離れない想い ~Never_Let_Me_Go 前編
「美琴ぉぉおおーーっ!!」
上条の絶叫が辺りに響く。
彼が目にしたのは、敵の魔術弾に胸を撃ち抜かれて倒れようとする御坂美琴の姿だった。
彼女の胸から飛び散る血がスローモーションのようにゆっくりと辺りに広がっていくように見える。
ぴちゃりと返り血を浴びるように、美琴の血が自分の顔につくのを感じながら、上条は崩れ落ちる彼女の身体を左腕で抱え込んでいた。
同時に右手を敵の方角へと突き出したが、第二撃が来ることなく、相手はそのまま逃げ去ってしまったようだ。
ほっとする間もなく、上条はずしりと感じる左腕の中の重みへと意識を向けた。
「美琴ッ! 美琴ぉぉおおーーッ! しっかりするんだぁぁああーーッッ!!」
すでに意識はなく、だらんとぶら下がった彼女の腕からぽたぽたと血が垂れて、足元に小さな血溜りが出来る。彼女の服も、貫かれた胸の部分から見る見るうちに赤く染まっていく。
支えている上条の左腕も彼女の血で真っ赤に染まっているが、彼はただひたすらに彼女の華奢な身体を抱きしめて美琴の名前を叫ぶだけ。
「――三下ァァ! よせっ! オレに任せやがれェ!」
彼の叫びに異変を感じて飛んできた一方通行が、彼の腕から美琴の身体を奪い取るようにして地面に横たえると、すかさず応急処置を始めた。
同時に駆け寄った番外個体が、上条の身体を無理矢理一方通行から引き離すと、暴れる彼を羽交い絞める。
「浜面! 黒夜! ミサカに手を貸してっ! 幻想殺しを押さえててっ! でないとお姉さまがっ!」
「――お、おうっ!」
「――おォっ!」
「放せーーッ! 放しやがれーーッ! 美琴ーーッ!」
なおも泣き叫ぶように暴れる上条に、番外個体と一緒に彼を止めていた浜面仕上が叫ぶ。
「上条っ! 落ち着けっ! 落ち着くんだっ! 黒夜っ! 上条を止めろおお!」
「――任せとけェ!」
黒夜海鳥の『窒素爆槍(ボンバーランス)』が上条の鳩尾に炸裂し、彼はそのまま崩れるように意識を失った。
「お、おい、ちょっとやりすぎじゃねーのか? 黒夜……」
焦ったような浜面に、黒夜はどす黒い笑みを浮かべながら答えた。
「ひっはは。あン時の礼みたいなもンだ。まァ大丈夫じゃねェの? 幻想殺しだしィ」
「不幸なのは相変わらずなんだね!」
ギャハ、と面白そうに笑った番外個体だったが、振り返って一方通行へ心配そうな顔を向ける。
「――第一位、お姉さまは?」
「あァ、もォ大丈夫だ。このままカエル医者ンところへ運ぶ。オマエらは上条を頼ンだぞ」
「後は任せとけ、一方通行。――番外個体、黒夜、足を探してくるから、それまで上条を見ててくれ」
応急処置を終えた一方通行が浜面に向かってそう言うと、美琴の身体を抱きあげると空へと飛び出して行く。
後に残された番外個体と黒夜に気絶した上条を見張らせると、浜面は足となる車を探しに駆け出していった。
目を覚ました上条が、最初に目にしたのはいつもの病院の天井だった。
彼はぼんやりと、自分がなぜ此処にこうしているのか思い出していたのだが、はっと大事なことを思い出すと彼は慌てて飛び起きる。
「み、美琴ッ!」
「――目ェ覚めたか」
不意に声を掛けられて、その方向へ目を向けた上条が見たのは、病室のソファに腰掛ける一方通行の姿。
「あ。ああ、一方通行か。――みこ、御坂は? 御坂はどうなった?」
「心配すンじゃねェ。あの医者がいるンだ。助かるに決まってる……」
「――ッ!」
その一言だけで上条は現状を理解した。彼女の容態は未だ死線をさ迷っていることを。
しかしここは『冥土帰し』のいる病院だ。死なない限りは助けてくれるという信頼だけは揺るがないのだが。
それでもむくり、と上条がベッドから立ち上がる。ふらふらと覚束ない足取りのままで病室を出ようとした。
彼の背中に声が飛ぶ。
「『超電磁砲』はICU(集中治療室)にいる。手術は成功したが、まだ麻酔から醒めねェ。今はまだ面会謝絶だ」
ビクリ、と上条の肩が揺れる。彼はそのままゆっくりと、膝から崩れ落ちた。
「――み……ことぉ……」
「上条ォ……オマエ……」
震えるような上条の呟きが聞こえる。
一方通行は、その呟きに彼の想いを聞いたような気がした。
「ア、一方通行……。俺は……」
一方通行は身じろぎもせず、その言葉を遮るように話す。
「上条。オマエの所為じゃねェ。あれは『超電磁砲』の不注意だ」
「違うッ! アイツの所為じゃねえッ!!」
――ガシャン、と何かを殴りつける音がした。病室のドアに上条の拳が叩きつけられた音だった。
強く押し付けられたその拳から、ちろりと血が垂れる。
同時に彼の顔ががっくりとうな垂れて。
「――あの時、御坂には俺の右手が触れてたんだ。俺のこの『幻想殺し』がだ……」
あらゆる異能の力を消し去る『幻想殺し』。彼の右手に宿るその力は、超能力だろうが魔術だろうが、触れるもの全ての異能の力を無効にしてしまう。
「――だからあの時、御坂は超能力を使えなかったんだ。俺の……俺の所為なんだ」
「おィ!」
「――守れなかったんだ。御坂を……美琴を傷付けてしまったんだ」
「オマエ、バカ言ってンじゃねェぞ!」
「――俺は……俺は……」
「どォしたンだ、上条ォ!」
後ろに近寄った一方通行が、上条の肩をゆさゆさと揺さぶった。
が、上条は振り返ろうともせず、ただぶつぶつと何事か呟くのみ。
その表情を覗き見た一方通行が固まった。虚ろな顔をしたその表情に生気はなく、なによりも、
――ただ茫々と涙を流していた。あの上条が。
いつもの快活な彼からは窺い知れない様子に一方通行は困惑する。
なんの感情もそこには存在せず、上条の心は今まさに『死』に瀕していた。
かつて、あの腐った実験から御坂美琴と『妹達(シスターズ)』、果ては悪党たる自分さえも救い上げたかつてのヒーローの姿は、そこには無かった。
チッ! と舌打ちをした一方通行はチョーカーのスイッチを入れると、その能力で上条の意識を一瞬で刈り取りベッドへ運ぶ。
(『超電磁砲』が傷ついたことで、あるいは心が折れやがったか……)
意識を失ってぐったりしている上条をベッドに寝かせながら、一方通行はぎりっと唇を噛んだ。
彼にとって、『幻想殺し(ヒーロー)』の危機なぞ文字通り幻想でしか無かったはずだった。
どんな事態に陥ろうとも、どんな状況におかれても、決して諦めることもなく折れることのない上条の芯とも言える『心』が、これほどあっけなく折れる瞬間を目にすることになろうとは。
(――もしそォなら、こいつァちっとばっか、厄介なことになりそォだぜェ……)
挫折を知らなかった上条が、『こんなこと』で壁にぶつかろうとは、いったい誰が想像しただろうか。
一方通行は憮然とした顔をすると、無言のまま病室を出て冥土帰しの元へと向かった。
その夜、静まり返った病院の廊下に、ぺたりぺたりと誰かがゆっくり歩く音がする。その足音は集中治療室の前に来るとぴたりと止まった。
黒い影がふらりと揺らいだように見えたが、すぐに入り口の自動ドアがするすると開くと、その影は病室の中へと姿を消していく。
やがて影は『御坂美琴』のネームプレートが貼られたベッドの脇に立つと、静かに彼女の様子を窺っていた。
人工呼吸器の音と、ベッドサイドの心電図モニタが表示する彼女のバイタルサインの電子音が一定のリズムを刻んでいるが、彼女に覚醒の兆しはまだ見られない。
堅く目を閉じ、血の気の引いたやや青白い顔色がまだ深い眠りについたままであることを示す。
「み、こと……」
ぽつりと小さく呟いた黒い影の正体は上条だった。その声は深い悲しみと悔悟に彩られている。
昼間に目を覚まし、一方通行から美琴の様子を聞いたとき、そのショックで彼は一時的に精神の平衡を失った。
すぐに精神安定剤と睡眠剤の投与を受けて眠らされ、先ほどようやく目を覚ましたばかりの状態でここへとやってきたのだった。
「――ごめんな。全部俺のせいなんだ」
彼の目の前で、深い眠りに付いたままの少女。
柔らかなシャンパンゴールド色した髪は、知り合った頃よりも長くなり、今は彼女の肩を越して背中まで伸びた。
化粧が要らない程に整った顔立ちながら、まだ幼さが抜け切らなかったその容姿も、高校生となった現在ではすっかり女らしくなり、時には可愛いらしさに加えて艶かしさをも感じさせることだってある。
華奢だった体つきにも、より女性らしさが光るようになった。時には上条自身も目のやり場に困ることさえあるほどに。
だが今夜の彼女のような、呼吸器をはじめ全身に様々なコードやらチューブが付けられた姿を見ると、上条の胸がきりきりと痛む。
できることなら変わってやりたかった。ここに眠るのが自分だったらよかったのに、と思い上条は唇を噛み締める。
胸の奥からあふれ出る感情に、彼の心が翻弄される。かつて記憶は失っても、この感情を失うことはなかった。
これまで特定の人間に向けることがなかっただけ。なぜなら今の自分にはそれは出来ない、してはならないと思っていたから。
だがそんな自分にも、いつのまにかこの気持ちを諦められなくなった女の子が出来た。
それをはっきりと自覚させられたのは、ロシアから戻った夜のこと。
彼女にとられた左手の温もりは今も忘れることが出来ない。
その言葉が、今も脳裏に彼女の声で蘇る。――今度はひとりじゃない、と。
好きな人を、愛する人を傷つけたくない、不幸に巻き込みたくないという気持ちで今日までずっと一人でいようとしたけれど、結局、彼女から離れることは出来なかった。
それほどまでに好きだった。好きになっていた。どうしようもなく惹かれていた。
でもそれももう今夜で終わりにしよう、と上条は決意する。
せめて最後にひと目見て、彼女に別れを告げよう、自分のこの気持ちに終止符を打とうと決めた。
「俺は……俺はお前のことが好きだったんだ。でももう……」
彼はそうしてくるりと彼女に背を向けて病室を出て行く。最後に残された呟きが、静かに夜の闇に消えていく。
「――これしか、こうするしか方法がないんだよ、美琴」
そうして上条はぺたりぺたりと一人、薄暗い廊下を去っていく。こぼれる涙をぬぐおうともせずに。
上条の背後から小さく声がした。
「あの……あなたは上条さん、でしょうか」
彼には聞きなれた声だった。
先ほど別れたばかりの彼女と非常によく似た声。それは、
「御坂……妹か」
「はい。ですが私の検体番号は13577号です、とミサカはあなたの認識を訂正します。それよりあなたはこんな時間に何をしているのですか、とミサカは訝しげにあなたに問いかけます」
「眠れなくて、ちょっとした気分転換だ」
上条は後ろを振り返ろうともせず、前を向いたまま答える。
今の自分の顔を彼女たちには見せたくなかった。いや、振り返って、美琴とよく似た容姿の彼女たちを見れば、この決意も鈍りそうに思えたからだ。
「あなたが今、出てきたのはお姉さまのところでは? とミサカはあなたに確認します」
「――見てたのか?」
上条の心臓がどきりと震えた。
こっそり美琴を夜中に見舞ったことは誰にも知られたくなかった。本当なら誰にも知られることなく、この場から去りたかった。
こうして彼女の顔を見る資格なぞ、今の自分にはないと思う上条だったが、それでもひと目美琴に会いたかった。美琴の顔を見たかった。
できることなら、あのような状態でなく、普段の彼女であって欲しかったが、彼女がああなってしまったのは、全て自分の所為だから。
「はい。あなたはお姉さまにお会いになっていたのですね?」
「ああ。――あいつがこんなことになったのも、全部俺の所為なんだし」
上条の言葉に13577号がぴくりと反応した。
「――そう……なんでしょうか? とミサカはあなたの言葉に疑問を隠せません」
「これは全部俺の不幸が招いたことだから」
そうして彼はまた廊下の先へと歩き出した。
一刻も早く、この場から去りたかった。こんな未練な気持ちを誰にも知られたくなかったから。
「なぜあなたは、泣いているのですか、とミサカは訊ねます」
「…………」
その言葉に、上条の足が止まった。
だが無言のまま、すぐにまた歩き出す。
彼の背中に浮かぶ拒絶の意思を感じ取った13577号は何か言おうとしたが、何を言えばいいのかわからない。結局それ以上何も言えなくなった。
ただじっと無言のままで上条の背中を見送った。
そうして、
――この夜、上条の姿が病院から消えた。
美琴が意識を取り戻したのは、その翌日のことだった。
彼女が最初に目にしたのは、リアルゲコ太こと『冥土帰し』の顔。
「ふむ。意識が戻ったようだし、もう大丈夫だね?」
「――先生。私は……」
「君は戦闘で傷付いて、今までずっと眠っていたんだよ?」
「戦闘で……」
まだぼんやりする彼女の頭脳に浮かんできたとても大切なこと。それは、
「先生! アイツは、当麻はどうなったんですか!」
「彼は……身体の方は大丈夫だね? 珍しく大きな怪我もなかったんだけどね……」
冥土帰しの表情に陰が差したように見えた。
いつもの彼の率直な物言いが聞かれなかったことに、美琴はふと不安を覚える。
「当麻は……ここにいるんですか?」
「彼はここにはいないよ。今は多分……寮に戻ったんじゃないかな?」
「――そう、ですか」
「今は彼のことよりも、自分を治すことを優先して欲しいんだけどね」
冥土帰しが彼女に言わなかったこと。
それは上条は退院したのではなく、昨夜のうちに病院から姿を消していたことだった。
「今回は君のほうが重症なんだ。明日には一般病棟へ移れるけれど、退院まではもう少し掛かるから、ゆっくり養生するんだね?」
「わかりました。ありがとうございます、先生」
美琴はそう彼に礼を言うと、もう一度眠りについた。上条が彼女の見舞いに来ることを期待しながら。
翌日、彼女が移った病室は、上条が入院するたびに使っていた部屋だった。
よく通ったこの病室が、彼のおかげでなんとなく懐かしく思えてしまうことが美琴には面白く感じられた。
きっと彼は壁紙のしみのひとつひとつや、どこに何があるのかまで全てわかっているのかもしれないと思うと、それだけで憂鬱なはずの入院生活も楽しく思えるから不思議だ。
自分も上条と同じ物を見て、同じことを感じられればいいなと思うだけで、彼と一緒にいるような気持ちになる。それだけで美琴は幸せを感じられるのだ。
後は彼がこの病室に来たら、なんと言ってやればいいのかを考えるだけ。
大きな花束でも持って、優しい笑顔を見せてさえくれればそれだけで十分なようにも思った。
いや上条のことだから、もしかするとデパ地下のクッキーかもしれないと思い、そうしたらあのときの言葉でそっくりそのまま返してやろうかとも考えた。
あるいは自分が怪我をしたことで責任を感じ、これから一生守るからとでも言ってくれたら……などと恋する乙女の妄想は尽きない。
いつもは見舞いをする側だった彼女が、彼の見舞いを受けることなどこれまで無かったことだから。
彼はいったいどんな顔をして、自分のところへやってくるのかとわくわくした気持ちでいると、早速に病室の扉がノックされた。
「――どうぞ」
美琴は期待を込めて返事をした。が、入ってきた人物は……
「お姉様ぁぁぁあああ!!!」
白井黒子だった。
「お姉様お姉様お姉様ぁぁぁあああ!! よくぞご無事でぇぇぇえええ!!!」
「ちょっとっ! 黒子ぉぉぉおおお!!」
「――へぶしっっーー!!」
ベタベタと美琴に纏わり付いてくる、常盤台中学三年生にして『現』常盤台のエース、白井黒子を力づくで払いのけた。
昨年常盤台を卒業し、現在は上条と同じ高校の一年生となった美琴との久しぶりの再会シーンは「いつもの通り」だった。
「――お姉さまが負傷したと聞いて、黒子は本当に心配しましたの!」
「ごめんね、黒子。心配かけちゃったみたいで」
「お姉さまがご無事なら構いませんの。ところで、上条さんは今どちらに?」
「――まだ来てないのよ……///」
恥ずかしげに俯いた美琴からの答えに、白井は大きくため息をつく。
「お姉さまを危険に晒しておいて、この場に姿を見せないとはあの類人猿はいったいどういう了見ですの?」
白井が憤懣やるかたないという顔をする。
「多分そのうち来るんだと思うわ。どうせいつもの「不幸な」遅刻でしょ?」
「それはそうですわね。やはり一番乗りはこの白井黒子でなければ務まりませんの」
そう言うと彼女たちはくすくすと笑顔を見せ合っていた。
だがその日、たくさんの見舞客が来たものの、そこに上条の姿はなかった。
それは翌日も、翌々日も同様で、美琴が退院する日になっても、上条が美琴の見舞いに来ることは最後まで無かった。
いったい何をしているんだろうと不審に感じた美琴は、入院中、白井に上条の部屋の様子を見に行ってもらったが、そこに人の気配は無く、部屋にはうっすらとほこりが残っていただけだと言う。
妹達や他の誰に聞いても、自分が入院している間に上条の姿を見たものはいなかった。
ただ一方通行から聞いた、自分が目覚める前日の上条の様子と、上条が病院から姿を消す直前に彼と会ったミサカ13577号の話からすると、どうやら彼は自分が傷付いたことに相当なショックを受けていたらしかった。
美琴が退院後、ようやっと訪れた上条の部屋には誰の気配もなかった。
彼女には、おそらく彼がどこかへ姿を消したことは間違いないように思われて、
「――あの馬鹿っ! いったいどこへ姿をくらましたのよっ!」
会えない寂しさで、ついつい声を荒げてしまう。
どんなに会いたくても、あれから顔も見ていない上条が、この空の下、どこかで悲しみにくれているのかと思うと、美琴はやり切れない思いにとらわれる。
――あの戦闘で傷付いたのは自分のミスだった。
あの時、敵の魔術師は退却間際に弾幕を張ろうとしていた。狙いを定めず、適当にあちこち乱射して、こちらが怯んだ隙に逃げ出そうとしたわけだ。
そのうちの数発がアイツの方ヘ向かって行ったのはわかったが、アイツは気付いていなかった。
声をかける暇なんてなかったから咄嗟にアイツの手を引っ張ったところで、別の弾に当たってしまった、というわけだ。
自分の能力を持ってすれば、流れ弾を躱すことなどわけもないことだが、あの時はアイツのことに気をとられすぎていた。
アイツの背中を守ると言いながら、自分が足を引っ張るようではまだまだだ。これでは却って足手まといになりかねない。
でも、
やっぱり、
私はアイツと一緒に戦いたい。
アイツの背中を守りたい。
私が傷付いたのは、決してアイツの所為なんかじゃない。なのに、アイツは、それさえも一人で背負ってしまうのか。
「馬鹿っ! 馬鹿馬鹿馬鹿ぁ……っ!」
ぽろりと滴がこぼれはじめたら、もう止まらなかった。止められなかった。
美琴の身体がずるずると崩れ落ちる。ぺたりとコンクリートの冷たい床に座り込むと、上条の部屋の扉の前で、彼女はすすり泣きを漏らしていた。
上条に会えなくて。自分が情けなくて。
自分が傷つくよりも、彼を傷つけたことが痛くて、辛くて、寂しくて、そして悲しかった。
自分の弱さが、これほどまでに情けなく思ったことはない。
妹達を救えなかったことよりもずっとずっと。
北極海で彼に手が届かなかったことを思い出して。
あれからどれだけ月日が経とうとも、自分が伸ばした手からするりと上条が離れていく光景は、ずっと忘れることが出来なかった。
「――とう……まぁ……っ。当麻ぁっ」
ずっと好きだった。大好きだった。誰よりも、何よりも。心の底から愛していた。
その彼が、今また自分から離れていく。自分の所為で離れていく。心に傷を負ったままで。
もう二度と離したりしないと思ったのに。思っていたのに。思っていたはずなのに。
「――なんでっ! なんでなのよっ!」
ぽたぽたと落ちる涙が、灰色の床を黒く染める。
「――なんでっ、そうやってっ、いつもいつも一人で背負っちゃうのよっ!」
悲しい叫びが虚空へと消えていく。
「――私にだって、背負わせろって言ってるじゃないっ!」
されど、涙の奥から湧き出るもの。
それは彼女の絶対に折れない芯なのか。
「アンタがそのつもりなら、今度こそ絶対にひっ捕まえてやるんだからねっ!」
恋する乙女は、
「――アンタがどこにいたって、どこに行ったって、私は絶対に付いていくんだからっ!」
世界で一番強いからなのか。
「――地獄の底にだって追いかけてやるわよ!」
果たして覚悟を決めた女に敵う男はいるのだろうか。
「あの時は当麻が私のところへ無理矢理踏み込んで、洗いざらい救い上げてくれた」
学園都市第三位の超能力者『超電磁砲』、
「――今度は私が当麻のところに無理矢理にでも踏み込んで、洗いざらい救い上げてみせるから!」
御坂美琴は今、もう一度追いかける。上条当麻を救うために、『追跡者(チェイサー)』となって。
その時、カツカツとコンクリートの床に二つの足音が響いてきた。
近づく足音に気付いた美琴は慌ててこぼれた涙をぬぐい去る。
顔を上げた彼女がそこに見たのは、
「よう、御坂ちゃん。退院おめでとう」
「みさか、だいじょうぶ?」
ふたりの男女の姿。
「――浜面さんに、滝壺さん?」
浜面仕上とその彼女、滝壺理后だった。
「ど、どうしたのですか? お二人とも……」
「ん? ここ、上条の部屋だろ? ちょっと様子を見に来たってとこだ」
「かみじょう、いなかったでしょ」
彼らからの言葉に、美琴ははっとした。
これはもしや、と思い、
「あの、当麻の居場所、ご存知なんですか?」
美琴の言葉に、浜面と滝壺はしばらく顔を見合わせていたが、
「ああ、知ってる。というか、俺たちが匿ってる」
「今のかみじょうは、『ヤツら』に襲われても戦えないから」
美琴は浜面の言葉にほっとしたが、滝壺の言葉に胸を締め付けられた。
が、そんな感情に頓着するまもなく、浜面が携帯をとりだして、彼女に告げる。
「上条ならこの場所にいるから、行ってやってくれよ。今は麦野が側についてるが、代わってくれるとこっちも助かるんだ」
――フレメアのお守りが絹旗一人だけってのもちょっと頼りないしな、と彼はごちた。
そんな浜面からの思わぬ申し出に、美琴は迷うことなくOKする。
第四位、麦野沈利が上条の側についている、ということが引っかかったが、――むぎのなら心配要らない、という滝壺の言葉を信用することにした。
GPSデータを受け取り、走り出そうとする美琴に、
「みさか、ちょっと待って」
滝壺がそう彼女に声をかけた。無言で浜面に向かって頷くと、美琴を通路の端へと引っ張ってそっと耳打ちをした。
「――みさかは、かみじょうが好きなんだよね?」
「えっ!? あの、その……」
突然の問いに、美琴は顔を赤らめてどぎまぎしたが、
「大丈夫。私はそんなみさかを応援してるから」
「滝壺さん……はい。私、当麻のこと、誰よりも大好きです」
そう言って、素直に頷き返した。
「――よかった。かみじょうはちょっと転んでしまっただけだよ。でもそんなかみじょうを助けてあげられるのは……」
じっと自分を見つめてくる滝壺の表情が温かい。
美琴には彼女がまるで、迷える子羊を教え諭すシスターのようにも思える。その言葉はじんわりと、自分の中に温かく染み透るように感じられた。
その頃、上条は浜面に教えられた、ある廃ビルの一室に閉じこもっていた。
そこは以前、浜面と彼の仲間たちが使っていた部屋、つまり『アイテム』時代に隠れ家として使われていた部屋の一つなのだが、今もたまに使っているらしい。
部屋には窓もなく、装飾もない殺風景な部屋だったが、一応小さなキッチンにバストイレ、ソファーにセミダブルサイズのベッドがひとつ置かれていた。
上条はベッドに仰向けになって、視点の定まらぬ目を天井に向けていると、つくづくと自分の情けなさがやるせない感傷めいて込みあげてきた。
美琴を守れず、傷つけてしまったこと。そのことに耐えられず逃げ出した自分。今もこうしてどうしたらいいのかわからないまま、無為な時を過ごしていることも辛かった。
一旦は彼女から離れようと思っては見たものの、自分の心がそれを許してくれない。
何よりも大切なことから目を背けているように思われて、日がな一日彼はこうして、ベッドの上で煩悶するばかりだ。
と、そこへ、
「はーい、幻想殺し。いい具合に打ちのめされてるようだにゃーん」
いつの間に来ていたのか、入口の開いたドアに寄りかかって彼の方を眺めている一人の女性。
ゆるく巻かれた栗色のロングヘアに、整った顔立ち。豊満なスタイルを上品な色合いの服に包んで腕組みをしている美女。
「――ああ、麦野か」
ちらりとそちらへ目をやった上条が呟いた。
「つれない物言いじゃないのさ。せっかくの居場所を提供してやってるって言うのに」
そう答えたのは、LEVEL5第四位『原子崩し(メルトダウナー)』、麦野沈利。
彼女はふゎさり、と髪をかきあげると、それまでの優美な表情のまま、にやり、と悪戯っぽくまなざしを細める。
「あの電撃小娘がここへやってきたら、テメエはどうするつもりなんだよ?」
「…………」
「――ったく、いつまでもうじうじとしやがって……」
じっとしたまま、迷いの顔を隠そうともせずに黙ってしまう上条。
そんな彼の様子に、ふっとため息をつくようにして、
「悲劇のヒーローを気取ってないで、テメエがその手でつかもうとしたのは何なのか考えたのか?」
「俺が、つかもうとした、もの……」
「テメエの手は地獄の底から引きずり上げるための手、なんだろう?」
麦野が冷めた目でじっと上条を見つめていた。
「――その地獄の底に取り残されてるのがまだいるんじゃねえのかってんだよお。かーみじょう?」
「地獄の、底に……?」
まだ意味がわからない、という顔の彼に、
「引きずり上げようとして、うっかり一緒に落ちてしまったヤツのことはどうなんだにゃーん?」
「――ッ!?」
それが誰のことを指しているか、やっと見当がついた上条だったがそれでも言葉を返せない。
そんな上条に、やもすれば苛立ちを隠せぬように、麦野も声を荒げかけて。
「テメエみたいな×××野郎にアイツは負けたのかと思うと、情けなくなるわよ」
「ア、アイツ……?」
「――浜面」
ああ、と納得したような上条に、麦野は、
「あの時、テメエにやられて、浜面はこっちの世界に落とされてきたんだ」
「…………」
こっちの世界、というのが何を指すのかについて上条は何も聞かなかったが、その意味だけは彼にもわかっていた。
「最初はアタシらの下っ端だった。この街の闇のそのまた底よ? 生命が消耗品の世界にいながら、アイツは折れもしなかったんだ。
こんなクソッタレな泥沼の世界で、アイツは守りたいものを守って、泥沼から彼女を光の世界へと押し上げてくれたんだよ」
そう言いながら麦野は、ゆっくりと部屋の中へやってくると、どかっと上条の目の前でソファーに腰を下ろした。
「テメエにいいもの見せてやるよ」
彼女は右手で顔の右半分に手をやると、ペロリ、と皮を剥がす、ような動きをした。
美しい顔が、まるでマスクのようにめくれると、その下から現れたのはケロイド状の皮膚とこちらを睨みつけるような機械の眼。
その光景に衝撃を受けた上条は思わず固唾を呑んだ。
「冥土帰し特製の特殊メイクよ。これだけじゃないからね」
彼女が左腕の袖をめくる。露になった腕をまるでカバーのようにはずす。と、そこから現れたのは機械の手、義手だった。
「麦野……それはいったい……」
過去に、麦野の体にあったこと、浜面、滝壺、麦野の三人の間に起きた出来事を上条は知らない。
そんな彼に、麦野は柔らかい笑みを向けた。
「これは自業自得ってヤツ。――私は前に二回、負けてるのよ。アンタみたいな力を持たない、“正真正銘”の無能力者にね」
「――っ!」
更なる衝撃を受けた上条に構わず、麦野はそそくさと義手と義眼を元に戻した。
彼女とて年頃の女の子だ。そういつまでも醜い姿を晒したくはないのは当然のこと。
それもやがて隠されてしまうと、外見からは全くわからない。彼女の姿はどこから見ても美女のままだ。
「こんな我侭で身勝手で自己中心的な女だけど、浜面は助けてくれた。守りたいものを守って、おまけに復讐に凝り固まってた私の心まで救ってくれたんだ……」
彼女の傷は全て浜面との戦闘で出来たものだが、そのことを恨んだりはしていない。
むしろ、
「――浜面は私を選ばなかったけど、それでも私はアイツに感謝してる。こんなクソッタレな私を泥沼から押し上げてくれた。
泥沼に首まで浸かって足掻いていた仲間をそこから救ってくれて、最後にはちゃんと自分もそこから這い上がってきたんだ」
麦野がどこか遠くを見るような目をする。その時の彼女は、まるで恋する乙女のような顔を見せていた。
だがすぐにその表情を引っ込めると、真剣な面持ちで上条を見つめる。
「かーみじょう。テメエは惚れた女一人さえ救えねーのか? その右手は幻想を殺すことしか出来ないってのか?」
「惚れた、女を、救う……」
上条の脳裏に美琴の顔が浮かんだ。その顔は果たして笑顔になっているのだろうか。
そんな彼の思いを見透かしてか、麦野はソファから立ち上がると、入り口の方へと向かった。
「浜面はね、何度も何度も負けてきたんだ。居場所を失い、守りたかったものも守れず、挙句の果てにその手を汚す闇の底まで堕ちたんだよ。文字通りの負け犬人生ってな」
――でもさね、と言葉を継いだ。
「アイツはそれでも這い上がってきた。負けても負けても、そこから開き直ってまた立ち上がって来るんだよ。――で、今のテメエはどうなんだ? 『幻想殺し』」
「…………」
「それともなにかぁ? テメエの所為で超電磁砲が傷付いたっとでも言うのかよ?」
「――ああ、俺の所為だよ。俺の不幸がアイツを巻き込んじまった。アイツを傷つけてしまったんだ。」
上条が目を背けて漏らした言葉に、――チッ、と麦野は舌打ちをすると、
「不幸に巻き込んだだァァ? 傷つけただとォォ? 関係ねえよ! カァンケイねェェんだよォォォ!!」
部屋の入り口で振り返って叫ぶ。
「テメエの弱さを、惚れた女に押し付けてんじゃねえよッ!!」
「――ッ!!」
その言葉はなぜだか上条の心を打った。
どこかで聞いたような気がしたのは、記憶を失う前の自分に関係あったことなのだろうと思いながら。
「お、俺は……俺は……っ!」
何かを言いかけた上条を、麦野はその鋭い眼で制して言い放つ。
「――惚れた女ぐらい押し倒してみやがれェェエエ! こんの×××野郎ォォォ!!」
「麦野ぉぉぉおおお!?」
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上条の元へ、駆けだしていった美琴の後姿を眺めて、浜面が傍らの滝壺へと呟いた。
「――俺はあいつらに『借り』を返せたかな?」
彼の言う『借り』とは、御坂美鈴襲撃の時の「こと」だろうか。それとも……。
「はまづらは、――暗部に落ちたことを後悔してる?」
「ん? 後悔なんてしてないさ。むしろ良かったと思ってる」
手を繋いだままの想い人へ優しい笑みを向けながら。
「――俺は、大切な人を守ることが出来たから。な、滝壺」
「はまづら……」
ピンクのジャージがふわり、と浜面の背中にしがみついた。
「た、滝壺!? ――それはそうと、さっき、御坂になんか渡してただろ?」
「ん? あれは女の子の武器」
「武器!? なんだそれ?」
これ、と言って滝壺が取り出した箱のパッケージには、――『特製・経口避妊薬 ~行為後72時間以内に服用してください』という文字が印刷されていた。
ぶばぁっと鼻血を噴き出した浜面。
「――そろそろ男を見せて? はまづら……」
「た、滝壺サン……」
頬を染める滝壺に、だらだらと冷や汗と鼻血を垂らすだけのヘタレな男、浜面仕上。新生『アイテム』のハーレム男は、今日も純情路線まっしぐらだ。
~~ To be Continued ~~