照れるような光
中学生の頃の自分を、24歳になった今になって思い返すと
まるで別人のように思える。
どうしてあんなことしたんだろう。
わたしは何を考えていたんだろう。
はたから見ればたいして変わっていないのかもしれないけれど、
10年前というのは、わたしにとってそのくらい遠い記憶だ。
10年間ずっと同じ人を好きだった…なんてことはなく、
新たな出会いがあり、新しく恋をして、うまくいったり、まあいかなかったり。
その時その時はもちろん真剣で、大好きで、相手の一挙一動に振り回されたりした。
だけど過ぎてしまうと、なんだか他人事のように思えるのはなぜだろう。
わたし、御坂美琴は、つい先日恋人と別れた。
5月。
仕事を終えて外に出ると、夜はまだ冷える。
ここ最近の昼間の暑さに負けて薄着にしてしまったのを少し後悔していた。
「さむっ…」
金曜の夜、街にあふれるネオンと楽しそうな人たちがまぶしい。
まっすぐ帰るのもなんだなあ…
………
たまたま見かけた小さなバーに、ふらっと入ってしまった。
薄暗い店内のカウンターで、
ソーセージ盛り合わせなんかをつまみながら黒ビールを飲んでいた。
店内のプロジェクターに映る、外国の映画…
地味だけどかわいらしいラブストーリーをぼんやり見ていた。
「みさ、か…?」
突然名前を呼ばれ振りかえると、若い男性が立っていた。
その人の名前を思い出すのに、数秒かかった。
「か、上条…さん?」
「おー!やっぱり御坂だよな!」
「う…うん」
「あーよかった!もしかして、と思って声かけてみたんだよ」
彼は、上条当麻という。
わたしの、いわゆる…初恋の人だった。
彼は10年…いや、9年前だっただろうか。
ある日突然、姿を消した。
いろいろなトラブルに巻き込まれる彼だったので、わたしなりに何度も助けようとしたけど、
その時ばかりは全く手がかりが得られず、そのまま音信不通になってしまっていた。
「………あんた、どこに行ってたのよ!!急にいなくなって、連絡も取れなくなって……もう、バカ!!」
…と、当時の幼いわたしなら言葉を投げつけていただろう。
だけど、今のわたしはただ、「い…生きてたのね…」としか言えなかった。
彼は「なんとか、生きてますよ」と言って、ニカッと笑った。
あの頃の笑顔のままだった。
なぜ姿を消したのか、何があったのか、聞きたいことは山ほどあったけど、
今は目の前にいることが信じられなくて、言葉がうまく出なかった。
「まさか1人で酒飲んでるとは…」
「こっちだってまさかここで、古い知り合いに会うとは思わなかったわよ…。恥ずかしい」
「いやいや、なかなかお似合いですよ?」
「どーいう意味よ」
改めてビールを頼み、わたしたちは小さく乾杯した。
「今あんた何してるの?サラリーマン?」
「あー、まあ、とあるNGOで、難民とか紛争地域を支援をしてます」
「わ!ぴったり…ブレてないわね」
「案外地味な仕事ですよー。寄付された未使用切手を整理したり、チャリティコンサートの手配したり」
「立派な仕事じゃない」
「幻想殺しの名を馳せた上条さんもすっかり凡人ですよ」
「ふふふ」
「御坂は?何やってんだ?」
「とある化粧品会社で、商品開発とか」
「おお、なるほど…」
「科学的に見てもおもしろいしね」
「さすが、できる女って感じだな」
「そんなことないわよー。わたしも普通よ、ふつう」
「でもお前けっこう有名人だったから、今でも大変なんじゃねーの?
あの、常盤台の超電磁砲!って」
「んー…まあ、そう言う人もいるにはいるけど…あんまり今は関係ないかな」
「ふーむ、そんなもんか」
「そんなもんよ。……それに、もうあんなに強い能力出せないもの」
「えっ」
「うん、20歳をすぎた頃かなー。なぜか急に弱くなっちゃって。
いろいろ調べたけど、原因は不明」
「……そう、だったのか…」
「他のレベル5の人たちはどうなったかわからないけど、少なくともわたしはレベル5じゃなくなっちゃった。
レベル…3くらいかな?」
「……それって…大変だったんじゃないか?」
「え?」
「お前、自分の強さにかなりプライド持ってただろ。まあ強いやつはみんなそうなのかもしれないけど。
それが弱くなったら…かなりショックだったんじゃないか」
「……」
「あ…いや、勝手な憶測で言って、すまん」
「…ううん。やっぱり、あんたはなんでもわかっちゃうのね」
「じゃあ…」
「確かに大変だったわよ。なかなか現実を受け入れられなくて。
そのころ付き合ってた人にもひどく当たって、ふられちゃうしね」
「…そっか……。って付き合ってた!?彼氏いたんですか!」
「何よ、いちゃ悪い?」
「いやー、昔の御坂さんしか知らない上条さんからすると、なかなかショッキングですよ」
「え?」
「いやあ、大人になったんだなー。酒が進みますよ」
「そ、そっちだって…あんだけ女の子助けまくってたら、誰かと付き合ったりしたんでしょーに」
「うっ」
「どーせとっかえひっかえしてたんでしょ」
「お前、俺をなんだと思ってるんだよ…」
「どーなのよ…言いなさいよー」
「お前酔っ払ってんのか?」
「言えっつってんだろぉー。ほら、あのシスターの子とはどうなったのよー」
彼の表情が一瞬、固まった。
「あ…」
「あいつは、イギリスに帰ったよ」
「…そっか」
彼の表情を見ると、それ以上は聞けなかった。
「ま、まあ一応言うけど、あの頃は本当に何にもなかったぞ!
それどころじゃなかったし。いろいろ落ち着いてから、
普通に出会った人とお付き合いしたりはしましたが」
「ふーん、なるほどね」
その後も、わたしが先日までつきあっていた恋人とのことを話したり、
当麻の恋愛の話も詳しく聞き出して
「それはあんたが悪いわよ」なんて言ってみたりした。
そういう話を聞いても傷つくような気持ちにはならなかったので、
時間って偉大だなあと思っていた。
まだ…結婚は、していないらしかった。
話はあれこれと止まらなかった。
昔のことを懐かしみ、会っていない間に起きたいろいろな出来事を、
お互い山のように打ち明けた。
再び会うことはないだろうと思っていたから、なんでも話せたのかもしれない。
いつの間にか、朝になっていた。
わたしたちは閉店時間になったバーを後にした。
夜明けの澄んだ空気が、早朝の静かな街を包んでいる。
わたしは笑顔で言った。
「すごく楽しかった。ありがとう」
「いや、こちらこそ」
「じゃあ」
わたしは駅へと歩き出そうとした。
「あ、おい」
「ん?」
「その…携帯の番号とアドレス、教えてもらえないでしょうか…?」
「えっ」
「いや、無理にとは言わないけど!」
「……い、いいわよ」
お互いの連絡先を交換し、わたしたちは別れた。
びっくりした。
今日たまたま会っただけで、今日が最初で最後だと思っていた。
もしかして、また会えるのかな…?
そんな淡い期待で胸がいっぱいになる。
今はそれだけで、よかった。
もう会えなくても。
この気持ちを大事に胸にしまっておこう。
そう思って、家路についた。
昼過ぎになんとか目を覚まし、シャワーを浴びて遅い昼食をとった。
ごろごろマンガを読んだりしていると、夕方になっていた。
「そろそろ、持ち帰った仕事片づけないとなー」
重い腰を上げると、ふと、携帯の着信音がなった。
「ん?斉藤さんかな」
見ると、「上条当麻」と表示されていた。
「ひゃっ」と声にならない声を上げてしまい、取ろうとする指が一瞬引っ込んだ。
お、落ち着け落ち着け…落ち着くのよ…
「…はい」
「もしもし?御坂?」
「う、うん」
「今平気か?」
「うん、大丈夫」
「その…昨日の…っていうか今朝の今であれなんだが…その」
「うん」
「これから、会えないか?」
まっ白になった頭をどうにか動かし、身支度を整える。
タンスから服を出してはしまい、また同じものを出したりして、
わたしは完全に混乱していた。
ちがうちがうちがうなにこれなにこれいやなんか忘れたとかそういうあれよ
っていうかたまたま昨日会っただけだしなんなのなんなのあああああ
わたしは目についた黄色のワンピースとジャケットを着て、
ばたばたと家を飛び出した。
待ち合わせ場所はあの公園の、自動販売機があったところだった。
だけど、あの自動販売機はもうなくなっていた。
当麻はやってきたわたしに気がつくと、ニヤリと笑って言った。
「やっぱりなかったな」
「わたしのせい…かな?」
「でしょうねえ」
「ちぇいさー!って、ねえ」
「ははは」
「とんだ不良中学生がいたものね」
「なんか食いたいものある?」
「ん?」
「イタリアンとか、和食とか、そういう」
「え、もしかして」
「おごらせてくださいよ、せっかくだし」
「い、いいの…?」
「いつぞやのホットドッグのお礼ですよ」
「そんな昔のこと…」
「上条さんのおごりなんてそうそうないぞー」
「……じゃあ…お言葉に甘えることにしよっかな。焼肉がいい!」
「焼肉?もっとこう、おしゃれなレストランとかじゃなくていーのかよ」
「いいの、なんか焼肉食べたいの!」
「はは、しょーがねーなあ」
あれこれ話しながら、気がつくとものすごくたくさん食べていた。
楽しくて、たくさん笑った。
「ほんといじっぱりで素直じゃなかったわね、わたし」
「だいたい怒ってたな」
「中学生でプライドも高かったしねー。あんたにはほんとに…悪かったなって思ってるのよ」
「ははは」
「あ、もちろん!感謝もいっぱいしてるわよ」
「お、おう…」
「まったく…わたしも好きなら好きって言えばよかったのにね!」
「へ?」
「ん?」
「…好きって、誰が?」
「…わたし」
「…誰を?」
「……まさか」
「?」
「わかってなかったの…」
「?何がだよ」
「…あんたよ!あんたのことが好きだったの!わたしが!」
「あー…。ってえええええええ!?」
「やっぱり…」
「……」
「何今さら赤くなってんの、昔のことよ!…ほらお肉焦げちゃう!」
「すまん…」
「いいわよ別に、あんたあの頃大変だったし、
周りに女の子たくさんいたし、シスターの子がいたし」
「…」
「…あ、ごめん」
「いや、ほんとにすまん」
「あんたが謝ることじゃないでしょ」
「……」
「いいってば、ほんとに。ねっ!カルビ食べよ?」
「ごちそうさまー!いやー、食べすぎちゃったかも…」
そんなこと言いながら、わたしたちはお店を出た。
「御坂」
当麻が急に、まじめな顔で言った。
「今から、あの鉄橋に行かないか?」
わたしは少し戸惑った。
あそこはもちろん大事な思い出の場所ではあるが……ずっとなんとなく避けていたのだ。
今行くと、どんな気持ちになるのか想像がつかない。
だけど、わたしは答えた。
「うん…いいわよ」
橋の上を、ひゅうっと冷たい風が通り過ぎる。
あの頃の記憶は、不思議とあまり鮮明に蘇ってこなかった。
「こんなとこだったっけ…」
「うん。変わってないな」
当麻は立ち止まって、川の流れに目をやった。
わたしもその横に立った。
川の水が流れる音だけが、夜の街に静かに響いていた。
空に雲はなかったが、あまり星は見えない。
「その…昨日、会えてうれしかった」
当麻が口を開いた。
「え?」
「本当に」
「…うん」
「もう会うことはないんだろうなーって思ってたから」
「…わたしも」
「だけど、会えた」
「…うん」
「すげーうれしかった」
「……」
「それで、やっとわかったんだけども」
「なに?」
「俺、会いたかったんだなーって。御坂に」
「…!」
「ずっと連絡もせず、心配かけて、すまなかった」
わたしはただ、びっくりした。
なんでそんなこと、今になって言うの…
「わ…わたしも、あんたに会えて、うれしかった…わよ。だけど、わたしにとってあんたは…もう、過去の人だったの。急にいなくなっちゃって、時間はかかったけどきちんと気持ちを整理して、過去の話になったの。もう10年も経ってて…いろいろあったわけでしょ、お互い。あの頃とはもうちがうもの。なんで今、そんな…」
話しながら、わたしは何が言いたいのかよくわからなくなってごちゃごちゃになり、涙が出そうになった。
うれしいのか、悲しいのかわからない。
ただ、過ぎた時間とあの頃を走馬燈のように思い出していた。
彼はわたしの肩に手を置き、わたしを見た。
少し悲しそうな、困ったような目をしていた。
「…もしかして、俺に会いたくなかった?」
「そ、そんなこと…そんなわけない!…だけど、怖かったの。もしまた会ったら、どんな顔していいかわかんなくて…。また憎まれ口を叩いちゃうかもしれない、また素直になれないかもしれない、あんたがあの時の誰かと結婚してるかもしれない…とか。またあんたに会えたら次こそは笑顔でって思ってるのに、笑顔で会える自信がなかったの」
「うん」
「だから、昨日会って、あんなに楽しくいろんなことを話せる日が来るなんて思ってもみなかった。
うれしかった、すごく」
「…うん」
「わたしも、少しは大人になったのかな」
「ははは。そうかも」
「でしょ。もうビリビリしたり追いかけ回したりしないわよ」
「…そりゃあ、あの頃と今はちがうけどもさ。
じゃあ今こうして会ってるのは、ただ昔を懐かしむためだけなのか?」
「…え?」
「昨日はまあ、そうだったかもしれない。だけど、今日はちがう」
「…どういう…こと?」
「思い出のままにしたくなかった。だから電話した」
「…!」
「御坂の気持ちに気がつかなかった俺が、今さら言うことじゃねーけど…
今のお前、すごく…いいなーと思ったんだよ。
雰囲気がやさしくなってて。あんな風に笑うのな。知らなかった」
…え?
言葉が、頭に入らない。
「すっげーバカだな…俺」
肩に置かれていた当麻の左手が、わたしをぐっと引き寄せた。
わたしの顔は彼の胸に埋まり、彼の右手はわたしの頭の上にそっと置かれた。
鼓動がぐんぐん早まって、胸が苦しい。
わたしの髪を、彼の指がやさしくなでていた。
そう言えばあの時も、ここで、わたしの頭をなでてくれたっけ。
わたしは、きゅっと目を閉じた。
こいつ…やっぱり、
…ずるい。
ふと、こめかみにそっとあたたかいものが触れた。
それは彼の…当麻の口づけだった。
心臓が、止まりそうになった。
こめかみから…額。まぶた。
鼻の横、頬、それから…耳。
当麻はていねいにやさしく、何度もわたしにキスをした。
少し荒くなっている彼の呼吸が、間近から耳元に響く。
その度にわたしの体が震える。
だめ、もう、なにも考えられなくなっちゃう…
意識が飛びそうになるのを必死でこらえ、ふらつく体を支えようと当麻の体を思わずつかんだ。
「美琴」
名前を呼ばれ、わたしは当麻を見上げた。彼はわたしに視線を落としていた。
引き寄せられるみたいに、くちびるが重なった。
10年ごしの…10年分の、初めてのキスだった。