二人占めアプリシエイション
思いのほか時間を割いてしまったのは、立ち読みラインナップが軒並み同じ発売日だったことに起因する。
週刊誌と隔週刊誌及び月刊誌の発売日がもろ被りした。
いつもなら学生寮の前にあるコンビニで済ませるのだが、同じ店で何冊も、というのはさすがに店員に悪い気がしたので、
たまには帰宅途中にあるいくつかの書店やコンビニを梯子しようとした結果、予定よりも時間を食ってしまった。
完全下校時刻まであと30分ほど。
んぐーっと、背伸びをして目をこする。夕暮れの街並みはどこもかしこもオレンジ色に染まっている。
「あ」
そんな風景の中に見慣れた後姿を見つけた。だるそうな猫背と逆立った髪、肩に担ぐように持った薄い学生鞄はいつものこと。
違うところといえばイヤホンを挿しているところか。
へたくそな鼻歌なんぞに興じているところからすると英単語の類ではないと思う。
歩く速度を速めるが、どうせ声をかけたところで無視されるのは今までの経験上明白で、今回はイヤホンまで装着済みなのだから、
奴が振り向きもしないことはもう確定事項だった。
ならば、
「わっ」
御坂美琴はひょいっと、歩く少年の顔を覗き込む。音がだめなら、視認させてやればいいだけの話。
今までの不毛なやり取りを振り返れば嫌でも学習するというもの。それを今の今まで続けてきたのはご愛敬ということで。
うぉあ、っと大袈裟なリアクションで上条当麻は仰け反った。
「び、リビリ、か。いきなりなんだよ」
あーびっくらこいた、と、すぽん、と上条は両耳からイヤホンを引っこ抜く。
「ビリビリはやめろっつーの。それに、こうでもしないとアンタ私に気付かないでしょうが」
美琴はパリっと、いつもの調子で額に青白い電光を発して隣に並んだ。
「珍しいじゃない。アンタがそんなの付けてるなんて」
指差す先には上条の手元でぶらぶらと揺れるイヤホン。先からはしゃかしゃかと音が漏れている。
主流となりつつあるカナル型ではなくオープンタイプのイヤホンなので音漏れはより顕著だった。
「んなこたねーよ。上条さんだって音楽くらい聴きますよ?」
「ふーん。アンタってどんなの聴くの?」
質問してから、かあっ、と頬が熱を帯びた気がするのは何故だろう。
ここまで会話がスムーズにいくことが珍しくて、まして、そう、まるで普通の知人――そう、あくまで知人。
……百、万歩譲って友人――のような会話の内容が、私たちにとって稀有だからだそうに違いない。と美琴は平静を装う。
頬の色は時間帯が助けてくれる。
「なに、って。そりゃあお前、モーツァルトさんとかシューベルトさんとかベートーベンさんやら」
美琴の心中なんて露とも知らない上条はいつもの調子で軽口を叩く。いかにもな教科書的メンツ。クラシックを語るには相手が悪すぎる。
「なーにくっだらない見栄はってんのよ。誰もあんたにクラシックの教養があるなんて思ってないから安心しなさい」
からかいに目を細めた美琴に、上条は片眉をあげるとため息とともに吐き出す。
「へーへー。どーせJ-popですよただの。常盤台のおぜうさまには縁遠い俗物丸出しのどっかの団体のせいで腐りきってる先のないジャンルですよーだ」
「アンタねえ……。私たちをなんだと思ってるわけ? J-popくらい普通に聴くわよ」
「ほほう。じゃあ普段、御坂センセーはどんなものをご拝聴なさっていらっさるんであせられましょうかね?」
「……っ、」
今なら油断しきってるようだし、この距離ならさすがに雷撃も当たるのでは、とも思ったがぐっとこらえることにする。
「なにって、」
と、美琴はスラスラと有名無名のアーティスト、グループ名を上げていく。
「……なんか詳しくねえか?」
「そ? これくらい普通じゃない?」
好きだから、というよりも話題のために流行ものはとりあえず聴いておく、という美琴にしては珍しく一般的な女子的思考だ。
男子に例えれば朝刊においてテレビ欄と一面の他、とりあえずスポーツ面だけは目を通してから学校に行くのと同義。
美琴はミーハーというわけではないけれども、「あ、いいな」と思ったものは自分で買ったり人に貸してもらったりしている。
自然と情報は募っていく。派閥闘争にはとんと無頓着な美琴であるけれども何もコミュニケーションそのものを嫌っているわけではない。
「俺、今お前がいったの全然わかんねーや」
「はあ? アンタねえ、」
さすがに現代に生きてたら、と続けようとして、そうか記憶が、と思い出したのはそのときだ。
不自然にならない程度の間を持ってその表情を伺うが変化はないように見える。
「まあ、興味がなければそんなもんかもしれないわね」
「そうそう。最近なんだよ、色々と手を出し始めたのって。このプレイヤーもクラスのやつに借りたんだけどさ」
かちかちと胸ポケットから出した端末をいじる。プレイヤーの色がピンクを基調とした配色だったせいだろうか。
「……そりゃあ、またずいぶんと親切な女の子がいてくれたもんね」
「は? いや、男だけど」
「あ、そ、そう」
「これ聴いてみなよー」的なノリで美琴の脳内A子(金髪ガングロ)が上条にプレイヤーを渡している様子が浮かんでしまい、
イラっとしたことは上条にわかるはずもない。
高校生と中学生。当たり前の話なのだけれど、そこには絶対の隔たりがある。
美琴は上条が学校にいるときの様子を知るはずがないし、またその逆もしかりだ。
いやま、別にだからって話なんだけれど、と美琴は心中で首を振る。
「なんかいつもの調子だと壊しそうよねー、アンタ」
「目下、最大の懸念はあなた様な訳ですが」
「ほほう」
言うや否や額から青い筋が迸る。
「だから出すなってんだよ、だから!」
上条は慌てて手元のプレイヤーを庇う。ジト目の美琴を警戒しつつ、上条は左耳だけイヤホンを戻す。
「んー」
「どうしたのよ?」
「いや、この曲の歌詞さあ、なんっか心当たりあるんだけど、どうもぴんっとこねーんだよなあ」
「あのねえ。J-popの歌詞なんて大衆に向けて作られてるんだから大抵の人にはどっかしら心当たりがあるようにできてんのよ。
あるあるってやつ? 占いとかと一緒よ。ある程度の普遍性がないと売れないでしょうが」
「そりゃ百も承知なんだけどよー。あーなんだろこれ」
「そんな風に言われると気になるじゃない。ちょっと聴かせてみなさいよ」
「お、おい」
美琴は上条の肩辺りにぶら下がっていた右耳用のイヤホンを自分の左耳に入れた。突然のことに上条は驚いたが奪い返そうとはしない。
コードの長さ的にこのまま歩くと肩がぶつかりそうになったので上条は左耳に入っていたイヤホンを右に移した。
やすっぽいデジタル音が響く。てくてくと、自然と揃った足並みで進む。ぶらぶらと、二人の間にあるコードが揺れる。
黙々と、二人の無言は丸々一曲分。時間にして4分半ほど。曲の最後、シンセサイザーのフェードアウトとともに美琴が口火を切った。
「あー……うん、わかるわ。なんか、私も引っ掛かる」
「だろう?」
アーティスト自体は有名といっていい部類に入るが、曲は美琴も聴いたことがなかった。多分シングルではなくアルバムかカップリングの一曲だろう。
「というか、へー……今まであんまり意識したことなかったけど、結構いい歌詞多いわね、このバンド」
次の曲が再生された辺りで美琴は自分の左を見る。当然そこには上条の顔があるわけ
「でええええええええええ」
「うわ、ちょ、お前、!」
間髪入れずで上条の右手が美琴の腕をつかむことに成功した。
「だから壊れるっちゅーに! 上条さんにはこれ弁償できるだけの財力的余裕はありませんことよ!?」
「いや、だ、ごめ、う、あ、わ、私のせいじゃないもん!」
「いきなり電撃放っといてその言いぐさか!」
「あ、アンタがいきなりそばにいるのが悪いんでしょ!」
「無理矢理イヤホン取ってたのはどこのおぜうさんでしたっけねぇえ!?」
「あーもー、てててていうか手ぇ放しなさいよこの馬鹿ヘンタイ!」
「放せるかこのアンポンタン! もうこれ以上どこを切り詰めても食費以外に捻出できねえんだよ今月は!」
放す放さないでワーワーギャーギャー言い合いながらもイヤホンはまだ上条の右耳と美琴の左耳に収まったまま、
しかも上条は右手で美琴の左手を掴んだままだから、傍目にはカップルがじゃれ合っているようにしか見えないことなど当人たちはまるで気付かない。
しばらくのもつれ合いの末、あれだけ暴れたせいだろうか、美琴の左耳からイヤホンがするりと抜け落ちたことで諍いは一先ずの終止符を見せる。
互いにぜーはーぜーはーと荒い息を吐きながら、別れ道が近づいて来た。
「ったく、余計な体力を使ってしまったですことよ……」
「だ、誰のせいよ、誰の」
責任の所在が自分にもあることは重々承知している美琴だが絶対にそれを認めたくはない。上条もわかっているだろうけれど追求はしてこない。
これ以上、余計な藪をつついては本当にいらない出費が嵩む危険性が高まるとの判断だろうか。
去り際、「じゃーな」と力なくひらひらと手を振るが、上条は思い出したように立ち止まった。
「よかったらさ、なんか貸してくれよ。CDでいいからさ。なんかお前、詳しそうだし」
「へ?」
思わぬ提案に声が裏返ってしまう。完全に虚を突かれたために憎まれ口も出てこない。
「わ、私の選曲で、いいの?」
しかも何故か恐る恐る、といった調子になってしまった。
「ああ、なんかわりと趣味合いそうだしな、お前の好きなもんもっと聴いてみたい」
ぼんっ。と、そんな音が聞こえてしまったかもしれない。幸いなことに夕日の染め具合といったら絶好調だから顔色では悟られないだろうけれど。
「わ、わかった」
「おう。そんじゃ、またなー」
「う、うん。ばい、ばい」
上条の背中を見送る。きちんとしたお別れの挨拶は、これが初めてかもしれない。その姿が見えなくなっても、美琴は帰路に向かわず呆然と佇んでいた。
左右に振っていた右手をぎゅっと握って胸に当てた。鼓動がうるさかった。全身が戦慄いているのがわかる。
ああ、なんということだろう。できて、しまった。あれほど強く望んでいたものが。
「またなー」とはつまり、次があるということ。続きがあるということ。
『殺伐としてない共通の話題』
意思決定と目標設定は同時だった。間髪いれずにポケットから携帯を取り出す。思い立ったが吉日、は至言だと思う。今だからこそ余計に。
「あー黒子? ごめん、門限間に合いそうにないから、言い訳のほうお願いね」
「おね――」、という声が漏れ聞こえたあたりで電源ボタンを押す。ごめんともう一度心の中で謝って。くるりと踵を返した。
向かう先は商店街、のCDショップ、でいいかしら、取りあえずは。口元に自然と笑みが浮かんでくる。
胸からわき出て頭の上から突き抜けていきそうなこの衝動はなんだろう。踏み出した足取りは軽く、綻んだ口元は先ほどの歌を奏でた。
――了