とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

Part02

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匿名ユーザー

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上条サイド


 見えるのは、遠く澄んだ水色の空。どこまでも透き通っていて、夏の吸いこまれそうな濃い青とはまた違う空。
 上条当麻は柵に背中を預け、空を見上げていた。もこもこのダウンジャケットを着た上条の手にはビニール袋が下がっており、中には洗剤やシャンプーといった生活用品が詰まっている。
 体勢を変え、柵に肘を付きながら上条は、ため息が混じった様な口調で呟いた。

「どうすっかなぁ……」

 浮かべる顔は困惑だが、そこには少しながらも、優しい色が感じ取れる。
 呟きながら思い浮かべるのは一人の少女。いつもいつも自分に勝負だと突っかかって来る元気があり余り過ぎているお嬢様。会う度にこっちを引っ張り回すお転婆な少女だ。
 最初はただ迷惑だった。会う度に喧嘩をふっ掛けられるのは面倒だったし、引っ張り回されるのも、正直嫌だった。
 けれど、不思議な事に、今ではその騒がしさを望んでいる自分。基本的に何事もなく生きていきたい上条だが、あの少女の騒がしさなら巻き込まれたいと思っている。
 本当に不思議だ。騒がしさが無い事の方が、落ち着かないなんて。

「こういうのを好きって、言うのかねぇ……」

 街の景色を眺めながら、少し年寄りっぽく言ってみる。
 たった一目でも見られたら心が温かくなり、会話をすれば心が躍る。一緒に居ればそれだけで嬉しさが心に降り積もっていき、優しい色を灯していく。
 会う約束をしている訳でもないのに、街を歩けばついつい彼女の姿を探してしまう。似た姿を見つければ、それとなく目で追ってしまい、別人という事がわかると、寂しさが募る。
 会う度に嬉しい気持ちが灯るが、その度に、別れる事がとても寂しくなる。次も会えるのかどうか。それがもの凄く不安になる。

 上条が漫画などで見る『好き』という感情によく似ている気がする。
 漫画を呼んでいる時は素直に好きって言えと、もどかしさを覚えたが、それが自分の身に降りかかるとは思ってもみなかった。
 そして思う。あの漫画の主人公たちの気持ちが痛いほどよくわかる。確かに、この感情が『好き』なのかどうか、よくわからない。

「アイツと一緒に居るのはそりゃ楽しいけど……」

 そう、楽しい。どれほど振り回されても、彼女と一緒に居るのはやはり楽しい。出来る事なら、日が沈むまでずっと一緒に遊んで居たいという気持ちもある。
 けれど、その事が何故か言えない。自分から遊びに行こうと、誘う事が何故か言えなくなる。
 会えば結局騒ぐのに、自分から誘う事が出来ない。偶然でしか出会う事が出来ない。まるで、何かの線を踏み越えられない様に。
 上条は何度目になるか分からないため息を零す。
 ふと下を見ると、あの少女が自販機に蹴りをかまし飲み物を献上させている姿があった。

「アイツはまたンな事を……」

 呆れつつも相変わらずだな、と上条は笑みを零す。
 柵から身を離し、せっかくだから、と上条は階段を下りて少女の方へと歩いていく。そして、どうせならびっくりさせてやろうかな、と悪戯心が芽生える。
 自販機に背中を預け、両手で持ったココアを可愛らしく飲んでいる少女を見つける。浮かべている物憂げな表情に少し足を止めた。



「……なんだろうなぁ……」

 離れていて最初の方が聞き取れなかったが、それを言って少しして笑みを浮かべたので、上条はホッと一安心した。何かよくわからないが、彼女には笑っていて欲しい。
 なので、驚かせて笑わせよう。

「よっ。こんな所で何してんだ、御坂?」
「うわひゃあ!?」
「おお!?」

 ドッキリは成功したが、御坂美琴が予想以上にびっくりして、こっちも一緒になって驚く。そして気付く。驚いた拍子に振り上げた美琴の手から、ココアが消えているのを。
 あれ、上条さん。ものすごく嫌な予感がしますよ。上条は不幸センサーが警鐘を鳴らしているのを、鮮明に感じ取った。
 不幸センサーがなる中、びっくりしたからか僅かに顔を赤くした美琴がこちらに振り返ってきた。

「いきなり声かけないでよ! びっくりす――」
「あっちゃあああああああああああ!?」

 直後、買っても間もない、まだ熱いココアを上条は頭から被った。

「――あ」

 熱がっている上条の前では手を握ったり開いたりしている美琴の姿がある。ここでようやく、自分の手からココアがすっぽ抜けていた事に気が付いた。

「……ってそうじゃなくて! ちょっと大丈夫!? ほらこれで拭いて!」

 手渡されたハンカチを上条は少し乱暴に取り、ココアを拭きとっていく。
 一通り拭き終わった上条は、すっかりココアの色に染まってしまった、高級そうなハンカチを眺め、そして呟く。

「不幸だ……」

 熱いココアがかかった事もだが、この高級そうなハンカチを汚してしまった事が、上条には辛い。これはもう、洗えば落ちるとか言うレベルではない。買った方が早いかもしれない。

「ご、ごめんね……」

 と、申し訳なさそうな笑みで言う美琴を見て嬉しく思う自分は、結構現金かもしれない。
 その笑みをもう一回見たいので、上条は意地悪をする事にした。

「あー、火傷するかと思った……」

 自分でも感じるココアの匂いを漂わせながら、歩く上条が呟く。

「だから、ごめんって言ったじゃない」

 けれど、隣を歩く美琴の機嫌を少し損ねてしまったようで、彼女は少し頬を膨らませている。それはそれで可愛いので良しとしようと思う自分はやはり現金かもしれない。
 そんな事を思いつつも、上条は自分と美琴の間にいつも開く隙間を感じていた。
 離れても、近付いてもいない。手を伸ばせば触れられそうな距離。美琴はいつも、自分と歩くときはこのもどかしい隙間を作っている。まるで、何かの境界線だ。
 だから上条は、この境界線を埋めようと話しかける。

「でさ、お前、あんな所で何してたの?」
「んー、ちょっと散歩してた」
「こんな寒いのに?」

 美琴の恰好はいつもの制服の上にコートとマフラーだけという恰好だ。おまけにスカートだから余計寒そうに見える。

「別にいいじゃない。私の勝手よ」
「ま、そだけどな」

 いつもと変わらない口調で、上条は内心安心していた。
 ただ、表情こそ変わらないものの、美琴が不安、とも違う、何とも言えないながらも、少し沈んだように見えたのが気がかりだ。
 上条が美琴の様子を気にしていると、彼女が不意にこちらに詰めてくる。

「で、そういうアンタは何してたのよ?」

 その言葉に上条は違和感を覚える。無視する事も出来るほど小さいものだが、確かに感じた。
 表情や仕草は、上条が知るそれと全く変わらない。なのに、美琴の言葉がいつもより、ほんの僅かに硬くなっている気がする。
 美琴のごく小さな違いを覚えつつも、上条は普段通りに返す。



「洗剤とか切れてから、ちょっと買い出しにな」

 言いながら、上条は美琴にもよく見える様、袋を胸の辺りまで持ち上げる。
 それを見た美琴が少し驚いた表情を浮かべている。

「ちょっとって言う割には、結構な量じゃない、それ」
「上条さん家では消耗品が一気に無くなる事も珍しくないですの事よ」

 ちょっと胸を張ってみたが、呆れた顔を浮かべる美琴の視線がちょっと沁みる。

「何で胸張ってんのよ……」
「おかげで貴重な一葉さんが出家しちゃいました」
「出家って……」

 再び美琴の呆れた様な視線。
 あれ、俺もしかして言葉間違えたか、と上条は自分の言った事を思い浮かべる。が、自分で何も違和感を覚えていなんだから、見つかる訳が無いと気付いたのは、反芻が5回目になってからだった。
 まぁ、意味は通じている様だから深く考えるのはよそう、と上条は考えるのを止める。代わりに、袋を持った手とは反対の手をポケットに入れ、中に入った二枚の紙を触る。
 少し早いけどクリスマスプレゼント、と上条が小萌から貰ったものだ。最初は持てあましていたが、ふと、美琴を誘ってみようと思った。

「なぁなぁ、お前、この後暇?」

 上条の鼓動が一気に逸る。ただ誘うだけなのに、ものすごく緊張する。

「えっ、ひ、暇、だけど?」

 驚いた様な美琴の言葉と表情で上条はさらに緊張する。
 ばれない様に表情を普段通りにする事に全力を注ぎつつ、上条は意を決する。

「じゃあ、この後タイムセールに付き合ってくれると上条さん嬉しいです!」

 違う、と上条は内心で叫んでいた。確かにそれも大事だけども、今は違うだろうと、自分で自分を説教してやりたい気持ちに駆られる。

「………………はぁ」

 すごく残念そうな美琴のため息に上条の心が抉られる。
 ちょっと誘うだけなのに、何でそれだけの事が出来ないんだろう。上条さんって実はすごくへたれなんじゃないだろうか、と上条はがっくりと項垂れている美琴と一緒に項垂れたかった。
 けれど、それよりも先に美琴の機嫌を直すのが先だと、上条は無い頭を回転させる。
 うろたえていた上条は何かを思い出したのか、ハッと顔を上げる。

(そういや、この前、タイムセールの帰りにやった福引で貰ったのがあった筈だ)

 残念賞のティッシュを覚悟して居た上条だが、当たったのはカエルのマスコット。残念賞じゃない事を喜べば良かったのか、それとも子供向けマスコットを貰った事を残念がればいいのか、よくわからない心境に陥った。
 ともかく、あれなら美琴の機嫌も治せる筈だ。確か、美琴はそのカエルのマスコットが大好きだったはずだ。

「ま、暇だし別にいいわ――」
「そういやさ、この前、何かの景品にゲコ太だっけ? 貰ったんだよ。よかったらい――」
「ゲコ太!? くれるの!? 本当に!? ありがとう!!」
「って貰う気満々ですか。いやまぁ、別にいいんだけどさ」



 よかった、機嫌は治ったみたいだ。上条はホッと一安心していた。
 しかし、と上条は目を輝かせている美琴を見ながら思う。
 ゲコ太をあげる、といった瞬間、想像以上に喜んでいた。美琴がゲコ太が好きなのは知っていたが、まさかここまで喜ぶとは。けど、美琴の嬉しそうな顔はこちらも嬉しくなるので良しとしよう。
 抑えきれない笑みを浮かべている美琴を、上条は優しく微笑みながら見ていた。
 見ていて思うのは一つだ。飽きない。表情がクルクルと変わるその顔は、いくら見ても、いつまで見ていても飽きそうにない。
 が、名残惜しいがいつまでも見ている訳にもいかない。

「じゃあさ、近くにスーパーあるだろ? そこで待っててくれよ。ゲコ太は家にあるし、俺も着替えたいし」
「遅刻したりゲコ太忘れたりしたら超電磁砲ぶっ放すからね」

 え、と上条は濁点付きで返した。
 何故、この目の前で意地悪大成功みたいな笑顔を浮かべている少女は、いつもこうやって脅してくるのだろう。
 このやり取りは上条と美琴の間では日常的なものだ。取り立てておかしくないという所に、上条はどうかなぁ、と少し頭を捻ってはいるが。
 ともかく、上条は知っている。御坂美琴という少女は基本、有言実行であるという事を。

「今度のタイムセールは上条さんの命が物理的にもピンチになるかも!?」

 タイムセールに遅れればインデックスに咀嚼される事は間違いない。そこに超電磁砲が加わろうものなら、

(上条さんに明日は無い!!)

 朝日を拝む為にもタイムセールに遅れる訳には行かなくなった。
 ただ、変わらず目の前で意地悪大成功の笑みを浮かべている美琴はちょっとその笑みをひっこめてくれないかと、上条はちょっと怒り気味になる。可愛いから許すけど。

「じゃ、私は先に行ってるわよー。あ、先に中に入ってるわよ」

 言いながら、美琴はこちらに背を向けててくてくと歩きだす。
 少しずつ離れていく美琴の背中が、とても寂しく思う。
 何故だろうか。どうせすぐに会えるのだから、今ここで別れても何も寂しくない筈だ。
 その寂しさを振り切る様に、上条は振り返り家へと駆けていく。

(何で俺、寂しがってるんだ……?)

 何かが溢れだしてきそうだ。しかし、何が溢れだしてくるのかは分からない。
 上条に分かっているのは一つだけだ。美琴と離れた事が寂しい。
 いつもこうだ。美琴と別れる度、自分はいつもこうやって寂しさに襲われる。

(やっぱり、俺、御坂の事、好きなのかな……)

 もう何度目になるかもわからない疑問を上条は内心で呟く。
 美琴に会えればすごく嬉しい。会話をしたり、一緒に歩いたり、遊んだりするのはすごく楽しい。出来る事なら毎日そうして過ごしたいくらいだ。
 美琴に会う度に別れる事がすごく寂しい。その時の会話が楽しければ楽しいほど、長く歩けば歩くほど、楽しく遊べば遊ぶほど、さようならが寂しくなる。
 そこまで考え、上条はようやく分かった。分かれば、ものすごく単純な事だった。だからか、上条の顔はとても晴れやかだった。
 そして上条は急いで走る。もしかしたら、美琴に追いつけて一緒にスーパーまで行けるかもしれないから。
 けれど結局、美琴は先にスーパーに到着していて、一緒に行くというささやかな希望は叶わなかった。

(不幸……じゃないか)


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 時間はもう日が沈みかけて、街がオレンジに染まるころ合いだ。ただ、向こうに見えていた雲が近づいてきているのが少し不安だ。
 無事、スーパーのタイムセールで勝利を手にした上条は同時に、明日の朝日を拝めることもできる様になった。



「いやー、よかったよかった! これで上条さん家の食事事情はしばらくは安泰です! ありがとうな、御坂」
「どういたしまして」

 返ってくる美琴の声は嬉しそうだ。手に持っているゲコ太がよほどうれしいに違いない。
 上条は手に食い込んできているビニール袋を少し調整する。その度に美琴が持とうか、と言ってくれるが、女の子に重い物を持たせる訳にはいかないので、上条は断固辞退していた。
 ゲコ太のストラップを顔の前にぶら下げながら歩く美琴の顔を、上条は時おりチラッと横目で見る。じっと見るのはさすがに恥ずかしいので。
 それを何度か繰り返していると、気付けば美琴の顔が近い。ドキ、と上条の鼓動がひときわ強く打つ。美琴の顔は尚も接近し続け、それに比例するように鼓動も強く速くなっていく。

「あ、あのー、御坂、サン?」

 出る声も自覚があるほどに上ずっている。ちょっと恥ずかしい。

「ん、なによ?」

 美琴は自分がどれほど接近しているか気付いていないようだ。放たれる声はいつもと全く同じ調子だ。

「な、何故にそんなに顔を近づけておられるのでせう?」
「……へ?」

 変わらず自分の声は安定していない。高くなったり、時おり裏返りそうになる。その声で気付いたのか、美琴の表情が固まる。
 自分と美琴の顔は、目と鼻の先。鼻がくっ付きそうな位置、それほど近い位置に美琴の顔があった。
 この状況に開きなおって、あ、コイツまつ毛長くて綺麗だなーとか思っていると、美琴からとても聞き慣れた音が聞こえてきた。

「は……は……」

 美琴の周りで紫電がバチバチと音を立てていた。
 美琴は見る見る顔を赤くしていき、口がぱくぱくと忙しそうにしている。目も忙しなく動いている。誰の目から見ても混乱している様子だ。
 上条は今か今かと、放たれそうな雷撃に備えじりじりと美琴から離れていく。
 そして、美琴の叫びと共に雷撃が放たれる。

「離れろー!!」
「えー!? 理不尽!?」

 これ以上ないほど物理的に引っぺがされた上条は、さすがに美琴の叫びに理不尽さを感じて叫び返す。
 心なしか煙を上げている右手を見ながら、毎度の事とはいえよく防げてるな俺、と上条は少し場違い、なのかはわからないが思っていた。
 美琴の顔は変わらず赤いままだが、落ち着いてきたようで、美琴の周りの電撃が少しずつ収まっていく。
 その様子を見ながら、かける言葉が見つからず、上条は所在なさげに左手で頭をかく。
 上条の顔も美琴に負けず劣らず赤く、恥ずかしそうにしている。という事は幸い、美琴は気付いていないようだ。

「あーもう、びっくりした~……」

 胸に手を当て、呼吸と鼓動を落ち着かせながら、まだ顔の赤い美琴が呟く。

「そりゃこっちのセリフだっての……」

 げんなりとしつつも、不満を訴える様に上条は唇を尖らせ言う。
 あれはすごく心臓によろしくない。美琴が少しずつ、しかし確実に顔を近づけてくるというのは、ものすごく心臓に優しくない。

「……まぁ、悪い気はしなかったけど……」



 むしろ嬉しい位だ。美琴の顔をあれだけ間近に見られるなんて、今までもこれからもあるか分からない。

「ん? なんか言った?」
「あ、いや、何でもない。気にすんな」

 ドキッとしつつも、上条は平静を装って何とか返す。
 どうも口に出ていたらしい。自分で全く気付かなかった。もう一度聞かれたらどうしようかとひやひやしていたが、美琴の方はそれで終わらせてくれたようだ。

「……あー、顔が熱い……」

 言って上条は慌てて口を噤む。また口を突いてしまった。美琴に聞かれなかったか心配していたが、どうやら美琴には聞こえなかったようだ。
 代わりに、辺りに目をやっていた。その視線が気になり、上条も当たりを見る。袋に入っていた物が散らばっていた。
 あー、と上条が頭をかいていると、徐に美琴がその場にしゃがみ込み荷物を袋に詰め直していく。

「ああ、いいって。俺がやるから」
「私のせいなんだから、気にしないの」

 そう言われると上条としては何も言えなくなる。
 自分の事で他の人の手を煩わせるのは気が引ける。屈んだ美琴の前に立って居た上条は、仕方ねぇな、と言いながら美琴と同じようにしゃがみ込む。
 自分と同じペースで商品に伸びる手に、上条は思わず目を奪われる。
 手入れでもしているのか、細く長く伸びた指は、見ただけですべすべしていそうだと思位、綺麗な肌色をしていた。
 そして視線は上がっていき、ついには美琴の顔に到達する。
 明るい栗色の髪と同じ色をした瞳に見惚れていると、自然と思う。直後、美琴と視線が合う。

「どうかした?」
「いや、お前可愛いなぁと」
「っ!?」

 そう、最初に思い浮かんだのはそれだ。特に意識する事も無く、ごく自然と、当たり前のことのように頭に浮かんだ言葉。
 だから、美琴が煙が出そうな程顔を真っ赤にしている理由も気付かなかった。
 何か変な事言ったか、と上条は自分が言った事を思い返す。そして、気付き、上条も顔を赤くする。

「や、えと、無し! 今の無し! 無しでお願いします!」
「あ、えと、その、はい、わかりました……」

 若干裏返っている上に、噛みまくって上手く言えているかもわからない言葉が上条の口から出る。
 上条以上に顔を赤くして呆然としている美琴は、心ここにあらずと言った様子で、尻すぼみになっていく声で返す。
 お互い、すっかり手が止まっている。上条は所在なさげに目線や手など全身が落ち着かずそわそわしている。美琴は、自分の腕を胸の前で愛しむ(いつくしむ)様に抱き抱えている。

「あーその、なんだ……、早く片付けちまおうぜ……」
「はい……」

 上条は恥ずかしそうな声で言う。そして思う。
 あー、俺はなんつー事を口走ってんだ。いやまー、確かに美琴は可愛いと思うぞ? だからってお前、なぁんでこんな所でぽろっと言っちゃうかなぁー。
 上条は内心でそんな事を呟きつつ、時間を巻き戻せたりしないだろうかと願ってみる。
 以前、姫神辺りが言っていた様な気がする。本人も意識しないで咄嗟に出る言葉は、何の偽りのないその人の本心だという事を。
 もし、美琴がその事を知っていたら。そう考えると、とてもではないが平静でいられるわけが無い。

(おお落ち着け俺! 素数! 素数を数えればなんでも解決だっておでこ大明神様が!! 一、三、五、七、九……)



 忙しない動きで袋に荷物を詰めていくのと同時、上条は素数ではなく、奇数を数えていく。上条も素数は知っているが、間違っている事に気付かないほど、彼は慌てている。
 美琴は可愛い。上条もその事は分かっている。口には言わないが、時おり思う事はある。
 何度か掴んだ事のある彼女の手は今まで繋いだ誰の手よりも、温かかった。優しかったのだ。何も考えなくていいと、そう思えるほど、安心して、ずっと繋いでいたいと思えた。
 彼女の隣はとても落ち着くのだ。ついつい甘えたくなって、ずっと隣に居たいと思えた。
 初めてだった。誰かの隣に居るという事がこんなに安心するという事は。
 嬉しかった。美琴が自分の隣で笑ってくれている事は。

 けれど、もう少しを望んでいいのか。上条にはその一歩を踏み出す事が出来ないでいた。
 不幸。それは上条が生まれ持ったモノだ。自分一人ならいい。それに誰かが、特に美琴が巻き込まれるのは嫌だ。理屈でどうこうじゃなく、ただ、嫌だ。
 自分がこれ以上、美琴の方に足を踏み入れれば自分は美琴を不幸にするんじゃないかという葛藤が、上条には常にある。
 側に居たいのに、居たくないと思う。会いたいと思うのに、会いたくないと思う。遊びたいと思うのに、遊びたくないと思う。
 美琴の事を考えれば考えるほど、そんな矛盾が頭の中を埋めていく。
 だから。

(だから、このままの距離がきっと丁度いいんだ)

 チクリと、棘が上条の胸を刺す。
 自分が美琴に抱いた想いは間違いなく、自分だけのものだ。誰かの為のものじゃない。自分の、自分だけの為の想いだ。
 その想いがあれば自分はそれだけでいい。それだけで自分はきっと、これからも笑っていける。そしていつか、こうやって恰好つけた事を後悔して、笑える日が来る。

(だから、このままだ)

 また、上条の胸に棘が刺さる。
 レベル0の能力者は、こういう事に関してもレベル0なんだな、と上条は内心で自分を揶揄する。
 足元に転がっていた荷物は大体入れ終わった。見れば、美琴の方はまだ少し掛かりそうだった。
 美琴の顔を見て、棘の刺さる痛みと鼓動が逸る痛みを同時に覚える。
 やはり、いくら言葉で飾ろうとも、自分は美琴の事が大切なのだ。顔を見れば、それだけで落ち着かなくなってしまうほどに。
 もうしまう者がほとんど無くなった事に気が付いた美琴が、こちらに気付いて立ち上がり、荷物の詰まった袋を手渡してくる。

「えーと……、はい」
「お、おう」

 美琴と目を合わせるのが恥ずかしくて、上条は思わず横顔を向ける。顔を赤くしていた筈の上条は、美琴がこちらに背を向けた瞬間、振り向き背中を見る。
 横顔を向ける直前、見えた美琴の顔は寂しそうだった。
 自分の事に没頭していた上条には美琴が何を考えていたか分からない。だが、自分と同じ時間、美琴も何かを考えていた事、という事だけは分かる。
 自分がつい言ってしまった可愛いという言葉。それを聞いた直後は、真っ赤な顔で嬉しそうにしていたのだ。なのに、今は寂しそうな顔。

(何でそんな顔するんだよ……!)

 お前には笑っていて欲しいのに。上条は美琴の背中を泣きそうな表情で見つめる。
 自分は美琴の笑顔が好きだ。時折見せる、子供の様な無邪気で、温かくて、優しくて、一緒に笑いたくなるあの笑顔が好きだ。
 なのに、何で、お前は寂しそうな顔をするんだよ。

「みさ……っ。……美琴!!」
「っ!」

 上条の突然の叫びにも聞こえる声に、美琴は肩を揺らし振り向く。
 上条は感情に任せ少し乱暴な足取りで美琴に近付いていく。途中、顔を上げ、美琴の顔を見る。



「ど、どうしたの……?」

 不安そうな美琴の声も遠い。
 そして気付けば、自分は美琴を強く抱きしめていた。
 細く、柔らかく、そしてとても小さくて温かい美琴。それが今、上条の腕の中に全て包まれていた。

「ちょ、ちょっと……!?」

 美琴の声を聞いて上条はさらに強く抱きしめる。
 違う。自分が聞きたいのはそんな声じゃない。
 一緒にバカをやっている時の様な、明るくて楽しい声だ。

「なんでお前、そんな泣きそうな顔してんだよ……?」
「え……?」

 上条の言葉で美琴が意表を突かれた様な声を上げる。

「そ、そういうアンタの方が泣きそうな声してるじゃない……」

 確かにそうかもしれない。けれど、今は関係ない。上条は、美琴が泣きそうなのが嫌なのだ。勝手だろうがなんだろうが、それが今の上条にとって大事な事だ。
 拒絶している様な口調とは裏腹に、美琴の腕はこちらを掴んではなさい。逃げようとしている様だが、それでも美琴は上条の腕の中から出ていこうとしない。
 上条は不意に、美琴の身体を優しく離す。美琴が寂しそうな顔を浮かべ、こちらを掴んでいた手が淋しげに揺れていた。
 ああ、そうか。ようやく分かった。これが、この気持ちがそうなんだ。
 美琴と一緒に居たい、という気持ちも、この感情から生まれていたんだ。

「お前が好きだからだろ」

 美琴の目が大きく見開かれる。栗色の瞳が濡れて揺れている。
 美琴をもう一度抱きしめる。今度は優しく、包み込むように。美琴の頭を自分の胸へと抱きしめる。

「お前が好きだから、泣きそうな顔見たくないんだよ」

 ちゃんと言えただろうか。笑顔で、優しく、力強く、安心させられるように。
 美琴にはそう聞こえていて欲しいと思う。自分では、泣きそうで上ずっている様な、恰好の悪い声にしか聞こえなかったから。
 側に居させて欲しい。明日も、明後日も、この先ずっと、美琴の側に居させて欲しい。それが、上条の『好き』という感情だ。
 美琴を自分の不幸に巻き込むかも知れないという不安はある。
 でも、それでも、それを理由にしても『好き』という感情だけがどうしても、静かにしてくれない。
 それはとても苦しい事だ。どれほど抑えつけても、それは容易くそれを跳ね返してしまう。とてもとても苦しくて、でも、とてもとても温かい。
 そんな気持ちを抑えつけるなんて、上条には出来なかった。不幸については、これから考えていこう。自分はバカだから、余り良い案は浮かばないだろうけど、それでも、美琴の為に一生懸命考えていこう。
 気付けば、自分の胸を抱く美琴の手が、強く強く、手放さない様に強く掴んでいた。

「んーと、こんな事しといて何だけどさ、返事、聞いてもいいか?」

 美琴が上条の顔を見上げる。
 涙に濡れたその顔は、それでも必死に笑顔を浮かべていた。
 とても優しいのに涙に濡れていて。とても温かいのにどこか歪で。
 でも、美琴の優しさはやっぱりそこにあって。上条の大好きな笑顔がそこにあった。
 美琴の頬を流れる涙を拭う。その手を美琴が愛しむ様に、両手で包み込む。

「………うん………」



 一人の少年は境界線という幻想を壊した。隣に居ながらも、決して一緒に歩かせてくれない幻想を。
 一人の少年は居場所という幻想を創り出した。一緒に居て、一緒に歩く事が出来る、そんな当たり前の幻想を。








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