SAO(「そ」してまた「あ」の馬鹿に「落」とされる美琴)
白い純白のドレスのような甲冑を身に纏い腰にレイピアを携えたその少女は、
両手に大量の荷物を抱えたまま、深くため息を吐く。
彼女の名はアスナ。最強と名高い攻略組ギルド、「血盟騎士団」の副団長だ。
「はあぁぁ…この状況、あの馬鹿だったらきっと『不幸だー』とか言ってるんでしょうね……」
…の、コスプレをした美琴である。特徴的なロングの髪は、オサレなウィッグでカバーしている。
ここは第三学区にある国際展示場。今は学園都市最大の同人誌即売会会場となっている。
要するに毎年お盆と年末に『外』の世界でやるアレの、学園都市バージョンみたいな物だ。
学園都市にも、一般的に「オタク趣味」と呼ばれている物を生き甲斐にしている者はいる。(青髪など)
しかし学園都市のセキュリティの固さから、夏休みや冬休みでも長期で外出できない生徒は少なくなく、
例のイベントに参加したくてもできない者も多い。
ならば学園都市でも似たようなイベントをやってしまえと、半ば強引に開催された訳なのだが、
どうやら概ね好評なようだ。
しかし盛り上がる周囲の人間とは対照的に、美琴は何だかどんよりしている。
両手からぶら下がった荷物の中には大量の薄い本【せんりひん】を詰め込み、
コスプレまでして、イベントを最大限に満喫しているというのに。
「やっぱり断れば良かったかな~…? でも初春さん、あんなに楽しみにしてたし……」
そう。美琴がここにいる理由は、初春に頼まれたからなのだ。
初春は以前から、今日のこの日の事を、待ち遠しそうに語っていた。
ご丁寧にも、コスプレ衣装まで発注して。
しかし不幸にも風紀委員という立場から、イベント当日に警備として駆り出され、
同じく風紀委員の白井と共に裏方に回されてしまったのだ。
だが当然、裏方には自由時間などなく、楽しみにしていたイベントでも回る事などできない。
そこで白羽の矢が立った【なきつかれた】のが美琴だった。
本来ならこういうのは、フットワークが軽く何事でも楽しめる佐天の役目なのだが、
彼女は三日前から実家に帰省している。学園都市に帰ってくるのは明後日だ。仕方がない。
そういう訳で、美琴は初春の代わりに何十冊ものBL本(勿論、初春の趣味)を買わされていたのだ。
しかしそれなら、何もコスプレまでする必要はなく、美琴も抗議したのだが、
初春から「だって、せっかく作ったのに勿体無いじゃないですか! オーダーメイドですよ!?」
というよく分からない理屈により却下された。
「にしてもあっついわねー……えっと次は…E32のaか」
初春から渡された紙切れ【メモ】をカバンから取り出し、次の目的地を確認する美琴。その時だ、
「あのー…すみません……」
何者かに話しかけられた。実は美琴が憂鬱だったのは、これも原因だったのだ。
会場に入ってからというもの、やたらと話しかけてくる男が多いのである。
元々美琴は顔立ちが端正(本人は自覚なし)で、その上コスプレ自体の出来も非常に良く、
更にはこの「アスナ」というキャラクターも人気が高いらしい。
なので、写真を撮られるのはまだいい。ここがそういう場所である事は、美琴も理解している。
しかし、明らかにナンパ目的で声をかけてくる輩に腹が立つのだ。
何度も何度も知らない男からメアドを聞かれれば、そりゃあ嫌にもなるだろう。
美琴はうんざりしながらも、声のした方向に振り向く。
ナンパなら、電撃の一発でも威嚇射撃【おみまい】してやろうかと思ったのだ。だがそこには、
「あ、やっぱり美琴か。自信なかったから『すみません』とか言っちゃったよ。
つーか意外だな…美琴って、この手のイベントに興味あったっけ?」
黒い服を着て、背中に二振りの片手剣を差した、コスプレ姿の上条が立っていた。
美琴のどん底だったテンションが、一気に跳ね上がる。
「なあああああん!!? ア、アアア、アンタこそ何でこんなとこにいんのよっ!?」
跳ね上がりすぎて、少々テンパってしまったようだが。
「いや、俺はアッチの企業ブースでバイトしててさ、この衣装も宣伝だっつって着させられた。
俺が今バイトしてる企業の看板キャラだしな。 …俺も詳しくはないけど。
で、今は昼休憩なんだけど、イチイチ着替えるのもメンドイからこの格好のままなんだ。
…でもさ、メシ食おうと思ってたんだけど、どこも混んでるわ値段は高いわで諦めた…」
「へ、へー…そーなんだー……」
色々と説明してくれたが、美琴は上条の話を半分も聞いていなかった。何故なら、
(うわっ! うわっ! うわ~~~~!!!
コイツのコスプレとか初めて見た! ど、どうしよ…写真撮りたい、けど……
迷惑だって思われちゃうかな!? でもでも! こんなチャンス今しかないし~~~っ!!!)
とまぁ、そんな事を考えていたから。
想定外も甚だしいと言わざるを得ない程の不測の事態に、流石の美琴も演算が追いつかない。
だがこのまま黙っていても気まずいし、
上条自身も美琴に用がある訳でも無さそうなので、この場から去ってしまうだろう。
なので美琴は、とりあえず場を繋ぐ為に会話を続ける。
何をするにしても、上条がいなくなってしまっては後の祭りなのだから。
…と言うか、初春から頼まれたおつかいを忘れている気もするが、いいのだろうか。
「えっと、えっと……そ、そう! アンタのそのキャラ、何ていうの!?」
「あ、これ? 『キリト』ってんだけど…知らないのか?」
若干「信じられない」といった表情で聞いてくる上条。
美琴は、マンガ(主に月曜日と水曜日に発売される三冊の週刊誌)は読むがアニメはあまり観ない。
なので上条が扮しているキャラも知らない。
なので上条が何をそんなに不思議がっているのかも分からないのだ。
「何よ…そんなに有名なキャラなの?」
「いや、つーか……美琴のそのキャラと原作同じだぜ? 俺のって」
「えっ!!? そ、そうなのっ!?」
完璧なまでに寝耳に水である。
美琴は自分のキャラについて、初春からは「アスナ」という名前以外を聞かされておらず、
その他の細かい設定は全く知らなかったのだ。
急遽頼まれたから仕方が無いとはいえ、全国のレイヤーさん達を敵に回すような行為である。
「ああ。俺が主人公で、美琴はヒロインな」
「ふ、ふ~ん? アンタが主人公で、私がヒロイン、ね。…ふ~ん……」
想像して、思わずニヤニヤしてしまう美琴。
しかし次に語られた設定に、美琴はニヤニヤする暇さえ無くなる事となる。
「そうそう。それと俺(のキャラ)と美琴(のキャラ)、(ゲーム内で)結婚してるんだよ」
「……え? …ふぁえっ!!!? け、けけけ、けこ、結婚っ!!!?」
「ああ。あと確か、(AIだけど)娘もいるはずだ」
「むむむむ娘えええええぇぇぇぇぇぇ!!!?」
想像の許容量を超えて、美琴の頭はパンク寸前に追い込まれた。
上条の、わざととしか思えない絶妙な説明不足で、まるで上条と美琴が結婚して娘もいるかのようだ。
これはあくまでも、キリトとアスナの話で、しかもゲーム内での設定である。
美琴の脳内に一瞬だけ、未来の上条と美琴【じぶん】と『まだ』顔も知らない娘が、
3人で仲良く団欒している情景が浮かび上がったが、顔をブンブンと横に振ってそれを打ち消す。
美琴だって馬鹿じゃない。今までの経験上、『深い所』まで妄想してしまったら、
自分が『ふにゃー』してしまう事ぐらい分かっているのだ。
だがそんな美琴の幻想をぶち殺すかのように、上条は言葉を続ける。
「つっても、俺と『キリト』は似ても似つかないけどな。
あっちは俺と違って女の子からモテまくってるし…まぁ、そのせいで反感買ったりもするみたいだけど」
「………へーーー…」
上げて落とされるのは慣れている。だって相手は上条なのだから。
上条が語った「キリト」のエピソードに、ものっ凄い既視感を覚える美琴。
と同時に、名前とコスチュームしか知らない「アスナ」に対して、同情心と親近感が芽生えてくる。
似ても似つかないどころか、ソックリである。
と、その時だ。上条は何かにハッとしたように時計を見る。
「うわヤッベ! もうすぐ休憩終わりだ!」
「ああ…今バイト中って言ってたもんね。けどお昼は諦めたとか言ってなかったっけ?」
「いや、昼飯はいいとして、トイレには行っとかねーと!」
「あ、そ、そうね。それは大事…よね」
すると上条は、自分の荷物を美琴に預けた。
キョトンとする美琴に、上条は矢継ぎ早に言葉を被せる。
「悪ぃ、これちょっと持っといてくれ! 俺が持ってるより、美琴が持ってた方が安全だしさ!」
上条は何かと不幸に巻き込まれやすい。
サイフや貴重品が入っているバッグは、確かに自分で持っているより美琴に預けた方が安全だろう。
こんな人ごみの中では、落としたり無くしたり壊されたり盗まれたり…
とにかく不幸イベントが起きる条件は、十分すぎる程に満たされているのだ。
「え、わ、ちょ、ちょっとっ!?」
「じゃ、頼むな!」
美琴の反論も聞かず、上条はその場を立ち去った。
残された美琴は、「えー…?」と不満を漏らすが、それをぶつける相手はもういない。
仕方なく、美琴は上条のバッグを見張る事にした。
せめてもの復讐にと、上条のバッグを椅子の代わりに腰掛けて。
だがその時、美琴はある事に気づく。
「…? 何かしら、この布……ハンカチ?」
バッグのファスナーからはみ出た、白い布のような物。
最初はハンカチか何かだと思ったのだが、よくよく見てみるとそれは、
「あっ、Tシャツか」
だった。恐らく上条の着替えだろう。流石にコスプレしたまま電車に乗る訳はないのだから。
と、ここで、そこに気づいた美琴に悪魔の囁きが耳に届く。
(……アイツって、普段どんな服着てんのかしら…
いつも会う時は、学校の制服だし……私服って意外と見た事ないのよね…)
人の荷物を勝手に開けてはいけない。そんな事は子供でも知っている。
しかし人間は欲深き生き物だ。イケナイ事だとは頭で理解しつつも、
(ちょっとだけなら…)
理性が本能に負けてしまう時だってあるのだ。
美琴は周りをキョロキョロと見回し、誰もこちらに注目していない事を確認して、
サッとファスナーを開け、ササッとTシャツを取り出し、サササッと広げる。すると、
「………無地て…」
ただただ真っ白いだけのTシャツが目の前に現れた。骨折り損にも程がある。
「…うん、まぁ、アイツが普段、柄の無いTシャツを着てるって分かっただけでも収穫かな?」
そう言い聞かせ、Tシャツを証拠隠滅しようと【しまいこもうと】する。
だがここで、美琴に二度目の悪魔の囁き。
美琴は何かを思いつき、Tシャツを仕舞うその手を止める。
そして再び…いや、先程以上に周りをキョロキョロと見回し、そして、
………すん…
とTシャツのにおいを嗅いだ。瞬間、
「何してんの?」
「ほい来たああああああああああ!!!!!」
背後から上条に話しかけられた。正面と左右には気を配っていたが、後ろがガラ空きだったようだ。
美琴はビックリしすぎて、「ほい来た」という謎の掛け声と共に、
手にしていた上条のTシャツをブン投げる。
「うおおおおい! 本当に何してんの人のTシャツにっ!」
「ううう、うっさい! ア、ア、アンタが早く来すぎるのが悪いのよ!」
「上条さん何も落ち度なくね!?」
男は女性と違って、お手洗いで化粧直しする必要も無く、「小」ならば個室に入る事も無いので、
回転率が高い。おかげであまり時間をかけずに、する事だけして直ぐ戻って来られるのだ。
美琴としては不幸な事に。
上条は『何故か』投げ飛ばされた自分のTシャツを拾い上げ、パンパンと叩き埃を落とす。
そして自分のバッグに仕舞おうとしたのだが、その時、
「ったく……美琴ってたまに奇行に走るよな」
と美琴に話しかけながらだったので、自分と美琴のバッグを間違えてしまった。
もっとも、美琴が上条のバッグを椅子にしていた事も原因の一端だったのだが。
上条がファスナーを開け、その中を見た瞬間、
「「あ」」
と二人同時に発した。
そう。上条が自分の物と間違えて開けた美琴のバッグの中には、
初春の頼まれて買ったBL本が、所狭しと詰め込まれているのである。
「ちちち違うからっ!!! これは私のじゃなくて―――」
上条が何かを言う前に、先手を取って言い訳をする美琴。
しかし上条は、全てを分かっているといった優しい表情で、美琴を諭す。
「いいって、気にすんな。別に恥ずかしい事じゃないだろ?
こういう趣味の女の子って多いみたいだしさ」
「えええええ!!? いや、ホント、そういうんじゃないの! これには訳が―――」
「分かった分かった。誰にも言わねーって」
「お願いだから話を聞いてええええええええ!!!!!」
どうやら上条に、腐った女子判定をされてしまったらしい美琴。
上条はあまり気にしていないようだが、美琴としてはたまったものではない。
だが美琴が訂正する間も無く、上条は、
「っと、そろそろブースに戻んないと、マジで時間が無ぇや。じゃあな、美琴」
と言って、颯爽とこの場を後にしようとする。
せめて一言何か言って、誤解だけでも解こうとした美琴。しかし去り際に上条からポツリと放たれた、
「あっ。そう言や言い忘れてたけど、アスナのコスプレ【そのかっこう】似合ってるぞ。
……うん、可愛いと思う」
の言葉に、何も言えなくなってしまった。
少し照れくさそうに捨て台詞【くどきもんく】を残した上条【キリト】は今度こそ本当にバイトに戻り、
残された美琴【アスナ】は顔を真っ赤にしたまま、その場にへたり込んだのだった。