予行練習?
何の変哲もない放課後。
少し離れたスーパーの特売に向かっていた上条は、途中の公園で見知った顔を見つけた。
肩辺りで切りそろえられた茶色い髪に常盤台の制服、御坂美琴である。
「おっす御坂。何してんだ?」
「ん? アンタか。実はこの子、迷子になっちゃったみたいでさ」
そう言って美琴が隣に座る幼い少女を視線で指し示す。
少女の目元に涙の跡が見える。どうやら泣き止むまで美琴があやしていたようだ。
「近くの風紀委員(ジャッジメント)か警備員(アンチスキル)の詰め所に連れて行くのが一番いいんじゃねぇか? もしかしたら親御さんか施設の先生たちとかが探してるかもしれねぇし」
「やっぱそうよね。この子が泣き止んだら連れて行こうと思ってたのよ」
ぐすぐすとまだ少しぐずる少女を、安心させるように美琴が頭をなでる。
「おねーちゃん。わたし、せんせーたちのところにかえれる?」
「大丈夫。おねーちゃんがちゃんとアナタを先生のところまで連れてってあげるからね」
不安そうに尋ねる少女に、優しく微笑む美琴。
その表情を見た瞬間、上条の中に何か大きなものが刺さったような感覚があった。心臓はドキドキと早鐘を打ち、思わずつばを飲み込む。
言葉で言い表せないもやもやが上条の心に生まれたのを感じる。しかしそれは不快なものではなく心地のよいもの。
「ど、どうしたの? 私の顔になんかついてる?」
上条の視線に気づいた美琴が少し恥ずかしそうに尋ねる。
恋焦がれている意中の男性から、なぜだか突然、真摯な眼差しで見つめられたのだ。
それが非常にくすぐったいようで恥ずかしい。
「い、いやなんでもねぇよ!」
美琴の少し顔を赤らめた上目遣いの視線に、もやもやがいっそう大きくなった。それをごまかすかのように大きな声を上げる。
そうでもしないと、自分が何をしでかすか分かったものではなかったからだ。
(ちくしょう! その上目遣いは卑怯だろうが! 何なんだ今日の御坂は! いつもより何でこんなに可愛……い? 可愛い? 俺は御坂を可愛いと思って? うわぁあぁ、何考えてんだ俺!? 御坂は中学生! っていやいや待つんだ上条当麻。女の子が可愛いのは当たり前のことじゃないか? 特に御坂はどっから見ても美少女…ってだから何考えて!?)
心を落ち着かせようとするのだが、その度に美琴の笑顔がフラッシュバックし心臓の鼓動が加速する。
考えれば考えるほど、上条の思考は美琴の笑顔で埋め尽くされていく。
「ちょっと、アンタ本当に大丈夫?」
まさか上条がいつもの自分と同じようにテンパっているなんて思いもしない。
そのため、挙動不審な上条に心配そうに声をかけた。
「だ、大丈夫だ! あぁ、大丈夫だ! 上条さんは元気だけが取り柄だからな! それより、その子の家を探すんだろ、早く行こうぜ!」
美琴の声にびくっと一瞬身体を強張らせた上条だが、それを繕うように美琴の手を強引に引っ張り、話を先に進めようとした。
ただ、その後すぐに美琴と手を繋いでいたということに気づいて、互いに真っ赤な顔で手を離してしまったのではあるが。
―――
――
―
一番近くの風紀委員の詰め所に向かう道。
少女を挟んで、上条たち三人は仲良く手を繋いで歩いていた。
最初は上条が美琴の手を引っ張り、美琴が少女と手を繋いでいたのだが、恥ずかしさから、手を離し、その後何となくこの形に落ち着いた。
少女が二人と手を繋ぎたい、と言ったのがこの状態になるきっかけだった。
それでも、しばらくは互いに緊張していたようだが今はもうずいぶんとリラックスできている。
「それでねー、せんせーがねー」
「そっか。偉いわね」
ご機嫌で話す少女に柔らかな笑みで答える美琴。
そんな二人の様子に上条の頬も自然と緩む。
(なんか、いいなぁ、こういうのも。こういうのを幸せって言うんかね……)
穏やかな空気に何となくそう思った。
なぜ幸せなのかはよく分からない、ただこの場にいることが自分にとって幸せなのだと言うのは確かなのだ。
もしかしたら近い将来、自分の子供を連れてこんな風に散歩したりするのだろうか。
こんな風に親子仲良く三人で並んで歩いて。自分と手を繋ぐ子供が保育園での出来事を母親に報告している。
それをがんばったわね、と優しい笑みを浮かべて答えているのは大人となった美琴で……
(って、上条さんは何を考えてるんですか!? い、今の妄想はまるで俺と御坂が夫婦になってたみたいじゃねぇか! いや、夫婦なんだからもう御坂じゃなくて上条姓で、美琴なんて呼んだりしちゃったりして……っ! だぁ、だからなんでこんなこと考えてんだよ、俺!)
自分の妄想とツッコミで顔に血が集まってくるのが分かる。
どうしてかはまだ分からないが、美琴とそういう関係だったらと言う考えを打ち消すことが出来ない。
そして思えば思うほど顔が熱くなっていく。
例えそういう関係でないとしても、今現在、その妄想に近いことを自分たちはしているのだ。
それを意識すればするほど、上条の顔が赤くなる。ぶんぶんと首を振りどうにかちょっと邪な妄想を打ち払う。
(落ち着け。落ち着くんだ。このままでは例え妄想の中だとはいえ上条さんは中学生に手を出したすごい人になってしまう)
大きく深呼吸をする。だいぶ心が落ち着いてきたようだ。
相変わらず、美琴がそばにいることで感じられる暖かな気持ちは変わらないが、暴走しかけていた妄想は収まったようだ。
そんな上条の心の葛藤には気づかず、美琴はいまだ少女と楽しそうにおしゃべりをしている。
(こいつ、本当に面倒見がいいよなぁ。この女の子もすっかり安心しきってるみたいだし……。御坂を嫁さんに出来たら幸せだろうなぁ)
自然とそんな想いが自分の中からこぼれた。
先ほど生まれたもやもやが、その想いを得て形になっていく。
美琴のことは以前から大事な女の子ではあった。しかし、それはインデックスに感じていたものとほぼ同じものだと思っていた。
だが、この形となったものを自覚した今、その大事と言う想いが別のものだったことに気づく。
(あぁ、そうか。そうだったのか。俺は、こいつのこと―――)
「―――ぇ! ねぇってば! アンタはこんなときもスルーするわけっ!」
「へっ!? あ、わりぃ! どうした御坂?」
「どうしたじゃないわよ。風紀委員の詰め所に着いたって言ってんの」
「そ、そうか。すまねぇ、ちょっと考え事してたんだよ」
面と向かって話すのがなんとなく気恥ずかしくて、視線をそらしてしまう。
「ちょっと、何で視線をそらすのよ!」
「いや、これはですね。なんとなく幸せのようで不幸のような複雑な心境が生み出した無意識の結果で、上条さん的には視線はそらせたくはないんですが……」
美琴の笑顔を見たい、美琴をずっと見ていたい、しかしそれと同時にそのことが知られるのが恥ずかしい、知られて拒絶されるのが怖い、等といった感情が混ざり合い、上条自身にもどうすればいいのか分からなかった。
「だったらこっちを見なさ――……」
「アイちゃん!」
「あ、せんせー」
美琴が無理矢理、上条の顔を覗き込もうとしたとき、一人の女性が駆け寄ってきた。
その女性に、少女が嬉しそうにぱぁっと顔を輝かせる。どうやら、彼女がこの少女の保護者のようだ。
どこかで保護されてるのではないかと探しに来たところ偶然出会えたようだった。
「あの人が、アイちゃんの先生なの?」
「うん! せんせー!」
美琴たちから手を離し、少女が女性に抱きついた。
「もぅ、勝手に遊びに行っちゃダメじゃない」
「ごめんなさい」
無事に少女が保護者と再会できたことに、美琴も上条もほっと胸をなでおろす。
「あなたたちがこの子をここまで連れてきてくれたのね?」
「あ、はい。迷子だったようなので。でも、無事に再会できてよかったです」
「ありがとう。アイちゃんもお姉さんとお兄さんにお礼は言った?」
「おねーちゃん、おにーちゃん、ありがとー」
「よかったな、アイちゃん。先生に会えて」
「うん!」
上条が頭をなでてやると少女が嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「本当にありがとう。アイちゃんのせいでせっかくのデートを邪魔しちゃってごめんね」
「で、デート!?」
女性の言葉に、上条と美琴の顔があっという間に真っ赤に染まる。
「ち、ちち違いますよ! コイツは、その友達で、その、デートとか、あの……」
真っ赤な顔でどもりながら言葉をなんとか搾り出す。
「そ、そうですよ。まだ友達で、俺たちはそういう関係じゃ」
「ま、まだ?」
「ち、違うぞ!? 変な意味はないからな!」
「そ、そうよね、変な意味じゃないわよね!」
そう言って顔を真っ赤にして俯いてしまう二人。
なんだか妙に意識してしまい、これからどうすればいいのか分からない。
この状況に助け舟、と言うか爆弾を投下してきたのは女性だった。
「あらあら。アイちゃんがご迷惑をかけたかと思ったけど、意外といい予行練習になったのかもしれないわね」
「よ、よこっ!?」
「な、何の予行練習ですか!?」
「将来あなたたちの間に子供が出来たときの?」
「なっ!?」
(こ、子供!? コイツと私の……ってことは私はコイツと結婚してて、愛し合ってて、ふ、ふにゃ!?)
女性の言葉に美琴の思考はすっかりぐちゃぐちゃだった。
「ふふふ。アイちゃんの件は本当にありがとう。それじゃあ、これで失礼するわね。がんばりなさい、あなたたち」
「おねーちゃん、おにーちゃん。ばいばーい!」
微笑ましいものを見るように、優しい笑みを浮かべて女性は去っていった。
どうもこちらの気持ちを見透かされてしまっていたようだ。
チラッと横を見ると互いに視線がぶつかって、すぐに顔をそらす。
先ほど理解したばかりの気持ちが、女性の言葉で更に肥大化しているのが分かる。
(御坂と、俺の子供? 将来の予行練習……)
並んで歩いていたときの妄想が思い出される。
自分が何よりも望んでいたもののはずだ。
手に入れたら絶対に手放したくない幸せなものだった。
そしてどうしても得たいものだった。
手を伸ばせばそれが手に入るのかもしれない。しかし、もしかしたら手に入れる所かそばにいることすら出来なくなるかもしれない。
だが、上条はもう、その想いの大きさに止まることはできなかった。
怖いと言う思いはある。しかしそれでも上条の中の何かは止まることを拒否していた。
「……御坂」
「ふぇ!? な、何!?」
「さっきの、嫌だったか?」
「さ、さっきのって?」
真剣な表情で見つめてくる上条に美琴の心拍数も上がる。
これから口にされる言葉には素直に応えなければならない。なぜかそう思えた。
「俺とお前がそういう関係に見られたのとか、予行練習って言われたの」
「……べ、別に、嫌じゃ……ない、わよ」
「そう、か」
恥ずかしくて、どうにか言葉になったくらいの小さな声だったが上条には届いたようだ。
「だったらさ。さっきの予行練習。本当にしないか?」
「本当に……って、アンタ、意味分かって言ってるの?」
「あぁ、もちろん。御坂、俺はお前のことが――……」
Fin