美琴ちゃんが熱を出して、上条さんがそれを看病するだけの話
上条はスーパーのレジ袋をぶら下げ、その洋館じみた建物を見上げた。
ここに来るのは二度目だが、やはり妙な緊張感がある。
ここは常盤台中学学生寮。美琴や白井が暮らしている女子寮である。
常盤台中学は学舎の園の中と外にそれぞれ学生寮を構えているが、
美琴達が住んでいるこちらの寮は、後者の方だ。
学舎の園の外にある為、こうして上条が寮の正面玄関付近に突っ立っていても…
まぁ、怪しまれはするがそれだけだ。
このまま何もせずに帰れば、風紀委員にも警備員にも通報はされないだろう。
しかし当然、用が無ければ女子寮【こんなところ】には来ない。
そう、上条は先程、ここへ来るように呼び出されたのだ。
「本当に…入って大丈夫なのか…?」
早くも不安と不幸の入り混じった空気が、上条の周りにまとわりついていた。
きっかけは携帯電話の着信だった。
「とうまとうま! でんわーが鳴ってるんだよ! 早く早く!」
インデックスに急かされ携帯電話を手に取る上条。
どうやらインデックスは、電話は早く出ないと爆発するとでも思っているらしい。
着信を見ると、そこには「御坂美琴」の文字。通話ボタンを押し、
「もしもし、美琴か?」
と相手の名前を確認する。
(ちなみにインデックスは、上条が「美琴」の名を口にした瞬間、唐突に不機嫌モードに突入した)
だが返ってきた言葉は、美琴の声ではなかった。
『あ、もしもし上条さんですか? あたしです。佐天涙子です。
今ちょっと、御坂さんのケータイから掛けさせてもらってます。
あ、ホラ、あたしって上条さんの番号知らないじゃないですか』
だからって人の携帯電話を使ってもいいのだろうか、とは上条も思ったが、
佐天もおそらく、それを承知で使っているだろうから、敢えてツッコまない。
「ああ、佐天か? それで美琴のケータイ使ってまで、俺に何か?」
『あー、いや実はですね。あたし今、御坂さんの家にいるんですよ』
「美琴ん家って事は、常盤台の女子寮だよな。
あそこって部外者は立ち入り禁止じゃなかったっけ? 佐天はどうやって入ったんだ?」
『白井さんの空間移動があれば、セキュリティとかも関係ありませんから。
あっ、ちなみに他にも初春って友達もいたんですけど、
今は初春も白井さんも風紀委員の仕事に出てていませんので♪』
さらり、と割ととんでもない事を言ってのける佐天。白井の苦い顔が目に浮ぶ。
おそらくその初春という子も、佐天に無理やり連れてこさせられたのだろう。
それにしても、「今は初春も白井も仕事でいない」と言った時の、佐天の妙にご機嫌な声が気になる。
『あ、で。ここからが本題なんですけど、何であたし達が御坂さんの家にいるかって言うとですね、
実はお見舞いに来てるんですよ』
「お見舞い?」
思わず聞き返す上条。お見舞いとはまた、穏やかではない。
『って言っても、そんなに大事じゃないですよ。ちょっと熱出して寝込んでるってだけで』
「……『あの』美琴が?」
『はい。「その」御坂さんがです』
普段、病気とは無縁そうな美琴からはあまり想像できないが、美琴だって人の子である。
たまには風邪ぐらい引いたりもするのだ。
「はー…それでお見舞いになぁ…」
『それでですね、ここからが本題の本題なんですけど……』
佐天はわざとらしく思わせぶりに、一拍置いて溜めてから、本題の本題とやらを口に出す。
『…上条さんも今からお見舞いに来てください! 今から? ううん、むしろ「今すぐ」に!』
「あ、ああ…別にいいけど……」
佐天の突然の勢いに、上条は思わず了承してしまう。しかし一つ問題が。
「いやでも待て。流石に俺が女子寮に行くのはマズいだろ」
『大丈夫です! あたしが何とかしますから!』
それでも佐天は折れない。何とかするって、具体的にはどうするつもりだというのか。
しかし何か妙案でもあるのか、自信満々である。
「……まぁ、いいけど。でも何でそこまでするんだ? 俺が行かないと困る理由でもあるのか?」
上条の問いに佐天は、
『はい! 上条さんがいないと、めちゃくちゃ困ります♪』
と全く困ってなさげに返事をした。
「本当に…入って大丈夫なのか…?」
常盤台中学学生寮の入り口前で、上条は佐天が『何とかしてくれる』のを信じ、
美琴(と白井)の部屋番号を押そうとする。勿論、美琴のお見舞いをする為だ。
ちなみにあの電話の後、上条が「美琴の所に行ってくる」とインデックスに告げると、
インデックスは益々不機嫌になったが、「帰りにプリンでも買ってきてやる」と約束を交わし、
渋々納得してくれたようだ。
夕飯の用意も抜かりなく、ご飯はとりあえず炊いたので、
おかずは冷凍食品を適当にチンするだけでOKだ。それで本当に抜かりが無いのかどうかは疑問だが。
ただし、レンジの扱いはあくまでもオティヌスにやってもらうようにと釘を刺しておいた。
身長僅か15センチの体躯しかないオティヌスだとしても、
かつて風呂の給湯器を破壊したという前科があるインデックスよりは、ナンボかマシという物だ。
上条は208と番号を打ち、インターホンを押した。
するとスピーカーから、ノイズと共に佐天の声が聞こえてくる。
『もしもし? もしかして上条さんですか?』
「あー、うん。俺だけど」
『待ってましたよー! 今、玄関のロック外しますね!?』
佐天はそう言うとインターホンを切り、同時にガキガキバキンと何種類ものロックが外れる音が鳴る。
柵川中学生徒【ぶがいしゃ】がここまで勝手な事をしてもいいのだろうか、とは上条も思ったが、
流石に美琴と白井【やぬしたち】には許可を取ってあるだろうと、敢えてツッコまない。
玄関をくぐり、二階の階段を上る上条だが、美琴の部屋に辿り着くまでに、数々の問題が発生した。
主に寮生に見つかり痴漢と間違われたり、寮監に見つかり首をへし折られたり。
その都度毎に説明する羽目になり、部屋に辿り着いたのは、
玄関へ足を踏み入れてから数十分後だった。それでも、寮から叩き出されなかっただけ良かったが。
お見舞いに来たという上条の決死の弁明と、その類まれなるフラグ能力で、
何とか寮監の説得に成功し、特別に寮に入れる許可を貰ったのだ。
(つまり、この短い時間で『あの』寮監に何らかのフラグを立てたという事でもある)
佐天の言う「何とかする」は結局の所、ただのノープランであった。
要は「鍵を開けたら、あとは誰にも見つからないように気をつけて入ってきてください」という事だ。
不幸体質の上条にとって、この状況で誰にも見つからないというのは、ただのムチャブリである。
ボロボロになりながらも、やっとの思いで208号室のドアを開けた上条。そこに待ち受けていたのは、
「遅いですよ上条さん!」
という佐天の理不尽な一言だった。
「あー…佐天さん? アナタには言いたい事が山のようにあるのですが、
とりあえず今のワタクシの姿を見て何とも思いませんかねコンチクショウ」
「うぐっ…!? ご、ごめんなさい……」
ノープランだった事には多少罪悪感があったようで、『一応』謝る佐天。
「でもまぁ、とにかく来れたんですから良かったじゃないですか。
さっ! 立ち話も何ですし、入ってください」
しかし早々に反省タイムは終了する。
上条は色々と言いたい事があったが、何を言っても無駄っぽいので諦めた。
美琴の部屋に入って真っ先に目に入ったのは、
「はぁ……はぁ……」
と苦しそうな息を吐きながらベッドに寝ている、美琴の姿であった。
熱に浮かされがらも、美琴は上条がそこにいる事に気づき、
こちらに顔を向けながらいつもの軽口をたたく。
「なん……で…はぁ…ア…ンタ……が…こんなとこに…いんの……はぁ…よ……」
「佐天に呼ばれて見舞いに来たんだよ。何か俺がいないと困るからって―――」
言いながら、上条はその事を思い出す。
「―――っと、そうだ。そろそろ俺がいないと困るっていう意味を教えてくれよ」
上条のその言葉に、佐天は「待ってました」と言わんばかりの不敵な笑みを浮かべる。
「ああ、そうでしたね! いや~、実はあたしもこの後、どうしても急用ができる予定でして、
初春も白井さんもいない今、誰かが御坂さんを看てないといけないじゃないですか。
だから上条さんを呼んだんですよ♪」
ツッコんだら色々とボロが出そうな証言である。
それならばわざわざ遠くにいる上条を呼び出さず、他の寮生を呼べば済むし、
「急用ができる予定」という矛盾しまくった言葉も怪しすぎる。
が、ツッコミ所が多い事が逆に災いし、上条が何を言おうかと悩んでいる隙に、
「という訳で、後はヨロシクお願いします!」
と佐天は部屋を出て行ってしまった。
残された上条は、「えー…?」と困惑するばかりであった。
佐天の謀略により美琴と二人きりにされてしまった上条。
しかしこのまま美琴を放っておく訳にもいかず、上条は仕方なく看病をし始める。
「濡れタオル、新しいのに替えるか?」
「別に…いい……わよゴホッ、ゴホ!……うー…」
ぷいっと顔を背ける美琴。病気中ですら彼女はツンデレている。
だが彼女も熱で弱気になっているらしく、上条が
「あのなぁ、こんな時ぐらい頼れっての。ほら、新しいタオル」
「ちべたっ!(冷たっ!)」
「それと食欲はあるか? 一応スーパーで桃缶買ってきたんだけど、食うか?」
と優しく諭すと、
「…………食べる…」
美琴は呟くように、ちょっとだけ甘えだした。
いつものように突っかかるだけの元気が無いのか、それとも雰囲気に呑まれたのか。
ともあれ上条は、スーパーの袋から桃缶を取り出し、缶切りを借りて蓋を開ける。
そしてそのまま中の桃にフォークを刺し、
「よし! はい、じゃあ『あ~ん』」
とそれを美琴のお口へと運び出したではないか。
これには流石の美琴も、
「ふぁえっ!? ちょ、じ、自分で食べ…ゲーッホゲホッ! …られる…はぁ、はぁ…から!」
と反論する。そんな事をされたら、余計に熱が上がってしまう。…風邪とは違う要因で。
しかし上条はお構い無しだ。美琴の様子を呆れ顔で見つめると、
「そんなんで無理すんなっての。
今は上条さんが看病してんだから、これくらいのサービスはさせてもらいますよ。
下手に動いて悪化でもしたらシャレになんねーだろ? 今は体を治す事だけ考えてればいいんだよ。
俺だって、美琴が元気になってくれないと張り合いがないしな。
それに…俺はやっぱり、いつもの美琴の方が好きだし」
などと相変わらず「わざとやってんじゃねぇか」と疑いたくなる様な事を無自覚に言いやがる。
上条が誰にでもこんな事を言う奴だというのは理解しているが、
それでも嬉しく感じてしまうのは、惚れた弱み、という物のせいだろう。
頭では分かっていても、心まではどうしようもないのだ。
美琴は先程自分で危惧した通り、熱が1℃上がる。勿論、風邪とは違う要因で。
「分かったら早く『あ~ん』しろ。『あ~ん』」
「……あ…あ~…ん………」
上条に促され、素直に「あ~ん」とやらに応じる美琴。
いつもよりも素直になっているのは、きっと熱のせいなのだ。そういう事にしておこう。
小鳥が親鳥からごはんを貰うように、上条からの「あ~ん」を受け入れた美琴。
もぐもぐと小さい口を動かし、ゆっくりと味わう。
口の中に広がる甘さは、桃とシロップの味だけではないようだ。
「美味いか?」
「………うん…」
こくん、と頷く。
もっと食べられそうなので、上条は二つ目の桃をフォークに刺したのだった。
しばらく経ち、美琴は眠くなったのか、うつらうつらと船を漕ぎ始める。
そろそろ白井も帰ってくる頃だろうと思い、上条は席を立とうとする。
「さて、と。俺はそろそろ寮監さんに挨拶してから帰るから、美琴も早めに寝て風邪治せよな」
だが上条が別れの挨拶を切り出した時に、異変が起きた。
立ち上がろうとする上条の服の裾を、美琴が掴んでいたのだ。
そしてそのまま、クイッと引っ張られる。不思議に思い美琴の顔へと目を向けると、
「………もう少し…一緒にいちゃ……だめ…?」
なんて事を、潤んだ瞳で見つめながらおねだりしてきたのだ。
先程の「あ~ん」攻撃のせいで、頭の中の『ツン』を司る回路のネジが緩んでしまったらしく、
ここぞとばかりに『デレ』まくる。
上気し薄紅色に染まった頬と汗ばんだ肌。「はぁはぁ」と熱を帯びた吐息。
何よりも普段とは全く違い、守ってあげたくなる程に弱々しい美琴の姿に、
上条は思わずドキッとしてしまう。抱き締めてしまいそうになる程に。
「あ…い、いや……ダメって事はねーけど………も、もうすぐ完全下校時刻だしさ…」
慌てて目線を逸らし、言い訳をする上条。ヘタレである。
が、デレ期に突入した美琴の破壊力は半端ではなかった。
可愛い女の子が俯いきながら「…行っちゃ…やだ………」なんて呟いたら、流石の上条と言えど、
「~~~っ! わ、わわ、分かったよ! み、美琴が寝るまでな!」
と了承せざるを得ないのだ。
すーすー、と可愛らしい寝息が聞こえてくる。『美琴が寝るまで一緒にいる』約束をした上条は、
彼女が眠りだしたので、そっと部屋を出…てはいなかった。まだ美琴のベッドから離れられずにいる。
そう、離れないのではなくて、離れられないのだ。何故なら…
「……あのー、美琴さ~ん? 手を離してはくれませんかね~…?」
いつの間にか美琴は、故意かそうでないかはさて置いて、
上条の左手を握ったまま眠りに就いていたのだ。おかげで動くに動けない状態なのである。
しかも厄介な事に、手を外そうとすると、「ん゛ー…っ!」と唸りながら帯電させるのだ。
その度に右手で抑えている訳なのだが、本当に眠っているのかとツッコミたくなってくる。
その時だ。むにゃ、と美琴が寝言を一言漏らした。
「…む~……当麻ぁ~……ふへへぇ~…すぴー…」
瞬間、ドキリッ!とした。美琴から名前を呼ばれたのは、これが初めてだったのだ。
聞き慣れないせいか、妙にこそばゆい。しかしそれにしても、
「…幸せそうな寝顔してんなぁ……どんな夢見てんだ…?」
きっといい夢を見ている事だろう。夢の外でも中でも、隣に『当麻』がいるのだから。
ふと何気なく、何故そうしたのか自分でも分からないが、上条は美琴の頭をそっと撫で―――
「………何をしてやがりますの上条さん…?」
―――てみたこのタイミングで、白井が帰って来た。
気配無く部屋に現れた事から空間移動を使ったのは容易に推理できるが、そんな事はどうでもいい。
問題は彼女の全身から溢れ出す殺意をどうするかだ。
「い、いやあのですね。佐天に頼まれて美琴の看病をしていた次第でして、
ちゃんと寮監さんの許可も貰っておりますので―――」
しどろもどろに説明する上条だが、当然白井はそんな事は聞いていない。
「それでお姉様の寝込みを襲ってベッドの中で
組んず解れつ絡み合おうとしてやがりましたのねこの類人猿がっ!!!
そのお役目は…そのお役目はこの黒子の物ですのおおおおおおお!!!!!」
訳の分からない事を仰りつつ金属矢を構える白井。
愛しのお姉様の事になると、彼女は簡単に暴走状態になれるのだ。
だが上条の不幸はまだ続く。次なる招かれざる客だ。
バンッ!とドアを強く開けながら部屋に入ってきたのは、その手にビデオカメラを持った
「あ~、もう! ダメじゃないですか白井さん! もうちょっとでいい画が撮れたのに!」
佐天だ。どうやらあの後彼女は、帰ったフリをしながら、実はこっそり部屋の様子を盗撮していたらしい。
ここまですると、もはや逆に拍手をしたくなってくる。
白井と佐天。それぞれ違った視点からの不幸が上条を襲う。
上条は「あはは…」を乾いた笑いで顔を引きつらせ、美琴は、
「当麻………好…むにゃ…」
と幸せな夢の続きを見るのだった。