とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

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異能者Xの苦悩




     1

 日差しが強い晴天。雲が高い一日だった。
 日本の夏は湿気を含有するじっとりとした暑さで有名だが今日はその限りではなく、乾燥した空気が漂っていた。
 額に汗を滲ませた上条当麻は寮へと走っていた。制服が肌に張りつき、頬が朱色に染まっている。エレベーターが降りてきて扉が開くと中に入った。
 まずは『閉』ボタンを、その後で自身の居住階へのボタンを押した。首周りをパタつかせて新鮮な空気を内部に送った。
「ふう。早くシャワー浴びてえー」
 上条当麻の、今この瞬間の全身全霊全魂がその一言に凝縮されていた。しかしそれもあとわずかな辛抱だ。
 部屋に入りさえすれば文明の英華が生む楽園を思う存分堪能できる。
 ふと、エレベーター内部の壁に掲示された花火大会の案内が彼の目についた。
(そういえばさっき、一発だけ打ち上げられてたな。パーンってなってなかったけど、あれ予行演習だったのか)
 今回、花火の製造には代替わりで若手の技師が担当するという話を上条は思い出した。
 そもそも、この花火大会は開業を明日に控えた大型デパートの宣伝が魂胆なのだが、あくまでも勉学を目的する機関である学園都市では
娯楽物は税が高めに設定されているので、窮屈な思いをしている学生にしてみれば胸が躍る企画だった。
 多くの期待が集まるイベントで失敗する訳にはいかない―――そんな技師の心情が察せられる。
 上条としては近所にデパートができる事の方が有り難かった。
(浴衣ねえ。あれって実際に男が着るとキザっぽくて嫌だよな)
 花火を連想して上条はそう思った。
 発展の波に取り残されたかのように錆びれたエレベーターが上昇する。それが止まって扉が開くと上条はやはり小走りで自室まで急ぐのだが、
その時、彼の視線は下に移った。
 紅い点―――血だ。血が羅列していた。
 絶句するほどの量ではないが、少なくはない。上条の歩幅にしておよそ三歩に一滴の割合で滴っている。上条はそれを辿る。
 なんだろうと悠長に思いながら。だが歩数が一歩二歩と積る度に彼の心に怪訝が生まれていく。
 血列は上条の部屋へと吸い込まれていった。それは靴置き場で途絶えている。
 終点でもその直径が変わる事はなく、首尾一貫で一センチ弱の大きさだった。
 ―――って、おい待て。
 ―――ちょっと、何かがおかしい。
「……あれ」


 ドアがない。
 ドアが消えて玄関とその先の廊下が丸見えの状態だった。全開にされたとかそういう訳ではなく、消失している。
 靴置き場には血痕の他何もない。もしも上条に透視能力があったら力の誤作動を第一に疑っただろうが生憎と彼には不思議な右手があるだけだ。
 不可解な光景に上条はとりわけ喚いた。実はとある超能力者の自宅も類似した被害を被った事例があるのだが、それは彼の知らぬところである。
 案の定、大慌てで靴を脱いでリビングに向かうとインデックスの姿も消えていた。
「い、インデックス!」
 上条の声だけが虚しく木霊した。
 点灯したままのテレビ。食べかけの柿ピーやみかんなどのおやつ類。空の湯呑。
 窓は閉ざされ、エアコンはついておらず扇風機もないが、部屋はひんやりとしていた。スフィンクスは何事もないように丸くなっている。
 しかし不思議な事にこれといって争った形跡はなかった。
 バラエティー番組のけたたましい笑い声が響く。
 上条はそれを消すとチェックが疎かだった玄関に戻った。良く観察すると絨毯が翻っていたが事件と関連しているのかは上条には分からなかった。
 彼は靴を履いた。土御門元春に事情を説明する腹積もりだ。
「ちっくしょ、あいつまた攫われたのかよっ!」

 隣人の土御門元春に事の趨勢を話した後、上条当麻は街へと駆り出た。『背中刺す刃』の魔法名を持つ友人は悲しいかな信じるに足りなすぎるので、
念のために室内を調べたはいいが探し人の姿は見当たらなかった。
 そもそも土御門にはついさきほどまで上条とともに学業に励んでいたという決定的なアリバイがある。
 そうなると、とにかく闇雲に走る他、上条には手段がなかった。
 誘拐者が個人なら、インデックスを背負うか何らかの手段で隠蔽している可能性が高い。逆に多勢に無勢ならば、それはそれで異様のはずだ。
 そう安々と人目につくルートを選びはしないだろう。
 煤けた路地裏、どかされたマンホール、奇妙にも人の気配が消えた場所……
 そのような異物を隈なく探す上条だが街は平生通りに運行していた。
 魔術師特有の機械嫌いが犯人のポリシーに組み込まれていればいいが、もし誘拐を第一に考えてトラック等で逃走されたらもうどうしようもない。
 だがそれが可能性としては一番ありうる。携帯電話と同様にトラックぐらいなら彼らも許容範囲のはずだ。
 事態は暗澹だ。
 上条の脳裏をさきほどの血痕が過る。決して致死の量ではなかった。
 しかし、たとえば運送業者を装ってダンボールか何かに瀕死のインデックスを封入したとすると―――多くの血はそれに吸収されるのが道理だ。
 それでも潤うほどの大量の血液は、さながら果実を握り潰して得る果汁の如く、入れ物から滴って地面にその跡を残す事になる。
 そう仮定するとやはり楽観視はできない。
「クソ、どこだ!?」
「上条当麻ッ!!」


 突如轟いた声の方に上条は目を向けた。そこには眉を顰めた吹寄制理と無表情の姫神秋沙が立っていた。吹寄の声には怒気が篭っている。
「何だよ吹寄か」
「貴様、今日は日直だっただろう。放課後の当番はどうした!」
 確かに今日上条は日直だった。しかし意識してサボった。
 実は今日、上条は退院後最初の登校だったのだが青髪ピアスによる
『今度はどないなおなごとフラグを立てたんや?放課後ちーとばっかし語り合おうやないか』
 という脅迫まがいの約束をご遠慮するために一足早く帰宅していたのだ。
「あー、すまん」謝罪した上条は姫神に焦点を合わせた。「それより姫神、インデックスを見なかったか」
「え。いや。その……」
「どんな小さな事でもいいんだ。何かここの辺りは?」
「……。はう」
「貴様……今何をした!?」
「何もしてねーよ! って、インデックスの事は知らないか……じゃ、俺は急いでるから。気をつけて帰れよ」
 疾風のように去る上条に取り残された二人は唖然と口を開けた。
 上条はそこからさらに一〇〇メートルほど周囲を探した。だが影も形もない。
 これは土御門に助力を求めるべき事態だ。
 一通り日陰界隈を捜索した上条はそう黙考した。踵を返して寮に戻る。
 と、その時だった。
「よォヒーロー。何急いでンだァ」
「あ、一方通行!? なんでここに!?」
「別に不思議じゃねェだろォが。俺だって第七学区に住ンでるンだからよォ」
 戸惑いつつも上条は相槌を打った。
 ハワイでの助け助けられの支え合いが功を奏して上条と一方通行の関係は以前よりずっと改善されている。それは妹達と御坂美琴の公認の下でだ。
 初めの内は美琴と一方通行との間に致命的な軋轢が生じていたが彼がした贖罪行為の数々を知り―――現在でも残滓はあるが―――
 今では学園都市から身を守る上での情報共有の協力者程度には修復していた。
「インデックスを知らねーか。ほら、あの白いシスターだ」上条は息も絶え絶えに荒ぶる声音で問うた。
「知らねェなァ。そもそも、情報が欲しけりゃそれに見合うモンを差し出すのが俺達の協定だろ」
 あばよと一方通行は去っていく。男付き合いには恵まれていない上条だった。その後も駆ける上条だが徒労に終わる。
 疾走による熱が上条の全身を火照らせる。体温が高くなると、それに比例するように憤懣やるかたない思いが蓄積されていく。
 そんな憤りが注意散漫に繋がり、自宅に戻る途中で人とぶつかってしまった。相手は小さな悲鳴を上げる。
 そこそこに急ぎ足だった上条は一旦足を止めて簡単にわびを入れる―――そのつもりだったのだが、頬を引き攣らせた。
 ぶつかった相手が名門・常盤台中学に通う御坂美琴だったからだ。運が悪い、この状況はこちらに非がある以上、ビリビリは必至だと上条は慄く。
 彼はまるで獰猛な獣を宥めるようなジェスチャーをした。
「それじゃあっ!」
「ま、待ちなさいよアンタ!」
 申し訳ないと思いながらも美琴の主張に耳を貸す余裕はない上条だった。だが美琴も負けていない。
 彼女はとにかく追いかけると昭和の刑事のように熱心に尋問を行う。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!? またこんな扱いな訳!?」
「あーもう! これ以上面倒な事を増やすんじゃねえ! こちとらドアが消えたりインデックスも消えたり汗ダクダクだったり、もううんざりなんだ!」
「ええっ!? ちょ、ええーっ!? ちゃんと説明しろごらーっ!」

     2

 インデックスの所在は土御門に任せて上条は現場検証に回る事になった。残された痕跡から力の種類を辿るためだ。
 ところで彼は、血相を変えて追跡する美琴を上振り切る事叶わず、自宅と書いて現場と読む場所に彼女を招いていた。
(まぁ、ちょっと見方を変えてみりゃ心強い助け舟だよな)
 学園都市で三番目に聡明な頭脳を頼らない理由は上条にはない。むしろその慧眼を見越して力を貸して欲しいものだった。
 その願いもあってか、寮にやってきてからというもの、美琴は消失したドアとその蝶番を丹念に検している。その相好は思いのほか真摯だった。
「奇妙な消え方ね。蝶番が壊れてない。って事は、犯人はわざわざ部品を解体してから侵入した……?」
「舞夏―――つか隣人が言うには、一五時四五分に外出した時にはまだドアがあったそうなんだ。俺が帰宅したのがその一〇分後だからその線はないだろ」
「そうなると……能力か」


 彼女はこれが学園都市特有の『能力』による犯行と推察しているらしいが―――上条はその可能性は低いと考える。
 魔術を使えない学生にはインデックスが持つ一〇万三〇〇〇冊に価値はない。
 しかし、魔術師による誘拐の可能性が高い以上は美琴にも『インデックスを追う人物』がいる事を認知してもらわなければならなかった。
 魔術について一から順を追って説明するのは手間がかかるので、ストーカーなる者がここ数日存在していたという捏造を上条はすでに伝えている。
「空間移動とかか」
 口では科学的な事を述べながらも脳髄では空間移動に類する魔術を検索する上条。天草式の大日本沿海輿地全図やフィアンマが該当した。
 この辺なら応用すればどうにかなりそうだなと考える。
「それはないわよ。そんな能力があるんだったら逃走する時も空間移動を使うでしょ。なのにこの血列から察するに犯人は徒歩を選んでいる」
「……だったら摩擦変化ってヤツならどうだ。俺も大覇星祭でちょろっと見ただけなんだが、あれでネジをツルツルにして取った後、
 ドアにもその力を使ってここから落とした―――」
「どうかしらね。だったらドアが落下した所は騒ぎになるんじゃない? 少なくとも私はそういった場所は見なかったけど。
 ……それともう一度確認するけど本当に盗まれた物はないのよね」
「だから言ってるだろ。盗まれるような物なんて俺んちにはねえよ。ざっと調べてみたけど、通帳もパソコンもちゃんとあったよ」
「素人が下手に現場を荒らすよりも警備員に任せた方がいいわよ、これ」
 自力で解決しようとする上条を反駁する美琴だが、彼とてそれができていれば苦労しない。
「あー、それはだな。しないでもらうと、助かる。あいつ、本当はこの街の人間じゃないんだよ。
 一応IDはあるんだけど出所が分からない紛い物だし、もしこっちの身元を聞かれたら一発でアウトだ」
「……それで通報しなかったのね」
 元より上条が警備員に頼らない時点で事情を斟酌したのか、美琴は甘んじて牽制を受け入れた。
 それから彼女なりの見解を述べた。
「まずおかしいのが、玄関ね」
「玄関?」
 指摘された上条は玄関に並べられた二足の靴と三滴の血痕を見たが何がおかしいのか皆目見当がつかなかった。


「血か? これのどこがおかしいんだよ」
「……アンタ、それで良く私が妹達の事に関与してるって気づいたわね」
 美琴にしてみれば、たった一日で絶対能力者進化計画を嗅ぎつけた上条の洞察力と行動力には眼を張るものがあったのだが、
 どうやらそれは買いかぶり過ぎていたらしい。真実は御坂妹が飼う犬ならぬ猫が偶然の連続で暗躍していたというなんとも情けない経緯である。
「なら私がシスター役。アンタが犯人役で事件を再現してみるわよ」
 超能力者の貫禄に圧倒されながら上条は玄関に待機する。なるほど第三位の高名はこんな所にまで轟いてしまうらしい。
 リビングの奥から美琴の合図が届くと上条は図らずも硬直してしまった。
 ドアがなくなってこれ以上ないほど換気が行き届いた廊下を抜け足差し脚忍び足で歩いていく。
(そういえば、テレビがついてたっけ)
 今になって当初の光景を回顧した上条だったが美琴は抜け目なくテレビをつけていた。上条の支離滅裂な説明を正確に覚えていたのだ。
 美琴の背後を取ると柔らかな緊張感が彼の心の中に充満する。
 ―――なんか、良い匂いがした。
「い、いるんでしょ。ずっと背後を取られてるのって気ぜわしいんだけど」
「あ、ああ。悪い悪い」上条は遅蒔きながら美琴の肩にやんわりとチョップをした。「てい」
「んで、ここで私ことシスターが気絶する」
 気絶する演技を難なくこなす美琴だが無防備に横たわる彼女を見て―――
 おいおいお前いくらなんでもボーイッシュすぎねーかと内心劣情をかられる純粋少年上条当麻。
「……して、ひめ。わたくしはこの後どうすれば」
「分かるでしょ。運ぶのよ」
「どうやって?」
「……任せるわよ」
「んー」上条は美琴を放置して玄関に赴く。「よし、ここまで運んだぜ」
 したり顔になる上条だったが沈黙の名のもとに美琴も遅れてリビングからやってきた。
 わずかに帯電した風采はさながら百鬼夜行を背中にまとう妖怪大将の如く禍々しい事この上ない。
(な、なんで怒ってるんだ? 俺なんか悪い事したか!?)
 ムスッと不機嫌そうな美琴に半歩下がる上条は誤魔化すようにもう一度言う。
「こ、ここまで運んできましたと!」
「……だったら当初の光景は思い浮かぶ? シスターは今、犯人に運ばれている状況なのよ」
「えーと……まぁ大体」
「なら分かるわよね。そんな状態の犯人がわざわざあの小っこいのに靴を履かせると思う?」
 あ、と上条は声を漏らして玄関に並ぶ靴を見た。そこには上条と美琴の靴があった。だが、インデックスの靴はないのだ。
「す、筋は通っちゃいるが、こんな感じの事もありえるんじゃねーか? たとえばインデックスが今まさに出かけようとしている所で犯人がドアをどけた。
 偶然はち合わせた犯人もテンパッて、直感的な暴力に訴えた―――」
「それはないわよ。だってテレビがついてたんでしょ。これから出かけるって人間がつけっぱなしにしとく?」
 上条は黙考して唸った。「なるほど」


「問題なのがこの血なのよ。どんな方法で気絶させられたのかは分からないけど、拳で殴ったなら血が出る事はないだろうし、
 鈍器ならもっと大きな血痕が残るはず。この血は玄関から始まっている上に量が少なすぎるのよ」
「っつー事は……これ犯人の血か!?」
「腑に落ちないけど、そう考えるのが妥当じゃないかしら」
 だったらすぐにDNA鑑定をと着想を得た上条は携帯電話を取り出した。警備員はNGなので月詠小萌に頭を下げる方針だ。
 流れの魔術師ならともかく、どこぞの流派に組む者ならその血痕こそが犯行の決定的証拠になりうる。
 もしかしたら魔術の発動に血を使用したのかもしれない―――ゲーム等では良く見かける光景だと上条は考えた。
 美琴の表情も事件解決で得意満面だった。
 しかし。
 今まさに通話が繋がるその瞬間、上条の視界にその場にあってはならないものが映った。
 それはプンプンと頭から錨のマークを噴出する、上条の見知ったものだった。
「うう、まったくもって許せないんだよ!!」
 美琴はその声音にギクリと背筋を凍らした。
 素知らぬ怒り顔で歩を進めるその白い少女の名前は、インデックス。
「ただいまなんだよ。……って、とうま、なんでここに短髪がいるの?」
「それはこっちの台詞だ! インデックス、お前拐われたんじゃないのかよ!?」
「私がそんなドジを踏むはずがないかも」
 テメェ自分の胸にもう一度問いかけてみろと上条は口に出して反駁しそうになる。が、それだけならまだしも、ここにさらなる来訪者が現れた。
 それは映画のシーンとシーンを繋いだかのような特異な現れ方だった。
 ひゅんと。
 外通路の縁に白井黒子が出現した。
「く、黒子!?」
「な、お姉様!? チッ!」
「あーッ! 待つんだよツインテール!!」
 刹那の後に白井は虚空に消失した。度重なる想定外の進展に翻弄させるよう上条の双眸は美琴とインデックスを交互に映す。
「ど、どうなってんだ」


     3

 数刻前。
 機械で温調されたそこには不満はないが娯楽もない。一日の三分の一を消費させるのにそこは窮屈すぎた。
 まして聖職者にとって堕落は忌避すべき罪である。
 インデックスはテレビを視聴しながらおやつを口にしていた。その膝下にはスフィンクスが丸くなっている。
「むむむ、このツーハンというヤツは実にけしからないんだよ。こんな大々的な吹聴で三大欲求の一つである食欲を煽動するなんて。
 まつざかぎゅううううう……」
 今食している物も確かに美味ではあるがインデックスの味覚機関はよりジューシーな食品を求めている。
 ―――舞夏はこれから出かけてしまうし、今日はヤケ食いだ。
(おやつは一日一つまでって言われてるけど、これは常日頃私に貧しい食卓しか饗せないとうまの責任であって、
 敬虔なるシスターの私はまだまだ修行中の身であるから致し方ない事かも)
 ボリボリと柿ピーを咀嚼するインデックスは茶を啜りながら呑気にそんな事を考えるのだが、要はとてつもなく暇なのである。
 外出するのが危険である以上、室内でできる事といえばテレビ鑑賞と食事くらいだ。上条が帰宅すればこの鬱憤を晴らせる彼女は今しばらく暇を潰す。
 彼女の相好が、まるで家主が帰宅して尻尾を振る犬のようにぴくりと綻んだ。玄関で音が鳴ったからだ。
 ごとん。
 一瞬上条が帰ってきたのかと期待したインデックスだったが、これはポストに宅配物を入れる音だった。
 そういう音を聞き分ける聴覚をインデックスは習慣で身につけていた。
(む)
 これは遡る事一ヶ月前の話だが上条宛に一つの宅配便が送られた。その時も暇を持て余していたインデックスは刺激欲しさに無断で封を切ってしまったのだが、その中身というのが、なんか肌色が多い、アレがああなってこうなる感じのアレだったのである。遅れて帰宅してきた上条には無論これでもかというくらいの制裁を下したのだが、
(まったくとうまは!! まだ懲りてないの!? ふしだらふしだら!!)
 こめかみがマスクメロン化した怒り顔のインデックスはスフィンクスを脇に置いて玄関に向かう。
 彼女にもう少しだけ社会性があれば受け取りの際のサインという決定的な違いで一ヶ月前と事態が少々異なる事に気づけたのかもしれないが
『ドキ☆ 男子寮の管理人さん』は諸悪の権化なのである。


 インデックスはどんな制裁を下してやろうかと思考を馳せる。だが手を伸ばすと、いきなりポストの隙間から手が生えてきた。
「だ、誰!?」
 声に反応して刹那手がピタリと止まった。もしも今が真夜中で、インデックスに魔術の知識がなかったら割りとショッキングな光景だが、
幸いにも今は昼間の上にインデックスは怪談に偽装した魔道書の知識にも長けている。
 それでも次に生じた現象には流石のインデックスも喉奥で小さな悲鳴を上げた。
 ひゅんと。
 インデックスと手の主との境界線であるドアが、一瞬の内に消滅したのだ。
「ひ―――」
 目を固く閉じた彼女は身に迫る脅威を肌で感じて慄いた。魔術においても自他の空間移動は高度な知識と技術が必要とされ、
なかなかお目にかかる事はできない。
 一〇万三〇〇〇冊の知識を引き出すにも事はどうしようもなく一瞬すぎた。
 それが白井黒子である。
 その後、正気を取り戻したインデックスは驚かされた事とドアを消された責任追及とついでに憂さ晴らしを満たすべく白井を追いかけたのだが、
本日はピーナッツなどの栄養価の高いものばかり食した事が災いし、急に走りし出したのも相まって、鼻血を出す事となる。
「ふぐ!? とうまじゃあるまいし、おやつで鼻血なんて……っ!! 一生の不覚なんだよ!! こ、こらー待てえーッ! ツインテール!」
「く、まさかあの類人猿、あのチビと同居していやがるとは……!! 一時退却ですの!!」

「―――だったらな、書き置きの一つでもしてから追いかけろよ。また拉致されたと思ったじゃねーか。
っつーかその間に空き巣に入られたらどうするんだ」
「……そんな暇はなかったかも。そもそもこの家に盗むほど高価な品はないんだよ」
 図星である。そもそもインデックスを攻めるのはお門違いだ。インデックスの証言からするにほぼ一〇〇%の確率で白井黒子が犯人なのだから。
「御坂、なんで白井が俺んちのドアを消したのか、ここの辺りはあるか」
 回答は沈黙だった。美琴は後輩の愚行に責任を感じているのか、白井に『一切寄り道せず今すぐ来なさい。いい、寄り道せずよ』と連絡をした後は固く口を閉ざしたままだ。
「そろそろ夜になるのにドアがないってのは家主として落ち着かねえな。なにか塞ぐ物あったかなぁ」


「そうめんが入ってたダンボールが冷蔵庫の隣に残ってるよ。あれを繋ぎ合わせればそれなりの大きさになるかも」
「……手伝うわ」
 美琴は立ち上がった。
「え、いいのか」
「後輩の責任は先輩の責任でもあるんだから。修繕費も心配しなくていいわよ。私が黒子に弁償するよう伝えとく」
「それは……まぁ助かる」
「ただ、今日だけは風通しの良い戸で我慢してちょうだい。業者はもう店仕舞いだから」
 上条は首肯するとダンボールとガムテープを取り出してきた。三人は厚さと大きさを念頭にメジャーで寸法を測定しながら今日限りのドアの製作に努める。
 白井がやってきたのは、それがちょうど完成した時だった。
「……申し訳ありませんでしたの。ドアの修繕費はこちらで支払わせて頂きます」
 渋々謝罪する白井を上条はとりたて叱咤する気はなかった。何故犯行に及んだのか、その理由すらも知らない内は咎めようがない。
「どうしてこんな事をしたんだ?」
「……言いたくありませんの」
 ぶすーとふくれ面になる白井。真相は墓まで持っていくという頑固さを上条は感じた。後輩の失態をフォローすべく、美琴は白井の肩を寄せた。
「この子には私の方からきつーく言っておくからさ、あんまり責めないであげるかな?」
「まぁ、もうしないならいいけどさ」
「―――上条さんを、」
 白井はやおら口を開けた。その相好もやはり渋々という様子だった。はて、何か文句でもあるのかなと上条は疑るが、
「信じてみますの……類人猿なだけに不安な所は多々ございますが。申し訳ありませんでしたの」
「はい?」
 あの、何の話でせうかと上条は怪訝な表情になる。そもそも誰に言ったのかも定かではなかった。
 言及する事も不可能ではなかったが、そこへ、区切りがついたと判断したインデックスが上条の袖をくいくいっと引っ張った事で機会を逃した。
「とうま、とうま。色々あった一日だけど、私の堪忍袋はもう我慢の限界なんだよ。今何時だと思う?」
「何時って、そりゃあ」上条は時計を見た。「げ、もう一九時半かよ!?」
「今日はもう外食だね。おなかいっぱいご飯を食べさせてくれると嬉しいな♪」
「それ堪忍袋じゃなくて胃袋の間違いだろ!? 不幸だ……」
 上条は大の字になった。
 かくしてドア消失事件は幕を閉じた。


     4

 畢竟するに失敗に収まる。
 黒い影が人知れずやってきたのは夜空と街が一望できる屋上だった。本来は解放されていない場所なので人気が一切ない。
 それどころか光源もろくになかった。それもそのはずで屋上は電灯よりも高い位置にあるのだ。マンション同士の谷間から漏れる光だけが頼りだった。
 建築歴が長いのか、当時は銀に煌いていたであろう鉄格子は茶色に窶れている。
 目的の物を発見すると黒い影は胸を撫で下ろした。睨んだ通り、屋上だったからだ。
 ―――こっちはやっとの思いで入れたっていうのにさ、まったく……。
 黒い影はそれに近づくと一旦磁力で翻した。青白い光が暗闇にヒビを入れる。表側からでは回収しにくい。
 それが能力を使用させる羽目になったのは想像に難くなかった。
 衝動的な行為への罪悪感からか、はたまた犯人は現場に戻るという心理からか、直接屋上に赴かなかったのは不幸中の幸いである。
 コレは自分で回収しておきたい。
 黒い影は蓋を開けた。
 あったと、小さく呟いた。
 やはりあの少年には届いていない。だからこそ黒い影も普段通りに接する事ができた。
 しかし、そうなると次はいつになるのだろうか?
 そう、黒い影は自問する。
 一度は固められた決心は今積木のように崩壊し、積み上げた高さはなお及ばざるが如し。
 良かれ悪かれ、今夜は吹っ切れた心境に達するものとばかり想像を馳せていた今朝の事が遠い昔のように回顧される。
 胸の火照りはやおら静溢し、虚しさが甚だしい。
 結局、目を盗むようにして事を実行に移した自分が悪い。
 はっきりと断るのが好意を寄せられた者の、せめてもの責任なのだから。
 そう自嘲した黒い影はソレを投げ捨てようか迷った。手が肩の上に上がった。だがそこは少年が住むマンションの屋上だった。
 偶然本人に回収されるという可能性もなきにしもあらずだ。
 溜息が出た。
 その時だった。


 背後から近づく存在がある事を黒い影は最後まで察知できなかった。無理もない。黒い影はイフの世界へ想いを馳せるのに五里霧中だったのだ。
 スッ……と音もなく、ソレが奪われる。
「白井が取ろうとしたのはこれか? 御坂」
「ッ!?」
 多分に今まで歩んできた人生の中で最も驚愕した黒い影―――言わずもがな、御坂美琴は背中を鉄格子に押しつける形で上条当麻から距離を取った。
 だがそれは彼女にとって都合の悪い展開だった。上条の持つソレ―――長方形の箱は絶対に見られてはいけない物なのだから。
「と、取ろうとしたって何の話よ」
「ふふん、俺を舐めてもらっちゃ困るぜ」上条は得意満面になった。「どう考えたって白井には動機がないだろ。
あいつが犯行に至ったのには訳があるはずだ。そして白井の動機になりそうなもの……俺の知る限り、それはお前しかねえんだよ、御坂」
「う……か、返しなさいよ! アンタには関係無いでしょうが!!」
「いいやあるね。お前はそのドアからこれを抜き出した。俺の家のドアだ。つまりこれは一度は俺んちに入った物品。関係ない訳ねーだろ」
「か、返せ!!」
「おおっと」上条は猛進する美琴をのらりくらりと難なく躱す。冷静さを欠いているのは明白だった。窮鼠猫を噛む事もありはしない。
「返しなさいよヘンテコ馬鹿!!」
「そしてお前が俺と出くわした時の事だ」上条は構わず続けた。「なんでお前があんな所にいたのか、俺は最初から疑問だったんだ。
常盤台は逆方向だろうが。そしてインデックスが聞いた音。―――つまり、こういう事なんだろ」
 上条は一旦区切った。
「お前は俺んちから帰るところだったんだ。何故帰るところだったのか、それが―――こいつだ!」
 乱雑に包装を引き裂く音が響き渡る。と同時に、美琴が下着を剥がれた乙女のように甲高い声をあげた。実際、それに近い状況だった。
 上条の推測はこうだ。
 ―――御坂と白井は少し派手めの喧嘩でもしていたんだろう。謝りに来た白井がその実眉を顰めていたのは『何故自分が謝らないといけないのか』という不条理さから来たものだ。御坂とのギクシャクしたやりとりには多分そういう事情があったに違いない。
 それに対して御坂は白井の姿を見るやいなや、途端事件の説明をしなくなった。
 血列の件で白井は事件に関与していないと判断して初めは事件に協力していたが、それが思いもよらぬ形で覆ったからだろう。


 御坂が回収しようとしたこれには多分、白井の見られたくない物が入っている。何故俺宛に入れたのか。
 それは俺が男であり、かつ他人の痴態をばら撒くような人柄ではないからだ。
 喧嘩で頭に血の昇った御坂にも大勢の人間に白井の痴態を見せる事には流石の罪悪感があったのかもしれない。
 白井が関わる以前は協力的だったのもそれが一枚絡んでいるんだと思う。
 つまり。
 真犯人は御坂美琴であり、被害者は白井黒子と罪なきドアなのだ。
 御坂がこれを回収しに来たという事は白井とは一先ず仲直りをしたんだろう。これの中身を敢えて見たいとは思わないが事の真偽は気になるところだった。
 これは単なる脅しだ。
『上条さんを信じてみますの』という少女の希望通り、本当に見たりはしない。御坂が白状すればそれで終わりにするつもりだ―――
 これが上条の考えた真相だった。無論まるで見当違いだが。無理もない。前提が違うのだから。
 実際、包装を破った瞬間からそれが間違っている事が証明されていく。
 中身は白い箱―――それと一枚のカード。
 上条は訝しんだ。写真なら分かるがそういう手触りでもない。カードは単なる前振りで箱の中身が本命なのか? と彼は考えた。
 なおも抵抗する美琴を尻目にカードに目を通す。だが暗い上に動いているので上手く視認できない。短い文章が記されている事だけは確認できた。
 美琴の悲鳴が宵の空に轟く。
 ―――もしもその日。
 上条当麻が早帰りしなく、
 退院明けで情報が限られておらず、
 大型デパートの開業の前日でもなく、
 インデックスを探すため街を点々と移動する事もなく、
 はたまた今現在の時刻より一分だけでもこの事柄がズレていれば、
 御坂美琴は見事に箱を奪還して全てを有耶無耶にする事ができたかもしれない。
 パーン。
 パーン。
 パーン。
 上条の視界が鮮明になった。
 さて、では何故御坂美琴はそのような行為に走ったのか。
 その理由は至ってシンプルで明白だった。

 それは本日が、二月一四日だからである。

 花が夜空に咲いていた。

 Fin.




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