とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

Part01

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美琴サイド


 夏の深く吸い込まれそうな濃い青とは反対の、透きとおり澄んだ冬の淡い青空の下、いつもの自販機の前に御坂美琴はいた。
 いつもの制服の上に薄手のコートとマフラーを身に付け、両手には自販機で買ったばかりの暖かいココアを持っていた。
 美琴は自販機に背を預け、空を眺めながらココアをくぴくぴと可愛らしく飲みつつ物思いに耽っていた。

「どうしようかなぁ……」

 呆然とも、胡乱げとも取れる、不意に口を突く小さな言葉。同時に思い浮かべるのは一人の少年。その少年の顔が安定しないのは、目まぐるしく表情が変わるからだろう。
 小さな事で一喜一憂して、笑ったり怒ったり項垂れたりとくるくると変わる、まるで子供の様なその表情。
 それを思い出して、美琴は小さく微笑む。
 不思議だ。コートを羽織っていても服の隙間から入る風で少し寒いのに、その少年を思い浮かべるだけで、心はこんなにもあたたかい。

「好き、って言うだけなんだけどなぁ……」

 今度は自分の意志でその言葉を紡ぐ。ただ、誰かに聞かれたら恥ずかしいので、小さく小さく、擦れるほど小さな声で。
 自分の気持ちはこんなにもはっきりとしている。恥ずかしくて口にするのはちょっと勇気がいるけど、好きだという確かな気持ちがある。出来る事なら、独り占めしたいとわがままな気持ちもある。
 後は、彼に好きだと、気持ちを伝えるだけなのに、どうしても彼を目の前にすると素直になれない。

 それが自分の性格なんだろうな、と何処か他人事にも似た感じで自覚している。
 彼を目の前にすると、嬉しい様な恥ずかしい様な、色んな感情が自分の中で絡まっていって、普段通りの自分を演じる事さえできない。
 でも、彼に自分の気持ちを言えないのはそれだけじゃない気がする。
 きっと、きっと自分は、

「臆病なんだろうなぁ……」

 ココアを飲みながら、呆れを僅かに滲ませながらほうと息を吐く。
 そう、きっと自分は憶病なんだ。
 彼への気持ちはちょっと口にするのは気恥ずかしいけど、それでも恥じるものではないし、ある種の誇りさえある。けど、それとは別の、『逃げ』の様な気持ちがあるのも確かだ。
 だって、気持ちを伝えなければ、この心地よく楽しい、遠慮も何もしなくていい、アイツと一緒にバカを出来る場所は残り続けると思うから。
 しかし、今の場所よりほんの僅かでも先に進みたいと思っている自分もいるのだ。
 正直、自分でもよくわからない感情だと、笑みが零れる。
 そこに、不意に声がかけられる。

「よっ。こんな所で何してんだ、御坂?」
「うわひゃあ!?」
「おお!?」

 横からの突然の声にびっくりして、あんまり少女らしくない悲鳴を上げる美琴に釣られ、声を掛けた方もすこし驚く。
 ついでに手から何かすっぽ抜けた気がするが、今は気持ちを落ち着かせる方が先だと、美琴は自身の胸に手を当て、軽く息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
 そして声の方へ顔を向けようと振り向く。誰かはわかっている。自分が彼の声を聞き違える筈がないと妙な自信が美琴にはある。
 だから、美琴はいつもの様に怒りながら振り向くのだ。素直になれない自分を、少し恨めしく思いながら。

「いきなり声かけないでよ! びっくりす――」
「あっちゃあああああああああ!?」
「――あ」

 振り返った先には、熱いココアを頭から被っているウニ頭がいた。
 そうか、すっぽ抜けたのはこれか。美琴は熱がっている少年の前で己の手を見ていた。


「……って、そうじゃなくて! ちょっと大丈夫!? ほらこれで拭いて!!」

 妙に冷静になっていた自分を放り投げ、美琴は慌てて持っていたハンカチを手渡す。
 あっという間に白のハンカチがココアの色に染まっていく。
 とりあえず吹き終わった様で、美琴の目の前にはココアの甘い匂いを漂わせながら、湯気を出しているウニがいた。

「不幸だ……」

 ウニもとい上条当麻はまだちょっと熱い頭をハンカチで吹きながら、いつもの言葉を呟いた。
 その前で美琴は申し訳なさそうに「ご、ごめんね……」と苦笑いを浮かべながら謝っていた。

「あー、火傷するかと思った……」
「だから、ゴメンって言ってるじゃない」

 まだどことなく甘い匂いを漂わせている上条の隣を、美琴が隣を歩く。ただ、2人の間には妙な隙間がある。離れてはいない。でも、近くもない。そんな隙間が。
 この距離は、もどかしいけれどとても居心地のいい、美琴の秘密の癒しの空間だ。

「でさ、お前、あんな所で何してたの?」
「んー、ちょっと散歩してた」
「こんな寒いのに?」

 そういう上条の恰好はもこもこのダウンジャケットを着ていた。実にあったかそうだ。でも、ココアの甘い匂いのせいであんまり羨ましくない。

「別にいいじゃない。私の勝手よ」

 と、美琴はちょっと突き放す様な口調で返す。

「ま、そだけどな」

 それに気にした様子も無く、上条はいつもの調子だ。
 その隣では、美琴は小さな後悔の念を抱いていた。
 どうして自分は素直になれないんだろう。何で、今みたいにそっけない返し方しか出来ないんだろう。もうちょっと、いや、ほんのちょっとだけでも素直になれたらいいのに。
 何だかこのままでは変に考え込んでしまいそうだ。頭の中身を振り払う様に、美琴は一歩だけ近付いて上条に話しかける。
 ただ、口調はいつもより僅かに固くして。体は近付けても、心を近付け過ぎないように。

「で、そういうアンタは何してたのよ?」
「洗剤とか切れてたから、ちょっと買いだしにな」

 上条は手に下がっている袋を胸辺りまで持ち上げながら答える。
 その袋に美琴も目をやるが、ちょっとというには些か量が多い気がしてならない。そして重そうだ。

「ちょっとっていう割には、結構な量じゃない、それ」
「上条さん家では消耗品が一気に無くなるなんて珍しくないですの事よ」

 何故か胸を張る上条に、美琴は少し呆れながら返す。

「何で胸張ってんのよ……」
「おかげで貴重な一葉さんが出家しちゃいました」
「出家って……」

 上条のずれた応えに美琴は呆れて苦笑いを返す。コイツ、絶対に出家の意味をわからずに使ってるわね、とその感想は口には出さない。
 間違いを指摘されて慌てる上条も見てみたいが、敢えて後で指摘して恥ずかしい思いでもさせてみようかと、意地悪な思いがひょっこりと美琴の心に顔を覗かせる。
 隣を歩く少女がそんな事を考えているとはつゆ知らず、上条は持ち上げた袋を下げつつ、何かを思い出したように美琴へ視線を向ける。

「なぁなぁ、お前、この後暇?」

 突然の問いかけに美琴の鼓動が少し逸る。
 暇かどうか聞かれるって事は、何かに誘ってくれるんだろうかと、美琴は淡いながらも期待を抱く。

「えっ、ひ、暇、だけど?」
「じゃあ、この後のタイムセールに付き合ってくれると上条さん嬉しいです!」
「……………はぁ」


 まー、そんな事うだろうなーとは思ってましたよー、と美琴は淡い期待を裏切られたがっかりさを諦観の念と一緒にため息として零す。
 この鈍感バカに期待するのが間違ってるんだろうけどさー、それでもなー。そんな風に聞かれちゃうと期待しちゃうじゃない、と美琴は自分の理想と現実の違いにちょっぴり寂しさを抱く。
 がっくりと項垂れている美琴の隣では、上条が少しばかりうろたえながら少女の様子を見ていた。そしてまた何か思い出したのか、上条は少しだけ表情を輝かせる。

(でもま、コイツと一緒にいられるのには違いない、か……)

 ちょっとどころではなく色気も何もあった物じゃないが、正直なところ、上条にやたらとムード溢れる場所に連れて行ってもらっても、嬉しい以上に緊張してしまいそうだ。
 上条とそういう所に行くのに憧れが無い訳じゃないが、今はまだ、こんな風に何でもない事をして過ごすのが自分には丁度いい。
 ぶっちゃけ、コイツの隣にいれるならどこでもいいんだけどさ、と美琴は内心で続ける。

「ま、ヒマだし別にいいわ――」
「そういやさ、この前、何かの景品にゲコ太だっけ? 貰ったんだよ。よかったらい――」
「ゲコ太!? くれるの!? 本当に!? ありがとう!!」
「って貰う気満々ですか。いやまぁ、別にいいんだけどさ」

 美琴の言葉を遮る様に言った上条の言葉を、今度は美琴が遮る。
 今日一番の嬉しい出来事かもしれない、と美琴は小躍りして喜びたい気持ちを必死に抑える。
 相手が上条でなければ、自分は絶対に相好を崩していただろう。いや、今も崩れそうなのを全力で抑えているのだけれど、上条に自分のそんな姿を見せるのは、なんというかまぁ、恥ずかしい。
 とはいえ、これが嬉しくない訳がない。ゲコ太はただでさえ大好きな美琴だ。そこに『上条がくれた』というプレミアが付けばもう、宝物になりかねない。

「じゃあさ、近くにスーパーあるだろ? そこで待っててくれよ。ゲコ太は家にあるし、俺も着替えたいし」
「遅刻したりゲコ太忘れたりしたら超電磁砲ぶっ放すからね」

 上条がタイムセールに遅れる事は無いとは思うが、一応、いつもの調子で脅しを掛けてみる。
 このやり取りが自分達らしいと思うし、やらないならやらないできっと物足りなさを感じそうだ。だが、それが普通な今の関係は妙なものだと、美琴は変に達観しつつ思う。
 それに、美琴がこうやってわざと上条を脅すのにはもう一つ理由がある。

「今度のタイムセールは上条さんの命が物理的にもピンチになるかも!?」

 こうやって大きな態度で慌てふためく姿を見たいからだったりするのだから、自分でも性質が悪いと思わない事も無い。いやだって、なんか可愛いんだもん、コイツ。誰へでもなく美琴は内心で弁解する。
 男に可愛いと使うのは変かもしれないと最初は思ったが、可愛いものは可愛いんだから仕方ないと、今では開き直っている。

「じゃ、私は先に行ってるわよー。あ、先に中に入ってるわよ」

 言いながら、上条と別れて近くのスーパーへとてくてく歩いていく。
 ちょっと離れてから、美琴はふと後ろを振り向く。向こうは今振り向いた所だったのか、美琴がそっちに振り返ると同時に、反対へと駆けていく。
 徐々に小さくなっていく背中に、美琴は名残惜しさを感じていた。

(もうちょっと隣に居たかったかな~……)


 どうせすぐに会うのだからとわかってはいるのだけれど、『今』もっとそばに居たいと、ずっと一緒に居たいと心は叫んでいる。でも、そこまで踏み込むのもちょっと怖い。
 今の場所が居心地がよすぎるから、それ以上を望むのはいけない気がして。だけど心は正直だ。上条と一緒に居る時は、いつもその衝動を堪えている。

(やっぱり、好きなんだなぁ、アイツの事)

 重いものとは違う、優しくあたたかいため息を零しながら思う。
 改めるまでも無く、気付けば自分の心の中心に居座っているアイツへの想いを、もう何度目か分からないほどに反芻する。
 柔らかい笑みを浮かべながら、美琴は見えなくなった上条の背から視線を戻し、スーパーへとのんびり歩いていく。
 もしかしたら、急いだアイツが追いついてきてそのまま一緒にスーパーにいけるかもしれないし、と仄かな希望を抱きつつ。
 けれど結局、先に店に着いた事をちょっとがっかりした美琴だった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 時間はもう日が傾きかけて、オレンジ色に染まるころ合い。
 無事、スーパーのタイムセールで勝利を収めた上条はその余韻を抱きながら歩いていた。美琴は美琴で、上条からゲコ太を貰って大変ご機嫌だ。

「いやー、よかったよかった! これで上条さん家の食事事情はしばらくは安泰です! ありがとうな、御坂」
「どういたしまして」

 美琴の隣には、嬉しそうな顔を浮かべ大量の戦利品を両手に提げている上条。少し持とうかと言ったのだけれど、女の子に荷物は持たせられませんと断わられてしまった。
 意外と紳士な上条の顔を、美琴は横目でチラチラと見ていた。や、じっくり見たいのだけれど、目線があったりすると恥ずかしいので。
 それでも、上条のこの無邪気な笑顔はいつまで見ていても飽きない。執着のような愛着、でも暖かくなる様なこの感じ、こういうのを愛しいと言ったりするんだろうか。

「あ、あのー、御坂、サン?」
「ん、なによ?」

 上条の顔が仄かに赤い。そしてなんか妙に声が近くに聞こえる。

「な、何故にそんなに顔を近づけておられるのでせう?」
「……へ?」

 声の高低が微妙に安定していない上条の言葉で、美琴もようやく自分の状況を理解する。
 気付けば、上条の顔は目と鼻の先。鼻と鼻とがくっ付きそうな程近くに、上条の顔が目の前にあった。

「は……は……」

 落ち着け自分、これは事故だ。そうだ落ち着け。そう何度も自分に言い聞かせるが、鼓動の逸りは速くなる一方で、心に押し寄せる衝動の波は高くなるばかりだ。
 顔が熱い。顔だけじゃなくて体全体が熱い。鼓動がうるさい位耳の奥で鳴っている。寒さとは違う理由で、指先が震えている。
 なんとか心を落ち着かせようとはしているのだがそれも虚しく、衝動の波はいとも容易く美琴の理性を流していった。

「離れろー!!」
「えー!? 理不尽!?」

 上条へと電撃を放ちこれ以上ない程物理的に引っぺがす。自分から近づいたのに。
 上条は案の定、右腕でしっかりとガードしており、電撃に驚きながらも毎度の如く無傷だった。いつもいつも無傷なのもやっぱなんかムカつくと、美琴は場違いながらもちょっと思った。
 ただ、上条の周りには袋の中に入っていた物が散乱しており、中々に後片付けが大変そうになっていた。


 まだ体の周りでバチバチと音を立てながら、美琴は赤い顔で少しずつ息を整えていく。それと一緒に、逸った鼓動と衝動も落ち着かせていく。
 その正面の上条は、ひとまず電撃を防げたことに安心し、その後に気恥ずかしそうな表情を浮かべ、所在なさげな左手で頭を少し乱暴にかいていた。

「あーもう、びっくりした~……」

 胸に手を当て、呼吸と鼓動を落ち着かせながら、まだ赤い顔のまま呟く。
 心臓に悪いにも程がある。好きな男が目と鼻の先に居るというのは。

「そりゃこっちのセリフだっての……」

 心なしか煙を上げている右手を下ろしながら、げんなりとした調子で言う。
 上条からすればたまった物ではないだろう。向こうから近づいてきて、しかも近付いてきた方から離れろと電撃付きで怒られたのだから。

「……まぁ、悪い気はしなかったけど……」
「ん? なんか言った?」
「あ、いや、何でもない。気にすんな」

 上条がぽつりと何かを言ったようで、聞き返すもはぐらかされる。
 キョトンと首を傾げる美琴の前では、ホッとした様子で息を吐く上条の姿。美琴の方もそんな大事な事でもないんだろうなと思い、まだぽつぽつと聞こえてくる上条の呟きも聞き流す。
 そして辺りへ目をやる。辺りに買ったものが散らばっていた。まぁ、自分が原因なのでここは自分が率先してやろうと、美琴は屈んで袋の中へ詰め直していく。

「ああ、いいって。俺がやるから」
「私のせいなんだから、気にしないの」

 そう言いながら美琴は黙々と散らばった商品を綺麗に袋に詰めていく。
 屈んだ美琴の少し前、立っている上条は、仕方ねぇなといった態度で彼女の前に同じように屈み、一緒に袋に詰めていく。
 上条と一緒に袋に詰めていると、不意に彼からの視線を感じる美琴。気になり、聞いてみる。

「どうかした?」
「いや、お前可愛いなぁと」
「っ!?」

 さらりと言われた事に、ようやく平静を取り戻していた美琴の心がまたもや大荒れの模様となる。ついでに顔まで熱くなる。
 言った方は言った方で、どうしたんだろうと美琴の様子を気にしていたが、つい今しがた自分が言った事に気付き、こちらも顔を赤くして盛大に慌てる。

「や、えと、無し! 今の無し! 無しでお願いします!」
「あ、えと、その、はい、わかりました……」

 顔を赤くしながらの上条の大声に、借りてきた猫のように大人しくなった美琴が、可愛らしい小さな小さな声で、しかも敬語で返す。
 ぽーっとした表情で、自分の手を胸の前で抱く様にする美琴。その前で真っ赤な顔で居心地の悪そうな上条。

「あーその、なんだ……、早く片付けちまおうぜ……」
「はい……」

 恥ずかしそうな上条の声も何処か遠い。
 何かもー、ダメだ。何がダメってレベルじゃなく、全部が全部ダメだ。頭が何も考えてくれない。さっきから『可愛い』と言う言葉が、上条の声で何度も何度も美琴の頭の中で再生されている。
 赤い顔で呆けた表情のまま、美琴は黙々と袋に物を入れていくが、どう見ても適当で、先ほどまでの丁寧さは一切ない。本当にただ入れているだけ。

(可愛い……。コイツが、私に……。可愛い……)

 信じられない。上条の口から可愛いと言葉が出た事ではなく、その言葉が自分に向けられた事が信じられない。
 美琴は上条の事が好きだ。だから、美琴は上条の事をよく見ていた。それで、向こうは自分の事を精々が仲のいい友達程度だろうな。そう思われているのが何となくわかった。
 それに気付いた時、ちょっと悲しかったけれど、それでもいいと思った。確かながらも何処か曖昧さのある、この関係がとても居心地のいいものだったから。
 だから、上条が好きだという気持ちは、せめて上条にだけは秘密にしていようと思ったのだ。


 だというのに、上条から出た言葉は自分が予想もしないものだった。
 嬉しい。とても恥ずかしいけど、それ以上に凄く嬉しい。ゲコ太の嬉しさが霞むほど嬉しい。
 あんまりにも嬉しくて、臆病な自分が勇気を持ててしまいそうではないか。
 上条の事が大好きだから今の関係より前に進みたくて。でも今の関係がとても心地いいから壊れるのが怖くて。
 なのに、希望があって。

(……嬉しいだけで、いいや……)

 だけど、美琴はその希望を優しく心の深くへしまう。淡くも、寂しげな笑みを薄らと浮かべながら。
 やっぱり、どうしても怖い。希望はある。けれど希望があるからこそ、それを失った後が怖くてしょうがない。
 かっこ悪い。かっこ悪い程自分は憶病だ。一歩を踏み出すのが、たった一言を言うのがこんなにも怖い。

(レベル5の第3位も、恋愛に関してはレベル0かぁ……)

 自分を揶揄するように内心で呟く。
 こういうのをへたれって言うのかなぁと、それだけを心の中だけで続けてから改めて袋に物を入れようとする。
 が、気付けばもう落ちているものは無い。不思議に思い顔を上げれば、落ち着かない様子で立っている上条。足元には商品が詰まった袋。

「えーと……、はい」
「お、おう」

 美琴も立ち上がり袋を手渡す。上条はそっぽを向いたまま受け取っていた。横顔だからよくわからないが、顔はまだ赤い。よっぽど恥ずかしかったんだろう。声も上擦っている。
 もうすっかり落ち着いた美琴は、上条のその様子が何だかとても愛しく思えて、優しい笑みを浮かべて眺めていた。

(うん、やっぱり、このままがいいかな)

 自分にはこれがきっと丁度いい距離なんだと、言い聞かせるように心中で呟く。
 屈んでいたからか、背中や肩が凝った気がして美琴は背筋を伸ばしついでに空を仰ぐ。
 夕方だったはずの空はいつの間にか曇っていて、まだ時間は遅くない筈なのに薄暗くなっていた。気温も相まって雪でも降りそうな天気だ。
 美琴が空を見ている間、上条が意を決した表情で彼女を見ている事は当の本人は知らない。

「……じゃ、またね」

 背筋を伸ばし終わった美琴はそう言って、上条の返事を待たずにくるっと背を向けて常盤台の寮へと歩いていく。
 今日はちょっと色々あったけど、大丈夫なはずだ。また明日か、その次の日か。次にあった時にはきっと、いつも通りにバカを出来る。
 また。何度でも何度でも。同じようなバカを変わらない関係でずっと。
 変わらない関係に、一抹の寂しさを感じる。それを打ち消すようにポケットに手を入れて貰ったゲコ太を握る。先ほどの上条の言葉を思い返す。
 嬉しいはずなのに、暖かいはずなのに、寂しさは消えずに残っている。

(ダメ。これ以上を望んじゃダメ。私には、これで十分すぎる位なんだから)

 自分にそう言い聞かせるが、寂しさは募るばかり。
 初めてだ。上条と別れる時にはいつも名残惜しさを感じている。だが、こうまで寂しいのは初めてだ。
 上条のせいだ。絶対にそうだ。アイツが変な事言うから。先に進んでも大丈夫なんだって、思わせてくれたから。
 だから、だから、私は勇気を出してもいいんですか?

「みさ……っ。……美琴!!」
「っ!」

 唐突に、吠える様にも聞こえる上条の声が美琴の耳を打つ。
 名前を呼ばれた事に呆気に取られながらも振り向くと、少し乱暴な素振りで歩いてくる上条の姿が。
 顔は怒っている様にも恥ずかしそうにも見えたその顔が、二人の間を半分ほど過ぎた所で、沈んだ物へと変わる。


「ど、どうしたの……?」

 何か気に触る事でもしただろうか。気になり美琴は自分の事を思い返す。
 その間も上条は近付いてきて、目の前まで来たと思ったら、何か暖かいもので体を包まれた。

「え……?」

 体の前半分が熱いくらい暖かい。背中も優しい暖かさを感じる。顔には黒い糸がチクチクと刺さる。早く大きい鼓動が二つ聞こえる。前を見ていたはずなのに、自分は少し背が反っている。

「なんで……」

 上条の声がすぐ横から聞こえる。
 事態に追いつけなかった頭がようやく状況を理解する。
 抱きしめられている。上条に、自分が。少し痛みを覚えるほど強い力で。

「ちょ、ちょっと……!?」

 十分すぎる筈なのに。上条がくれた言葉だけで十分すぎる筈なのに。だから、こんなのはいらないのに。
 逃げ出そうと上条の腕の中でもがくが、力が入らない。自分の意識ではどうしようもない部分が、この場所から離れる事を拒絶している。

「なんでお前、そんな泣きそうな顔してんだよ……?」
「え……?」

 そんな筈はない。確かに、上条と別れる事に寂しさを覚えたけれど、泣くなんてありえない。ちょっとだけでも隣を歩けて、ゲコ太を貰えて、可愛いって言ってもらえて、そしてこうやって腕の中に居させてくれて。幸せすぎるほどなのに。

「そ、そういうアンタの方が泣きそうな声してるじゃない……」

 声が上手く出ない。今の言葉もはっきり言えたか自分でもわからない。
 上条は抱きしめていた美琴を離し、彼女の肩を掴みながら力強い眼差しを湛えながら言った。

「お前が好きだからだろ」

 美琴の目が大きく見開かれる。
 瞳から、涙が零れてくる。
 上条は美琴の顔を胸に抱きながら、照れたようなぎこちない笑みを浮かべた。

「お前が好きだから、泣きそうな顔見たくないんだよ」

 ぎこちない笑みからは放たれるのは、それでも尚力強さを含んだ優しい響き。
 美琴は涙を流しながら、その言葉を聞いていた。
 何が起きたのか、よくわからない。
 好き? 上条当麻が御坂美琴を好き? 御坂美琴が上条当麻を好きなのではなく? 
 …………夢だ。きっとこれは夢だ。だって、こんなに涙が零れるほどの幸せなんて、夢以外にある筈がない。
 誰よりも何よりもこうなる事を望んでいた。でも、そこへの一歩を踏み出すのがどうしても怖くて。だから、今のとても心地のいい場所に留まっていた。
 それで十分だと思っていた。それだけでいいと思っていた。

「んーと、こんな事しといて何だけどさ、返事、聞いてもいいか?」

 何かに怯えている様な、不安そうな上条の声が御坂美琴を現実へと引き戻す。
 美琴の前には大好きでしょうがない少年の顔。その顔は不安そうな様相を醸し出してはいるものの、彼の優しさまでは消えていない。
 好きで好きで、傍に居るだけでも十分だと思える少年は、変わらずに目の前に居る。

 いいのかな。今のままで十分だと思っていた臆病な自分が、こんなにも幸せでいいのかな。
 これが夢じゃないのなら、一歩先に進んでもいいのかな。

「………うん………」


 一人の少女の居場所が壊れた。少年と一緒に居る事が出来るだけの、曖昧で不確かな居場所が。
 少女には新しい居場所が見つかった。少年と一緒に歩くことの出来る、優しく暖かな居場所が。








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