ミコトラプソディー 3 狂想曲2.5 [御坂美琴]
夜。
二人きり。
彼氏の家。
シャワー。
ワイシャツ一枚。
これだけならば答えは決まってしまうようなものだが……?
シャー……と言う音が部屋一面に響き渡る。
足元からは水の跳ねる音と湧き上る湯気。
全身に勢いよく当たる水流がなんとも気持ち良い。
「はぁ……」
漏れたため息が反響して耳に入る。
だけどすぐに水音にかき消された。
……一体自分は何をやってるんだろう?
熱めのシャワーを頭から浴びて、御坂美琴は考え事をしていた。
シャワーと名が出るとおり、美琴はお風呂に入っている。
それだけならば何の問題もないのだが、肝心なのはその場所。馴染み深い常盤台のそれではなく、上条家のお風呂なのだ。
つまり、ここはホームではなくアウェー。完全なる敵地。や、この場合敵と言うのは正しくないか。
上条当麻は自分の恋人。今、その恋人の家でシャワーを浴びている。
そんな事を他の人が聞いたら、まず間違いなくソッチの方へ話は流れるだろう。
実は美琴もソのつもりだった? いやいや。
実際はこうだった。
「(ど、どうしよう……勢いでここまできちゃったけど、男の人の家に泊まるなんて……! しかも、お風呂にまで入るなんて! 服が……わ、ワイシャツ一枚なんて!)」
確認しよう。御坂美琴は中学生の女の子であり、彼氏はおろか男友達すらいなかった恋愛経験ゼロである。
顔が赤いのは、なにも熱めのシャワーを浴びてる事だけが理由でない。
むしろそっちはオマケであり、本当の理由は考え事をして赤くなっているのだ。
そこには羞恥心のほかにも緊張が混ざっている。
この後、自分は風呂を出て、上条のワイシャツを着て部屋に行くだろう。
その下にあるのは、自らの柔肌と短パン一枚のみ。
ここまでの姿を他の人……男の人に見せたことなんかある筈もないし、恥ずかしくてした事だってない。
しかも相手は恋人である上条当麻。
何も起きない事を明言しているとは言え、それはそれはこの後に起こるかもしれない“出来事”に無用な意識をしてしまう。
美琴も思春期真っ盛りの中学生。もちろんソんな知識も知らないわけではない。
「(もしかしなくても……もしかしたら、あんな事やこんな事が……と、当麻と?)」
自然と視線は前から下へ。具体的には自分の胸部で止まる。
そっと手で触ってみると、ん……まあ柔らかいんじゃないの? と言う実に慎ましいレベルで形を変えた。
一応女の子らしい柔らかな曲線を描いてはいるものの、同年代の子と比べてみてもその双丘は限りなく“丘”であり“山”には程遠い。
少なくてもインデックスには勝っている事は間違いないが、その他は……。
美琴の頭の中で、よく上条の近くにいる女の姿を思い出してみる。
「(や、やっぱりアイツも、大きい方が好きなのかな)」
考えてみると、これまで上条が他の女といる場面に遭遇した中で、いわゆる“巨乳”に分類されるのが半数以上。
当然ながら、自分にはどんなに見栄を張っても分類されることはない。
「(まだ、これからがあるもん。高校生になれば、私だってきっと……!)」
と言う部分まで来て、さっきから自分が何を考えているのか思い直してまた赤面。
実はこれでもう3回目だったり。
とりあえず身体はしっかりと洗っておく。
女の子としての身だしなみもそうだけど“何があっても良いように”。
もちろんこの部分でまた何回かエンドレスして、のぼせ気味で風呂から出たのはそれから更に30分も後だった。
「あ、上がったわ……」
「……おぉ、ずいぶんゆっくり入ってた……な」
上条が美琴を見つめたまま固まる。
そりゃそうだ。今の美琴の姿を想像してみよ。何もない方が異常と言える。
しっとりと濡れた髪の毛、ほんのりと赤く上気させた表情、第二ボタンまで開けられたほんのり膨らみのある胸元、袖口から半分顔をのぞかせる小さな手、すらりと伸びた脚、見えるか見えないかの太ももと更にその中の……
「ぐはッ?!」
「え、ちょ、どうしたの?」
「ナ、ナンデモアリマセン。カミジョウサンゲンキデス」
「そ、そう?」
居心地悪そうにもじもじしている美琴。その格好が更に上条を攻め立てているのだが気づく訳がないだろう。
一応自分の格好に恥ずかしさを覚えているのか、若干上条から離れたところに座った。
ここでも一層強調される美琴の太もも。短パンを穿いているらしいが、実のところ穿いてないんじゃないかと言うくらいに際どい部分まで見えてる。
美琴と同じく思春期真っ盛りの、しかも男の子にとってこの光景は絶景以外のなにものでもないはずだ。
一挙手一投足全てが艶かしいで満ちている。
思わず生唾をゴクンと飲み込んだ。
「(こ、これはマズい。精神衛生的にマズい! 殆ど同じ格好をインデックスで何度も見たけど、小さな子供が大人のシャツ着て寝てるようなもんだったから全ッ然気にならなかった……イヤ嘘です。上条当麻は不覚にもインデックスさんに見蕩れたことありますゴメンナサイでした! でもそんなの関係ねえ! 相手が美琴に変わっただけなのに、なのに何故!? 何故美琴が着ただけでこうも変わるの?!)」
「と、当麻。そんなジロジロ見ないでよ。変態」
「しょ、しょうがないだろ! 自分の彼女がそんな格好して近くにいりゃあ誰だって見ちまうっつーの!」
「……えっ?」
「あ! いや、これは……」
「そ、それって、似合ってるって、こと?」
「……そうだよ。不覚にも上条さんトキめいてます! って何言わせるんだ」
「不覚って、なによ……もぅ」
上条にそう言ってもらえて嬉しかったのか、美琴は立ち上がると上条の隣までやって来た。
そのままストンと座ると、上条に身を寄せてピッタリとくっ付く。
「み、美琴さん?! 何故?」
「べ、別に付き合ってるんだから……こ、これくらいは当然よ」
「お前、心臓めっちゃドキドキ言ってるじゃん」
「あ、アンタだって」
お互いにちょっと飛んでるものだから、今がどう言う状態か理解できてない。
シラフの時ならまずもって出来ないだろう。
勢い・テンションと言うのは時に大きな力を生み出す。
もっとも、それが正しい方向かは別として。
「(か、上条さんの鋼の理性が、音を立てて、崩壊中。この破壊力は、上条さん、防げません……!)」
「(わ、私ってば一体なにやってんの!? こっこれってまるで私が誘ってるみたいじゃない!)」
「み、美琴……!」
「ひゃいっ?!」
「お、俺……もう……」
「(えぇー!? そんなつもりじゃなかったのに! や、やっぱアンタも男の子だからそうなっちゃうの……? しょ、しょうがない、よね? 私が誘ったようなものだもんね。怖いけど……でも、当麻になら……!!)」
ゆっくりと上条の顔が近づいてくる。
もうこの先に起こるであろう事を想像した美琴は覚悟を決めた。
今日の今日で、と言うのが若干の不安だが、上条にだったら自分の……。
ゆっくりと美琴が目をつぶる。
心臓の鼓動はかつてないほど激しい。
もうあと少しすれば……
「ふ……」
「(……?)」
「風呂入ってくる!」
「……は?」
ガタン! と急に立ち上がった上条が、そっぽを向きながらこんな事をのたまった。
思わず見上げたまま固まる美琴。
あれよあれよと言う間に上条は風呂場へと向かってしまい、状況を理解したのは風呂場からの上条の叫び声を聞いてから。
「ふ、ふにゃー…………」
風呂から上がって少し経つのに、今になってのぼせ上がった美琴は、周囲に電気を撒き散らす暇もなく気を失ってしまった。
幸いすぐ後ろがベットであったため、もたれかかるような姿勢に。
当然ながら、この後上条によって発見されるまでそのままなのだが……。
そのころの上条といえば。
「(がああぁぁあぁ?! 結局紳士なんて嘘っぱちじゃねえか! 所詮上条さんは中学生相手に欲情しちまいやがった変態野郎ですよー!!)」
と別の意味で苦悩に満ちていた。
いや、あれはたとえ誰であっても急所を突かれ効果は抜群だったと思う。
むしろあの流れで良くぞ耐えた、と言った所か。
甘い雰囲気になるのはまだ早い。始まって一日も経っていないのだから。
とまあそれは横に置くとして、この季節にしては場違いな位冷たいシャワーをしこたま浴びた上条が部屋に戻ると、発見されたのは顔を真っ赤にしてノビている美琴の姿。
思わずさっきのことを思い出して上条自身も顔が赤くなったが、今はそれどころではないだろう。
美琴の目の前でしゃがみ込んで、軽く肩を揺すってみた。
「おい、美琴。大丈夫か?」
「……ふにゃぁ~……」
「………………」
大丈夫じゃなかった。
はあ、と一つため息を吐く。
「……そんな緊張するくらいなら初めから無理するなっつーの」
上条は急激に冷静になっていく自分に気がついた。
美琴がこんなになるまで追いやったのはある意味自分である。
勢いがそうさせたのも確かだが、年長者の自分がしっかりしないとあっという間に崩壊しかねない。
何より、つい夕方に自分で言ったばかりでこの体たらく。
まだまだ上条の紳士としての振る舞いは鍛錬が必要らしい。
「よっと……」
肩とひざ裏に腕を通して、そっと美琴を抱きかかえる。思ったよりもずっと軽いし、何より柔らかい。それに風呂後だからか良い匂いがした。
美琴の横顔がすぐ傍にある。相変わらず起きた様子はない。ならば今が絶好の機会かとばかりに呟いた。
「……今はこれが精一杯だから、これで勘弁してくれな」
そう言うと、自分の唇を美琴の頬にそっと押し当てた。
時間にしてほんの一瞬。軽く触れる程度のものであった。
これならば美琴にも気が付かれずに済むだろうと思いきや、赤い顔が更に一瞬で真っ赤になった。
いわば、瞬間沸騰の類か。
「え? ま、まさか美琴さん?」
「……お、起きてるわよ。バカ」
「ど、どの辺りから起きてらっしゃったんでせう?」
「……そんな緊張するくらいなら、って所から」
「メチャクチャ序盤……! あの、これはですね」
「当麻」
「ハ、ハイ」
「できれば、唇に欲しかったな、なんて……」
この時美琴に向けられた視線は、ある意味先ほどの破壊力を上回っていたかもしれない。
女の子とは、かくも可愛いとは思わなかったと新たな一面を見出した上条であったが、今度は理性が押し勝った。
それはまた今度な、と言うと美琴をベットに下ろしてあげて自分もまた隣に座る。
「あ、そうだ。湯上りにアイスでも食うか? インデックスが食い尽くしてなければの話だけど」
「ううん。いい。それよりも、ちょっとこうしていたい、かな?」
ピタリ、と身体をくっつけて、上条の肩に自分の頭を乗せた。
位置は逆だが、夕方の時と同じ体勢だ。
「こうするの、夢だったんだ」
「そ、そうか」
「うん。だって、当麻のことすぐ近くに感じるから」
「抱きしめたほうがいいんじゃねえの?」
「……それはまた今度。だって、私今こんな格好だし?」
「あー……」
「それにね」
「それに?」
「楽しみは、取っておきたいじゃない? いろいろと」
上条の方を向いて、ニッコリと笑った。
喜怒哀楽、様々な表情を今まで見てきたが、やはり美琴には笑顔が一番だと上条は思った。
この笑顔を絶やさないためにも、守るためにも、もっとしっかりしなくてはと再認識する。
そういうのも含めて『御坂美琴とその周りの世界を守る』だという事も。
今この瞬間だけでなく、この先もずっと……。
だから上条はそんな思いも含めて返事をする。
『そうだな』と。
やがて、夜も更けてきてもうそろそろ日付も変わろうかという頃合い。
いくら若いとは言え、あまり夜更かしは褒められたものでないので寝る事に。
……普段から徹夜で追いかけっこしてるじゃんなんてのは薮蛇だ。
「そろそろ寝るか。明日もある事だし」
「うん。あ、でもベットが一つしか……」
「今日はお前が使えばいい。普段はインデックスが使ってるから変な匂いとかもしないはずだ」
「それは全然気にしないけど…(なんだ、当麻の匂いじゃないんだ)…と、当麻はどうするの?」
「俺? 俺はいつも風呂場で寝てるよ。と言ってもまだ乾いてないから後になるけどな」
「風呂場って……そ、そんな。家主追い出して自分だけベットなんて悪いわよ!」
「上条さんはそんな事全然気にしませんよ」
「私が気にするの! とにかくそんなのはダメなんだから」
「じゃあどうすれば……」
「私と一緒に寝たくないの?」
「ぐっ! だ、だからそれはさっきの事もあるからでして」
「じゃあ私が風呂場で寝る」
「それは断固として拒否します!」
あーしろこーしろ、ゼロにするだがことわる……
あぁもう埒があかないわね! と言うや否や、上条の手を掴むと自分の方へぐいっと引き寄せた。
当然のことながら逆らえるはずもなく、半ば美琴を押し倒す形で倒れこむ上条。
ベットがギシリと軋みをあげて揺れ、自分のすぐ目の前に倒れこんだ美琴がいる。距離は果てしなくゼロに近い。
「お、おい美琴!」
「いいから、アンタは私と一緒にここで寝るの」
「ったく、自分から誘うやつがいるかよ」
「だって、しょうがないじゃない……アンタと、一緒にいたいんだから」
プイッとそっぽを向いてしまう美琴。
でも言ってる事は本当だ。
つい半日前には想像できなかった事が次々と起きている。
もし今眠ってしまったら、全部夢になってしまうかもしれない。
そう考えると不安なのだ。本当に、自分は上条と一緒になれたのかと。
だから……
「でも、アンタに迷惑かけたくないし、どうしてもって言うなら……」
「わかったよ。じゃあもうちょい奥つめてくれ。このままだと上条さんの寝るスペースがありません」
「え? いいの?」
「その代わり、俺は反対側を向いて寝るからな。あと掛け布団は見てのとおり一組しかないから半分ずつだ」
「う、うん……」
パチンと電気を消すと、ごそごそと美琴が布団に入り、上条もまた納まる。
一人用のベットに二人分の顔。ちょっと狭いけど、お互いのぬくもりがすぐ近くに感じられるからか、なんだか落ち着く気がした。
宣言どおり上条は反対側を向いてしまったので寝顔は見えない。
でも目の前には広くて大きな背中があった。
これくらいならいいよね……と後ろから抱きつくようにして包まる。
「こ、こら美琴!」
「いいじゃないよー。背中くらい貸しなさい」
「まさかこれがやりたかったんじゃないだろうなあ」
「違うわよ。本当は、腕枕とかやって欲しかったなーとは思うけど」
「今はまだ早いです。だからその内、な……」
「うん。わかった。おやすみ、とうま」
「おやすみ。美琴」
真っ暗な空間の中で、好きな人に抱きついて、好きな人の鼓動を感じながら眠る。
興奮して寝れないかと思ったが、思いのほか早くに眠気はやってきて、程なくして美琴は小さな寝息を立て始めた。
めまぐるしくいろんなことがあった一日だ。しかもこんな状態にもなっている。
初日にしてはずいぶんかっ飛んで行ったような、何かと手順をすっ飛ばしたというか。
一方で美琴の規則正しい寝息を感じた上条は、未だ眠気が来ない。
こっちはこっちでむしろお約束的状況だ。
まだ一日目、時間にして半日も経ってないのに一緒に寝てる。
最近の若い子はこんなにも積極的なのか、と思ったほど。
でもすぐに自分もその“若い子”に分類される高校生だと思い出してため息をつく。
「(ったく、しょうがねえな。このお嬢様は)」
本当にしょうがないのはむしろ自分の方かと小さくため息をつくと、美琴の腕を押しつぶさないように慎重に身体の向きを変える。
腕枕なんてまだ早い。これから先でもたくさん出番は来るはずだ。
だけど、それは彼女が願った事。なんだかんだ言いつつも叶えてあげたくなるのが彼氏と言うもの。
これが惚れた弱みとでも言うんだろうか。
美琴の頭を揺らさないようにゆっくり持ち上げると、左腕をそぉっと通して腕枕と思える体勢になった。
必然的に距離は縮まっていて、美琴の寝息が目の前ではっきりと感じられた。
もう片方の腕でそっと頭を撫でてあげる。
「おやすみ、美琴」
なんだか美琴の寝顔が更に穏やかなものになったような気がするが、これは気のせいだろう。
目が覚めた時の美琴は、とても驚くだろうな……。
そう思いながら、安心したように上条もまた目を瞑りやがて眠りへとつく。
明日は土曜日であり、のんびりとした休日が待っている。
金曜日の夜は更けてゆく……
上条と美琴の物語は、まだ始まったばかりだ。