えなくなったことで、美琴の心は今にも折れそうだった。

「――こんなに辛いんだったら、恋なんてしなきゃ良かった……」

 そう呟くだけで、胸がぎゅっと締め付けられるように感じてしまうのに、それでも上条を愛しく思う気持ちだけは失いたくないと思う。
 携帯電話の待ち受けには、彼と写ったぎこちない表情の自分。ペア契約のとき、あの地下街で撮ったツーショット。
 隣に写る上条当麻の恥ずかしげな表情が初々しくて、いつ見てもついつい頬が緩んでしまう。

「当麻ぁ……会いたいよう」

 そう小声で呟くたびに、涙が頬を伝って落ちる。
 これまで幾度となくたくさんの壁を乗り越えてきたけれど、この壁だけは今の自分の手に余る。越える方法はおろか、取っ掛かりさえもわからない。もがいてももがいても、その先には悲しい未来しか見えなかった。
 この壁をなんとか乗り越えようと努力はしてきたはずだったのに、何が足りなかったのだろう。
 課題も手伝った。料理だって振舞った。おかげでインデックスからも慕われるようにはなったけれど、それだって元は彼のためにと思ってしたことだ。
 上条に好かれるためではない。彼の助けになりたいと思ったから。笑った顔を見たかったから。美味しいと言わせたかったから。
 それでもたまに素直になりきれなくて、こんな自分の気持ちをわかって欲しくて、ついついビリビリとしてしまう事もあったけれど、何より彼を幸せにしたかったから。
 そんなささやかな願いさえも崩れていくような感覚が、美琴の心を恐怖と絶望に苛んでいく。

「――とうまぁ……」

 同室の後輩に聞こえぬよう、そっと涙と一緒に零した呟きは部屋の空気に溶けて消えていった。


「――とうま。今日は何でみことから隠れたのかな?」

 晩御飯を食べながらインデックスが上条に聞いた。

「最近、みことがご飯作りに来てくれないし。もしかしてけんかでもしちゃったの? とうま……」

 食事中にもかかわらず、心配そうな顔をする彼女に、上条はなんでもない、と言うように笑みを作る。

「ん? アイツだって忙しいんだろ? 今年は受験だからアイツだって大変なんだし」
「でもこの前来たときは、受験なんて別にどうってことないって言ってたんだよ?」
「じゃ、友達と遊ぶのに忙しいのさ」
「みことはとうまと遊ぶほうが楽しいって言ってたんだよ?」

 インデックスの発言に、思わずどきりとした上条。

(俺と遊ぶほうが楽しい? それは……気兼ねの要らない友達だからってことか? それとも……)

「――勘違いに決まってる。そんなことありえない……」
「とうま? 何のこと? どういうこと?」

 ついポロリと漏らしてしまった呟きに、インデックスが食らいつく。

「あ、いや、気にすんなって。ちょっと他事考えてただけだから……」

 そう言っただけで、すうっと上条の表情が沈んでいく。
 美琴がこの部屋へ来なくなってから、それなりに日にちが過ぎている。
 ちょっと前まで上条の課題を手伝ったり、料理を作りに来たりとこの部屋へ出入りしていた彼女が、ぱったりと顔を見せなくなった頃から上条から元気がなくなった。
 だから美琴が来なくなったことや、上条が彼女を避けるようになったことが、彼の悩みに関係あることはインデックスにもわかるのだ。

「とうま。やっぱり変なんだよ。本当にみこととけんかしてないの?」
「ああ、してないぞ。ほんと会ってないだけだからな」
「じゃ、どうして会ってないの? 今日だって急に隠れたりするんだもん……」
「……」

 黙りこんでしまった上条の隣に、インデックスが座り直す。そして彼の右手を優しく自分の手で包み込んだ。

「――!?」

 不意をつくような彼女の振る舞いに、びっくりする上条。そんな彼の狼狽に構わず、インデックスはじっと上条の顔を見上げて言った。

「ずっと辛そうな顔をしてるんだもん。とうまがそんなだと、私だって辛いんだよ」
「――っ」

 いつのまにかテーブルの上に視線を落としていた上条は、インデックスの言葉に唇をかみ締めていた。
 不甲斐ない自分のために、インデックスにまで心配をかけてしまったということに、なんだか自分自身が情けなく思えてしまう。
 そんな上条にインデックスが放った言葉は、彼の予想を上回っていた。

「――とうまは、みことのことが好きなんだよね?」
「ちょっ! イ、イイ、インデックスさん? いきなりなんでせうか?」
「――答えて!」

 いきなりのことではあったが、これ以上彼女に心配をかけまいと上条は虚勢を張ろうとして、

「はぁ。そんなことないぞ? アイツは……ただの友達だからな」

 そう言い繕ってはみたものの、ズキリと胸に走った痛みに思わず顔を顰めたことまでは隠せない。
 苦しそうな上条の表情を見つめたまま、インデックスがぽつりと呟いた。

「私、とうまの恋人が、みことならいいなって思うんだよ」
「え……ええっ!?」

 突然の言葉に、上条の頭がフリーズする。

「みことだったら、とうまの力になってくれるもん。みことだったら、とうまを助けてくれるもん。みことなら、とうまを幸せにしてくれるってわかってるんだもん」
「インデックス、お前……」
「でも私だって、とうまの力になりたいんだよ! 一緒に居てくれる大切な人が悩んでるから、助けたいんだよ!」

 じっと彼を見つめてくるインデックスの翡翠色の瞳に涙が浮かんでいた。
 上条は彼女の涙に胸が締め付けられる。あの「初めて」出会った病室で、泣かせたくないと思った彼女にまた、心配をかけてしまった。
 そんな後悔が上条の気持ちを素直にさせる。ただ彼女の言った「大切な」という言葉の本当の意味まではわかっていなかったけれど。

「ごめんな、インデックス。また心配かけちまったようで。――ああ、俺は御坂が好きだ。記憶をなくす前からアイツとは知り合いだったらしいけど、この気持ちに気づいたのは、つい最近なんだ」

 上条の言葉にインデックスの顔が一瞬だけ暗く沈んだように変わったが、すぐに元の明るい表情へと戻る。だが彼がその変化に気づくことはなかった。



「ならどうしてとうまはみことに告白しないの? なんでみことと会わないの?」
「アイツ、好きな人がいるんだってさ。だから俺みたいなのが邪魔しちゃ悪いかなって思ってさ」
「でもとうまはみことが好きなんでしょ? みことが誰を好きでも、とうまがみことに会っちゃいけないなんて神様だって決めちゃいないもん!」

 インデックスがなぜかむきになって上条に詰め寄っていた。なぜそれほどまでに彼女がむきになるのか、上条にはその理由がわからなかった。
 それでも彼女なりに、一生懸命自分の助けになろうとしていることだけはわかっている。
 そんな直向さがありがたい、と上条は思う。こんな不幸のどん底で、それほどまでに自分のことを心配してくれる彼女の気持ちが唯一の救いだと感じられていた。

「――お互いに好きじゃなきゃいけないなんて、誰が決めたの? 好きだったらいいじゃない! 会いたいのなら……素直に会うのが一番……なんだよ……」
「わかったわかったから、インデックス落ち着けって。――俺だって会いたくないわけじゃないんだ。たださ……どうしていいかわかんなくてな」

 感極まったのか、目に涙を浮かべているインデックス。
 そんな彼女の顔をやれやれとばかりにハンカチで拭ってやる上条だったが、そんな彼の顔が辛そうに歪む。
 そこには普段の彼からは想像もつかないような、思い詰めた顔があった。

「――御坂が幸せになるんだったら、それを喜んでやりたいってわかってるんだけどさ。どうしたってそう思えないんだ。くやしくてさ。なんで俺じゃダメなんだって思っちまうんだよ……」

 上条の目から、ぽろりと一粒、滴がこぼれる。

「不幸まみれの俺じゃ、どうしたって御坂を幸せになんて出来ないし、そもそもこの俺に幸せが来ることなんてありえねえことぐらい最初からわかってたはずなんだ」
「とうま……」
「こうやって会わなければ、すぐに忘れられるって思ったんだ。――でもな、会わないと決めたはずなのに、会いたくて会いたくて仕方がないんだよ。忘れるなんて無理だったんだ」

 ――未練たらたらで情けねえよな、と言いつつ涙を拭いている上条を、インデックスはそっと抱きしめた。

「とうまにそれほどまで思われてるみことは幸せ者だと思うんだよ」
「そう、なのかな……」
「――大丈夫。とうまにだっていつか必ず幸せはやって来るんだよ。なんならこの私がとうまを幸せにしてあげてもいいかも」

 インデックスが――あはははと陽気に笑う。
 それまでしょぼくれていた上条も、その笑顔につられるように――はははっと笑いを返していた。彼には久しぶりの笑いだった。
 その笑顔がインデックスを安心させる。少なくとも上条は、少しずつ前を向こうとするかのように思えた。

「辛かったんだよね、とうま。でももう我慢しなくてもいいのかも。このシスター・インデックスが、とうまの辛さも涙もぜんぶ聞いてあげるんだよ」
「ありがとうな、インデックス。お前が一緒にいてくれてほんとに助かったよ」

 インデックスの前でぐすぐすと鼻を鳴らす上条の姿を前に、彼女はなんとかもっと彼の助けになれないかと考えていた。
 だが恋愛関係の悩みはインデックスとてわからない。なにしろ自分自身のそれですら解決できないまま、いつのまにか終わってしまった感さえあるのだから。

(ごめんね、とうま。今の私にはとうまの話を聞いてあげることしか出来ないんだよ。――でもみことって、とうまのことが好きなはずなのにどうしたのかな)

 ふとインデックスの脳裏に、ひとりの人物の顔が浮かんできた。
 それは上条にとっても自分にとっても、大変頼りになる人物のはずだった。

(――相談してみればいいのかも?)

 なんとなく彼女には、それが上条の運命の歯車を動かすようなことになりそうな感じがしていた。
 自分を運命の歯車から救い出してくれた上条のように、今度は彼女が上条を救い出す役割を果たせそうな気がしているのだ。

「明日はちょっとお出かけしてくるんだよ、とうま」


風に負けない言葉の強さ ~Mutual_Love



 白井黒子は――ほうっとため息をついていた。土曜日の昼近く、いつもの風紀委員(ジャッジメント)の巡回中のこと。
 先日までの暖かな小春日和は過ぎて、今日は木枯らしの舞う如何にも冬らしい天気。
 ほとんど葉の落ちた道沿いの並木には、落ち残った数枚の葉が風に揺られていた。枝からぶら下がる蓑虫も、長い糸の先でくるくると舞っている。
 かさかさと音を立てて、枯葉が足元を駆け抜けるように飛んでいった。
 白井は制服の上にコートを着込んで防寒対策としているものの、それでも寒さが身に染みてくるように感じられる。
 それは天候だけでなく、彼女の胸のうちにもその原因があったから。

(今日もお姉さまの元気がありませんでしたの……)

 美琴が上条と会えなくなってからというもの、白井の精神もガリガリと削られるような生活が続いている。
 昼間、学校など人目のあるところでの美琴の様子は、普段となんら変わりはない。
 だが寮の自室で皆が寝静まった夜中などに、美琴のすすり泣きと、上条の名を呟く声が聞こえてくるのだから。
 上条と会えないことが、それほどまでに彼女の心を痛めつけているという事実が、白井に二重、三重の苦しみを与えていた。
 誰よりも美琴のことを慕っている彼女にとって、そのきっかけを作ったのが「自分の発言」かもしれないという懸念が頭をよぎる。

(やはり「あれ」が原因なのでしょうか……)

 もちろん自分ではそんなつもりなど毛頭無かったし、そもそも「あれ」が原因だとも思えなかった。
 それでも否定しきれぬ心許なさが彼女を不安に苛んでいる。

(お姉さまが上条さんに恋をなされてることぐらい、なんとなくでもお分かりになられてると思ってましたのに)

 上条とは普段あまり接点の無い白井には、彼がそれほどまでに鈍感なのだとは知らなかった。
 彼女の発言で自らの気持ちを自覚した上条が、真っ先に感じた嫉妬のためにネガティブスパイラルに陥ってしまったことなんて、ふたりにもわからない。
 美琴への援護射撃が、いわゆる「Friendly Fire」となっていようとは白井にも想像がつかなかった。

(私はあくまでも、お姉さまの幸せを願っているはずですの。なのに……)

 こうして街中を巡回していても、ついつい敬愛するお姉さまのことが気になってしまう。
 なんとか集中しようと思ってみても、夜毎に聞こえてくる美琴の哀しみの声が脳裏に甦って、白井の胸を苦悩の色に染め上げるのだ。
 美琴の苦悩を解決させてやりたいと思ってはいるが、その原因が分からない以上、解決の糸口さえもわからない。
 いっそ上条の元へ乗り込んで、美琴のことをどう思っているのか問い詰めてみようかと思ったこともあった。
 しかし彼が美琴以外の女性を想っていたとしたら、却ってやぶ蛇になりかねない。それどころか本当に美琴の心は耐えられなくなるだろう。
 そもそも自分とて男女の恋愛なぞ、経験はおろか考えたことすらなかったから、どうするのがいいかなんてわからない。お嬢様学校の常盤台自体に恋愛経験者なんぞそうはいないのだ。
 もちろんそこはお年頃の女の子ゆえあれこれと騒ぎはするものの、所詮は夢見る乙女のおとぎ話にしかならない。
 むしろこういうことは、箱入り娘たちより、初春や佐天のような普通の女子学生のほうが慣れているだろう。
 いっそあの二人にも相談しようかと思ってみたところで、彼女のお腹が空腹を訴えていることに気がついた。

「――もうお昼でしたのね」

 時計を見ればすでにその針は午後の時間を指し示している。
 美琴のことが心配で、あまり食欲は無かったけれどそれでも何かお腹に入れておこうとは思っていた。
 いざという時に燃料切れになって、任務に差し支えるようなことでは風紀委員失格だから。

「ここでも構いませんわね」

 近くにあったファミレスに入った彼女の目に飛び込んできたのは、白い修道服のシスターと、隣に座るピンク色した髪の少女。
 すでに食事は済ませたのか、テーブルの前にどっさりと積みあがるように残された空の食器の数々。
 ピンクの髪の少女は少し引きつった顔をしていたが、落ち着いている様子からその光景は彼女には見慣れたものなのだろう。

(――あれは……)

 その彼女らから聞こえてきた「みさかみこと」という言葉に吸い寄せられるように、白井の意識がそちらへ向いた。
 どうやら二人は上条と美琴の話をしているらしい。白井は彼女らの話に耳をそばだてていたが、気がつけば彼女たちのテーブルの前に立っていた。


 インデックスは月詠小萌とファミレスにいた。それはもちろん上条のことについて相談するためだ。
 彼女は昨日の洗いざらいを小萌に打ち明ける。
 彼が恋をしていること。それはどうやら片想いらしいこと。そしてその相手のことなどを。

「――そうなのですか。上条ちゃんは片想いをしてたのですね」
「そうなんだよ、こもえ。とうまはみことのことが好きなんだよ……」
「でもその相手さんには既に好きな人がいたと。それで上条ちゃんはあんなに落ち込んでいたのですね。それにしても……」

 小萌がじっとインデックスの顔を見つめる。

「――シスターちゃんの方こそ辛くないのですか?」

 にこりと優しい笑みを見せた。もちろんそれは彼女の想いを承知しているからのもの。

「それはみんな同じだと思うんだよ。あいさだって……、こもえだってそうでしょ?」

 インデックスの方からもにこりと微笑み返す。彼女の手に握られたグラスの氷が、カランと音をたてて崩れた。
 彼を巡ってのライバルは多かったけれど、こういう結果になってみれば同じ境遇の者はたくさんいるのだから。

「上条ちゃんも罪作りな男の子なのですよー」

 そう言って小萌は――はあっと切なげにため息を吐いた。インデックスも一緒になってふうっと息を吐く。
 やがてお互い顔を見合わせて、うふふと笑いを交わす。

「――今度、姫神ちゃんやクラスの女の子たちも一緒にパーティーでもしましょうか?」
「うん! ――私もやけ食いしたい気分かも」
「なら食べ放題のお店にするのですよ」

 インデックスが恐ろしいことを口走ったが、そこは大人の余裕を決め込んだ小萌。そもそも一番の被害を蒙るのはそのお店だろうから。

「でもおかしいんだよ……」

 インデックスが不思議だという顔をしている。

「どうかしたのですか? シスターちゃん?」
「――みことだってとうまのことが好きなはずなんだよ?」

 彼女が言う「みこと」というのが誰なのかはわからないが、それが上条の想い人なのは月詠にもわかる。
 少なくとも上条の学年、クラスにはそんな名前の生徒はいなかったから、それは他所の学校の生徒なのだろうと。

「みことさん?」
「うん、みことだよ。短髪とかビリビリって言ったし、とうまはみさかって呼んでるんだよ」
「みさかみことさん……って、もしかするとあの『超電磁砲』の御坂美琴さんなのですか?」

 超能力者(レベル5)第三位『超電磁砲』の御坂美琴と言えば、学園都市に知らぬものはいないほどの超有名人だ。
 そんな彼女が上条の想い人で、インデックスによれば、美琴の方も彼のことを好いているらしい。
 それは言うなれば、大人気トップアイドルが、どこにでもいる普通の冴えない男子高校生と恋をするようなもの。
 どこでそんな繋がりが出来たのか小萌には全くわからなかったが、上条のフラグ体質を思えばそれは不思議でもないのだろう。

「相変わらず上条ちゃんはいろんな女の子との繋がりがあるんですねー」
「そうなんだよ、こもえ。全くいつだってとうまはとうまなんだよ」
「しかし本当に常盤台の御坂美琴さんも上条ちゃんのことが好きなのですか?」

 その時、まだ半信半疑な顔の小萌に向けて、声が掛けられた。

「そうですの。常盤台のエース、御坂美琴お姉さまの想い人が、上条さんですのよ」

 その声にふたりの顔がテーブルの向こうに立っている少女へと向けられた。
 そこにいたのは御坂美琴と同じ常盤台の制服を着たツインテールの女子学生。

「こんにちは、インデックスさん」
「あ、くろこ。こんにちはなんだよ」

 インデックスと白井が言葉を交わす横で、小萌が白井へと視線を向けている。
 それに気づいた白井が、小萌に自己紹介をした。

「はじめまして、お嬢ちゃん。私、常盤台中学の白井黒子ですの」
「はじめましてなのですー。月詠小萌と言います。私はお嬢ちゃんじゃなくて、上条ちゃんの担任なのですよ」
「――は、はあっ!? せ、先生ですの? 小学生とか飛び級とか……」

 白井が素っ頓狂な声を出す。

「違いますよー。先生はこれでも大人なんですから」

 小萌はいつもの事とにこにこと笑っていた。
 それでも真面目な顔に戻ると、白井に同席を勧める。

「白井さん、ここでよかったら座りませんか? さっきの御坂美琴さんのお話を聞かせて欲しいのですよ」

――インデックス、白井、小萌先生の三人が交差した時、ここに新しい物語が始まろうとしていた。



 そのころ美琴は上条の姿を探して、ふらふらと街中を彷徨うように歩いていた。
 その憔悴しきった姿はまるで、上条がロシアで行方不明になっていた時のよう。
 寝不足と心労でぼうっとした顔のまま、これまで彼がいそうなところを順に回っていたのだった。
 最初に行った彼の部屋には上条の気配もインデックスの気配も無かった。
 次に向かったのはいつもの公園。そして勝負をした川原、あの鉄橋、最後に繁華街へとやってきていた。
 もう寮へ帰ろうかそれとも、と思っていた時、背後から聞き覚えのある声がした。

「みことっ!」

 振り向いて見たらそれはインデックスだった。

「――みことっ! 探してたんだよっ!」

 彼女がなにやら切羽詰ったような顔をしている。
 その様子を見て美琴は何事が起こったのかと身構えた。

「どうしたの? インデックス。なにかあったの?」
「みことっ! とうまが、とうまが大変なんだよっ! なにかトラブルに巻き込まれてるのかもっ!」
「――えっ!」

 咄嗟のことで言葉が出ない。それでもこの時美琴の頭に浮かんでいたのは、

(――アイツが大変? トラブルに巻き込まれてって……また何か抱えてひとりで突っ走ってたのか、あのバカ!)

「焦った顔をして展望台の方へ走ってったんだよっ! みことお願い! とうまを助けてあげて!」

 その言葉に彼女の精気が奮い起こされる。それまでぐるぐると悪いことばかり浮かんでいたが、脳裏からきれいに消え去った。
 急に会えなくなったのは何かトラブルに巻き込まれたからだと美琴は思った。
 周りを巻き込まないためにひとりで抱えて、ひとりで突っ走る、いつものアイツの悪い癖が出たのだと。
 ならばこんどこそわからせてやらねばならない。たったひとりで苦しませるものか。

――私だって、戦える! 私だって、当麻の力になれる!

 だからアイツから離れるものか。絶対に離れてやるものか。
 この子にだって頼まれたんだ。アイツが……当麻が誰を想っていようと関係ない。
 私は、御坂美琴は、上条当麻が大好きなのだから。上条当麻と一緒に戦うのだと決めたから。

「うんっ! 任せておいてっ! アイツは……当麻は私が助けるからっ!」

 そう言うなり、美琴は全力で街外れの高台にある展望台へと駆け出していく。
 彼女の顔にはもはや憔悴の色は見られない。そこにあるのは、大好きな上条、愛する少年を守ると決めた乙女の勇姿。
 人ごみを掻き分けるように走り去る美琴の後ろ姿を、じっと見詰めていたインデックスの肩に何者かが触れる。

「さあ、私たちも行きますのよ、インデックスさん」
「――そうだね、くろこ……」

 すぐにふたりの姿がその場から消えた。


 その後のこと。街中をふらふらと美琴と同じように彷徨い歩く上条の姿があった。
 彼はただ美琴に会いたい、でも会いたくないと複雑な心境を抱えたままに路地裏や通りを行ったり来たりしたが、こういう時に限ってなんのトラブルに巻き込まれることもない。
 なにか騒ぎやトラブルに巻き込まれでもすれば、少しは気が紛れることもあるだろうかと思ってみたが、何も起こらなかったのだ。
 そうこうするうちに気がつけばポケットの携帯電話が着信を知らせている。もしかして美琴からかと思ったが、表示されていたのは小萌先生からだった。
 これはこれで補習かなにかのトラブルだな、と思いながら彼は電話に出た。
 聞こえてきたいつもの声は予想通りだったが、ただ少しいつもと違っていた。

「上条ちゃんバカだから、特別授業でーす。それで上条ちゃん、今どこにいますか?」
「せ、先生、今からですか? 今――にいるんですが……」

 上条がそう言うと、電話の向こうで小萌先生がぼそぼそと誰かと話をしていたようだったがすぐに、

「――なら今から先生の言う場所に大至急来るのですよー。来なかったら新しい課題を追加するので覚悟してくださいね」
「わかりました。先生……」

 ――やっぱり不幸だ、と呟きながら指定された場所へと向かう上条。
 と、そこへ、

「か、上条さんっ! やっとみつけましたの!」

 後ろから声を掛けられた。
 振り返ってみれば、はあはあと大きく息を吐いている白井の姿が。

「お、お願いですのっ! お姉さまが……お姉さまがっ……」
「――おいッ!御坂がどうしたッ!」

 白井からの言葉に驚いた上条は、咄嗟に彼女の肩をつかんでいた。
 そんな上条に、白井は心の中でニヤリとしながらも、それを表に出さないよう言葉を続ける。

「お願いですっ! お姉さまを助けてくださいまし! もう上条さんしか頼れませんの!」
「わかった。何があったかわからないが、とにかく御坂は俺が何とかする……」

 さっきまで虚脱状態だった上条の表情が一瞬で変わる。引き締まったその表情は、これまで誰も見たことのない毅然とした男の顔になっていた。

「――教えろ、白井! 御坂はどこにいるんだッ!」
「え、あ、あの高台の展望台、ですの……」

 それを聞いた途端、上条は全速力で走り出した。彼の中にはもはや迷いなど何も無かった。
 御坂美琴を助けるため、大好きな女の子を助けるために彼は脇目もふらず、一目散に駆けていく。
 その後姿に白井はついぼうっと見とれていたが、すぐに彼女は――この類人猿めと呟いた。が、なぜだかその顔く染まっていた。

 彼にはさっき小萌先生から言われた特別授業のことなどどうでもよくなっていた。
 課題なんていくらでもやってやる。今は美琴を助けることが先決だ、と。

(――待ってろ、御坂! 俺が必ず助けてやるからな!)

 街外れの展望台を目指して上条は走り続ける。

(俺は、やっぱり御坂のことが好きだ。俺は御坂美琴とその周りを守るって約束したんだ……)

 あの夏の日の約束。残骸事件のとき、白井を助けたときに言われた言葉。

(あの魔術師みたいにいじけてちゃ駄目なんだ。俺は俺のために御坂を助けると決めたんだ。半分だなんて中途半端で終わらせたりするものか!)

 そう心に決めただけで、身体が軽くなった。気持ちが楽になった。
 駆ける足と同じように、この想いにもどんどんと勢いが乗っていく。
 もう止まらない。止められない。止めようとも思わない。


 そうして高台の展望台の入り口まで来た時、上条は背後から声を掛けられた。

「上条ちゃん! 待ちなさい!」

 その声を無視し、振り切って行こうとしたその瞬間。

「こんの類人猿がああああ!!!」
「げぶふぅぅぉぉおおあああ!!!」

 白井のドロップキックが後頭部に炸裂し、上条は走っていた勢いのまま地面に転がっていた。

「――なにしやがる白井! お前、御坂を助けてくれって……」
「人の話を聞かないのはお猿さんと一緒ですの!」

 はあはあと息を吐きながら白井に抗議した上条だったが、白井の落ち着いた様子を見てすぐに我に返った。
 ふと脇を見れば、なぜかそこにいたのはインデックスと小萌先生。

「へっ? あれ? インデックスに小萌先生、なぜこんなところに?」
「――上条ちゃん。先生はいう通りの場所に来なさいと言いましたよね?」

 有無をも言わせぬ小萌先生の迫力に上条ははっと気がついたように一瞬たじろいだ。
 しかし今は御坂を助けるという緊急事態がと思い、

「先生! 今は御坂を「――来なければ新しい課題を追加するって言いましたよね?」……はい……」

 ずいっと眼前に迫る小萌先生に迫力負けを喫した上条がしゅんとなる。

「あ、御坂さんのことなら慌てなくても大丈夫なので心配要らないのですよ。だから上条ちゃんには今から言う課題をやってもらいます」
「な、なんでせうか、先生……」

 慌てなくても大丈夫という言葉に上条はほっとしたが、追加の課題をすることになり、びくびくとしながら答えた。
 そんな上条を横からニヤニヤとしながら眺めているインデックスと白井。
 小萌は上条の傍によると、彼の顔を見つめながら言った。

「上条ちゃんは御坂美琴さんのことが好きなんですね?」
「はいぃい!?」

 一瞬何を言われているのかわからないといった顔をする上条。そんな彼を更に問い詰める小萌。

「――好きなんですよね? 上条ちゃん」
「は、はい、そうです」

 そう言うと上条は顔を真っ赤に染めた。
 そんな彼を見て――やっぱり可愛いのですーと思いながら、小萌は上条に課題を言い渡す。

「なら上条ちゃんは、その気持ちを正直に御坂さんに伝えてください。それが今日の課題です」
「な、なんですか、先生? 俺に……御坂に振られてこいってことですか?」

 言い渡された課題の内容に上条は愕然としたが、そんな彼を諭すように小萌が優しく言う。

「上条ちゃんは御坂さんを助けたいのですよね?」
「そうですけど、それと俺の告白とどういう関係が……?」
「上条ちゃん。あなたはいつも思いのままに突っ走ってばかりいますけれど、たまには自分の気持ちや、周りの人の気持ちにもきちんと目を向ける必要があるのですよ」
「――はい……」
「まあ今までそういうことに無頓着だった上条ちゃんに言っても、すぐにわかるわけありませんけどね」

 小萌にはっきりと言われてがっくりする上条だったが、それでもすぐに考え始めた。

(御坂の気持ち、か。そういや俺は……ここんところ、アイツと会わないようにしてたよなあ)

 真面目な顔になった上条に、白井がぽつりと言った。

「――お姉さまは上条さんに会えなくなって心配されてましたの」
「……」
「もしかして嫌われるようなことをしたのかと、悩んで悩んで、毎日苦しんでおられましたのよ」
「――すまなかった」
「それは直接お姉さまに言ってくださいまし。それが上条さんの課題なんですの」
「ああ、わかった。ちゃんと御坂に会って謝るよ」

 そう言った上条の顔は、何かを決意したようなしっかりとした顔になっていた。

「あなたにはあの約束を守っていただかないといけないのですから」

 そう言って白井がにっこりと上条に微笑みかける。それは彼に向けた彼女なりの信頼の証。それを受けた上条もまた彼女に微笑み返す。

「ああ、今度は絶対に忘れたりしないさ」

 そう言うと上条は三人に背を向けて、展望台へと登っていく。
 真っ直ぐ前だけを見て進む上条に、インデックスの言葉がその背中を押す。

「行ってらっしゃい、とうま! がんばってみことに伝えてくるんだよ!」

 上条は一瞬足を止めると、振り返らずにそのまま叫ぶ。

「ありがとう、インデックス。俺は……お前のことも好きだぜ!」

 彼はそうして展望台へ向けて走り出していった。
 後に残された三人は唖然としていたが、やがて大きくため息を吐いた。わかってないと言わんばかりに。



 ここは学園都市を眼下に望む高台にある展望台。周囲には風力発電のプロペラが何本も立っている。
 暖かい季節なら、多くの学生やカップルたちで賑わう場所だが、木枯らしが吹く寒い季節には、訪れる人も少なくなる。
 ましてこの場所は風の通り道だけに、強く冷たい北風が吹きすさぶ今日のような日には人っ子一人だっていない。
 そんな木枯らしが舞う中に、美琴はぽつんとひとり佇んでいた。
 インデックスに上条を助けてと言われてこの場所までやってきたが、上条はおろか誰の気配さえもそこには無かった。
 もしかして他の場所に? と思い、他を探そうかとも思ったが、白井から電話があってなぜかもう少し待つように言われた。
 それからどのくらい経ったのだろうか。吹きさらしの中、コートを着ていても身体が冷えて、訳のわからないままならいっそのこと帰ってしまおうかとも思ったその時。

「――御坂!」

 今日までずっと聞きたかった声が、北風を切り裂いて彼女の耳に届く。
 一瞬風の音を聞き間違えたかと思い声のした方へ顔を向けると、そこに見たのは、ずっと会いたいと思っていた少年の顔。

「――当麻!」

 思わず名前を叫んでいた。これまで呼んだことのない彼の名前が、なぜか素直に彼女の口から飛び出した。
 その声に上条が一瞬驚いたような顔をする。が、すぐに彼女の元に駆け寄って、はあはあと息を吐いていた。
 そんな彼の顔をじっと見つめながら、美琴が言葉をかける。

「ねえ。なんで私を避けてたの? 何があったの? お願い。教えて……当麻!」

 ずっと待たされたことと、やっと上条に会えたことで、美琴の目にはいつしか涙が滲んでいた。
 それを見た上条は、改めて自分が美琴を遠ざけていたことの重大さを理解する。
 と同時に彼の胸がきゅっと締め付けられていた。想い人の涙を見せられて心穏やかになんていられなかった。
 息を整えると上条はじっと美琴の目を真っ直ぐに見つめたまま、素直に話し出していた。

「――俺はあの日、白井から聞いたんだ。お前が、御坂が誰かに恋をしているってことをさ」

「――あの時俺は初めて、自分の気持ちに気がついたんだ。それはもう今更だったけどさ」

「――お前みたいな超能力者のお嬢様が、無能力者の俺なんかにつりあうわけがないんだって思った」

「――最初は会わなけりゃすぐに忘れられるって思ってたんだ」

「――会いたくて会いたくて、どうしようもなかったけど、会ったらまた辛くなるからと思って我慢してた。でも結局は……無理だった」

「――お前が、御坂が幸せになるんだったら、俺は精一杯応援してやろうと思ったけれど、それも無理だった」

「――お前の全てを俺のものにしたかった。傍にいて欲しかったし、お前の心も身体も、視線だって笑顔だって、その涙だって何もかも俺のものにしたいって思ったんだ」

「――御坂美琴さん。上条当麻は貴女のことが好きです。貴女が誰を好きであろうとも、俺は貴女とその周りの世界を守ると約束します」

「こんな不幸体質な俺ですけど、友達で構いません。この気持ちに整理がつくまで、一緒にいてもいいですか?」

 黙ったまま立ち尽くすふたりの間を、冷たい風が吹きぬけていく。くるくると風に舞うように、枯葉が何枚も足元を通り過ぎていった。
 半ば緊張し、半ば諦めたような顔の上条をじっと見つめていた美琴の目から、やがてぽろぽろと大粒の涙が零れ始めたかと思うと、彼女は叫ぶように答えていた。

「――友達だなんて嫌よっ! 気持ちに整理をつけようだなんて私、絶対に認めないんだから!」

 その言葉を聞いて、上条はわかってたといわんばかりに肩を竦める。
 最初から勝ち目なんてないものだと思っていたから、彼女のどんな答えでも受け入れる覚悟だけは出来ていた。

「だよなあ。やっぱり俺は「違うのっ!」……えっ!?」

 美琴が上条の言葉を遮るように叫んでいた。

「――当麻はずっと私を御坂美琴として見てくれた。私と、私の周りの世界も守ってくれた。私が恋をしてるのは当麻になのよ!」

「――御坂美琴は上条当麻が大好きです」

「なかなか素直になれない私ですけど、恋人にしてくれませんか。――私は当麻と一緒なら、それだけで幸せなの」

「み……美琴っ!」

 美琴の言葉がはっきりと上条の耳に届く。その言葉は、強く吹きつける北風にも負けない強さを持っていた。
 上条が驚いたように美琴の顔を見ている。彼の目に彼女がゆっくり近づいて来るのが見えた。そうして上条の腕が美琴の体を抱きしめる。



 離れた所から、そっとふたりの様子を覗いていたインデックス、白井、小萌先生の三人には、少年の胸に少女が飛び込んでいくのが見えていた。
 少年の腕がしっかりと、少女を抱きかかえているのが遠目にもわかる。
 どうやら全てが終わったらしい。上条は無事に課題をクリアできたようだった。

「――さて上条ちゃんの課題を採点しに行きましょうか」

 小萌が先頭に立って、上条らに近づいていく。

「上条ちゃん。課題は無事、クリアできたようですね」

 そう言うと、彼の前でニコリと笑顔を見せる。
 ずっと抱き合っていた上条と美琴だったが、三人の姿を見て、慌てたように体を離す。それでも手だけは繋いだままだった。

「小萌先生……」
「御坂美琴さん、ですね」
「はい、あの……」
「私は、上条ちゃんの担任をしている月詠小萌と言います」
「せ、先生……なんですか?」
「……そうです。これでも立派な大人なんですからー」

 言いたいことはわかりますと言いたげな小萌の顔。

「御坂さん。恋愛に超能力者、無能力者なんて区別は要りませんが、貴女はまだ中学生なんですから、節度あるお付合いをするのですよ」
「わかりました、月詠先生」
「上条ちゃんもいいですか? オオカミ条さんになりましたなんてこと、先生は絶対に許しませんよ?」
「こ、小萌先生……」
「お目付け役にシスターちゃんと白井さんもいますからね?」

 その言葉にインデックスと白井がニヤリと笑う。何かあれば、この二人から即座に小萌の耳に入るだろう。
 上条も美琴も小萌からの言葉に、顔を赤く染めながら無言で頷いた。

「では今日の特別授業をがんばった上条ちゃんたちに、先生からのプレゼントです」

 そう言うと小萌がどこかへ電話を掛け出した。すぐに相手が出たのか何事か楽しそうに話をし始めた。

「――あ、寮監ちゃんですか? 月詠ですよー。お久しぶりなのですー」
「――ええそうなのです。御坂さんと白井さんですけど、今日はちょっと門限に間に合いませんので……」
「――ええ、白井さんは私が送って行くので大丈夫なのです。御坂さんはうちの頼りになる騎士(ナイト)さんに送らせますから……」
「――まあまあ、その話は今度黄泉川先生と一緒のときにゆっくり聞いてあげますから。また飲みにでも……」
「――ではそういうことで、よろしくなのですよー」

 そうして電話を切った小萌は、上条と美琴、そして白井に向かって言った。

「白井さんと御坂さんの今日の門限のことは、いま寮監ちゃんに許可を取りましたから心配要りません」
「「は、はあ?」」

 小萌の言葉に美琴と白井の驚きが重なった。あの常磐台中学学外寮の有名人たる鬼の寮監をちゃん呼ばわりしたかと思ったら、あっさりと外出の許可まで出させた。

「あの、月詠先生って、うちの寮監をご存知なんですか?」

 美琴が恐る恐るたずねると、小萌は微笑みを浮かべて言った。

「ええ、昔、いろいろとあった頃からのお付合いなのですよー」

 ふっと遠くを見つめるような目をしている小萌先生年齢不詳。
 そんな彼女の感慨深げな表情に、美琴も白井も彼女に何があったかは知らないまでも、――恐るべし、小萌先生と戦慄を抱くことになったのは言うまでもない。

「――では二人とも今日だけは門限を気にしないで大丈夫です。でも上条ちゃんは御坂さんを、遅くならないようちゃんと寮までエスコートするのですよ!」

 そう言うと小萌は、インデックスと白井に――私たちは先に行くのですと声をかけた。
 白井のテレポートで姿を消す直前、上条と美琴の耳に祝福の言葉が届く。

「お姉さま、どうぞお幸せに。上条さん、お姉さまを泣かせたら承知致しませんの」
「とうま、おめでとう! みこと、とうまをよろしくなんだよ!」

 そうして後に残された上条と美琴。
 吹きすぎる冷たい北風に晒されていても、二人にはあまり寒いとは感じられなかった。
 風に負けない言葉の力で、その身も心も十分に温められたから。
 再び堅く抱き締め合った二人の周りを、くるくるかさかさと枯葉が舞う。木枯らしがふぁさりと髪の毛を揺らす。
 二人の身体を寄り添わせるかのように、冷たい風がびゅっと吹き付けていった。
 これからどんなに厳しい風が吹いても、絶対に離れないと心に決める。ふたりの恋はお互いを想うためのものだから。

 そんな想いを胸に抱いた恋人たちは、じっと見詰め合うと、

――これまでの想いを込めたキスをした。


  ~~ THE END ~~



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