とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

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許嫁狂詩曲(ラプソディ)




 その日、堤防を歩く彼、上条当麻の様子は普段の彼のそれとは少し違っていた。
 眉間に皺を寄せたまま顔をやや下に向け、手は両方ともズボンのポケットに突っ込み、
こめかみをひくつかせ、時々思い出したかのように舌打ちをしながら地面を蹴る。世に言
う「機嫌が悪い」という様子で歩いていたのだ。

「…………」
 しばらく堤防を歩き続けた上条は感情のこもらない視線を河川敷の方に向けた。
 そのまま河川敷へ降り、草むらの中に入った上条は、足下に小さな小石を見つけた。
「…………」
 表情を変えないままそれを拾った上条は、無言で小石を川に向かって放った。小石は放
物線を描いて川に向かい、やがて小さな波を立てながら川面にその姿を消していく。
 小石が川に落ちたのを見た上条は、足下にある小石を次々に川に向かって投げ始めた。
「くっ、この、この……!」
 そして足下にあった中で一番大きな石を手に取った上条は、大きく振りかぶってそれを
川に向けて放り投げようとした。
「こんちく――あれ?」
 だが石を放り投げるために踏み出された上条の左足は正確に草むらを捉えはしなかっ
た。
 上条の左足の下にあったのはゴミ、空き缶だった。
「わ、わわ、わ、わわわ!」
 そのままずるっと足を滑らせた上条は、どてーっと大きな音を立てて草むらに倒れ込ん
だ。
「いててててて……」
 仰向けになり、草むらで打ち付けた腰を撫でていた上条は、やがてギリッと歯を噛むと
草むらを右手でダンッと叩いた。
「情けね。何やってんだよ、俺」
 そのまま上条は草むらの上に力なく大の字になり、悲しそうに空を見上げる。

 群青の空、白い雲。
 自然の美、などといった抽象的なものとは無縁である学園都市の空であるにも関わらず
上条の瞳に映るそれは、憎らしいほどに美しい。
 上条の目尻に、ほんの少し涙が浮かぶ。上条は無意識に鼻をすすった。
「畜生。なんでこんな事に……」



「……うん?」
 突然、上条の体がふっと影で覆われた。
「?」
 上条は上半身を少し起こすと、自分の体を黒く染めた理由、影の発生源の方を向いた。




「あ、あああ、あ、あのそ、そすそそ……その、えと、あはは、は、あはは、は、は……」
 そこにいたのは頬を染め目を少し泳がせるという、今まで上条が見たことのない表情を
して立つ御坂美琴だった。

「……御坂?」
 初めて見たであろう美琴の様子に、上条はほんの少し首を傾げた。
 訝しげな上条の態度に、美琴は頬を染めたままぎこちない笑みを浮かべ小さくうなずい
た。
「うん、ううん、そう、私。御坂、美琴、うん……」
「…………」
 明らかにいつもと違う美琴の様子は、上条の心の中に小さな疑問を生じさせた。
「…………」
 いつもの上条ならその疑問を美琴に尋ねたであろう。しかし今の上条の頭の中は、自分
の身に起こった出来事でいっぱいだった。
 だから上条はあえてその疑問を押し殺し、草むらの上に再び頭を置き目を閉じた。
「へ? ち、ちぃよちょっと、アンタ……ね、ねえ、ねえ!」
 自分に興味がないかのような上条のそぶりを見た美琴は、焦ったように上条の側にしゃ
がみ込んだ。
「ねえ、ねえってば!」
 美琴はそのまま上条の肩に手を置き揺らした。
「……なんだよ」
 上条は面倒くさそうに目を開ける。
「…………」
 だが目の前にいた美琴を見て、彼は小さく息を呑んでいた。
 なぜならそこにあったのはおびえや不安といった、普段の彼女なら絶対に見せない感情
に彩られた美琴の表情だったからだ。
 美琴にそんな表情をさせたのは間違いなく今の自分の態度、そう理解した上条は小さく
唇を噛みながら体を起こした。

「あ……」
 体を起こした上条を不安そうに見つめる美琴。
 そんな彼女を見ているうちに、上条の心の中には申し訳ないという気持ちが生まれ始め
ていた。

――何やってんだよ、俺。関係ない御坂に大人げない。

「あの、な、御坂」
 上条は美琴をじっと見つめた。
「その、悪い。八つ当たり、してた」
「え? ヤツ、アタリ?」
 美琴は何度か目をしばたたかせると小首を傾げた。
 返事として上条は小さくうなずく。
「ああ、八つ当たり。ちょっと嫌な事があって。けど、お前には関係ないよな、悪い」
 そう言うと上条はぺこりと頭を下げた。
「そう、八つ当たり……。私には、関係ない事?」
「ああ。だからとりあえず、座れよ」
「……うん」
 美琴はうなずくと、上条の側に腰を下ろした。






 川面を見つめる上条と美琴。
「…………」
 しばし二人の間に流れる沈黙。
 その沈黙の流れを断ち切るために口を開いたのは美琴だった。

「ね、ねえ。嫌な事って、何? アンタが人に八つ当たりするくらいって、どんな嫌な事
なの?」
「え?」
 上条は思わず目を見開いた。
 自分を傷つけたであろう上条の事を心配する美琴の優しさに、素直に驚いたからだ。
 だが美琴は上条の驚愕の表情を拒絶と捉え、彼をまっすぐに見つめたまま言葉を続けた。
「だからアンタがさっき言った嫌な事よ。教えなさいよ」
「……でも、お前には関係は……そ、そうだ、そんな事よりもお前だよお前。なんかお前、
俺に用事があったんじゃないか?」
「用事?」
「そう、用事だよ、用事。わざわざ河川敷まで降りてきたんだ、俺に何か用事あったんだ
ろ? それともお前、ただ俺に声を掛けるためだけにわざわざ来たって言うのか、違うだ
ろ?」
「そ、それは……」
 上条の思わぬ反撃に美琴は一瞬ひるむ。
 しかし美琴は持ち前の頭の回転をいかし、上条へ再度質問をした。
「別、別に私の事はいいでしょ。そんなことよりもまずはアンタの問題じゃない。アンタ
に起きた嫌な事ってのを話すのが先でしょ」
「いや、お前の方が先に話せよ。話しかけたのはお前からなんだし」
「アンタの方からでしょ」
「お前だよ」
「アンタ」
「お前」
「アンタ」
「お前」
「アン……ってわかったわよ! 言えばいいんでしょ、言えば!」

 今まで上条のことを心配そうに見つめていた美琴だったが、そのまなざしをにらみつけ
るかのような物に変え大声を出した。
「そうよ! アンタの言うとおり! 私はアンタの姿を見かけたから、アンタと話がした
かったからここに来たのよ! どう!? これで文句ないでしょ! さあ、次はアンタの番
よ!」
「あ、え……」
 上条は美琴のセリフに言葉を失った。
 もちろん、自分に会いに来たという彼女の言葉が上条にとってはあまりにも意外だった
からだ。
 それに美琴があっさりと譲歩し、自分の目的を明かしてまで上条の事情を知りたがって
いる事にも驚いていた。

 だがここで上条は気づいていなかった。
 美琴は確かに目的は言ったが、肝心の上条と話したい内容、つまり用事の内容について
は何も言っていないのである。
 けれど頭の回転があまりよくない上条がそんなことに気づくはずもなく、結局彼は美琴
のペースに乗せられるのだった。






 上条はしぶしぶといった様子で咳払いをした。

――俺の負けか。

「あ、あのな、御坂。その、えと、なんだ……。本当に聞くのか? お前には関係ないし、
聞いてもつまらないだけだと思うけど」
 覚悟を決めた風ではあったが、上条は未だに自分の事情を美琴に言うのを渋っていた。
 それに対して美琴は若干イラついたような口調で反論した。
「つまらないかどうかも、関係ないかどうかも私が判断するわ。さっさと言いなさいよ。
だいたいアンタだって全然自分に関係ない事にいっつも首突っ込むでしょ。しかも私が知
らない間に、知らない場所で」
「う……」
「そういうのを後から聞いて、私がどんな気持ちになるか考えた事ある?」
「ううう……」
 美琴が先日起こった第三次世界大戦、つまりロシアにおける上条の行動を暗に非難して
いるというのは、さすがの上条にもすぐわかった。

 あの時、上条は己の信念に従って動いただけだったが、結果として彼はこの件に関して
美琴に多大な迷惑を掛けていたのだ。
 今回上条に起こった出来事はあのときと比べればごく小さな、本当に上条自身に関して
起こっただけの出来事。
 ならばもう、女々しくいつまでも隠す必要はないのかもしれない。
 それに悩みやイライラは人に話すだけで解消したり軽くなったりする事が多い。
 ならば目の前にいる少女に全て吐き出すのもありかもしれない。
 幸いにも彼女は上条の事を純粋に心配しているようなのだ、悪い反応はないと考えてい
い。
 そう考えた上条はツンツン頭をぽりぽりとかくと、小さくうなずいた。



「あのな、御坂」
 上条は美琴をじっと見つめた。
「…………」
 その真剣なまなざしに美琴はごくりとつばを飲み込んだ。
「お前、結婚とか、考えた事、あるか?」
「…………」
 上条の言葉を聞いた美琴は、半ば惚けたような表情となり小首を傾げた。

 その反応を呆れたための物だと捉えた上条は、乾いた笑いを浮かべた。
「あ、アハハハ、ハハ、ハァ。わう、悪い、変な事言ったな、忘れてく――」
「ケッコン? ケッコンって、あの結婚よね。女と男が夫婦になるって、あの?」
 笑ったまま話を終わらせようとした上条だったが、その言葉を美琴の小さな、けれど
はっきりとした声が遮った。またその表情もいたって真面目な物に戻っていた。
「あ、ああ、そうだ、結婚だよ、それしかない。で、でも、まだ考えた事ないよなお前。
なあ、お前まだ中学生だし」
「あるわよ!!」
 上条の言葉に反応し、美琴は目を見開いて大声を出した。
「……ひっ」
 そのあまりの剣幕に一瞬ひるむ上条。
「ウエディングドレスを着て、みんなに祝福されて、大好きな人と結ばれて、大好きな人
と一緒に人生を歩んでいく……女の子ならそれこそ、幼稚園の頃から憧れてる事じゃない!」
 美琴はひるんで若干引き気味になった上条に対し、噛みつかんばかりの勢いで顔を近づ
けた。
「えと、そ、そう、なのか……?」
「そうよ! アンタ、そんなことも知らないわけ?」
「えと、悪い、俺、男だから全然わからない」
「そ、そう……」
 申し訳なさそうにする上条から美琴は距離を取り、居住まいを正した。






「…………」
「…………」
 そのまま唐突に二人の間に沈黙が流れた。
 もちろん、何を続けて言えばいいのかわからない上条に対して、声を出すタイミングを
計っている美琴という違いはあるのだが。
 やがて美琴が地面をダンと叩いた。
 一方上条は、その音にびくりと体を震わせる。

「ねえ、アンタ」
 地面に手をついたまま上条をじっと見つめ、彼の方に体を近づける美琴。心なしかその
頬は紅く染まりだしている。
「アンタ、その話するってことは、やっぱり、そういうことなのよね……? わかって、
言ってるのよね……?」
「へ……?」
 美琴の言葉に惚ける上条。
 上条の反応に、美琴は彼をキッとにらみつけた。
「だから! どういうつもりでそんなこと言いだしたのかってことよ! そうなんでしょ!
 わかって言ってるのよね! ねえ!!」
「えと、言い出した理由? あ、ああ、そうそう、そうだ、それを言わなきゃ、な。とり
あえず落ち着いてくれ、御坂、な」
 今にも立ち上がらんばかりの美琴を手で制した上条は、自分を落ち着かせるために深呼
吸をした。

「悪いな、俺がさっさと言わなかったから変な事になってるみたいで」
「はい? アンタ、何を――」
 上条の言葉に疑問を返す美琴。
 だが上条は美琴を遮るように言葉を続け、ある意味究極の爆弾をあっさりと爆発させた。
「だからな、お前には関係ない事なんだけど、俺に、許嫁が、いる、らしいんだ」
「――――!!」
 その瞬間、美琴は目を見開いて全身を強ばらせた。

 しかし一方の上条は美琴の様子に気づいていない様子で、心底困ったような表情でため
息をついた。
「なんなんだろうな、許嫁なんて。あーあ、許嫁、結婚。なんでこんなわけわかんねーこ
とに……」
 そんな上条の目の前で、美琴はゆっくりと、ゆっくりと顔を伏せた。



「ねえ」
「ん? どうした?」
 顔を伏せたままの美琴から出された低い声に、上条は軽い感じで返事を返した。
「それ、が原因、なの……?」
「えと、原因って?」
「アンタが、人に八つ当たりするほど機嫌が悪かった原因よ……」
「ああ、まあな」
「そう……。やっぱりそう、なんだ……」
 声を出す度に美琴の声はますます低く、重苦しい物になっていった。
 その異常さに気づいた上条は美琴へ恐る恐る声を掛けた。
「あの、御坂さん。どっか、具合が悪いの、か?」
「…………」
 けれど美琴は返事を返さない。
 しかしその顔は未だ伏せられたままで、よく見ると肩が若干震えているように見えた。




「な、なあ御坂、ほんとに急に、どうしたんだ?」
「…………」
「なあ、御坂」
「……許嫁が、結婚が……そんなに、嫌なんだ……。わ――が、そんなに、嫌い、なん
だ……。だから、私に、八つ当たり……なんでそんな、遠回しに、いや、み、嫌味みたい、
に……。そこま、でするく、らい、あん、アンタは、わ、た、わた、しを、き、ら――」
 肩を振るわせたままつぶやく美琴。
 だがその途切れ途切れの言い方が彼女の精神状態が尋常でないことを如実に示している
ことには、上条も気づいていた。
「おい、御坂、お前いった――」
 上条が美琴の肩に手を置こうとした時、美琴はその手を振り払い勢いよく顔を上げた。
「ど、どうしたんだよ、みさ――」
 美琴の表情を見た上条は言葉を失った。
 なぜなら美琴は泣いていたからだ。
 しかもただの泣き顔ではない。その瞳からは涙がぼろぼろと溢れだし、鼻水も垂れ放題
で、まさにこの世の全ての希望に見捨てられたかのような泣き顔だったのだ。

「御坂、お前、なんでそんな、え? どう、したんだ……?」
「……だって、だって、アンタが、許嫁が嫌で、結婚が嫌で、わたしが、き、き、き
ら――」
「そんなの、当たり前だろう!!」
 美琴の言葉を遮るようにはっきりとした口調で声を出した上条は、そのまま言葉を続け
る。
「顔も名前も知らないような奴と、どうして俺が結婚しなきゃいけないんだ? 俺はまだ
高一だぞ。そんな先のことなんて勝手に親に決められてたまるかよ」
「…………? ……なに、それ?」
「だから、どこの馬の骨とも知れない奴との結婚なんてまっぴらごめんだって言ってるん
だ、俺は。だいたいが、結婚みたいな人生の一大事、親に勝手に決められたくないだろう。
いくら親だっていっても俺の人生はあくまで俺の物だ。それを他人に勝手に押しつけられ
てたまるか! いくら俺を産んで育ててくれた両親だからって、我慢できることとできな
いことがあるんだよ、俺にだって! それに、相手にも悪いだろう、顔も名前も知らない
こんなレベル0の劣等生の俺を押しつけられたりしたら。相手の人生までメチャクチャに
することになるんだぞ! 母さん、頼むからふざけるのも大概にしてくれ!」
「…………」
「そんなことを急に親に言われて、だから機嫌が悪かったんだよ、俺は。でもそんなこと
より今はお前の方だよ。なあ御坂」

 上条は美琴の両肩をしっかりと掴んだ。
「いったいどうしたんだよ急に。なんでそんな泣き出すようなことになってるんだよ。な
あ!」
「……知らない、顔も、名前も……どういう、こと?」
 ぽつりぽつりと話す美琴。既に彼女の涙は止まっており、美琴の表情は哀しみから驚き、
動揺に変わっていた。
「……まだそのことかよ。だから、母さんからはなんにも聞いてないんだよ、ただ俺に許
嫁が出来たからって電話で聞いて。それで」
「ねえアンタ! 詩菜さんとどういう話をしたのよ今日! 子細一切漏らさず説明しなさ
い!!」
 美琴は急にテンションが変わったように大声を出した。
 その様子に今度は上条の方が動揺していた。
「あれ、お、お前急に元気が出てきた?」
「そんなのいいから、さっさと話しなさい!!」
「あ、ああ。えっとだな、確か朝の九時くらいだったかな、俺の携帯に母さんから電話が
かかってきたんだよ……」






『おはようございます、当麻さん。今、大丈夫ですか?』
「母さん? 別に大丈夫だけど、こんな朝早くどうしたんだ?」
『朝早くってもう九時ですよ。日曜日だからってあまりグータラしないでくださいね。ま
あそれはともく、あのですね当麻さん、驚かないで聞いてくださいね』
「うん」
『当麻さんになんと! なんとなんとなんと! 許嫁が出来たのです! おめでとうござ
いまーす!』
「はい? いいなづけ? えっと、な、なんだっけ、それ……?」
『……当麻さん、もう少し言葉を知っててくださいね。許嫁っていうのは、結婚を約束し
た相手のことですよ』
「そう、結婚を約束……結婚、ね……え? 結婚? 結婚!? な、何言ってるんだよ母さ
ん、俺まだ高一だぜ! そんな結婚なんて!」
『もちろん、籍を入れるのはまだですよ。あくまで約束だけです』
「そういうことじゃなくて! なんでいきなりそんな話が!」
『簡単に言うと、私が相手のお嬢さんを気に入って、相手の親御さんが当麻さんを気に
入った、ということでしょうか。それでお互いの子供同士を結婚させようという話になっ
たわけですね。わかりましたか?』
「なんだよ、それ……。そんな勝手に……俺の意思は、どこに行ったんだよ……」
『もちろん最終的に判断するのは当事者である当麻さんと、相手のお嬢さんですよ。でも、
決して悪い話じゃないと思うんです。ですから――』
「ですから、何だよ! そんなので俺に納得しろってのか! ふざけんな!」
『もう。電話口で急に怒鳴らないでください、当麻さん』
「怒鳴りたくもなる! 急に勝手な話を持ってきて、勝手に決めて、それで納得しろと
か……ふざけるにも程があるだろう!」
『別にふざけてなんかいません。確かにきっかけとしては、私と相手方の親同士の関係か
ら始まったのかもしれませんが、ちゃんと当麻さんたちのことを考えて話は進めたつもり
ですよ』
「どこかだよ! 全然考えてなんかいないだろう! 意味わかんねーよ!」
『わからないって、どこがですか?』
「全部だよ、全部! 一から十まで全部だ!」
『それは怒鳴ってばかりで話を聞こうとしない当麻さんにも責任があると思いますよ。も
う少し冷静になってください』
「なれるわけねーだろう! だいたい母さん、俺だけじゃなくて相手のことも考えてねー
じゃねーか、これじゃ!」
『考えてますよ』
「どこが!」
『本当ですって。だいたい、相手のお嬢さんは――』
「もういい、これ以上何も聞きたくねえ!」
『ち、ちょっと待ってください当麻さん』
「もう切る!」



 回想を終えた上条を、美琴はジト目で睨みつけた。
「……アンタ、話の途中で電話切ったんじゃない」
「あれ、もしかして母さん、あの後相手の名前とか言うつもりだったのか?」
「それ以外ないでしょうが! 馬鹿でしょアンタ! 頭に血登りすぎよ!」
「しょうがねーだろう! だいたいそんなこと、いつも怒ってるお前にだけは言われたく
ねーよ!」
「何言ってんのよ! 怒ってるのはアンタにだけじゃない! 普段の私は冷静で上品なお
嬢様よ!」
「もっと問題だ!」
「うるさい! うるさい! うるさい!! なんだったのよさっきの茶番は! 私の涙返し
なさいよ!」
「ちょっと待て、それも俺が原因か!」
「それ以外何があるってーのよ!」
「どう考えてもそれの方が八つ当たり――じゃな、いん、ですか、美琴様……」
 上条は必死で言い訳を続けたが、美琴の周りの帯電の度合いが尋常でない状態になって
いるのを察知し、急に丁寧口調になり出した。

「あの、申し訳ありませんが美琴様。できましたらその電撃を止めていただけるとわたく
し上条当麻といたしましては非常にありがたいのですが……」
 丁寧な口調を続けながらゆっくりと立ち上がり、後ずさる上条。
「言いたいことはそれだけ?」
 上条と同じようにゆっくりと立ち上がり、彼が後ずさった分前に進む美琴。歩きながら
その右手はポケットを探っている。おそらく超電磁砲のためのコインを出そうとしている
のだろう。
 そのことに気づいた上条の顔から、さーっと血の気が引いていく。
「えっと、美琴様……。あの、後、言いたい事は、す、す……」
「す?」
「すいませんでした――!!」
 そう言い残すと、上条は脱兎のごとく駆けだした。
「待てやゴルァ――!!」
 もちろん美琴は間髪入れず上条を追いかけ出す。
 久方ぶりの二人の鬼ごっこの開始である。





許嫁狂詩曲(ラプソディ)




 必死で逃げ続けた上条は、やがて町外れの鉄橋の所にやってきた。
 一方通行との戦いの寸前、美琴と対峙したあの鉄橋である。
「こ、ここまで逃げれば、さすがのアイツも諦めた、だろう」
 肩で息をしながら、上条は橋の欄干にもたれかかった。そのままずるずると地面にへた
り込む。

「疲れたー。いったい何だってんだよ、泣いたり怒ったり、あのビリビリお姫様は……。
あれ、ここは」
 ゆっくりと呼吸を整える上条は、自分のいる場所が美琴と対峙した鉄橋だということに
ようやく気づいた。
「ああ、あの鉄橋か。なんか懐かしいな」
 そう言いながら軽く笑みを浮かべる上条。
 実際は美琴に死ぬ寸前まで追い詰められた出来事だったのだから、どう考えても懐かし
がるような思い出ではないのだが、このあたりは常に死地に赴いている人間の面目躍如と
いったところか。
 橋から下を流れる川を見ながら、上条は美琴のことを考えていた。
「まったく、本当にわけがわかんねーよ、御坂って。そういや、第一印象からしてよくわ
からん奴だったな」



 記憶喪失である上条にとって、美琴との初めての出会いは盛夏祭の時だ。
 美琴に初めて会った上条は、彼女を御坂美琴と認識することなくその容姿を褒めた。そ
の結果、美琴にとってはお約束のように、また上条にとってはあり得ない事のように、上
条が照れた美琴にパイプ椅子を投げつけられるという出来事が起きた。
 ある意味とんでもない出来事ではあったが、とにかくこれが二人の邂逅である。
「かわいいって言った相手に普通あんなことするかよ。ナンパか何かと間違えたのか、ア
イツ?」
 上条は苦笑する。
 もっとも上条とて相手が美琴だと知らずに初対面の人間として褒めたのだから、美琴の
心境を考えればあまり褒められた行為ではないのかもしれない。
 さらに上条にしては珍しく美琴の容姿を褒めたというこの行為自体、つい最近まで彼自
身が忘れていたのだから、美琴にとってはなお悪いと言えるだろう。

 そして次に美琴に会った時、上条当麻という人間にとってある意味初めて御坂美琴に
会ったのは、絶対能力進化の事件のまっただ中に彼女がいる時だった。
 その際に美琴と行った、文字通り命がけのやりとりを今も上条ははっきりと覚えている。
「今考えると恐ろしい事したよな、我ながら。でも、後悔はしてない、か」
 右手を見ながら上条はつぶやく。
「御坂や、妹達をちゃんと護れたもんな、俺」
 その後入院中に美琴から見舞いとしてクッキーをもらい、上条と美琴の物語はこれで
ハッピーエンドとして完結するはずであった。






「けどな、なんて言うか」
 ここまで回想した上条は、大きくため息をついた。
「完結も何も、ずっと続いてるんだよな、俺たちの関係って」
 偽のデートに残骸回収、大覇星祭に罰ゲームデート、ロシアでの核ミサイル制止、他に
も色々なことがあった。それこそ、全て思い出すだけで夜になるのではないかと思われる
ほどに。
 そう。今の記憶が始まって一年にも満たない上条当麻という人間にとって、御坂美琴は
インデックスと並んで上条と多くの時間を、出来事を共に過ごしてきた人間となっていた
のだ。
「アイツは常盤台のお嬢様でレベル5で、俺は平々凡々な高校に通うレベル0。本来接点
なんかもうないはずなのに、付き合いは続いてる。なんか面白いというかなんというか。
本当、人の縁て不思議だよ」

 上条はもう一度橋の下を流れる川を見た。
「御坂美琴、か……。なんでアイツ、あんな哀しそうに泣いてたんだろう」
 ふと上条は先ほどの美琴の泣き顔を思い出した。
 その後の鬼ごっこですっかり失念していたが、美琴は一度絶望に囚われた表情を上条に
見せていたのだ。
 美琴のあんな表情は見たくない、上条は素直にそう思った。
 その後の上条とのやりとりで泣くことそのものは止めた美琴だったが、その際上条に
とって気になる事を言っていたのを彼は思い出した。
 美琴が泣いた原因は上条にある、あの時彼女ははっきりそう言ったのだ。
「俺が原因って、俺が何したんだよ、御坂? なんで俺がお前を泣かせなきゃいけないん
だ……?」
 上条は今日何度目かわからないため息をついた。

「ん? 原因と言えば、許嫁の話が今日のいろんな事の原因だったんだっけ。はぁ、許嫁、
ね……」
 上条は視線を川から空に移した。
 そのまま上条はほぼ無意識的に声を出し続けた。
「許嫁も、御坂だったら俺も嫌じゃなかったのにな」
 そうつぶやくと、上条はゆっくりと目を閉じようとした。
 だが自分のつぶやきが脳に届いた瞬間、上条はカッと目を見開いて立ち上がった。
「な、何を、何を言ってるんだ俺!? 言うに事欠いて、なんてことを、おい、ちょっと待
て上条当麻。冷静になるんだ、何をつぶやいた。へ? え?」
 顔を手のひらで覆い、上条は自問自答を始める。
「確かに俺はアイツのことは嫌いじゃないし、色々世話になってるし感謝もしてる。ああ、
アイツが俺のことをどう思ってようが俺はアイツのことは嫌いじゃない。でも御坂だぞ、
あの電撃ビリビリドンガラガッシャン姫様だぞ。大丈夫か俺」




 上条はごくりとつばを飲み込んだ。
「そうだよ、さっきからずっと御坂との思い出を思い出してたからあんなこと言っただけ
なんだよ、な、俺」
 上条はうんうんと得心したようにうなずいた。
「そう、そう。さっきの流れの延長線上で言ったんだよな、俺。ああ、そういうことにし
ておこう、しておくべきだ。うん、いくら御坂の容姿がかわいいからって、あいつが許婚
だったらよかったのに、なんて事をこの俺が――!」
 何度もうなずいていた上条だったが、突然自分を襲った電撃をあわてて右手でかき消し
た。
「――――!」
 上条は電撃が来た方向をキッとにらみつけた。
 上条がにらみつけた先、鉄橋の入り口には先ほどの上条と同じように肩で息をした美琴
が立っていた。



「見ぃーつけたぁ」
 上条の姿を確認した美琴は、唇の端をつり上げゆっくりと上条に近づき始めた。
「御坂……」
 上条はチラと背後を確認し、そのまま後ろに下がろうとした。
 だが上条が行こうとした先、鉄橋の出口付近が突然爆発した。
「逃がさないわよ」
 美琴の超電磁砲が鉄橋の出口に放たれたのだ。

 上条は頬を伝う冷や汗を拭いながら大声を出した。
「御坂! てめー、いい加減にしやがれ! いくらなんでもやりすぎだろう!」
「うるさいわね! 私がアンタのせいでどんな思いしたと思ってるのよ! それに、あん
な恥ずかしいことまで……。絶対に許さないわよ!」
「ちょっと待て、許さないって俺が何したって言うんだ! てめー、本当にいい加減にし
ろよ!」
「うるさいって言ってるでしょ! 男だったらごちゃごちゃ言い訳するな! おとなしく
私の電撃受けて反省しなさい!」
「何を反省するんだ、何を! だいたいそんなビリビリ受けてたら上条さん、死んじまうだろーが!」
「アンタなら大丈夫よ!」
「ふざけんな! 俺がいったい何したってんだ! は? もしかしてお前が泣いてた原因
が俺って奴か! それだってちゃんと言わなきゃわかんねーだろうが! なんなんだよ、
お前が泣いた理由ってのは!」
「え」
 上条の大声が届いた瞬間、美琴の体を覆う電気はあっさりと霧散した。
 それと同時に真っ赤になる美琴の頬。




「えと、その……だから、私は、その、アンタが、その、知ってて、だから、嫌だって
言ってた、と思ったから、そのえと……だから、哀しくなって。それで……それが、間、
違い、だって気づいて、その恥ずかしく、なって……」
「ん? お前、何言ってるんだ?」
 だんだんと小さくなる美琴の声に、上条は聞き返した。
「だからさ……アンタが、ちゃんと、詩菜おばさまの話を……聞いて、たら……」
 ぼそぼそと話す美琴。
 もうその声はあまりにも小さくて上条にはまったく聞こえていなかった。
「御坂、頼むからもう少し大きな声で――!」
 上条が再度聞き返した時、彼の右隣を超電磁砲の閃光が通り過ぎた。再度爆発する鉄橋
の入り口付近。
 上条の背筋をつーと冷たい物が伝う。

「あ、危ねーなお前! なんか困ったら電撃使ってごまかすその癖、いい加減に直せよ!」
 顔色を蒼白にして怒鳴る上条。
 そんな上条に負けずと美琴も怒鳴り返す。
「うるさい! アンタがみんな悪いんじゃない! アンタがちゃんと最後まで詩菜おばさ
まの話を聞かないから! ちゃんと聞いてて、ちゃんとしてたら、私があんなに、泣くこ
ともなかったのに! あんなに哀しい思いすることもなかったのに! みんなみんな、ア
ンタが馬鹿なのが悪いんじゃない! 私あんなに悩んだのに! どういう気持ちでアンタ
に話しかけたか考えなさいよ!」
「わけわかんねーよ! お前何言ってるんだ! さっぱり話が読めねえ! ちゃんと説明
しろ! 後、都合が悪くなったからってビリビリするの禁止だ!」
「それじゃちゃんと話できないじゃない!」
「できるわ!! ……ん? 待て、御坂。ち、ちょっとタイムだ、タイム」

 急に話を中断すると、上条はポケットから携帯電話を取り出した。
 どうやら誰かからの着信があったようだ。
 チラチラと美琴の方を気にしながら上条は携帯に出た。



「もしも……母さん!」
 電話の相手は彼の母、上条詩菜だった。
『もしもし当麻さんですか? よかった、ようやく繋がりました。もう、いきなり電話を
切るなんて酷いじゃないですか』
「あ、そのことに関しては反省してる。感情的になって、ごめん」
『まあ、そのことはもういいです。こちらも事を急ぎすぎましたし。当麻さんの気持ちも
わかりますしね。けどさっきも言った通り、決して悪い話ではないんですよ』
「えと、言いたい事はたくさんあるけど、とりあえず最後まで話は聞くよ。判断はその後
でするから。続き、どうぞ」
『そうですか、それは何よりです。というか、もう話はほとんど終わってるんですけどね。
双方の紹介はもう済んでますし』
「済んでるって、俺の結婚相手って奴には俺の事、もう伝えてるのか?」
『伝えてるも何も……。知ってる相手じゃないですか、お互い。何を今更』
「へ? な、なんだよ、それ?」
『ですからさっき、相手様のことも心配しなくていいって言ったんですよ、私は。当麻さ
んは私の大切な息子です。あなたが困るような、辛い思いをするような相手を選ぶと思っ
たんですか? もちろんそれは相手のお嬢さんにだって同じ事。結婚によってそのお嬢さ
んに辛い思いをさせたくなんてありません。何しろ私が気に入った娘なんですから。当麻
さんにだって美琴さんにだって、絶対に悪い話ではないと判断したからこそ、私も御坂さ
んもこの縁談を進めたんです』
「……ん? ち、ちょっと待ってくれ母さん! 今なんて言った!?」
『はい? ですから当麻さんは私の大切な――』
「そんな事じゃなくて、相手の名前だよ、名前! い、今、確か、美琴って……」
『はい、そうですよ。そうそう、まだ言ってませんでしたね。当麻さんの許嫁って、御坂
さんのお宅のお嬢さん、美琴さんですよ。どうです、悪い話じゃ全然ないでしょう? む
しろ願ったり叶ったり! 詩菜ちゃんエライ!』
「…………」
『あら、どうしました当麻さん? 当麻さん、当麻さん! あらあら……返事がありませ
んね、どうしましょう』



 電話の向こうでは上条からの返事がないことに詩菜が困り果てていた。だがそれも無理
からぬ事。上条は電話を持ったまま惚けていたのだから。
 そのとき、ぱっと上条の電話を美琴が奪い取った。
 そのまま美琴は電話を耳に当て、詩菜と話し始める。





「上条のおばさま、お久しぶりです」
『あら、その声は美琴さんですか? お久しぶりです。当麻さんと一緒にいたんですね。
ということは、美琴さんも御坂さんからお話を?』
「あ、は、はい、母から今朝聞きまして、はい」
『そうですか。それで、美琴さんとしてはどうなんでしょうか、この話? 私としてはや
はり当人同士の気持ちが一番大切ですから、無理強いだけは決してしたくないんですが』
「それは、その、えと、はい……うん、はい、大丈夫です! 心配しないでください! 
コイツ、じゃなくて息子さん、でもなくてと、とう、当麻……当麻さん、当麻さんの方も
大丈夫ですから、全然心配しないでください!」
『それにしては話の途中で電話に出なくなっちゃったんですけど……』
「それも大丈夫です! はい、オールオッケーです、私たち、なんの問題もありません!」
『そうですか。私と御坂さんの見立ては間違ってなかったんですね。よかった……。早す
ぎるかなとか、美琴さんの気持ちをないがしろにしているんじゃないかとか、色々気に病
んでいたんです。でも杞憂だったようですね。不出来な息子で申し訳ありませんが、これ
から当麻さんの事をよろしくお願いします』
「はい、任せてください、おばさま! それでは失礼します」
 美琴は何度も何度も頭を下げながら電話を切った。



「緊張した……」
 携帯から耳を話した美琴は、ふうっと大きくため息をついた。
「…………」
 携帯をじっと見つめながら美琴は苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
「思わずあんなこと言っちゃったけど、どうしよう……」
「どうしようって、御坂お前、どうするんだよあの電話。まるっきり既成事実じゃねーの
か、あれ」

 上条はいつの間にか復活し、美琴と同じように苦虫を噛みつぶしたような表情で立って
いた。
「やっぱり、そうなるわよね……。って、だいたいアンタ、気失ってたんじゃないの? 
どっから聞いてたのよ」
「あまりの衝撃でしばらく脳がフリーズしてただけだ、意識は失ってねーよ。だからほと
んど最初っから全部聞こえてたんだ。まったく、人が動けないのをいいことに好き放題言
いやがって……」
「好き放題って言ったって、あの場合はああ言うしかないでしょう。何よ男らしくないわ
ね、だいたいアンタがあの程度のことで動けなくなるのが悪いんでしょうが」
 眉間に皺を寄せてブツブツと恨み言を言う上条を、美琴はジト目で睨みつける。
「だって、しょうがねーだろう! 許嫁だぞ、結婚相手だぞ! それが、その、相手が、
お前だって言われて、びっくりしないわけないだろうが!」
「それは私だって同じよ。朝、母から電話受けてそう言われて、びっくりして、どうした
らいいかわかんなかったわよ」
「…………」
「でも、とりあえずアンタに会おうと思って、やっと探し出して、そしたらアンタにあん
な事言われてもう頭ん中メチャクチャになって、私はアンタに、とって、そんなに……」
「えっと、あ、それは、うん、ほんと悪い……。悪かった……」
「そうよ、反省しなさいよ馬鹿」
「そうだな、反省する……」
「ち、ちゃんと反省しなさいよ、馬鹿、馬鹿……」
「……ごめん」



 いつの間にかお互い蚊の鳴くような声で会話していた二人だったが、その会話も途切れ
途切れになっていき、ついには互いに黙りこくってしまった。
「…………」
「…………」




 どれくらいの時間が経ったのだろうか、やがてぽつりと美琴が口を開いた。
「でさ、アンタ」
「?」
「どうするのよ、これから?」
「どうするって言っても……」
「上条のおばさまにはあんなこと言ったけど、結局は私たち次第なんだから、これは」
「そう、だよな。そうなんだよ、俺たちが、決めることなんだよ」
 小さくうなずきながら上条は美琴の方をちらりと見た。
「…………!」
 すると美琴の方も同じように上条の方を見ていたらしく、二人の視線は一カ所で交わる
ことになった。
「…………!」
 あわてて目をそらす二人。そのまま二人はちらちらと互いの顔をのぞき見しながら話を
続ける。

「な、何見てんのよ、アンタ」
「おま、お前こそ」
「私はいいのよ、女だし、今回の事だって先に知ってたんだし」
「横暴だ、逆セクハラだ」
「いいのよ、納得しなさい」
「…………」
「それで、どうするか、決めたの?」
「いや、その……」
「嫌、なの?」
「いや、あ、嫌じゃなくて、そのだから、えっと、なんて言ったらいいのか。だから、
えっと」
「はっきりしなさいよ」
「んなこと言ったって。だいたい、こんなこと急に言われても。どう答えたら」
「受けるか断るか、二つに一つでしょ。男らしくきちんと決断しなさいよ、いつもみたい
に」
「いつもみたいって、なんだよそれ」
「女の子助ける時は、欲望のままに即断即決でしょうがアンタは」
「は? ちょっと待て御坂、お前何誤解してんだ! 欲望のままってなんだ!」
「違うの?」
「違う! 俺は相手が誰であろうと自分が正し――」
「その結果、女の子ばっかり助けてるじゃない」
「それはたまたま!」
「本当に?」
「本当だ」
「これっぽっちも下心ないの?」
「……ないとは言えないけど。上条さんだって男だし」
「ほら見なさい」
「け、けど、結局美味しい目になんか遭ったことないし! どうせ相手も俺に助けられた
事なんてすっかり忘れてるし! 第一上条さん、全然モテた事ないし! なんか自分で
言っててすっげー腹立ってきたけど!」
「ふーん……」
 美琴は冷たい目で上条を見た。
「あ、お前その目、全然信じてねーな! 本当に俺は全然女の子にモテないんだぞ! ああもう、なんか自分で言ってて情けなくなってきた!」
「それで、どうするのよ」
「…………」
「……さっさと、断ればいいじゃない。そんなに悩むくらいなら」
「え?」
 先ほどまでの上条の決断を促すような緩い論調から一転、ここに来て急に美琴は論調を
決断を迫るような物に変えてきた。
 上条は思わず美琴の顔をじっと見つめた。




「…………」
 既に美琴は、じっとにらみつけるかのような勢いで上条の顔を見ていた。
「断れって、お前……」
「嫌なんでしょ、悩むくらい。おばさまや母にどう言えばわからないだけなんでしょ。
だったら……さっさと断ればいいじゃない!」
「御坂」
「断りなさいよさっさと! 私みたいな乱暴者、かわいげもなくて胸だってペッタンコで
いいとこなんて何にもない性悪ブスお断りだって、私なんか嫌いだって、私なんかと許嫁
なんていい迷惑だって言いなさいよ!」
「お前、何言ってんだよ!」
「うるさい、黙りなさい!」
「黙るのはお前だ!!」
「…………!」
 慟哭するかのように叫んでいた美琴だったが、上条の一喝で言葉を飲み込んで黙りこ
くった。

「黙れよ御坂」
 上条はもう一度静かに、けれど強い調子で言った。
「…………」
「俺がいつお前の事そんな悪く言ったよ。嫌いだっていつ言ったよ。お前の事、嫌いなわ
けねーだろ。嫌いだったら、最初っから悩まねーよ。こんなに頭抱える事なんかねーよ!」
「だ、だって、アンタ……」
「黙れっつったろーが。とにかく俺はお前の事、嫌いになんかなった事ねーよ。そりゃ確
かに電撃ビリビリは勘弁してほしいとか思った事はいっぱいあるけど。それでもお前の事
は色々感謝もしてるし、かわいくて、大切にしなきゃいけない女の子だって、思ってるん
だ、これでも。でも」
 上条はここで一呼吸置いた。
「でも、急に許嫁とか、結婚の相手とか言われたらわけわかんねーだろ、誰だって。嫌い
な相手じゃなかったらなおの事だ。俺だって、どうすりゃいいかわかんねーんだよ」
「…………」
「だいたい、お前はどうなんだよ。俺にばっかり決断させて」
「は? 私、は……私、私は……」
「気持ちっていうんなら、お前の気持ちだって俺と同じだけ大事だろう。お前はどうした
いんだよ。俺みたいなレベル0と許嫁だ、なんて言われて。どう思ったんだよ」
「……私が」
「ああ」
「私が、どう、思ったか……」
 美琴は手を胸の前でぎゅっと組んだまま静かに目を閉じた。



――アンタ、何言ってるの? さっきまでの私の言葉、理解してないの? 私が許嫁だっ
ていう話にアンタが怒ってるって聞いて私、泣いたんだよ。それがどういう意味か本当に
わからないの?

 美琴は手に力を込めた。

――アンタが許嫁だって聞いた時の私、どんな想いだったか本当にアンタわかんないの?
 とっても、とっても嬉しかったんだよ。たとえ周りが押しつけた関係であっても、アン
タと仲良くできるって、他の娘じゃなく私がアンタと結ばれるんだって思えて、泣くほど
嬉しかったんだよ。さっきのやりとりでどうしてわかってくれないの?

 美琴はつばをごくりと飲み込み、目の前の上条の様子を探った。しかし上条は微動だに
していないようだった。

――ニブチンのくせに、私の事嫌いじゃないって、かわいいとか大切にするとか、どうし
てそんな事ばっかり言うの? 期待させるような事ばっかりどうして言うの? ねえ、ア
ンタは私の事どう思ってるの? アンタの心はどこにあるの? 教えてよ、ねえ。もしア
ンタが私の事、私みたいに……。






 上条への溢れんばかりの想いを次々に心の中で紡いでいた美琴だったが、上条の様子が
急に変化した事に気づいて目を開けた。

「? アンタ、何してるの?」

 上条は頭を下げたまま、右の手のひらを広げ美琴に向かって突き出していた。世に言う
握手を求める格好である。
 上条は頭を下げたまま大声を出した。
「御坂! 俺は決めた!」
「決め、た……?」
「最初に言っておく! これは下心だ!」
「し、たごころ……」
「そうだ! その上で言う! はっきり言ってお前の見た目は凄くかわいい! スタイル
だって、裸とかを見たわけじゃないけどモデル体型で全然悪くないと俺は思う! えとそ
の、むしろ俺好みだ! 頭だっていいし、レベル5だから将来的にも色々な未来が開かれ
てると思う! 所かまわず俺に電撃ぶっ放すところを除けば、性格だって問題ないはず
だ! だいたい性悪な奴が俺を助けるために無茶してロシアまで来てくれたりなんか絶対
しない! これだけ条件が揃った御坂美琴って女の子が俺の許嫁なんてチャンス、モテな
い上条さんみたいな奴にはこれ以上ないすばらしい申し出だ! たぶん、いや絶対、今を
逃すと二度とない事だと断言できる! だから俺は今回の話を受ける事にする!」
「……本音は?」
「今言ったのが本音だ! だから後はお前が決めろ御坂!」
「…………」



――馬鹿じゃないの、コイツ?

 美琴は手を差し出す上条を見ながら、呆れ果てていた。
 今上条が言った事が本音であれば、かなりゲスな考えだと言えるだろう。
 こんな事を言われてハイそうですか、と言う女はまずいない。
 それは上条だってわかっているはずだ。
 ならばなぜ上条はこんな妙な行動を急に取ったのだろうか、少なくとも彼に得はない。
 いや、むしろ積極的に美琴に許嫁の話を断らせるために取った行動のようにも思えてく
る。

――断らせる? もしそうなら。

 あくまで仮にだが、もし上条が先ほどの美琴の行動、彼への気持ちを心の中で膨らませ
ていた行動を、美琴が悩んでいる、嫌がっているために取った行動だと捉えたとすれば。

――本物の馬鹿じゃない。

 上条が美琴の気持ちを誤解したのだとすれば、彼の行動は美琴を悲しませないためのも
のだという事になる。
 美琴が悲しまないように、かつ罪悪感を感じる事もないように、そんな形で今回の許嫁
の件を終わらせる。
 そのために上条は今までの態度を豹変させてこのような行動に走り、自らゲスな人物を
演じているのではないか。

 もちろんこれはあくまで事実から導き出される仮定の一つである。
 だが、美琴はこれが限りなく正解に近いだろうと直感した。
 なぜか。
 確かに普通に考えたらあり得ない話だ。
 が、究極のニブチンで、かつ人を助けるために自分が泥を被る事に何のためらいも感じ
ない上条ならやりかねない。
 いや、むしろ美琴が知っている上条なら積極的にやろうとするに違いない。
 それにこの考え方なら、上条の行動の急な変化の理由としても筋が通っている。
 愚かしいまでの上条の自己犠牲精神。
 ヒーローとしては評価されるべき物だが、美琴は上条のこの考え方に若干怒りすら沸い
てきていた。




――他の女ならともかく、こんな事でこの私がごまかされるわけないでしょう。どれだけ
アンタの事見てきたと思ってるのよ。自分ばっかり傷つけばいいと思って……。本当に馬
鹿なんだから……。

 しかしそれと同時に今の上条の行動を見、その動機を推理した結果、美琴の心は決まっ
た。
 何しろ今の行動で上条が美琴の気持ちにまったく気づいていない事がはっきりしたのだ
から。
 そのくせ美琴の事を本当に大切にしようとしている事までもはっきりしたのだから。

 美琴は思った。
 こんな危なっかしくて馬鹿で優しすぎる男、絶対に離してやるもんか。
 他の女なんかに渡してたまるもんか。
 私だけのモノにしてやる。
 そして絶対に自分自身を大切にさせてやる。
 それと同じだけ、いや、それ以上に私の事を大切にさせてやる。
 それこそ一生だ。
 死が二人を別つまでだ!



 美琴はすっと目を細めた。そのまま努めて冷たい口調で話し出した。
「それがアンタの本心ってわけね?」
「そうだ!」
 上条は相変わらず下を向いたまま答えた。
「じゃあ質問。さっきおばさまからの電話の後、アンタ結論が出せないって言って悩んで
たわよね、それなのに今はあっさりと結論が出てる。なんで? さっきの悩みは何だった
のかしら? 急に天啓があったとでも言うの?」
「え」
「さっさと答える」
「そ、それは、その、えっとその、え、演出だ演出! ああして間を作ればお前が情にほ
だされるかと」
「ふーん、そのくせ今は自分の下心を表明するわけ。それじゃあせっかくの演出がパー
じゃない」
「あ、うん」
「それに妙よね、いっつも正義感ぶってるアンタが急に下心とか言い出すなんて」
「それはだな……うん。そ、そう、正義感溢れる上条さんは恋人同士においても隠し事を
したくないから、先にこっちの下心を示して、裏表のないところをアピールしようと……」
「それは関心ね。じゃあどうしてその前に演出なんてまねしたの? それって裏表になら
ない? そもそもなんで私に聞かれたからって、そういう考えをあっさりネタばらしする
の?」

「…………」
 美琴の目がますます細くなった。
「あっちを立てればこっちが立たず。アンタの理論は最初っから破綻してるのよ。つまり、
どっちかが嘘って事になるわけね」
「えと、じゃあ最初の悩んでたって事の方が嘘だという事で……」
「そう言えばさっきアンタ言ってたわよね、『御坂が許嫁だったらよかったのに』って。
あれ、どういう意味かしら? 誰かに聞かせるために言ったんじゃないわよね。じゃあ、
あれって下心とか関係ないんじゃないの?」
「はあ!? お、お前、あの距離で、き、聞こえてたのか!」
 上条はばっと顔を上げた。
「ええ、しっかりと。これでも耳はいい方なのよね」
「…………」
 上条は再び顔を落とした。だがこれは下を向いたというより、がっくりとうなだれたと
いった方が正しかったのだが。



 上条は下を向いたまま手を下ろすと、絞り出すように声を出し始めた。
「御坂、頼むから断ってくれ。許嫁の話」
「……どうして?」
 美琴は低い声で上条に尋ねた。
「俺みたいなのと結婚しても、お前を不幸にするだけだ。お前は自分の事を悪く言ったけ
ど、俺の方がよっぽど社会的に評価はよくない。レベル0だし、貧乏だし頭悪いし、イケ
メンでもない。おまけに超絶不幸体質だ。お前みたいなスゲー奴に似合わないんだ。だか
ら……」
「だったらアンタから断ればいいじゃない」
「……い、嫌だ」
 上条は顔を上げた。
 そこには、辛い、という感情だけが浮かんでいた。
「はい? なんて言ったの、今?」
「……だから、嫌だって。俺から断る事は、できないって」
「どうしてよ」
「……できないものは、できない」
「答えなさいよ」
「…………」
 上条は口をつぐみ、何も答えない。




 美琴はほんの少しイライラしたような口調になった。
「答えなさい」
「…………」
 上条はなおも何も言わない。
「なんで言わないのよ」
「…………」
「言いなさいよ。言いなさいよ!」
 美琴の口調はさらにイライラしたような物に変化し、声量も大きくなってきた。
「…………」
 だが上条はやはり何も言わない。
「言いなさいよ! お願いだから、何か言ってよ!!」
 とうとう美琴の声は叫びとなった。
「…………」
 大声で叫んだ美琴は、大きく深呼吸をした。そのまま彼女は縋るような視線で上条を見
る。
「ねえ、お願いだからちゃんと言ってよ……。でないと、私、なんにも……」
 途切れ途切れでなんとかそこまで言った美琴だったが、これ以上は言葉を繋ぐ事ができ
なかった。
 しかし彼女の視線はただ一筋に上条の口元に注がれていた。

 そんな美琴の様子に根負けしたのか、ようやく上条がゆっくりと口を開いた。
「……い、今さっき、やっと、わかったから」
「……な、何が?」
「……その、御坂と許嫁って話を、俺から断りたくないって」
「……だからどうしてよ」
「……はっきりしないけど、たぶん、俺から断ったら、嘘になるから」
「何が、嘘になるのよ?」
「……俺の、言う事が、嘘になる。俺、の心に、嘘をつく、から」
「それってつまり、断るって行動が嘘になるって事? 私と許嫁になるのが嫌って、そう
言葉にするのが嘘になるって事?」
「…………」
「アンタ、ここまで来て黙るわけ!? 肝心な事、ちゃんと言いなさいよ!」
「……み、御坂が嫌がってると思って、だから断ろうと思って、けど、そう思ったら、絶
対に嫌になって……だから」
「それで?」
「…………」
 またもや上条は口をつぐみ、頭を垂れてしまった。

――この馬鹿! だからどうしてそこで止めるのよ! 肝心な事を言わないのよ!

 上条を追求する美琴だが、もちろん彼女にだって上条が口をつぐんでいる、内に秘めた
気持ちはおぼろげにはわかっていた。
 上条がひた隠しにしているであろう気持ち。
 それはおそらく美琴が望んでいたもの。
 心から、望んでいたもの。
 上条の反応から、今の彼の状態はもうほとんどそれを白状しているのと同義。

――お願いだから、ちゃんと言ってよ!

 しかし、それでも美琴は上条に肝心な言葉を言わせようとしていた。
 なぜなら彼女は恋をしているから。
 少しの事で不安になり、それをなくすためにとってもわがままになる、そんな恋をして
いるから。
だから美琴は上条の言葉による安心を欲しがる。
 上条の都合も気持ちも考えず、ひたすらわがままになる。
 それは恋する乙女にだけ与えられた特権なのだから。



 わがままな美琴は待った。
 上条が、自分が大好きな人が、自分が望む言葉を言ってくれるその時を。

――お願い。

 上条当麻を、彼を信じているからこそ。
 ただひたすら。

――私は、あなたの言葉が、欲しい。

 そしてその時は――。



「――――!!」
 上条はばっと頭を上げると、覚悟を決めたようにじっと美琴を見つめた。
 ゴクリとつばを飲み込んだ上条は、ゆっくりと、そして大きな声を出した。
「御坂! お前との許嫁を解消しようと考えた時にはっきりわかった! 俺はお前の許嫁
に本気で、なりたい! だから! だから!! そういう関係を前提にして、これから、よ、
よろしくお願いします!!」

 上条の言葉を聞いた瞬間、美琴の左目からつーと一筋の涙が伝った。
「馬鹿……」

――いつまで待たせれば気が済むのよ。でも、やっと、やっと、言ってくれたね。

 美琴は頬を伝う涙を拭うことなく上条に近づくと彼の手を取り、彼の頬にそっと唇を押
し当てた。
「――――!」



 突然の出来事に惚ける上条から唇を離した美琴は、今の彼女にできる精一杯の笑みを浮
かべ、静かな、そして暖かさに溢れた声で答えた。



「こちらこそ」



おしまい








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